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- KOEI シミュレーションゲームより
KOEIのシミュレーションゲームのイフシナリオと、真・三国無双のイフ展開を網羅的に整理して、傾向を論じたら、ひとつの労作として価値があると思うのです。ゲームに限定せず、いろんな三国志や小説やマンガ、ドラマや映画のイフ部分を集めてもすごそう。三国志の受容史の「研究」になるはず。
緑字は、引用やコピー。黒字はぼくのコメント。
まず検索にヒットして、かつ記述が充実している、『三國志11』のイフシナリオから、コメントづけを始めて、盛り上がったら(←ぼくが)、どんどん先を増やしていきます。
三國志11攻略wiki より
http://www4.atwiki.jp/sangokushi11/
2015年6月21に閲覧
◆187年4月 何進包囲網
後漢を簒奪した何進に対し、諸侯が共同して戦うIfシナリオ。 ある種、反董卓連合を想起させる構図である。 他に例がない特殊な勢力も多く、見所は多い。
史実では、187年2月に栄陽の賊が中牟令を殺し、3月に河南尹の何苗が賊を殺して、何苗が車騎将軍となる。妄想するに、この勢いで、何苗軍が洛陽を封鎖し、何進が簒奪したのであるw。西園八校尉が設置されるのは翌年である。霊帝は、直属軍なきがゆえに、簒奪を防げない。というシナリオか。
何進は、洛陽・長安・南陽をしており、軍師が袁紹。つまり簒奪をそそのかしたのは、他の誰でもない袁紹だろう。
何進のつぎに勢力が大きいのが、管亥と張燕。張燕は、霊帝期に平難中郎将にして懐柔される。霊帝に与えられた官職を元手に、求心力を高めたいと考えており、「漢の忠臣になりたての張燕が、何進の簒奪に非を鳴らす」のならおもしろい。管亥は、孔融を包囲する賊だが(范書 孔融伝、陳志 太史慈伝)、この段階では、黄巾の残党がまだまだ強いことを示すため、配置されているのだろう。
つぎに大きい董卓は、天水にいる。まだ并州牧に異動させられる前。戦功と兵権が相乗効果で高まり、最強である。董卓の長安攻略が、何進の王朝が経験する、最初にして最大の試練になりそう。きっと長安は、董卓が奪うだろう。
以下、孫堅に滅ぼされる前の区星が長沙におり、孫堅は故郷の呉郡にいる。孫堅と区星が戦うのは、後漢の指示による。彼らが衝突することはないでしょう。
袁術は汝南を支配して、つぎに大きい。故郷の袁氏の兵力をつかい、袁紹が企画した簒奪に反対する、というのが、基本姿勢になりそう。
劉表が濮陽のおり、劉焉が江夏にいるのは、いずれも故郷にいる設定だろう。陶謙が建業にいるのも、故郷に置いたから。張魯が小沛を支配するのも、故郷にいるから。列伝を読んで、丹念に配置した感じ。
史実では、地方長官(州牧・太守)として、群雄割拠の初期条件が決まる。しかしこのシナリオでは、故郷の豪族として成り上がり、群雄割拠に参加することになる。州牧の設置すら、まだ翌年である。
地方長官の権限が、史実ほどは強くない、情勢を左右しない、というイフですね。187年時点でも、各地に刺史や太守がいたのだろうが、彼らが群雄になるのではなく、故郷にいる史実の190年代の群雄たちに、城を乗っ取られる(と脳内で補完しないと、シナリオ上の配置と整合しない)のだ。
大人の事情として、187年の段階で、のちの群雄たちがどこにいたのか、列伝の記述がまばらで確定できなかったのだと思います。歴任した官職はあっても、時期を特定できることは少ない。何進が簒奪すると、霊帝の「改革」が進行しないから、西園八校尉も州牧もなく、ただ才覚のある豪傑たちが、故郷の勢力だけをテコにして立ちあがる。漢から与えられた官職をひきつぎ、レースにシード権をもらえるのは、ただ董卓だけ。
何進が簒奪したところで、なにか(イフの展開を膨らませるために)意義があるのか? と、はじめて見たときは、怪しんだ。wikiには、何進を「董卓に近い」と書いてあり、それなら、董卓を取り囲む、史実の190年のシナリオでいいじゃないかと思った。
しかし、この楽しみ方は、「もしも霊帝の改革が、行われなかったら」というイフ世界を味わわせてくれる。これで、史実と違う方向に物語が展開したら、その差分が、霊帝の歴史的な存在感となります。
◆191年7月 序を制する者
反董卓連合が瓦解し、名門袁家の対立が表面化。 扱いはifシナリオだが、袁術・公孫瓚と袁紹・劉表の遠交近攻外交、 袁紹の下を抜け出せない曹操等、史実の構成にかなり近い。
最大勢力は公孫瓚で、海沿いの群国をたくさん支配してる。袁術は、孫堅を軍師として洛陽を制圧したまま、史実のように退去しない。遠交近攻は、けっきょくは離れているので、直接はアテにならない。
史実に近いシナリオにされてしまうと、本記事では、コメントがしづらい。
というか、他のシナリオも、まったく架空(史実からの差異をコメントしにくい)か、わりに史実準拠(こちらもコメントしにく)という感じだった。うーん。。
『三國志IX』 シナリオ紹介3 より
https://www.gamecity.ne.jp/products/products/ee/new/san9/san9_06.htm
◆191年2月 孫堅の中興
孫堅が洛陽に止まっている状態。上の「序を制する者」に近い。孫堅は、長沙から洛陽に本拠地を移したので、董卓との戦いを継続できると。
これは、史実の孫堅は、なぜ洛陽に留まらなかったんだ、という疑問から発しているシナリオだと思います。
袁術が兵站の協力的でなかったからとか、董卓が洛陽を破壊したからとか、袁紹集団の割りこみがあったからとか、いろいろ要因を言えそうですが。
このシナリオを楽しむためには、「袁術が兵站に積極的になる」、「袁紹と袁術の外交が、ぎりぎりバランスが取れて、孫堅が洛陽を維持できる」という、戦争の周辺において、背景となる物語を妄想しなければならない。そっちが本題です。
孫堅が董卓と対決するためには、孫堅が洛陽から、さらに西に進撃しても、背後に不安がないという状態が必要です。やはり、袁術が責任をもって兵站を送る、袁紹らが洛陽に攻めこむのと一時的にでも止める(袁術が責任を放棄するような窮地にならない)といったネゴが必要になる。
孫堅よりも、袁術に関する設定・役割が重要なシナリオ。
◆200年1月 漢の忠臣ここにあり
献帝に密勅により、董承・劉備・馬騰が、曹操の排除に「なかば成功した場合」のシナリオ。曹操が死んでしまえば、シナリオがおもしろくならないから、「なかば成功」という、微妙な設定になっている。
劉備は献帝を保護して、許昌を脱出。馬騰と合流して、洛陽以西(洛陽・長安~涼州)を支配する。曹操は、北の袁紹、南の孫策に挟まれる。劉備が徐州に行かないから、袁術は細々と生き残っている。
劉備を「有効活用」して、最大限に物語を盛り上げるには、ベストな設定だと思います。劉備ファンは、これで遊んだんだろう。
劉備を荊州まで行かせ、益州を合わせ……、というところまで話を進めてしまうと、どうしても史実どおり、単線になる。この劉備の経路は、諸葛亮の隆中対に沿ったもの。隆中対を実現させたい!という、劉備ファンとしてのニーズは、よく分かるし、共感もするのだが、話が広がらない。
ぎゃくに、劉備を荊州に入れてから分岐を設けるイフが、つまらなくなることから、隆中対の創造性の乏しさが分かる。むしろ諸葛亮の本領は、平凡なアイディアに過ぎない隆中対を、ほんとうに実現させたことにある。と、イフをからめた思考実験の結果、分かります。
いちど劉備を荊州に行かせると、イフで徐庶が帰っても(反三国志)、関羽が生き残ろうが(破三国志・関雲長北伐戦記)、諸葛亮が生きようが(孔明死せず)、どうしても北から南を機械的に攻めるだけ。単線ルートをたどらされ、物語が失速する。いずれも隆中対を実現させる話だが、創造性がいまいち。
◆210年10月 周瑜の天下二分計
『演義』で諸葛亮に見破れた、周瑜の計略が、もしも実現したら。みずから周瑜が遠征して、益州を奪取。馬騰との関係も友好であり、曹操と戦う準備ができている。周瑜は、劉備を敵対視するから、孫尚香を嫁がせていない。
周瑜は、やりたいことが実現して、ただ強いだけ。史実シナリオのゲームを、順調に進めれば、このシナリオのマップの同じ情勢を作れるのではないか。なんだか、周瑜の話を、難易度をさげて、ゲタを履かせただけ。しょーもない。
このシナリオを楽しめるのは、劉備の目線だと思う。荊州の南4郡に押し込められて、ここからどのように勢力をひろげるか。孫権との外交を、どのように展開するか。赤壁の直前のシナリオを同じで、劉備ファンが、マゾヒストとして遊ぶシナリオ。
197年 皇帝呂布
隠し要素の扱いらしく、マップが見当たらない。ネットで調べても、勢力の配置図までは出てこない。でも、だいたい想像がつく。
どうやら呂布が袁術から皇帝をひきついでも、普通のやり方では存続は不可能と、史実における袁術末期のつらさを確認するだけの、悲しいシナリオのよう。
もっとイフを楽しむなら、呂布と袁術の連携が成功して、曹操を圧倒する、というところまで、時代を巻き戻さないと、どうにもならん。
また、おいおい、イフのネタを拾っていきます。150621閉じる
- もしも劉備・董承が献帝を奉戴したら 【新】
『三国志』IXのイフ設定「200年1月 漢の忠臣ここにあり」を借りてきて、思考実験をして遊びます。
献帝に密勅により、董承・劉備・馬騰が、曹操の排除に「なかば成功した場合」のシナリオ。曹操が死んでしまえば、シナリオがおもしろくならないから、「なかば成功」という、微妙な設定になっている。
劉備は献帝を保護して、許昌を脱出。馬騰と合流して、洛陽以西(洛陽・長安~涼州)を支配する。曹操は、北の袁紹、南の孫策に挟まれる。劉備が徐州に行かないから、袁術は細々と生き残っている。
設定の微調整
元ネタの200年1月というのは、計画が露見した董承が、曹操に殺される時期。200年1月に分岐点を設けても、少し遅い。
あと、話を盛り上げるための趣向として、199年11月に張繍が曹操に降る。しかし、張繍が、劉表のもとに残っていてくれたほうが、話がおもしろい。
武帝紀を読むと、199年8月、曹操は黎陽にゆき、臧覇を青州に派遣して、郡国を平定させる。9月、曹操は許都に戻って、兵を分けて官渡を守る。武帝紀:秋八月,公進軍黎陽,使臧霸等入青州破齊、北海、東安,留於禁屯河上。九月,公還許,分兵守官渡。冬十一月,張繡率眾降,封列侯。十二月,公軍官渡。臧覇による青州の平定が、0ヶ月で終わるとは思えない。きっと、曹操の主語にして記述されている、時間が歪んでみえる。8月に曹操から分かれた臧覇は、一定の時間をかけて、郡国をめぐった。つまり、199年末の時点で、青州はまだ、曹操の完全な領土ではない。イフの初期条件として、大切なことなので、わざわざ書きました。
曹操は、9月に許都を離れて、袁紹に対抗するために北上する。このとき、董承の謀略が発動する。かりに、199年の冬10月としましょう。
分かりやすさを優先で書いてますが、正しくは、建安四年の冬十月です。西暦にすると、ズレるけど、差異を無視してます。現代日本の平成の方式を借りています。董承の計画は、曹操を殺すこと。しかし、劉備の認識は同じではない。劉備は「忠臣」であり、曹操を殺すことが、そのまま献帝のためになるとは思えない。献帝の希望をそのまま聞いて、献帝を洛陽に戻す。献帝の希望をそのまま聞くことが、事態を好転させるとは限らないが、そんなこと劉備さんに分かるわけがないでしょう。
献帝が洛陽に残ることを希望したが、曹操がわがまま(防衛上の理由?)から、許県に移した……という話って、どこかの小説か、もしくは脳内で生成された妄想だろうか。史料的な根拠がわからない。持ち前のフットワークの軽さを生かし、かつ馬騰との同盟を計画に入れて、劉備は、防御力がほとんどない洛陽にゆく。
ゲームでは、劉備が馬騰と吸収して、洛陽~三輔を支配権に持つらしい。ここは、『演義』っぽさを補正して、少し史実に寄せましょう。馬騰が「忠臣」として、反董卓包囲網に名を連ねたり、董承に協力したりするのは、『演義』のなかでも秀逸な改変のひとつ。これを、生かさず(無批判に踏襲せず)、殺さず(せっかくの設定を無視せず)話に絡ませたい。
関中を劉備を支配圏とするのは、ムリだから、状況を確認。
李傕・郭汜が前年に死んだが、彼らに騒がされて、荒廃している。鍾繇が秩序の回復をねらい、韓遂・馬騰と交渉したり、人質を取ったりしてる。鍾繇伝:時關中諸將馬騰、韓遂等,各擁強兵相與爭。太祖方有事山東,以關右為憂。乃表繇以侍中守司隸校尉,持節督關中諸軍,委之以後事,特使不拘科制。繇至長安,移書騰、遂等,為陳禍福,騰、遂各遣子入侍。太祖在官渡,與袁紹相持,繇送馬二千餘匹給軍。并州から、高幹の影響力が及んでおり、どちらに転ぶか分からない。史実では、官渡の戦後、高幹・郭援と、鍾繇が戦っている(鍾繇伝 注引『戦略』)。
きっと劉備は、洛陽に入るや否や、馬騰・劉焉という、李傕・郭汜と敵対した人々に支援を求める。『演義』及びSLGの設定を生かすなら、この外交に勝利するのは、劉備である。つまり、おつかい孫乾である。涼州で弁舌をふるい、劉備への協力を取り付ける、孫乾を見られる。つぎに孫乾は、劉焉から代替わりした劉璋にも、協力を求めるだろう。孫乾は、張魯に足止を食らうかも。張魯のところにいる孫乾。これは伏線になる(伏線にしよう)まとめると、関中には、初期条件で、曹操派の鍾繇(きっと途中で曹操に従う理由がなくなり、延臣に戻る)、袁紹派の高幹の使者(郭援)、そして劉備派の孫乾の三者が、協力を求めて、使者を送りこんでいる。
などと、通勤電車で考えて、ツイートでまとめた。
『三國志IX』イフシナリオ「漢の忠臣ここにあり」の思考実験をしたいです。199年秋、曹操が袁紹と戦うため北上。董承の助けで献帝は許を脱出。涼州勢力と同盟した劉備(同盟者は馬騰に限らず)が洛陽で自立。官渡戦は未決着、孫策は健在。袁術は細々と延命 #献帝脱出 お願いします
200年~203年
この前提から出発して……、
洛陽にいる献帝と劉備に、最速で食指を伸ばすのは袁紹。曹操は限られた兵力で黄河沿いに展開し、献帝の再捕獲には乗り出せない。袁紹集団は、献帝の要否、南下の是非について、史実以上に鋭く分裂。そこに合流して話をややこしくする袁術(笑)
曹操は袁紹と全面衝突するのを避けて、元どおり袁紹の部下のような位置に復帰する。荀彧は、献帝奉戴という、曹操にとっての失敗プロジェクトの責任を取り、一時的に献帝・董承・劉備のところに移籍。しかし荀彧は、曹操との関係が完全には切れておらず…いつか転換点で影響を与えるはず。
袁術は徐州で劉備に迎撃されず、青州で袁譚にハチミツをもらって穏やかに死ぬ。袁紹は洛陽の献帝の無視を決め込み、官渡の敗北なきまま、最盛期に皇帝即位。沮授ら献帝の擁立派は袁紹から離反。もしも、どこかのタイミングで曹操が袁紹から離れたら、史実で叶わなかった、曹操×沮授が実現するか。
曹操は袁紹に家族を預けさせられる一方、無敵の袁紹王朝を切り崩すために、後継者=立太子の争いを煽る。史実で曹操と結んだことのある袁譚とは、最低限の相性が見込める。史実の袁紹の所の派閥争いに、プレイヤーとしての曹操を加えたらどうなるか。一考の価値がありそう。
張繍と賈詡の動きが、史実よりも重要になる。袁紹と曹操からだけでなく、劉備・献帝からも口説かれる。荊州北部からなら、洛陽に現実的に兵を出せる。立ち回りの名人であり、長安から献帝に同行した経験のある賈詡が、劉表を巻き込んで、情勢を形づくる。イフ突入後の最初の主役はカクか。 史実の鍾繇は、関中から、官渡の曹操に軍馬を送る。このイフでは、鍾繇が曹操とつながる必然性が薄くなる。李傕・郭汜の乱後の諸勢力の利害を調整しながら、献帝の安全確保に尽力しそう。賈詡と同様、長安政権の経験者は、柔軟に対応して曹操を見捨て、史実から大幅に変わると思う。
曹操が199年末に献帝を失うと、徐州・揚州のパワーバランスが変わるはず。間接的に孫策が生き長らえる話も、不自然じゃない。「もしも孫策が死ななければ」のイフも兼ねるから、『三國志IX』のシナリオはさすが。
史実では、劉備が車冑を斬って曹操が奪回する下邳。このイフでは、命を拾った孫策が陳氏を破って北上し、下邳を取れるかも。父の孫堅が下邳の丞をやった縁で、初めて来る場所ではないはず。史実の呂布の「後継者」として、徐州に割拠する孫策。魯粛も吸収する。ありかも。
204年~206年
劉備は洛陽で献帝を保てない。馬騰を頼るも、涼州内の軍閥の抗争で彼は忙しく、外援が精一杯。賈詡を媒介に交渉し、劉表を頼るだろう。献帝は荊州に移動。朝臣の人間関係の周りに、荊州内の豪族の人脈や派閥が、雪だるま式にくっつき、史実よりも対立が苛烈に。そして諸葛亮の就職先は…?
@Miiru_K さんはいう。諸葛亮の就職先のこと考えると目頭が熱くなるのわたしだけかな。だってこの人、30近くなるまで実質ニートだったわけだし、劉備に仕えなかったら案外そのまま・・・(震え いやだ、諸葛亮の活躍しない三国志なんて三国志じゃない・・・!蜀漢が成立しない!劉備、漢中王になれない・・・!ヽ(`Д´)ノ 案外、献帝ってうろちょろしてたら三国志どころか三国鼎立難しい気が・・・荊州ってどの国も欲しがってた要所だもんなあ・・・諸葛亮は就職しようと思って行動さえすればとっくに就職して出世もできてたんじゃないかなーと考えると、蔡家の伝手もとい縁故で就職するかはちょっぴり疑問・・・しかし献帝が荊州に入ったとしたら、蔡家から(ニートでも)諸葛亮に知恵などの助力を(嫁を通して)申し込む可能性は出てくるかな?献帝荊州入りなんてトップニュースあれば徐庶やホウ統などの学友から話が降ってくることは絶対あるだろうし・・・(しかし彼が誰のどこに働きかけるかは浮かばない、少なくとも劉備ではあるまいと思う)諸葛亮の場合、伝手といえば呉に兄がいるわけで、それなりに野心があって出世を目論んで縁故採用を考えるなら、学業を終えた時点でとっくに荊州から出ていても不思議ではない(いや嫁もらったからなかなか荊州から出られなかったかもしれんけど)。やはり果報は寝て待つタイプなのかこの人。とはいえ当時、一つの国に一族の全員が存在すると、どんなとばっちりで一族郎党死罪(血族全滅)を受けるかわからんので、荊州に留まっていたのは正解と思わんでもない。ただ諸葛亮の場合、劉備に出会うまでの資料とかちょっと少ないのでなんとも・・・そこらへんIFの作りがいがあるとは言える人だ。
荊州豪族の派閥(蔡瑁や諸葛亮の姻戚ネットワーク)は、史実では大勢に影響を与えなかった。劉表の死後、曹操に一斉に吸収されたから。しかし献帝が荊州に入ったら、この派閥が天下の政治に影響を与えるかも。皇后の父の伏完はロウヤのひと。諸葛亮は、その伝手で就職して、朝臣の出世階段に挑戦するとか。
190年代前半の遠交近攻の帰結。袁紹は公孫瓚を破り、劉表は袁術を払い、もと同盟者同士が南北で二大勢力。新帝の袁紹と、旧帝の劉協に協力する劉備と劉表。おつかい孫乾が、やっと張魯から解放されて、劉璋とも同盟が成る。
袁氏連合と、劉氏連合の南北朝時代!
黄河の人士は袁紹に。長江の人士は劉協に。孫策は、劉表と結ばず(父の仇)、袁紹にも馴染まず、局外からの覇者ねらい?なんだか、袁紹・劉表とも、内部分裂してぶっ壊れそうです。
荊州に献帝を連れてきたはずの劉備は、劉表・劉琮・蔡瑁に競り負け、劉琦とともに江夏に落ちのび、孫氏との連携を探る。孫策が下邳にいるので、江南を任されてた周瑜が、劉備に利用価値を見出し、傭兵に加えて揚州・荊州の南部を攻略。第三勢力への道を探る。中原を孫策が快進撃して、長江を周瑜が遡り……という結末でいいのかなあ。
つづきます。150627閉じる