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- 2015年9月のツイート群
『反反三国志』作成中の発言(ツイート)を、時系列でまとめたものです。徐々に、作成が進んでいくプロセスの記録です。
作品の中身のことだけではなく、三国志に関して考えたこと、創作の方法論なども、思いついたままに発言してます。これらは、作品づくりと、切っても切れない内容なので、区別せずに並べています。
150828:ぼくの蜀漢への目線
夏の終わり、『蜀志』を『集解』でいくらか読み、知見を蓄えてから、『反反三国志』をつくろうとしています。
創作ではなく、三国志の読み方に関する意見を書いていますが、『反反三国志』の内容に効いてくる発想法なので、このページに引用しておきます。蜀臣を分類する話をしますが、本題に入る前に思う所を述べます。
何事においても「分類」という作業をするとき、指標(何によって分けるか)、細かさ(いくつに分けるか)は、つねに恣意的です。誰もが共有できる指標・細かさはあり得ない。もし自明的にあるのなら「分類」作業そのものが不要です。
分類の指標・細かさは、分類者がその集合をどのように眺めているか、分類することで何を明らかにしたいか(何を主張したいか)によって規定されます。見方・主張が先にあって、分類が後にある。見方・主張を確認せずに、指標・細かさについて可否を議論しても話が進みません。
蜀臣の分類の研究史は、渡邉義浩先生の『三国政権の構造と「名士」』141頁に紹介されてます。出身地(荊州・益州・涼州)、階級(豪族や地主か否か)が主な指標です。
渡邉先生は蜀臣を、劉備の君主権力に与する者と、諸葛亮が形成した荊州「名士」勢力の2つに分類します。渡邉先生の分類は「名士」論を立てるための恣意的なものです(前述のとおり分類とは常に恣意的な行為です)。
単純な出身地による分類に無意味で「蜀臣の内、益州の豪族出身者は××な利得/傾向がある」という、議論の方向性を設定して初めて、出身地で分ける意味が生じます。仕官の履歴や、人脈(コミュニティ)を、蜀臣の分類の尺度にするときも、それがどう効いてくるかという議論をセットにしなければ意味がありません。「劉璋に仕えた人は××の傾向がある」、「××な交際があれば、××の官職に推薦/抜擢される」などです。
なお、
分類の尺度は、概念の高さを揃えないと切れ味が悪い。ある集団は出身地でわけ、べつの集団は人脈、あるいは仕官歴で……では分類したことにならない。出身地・人脈・仕官歴を反映させるなら、3つを掛け合わせた指標が必要(複雑すぎるので整理が必要だと思いますが)
ぼくが蜀臣を分類するときの興味の切り口は、天下統一を優先するか(大一統に妄執する「皇帝病」に罹患しているか)、既存の領土である益州の保全を優先するか。当然、キレイに2つに割れない。割れないからこそ、あえて自分で分類のナイフを恣意的に振るう意味が生じる。
『反反三国志』のキャラも、このふたつに分類できて、もしくはふたつの分類のあいだで揺れ動くことで、話を前に進めてくれました。「天下統一派」vs「益州保全派」を、「荊州閥」vs「益州閥」という書き方をすると、用語が意味する所・喚起する印象が、ぼくのやりたいこととズレるので(というか間違ってるので)修正が必要でした。用語はまた考えますが、蜀末期まで見通せる分類の指標を作りたいです。
といいつつ、創作への意欲が高まってきて……、
「ホテル等に缶詰に、またはノマドで何かに集中する」に憧れがあるが、つねに実現できるわけじゃなく。いちばん効率がいいのは、自宅で何かに集中すること。むしろ自宅が集中できる場になるよう、努力せねば。パソコンの環境、本や資料、衣食のこと。どれもホテルやノマドよりも、自宅は有利にできる。
150828:蜀漢論を組み立てること
歴史に対するイメージ(例えば「蜀はどんな国か」という大きな問いへの自分なりの回答)は、どのように形成されるか。史料を舐めるように熟読しても、イメージは作れない。「史料に何が書いてあったか」が分かるだけで、先に行かない。勉強を積めば、読みの精度が上がるが、イメージは作られない。
でも史料を読まずに、イメージを構築するのは、もちろん不可能。きっと史料を読みながら、漠然とした思いつき・直感・印象という形で、ぼんやりしたものが頭のなかに出来てくる。これがイメージのタネ。思いつきだから、史料的な根拠を最初から列挙できるわけじゃない。
思いつきを放言して終わりでは惜しい。思いつきを支持する史料を探す作業に移りたい。すると史料を読むのが楽しくなる。なぜか思いつきを裏づける根拠が、蛍光ペンでマークしたかのように目に飛び込んでくる。しばしば「こじつけ」と他人に思われるレベルで根拠の発見が続く。
史料読みと思いつきは、互いに影響しあい、往復的・再帰的なもの。満足した後、あたかも課題が初めからあったように装い、偏りなさそうに史料を並べると、あら不思議、こんな結論が出ますね、と論理の順序を整理(演出・詐称)すると、ブログの意見記事や、論文になります。
ぼくが1週間だけ蜀志を読み(今まであまり読んでこなかった)蜀に対するイメージができた。まだ反論に堪えられる段階じゃなく、史料の裏づけはこれから探し直します。しかし史料を読みながら得た着想なので、あながち的外れではないと思います。根拠も見つかるでしょう。
蜀は不自然な国です。1州しか領さずに漢の後継を名乗るのは、失笑レベルです。しかしなぜか解散を免れた。この不可解な状況を成り立たせた背景に興味があります。蜀の「おもしろさ」は、きっとここ。漢という王朝に対する歴史意識とか信仰とかが、どのように作用したのか。
『反反三国志』に着手する前から、基本テーマがすでに出来上がっていたことに、書き終えて、このページを纏めている現在(151110)になって気づきました。魏の禅譲は欺瞞くさいが、それを成り立たせる思想的な背景や理論があったはずです 。同様に、蜀を王朝だと主張するのも欺瞞です。「漢の継承」を唱えれば、それで万事OKなんて、贔屓の引き倒しで、その思考停止が、逆に蜀を見つめる目を覆うことになります。
蜀の欺瞞の犯人は、諸葛亮でしょう(劉備は素材)。諸葛亮は、なぜ同時代に支持され、かつ後世の史家の熱烈な議論の対象になるのか。人格の立派さに帰しては、これも贔屓の引き倒し。幸い姜維という破綻者がおり、その傷口から(思索を)侵入させれば、ヒントが得られそう。
諸葛亮没後、欺瞞が剥がれて「北伐反対」という意見が出て(天下統一論者から見たらダラけたり)、魏の天命を唱える学者が現れたり。1州のみ支配という状況を見れば、彼らが自然。しかし北伐する姜維。軍事的な振る舞いが違っても、「魏を倒す」という目標は諸葛亮と同じ。
『反反三国志』の前半は、史実からイフに飛躍するプロセスを、細かく描こうとするあまり(リアリティを追求するあまり)城の取りあいを細かく書きすぎてしまったかも。もっと、このテーマに沿って話を展開させたほうがよかったか。
「姜維は諸葛亮の後継者 」という物語的な直感は、正しいと思います。諸葛亮と姜維を、政治・思想・軍事などの要素に分けて論じたら、何もわからなくなる。姜維がいかに滑稽で不自然か、なぜ時代に逆行したか。これを考えたら、諸葛亮や蜀漢のこと(凄さ)が分かりそう。『反反三国志』は、姜維の時代にまで、軸足を割くことができなかった。諸葛亮の生前に、天下統一させてしまったから。蜀の壊れ方・ダレ方から、蜀の欺瞞性=凄さを分析できないか。1州の主が帝号を称し、中央と地方と四囲の官僚組織を備え、その大袈裟な組織をつかって魏に戦いを挑む。随分と不自然なことを、なぜかやれた。幸い破綻してくれたから、そこから構造を覗き見ることができます。
こんなこと書いてますが、蜀を嫌いとかそんなんじゃないです。諸葛亮も姜維も、興味があります。むしろ「好きな武将は?」とか、好き嫌いを問われると、なんと答えていいか分からないです。「好きな武将も答えられないなんて、あんまり三国志のこと知らないんだね」「…」
150830:『反三国志』の分析
『反三国志』は第15回で曹操が献帝を殺して以降、蜀が領地と敵将を刈りとっていく作業ゲームになる。
だれがどこで、どういう方法で死ぬのかをデータベース化すべく、エクセルに入力を始めました。驚いたのは蜀将なのに陳式が死ぬこと。『演義』で孔明に斬首されるから扱いがひどいのか。
楊儀は、『反三国志』第16回、夏侯淵を斬って毛玠から奪った南鄭に留まって、漢中太守として流亡した民を集め、城郭を修理し、周囲の盗賊を鎮圧する。楊儀の輔佐は、傳僉・傅彤。孔明はさらに北へ。楊儀を最大限に活用するなら、ひとりで後方を任せること。よく分かっていらっしゃる。
孔明が魏延の長安直撃を退けたのは遺憾。しかし荊州・隴西から支援がなければやむなし。周大荒は孔明の欠点を保管するため、関羽・徐庶を荊州に、張飛・龐統を襄樊に、趙雲・馬良を江漢に、関興・趙累を南陽に置いて、北伐を支援させた。上巻353頁。この自作解説が『反三国志』の最高潮。
孔明の隆中対を周大荒なりに理想的に実現したら……。張飛は武関から藍田へ、馬超はケン陽から宝鶏(陳倉)へ、張嶷・張翼は斜谷から郿県へ。関羽は宛洛に進んで許昌から援軍を防ぐ。長安の夏侯楙を孤立させた上で、魏延が子午道から直撃。「張郃が敗走してきたから開門せよ」と詐って襲撃。
周大荒はオリジナル設定のキャラも出します。
【黄叙】は武芸に熟達し、落ち着いた性格なので、故郷の南陽を守備するには最適。関興・趙累・張苞・陳震が、荊州で曹仁・文聘と戦える状況をつくった。
【楊洪】は智謀と決断にすぐれ、孔明からの評価が高く、関中一帯を安定させた。馬超・孔明が戦える状況をつくった。『反三国志』のキャラ立ち
司馬徽の周辺で形成された人脈から、龐統の推薦で、蜀軍に人材が加入する。【黄武】黄承彦の子。【崔頎】崔州平の子。【龐豫】と【龐豊】。『反三国志』第22回
『反三国志』の後半、どうやって魏呉の武将が死んでいくか、作業ゲームのような展開をデータベース風にまとめようと思ったが、本文があまりにつまらなくて、拷問みたいになってきたので、途中であきました。ここにエクセルの絵を貼ってありましたが、身がないので引用しません。
『蜀志』を読みつつ、11月下旬に出したい『反反三国志』を練り直す。
先月に考えたとき、219年に曹操が劉備に直接対決を挑むことにしたが、215年のほうがいい。劉備が益州を得たばかり、呂蒙が荊州に進攻して単刀会、曹操が漢中を得て南下の姿勢。三国のかけひき(の改変)にやりがいがある。
徐庶が劉備に残留。蜀にいく龐統に「劉備と馬を換えるな」と助言。呂蒙が荊州進攻、だが徐庶が郝普に知恵を授けて迎撃。単刀会に生き延びた龐統が現れ、魯粛による呉蜀同盟の継続を主張(湘水を境界にすれば敵国の条約になるので不可)。呉は進攻に失敗したので受諾。同盟を脅威と見た曹操が蜀に進攻。
『反反三国志』は、以上の設定で215年から始めることにしました。蜀ファンがスカッとするのが目標なら、魯粛ファンにもスカッとできる展開にしたい。
蜀ファンが最もスカッとする物語『反反三国志』を書き始めました。周大荒『反三国志』の上位互換を目指します。蜀が天下統一する話です。正史の出典を示しつつ物語を進め、正史に矛盾しない範囲で『演義』を取り込みます。11月下旬に同人誌を出せるようにがんばります。記念すべきツイートです。150830の19:40:53でした。
150901
原稿用紙70枚分くらい書きました。全体で1000枚に収めたいので、いま7パーセント。徐庶が劉備軍に残り、龐統が死なないところまでです。つぎは徐庶が呂蒙の進撃に気づき、零陵を奪われないことで、単刀会が史実よりも劉備に有利に決着をするところを書きます。
呉の劉備に対する施策は、指揮官の交代によって代わる印象があったが、強硬派のような周瑜は劉備を京に拘留せず公安に置いたし、協調派のような魯粛の生前に軍事的な衝突がある(呂蒙の進攻)。劉備が益州を得たか否かが、協調から強硬への区切れ目であり、指揮官の交代はトリガーじゃない。
指揮官の交代でコロコロ劉備の扱いが変わるのは軍閥として変。周瑜が、意見の違う魯粛をあえて後任に指名するのは変。魯粛の晩年が不遇(劉備との協調が却下されて、用済みになった)としたら悲しい。以上の不都合を解消するのが、劉備の益州取りを画期とした呉の路線変更。
150902:書き始めは順調
『反反三国志』第三回を書いた。龐統が生き残って「落鳳対」を説く。「隆中対に基づき益州を得て、天下三分するまでは良し。しかし孔明はその先の思慮が足りない。天下三分は膠着と牽制を生む。曹操の独り勝ちを許さないと同時に、劉備の独り勝ちも許さない。関中と宛洛の同時進撃は危うい。だから…」
『反反三国志』第四回では徐庶が関羽に進言。「孔明は東は孫権と和せと言ったが、劉備が益州を得た後も同盟が続くと考えるのが彼の甘さ。遠からず呂蒙・魯粛が進軍する。俺が零陵で備えましょう。孔明は優れた軍師ですが、刻刻と情勢が変わるのに、彼に全て任せるのは酷です」
孔明・龐統・徐庶という、夢にまで見た三大軍師の揃い踏み。彼らが劉備のために働ける舞台を用意し、史実における蜀漢の障害を周到に取り除いていることに、読者諸賢はお気づきでしょうか。↑周大荒の口調はイラッとするので、同人誌には載せません(笑)
蜀が勝つイフものは、関羽の死の克服がマジで悩む。呂蒙の進攻に気づいて防ぐ(桐野氏)、関羽の武勇で逆転(河原谷氏)という先行作品を越えるには、呉にも蜀にもメリットのある同盟関係を結び直すという話が読みたい(=書きたい)。勝敗の結果だけを裏返してもアイディア不足。作品のアキレス腱。
徐庶の尽力で、単刀会は友好的に進み、敵国同士の停戦協定(史実) にならず。後年、関羽が曹仁を攻めたとき、呉は魏・蜀から共闘を持ち掛けられ、蜀に味方。関羽の背後を撃つ(史実)と見せかけ、関羽を支援。呉が蜀に味方する条件は、呉蜀とも利益があるもの。
魏から奪った襄陽や樊城は、蜀が有する。江陵より南は呉が有する。蜀は魏との戦いに専念し(イフ展開)、呉は内政と開拓に専念する(史実)。魏を荊州から完全に駆逐すれば、呉蜀どちらも納得できる条件が組める。とか考えてみた。
相手もトクになるように、条件を設定して同盟し、自分はもっとトクをする。漫画『ライアーゲーム』で出てくるロジックです。もっとこれを描けるようになりたいなあ。『反反三国志』でも、すっかりやれた、とは思っておりません。呂蒙の死後、呉が不義をして(未定)、夷陵の戦いは起きてほしい。『反反三国志』のあらすじだけをウエブで書いたときより、小説を書きながらの方が精度や密度があがる。いちおうあらすじがあるから、着地点の心配をせずに進められる。
習鑿歯が『漢晋春秋』を書き、蜀漢を正統としたのは、なぜか。習鑿歯の祖先の習禎は諸葛亮とともに司馬徽に学び、蜀漢の建国に尽力した人士であり、広漢太守となった。龐統には劣るが馬良よりも評価が上だったと伝えられる。「蜀姓」として蔑視されたので、先祖を顕彰した。(渡邉義浩『諸葛亮孔明』)
習禎を『反反三国志』では歴史家として設定しました。
◆同人誌を作るものとして
商業的に成り立つ小説だけが「書き続けるのを許される」とは、少なくともインターネットによって、テキストの発信コストが限りなくゼロに近づく以前の発想だと思います。おじいちゃんが死に際に渾身の自費出版!という形じゃなくても、三国志の小説を好きに発表する(読まれ得る)のが可能だと思います。
宮城谷氏みたいに商業ベースに乗って小説を書いた人はすごいけど、「商業ベースに乗る」ことと「三国志の小説を書ける」ことは、きっと前者の方が難易度が高い。前者を制約条件として、後者のやる気が削がれてしまうのは、文化的な損失だと思うのです。だからぼくは書きます。
歴史小説という体裁を取ると、根拠を示す義務を免れる。読者に再検証の材料を示さなくて済む。何でもアリだが、信憑性が薄まる。読者に出典や根拠を探させるコストを強いる。史料を自分で読み込んでいる上級者には、謎解きという、論文よりも知的な遊具を提供する。だが大多数の読者を道に迷わせる。だから、出典や根拠を、注釈で示しましょうというのが、ぼくの小説を書くときのスタイル。前例を知らないが、甘えが許されなくて楽しい。
150904
単刀会の前後で、荊州の領土がどう変わったのか。魯粛は何をしたかったのか。「湘水を境界に」ではよく分からないので、満田先生が監修の『図解三国志 群雄勢力マップ』で地図を確認。劉備は、呂蒙に奪われた零陵を返してもらい、さらに南郡までもらってる。劉備が得してばかりに見える。変なの。
『反反三国志』の表紙は徐庶にしたい。『反三国志』ではキーマンかと思いきや、あまり活躍しなかった。ぼくの同人誌では、龐統を生き残らせ、呂蒙から零陵を守るなど、イフ物語のドミノ倒しの最初の1枚を演じさせてます(いま原稿用紙90枚分)。でも徐庶のビジュアルが困った…
表紙は、無双風の徐庶にしました。
このあたりで、三国志学会の京都大会にゆくと。『反反三国志』のネタも仕入れてきました。巻末の注釈で、学会で仕入れたネタ元を明示しています。
『反反三国志』第四回(原稿用紙100枚分)書けた。徐庶が荊州で立ち回り、魯粛が単刀会で「関羽が樊城を北伐するなら、孫権が自ら援軍となる」と約束させられる場面まで。平日は毎日10枚~15枚、土日に加速して1週間に100枚となるよう補い、10週で1000枚を完成させる!ギリギリ!
このペースでも、やれましたが、それよりも、事前の設計図をもっと緻密につくり、話やキャラをあらかじめ確定させることで、もっとスピードアップできることに気づいた。徐庶が何でもやるのではなく、飽くまで歴史が変わるキッカケとなるのみ。史実なみの魯粛の交渉力、史実なみ(伝説なみ)の関羽の威厳なんかを表現したいと努力してます。さもなくば『反三国志』にさらに「反」を冠したタイトルを名乗る資格・意味がないと思うので。
150905:三国志学会の京都大会
三国志学会で、沈伯俊先生の話を聞いてます。正史の趙雲を確認してから、『三国志演義』の趙雲を分析する。←いま
先週、『反反三国志』をつくりながら、当陽の長阪の描写をするとき、正史と演義を見比べながら苦労したので、おもしろい!
三国志学会の二次会で、大学の先生にホームページ知ってると言われることが多いです。今日も初めてお会いする先生に言って頂きました。妄想ならまだしも、明らかな誤りの放置はツライことになるなあ…と思いました。とくに『晋書』とか。
ぼくのホームページは、ネットで自説(自分の歴史に関する解釈)を訴えるものじゃなく、小説を創作するためのメモ。『反反三国志』をつくるために、手薄だった『蜀志』について書いてたら、「新しい(ネット上で開陳すべき)ネタを探してるの?」と聞かれましたが、それはちがいます。誤読です…
150906:誕生日(無関係)
交地のため『反反三国志』作ってます。立間祥介訳『三国志外伝』で関銀屏の情報を集めて登場させる。関羽が孫権との婚姻に同意するように(なるだけ史実準拠で)ストーリーを操作。関銀屏がカスガイになり、関羽の悲劇を防ぐ。いきなり呂蒙の江陵攻めを無効にするイフの先行作品よりおもしろいはず。
『反反三国志』原稿用紙130枚。徐庶が劉備を去らずという一事からドミノを倒し、関羽を救う試み。
第一回:徐庶が劉備を去らず、掌もて阿斗を受く。第二回:鳳雛は徐庶に助言され、落鳳坡に死せず。第三回:徐庶が呂蒙を防ぎ、関・魯が単刀もて会す。第四回:関銀屏が孫慮に嫁し、龐統が廖立を推す。
銀屏の嫁ぎ先は、孫慮から、孫韶にのちに変更しました。元明の戯曲には、蜀の五虎将ジュニアとして、関平・張苞・趙冲・馬忠・黄越が登場するらしい。(二階堂先生のサイトより )『反反三国志』で、五虎将の揃い踏みはさすがに話の進行がムリ…と悩んでいたので取り込もう。「斬関平」の話も取り込もう。
三国志学会では、二階堂先生とお会いして、お話を聞く機会にも恵まれました。
150907
年に一本以上の投稿論文を作り(査読で却下されても可)、一本以上の小説を作る(原稿用紙1000枚くらい)のを最低ラインにして、その他の興味のあることを広げるのが生活の目標。その他とは、2015年なら『水滸伝』『北方水滸』を読み、楚漢戦争のことを調べたりしてる。
諸葛亮の才能は蕭何に匹敵するが、韓信に匹敵する名将がいなかった(陳寿の諸葛亮伝)。要するに、魏延ガンバレヨ、というのが陳寿の歴史観。
150908
『反反三国志』は原稿用紙155枚(予定の15.5%)。関羽が後方を万全に固め、樊城の曹仁を包囲。呉を味方に付けるため、司馬懿と龐統が孫権の前で弁舌合戦(ここに至るまで、史実なみで無理が出ないように伏線を張るため枚数を費やしてきました)。曹操は漢中に釘付け。次回、曹丕が遷都を決断。
三国志の全体を通したお話を「いつか書きたい」と言い出して八年半。書き始める前に、紀伝体の史料を時系列に並べる作業が必須。宮城谷氏の言い方では「ノート」作り。この作業の大先輩は、宮城谷氏も参照した司馬光。大先輩の仕事を詳しく検討した結果、『三国志研究』の投稿論文になりました。
今月に出版される『つながりの歴史学』で、柿沼先生が三国志学会の大会で発表されたモデル(理論)に関して、詳しく書かれているそうです。ぼくも便乗して、そのモデルを借りて三国志の興味ある事項を分析し、在野から、理論を成長・定着させることの役に立ちたいです(出版前なので未読です…)
趙雲は四番目の義兄弟(も同然)という、座りの悪い説明が『演義』73回の関羽のセリフにあり、日本の創作物でも目にする。劉関張の物語と、趙雲の物語が別系統をたどって発達し、相互に干渉したのだと思う。劉関張は三人が一対でないと締まらない。趙雲を活躍させたいが人数が余るというジレンマ。
150909
台風なので年休(ハメハメハ魏王) 『反反三国志』を進める。今日、5%分(原稿用紙50枚)進められたら勝ち。
『反三国志』文庫本下巻416頁に、建業を失った孫亮とその臣下4-5万人が、船から飛び降りる、ひどい場面がある。キャラ在庫の強制一掃セールがしたいという作者の都合は分かる。だがぼくの同人誌では意義を読み変えたい。孫氏政権という船から下りた(別の船=蜀政権に乗り換えた)話にしたい。
交地に出したい『反反三国志』は、原稿用紙200枚(20%)を通過。ちょくちょく年休を使ってるから正確に計測できないけど、1週間半で200枚なら、6.5週間で書ける。校正を含めて、2ヶ月。よし、印刷が間に合うッ!という強行軍。呂蒙が商人に化けるが、南陽都尉の廖立に看破されるまで。
呂蒙が商人に化けるシーンは、要らなくなったので削除しました。こういう手戻りが、作品を分かりにくくする。反省しています。
交地では、『曹丕八十歳』を校正して再版したい。10部くらいかな…。
蜀が勝つ『反反三国志』は、無双を意識して、関銀屏を登場させた。関羽は孫権の婚姻の申し出を断らず、呉蜀同盟を強化して曹仁の樊城を破る。そのためにも「かすがい」となる政略結婚がほしかった。銀屏の夫は孫慮(潘濬ごめん)
潘濬は、出すことができませんでした。蜀の荊州支配を脅かす存在として、活躍できたかも知れない。話づくりって、難しい。『反反三国志』は、麋芳の扱いが気になるというツイートを見たので、丁寧に描こうと思ってます。関羽に対する何らかの不義を働かせて、葛藤状態に持ち込み、しかしスカッとする決着を。蜀に都合の悪い、史論のタネとなる葛藤エピソードがある。これらを、ことごとく回避した『反三国志』には負けまい!
交地に申し込む予定で、『曹丕八十歳』再販と、正史と演義のいい所どりをして蜀が天下統一する『反反三国志』(新作につき製作中)を出します。通販も対応します。印刷前にツイートして(11月上旬の予定)ご予約を募集してから部数を決めます。お取り置きもさせて頂きます。またお願いします。
150910
蜀が勝つイフを作ってると、気づけば、孫権の話ばかり書いてる。蜀は単体で史実以上の改善は難しく、むしろ幸運に恵まれて益州に割拠した。改変するなら、呉が違う動きをして結果的に蜀に利する…となる。『反三国志』は前半が呉の話ばかりで蜀が出てこないが、仕方なかったと同じ土俵に立って気づく。
「片手で殴り、もう一方の手を握り合う。孫権という男は、見下げ果てたやつだ。…戦をしようではないか、魯粛殿。そうやって、お互いに滅びていこう」北方三国志の9巻。単刀会の関羽のセリフ。作家が荊州のことを消化し切らずに書いてしまったな…という印象。
◆趙雲について
@biased3594 さんはいう。趙雲:文武両道のイメージは光栄の三国志制作チームに彼のファンがいて不当に能力値を高くしたのが世の中に定着しちゃったせいみたい。活躍エピソードも演義の話か『趙雲別伝』というなんか出自の良くわからない本からのばかりで、実際どういう人だったのかというと一介の武辺者なのかなあといった感じ。
ぼくはいう。三国志学会の京都大会で沈先生が『演義』における趙雲を文学として分析されていたが、『雲別伝』から飛躍した差分の話だった。陳寿、別伝、演義、光栄と何段階もの変身をして、チョーウンさまは宇宙一になったのである。
沈先生の趙雲の分析は、「正史では重要でない趙雲が持て囃され、正史では重要らしい魏延が台無しになってる」という対比になってた。趙雲論と魏延論をセットでやったら楽しそう。
150911:関羽を生かすための苦悩
『反反三国志』原稿用紙230枚。まだ関羽が助からない(ToT)
徐庶が劉備を去らないという『反三国志』の設定を踏襲。残りは可能な限り正史に準拠。歴史の歯車が連鎖的に狂って関羽が助かり、蜀が天下統一。という実験。関羽の生死は分岐点なので、ここに4分の1を割く物語でもいいかも。
愛着のあるキャラは、なかなか「死んでくれない」というのが作家の感覚らしい。例えば北方三国志の張飛。ぼくは、関羽の死という史実に、蜀ファンだった初期の頃から思い入れがあるらしく(今回の作品に着手するまで自覚がなかった)なかなか関羽が助かってくれない。
劉備が軍事的に蜀地で割拠できたのは、歴史における奇跡でしょうが、孫権が政治的に求心力を持てたのも奇跡だと思います。独立政権を営む必然性がないので。『反反三国志』では呉の奇跡を浮き彫りにするため、僅かな傷から呉の君臣をばらばらにします。説得力を持たせるため伏線を念入りに張ってます。
史実という結果を分析するだけじゃなく(これは学者の仕事)、史実と微妙に異なるイフ物語を作ることを通じて、逆に史実への理解を深めるキッカケをつくる。イフ物語を書くのは総力戦で、それゆえに腕が試されて楽しいです。
150912
今日の三国志学会は、二次創作に関する研究発表があったらしい(詳細不明)。三国志のN次創作の一翼を担うことを(かってに)自認しているので、聞きに行きたかったけど、東京は遠くて。家でN次創作の『反反三国志』を書くことを選びました。発表内容、また教えてください。お願いします!
150913
『反反三国志』原稿用紙270枚。三国志学会に行かずに枚数を稼ぐ。曹操が漢中に留まって死に(史実なみの時期)撤退開始。復讐に燃える馬超が、許褚の居場所を目印に突撃。やっと正義の槍を一発当てたのは、曹操の棺だった。(無双4で、馬超のユニーク武器の入手条件は、曹操に一発あてること)
孫権のことを貶し、劉備を褒めるとき、よく「孫権は父や兄から基盤を受け継いだが、劉備は一代で建国した」というのを聞く。確かにミクロで見ればそうだけど、孫堅・孫策・孫権とリレーが繋がったことは奇跡。孫堅のすごさ・孫策のすごさ・孫権のすごさを相乗的に評価して、褒めればいいと思う。『反反三国志』は、なぜか、呉と(ぼくと)の戦いでした。
150914
『反反三国志』原稿用紙310枚(31%進捗)。徐庶の残留をトリガーに関羽が樊城を取る、という展開に運ぶために枚数を費やしたが、ついに攻略に成功。第一部が完。曹仁が開城して「八門禁鎖の陣・改」を発動。やっぱり徐庶に敵わず、という結末を準拠していたが、惨いしギャグになるから変更。
敵将への敬意を失わない、という点でも『反三国志』を越えたい。曹仁に適切な死に場所を与えられなかったので、蜀に降ってもらいました。宗族の将軍なのに降るなんて(作者も)意外な展開。周瑜と取り合った江陵で、再び呉と戦います。関羽なら、降将の気持ちが分かりそう。
関羽と孫権が共闘して樊城を奪ったが。ウラで呂蒙・陸遜は江陵を事実上、占領する。蜀が返還を求めると、使者の諸葛瑾が「武力で奪った地を返せとは心外。我らには土地が足りません。徐州を奪ったら返還します」と惚ける。かつて蜀が呉から借りパクしたときと同じ言葉でしたと。
このへんの呉の立ち回りが、じつに書くのが難しかった。何回も、書き直しました。そういうタイプの作家もいるらしいですが、ぼくは無理(御免)なので、事前のつくりこみに、もっと力を割きます。書き始めるのが遅くなってもいいので。
敬老の日なので『反反三国志』で樊城を落とした関羽軍の関興に、黄忠の家族を発見させる。南陽が黄忠の故郷であることを強調するのは『関雲長北伐戦記』。黄忠伝にあるとおり黄叙は早死したが、元明の戯曲にある息子の黄越を登場させる。五虎将の二世の揃い踏みをやりたい。
二世の揃い踏みは、きちんと作中で達成できました。
創作しながら、他の作品もチラ見しつつ……、
『北方三国志』九巻を読んでます。漢中の争奪と関羽の北伐のあたり。北方氏は、関羽・魯粛に独自の色づけができず、孫権のことが嫌いなので、荊州のことは面白くない。演義史観(そんな言葉がないけど)に則り、ストーリーを消化しているだけ。孟達や糜芳がザコなのも演義史観。関羽の最期もザツ。
『北方三国志』で、関羽の娘に婚姻の話を持っていく呉の使者は「使者」とのみあって、姓名がない。なにかの綻びの匂い。原典の『吉川三国志』はどうなっていたかな。
諸葛瑾のはずですが、直前で北方氏は、諸葛瑾は諸葛亮がいるから蜀との交渉に使えない、みたいに書いてあって、筆が滑った感じ、辻褄あわせをサボった感じがするのです。
渡邉先生の本で、東洋は正統と閏統を対立させ、西洋は正統と異端を対立させるとありました。しかし『北方三国志』の曹操は「異端」とされます。
SLGでもエンパでも『反三国志』でも、敵国を滅ぼすには、領土を順番に塗り絵をして追い詰める。しかし史実を見れば、歴史の潮目になる会戦があったり、首都の急襲があったり、政権の内外で反感があったり。必ずしも塗り絵では決着しない。『反反三国志』は、塗り絵にならないように気をつける。『反三国志』を再読しているが、やはり退屈でツライのでした。
150915
演義で魏に寝返ったら、再登場時に趙雲に殺される。この因果律を突き詰めたのが、演義の正統な継承者の『反三国志』
因果律が完璧だと、嘘くさくて退屈。因果律が破壊されてると(勝敗や生死がランダムに見えると)本当でも退屈。両者の間に、痛気持ちいい因果律の加減 というのがあるのだろう。正史三国志は、やや痛さが強く、演義は気持ちよさが強めに調整してあるが痛さも残る。三国志の人気の秘密はこのあたりか。
150917:3分の1を越える
『反反三国志』原稿用紙360枚。3分の1を越えました。
劉備が漢中で曹操が病死するまで引きつけ、関羽が孫権の力を借りて樊城で曹仁を降す。曹丕は革命を見送り、曹彰が長安を、夏侯惇が洛陽を守る。孫権が諸葛瑾を送り、関羽に「樊城を手伝ったんだから、合肥を手伝え」と要請。
曹操が死ぬと、魏も呉も世代交代がすみ、平穏な漢代を体験した世代が去りゆく。晩年の劉備だけが「漢の復興」をリアルに追及できる。
夷陵の戦いは、次世代の孫権・陸遜が旧世代を滅ぼすもの。同じく次世代の曹丕は、劉曄の提案を退けて間接的に呉に協力。統一よりも、旧世代の片付けを優先したか。
諸葛亮の戦略は、まずは強大な魏を倒してから、先のことを考えようというもの。夷陵の戦いでの曹丕は、まずは旧世代の劉備を倒してから、先のことを考えようというもの。「まずは」排除したいと思われたことから、漢魏交替期における劉備の存在感(ウザさ)が窺われる。
ゲームの情報が流れてきました。
三国志ツクール、三国志13、どちらも興味あります。でもシミュは自分で展開を考えた方が楽しい…と思うなら、老害の兆候。自己嫌悪。ゲームのなかで、自分の思いつくイフとは別展開が起こる。しかしプレイ日記で、整合性ある理由づけをする。物語作者としての限界を突破するなら、これをやりたい。
ゲーム内で理不尽なこと(例えば開始直後に関羽が劉備を見捨てた、孫策が孫堅を攻めたなど)が起きても、ゲームの仕様をけなすのではなく、ひとつの出来事として尊重する。むしろそこから物語をつむぐ。そういうひとに、私はなりたい。
150919
諸葛瑾は文官ではなく将軍号を帯びた武官だ、という「文官/武官」という無効な二項対立に基づいて騒ぐ発言を、一時期 見ましたが。将軍としての諸葛瑾の腕前や、作戦の傾向について論じたのを見たことがない。司馬懿が相手だから、戦いようがなく……では分析したことになりません。どんなだろう。
諸葛瑾伝にひく『呉録』に、「瑾性弘緩、推道理、任計畫、無應卒倚伏之術、兵久不解、權以此望之」とあり、「應卒・倚伏の術なし」を、ちくま訳は「臨機応変の戦術を取らない」と、諸葛亮のイメージをかぶせるような日本語にしてある。
『反反三国志』原稿用紙420枚(42%)。半分を過ぎるとラクになれるはずなので、もうちょい。曹丕が劉備の存在感を気に懸けて、革命を諦める。華歆が天子を脅して禅詔を書かせるが、楊脩に見つかって失敗。楊脩は華歆を死罪にして市で晒し、肋の肉を焼いて食う。『反三国志』のパロディなので。
華歆は、後半のボスになってもらいたいので、郗慮の焼き肉に変えました。蜀が勝つイフで難しいのが、献帝とその周辺。『反三国志』では献帝を殺して、トラブルを回避。『破三国志』『関雲長北伐戦記』では、劉備軍が献帝たちを邪魔者にする。でも漢室復興を掲げ、士大夫層の支持を得るには、彼らとの政治交渉は不可避。ぼくの同人誌では逃げさせません。
このあたりのクライマックスは、自分で言ったらオシマイですが、おもしろく書けたと思います。『反反三国志』は、後半がおもしろい……はずです。
◆無双7イフシナリオを再び遊ぶ
交地に行きたく、無双7蜀のイフシナリオをした。『反反三国志』は蜀が勝つ話なので、踏まえようと。無双7は発売直後に遊んだが、条件の複雑なイフシナリオまで開いて遊んだかは記憶がなくて。
イフシナリオは、こんな感じ。
樊城に史実に反して入った(理由は不明;おおいに不満)関羽軍は、曹操軍から水攻されそう(史実の真逆)。徐庶が曹操軍の水攻を見抜き、龐徳・夏侯惇・司馬懿を退けて樊城を守る。すると魯粛と呂蒙が、周瑜の天下二分の計が云々と言って乱入する。魯粛がなぜ生きているのが説明がなく(おおいに不満)とりあえず魯粛を倒す。 次のステージで魯粛が張った罠を孔明がことごとく看破。
なぜか生き残った魯粛が、なぜ蜀を攻めるか。呉の内部分裂を防ぐため。劉備の強さを思い知らねば呉が引き締まらないという危機感から、劉備を裏切る&孔明を火計の罠にかける。でも魯粛を撃破すると、呉は主要舞台から退場。のちに曹操を破った劉備に無条件降伏(大いに不満)
魯粛を孔明が負かして呉を黙らせたら、長安を急襲して夏侯楙を斬り、姜維を降す。洛陽を攻めれば曹丕・司馬懿の罠により異様に攻めやすい。すいすいと攻めると二人の罠が発動するが、何のこともない。洛陽を征圧。つぎに許都を征圧。曹操に「覇道より王道、理より情」と説教。
献帝は劉備と孫権を王に封じたが、実権は劉備に利がある。劉備は孫権を戦かうことなく「仁の世」を実現して、一青窈がメデタシめでたし。
正直、よく分からなかったです。読解力が足りないらしい。なぜ蜀が樊城に先に入れたか分からず、魯粛の長生きの理由も、「蜀と戦って呉を引き締める」も意味不明。南中と長安の同時攻略も無理。
無双7の蜀イフは消化不良なので、『反反三国志』を自作する意欲を逆にもらったという反面教師。当初の想定と違った。無双7のイフの不具合はさておき、話題を変えます。
◆姜維のこと
なぜ姜維は、ウザいか。いけ好かないというか、見ていると腹が立ってくるのかです。物語で背負わされ過ぎです。期待が過剰だからです。
劉備の理想を受け、劉禅を養い、孔明の兵法を預かり、冴えない関羽と張飛の二世(関興と張苞)に代わり、蒋琬や費禕の官職を踏まえ、母がらみで魏に寝返った徐庶の期待を嗣ぎ、馬謖の登山の落胆を補い、趙雲に槍術を習う。
姜維は羌族と関わり、ファンを欲求不満にした馬超の負債も払う。史実の勝者である司馬氏(孔明を破った仲達の子)と対等以上に戦い、蜀を滅ぼした鄧艾と交戦し、鍾会とともに成都で叛乱する。蜀=漢の復興を期待させる。
物語のみならず史実でも期待され過ぎて、逆にウザい。
陳寿で兆候を表し、羅貫中で芸術に高まった蜀漢に期待する諸要素を、たったひとりの姜維に収斂すれば、当然ながらムリが出る。初代ですら、劉関張の三兄弟に分散して相補的に描かれたのに。姜維に念願どおりの活躍を求めるのは過酷であり、ぼくらは姜維に甘く優しくならねば。
@yougoha さんはいう。史実は別という前提で、ワイも演義読んだ時正直孔明と違って姜維は応援する気起きなかったというかウザく感じたというか……。ひろおさんの言う通り物語上で一人に属性詰め込みすぎな上に、なんか大言壮語してる割に、結果出せてない印象があったんですよね。敗戦の度に張嶷とか夏侯覇とかの犠牲者が出てるのも手伝って姜維を主役にする主な小説は、柴田錬三郎の三国志の後半です。釣りをする孔明を暗殺するために接近して弟子になる(小前亮氏のは途中で挫折)
夏侯覇は最後まで共闘するかと思いきや死にますね。張嶷も、負債の支払いに充てられたような。蜀漢が抱えたムリな部分を、全部 姜維が背負って、墓場まで持っていく感じです。鍾会が劉備の墓参りをするとか、ムダに蜀漢復興の期待を持たせ、姜維を巻きこむからなおさらです。
蜀臣の子孫が五胡の力を借りて西晋(司馬氏)を倒して溜飲を下げる白話小説があるが、、ぼくらが読みたいのは、姜維が起死回生をかまして、魏末&晋初をくつがえし、末期の呉すら射程に入れる話なのかも。べつに子孫の話は欲しくなくて、当事者が活躍してほしい。新しい史料読解のテーマができました。
@htjk さんはいう。姜維が嫌いな人というのは、その姜維を理解しない人々のファン、あるいは彼の行動の結果に不満なファン、つまり蜀ファンなのだろうと思っていた。司馬氏好きからすると、散々脅かして最終的には敗けてくれる強敵という、物語的好感度は高いかなー、演義はよく知らないため史実(?)限定の話だけど。司馬氏を脅かすが、最終的に負けてくれる都合のいいひと。諸葛亮を賛美して、間接的に彼に張り合った司馬懿を賛美するという話は苦しいが(諸葛亮に関心を持って行かれる)姜維はほどよい噛ませ犬。成り立ちそう。蜀ファン(目標)としては残念です。
150920
ぼくらはリアル生年から1800を引くと、三国志の登場人物に「同い年」を見つけることができます。現在は2015-1800=215年で単刀会の年。孫権は182年生まれ、ドラマのスリーキングダムズで孫権を演じる張博さんは1982年生まれ。ぼくも孫権と「同い年」なので感情移入します。
三国志サミットのチケットを申し込みました。交地には、蜀が勝つイフ物語『反反三国志』を出す予定です(いま書いてます)このあと、「三国志サミット公式書房」のお話を頂戴しました。蜀が勝つイフ物語『反反三国志』を制作中。
章回小説っぽいスタイルで話を作り、「仲達が提起する、不可能を可能にする計略とは何か。続きは次回で」と書いたところで集中力が切れた。じつは仲達の計略が何か、作者であるぼくも知らない(思いついていない)。この状態で仕事に行って、ふと思いつきで話の続きが出来ていく。というのが理想です。
『反反三国志』原稿用紙470枚(47%)。
150922
『反反三国志』原稿用紙490枚(49%)。曹丕が革命に失敗し、郗慮が死刑。献帝と楊修が権力を奪還。劉備と孫権が組んで魏領を侵食。仲達の奇策により、劉備を荊州牧、都督荊益二州諸軍事、南鄭侯に任命。呉蜀を反目させ、夷陵の戦いを人工的に起こす。
オンラインYOUで11月22日の【交地ニハ絶ツコトナカレ 二十四】に申し込みました!
『反反三国志』原稿用紙520枚(52%)。半分以上かけたので、交地に申し込みました。蜀が天下統一するイフ物語『反反三国志』50部。曹丕が八十歳まで生きるイフ物語『曹丕八十歳』再版を若干。どちらも原稿用紙1000枚以上、2000円(税込)の予定です。宜しくお願いします。
この予定は、変更なしです。151110
150923:苦しみの始まり
長い小説を書くというのは、精神修行みたいなもので、とても辛いです。叫びながら転げ回りたくなります(笑)。原稿用紙500枚を越え、『反反三国志』後半戦。耕して種を植えた畑から、芽が出て育ちつつある。「もっと前半を面白くできたかも」「責任をもって育てられるか」「収穫まで待てるか」云々
長編小説は、人生に似てます(笑)。良かれと思って必死に序盤を作り、中盤はみずからの選択を自己肯定しつつ、やや疑問が生じて引き返したくもなる(今ココ)。辛くて早く終わりたい。3分の2を越えたあたりで、この路線でやりきるしかないと諦め、終盤はもの足らないくらいで紙幅が尽きる…はず。
この苦しみは、軌道修正せよという、第二の自分からのアラームであり、そのアラームは正しい。だからアラームに従って、9月下旬に書いたあたりには、修正を加えました。
長い小説を書くのはしんどいですが、ライフワークである「いつか書きたい」三国志の話は、陳寿に習って、全部で65巻とかにしたいので、精神修行は、つらいけど意味のあることだと自己暗示をかけつつ。『北方大水滸』が50巻らしいので、陳寿にちなんで、越えてみます。
蜀ファンがスカッとするイフもののため、孔明×徐庶×龐統が活躍し、五虎将も活躍させてますが、五虎将の扱いが難しい。美しく散ってこそ、死なないで、という相反する意見を目にします。ぼくは、五虎将に史実よりも活躍させた後、死なないけれど戦えなくなる理由をつけて退場させてます。
黄忠は、夏侯淵のみならず夏侯惇とも戦い、残った目を射る。全盲の夏侯惇の首級を奪うために近づくと、精神を研ぎ澄ませた夏侯惇が刀を振るう。剣を持つ手首から先を斬られて、弓を使えなくなる。手を失い戦闘不能とは、北方謙三氏の得意技ですが…他の四将は工夫します。
150924
『反反三国志』原稿用紙565枚(57%)。夷陵で劉備を勝たせるため、麋芳の裏切りの恥辱で20歳は余計に老けた麋竺が、孫権と陸遜に離間の計。伏線として、生き残った龐統が、孫権の君主権力と、名臣との対立を煽ってある。負けた陸遜を、孫権が責めちゃって、荊州と君臣の和を同時に失う呉。
三国志の名軍師の戦略と、不安で眠れない夜の悩みごとは似てる。確率の低いことが全部&同時に起こると想定する点が。隆中対は、荊州・益州を得て同時進攻とか、空論くさい。仲達の五路の攻撃(演義)は、蜀の負の要素を、誇張・羅列しただけで、リアルに対応すれば取り越し苦労&個別に解決できた。
余談:タイムラインで、曹髦の死をめぐる是非の話をよく見ます。「高貴郷公殺人事件」とかで、ひとつの事件に焦点をあてて、ねっとりミステリー調でお話を書くのとか、次にやってみたいです。
151114に追記。諸葛亮の北伐は、①隆中対のプランと、②荊州失陥後のプランを、別に考えたいところです。②は史実で発生したので、よくテーマとされますが、ぼくは①のプランについて、もっと理解したいと思っています。「天下有變、則命一上將、將荊州之軍以向宛洛、將軍身率益州之衆出於秦川」のとこ。
宛城・洛陽方面を制圧したら、河北~秦川は分断されます。并州を経由して移動できますが、後漢の固有の領土では、分断と印象が強いでしょう(司州を領有せず、河北+関中を版図とした勢力は、史上にないと思います)。ならば、秦川と宛洛をなぜ同時に攻める必要があるのか。
もし秦川の攻略が先に成功すれば、その軍は雍州~司州と進むことになり、宛洛の軍と合流。もし宛洛の攻略が先に成功しても、東進して豫州・兗州を攻めるには、背後(雍州)が不安。同時に進む意味は、魏の兵力の分散なのか。ならば、どっちが本命?よく分からないのです。
並みいるイフ物語群で、隆中対の理想を実現したものが見当たらず、ぼくも『反反三国志』で苦戦しました。魏に政変があったら、二方面(孫権を含めたら三方面)から同時に攻めて様子を見る、、なら、ノープランですし、そんなはずもなく、隆中対の真意が気になります。
150925
長い話を書いてると、初めは目標の分量に届くか不安で、伏線を増やしたり、綿密に描いたりしてた。6割(600枚)を過ぎると、きちんと終われるか不安になり、書きたいことを残して畳みにかかる。 余ったネタは、次作でやればいいかと開き直ります。書き終わらなかった話は、経験値にならないので。
150927
『反反三国志』原稿用紙630枚(63%)夷陵の戦いを修正して、劉備が押しこみ、呉をほぼ壊滅させる。史実の三国鼎立が、分裂期が長期化しすぎたのであり(前漢初・後漢初との比較)、呉が滅亡する伏線をきちんと張れば、劉備が夷陵からさらに東進しても不自然ではないと思う。
渡辺精一『三国志人物事典』は、『反反三国志』を書くときに、お世話になってます。というか、この事典をここまで使ったのは、自分史上初です。
偏見で語る三国志botとか、袴田郁一「『全相平話三國志』人物事典」とか、坂口和澄『正史三國志群雄銘銘傳』とか、おもしろいの多い。ぼくもやりたい。『反三国志』の翻訳も渡辺精一先生だし、渡辺先生のお仕事がなければ、『反反三国志』は成り立ちませんでした。人物中心に三国志を鑑賞・消費することに批判的な、男性の三国志ファンの勢力があるみたいです。よく知りませんが。人物で楽しまなかったら、何で楽しむのだろう。制度史?軍事研究? 三国志じゃなくていいじゃん。むしろ情報交換不足で、素材としては不適切ですし。
150928
『反反三国志』原稿用紙670枚(67%)クライマックスに向かう。4週間でここまで書けた。速さに関する体力は、ついてきた。
こんどの同人誌『反反三国志』は、表紙の絵を自分で描く予定です。表紙と内容が、足を引っ張り合わないように、どちらもがんばります…
150930
『反反三国志』原稿用紙700枚(70%)夷陵で劉備を勝たせ、孫権が陸遜を責めて呉の君臣が分裂。反三国志の名物である、呉の入水自殺までの道筋が立った(入水自殺はさせないけど)
曹丕が仲達の五路の計を用いるが失敗(史実でも曹丕は多方面作戦の失敗を連発する)。逆に孔明の統一戦争を誘う。
最初から読み直して、伏線のチェックや、登場人物の整理をして、最後の決戦を書きたい。パズルゲームで、画面の限界までブロックを積み、一手をキッカケに全部が連鎖的に消える…という感じで、蜀に天下統一をさせたい。
反三国志の名物である鍾会は、時期的に登場させられないから、鍾会母と、徐庶母(このひとも反三国志の名物)を絡ませよう!
姜維をつれた孔明と、鄧艾をつれた仲達。このペアを戦わせたい。話の流れ的に漢中から長安の間は蜀の領土なので、并州で。彼らの戦いは、山岳地帯でないと絵にならない。これが魏と蜀の最終決戦。
大きな話を書いていると、物語が自己増殖して、枚数が増える。史料に取材するから、ネタは尽きない。しかし、あんまり長いと全体が見えにくくなる。書くのも読むのも時間がかかるから。『曹丕八十歳』は1200枚とかで、手に余った。
原稿用紙1000枚を上限として、それ以上は増やさないように努力!
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- 2015年10月のツイート群
151001
『反三国志』を読み直して、読み落としをチェック。『反三国志』の不備を克服することが、ぼくの同人誌の狙いなので、ぶっ飛んだオリジナリティよりも、原典との距離感を大切にしたいです。
余談:『宮城谷三国志』に対する、「がっかりした!」「なんだこれは!」という気持ちを、悪意のない形で(悪意があってもウイットに昇華させて)物語か批評にかえて、同人誌を作りたいなー。文体や価値判断を、パロディにしながら、腹を抱えて笑えるような本ができたら、大満足。
創作アイディア。『宮城三国志』
後漢の士人の家柄である、宮昌・宮光・宮誠・宮壱の四世代が、楊震とともに政治の腐敗に憤ってから、劉禅の降伏を見届けるまで、隠者・党人・官僚・文学者という職業を移りながら、三国時代を見届ける。独自の時代認識に基づき人物を批評し、権力者と衝突したり。
ご本名が宮城谷誠一氏らしいので、キャラ名に流用。書名はキュウジョウサンゴクシで。
『宮城谷三国志』を熟読して、この作品に描かれた時代観を理解し、作家本人を同時代のなかで活動させる。賛否両論ある『宮城谷三国志』を、知的かつ娯楽的に楽しみたい(まずはぼくが)
いろんな意見がありますが、ぼくは『宮城谷三国志』をリスペクトしてます。1年数ヶ月前にあった「宮城谷三国志を叩く会」は、ぼくのツイートが発端でしたが、分析対象として重視こそすれ、叩く意思はありません。 『宮城三国志』の作成を通じ、作品自体及び日本の三国志受容史への知見を得たいです。『反三国志』を克服するには、原典である『三国志演義』を熟知していなければならず、はなはだ準備不足のまま同人誌の大半を書いてしまった。
せめて『反三国志』の趣向を拾い漏らさぬように心掛けつつ、『三国志演義』に対する知的好奇心が膨らんだことをもって、同人誌の作成は成功とします…。
151002:決算業務により中断
タイムラインで『宮城谷三国志』が流れてくるので、その話題。
余談:『宮城谷三国志』の分析や研究は、『資治通鑑』との比較から始まるべき。両方が一致する部分は単なる史実の消化だから意味が薄い。ツガンになくて宮城谷にある史実は、興味を持って正史類まで調査した部分。正史にない物語的な膨らましや論評は、宮城谷氏に独自なもの。おいおいサイト上でやります。
ツガンにあって宮城谷にないものは、宮城谷氏が「時代を描く上では、影響が僅少」と切り捨てた部分だから、これも大いに作品の性質を語る。この比較分析を完了したら、宮城谷氏が後漢にタイムスリップする『宮城三国志』を書きます。これも原稿用紙1000枚で。
宮城谷氏がタイムスリップする『宮城三国志』は、初代の谷昌(姓は谷、諱は昌)が楊震に共感した硬骨の士人で、政争のために腐刑にされて宦官に。祖先に恥じて、宮刑にちなみ、姓を「宮」改める。宮昌は曹騰の同僚となり、天子を外戚から守る。宮昌はすでに子がいて、宮光という。党錮に連座。漢の終焉知る…とか。
第2四半期決算の業務で、有給休暇やフレックスが使えない。ちょうど『反反三国志』は7割を書いて、最終決戦(蜀による天下統一)の開始寸前。
伏線の貼りモレ、伏線回収の計画モレをチェックする。周大荒『反三国志』を再読して、アレンジや克服にモレがないかもチェック。月の後半で完成させる!余談:吉川三国志の研究以上に、宮城谷三国志の研究は「まだ早い」「というか研究の対象にならない」と言われそうですが…。サイト上に元ネタを書き散らし、論文調にもして、PDFか何かで掲載します(笑)
@rerasiu さんはいう。宮城谷三国志はなんというか本朝の三国志の流れの上にはないな…… 北方三国志は流れの上にあると思う。 物語・娯楽小説としては、独立性がありそうですが、小説を通じて歴史を勉強したい/した気になりたい、頭が良くて知的な人間になりたい/見られたいという系譜には、はまりそうです。ネットの世論?を見て、そんな気がします。威信財の原料なんです。
宮城谷ファンは作家や作品に没入するけれど、分析や比較はしない(必要を感じない)ようです。批評者は、きっとちゃんと『宮城谷三国志』を読んでないと思います(笑)。どちらの言うことが確からしいのか、テキストベースで検証したいと思います。
151003
「人物事典を作りたい」と先日書きましたが、要するに紀伝体を自作して遊びたいということなのかも(自分の気持ちに正直になれば)。なにかオリジナリティある三国志作品をもとに、紀伝体をつくったら楽しいのかも。あまり史実準拠じゃないほうが、既存の正史の踏襲にならなくておもしろそう。
黄承彦の子(黄月英の弟?)の黄武。身長は七尺と平凡だが、呂布の方天画戟をつかう。『反三国志』第二十二回に出てくる人物。血筋や武器がキャラ立ちしているのに(孔明の知恵×呂布の武技)あまり浸透してないのは、作中でめぼしい活躍がないからか。『反反三国志』では見せ場をつくろう。
◆別の作品のアイディア
日本の三国志の小説家がタイムスリップして、語り口そのままのキャラで登場する…。宮城谷三国志で思いつきましたが、北方三国志のほうが簡単そうなので、こっちで先に遊んでみるか。劉備と馬を運んで、曹操と決裂して、孫策と着物の色で娘を区別し、張飛と恋をして、鍼を打たれて北伐をがんぱる。
邪馬台国の男が三国志に乱入する話は前例があるが(『覇』とか)北方謙三キャラが乱入するとか、きっと、ニーズがあるが前例がない。遼東を経由して、北方(ホッポウ)から、タク県へ。『替天行道』という北方水滸伝読本で、生身ではない北方氏のキャラは、かなり窺うことができ、かつ完成している。
あまり自覚はないけど、ぼくは北方謙三ファンで、『三国志』を読んだ後、古本屋に走り、現代もののハードボイルドを読み、作中に頻出するjコニャック(酒)をコンニャクと空目したまま読み進め、『水滸伝』『楊令伝』までは読んだ。『岳飛伝』は完結待ち。北方三国志のパロディを書く資格はあるはず!
北方三国志の漫画版(梶川良氏が脚本、河承男氏が漫画)を1冊読みました。 基本的に三国志に関する作品は、楽しむこと前提で見るんですが、これは読む価値がなかった。北方三国志でも何でもなく、亜流のオレ流の三国志演義の劣化版だった。北方氏による創意や研究成果はどこに消えたんだ…と絶句。
劉備が関羽と張飛を「さん」付けで呼んでて、ニヤニヤと媚びてるし、呂布・袁術は迫力をなくした蒼天航路のタッチだし、曹操は「御前」とよばれて間違った和臭がするし、陶謙は盗賊バカ、張飛はアル中バカだし、関羽は空気だし。先行作品(原作と称する北方三国志ですら)を読まずに適当に作った感じ。
福井に旅行しつつ、『反三国志』再読。長時間移動とか、旅先とかに自分を追い込まないと、とくに後半は退屈で、本を投げちゃうので。なおもつらいが(飽きた) でも『反反三国志』の最後の3分の1の方向性は固まった。蜀による攻略経路は踏襲。冗長さを圧縮。『演義』パロディとしての精度をアップ。
『反三国志』の前半の欠点は、年表が壊れており、史実や演義との比較対照が成立しないこと。後半の欠点は、蜀の統一戦争が退屈で長いこと。(とぼくは考えます) 『反反三国志』は、前半は、史実に近づけて時系列という背骨を突っ込む。後半は、戦いのエッセンスを『演義』ベースで再構築します。
『反三国志』は、孔明が火薬で、司馬懿を爆殺するけど、これは『演義』のガッカリ未遂シーンである、魏延ともども仲達を焼き殺す作戦の「焼き直し」で、ファンがスカッとすべきシーン。陸軍に賄賂を送って硫黄を横流しして…とか書くからギャグになり、文学的な価値が見えにくくなったが。
151005:福井旅行
『反三国志』後半が、なぜ退屈で冗長で堪えがたいか、堪えながら読んで考えた。蜀軍が、魏と呉だけでなく、晋まで1城1将ずつ丹念にプチプチと踏みつぶすからです。蜀軍は并州を先に奪って河北で魏軍を駆逐、曹丕は幽州に逃亡して曹彰は戦死。だがこれで終わらず、次は河南で司馬懿+呉と戦い始める。
なぜ『反三国志』の蜀軍は、洛陽を平定する前から早々に并州を得るのか。なぜ河南を放置して先に河北を攻めるのか。河北で魏を平定→河南で晋を平定、という二段構えを描くためです。「曹氏が敗北すれば、司馬懿は立場を失い敗走する」という魏脳のひとは第47回以降が苦痛。
永平寺で写経して、『反反三国志』成功を祈願しました。
『三国演義』は史実で敗れる諸葛亮の北伐に見せ場を作るため、「仲達の裏をかき、魏兵の十分の九を撃ちとるが撤退した」という謎の展開が続く。この矛盾を除き、「魏兵の大半を撃ち取った『から』領土を広げた」とすれば、『反三国志』を凌駕する蜀の天下統一のお話ができる。『反反三国志』はこれで。
『反三国志』後半が失敗した理由は、『三国演義』を読んで「蜀がこうすれば勝てたのに」という、羅貫中の確信犯的ガッカリ(史実準拠のためのツジツマあわせ)を全てリセットし、蜀が無敵の話を長々と書いた点。ガッカリをスッキリに機械的に変換するだけでも見通しが変わる。
151006
前日のツイートに対して、
@mamesiba195 さんはいう。蜀無敵でも、晋勢力が魏を裏切り、降伏。呉も降伏して、ともに王に封じられる。劉備と五虎将が死ぬのを待ち、司馬懿と孫権が手を組み反乱を起こす。という世代を変えての戦いなら、あの長さと北伐の消化ってのも一応理解できるんですけど、あの時代の人に求めるのは酷ですかねぼくはいう。司馬懿と孫権が手を組むのは『反三国志』と同じですが、劉備と五虎将の死を待つというのは、いかにも「ありそう」で優れていますね。『反三国志』は、蜀が魏を滅ぼしたら消化試合に入りますが、腰を据えた第二部をやれるなら、そちらが面白いです。
@mamesiba195 さんはいう。反三国志は、晋の人物も因果応報にして欲しかったですね。司馬懿は爆死のままとして笑。司馬師・・文鴦にやられ片目飛び出して死亡、司馬昭・・賈充に裏切られ成済に殺される、賈充・・司馬昭と成済の首を持って降伏するが蜀に降伏していた曹髦らに切り刻まれるとか。/面白かったのでもう少しツイートします。司馬炎・・助命されるが宮刑になり宦官にされる、曹髦・・魏の忠臣を率いて蜀に帰順。先祖の悪名を払い、劉姓を賜り、魏侯となる。羊祜・杜預・張華・・統一後の蜀漢に溢れるほどいる有能で清廉な地方官の一人として、寿命を全うする。/呉も二宮の乱を踏まえて、因果応報になっていたら、蜀好きは、もっとスカッとしたと思いますね。ただ、反三国志は演義だけでなく、正史の話を含めているのはいいですね。正史の存在を知らしめることには、貢献したと思います。
151009
『反反三国志』の表紙の絵を書きました。
(筆ペンで書いた画像)
151010
『反反三国志』にこれから姜維を出す。全ての人物の長所を継承させ、かつ最終的に蜀軍に勝利を呼びこませて、スカッとなる話にしたい。『北方水滸伝』で楊令(楊志の子・オリキャラ)が好漢のあいだで教育されて完璧な人間になる。あんな感じ。『楊令伝』でキャラが壊れるからそこはマネたくない。
張翼・張嶷と、『三国演義』で対(ツイン)となって登場する2人ですが、正史を読む限り、2人をセットにする理由が見つからなかった。活躍時期が近いし、南(南蛮)と北(魏)との戦いに関与するという点は同じだが、そんなの共通点とはいわない。語感のリズムが良かったからセットになったか。
◆街亭について
街亭・柳城は「漢中の咽喉」と『三国演義』第95回で司馬懿がいう。でも街亭は、だいぶ北のほう。『三国演義』の司馬懿の発言はおかしいのは、きっと有名。ならば蜀軍はどうしてこんな北に行ったのか。町井登志夫『諸葛孔明対卑弥呼』では、北の異民族との連絡の拠点と解釈してたけど、はて?
『三国演義』95回で孔明が「今司馬懿出関、必取街亭、断吾咽喉之路。誰敢引兵去守街亭」という。つまり『演義』の世界観では、趙雲らの活躍で得た領土を、後から司馬懿が取り戻しにきたから防戦する、という話。趙雲は別働隊ではなく、先発隊。馬謖の愚かさの意義は、正史と『演義』で違うかも?
いわゆる五虎将が引退してから、蜀将として『演義』に頻出する(孔明の手駒として、反復して戦闘シーンに出てくる)のは、張翼・張嶷・王平・関興・張苞・呉班・呉懿・馬岱・廖化あたり。姜維は別格として。まるで蜀の二軍。孔明の生前に、ちゃんと死が描かれる張苞は、描写が丁寧なほう。
151011
小説の書き方の話。池上彰の本で「文章に順接の接続詞は不要。連続した文を、人間は順接で理解するから」とあった。だから作中で会話や出来事が円滑に展開するなら、順接はとくに不要。逆に会話や出来事が転換するなら、地の文に逆接を設けないと読みにくい。三国志の話は逆接が多いから自戒的に注意。
荒川弘『鋼の錬金術師』巻末4コマで「キャラの名前をどう決めるか」という質問に「西洋人名辞典を適当に開く」と答えてた。『反三国志』は張繍が魏を裏切り、呉に味方する。『反反三国志』はこれを敷衍。「張済の妻・鄒氏の兄」が必要になったが、名がない。『漢辞海』をパラッと→「鄒績」に決定!
魏諷という有為の士人がいることは、徐庶も聞いていた。魏臣の子弟のなかで中心的な存在であり、まちがいなく曹丕よりも友人が多い。曹操の排除は無理でも、曹丕の撃破ならば、あるいは……、というのが第一印象である。しかし、そんな方法で良いのか。天下は再び混迷に落ちないか。つまり、魏諷は、劉備の到着を待てないか。べつに劉備の臣だからそう思うのではなく、万民のためにそう思う。曹氏を排除した後、後任の為政者が居なければならない。魏諷では軽い。「魏諷に会えるか。とにかく早く会いたい」
『反三国志』を再読、『反反三国志』書き足してます。
151012
諸葛亮が雍州を取れば、涼州を取るのは難しくなく、洛陽が前線になり、魏は河北に移らざるを得ない。雍州は、魏の生命線。天下三分は流動化し、孫権も野心を剥き出す。
『北方三国志』13巻の初めで、司馬懿が考えごとをする。いわゆるイフ小説ではないが、イフ構想の支えになる記述があって楽しい。
◆創作論のようなもの
一太郎の索引をつくる機能で、長編小説のキャラの登場箇所をチェックして、伏線の回収モレや、説明の重複を防いだり、「人物事典」を作ったら、楽しそう!
原稿用紙300枚だと、片手で持てるイメージ。500枚だと両手。1000枚だと、腕で抱き抱えないと、ずり落ちる。なんのイメージかって、書いてるときの時間の流れや、自作に対する把握のしやすさや、事前に必要とされるプロットの精密さや、校正の辛さや…。とにかくそんなんです(笑)
作品を仕上げるため、史料や先行作品を読み返してると、盛り込みたい要素が出てくるけど(読み返すのが目的で、作品づくりは手段という気持ちにすらなる)、さっき「それは次回作でやろう」という発想がわいた。脳内のコビトさんが、勝手にリードしてくれるから不思議です。コビトさんは、いまーす。
『北方三国志』も、『宮城谷三国志』も、連載が終わってからインタビューして「読本」を作るから、ヘンテコになる。読者が読みたい「あとがき」は、執筆とリアルタイムの肉声。商業戦略や職業倫理で、具合が悪いのかも知れないが。ぼくは、話を書き進められない通勤時間に、「あとがき」を溜めます。
151013
『反三国志』の見所は、華歆が焼肉になって馬超に食われること。華歆が作中で死が与えられるのは、献帝を殺した報い。焼肉になるのは、馬騰を殺して馬超に恨まれたから。『演義』が演出=捏造した、馬超は復讐の鬼という設定を膨らませたもの。
『反反三国志』は代わりに小魚を食って溜飲を下げます。
151014
やばい!見落としてた!『反三国志(演義)』原文には、「異史氏いわく」と長文の論評が挟まってて、これを併せて読んで、はじめて『反三国志』は面白くなる仕組みだと思われる。日本語訳だけ見てる場合じゃなかった。でも『反反三国志』は、時間がないから書いちゃおう。蜀の勝つイフの1つとして。
『反三国志』日本語訳が、死ぬほど退屈なのは、舞台裏の「異史氏いわく」をすっ飛ばしてるから。牛肉をよけて、牛丼のメシの部分だけ食べているような感じ。食えなくはないが、魅力は半分以下。今回の創作とは別に、「『反三国志』研究」は継続して、論評を消化しよう。
文学作品の分析で「この出典を、こうアレンジした」と推測する方法がある。ぼくは『反三国志』日本語訳をこの方法で読み、『反反三国志』に着手しました。自分なりに分析して、再構築してみようと。 『反三国志』の「異史氏曰」は、作者によるアレンジの種明かし。これを見ずに創作に取りかかった。
鑑賞するとき、種明かしされつつ読むのが、楽しいとも限らない。謎編、解決編の二段構えでテキストに接したのは、結果オーライ。そしてザッと解決編を見ても、『反反三国志』を取り下げるほどの発見はない。分析の切り口もあながち的外れじゃなかったので、創作を続行!
文学作品に「作者の意図どおりに読め」は成り立たない。作者の自作解説「異史氏曰」を消して出版された『反三国志』日本語訳は、結果的に「本文だけが作品で、自作解説は作品の外部」という立場。作者の意図が見えなくなったが、日本の文学作品として成り立たなくはない。
『反三国志』の真価である「異史氏曰」を抹消して、爆殺と焼き肉だけがひとり歩きした、テキストの「霊」のようなものに興味がある。ぼくの『反反三国志』は、異史氏曰の自作解説を含む原文『反三国志演義』の後継者ではなく、日本語の『反三国志』の後継者ということで。
【翻案】の語が『反三国志』原文の「異史氏曰」に見える。『演義』を「翻案」するとか。日本語で「前にだれかがした事柄の大筋をまね、細かい点を造り変えること」で、中国語で「評価・定説を覆すこと」だと。中国文学の研究で「翻案」の語を、意味を定義せずに使うなと聞いたが、なるほど混乱する。
周大荒『反三国志』は、中国語【翻案】で、『三国演義』の評価や定説を(主に人物につき)覆す。ぼくの『反反三国志』は、日本語【翻案】だから、大筋で『三国演義』『反三国志』をまねつつ、作り替えをしてる。…周氏もぼくも、正史を参考に【翻案】してるが、意味がちがう。
151017
原稿用紙750枚くらい書いた『反反三国志』を読み直して、加筆修正で700枚弱に圧縮。結末までのあらすじを書き直して、仕上げにかかる。←イマ
ここに及んで、これがどういう作品なのか、やっと自分が分かってくる。根底に「関羽を殺しやがって孫権め」という憤り?があり、それを克服する作品。
関羽を助ける手段として徐庶の残留というイフを『反三国志』から借り、以降は歴史のギアを少しずつ狂わせながら、正統性とは何かを登場人物たちに(作者自身も読者にも)問いかける。
動機からして『反三国志』とは違い、桐野作人『破三国志』の理屈を複雑で厳密にした感じ。
曹丕と劉備の正統性とは。この問題を物語を通じて、キャラを動かしてたら、原稿用紙1000枚なんてすぐに終わる。
戦(いくさ)を書くのが、得意でも好きでもなく(ぼくがインドア派)『反三国志』にあった戦術家の馬超を、上位互換するには至らなかった。またがんばろう。
これから書く『反反三国志』の最大の見せ場は、献帝を説教する関羽ですw
いくさを描くのが苦手です。
でも羅貫中だって、「孔明の得意技は伏兵ばっか」「西北の地理が分かってない」というハンデを乗り越えて、『演義』を名作にした。ぼくもがんばろー。試行錯誤の結果、やっぱり苦手と自覚できたことで、まずは充分。まだ、周大荒『反三国志』を、下手くそ!と笑えません。
三国志に、エンタメ要素を重視しすぎず、商業ベースにならない長い小説を待望する声があると考え(少なくともぼくは待つ)10年後に担うのは自分だと、思い定めてます(イタいです)
小説が素人芸で、史料や論文もカバーがせまいですが、場数を踏むしか力が付かないので、吐きながらがんばります。
『戦国自衛隊』未読ですが(これから読む)『三国自衛隊』やりたい。
苦手な軍事のお勉強になるし、それよりも、近代の国民国家と、前近代の王朝の思想的な衝突・相互の違和感を描きたい。いかん、また会話劇になってしまう。
『株式会社呉』で、資本主義の特異性をコメディでやるのも楽しそう。
『反三国志』で、孔明が陸軍から火薬をもらったり、黄夫人が空軍で南蛮を制圧したり。三国志と近代のコラボは、周大荒がすでにレールを引きかけてる。
『北方三国志』『北方水滸伝』では、資本主義を先進的なアイデアのように登場させたりする。やりようがある設定。
『名士三国志』もやりたいなー。渡邉先生の論文のノベライズ。先生が選んだ史料を、なるべく、もれなく踏まえてお話として読めるようにする。論文を読むよりは情報量が落ちるが、一般向けの解説書よりは情報量が多い。そういう物語にしたい。論文のノベライズは、かなり力を入れたい分野です!
151020
『反反三国志』修正をはさみ、原稿用紙750枚。4分の3で劉備が死ぬという、自分的にはベストなバランス。『反三国志』でも、劉諶を出すために劉備が途中で死ぬし。
劉備が死ぬ時期は史実なみだが、夷陵の敗戦はないので、別のショックを与える。穆順が伝国璽を運ぶ『反三国志』の話をアレンジ。
◆歴史小説を書くノウハウ
歴史小説を書くノウハウが貯まってきた。おもしろい話は、天の授かりものだが、小説化の技術は人間が磨くのみ(磨ける)
一場面に原稿用紙10枚前後かかり、それを書くのに3時間前後(平日の夜の1日分)かかる。このブロックの積み重ねを、地道にやる。ペースが掴めたのは嬉しい。生産計画が立つ。
史料の和訳や、原作の読解は、書き始める前に終える。網羅的にしなくていいが、「史書or原作のあそこに、あんな話がある」という脳内地図を先に完成させる。本編を書きながら、原典に戻るのは、基本は「異常事態」であり、手戻りの原因。
手戻りは罪。品質は工程で作り込む。これを厳守。なぜなら、書き終えた部分に修正が及ぶと大変だし(長編だと、一太郎の検索機能でも対応しきらん)、本編の続きを書くペースが乱れ、テンションが下がる。1週間のブランクでも「別人」になってしまう。 「別人」の自分は、校正のときは大活躍だが、完成前には大敵。だって、物語である以上、客観的な正解などなく、無意識に他への分岐の可能性をねじ伏せ、グイグイ進むしかないから。「別人」が提示する別展開は、改善の提案というよりは、外野からのヤジに近い。安易に従うな。
しかし、職業もちが小説を書くなら、「別人」介入を防ぐのは難しい。
「別人」を黙らせるには、本編に着手する前のあらすじ作りが効く。手直しが聞く段階で、徹底的に「別人」に討論させ、自分「たち」が総力戦に疲弊してから、物語を書くべき。あらすじを書いたら寝かせ、直したら寝かせ…を、数ヶ月やるべし。
あらすじを書くコツは、解釈の余地のない記述であること。各場面の目標(結末)明らかなこと(後工程の担当者に、仕事を引き継ぐ時のマナー)。登場人物はモレなく出すこと(登場人物と話の筋は再帰的で一体)。セリフは要点だけ(語調は本編を書きながらのほうが上手、一人称・二人称だけは決める)
あらすじは「手直し」のコストが最小限で、不足な史料があれば和訳しに戻ってもいい。箇条書きにして文字数を絞れば、検索もラク。
あらすじを完成させたら別名で保存し、本編を書き終えたら消していくと楽しい。未消化・保留の話は残しつつ。再登場を待っても、消しても可。本編を書くなら、前工程の担当者=自分を信じ、黙々とノベライズ。絵ならば清書の段階。あらすじにない伏線を加えたら、参照できるようメモ(あらすじの回収場面に加えよ)
以上、まとめると「何人もの自分を使いこなせ」です。次元の高い、管理者としての自分を設定して。
原稿用紙1000枚を書くと死ねる(つらい)ので、500枚くらいの話をコンスタントに書きたい。期間中の生活リズムは、1000でも、500×2でも変わらないが、精神的にラク。50枚でも5000枚でも、やることは同じ。この手応えが得られたのは強いなー。人生の目標に近づいた(笑)
別作品のアイディア:益州は『蜀志』『華陽国志』があって、後漢末~三国の歴史をまとめて読みやすいですが(揚州も)、地域に特化した、まとめ直しものって、おもしろそう。寿春の古老(ベテランの吏)が目撃した、群雄や歴代都督の物語…とか。長安や南陽も、いけそう。
151022
交地まで1ヵ月。『反反三国志』原稿用紙800枚(80%)
仲達が『演義』の五路ならぬ、十路の蜀包囲網をつくる。孔明が史実なみに出師の表から、第1次北伐。すると仲達の目論見に反し、孔明が近づくと十路のカードが全て裏返って、蜀を勝たせる。この伏線を貼ってきた。いよいよ着火する。
劉備と孫夫人(孫尚香)の子が、『反反三国志』に出てきます。前半で、伏線を張っていたのに、忘れてた。名前がない。劉禅の弟で、おそらく三代目の漢中王になります(作中では、献帝に対する忠を貫き、まだ蜀帝になってない)
ちょっとだけ名前、募集します(笑)
周大荒にならって「劉荒」を考えたけど、いまいち。周大荒は、周天球という名もあるようなので(百度百科より)、「劉球」にしよう。後漢に、陳球・陽球がいるから、文字のセレクトはだいじょうぶなはず。でも、劉璿と王偏を共有するのは、よくないか。
@AkaNisin さんはいう。諱は岱、字は公山とまで考えましたでもその名前はもう定員オーバーだ…。「封」と「禅」の兄弟にちなみ、泰山を意味する「岱」です。あと「公嗣」と揃えて「公山」にしました。いい名前でしょう?僕のオリジナルなんですよ。
ぼくはいう。オリジナルすごいー。アイディアをいただいて、泰山にゆかりがありそうな、諸葛瑾あたりの命名ということにします。
ぼくはいう。劉封の扱いに、困っているんです。孔明が殺そうとしたのに、蒋琬が「漢水から攻めたほうが、成功できる。孟達は要らんけど、劉封は私が面倒を見るから」とかいって、生かして。創作でも困るんだから、史実は大変だったでしょう。
器量の話。『演義』第八十三回、歩隲が「陸遜は一郡を治めるのに相応しい。大事を託すな」という(正史は確認中)。これは面白い指摘で、ぼくは「孫権は一州を治めるのに相応しい。大事を託すな」と言いたい。陸遜は、けなされて一郡と言われるが、せいぜい彼も一州かな。
「権限が大きいほど、名誉欲が満たされ、力を発揮できて嬉しい」と思いがち。だから「天下を狙わぬ孫権は、行動原理が不明。もしくは孔明の足を引っ張り、怠けてる」いう感想が出る。『吉川三国志』を初読し、呉のぬるさに怒った、三国志ファンの共通体験じゃないかなー。
リアル職場で見た器量の話。係長になったのに成果ゼロで、課長が怒って仕事を奪い、単純作業を命じたら、別人のように嬉々と働く。また、立ち振る舞いがセコく見える次長が、課長の仕事に移ったら、気が利くし本人も楽しそう。三国志の州郡に比べると小さすぎる例だが真実!
実例を見て、イフ小説『反反三国志』で、孫権が荊州を失う話を書いたが(陸遜が夷陵で負ける)、むしろ統治範囲の「手触りがいい」から、嬉々として主君をやれる。国内の求心力を、過不足なくまとめ、郡臣との対立が緩和する…、という場面をつくった。孫権は一州の器です。
151023:三国志サミット公式書房
11月21日の三国志サミットの物販「三国志サミット公式書房」で、『反反三国志』を取り扱って頂けることになりました!宜しくお願いします。というか、早く、完成させないと…。
『反反三国志』原稿用紙840枚(84%)。うちの孔明先生は、まだ敵国の力を削る裏工作で、伏線を張りまくる。出師の表を懐にしまったまま、北伐(最終決戦)を始めてくれない。慎重すぎて、作者泣かせ。1000枚を越えたらダメというルールはないが、時間がない(切実)
151024
姜維伝の冒頭に「好鄭氏学」とある。人格のベースで、鄭玄に親しむものとして、姜維の人物造型が論じられたものを、知りません(見落としてたら、すみません)。新しい?ヒントかも。
『演義』第九十二回は「自幼博覧群書、兵法武芸、無所不通」で、兵法に変わってる。キャラ設定のための捏造です。
@Archer12521163 さんはいう。人物造型かどうかはわかりませんが、皮錫瑞『経学歴史』が、劉備と姜維を鄭学の学習者とし、蜀漢の君臣は鄭学の支派と述べていますね。
ぼくはいう。ありがとうございます。皮錫瑞『経学歴史』おもしろそうです。見られたら、見てみます。劉備と姜維は会ってないので、蜀漢全体の風土として……という指摘になるのでしょうね。
『反反三国志』原稿用紙870枚(87%)
がんばれ、自分……こんなツイートばっかで、すみません。
『反三国志』の表紙をまねて、無双ふうの徐庶が、フードをかぶって馬にのっている絵を描きましたが、やっとそのシーンを出せました。徐庶が、天水太守の馬遵をだまして捕らえ、姜維の母も捕らえ、かつ姜維に母を返して(←『演義』孔明よりも優しいのがポイント)、蜀への転籍を口説くシーン。
徐庶「漢中王に仕えろ、姜維。それを伝えたくて、母を連れてきた」
姜維「恩を売ろうというわけか」
徐庶「勘違いするな。母を人質に取られては、正しい判断ができないと思った。穏やかな心で、決めてほしい」
151026
『反反三国志』960枚(96%)
ちゃんと自分に終わらせられるのか…、という責任感や緊張感があります。自分で書き始めたくせに、ストーリー自体に操られて、書かされてるような。蜀の勝利まであと少し。枚数目標は、ちょっと越えます。
@tw_mantel さんはいう。反反三国志ですと?←反三国志を知らないと反応できない、かなり狭いとこのような気がする。
ぼくはいう。そうなんです。かなり狭いんです。『反三国志』を知らなくても、単独でイフ小説として成り立たせているつもりですが…『反三国志』に、読者を逆輸入?させられたら…という意気ごみで書いています。
『反反三国志』は、初めは徐庶・孔明が劉備に仕えるところ、終わりは蜀の天下統一です。この枠組みは『反三国志』を踏襲します。思うに『反三国志』の読破が厳しい理由は、天下統一戦が退屈なところです。『反反三国志』の統一戦は、全体の2割くらいしか分量を割かず、単調さの排除にも努めています。どれくらい上手にできたか分かりませんが、作品の重点は、「政略とか交渉、条件作りなどの政治」です。通販は、完成後に、募集しようと思っています。もうしばらく、お待ちください…。お願いいたします。
151029
『反反三国志』原稿用紙1035枚(103.5%)完成しました。校正の期間を1週間取れたので、進捗管理としては成功。あとは、できるだけ早くクールダウンして、他者の目線からチェックをしないと。
『反三国志』後半(どころか過半)の退屈な平定戦を修正しようと、政治と外交に枚数を割き、孔明の北伐はドミノを倒すキッカケにした。でも戦闘がアッサリだと、娯楽作品としていいのか…と葛藤を生じる。設計図どおり作って完成したから、後悔はないけど。史実の蜀呉も、泥沼戦で滅んだのではないし。
北方三国志は、戦闘のイメージが強いですが、わりと会話劇なんです。長々と戦況分析して、指揮官の人格などを話し合って、訓練してますよとアリバイを作り、結果をポンと示すことが意外に多くて。視覚情報が少ない小説という媒体は、合戦が不向きなのかも知れません。細かくは忘れちゃいましたが、孟獲を七回とらえるとき、うまくまとめたなーと感心しました。七縦七擒は、演義でも飽きるところなので。
151031
『バクマン。』で、作画の真城さんが、漫画を仕上げる速さと、絵の精度とのバランスに悩み、どれだけ下書きの絵を書き込む必要があるか、試行錯誤する。
『反反三国志』は、小説だけど、ぼくにとって、そのバランス(事前準備・話づくり・ノベライズ)のバランスに苦しんだ=教訓を得られた作品。
『反反三国志』校正してると、自分的には常にベストを尽くしたつもりでも、構成として正しいのか、ちゃんと面白いのか、自己嫌悪に陥ることがある。 『反三国志』の訳者である渡辺精一先生は、周大荒の構成力に喝采を送っているが、翻案を試みて、喝采の意味がわかった。
牛を裁くのに、鶏刀を用いたのではなかろうか…という、実力不足を感じるくらい、『反三国志』は、硬かった。ともあれ、『反反三国志』の修正に励んでいます。
つぎは、今回の苦戦で獲得したノウハウを活かし、『仲書袁術紀』に挑戦するかなー。
151101
合戦を長く書いても飽きられるので、一騎打ちに代表させ、一騎打ちですら飽きられるので、類型化される。小説と戦いは、つくづく相性が悪いです。孫策と太史慈は、数少ない史実準拠の一騎討ちなので、『演義』で長く書くことへのエクスキューズがありそうです。
@TAKEUTIMasahiko さんはいう。合戦……というか『演義』の一騎討ちもかなり類型化されてますよね。面白いかと言われると……研究対象としては面白い、としか言いようがない(笑)そんな中で、孫策対太史慈とか、時々類型から外れるのが出てくるのが興味深いです。
/ただ、全部の一騎討ちが、孫策対太史慈の情報量で書かれていたら確実に飽きますね(笑)。戦闘描写を濃密に書くのは、極論したら一作品一箇所でいいのかも知れません。後は、いかに「書かずに済ませるか」というアプローチもありかと。
/中国文学的には、『演義』の孫策対太史慈は他と「文体」が違うのが興味深いです。もの凄く大雑把に言うと、『演義』の文体は基本的に文言よりなんですが、時々妙に白話に傾くことがあって、孫策対太史慈はそれが顕著です。
/象徴的なのは、孫策が太史慈に対して「好漢」という語を使うことでしょうか。少なくとも『演義』通行本では、「好漢」の使用例はこの一例のみ。『演義』の文章がコラージュなのは間違いないと思いますが、分解するための客観的な基準を見つけられないのが現状ですね。上田望先生が非常に興味深い研究をされておられます。
以上、@TAKEUTIMasahiko さんから頂いたツイートでした。
作中での格付け(キャラの重要性)を示すために、一騎討ちは効果的ですね。一騎討ちそれ自体というより、メタな視点の入った、作品分析で楽しむ…。一騎討ちは、表現の手段であって、目的(それ自体だけで楽しく読める)には、なりにくいのかも。
文語は、みずみずしい一騎討ちを書くのに適さない(無理)なんでしょうね。突然、文体が変わるのは、読み手として戸惑うんですが、そのゴチャ混ぜな感じが、魅力なんでしょう(と思うことにしないと、読むのが辛いです)
「書かずに済ませる」代表例が、関羽が酒が冷める前に華雄を斬るシーンかと思いましたが、引き立てるため、兪渉・潘鳳らが斬られてるので、「書かず」とは違いますね。
戦闘描写の「類型化」と「省略」は、研究でも創作でも、考えたら楽しそうです。@TAKEUTIMasahiko さんはいう。関羽については、赤兎馬を得るまでは「真の関羽」になっていない、と解釈してます(というかしたい)。赤兎馬獲得以前で、関羽が討ち取ったのは鄧茂・顔良・管亥・韓暹と楊奉(のどちらか)ですが、黄巾賊とちゃんとした部将(という言い方も何ですが)で書き分けがありそう。凡ミス。顔良ではなく華雄ですね(苦笑)。黄巾(およびその残党)である鄧茂と管亥を斬る際は描写がありますが、華雄と韓暹・楊奉については描写がありません。
/赤兎馬を得た後は、顔良・文醜・六将と立て続けに斬ってゆくので、『演義』は赤兎馬獲得以前と以後で差別化している……という解釈はできると思っています(でも強引だと思っているので語尾が弱い;笑)。
/呂布から関羽への赤兎馬の継承が意味するものについては、随分前の『東方学』(98輯)掲載論文で書いてはいます。華雄については言及してないですが(笑)。
以上、@TAKEUTIMasahiko さんから頂いたツイートでした。
151102
小説を書くとき、自分はひとりでも、人称が増えてゆく。1人称:没頭して私が書く。あらすじから台詞や逸話を生成させる。2人称:台詞や逸話のできを、まるで親身のパートナーのように判定し、ときに大幅に作り変える。基本的な誤字を見つける。3人称:他者として誤字の最終チェック、体裁の調整を。
理想では「品質は工程で作りこむ」で、1~3人称を同時にやりたいが、難しい。見過ごしがちだが、2人称の作者がキーマンだと思う。1人称はやって当たり前、3人称は文字どおり第三者に委ねても成り立つ。2人称の活躍と、彼から1人称へのフィードバックが作品づくりの命。
『反反三国志』校正の最終段階なので、つぎの遊びを考える。
2015年は『水滸伝』を初めて読んだ年なので、『漢末水滸伝』を作ろう。三国志と水滸伝のおもしろさの融合が目標。ブログつくって、半年弱も放置してるし。
いつか書きたい『水滸伝』 http://suiko.hateblo.jp/
テーマは、楽しかった若き日々。学生時代の有能感と無謀さ。『北方水滸伝 』は、北方氏なりの学生時代だった。水滸伝は、大学生のノリと相性がいいと思う。三国志の登場人物が、若い頃に群れて世直しを企み、大人と戦って敗れ、大人になる(三国志が開幕する)までの話。
『漢末水滸伝』は、創作の過程、中間生産物をウェブに開示して、物書きさん(特にこれから小説を書きたいひと)に見て頂ける状況を作る。元々、水滸伝を三国志でアレンジする趣向に、近代的な「オリジナリティ」はない。前近代、民間でストーリーが編成されるプロセスに近い。
三国志ファンに水滸伝を紹介する、くらいの軽さで考えてみます。70回を原則としつつ、美味しそうなホウロウなどは、取り込んで。原稿用紙500枚、同人誌にしたら1000円くらいで売れるように計画を立ててみます。
◆また創作論のこと
体力勝負で「つらい」のは、小説を書く作業だけ。事前準備(プロット?づくり)までは、頭は汗をかくが、リラックスできる(リラックスしてないと話が思いつかない)。
事前準備を完璧にして、小説を書く作業中の、悩むのや手戻りを防ぎ、工期を短縮すれば、体力的に「ラク」に長編を量産できる。
小説を書きながら、キャラの別の一面を発見したり、自動的に事件が起きる化学反応を重視してたが、「つらい」期間が伸びるだけ。自分の発想力で起こせる化学反応は、書き始める前に起こす。それほど、事前準備を練り込む。書きながら化学反応が起きると、手戻り・変更が必要で、誤字も多くて後で地獄。
2人称の作者の主な役割は、話の整合性(キャラの居場所、身体的変化、他のキャラとの人間関係)、伏線の配置と回収、話の流れ(冗長なら勇気をもってカット)のチェック。1人称の作者にそんな余裕はないし、3人称の作者(冷静になった自分、または他人)には任せられない。
お話をふたつ書いたけど、1回も「視点」を置かなかったのが曹操。曹丕から見てるだけ、劉備から見てるだけ。 来年は、魏王1800周年だから、それを謳ったイベントがあるはず(何も知りませんが)。『魏の武王・曹操』も作りたい!
151103:『魏の武帝 曹操』のノベライズ
この日、ぼくの用語でいうところの、2人称の作者が、筆を置きました。「ぼくの仕事は、ここまでだ」と、脳内のコビトさんが宣言した。お祝いのため、夜の町を散歩しつつ、次回作について思いついた。
まだ何も準備してないので、公平?な立場で言える気がするんですが、魏王1800周年に作る予定の来年の同人誌『魏の武王 曹操』は、石井仁先生の『魏の武帝 曹操』のノベライズなんです。きっとすごくおもしろいです!論文の小説化は、ぼくの開発したい&強みを出せそうな分野です。やります!
三国志学会で先生に献本して、微妙な顔をされる…というところまで、イメージ出来ているので、きっと完成させられると思います!
呉の話を書いてって、ご要望を頂くのですが、ちょっと遅れてます。曹丕の話でも、蜀が勝つ話でも、わりに呉に枚数を割いてるのに、主人公になってない。日々の注意力が足りないので、もっと呉のことを考えます。先行作品とか研究論文から広げられたら、いいのだけど。
151106
次回作『魏の武王 曹操』2016の構想を練る。石井先生の本の世界観?のノベライズです。
人物相関図(きっとすごく大きな紙が必要)を仕上げたら、準備の半分は終わるだろう。つぎは年代順に、人物たちの絡む場面を物語化して、あらすじに落としていく作業か。単純化はするけれど、史実準拠で。
というわけで、三国志での遊びを、これからも続けます。151114
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