蜀漢 > 『反三国志』を超えて『反・反三国志』を作りたい

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蜀ファンがもっともスカッとする三国志を

蜀のための物語を書きたい

ふと思いますに、
初めて三国志に触れたときは蜀びいきだったはずなのに、いつのまにか蜀に意義が感じられず、遠ざかってしまった。でもきっと蜀は魅力的なはず。蜀ファンがもっともスカッとするような物語(架空戦記)を書きたい。ただ蜀が連勝してもスカッとせず、魏呉が自滅的に振る舞ってもスカッとしないはず。
ゼロから架空戦記を書くのでなく、先行作品を分析して(誤解を恐れずに言えば、なるべくオリジナルは排して)蜀が活躍する話を組み立てたい。『反三国志』、桐野作人『破三国志』、伴野朗『孔明死せず』、河原谷創次郎『関雲長北伐戦記』は抑えます。他に蜀ファンの希望を叶えた作品を知りたいです。

そして、少し読みました。
桐野作人『破三国志』は、十年以上ぶりに読んでもおもしろく、移動中に二度読みした。ネタを分析・抽出して、自分なりの創作で模倣したい。
仲路さとる『異三国志』は、読み始めた直後から「読む必要なし」と第六感が囁く。イフものなのに、イフと関係ない演義風の話をだらだらと。イフでやる意味なし。
仲路さとる『異三国志』は、陳宮・呂布が兗州で曹操を攻めるところから始まるが、陳宮が董卓から逃げる曹操を救ったのが自明の前提として扱われる。同氏の『群龍三国志』は、冒頭に登場した劉備が、董卓と黄巾討伐で顔見知りになったというのが自明の前提として扱われる。
独自設定を含む三国志を書くならば。正史を原材料にして、『演義』は最も重要なアレンジのひとつとして自覚的に取り込むのがいいと思います。『演義』を自明の既成事実のように扱ったら、屋上屋を架し、他人のふんどしみたいで、つまらないと感じます。仲路氏は二作とも、初めからコケさせられました。
仲路さとる氏は、苗字が袁術っぽいんだから、もっと袁術を大切に描写すればいいのに。仲=袁術の国名。路=袁術のあざなは公路。……と思ったら、『異三国志』では既定どおりのお決まりの袁術でしたが、『群龍三国志』では、袁術がめちゃめちゃ活躍してた。しかし、『演義』(というか『吉川三国志』か)を鵜呑みにして、屋上屋を架しているという点では、欠点をひきずってた。
歴史群像新書に入ってるから同列に捉えてましたが、桐野作人氏の三国志は、正史・既存の物語・関連する知識を踏まえて創られており、ときどき説明くさいけどおもしろい。仲路さとる氏の三国志は、既存の物語を適当にかき混ぜて自分の作品だと称している感じ。作者がわけも分からず書いてるのが分かる。


ツイッターでお願いしました。
見逃したら残念なので、リプライか、タグ #蜀ファン を付けて頂けると、必ず拝見します。蜀ファンがスカッとするイフ展開を教えてください。なるべく網羅的に取り込み、あらすじはウェブ上で整理します。
イフ小説じゃなくても、北方三国志のように蜀に肩入れしてる作品なら、蜀ファンの願望を代表してると思います。分析対象にしなくては。劉備の領土が拡大しても、史実の蜀書の立伝者に政権の中核を担って活躍してもらいたいです。

@shiina04r さんはいう。これ!泣いて馬謖を斬るシーンが理想詰まってて号泣したから。北方は馬謖も張飛も死ぬとこで泣いたから。張飛の死に関してオリジナリティ入れたことは多分賛否両論だけど、周瑜の対応みるとあの女性の息子への思いに泣いたし、張飛の妻の死に際もかっこよくて泣いた。


蜀ファンのための物語とは

@naniujip さんはいう。周大荒「ワシの作品を超えられるものがあるか!ワシの作品(のべ3回叫ぶ)」

@Miiru_K さんはいう。とりあえず阿斗様助けない趙雲欲しい(←
ぼくはいう。劉封か、史実では描写の少ない他の実子が、劉備の太子になるんですね!
@Miiru_K さんはいう。Yes,劉備のあとを誰が継ぐか、ここ結構重要だと思うんですよ。血を優先して滅亡するか、孔明みやいにできる臣下に全部託してそれでもダメで滅亡するかって、かなり違ってきますからね!これ趙雲が阿斗を助けられなったか、あるいは劉備が叩きつけて死んじゃうかのパターンが想定されるけど、趙雲贔屓なのでとりあえず叩きつけるまでは生きててもいい(非道 どの道、赤壁に至るまでかなり劉備軍は強行軍かまして、かなり疲労してるし、赤ん坊がそう無事に生き残れる環境とは思えないんですよね・・・

@Miiru_K さんはいう。その後の蜀の動きも、ここら辺でかなり変わってくると思うなー・・・あ、個人的には孔明は継がない方向で。あそこで臣下として尽くす決意したからこそ良いシーンだと思ってるので。
IF~阿斗様が助けられなかった場合。劉備の後継でもめるのは当然として、誰が後継になるかで滅亡の仕方変わるはず。あくまで血統・劉姓を優先して滅亡するか、できる臣下に任せて滅亡するか。それとも少しは長く繁栄するか。武功を残したり、生き残る部下も違ってくる。
個人的には五虎将はみなさん戦場で散って欲しいとも思う。いや当然、長生きはして欲しいんですが。馬超は死ぬの早すぎ・・・そして武人なのに寝台の上で亡くなる趙雲も、少しもったいないと思う。もっと活躍を!

@Mickey_Trunk さんはいう。佐藤さんの王莽になりたくなかった曹操とか好きで、昔より魏に寄ってます。皇室のある国の人間的に勤王家の曹操像が琴線に触れやすい気がします。

@shiina04r さんはいう。蜀ファンというか、馬謖ファンとしては馬謖が街亭で勝利する展開が燃える。その後孔明の後継者として育っていく馬謖、かっこいい
@Miiru_K さんはいう。しかし、馬謖が街亭で勝利すると、後に三国志を残す陳寿のパパ(その時の馬謖の部下として街亭の戦いに随行してた)が刑罰を受けたとゆーエピソードも削られるのかな・・・。まあ、あくまで、IFなので、その後に残る三国志の著者がかわってもおかしくないよね・・・

ぼくはいう。蜀ファンがスカッとする三国志としては、曹操に強大になってもらい、禅譲に向けた体制を完璧にしてもらってから、それを蜀将の手で破壊したいはず。

@Miiru_K さんはいう。まさにそれ<禅定手はず完璧になってから蜀軍が曹軍ぶっ潰し。しかし蜀軍が曹軍フルボッコにしている間に、間諜とか入って呉軍が成都に攻め入ったりして・・・まさに三つ巴・・・そこらへんが三国志の魅力の一つですが、諜報による水面下の腹黒い頭脳戦、だまくらかし合いが、読みたいなあ・・・

曹操戦死は赤壁では早すぎて、合流前の馬超に潼関で手柄を取られるのもイヤ(←前に考えた設定)。隴を得て蜀を望み、成都でフルボッコか?

ぼくは思う。もしも魏が蜀に負けたら、については先行作品でさんざん描かれていますが、それよりもツイッターで聞かせて頂ける設定のほうが、上を行っているような印象があります。 #曹操戦死208 も #劉備の献帝奉戴 すごく勉強になりました。

劉備と五虎将と徐庶と諸葛亮が快進撃するカゲで、立場のなくなった献帝と、孤児になった曹丕が、慰めあって生きていくとか、そういうのが書きたい。いかん。蜀アレルギーが発症してる(笑)

@AkaNisin さんはいう。蜀漢を持ち上げるなら、やっぱり正統論争や関帝信仰に関係する表現・扱いが丁寧だといいと思います。…あんま創作に益するとこじゃなくてすみません
ぼくはいう。正統論は、それなりにやれそうですが、関帝が自信ないです。こんどお会いしたときにレクチャーお願いします。ペラペラ喋っていただいたら、がんばって吸収します。毛宗崗本による美化は、踏襲が必須ですよね。

@rerasiu さんはいう。劉禅より中途半端に優秀な人に後を継がせたら親政を志向し諸葛亮と対立して死ぬというのはどうか。

@Miiru_K さんはいう。蜀じゃないんですまんけど、呉の陸遜の憤死だけはどーにかならんか・・・と思うことが。死因が哀れすぎる。陸遜好きなだけですが。個人的にはいつ改名したかも気になる人だし。陸遜は資料によっては既に名前かわってて、原因もはっきりしないし、遜の名前は仕えてるの孫家だし、へりくだるの意味だし、そのあたりのIFエピソードが蜀・魏との攻防の中であったらいいなあとも思う人。

イフ物語の創作に関して

@darql さんはいう。歴史のイフものって2種類あって、それは純粋仮定の物語と反実仮想の物語。「もしあそこで○○がこうじゃなくて、ああしていたら」みたいなのが反実仮想。「もしかしたらこうかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない」という中の「もし~なら」が純粋仮定。反実仮想では、幻想は失われる。純粋仮定であってはじめて、幻想の生まれる余地がある。幻想好きな私は、だから純粋仮定の歴史物語が好き。反実仮想のイフものはあまり読まないかな。もちろん、演技のような古典は読むけど。「実は王平が板楯蛮だったら」という純粋仮定で、板楯蛮における王平を主人公にした歴史物語があったら、それは是非とも読みたい。

ぼくは思う。純粋仮定は史料を読むときの思い浮かぶが、物語にするのが難しい。純粋仮定は史実の各断面のもので、それ自体が時間の幅をもって展開しないから。純粋仮定に展開を与えようとすると、反実仮想という設定を借りて物語をつくることになる。…とか、両者を背反でなく相補的に捉えてます。

小説をつくることに関して思うこと。
小説を書くときに心がけているのは、きちんと事件を起こすこと。筆の勢いで主人公が「AだろうかBだろうか」と悩んだら、一旦デリート。Aの行動を起こしてBの主張をもつ人物と対決させるとか、出来事に置換する。「生きるべきか死ぬべきか」と葛藤するよりも、一回死なせて(死にそうになって)みる。
吉川英治『三国志』を初めて読んだときは、作中の出来事の多さに驚きました。学校で、小説とは内面をドロドロ吐露するものと習った気がするけど、そればかりじゃないと。戟を一振りしたら百人が死んでもいい。登場人物が多くて内面が描かれないという欠点はあるけど、二次創作する余地になりますし。

などと準備しながら、創作にかかります。

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『反・反三国志』序文 【創作】

先月、思いつきました。
『反・反三国志』というのが書かれるべきだと思う(←ニーズ・意義がありそうなアイディアだと直感すると、こういう感じ方をします)。反古紙だか壁紙だかは、二枚重ねになっており、さらに剥がしたら本当におもしろい『反三国志』が出てきた。『反三国志』は官憲を欺くために敢えてつまらなく書いたボツ案だとか。

というわけで、『反三国志』の挑発的な序文(著者独言:すべての正史はインチキだ)をまねて、『反・反三国志』の著者独言を書いてみた。原典は、書虫で注文しましたが、手元にないです。渡辺精一氏の翻訳に拠りながら、アレンジをします。

著者独言:とある野史すらインチキだ

さてさて、太古の昔からこう伝えられている。信頼すべき「歴史」があるから、これを手本として人倫の秩序が構築されると。本当にそうだろうか。
中国には五千年の歴史があるが、この長い年月は、すべて「君主」が専政した暗黒の歴史である。世のひとは「君主」の立場を羨望するから、君主すなわち皇帝に問題があれば、倒されて王朝が交替する。新しく皇帝となった者は「私に天命がある」と称して、自分の徳を謳いあげる。
そのとき、旧王朝の歴史を書く作業にも着手する。これはあたかも、猫が鼠を殺したあとで、鼠の死骸に向かって、「かわいそうですね」と言うようなもので、そんな「歴史」叙述をどうして信頼できようか。
正史『三国志』を著した陳寿も、西晋の皇帝に阿諛追従して、生命の安全・地位の保全のことしか考えていない。董狐のように「殺されても書く」という胆力がある歴史家は稀少である。古今、信頼すべき「歴史」は、ほぼ存在しないのである。

心ある人は、こうした事態に胸を痛め、官撰の「正史」とは別に「野史」を著して、後世に残した。読書好きの知識階級は、むかしの物語が好きで、「野史」の類も読む。そういう人々にだけでも、真実を伝えようとしたのである。
群雄が割拠すると、「正史」を官撰する余裕がなくなる。その一方で、目の前で起きている出来事を書き留めた「野史」が豊富に書かれるから、「正史」の影響力が衰える。ところが、よせばいいのに「正史」に依拠した「野史」を著すものが出現した。羅貫中の『三国演義』である。大筋は正史に依拠しながら、諸葛亮の将才の見せ場をつくるため、鬼神の術をこじつけた。結果として諸葛亮の振る舞いは、児戯のように貶められた。

ここまでは『反三国志』の抜粋・リライトです。次から、ぼくが新たに書いているところです。挑発めいた調子をマネるという意味で、原典をリスペクトしています。

『三国演義』が幅をきかすと、「野史」の特徴のひとつである "奔放さ" だけを畸形に増大させ、荒唐無稽な物語を書くものまで現れた。
「野史」とは、皇帝権力から自由であり、多少の脚色が許されるのが長所である。しかし、ひどく事実から乖離してしまえば、読書好きの知識階級から見向きもされないだろう。
荒唐無稽な物語の代表として挙げられるのが、史書の『三国旧志』であり、それに基づいて書かれた二十世紀の中華民国の小説、周大荒の『反三国志演義』(渡辺精一氏による日本語訳では『反三国志』と改題)である。
徐庶が曹操に屈服するのを潔しとせず、劉備のもとに回帰するという発端は、なるほど正史が黙殺した真実を、後世に正しく伝えているが、季漢の優勢を示すことに熱中するあまり、曹魏・孫呉を敗北の一辺倒に描いたため、艱難を伴った劉備による聖なる統一戦争を、児戯のように貶めてしまった。

これぞ真の三国志

二十一世紀の初め、まだ私は学生であったが、奈良に旅行したとき、反古紙の束のなかから、『反・三国旧志』と題する、一冊の書物を見つけて買った。読んでみると、まさしく三国時代の戦争について記してあり、その内容を確かめると、「正史」の陳寿『三国志』、それに基づいた羅貫中『三国演義』と異なるだけでなく、『反三国志』とも異なるものであった。
『反・三国旧志』には、宋代の年号をもつ跋文がある。
跋文に曰く、
三国時代に関する史籍は、五胡十六国時代に失われたから、今日まで「正史」として伝わっているものは、すべて偽作である。唐代になると、散佚した史料を集めて、『三国旧志』を編纂した田舎学者がいた。劉備が漢家を中興したという結末は、故老の証言と一致しており、見るべきものがある。
しかし残念ながら、在野の編者が参照できた史料には限界があった。情報の足りないところや、つじつまの合わないところがあると、史家としての良心を誤った方向に発揮して、独自の推論で補ってしまったようである。そのせいで『三国旧志』には、展開に無理のある部分が目立つ。
幸いにして、偉大なる宋王朝の官立図書館には、古今の史料が集積されており、小官はそれを利用できる立場にある。『三国旧志』よりも広く網羅的に出典を求め、『三国旧志』よりも正確な記述を心がけて、ここに『反・三国旧志』を制作する。これは史官の本業ではなく、休日の余技であるから、官撰の「正史」が背負うべき窮屈さとは無縁である。ただ真実を伝えたい一念で、作業に取り組む……云々と。

この『反・三国旧志』こそ、三国時代に関する「野史」の決定版であろう。この書物の存在は、真実が現代にまで伝わっていることを証拠だてる。
長い時間・距離を隔てて、東方の辺境に生まれた私の眼前に出現したのだから、さぞかし広く流布したものと思われる。まだ確認していないが、江戸時代の長崎の輸入目録などに、書名を見つけることができるかも知れない。奈良の寺院が仏典に取り寄せたとき、積み荷に混入して、ひそかに伝わったのかも知れない。
私が購入した『反・三国旧志』は、残念なことに前半部分が佚失して、欠落がある。辛うじて意味が取れる最初の記述は、徐庶の母が欺かれるところであり、再び途中の巻が失われている。
『真・三国旧志』の編者は、跋文によれば、北宋の史官であることが窺われる。『資治通鑑』を編んだ司馬光と同時代の人物である。この史料に対する司馬光の関与については不明だが、当時の史官の部署には俊英が揃っていたはずであり、その内容は信頼できよう。
ここに私は、回数表示を改めるなどして収録し、書名を『反・反三国志』と改め、関係する諸史料・物語と区別をつけることにした。20150709

悪ふざけは楽しいです。けっこう『反三国志』の序文を意識して、換骨奪胎してこれを書いております。お手持ちの本と比べてみて下さい(笑)

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『反三国志』を読みながらのツイート

2015年の7月上旬に、平日の3日くらいかけて、『反三国志』を読みました。読みながら、感想などをツイートしました。まとめます。とくに発話者の断りがないときは、ぼくがツイートしてます。

前半を読みながら

『反三国志』へのAmazonの批判的なレビューは、作者の都合で不自然に勝ち過ぎる(負け過ぎる)、戦場の人事配置の説明が過剰、その割に戦闘があっさり、人物の性格に一貫性なし、重要人物があっさり死にすぎ。これは『水滸伝』の特に後半に対する批判に通じる。ある意味で正統的な中国の小説なのでは。
『反三国志』は、①徐庶が劉備のもとに残ることは有名。以降は、徐庶を「1枚目に倒したドミノ」として話が進むかと思いきや、そうでない。②なぜか曹操が荊州に南下を始めてない。③なぜか劉表の死に際して、劉備が蔡瑁に勝って荊州を得る。②③の結果、赤壁の戦いも消滅。①徐庶は要らんかったよな。

@AkaNisin さんはいう。展開的な必然性はよりも、ただただ徐庶が魏に屈伏させられるのをどうにかしたかったんでしょうねー


孫権は一貫して劉備の敵。3軍師(徐庶・孔明・龐統)と5虎将を早く揃えたい。という『反三国志』の単純化のニーズにより、赤壁を抹消して孫劉が共闘せず、ともづれで劉備の荊州南部の攻略も抹消。その結果、劉備は新野で脾肉ってるうちに、黄忠・龐統を早くも得る。馬超だけは主役級だからオアズケ。
「長坂坡で、曹操の百万の軍勢の中に単騎で斬りこみ…常山の趙雲、その人である」(反三国志 文庫本159ページ)。あのー、反三国志は赤壁をカットしたので、例の逃避行は起きてません。ていうか『反三国志』第五回までは、呉の話ばかりで、ほとんど劉備が出てこない。

@AkaNisin さんはいう。『反三国志』について回る荒唐無稽、破天荒という評価。僕はむしろ整合性、一貫性に優れてて、非常にまとまりがいい作品だと思いますよ!ただそれが面白いかというと……謎ですね!
@naniujip さんはいう。いま思えば長いし戦術は同じことの繰り返しだし爆破だし…よく読破できたなあ、とw
@sidenp さんはいう。反三国志の天丼っぷりは新聞連載だからああいう形になったそうですが、毎回見せ場を持ってくるのに苦労したんだろうなあと思います。


@AkaNisin さんによる分析

ぼくは、‏@AkaNisin さんに聞いてみました。
『反三国志』のどのへんが一貫して整合してますか? 記憶の彼方かもしれませんが(記憶の彼方だからこそ)どうしてそんなイメージを持たれているか知りたいです。

‏@AkaNisin さんはいう。『反三国志』は、まずそれぞれの人物の然るべき応報を決めて、その後でストーリーを組み立ててる傾向がある気がするんです。重要なのは人物の去就なのです。ではその「然るべき」とは何かというと、きっとその大部分は『演義』の価値観を継承して作られてるんだと思います。『反三国志』を読むならまず『演義』の「然るべき義」が分からないと、と僕が思うのはそうゆうわけです。

@letssaga3 さんはいう。『反三国志』が劉禅が刺客の手に掛かって死んだ事にするのは、実に「演義準拠で筆誅を下す」手口と思いました。


‏@AkaNisin さんはいう。あと『反三国志』が荒唐無稽って言われる一番の理由は蜀漢が天下を統一することにありますけど、漢の再統一って発想自体はそれ以前にも少なからずあるようです。だからそこはそんなに注目する必要はないかなとも思います。

ぼくはいう。漢の再統一って、『平話』とか、朱子学の正統論しか浮かばないんですが、事例を教えてください。

@AkaNisin さんはいう。『平話』と似てますけど『三国志後伝』と、あと諸葛亮が死なず北伐が成功したらってゆう戯曲「南陽楽」ってのがあるそうです。

中盤を読みながら

おもに通勤電車をつかって、読み進めました。

『反三国志』を、①徐庶が劉備に味方することで『三国演義』から分岐する、②戦争シミュレーションで、③蜀が活躍する話だと思ってた。第八回まで読んでみると、①徐庶はストーリーに関係なく、②戦争は『演義』の発生順を入れ替えただけ、③魏の描写が多くて呉と蜀は空気だ。不読の知ったかぶりを反省。
『反三国志』とは、『三国演義』のキャラ設定を踏襲して、そのキャラ相応の末路を与えるため、ストーリーを再配列したもの。『演義』が劉備に主人公キャラを与えるから、初期設定どおり書けば蜀が勝つだけ。蜀びいきの話でなければ、史実無視の話でもない。『演義』の史実補正を解除し、物語としての整合性を取ったものか。

『三国演義』徐庶と、『水滸伝』王進は似ている。主役を作中に呼びこむためのキッカケをつくり、あっさり消えていく触媒みたいなやつ。二次創作の燃料でもある。加上説というらしいが、はじめに『三国演義』諸葛亮や、『水滸伝』史進のお話があって、構成上の都合で付加された。諸葛亮故事→徐庶故事。

曹沖の報い。『反三国志』第9回、二十歳(になるまで生き存えた)曹沖が登場する。許褚にケンカを売って困らせる傲慢な若武者で、馬超に突進して斬られる。出オチ。曹操に愛され、賢い系の逸話を持ち、夭折という史実に助けられて『三国演義』から美しく退場する曹沖は、馬超に斬られるのが似合いか?

なんの断りもなく、曹沖を登場させるとか、イフのお約束を破るにも、ほどがある。きちんと伏線で断らないと。このことから逆に、『反三国志』はイフをやりたいのではなく、曹沖というキャラに、個別に筆誅を加えたかったことが分かる。曹操に溺愛されるなら、ブザマに死ね!と。


時系列のボイコット

レヴィ=ストロースの神話分析は、ストーリーを粉々に切り、話の要素ごとに傾向を探す。『反三国志』は、『三国演義』の戦いの前後関係を、あたかも順不同に並べ直してる。これは、「レヴィ=ストロースの神話分析をヤッテネ」という作者=周大荒の囁き。蜀が勝つ全体のストーリーに意味はなく、各キャラの顛末に意味がある。

鍾会は225年生まれだが、『反三国志』で215年(曹沖が20歳の時w)鄧艾とともに一軍を率い、馬超と戦う。「鍾会とセットになり、西で戦うのは鄧艾」という、史実=演義の蜀平定戦における設定を借りてる。『反三国志』は演義の中の出来事を時系列を無視して並べ替える。仕様なので批判すべきでない。
時系列の混乱としては……、
『反三国志』第11回で周瑜は、28歳で死ぬ。史実=演義で周瑜は、210年に36歳で死ぬ。『反三国志』作中ですでに劉備は益州を得ており、また曹沖が20歳を過ぎてるので、215年と推定する。すると『反三国志』周瑜は、史実=演義よりも10歳以上若くなる。時系列を追うべき作品ではない。
史実に反して関羽を生かせば、劉備の北伐が描けるが、姜維や鄧艾・鍾会ら後期の武将が出せない。孔明を五丈原で生かせば、関羽や劉備の無念が晴れず、役者が足りない。よし、時間軸を取り払い、関羽や劉備の生前に、孔明に北伐させ、後期の武将は20歳ずつ年を取らせて参戦させれば完璧だ。という物語です、これは。

@sidenp さんはいう。???「鍾会は無理だけど姜維と鄧艾なら出せるぞ」
ぼくはいう。年齢的に出せますが…、地元にいた姜維はまだしも、司馬懿に取り立てられるべき鄧艾が210年代に涼州で魏将をやるには、年齢の補正が必要な気がします。
@sidenp さんはいう。兵を率いて云々は確かに無理ですが、鄧艾もあちこち回った後に陽翟郭氏の家で働いているので、架空戦記に進む路線ならどうとでもなるかと。私の創作では郭嘉が生き延びたIFをやったので、同族の彼に引っ張り上げてもらいました。まじめな話、鄧艾と姜維は少年期の210年代からいくらでも出せるから、そこは作者の工夫次第だと思う。


曹操が献帝に対して恥辱を与えたのは、劉邦に始末された韓信・彭越の意趣返しに違いない。…曹操は韓信・彭越の生まれ変わりで、のちに献帝を迫害する華歆・郗慮は、英布・丁公の再生なのだろう(『反三国志』第11回より)。『三国志平話』に比べると、コンパクトな因果応報の設定。

孫亮ら君臣が次々と入水自殺して呉は滅亡。これがよく言われる『反三国志』の結末だが、実際は違う。孫権の系統は途絶えるが、孫策の子が、周瑜の子らを連れて南海に大国を築く。兄の家系を蔑ろにした孫権に制裁を加えるのが作者の意図で、決して呉の軽視ではない。『水滸伝』の李俊と同型のハッピーエンド。二次創作の余地を残して、フェードアウトする。

『反・反三国志』の制作に向けて

『反三国志』の後半は、大量の魏の人材に因果応報の処遇をしながら(大半は馬超に斬られる)、大量の魏の都市を制圧する話。単調な「作業ゲーム」と同じ。

ぼくは蜀ファンが最も楽しめるイフ小説『反・反三国志』を準備してるのですが、作業ゲーへの対策は2つあると思います。
作業ゲー克服案1:全土制圧まで書かない。洛陽決戦で蜀が象徴的な大勝利を収め、蜀の天下統一を予感させる。志茂田景樹『大三国志』はこれ。
克服案2:KOEIのシミュレーション・ゲームが搭載した、残党の寄りあった大連合の発生。こちらを読みたい=書きたい。劉備の優勢が確定したら、孫権は生存戦略として曹丕の懐に飛び込む。

@Mickey_Trunk さんはいう。天下三分(対蜀)ですね。
ぼくはいう。曹操のときから、地図を90度回してます。劉備に「赤壁」を経験させないために、何か仕掛けが必要です(これから考えます)

ぼくがやろうとしている、劉備が大勝するイフとは、劉備が活躍する物語である一方、逆境に立ち向かう曹丕・曹彰・曹植の物語でもある。 『反三国志』は、曹丕はいち早く幽州に逃亡してストレス耐性のなさを暴露する一方、曹彰は魏軍の中核として活躍。ライバルが強くないと劉備が引き立たない。曹氏がもっと頑張ってもよい。

『演義』のなかで司馬懿が(準)天才軍師になるのと似ている。

曹丕・曹彰・曹植が適材適所で劉備に対抗するとき、4人目の「兄弟」として合流する孫権。婚姻をさらに重ねて、魏の準皇族となる。曹操の「息子に持つなら孫仲謀」の言葉があるから、あながち無理じゃない。孫権が抜けた建業は、曹丕の信頼の厚い司馬懿が都督として統治。東晋の準備をする(笑)

天下の西半分を劉備が制圧すると、司馬懿が曹丕に「天下三分」を説く。仲達は僅かな護衛を連れて呉に乗りこみ、魏呉同盟を訴える。並みいる群臣を説き伏せ、孫権を鄴に招待して美女と酒で骨抜きに。しかし孫権とて梟雄。魏将として、藩王として、そして曹丕の義弟(年齢的には義兄)として劉備と戦う。
では、司馬懿が活躍して、
呉が、蜀から魏に乗り換えるのは、いつか。『反三国志』では、江夏の陥落と、徐盛の戦死で、呉は蜀と戦うことができなくなります。荊州の全土を失うとか、重鎮の名将をどうやって殺すかがカギか。

@AkaNisin さんはいう。どのタイミングで、どういう理由で蜀呉同盟を破綻させるかがひとつポイントになる気がします。『反三国志』は割合早いうちに呉に裏切らせたので、以降は蜀漢が魏と呉の両方を圧倒するだけになってしまいました。「三国志」なのですから、1対2ではなく1対1対1の三つ巴感が大事だと思うのです。鄧芝の構想に倣って、割と蜀呉による天下二分を進めちゃうのも面白い気がします。でも天下二分に近づくほどに、鄧芝が言ったように同盟破綻にも近づいてゆくのです。ピークに達した時、関羽が殺害される。小国となった魏はその間でどう立ち回るか。

『反三国志』は、劉備が円滑に劉表から荊州を継承し、曹操の荊州南下もなかったので、劉備が孫権を頼る必要がありませんでした。両者は同盟や共闘がなく、一貫して敵国(征服対象)。魯粛の役割が何もなく、名前だけの出演でした。原作(演義)の魅力の過半を失ったと思ってます。

@AkaNisin さんはいう。あれ、『反三国志』でも孫夫人との政略婚があって蜀漢と呉は一旦同盟関係にあったはずですよ。周瑜や太史慈など重鎮も同盟維持を主張してたのに、呂蒙あたりが反故にしたんじゃなかったでしたっけ?


関羽は、やはり騙されて死なないと、神様になれませんかねー。

@AkaNisin さんはいう。そうなんですよー!やっぱり関羽には非業の最期でいてもらった方が話が締まるかなって思います。

『反三国志』は、関羽が全然 活躍しません。失うべきでない要所を確実に保っていた…という扱いです。張飛も、関羽とともに荊州に残り、主に留守だけです。活躍しないから、仮に死んでも悲劇にならない。『演義』のキャラ設定を踏襲する上では、欠陥に数えていいかと思います。

つぎは、『反三国志』をもうちょっと詳しく整理します。150709

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