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- 種類の異なる、社会的な威信財の交換について
今週は、ぼくが去年つくった同人誌『反反三国志』の感想を、
紫電Pさん(@sidenp)に頂きました。いろいろ勉強になりました。ありがとうございました。 架空戦記「反反三国志」の感想まとめ
ご感想のなかのひとつに、こんなコメントがありました。
”ちなみに反三国志の特徴である、現代政治や軍閥、旧弊や過去の政治などへの批判要素はない。動機だけあって原作のそれはやたらとくどい代物だが、あれがあってこそ反三国志という声もある。ただ、そこまでトレースして中国ないし日本の政治と絡めると可燃性が増すのでそれは簡単ではないだろう。”
思うに、すべての文学作品は、作者が置かれた時代背景からの影響を免れることができません。無限遠方から、客観的な文章を書くことはできないのです。だからこそ、作者によっては、時代背景をなるべく排除して、色あせにくい作品にしようと努力することもあります。星新一とか。
『反三国志』は、当時の時代背景を皮肉った部分があると言われており、しかし今日(2010年代)となっては、注釈がないと理解することができません。講談社文庫の邦訳には、注釈がありません。娯楽作品だと思って手に取ったのに、元ネタが分からない政治のことが満載だったら、阻害された気持ちになる。ぼくは中華民国の歴史にうといので、楽しめませんでした。
ぼくが『反反三国志』を作るとき、はじめから、政治の風刺を含めるという計画はありませんでした。中華民国について何かコメントする気はなく(よく知りませんし)、現代日本についても「政治については、関心がない」のが正直なところです。だから、もし何らかの政治に対するメッセージが入っていたら、それは恐れながら、読者の方の「誤読」です。もしくは、ぼくの意図していないところで「生産ラインで異物が混入しました」という事態にあたります。ごめんなさい。
さっき、すべての文学作品は、作者が置かれた時代背景からの影響を免れることができないと言いましたが、これはちょっと不完全かも知れません。より厳密にいうなら、すべての文学作品は、作者の置かれた時代背景を加味して理解・分析されることを免れることができない。つまり、読者が「作者がこういう情況にいたから、こういう作品になったんだろう」と推測するのを、禁ずることができないのです。
……それならば逆に、現代だからこそ、書かれるべき(書いてしまってもおかしくない)三国志のお話を書いてみるのもいいかも。と思うに至りました。
特定の政治的な意見を広めることを目的とせず、ただの日常的な生活(おもに職業生活)のなかで養われた感覚のようなものを出発点として、企画を練ってみてはどうかと。2010年代を生きるものとして。
先週のニュースから
政治のニュースをほぼ見ないので、背景や文脈については何も知りませんが、ツイッターで流れてきたところによると、先週、政治家が「社会に不可欠であるが、負荷が高いわりに給与のひくい職業の従事者には、叙勲によって報いればいい」といったらしいですね。よく知らないですけど。
個人的なことを話すと、ぼくの父親は「新聞を読み、テレビでニュースを見て(メディアが用意した台詞に沿って)政治に対して憤る。選挙があれば投票にいく」という「常識ある大人」です。しかしぼくは、いずれの要件も欠いています。
ぼくは子供のころ、父親のつくった文化圏に属しました。テレビが街頭インタビューして、首相の名前を答えられないひとが出てくると、「なんて非常識なんだ」と軽蔑してました。しかし今日のぼくは、首相の名前について自信がないです。それほど、メディアの流す情報にうといです。最近は辛うじて(政権が長期化?しているため)首相の名前が分かりますが、顔と名前くらいしか把握してないです。
叙勲のこと、おもしろいなと思いました。なぜなら、西嶋定生が描きだした、漢代の国家に似ていると思うからです。漢代、皇帝が爵位を下賜することによって、民を秩序だてて、支配を成立させようという話です。
発言した政治家に対して、ぼくは、支持も不支持もしないです。名指しされた職業についても、関係者(その仕事に就業してるひと・そのサービスを必要として差し迫って困っているひと)が身近にいないので、なんとも言えません。
情報が少なく、自分の生活と関係が薄いので、発言の当否について、ここで何か言いたいのではありません。
カネが充分でないところを、叙勲で補おうというのは……。
昨今は(いつからか知りませんが、ぼくが物心ついたときから)「政治」の議論と、「カネの配分」の議論とが、ほぼ同義になっているようです。
誤解だったら嬉しいです。誤解でなければ、歴史的に特殊な情況ですね。さきの政治家に対しては、「カネの議論をしてるのに、矛先を逸らすな」、「勲章でメシが食えるか」という反論が、容易に予想されます(記事を探す気もないので、予想するに留めます)。実際にカネに困っている当事者は、きっと腹を立てたでしょう(そうに違いありません)。
しかし、「政治」=「カネの配分」という等式を崩したという点で、興味をもちました。ただし、その政策を支持します、という意味じゃないです、くれぐれも念のため。
社会的な威信財のいろいろ
ここで、抽象的&無責任な思考実験のレベルに、話の次元を変えてみたいと思います。思いますに、社会はカネだけで成り立っているわけではありません。
いま、201509に出版された加藤晴久『ブルデュー_闘う知識人』を読んでますが、やっぱりブルデューは面白いなあと思ってます。知識・教養・文化によって発生する威信財があります。現代日本に置き換えるなら「学歴社会」をめぐる、座り心地の悪い議論が、これに近いです。
小田嶋隆『人はなぜ学歴にこだわるのか。』という本があります。この本に、座り心地の悪さが、たっぷり表現されています。どの立場のひとが、どのような発言をしても、なんか「気持ちわるい」感じになってしまう。しかし、なぜだか、無視できない問題でもあり。
つぎに、現代日本では形骸化してますが(それとも、ぼくが排除されていて、有効性に気づかないだけか)、国から賜る勲章だって、威信財です。漢代でいう爵位に近いと考えていいと思います。
ほかに、現代日本では、職業・勤め先によって社会的な階層の分断が起きます。それは、給与の高い低いというカネだけの問題ではありません。「医者の家系」、「あの企業にお勤めなら、立派なひとだ」という、いやーなタイプのギャップです。お見合い市場(というのがあればですが)で、重視される情報でしょうか。
そうやって尊敬を集める職業・勤め先は、給与が高いことが多いので、カネの問題に集約されて見落とされがちですが、必ずしもカネの話だけではありません。
漢代でいうと、官職がこれにあたるでしょう。「祖先に司隷校尉が出た」というだけで、それが列伝に特記され、由緒正しい家になったりする。べつに在任中に支給されたカネの利息によって、子孫が潤っているわけではない。職もまた、威信材です。
さいごに、人脈・名声もまた威信財です。
この財も、もれなく昔からありましたが、フェイスブック・ツイッターによって可視化が進み、意識されることが増えたでしょう。三国志に関するゲームにおいて、名声や人徳などが数値化されたり、知人のネットワークが図示されたりします。分かりやすさが、いかにも「今っぽい」です。
カネ・文化・爵位・仕事・名声は、「持てるひと」は「持たざるひと」よりも優位に立てます。「持てるひと」は、陰に陽に「持たざるひと」を軽蔑・敵対します。
いや、軽蔑・敵対を表明するのは、だいたい同じレベルのなかで起こることで、ほんとうに隔絶していれば、上は下を無視します。上が下のことを話題にしても、下から絡まれて面倒なだけで、相互に不幸であると知っているからです。「貴族のマナー」を心得ています。
ぎゃくに下のほうは、「貴族のマナー」を知らないから、上にアクセスしようとします。そして、充分なレスポンスがないと、相手の無礼を罵ります。その罵るという動作が、そのひとを下位に定着させているわけですが……と、
こういう話題は、口に出せば出すほど「卑賎」が浮き彫りになるから、いやーなのです。だれもが、不快ないさかいの当事者なのですから。
ブルデューが生涯をかけて戦ったのも、この「いやーな感じ」でした。ブルデュー自身が、下から上に「成り上がった」という、越境者だからできた研究でした。しかしその研究は、もとから上にいるものにとっては、「余計なことを、ガチャガチャ騒ぐなよ」という性質のものでしかなく、敵をいっぱい作ったようです。
つくづく、「いやーな感じ」になりますね。ほんとに(笑)。だからこそ、社会の特徴・急所が、威信財にまつわる部分に出てくるのだと思います。身を切られる思いで、考えてみる価値があることだと思います。
異なる威信財の関係性
徐々に政治家の発言の話題に戻していきますと(←努力目標)
それぞれの威信財がもつ尺度は等価ではなく、社会によって重みが違います。例えば現代日本は、とりあえずカネがあれば、ほかを補う(補ったことにする)ことができるようです。少なくともカネをはたけば、それ以外の尺度に関して、劣等感を懐かなくてよい場所に、逃げこむことができるでしょう。
それぞれの尺度は、相互に影響します。影響の仕方も、社会によって異なります。たとえば、遭難した船の上では、1億円の札束よりも、船員と信頼関係を築けることが重要だとか、
「もしも無事に陸地に帰れたら、この札束を全部あげるから、オレを大切に扱ってくれ!」とか、そういうのって「よくある話」です。ここまで極端でなくても、カネがないと文化の素養が得られないとか(東大生の親の平均所得が高いという話がありますね)。
魏晋南北朝で、仕事(官職)と爵位との相関性が高まると、世襲の貴族制が生まれるとか。官職と爵位の相互置換が促進されて、ほぼ同一の種類の威信財として統合されると、世襲でなかった官職まで、爵位に引きずられて世襲になったりします。
ぼくが研究者じゃないから、現代日本の肌感覚にもとづいて、こんな無責任な発言をしています。後漢の霊帝が、仕事(官職)をカネで売り出しました。官僚から見れば、不当に高い値段設定であっても、着任すれば「投資を回収できる」というモデルだという解説を読んだことがあります。仕事とカネという、種類の異なる威信材のあいだで変換を起こさせた、ひとつの特徴的な関係性です。
しかし、異なる種類の威信財は、あたかも為替市場のように、
ここに書いた「為替市場」とは、カネという同一の威信財の内部における交易の比喩ですけれども、一定のレートによって、機械的に交換されるわけではありません。
分かりにくいので、実例を。たとえば「1千万円で、修士号を売ります」という大学院があったとします。当事者間は契約によって、カネと学位を交換します。しかし、学位=教養という威信財は、カネで交換できない(交換されてはいけないと、社会が諒解している)ものです。結果、何が起こるかというと、学位を買ったほうは「教養のないやつ」どころか、「カネの使い方も知らないやつ」と軽蔑され、学位を売った大学院は「あそこの学位は信用できない」と、名誉を失墜させます。
さてさて、
後漢の霊帝は、「商売人」ではないです。売位売官によって、一時的には国庫(もしくは私財)が蓄えられたでしょう。「崔烈からなら、もっとカネを取れたな」という霊帝は、クールな商売人ですが、皇帝としては「暗愚」というべきでしょう。官職の任免権という唯一の(神聖ともいえる)特権を、カネのモデルのなかに埋没させてしまった時点で、王朝の権威は失墜するしかなかったはずです。さっきの修士号をカネで売る大学院と同じです。霊帝は軽蔑され、崔烈も軽蔑されました。
異なる種類の威信財は、特定の社会的背景によって、相互に交換される。交換のしやすさ・交換のレートは、やはり社会的背景がきめる。
「交換のしやすさ」がマイナスに働くこともあって、現代日本では「学歴をカネで買う」、後漢では「官職をカネで買う」と、当事者が威信を損なって、トータルで大損をする。どうやらこれは、ルール違反だったようです。
しかし、あらかじめルールブックとか統一尺度があるのではなくて、再帰的に(行動してみて、その結果が行動の評価にフィードバックされて)交換の意義が決まっていくプロセスです。おもしろい!
カネという威信財への偏重
どうも脱線してしまいますが、話をもどすと、
現代日本は、カネという威信材に特権的な価値を与えています。「カネさえあれば、何とでもなる」、「カネがないと、どうにもならん」というかたちで、各種の威信材のなかで、カネの地位がすごく高い。
もしも威信材のあいだで、交換レートの設定があるなら、カネの相対的な価値が高く設定されている。今日の日本とは違いますが、「カネがなくとも、人脈・名声があれば(生活に必要なものは、周囲から援助を受けられるから)何とかなる」という社会は、充分にあり得ると思います。仮想的な国と時代を設定すると、「カネがなくとも、爵位だけあれば何とでもなる」という情況だって、あり得るワケです。
上にも書いたとおり、威信材のあいだの交換レートは、社会の文脈に依存します。唯一絶対のレートがあるわけじゃないのです。
先週のニュースになった政治家は、カネと叙勲(爵位)の交換レート、つまり重みのバランスについて、「庶民感覚」からズレたことを言ったから、批判を受けたのではないでしょうか。
過去に、カップラーメンの値段について「庶民感覚」からズレた発言をした政治家がいました。これは、カネという威信材(というか、まんま「財」)の内部で、レートを誤解した例です。根が浅い。しかし今回の件は、カネと叙勲のレートをまちがえたのだから、より根深くて、分析対象としてはおもしろいです。
べつに「まちがえた」ことが悪いわけじゃないです。「庶民感覚」というフィクショナルな(マスコミやネット話者が想定した)水準とズレが生じて、騒がれただけです。実際にあるのは「ズレ」だけであって、誤りではない。まあ、「庶民感覚」なるものを理解していることが、政治家としての務めなら(今日の政治=選挙制度はそうなっているので)失言にカウントされても、仕方がないのでしょう。
どうやら、叙勲のことを発言した政治家が思うよりも、「世論」は、カネという威信財を重く評価していたのです。
べつに「庶民が貧しいから」もしくは「政治家が浮き世離れしているから」こういうズレが生じたとは限りません。それほど単純な問題ではないはずです。カネがあれば何とかなる、カネがなければ立ちゆかない、という社会を、数十年かけて作ってきました。その信憑性が、今回のことを通じて、さらに強化されている、というのが現在地点です。気が重い話ですが、
こういうことを書くと、「お前はカネがなくても生活できるのか」、「事情・気持ちが分かっていない」、「不謹慎だ」という反発を食らうでしょう。そこまでは言っていませんが……と、歯切れが悪くなるのですが、これがスッキリ解決してしまえば、とっくに人間社会はユートピアが到来してます。歯切れが悪いままでいいんだと思います。
例えば霊帝の売位売官を批判した官僚が、「だったらお前が国庫の赤字を補填できるのか。できないなら、黙っておけ」と退けられるのと同型の、乱暴な議論でしょう。「陛下!官職の任命権を、カネの市場に融けこませたら、王朝が滅びますよ。安易に官職を売り出すことだけは、辞めてください。単純明快で具体的な代案なんて、ないですけど」と叫んだら、もはや狂人として寺獄ゆきでしょう。
先週「失言」した政治家は、きっとカネをたくさん持っています。しかしマスコミやネットが、「カネ持ちの政治家には、オレたちのことは分からんよ」と言えば、真実性の検証が難しい上に(発言者の底意は推測するほかない)、発言者の下賎さを露呈してしまうから、いまいち舌鋒が萎える。気持ち悪いですねー、ほんとに。
「ひとはパンのみに生くるにあらず」、かといって「パンとサーカス」だけ与えておけば満足するわけでもなく。異なる種類の威信財が、複雑に絡みあって、成員同士がプライドをかけて牽制しあい、人間社会というものができています。「いかに絡みあっているか」を分析するのは、やってみたいし、小説にしてみたいと思いますが、「この威信財に、この比率で重みを振り分けろ」という政策提言をするつもりはありません。ていうか、情報不足だからできませんし、提言しても責任を取れません。
先週のニュースは、異なる種類の威信財がであうところを垣間見た気がして、おもしろかったので、このように書いてみました。160320閉じる
- 後漢帝国という病(1)
平川克美『株式会社という病』という本をはじめ、同じ著者の『グローバリズムという病』・『路地裏の資本主義』・『消費をやめる』など、読み散らかしています。
株式会社による社会体制=後漢
三国志のことを、2010年代から捉えるとき、なにか補助線がほしい。身のたけにあった比喩があれば、理解がすすむ。三国志を、登場人物たちが属する体制(後漢)がくずれ、再生(を模索)するプロセスと捉えるならば……。今日において後漢の役割は、「株式会社」が引き受けているのではないかと思います。
特定の株式会社(たとえば、ぼくの就職先)のことを指すのではありません。そんなミクロな話、そんな職場のグチの変奏のようなケチな話、書こうと思いません。そうではなく、平川氏が見通したところの、社会の成員の大半が、株式会社に就職(もしくは経営)するのが当然となっている体制そのものを、後漢帝国に準えます。
当たり前ですが、後漢代において君主に仕えるといえば、後漢の官僚になること一択でした。春秋戦国期のような「君主を選ぶ」という言説は、流行りません。もちろん、全員が官僚になったのではなく、官職につかない豪族とか、豪族に使役される民衆とか、さまざまな「外部」があるのは心得ています。しかし、社会のおける主流とは、後漢と何らかの関係を取り結ぶことでした。
現代日本だって、全員が「会社員」ではありません。しかし、農業や漁業の従事者は減っているらしく、学校を出れば「どこ(の会社)に就職するの」と聞かれ、電車や店舗の営業時間は株式会社にあわせて決まっています。身の回りの製品やサービスは、株式会社という組織によって提供されています。
株式会社とは、資本主義と一体であり(株式会社が資本主義をささえ、資本主義が株式会社を生み)、社会のあり方を決めています。
平川氏によると、株式会社・資本主義とも歴史のあさいフィクションです。「家族」や「言語」のように、人類の起源に遡るようなものではありません。
こと日本においても、ここまで株式会社のホワイトカラーが幅を利かせるようになったのは、最近のことだと。ぼくは父親がホワイトカラーであり、初めから「株式会社」体制の社会に遅れて参加したので、現体制が自明になってしまいました。
株式会社の特異性
平川氏の本のなかで、印象に残ったところから、後漢との共通点を見つけていきます。
株式会社が特殊(アイディアとして独創的)なのは、所有と経営を分離したところにあります。
株式会社の誕生以前、自前のカネをつかって、自分で事業をするしかなかった。所有しているひとは、カネを増やしたいが、経営をしたいとは限らない。かりに経営するにしても、自分の所有する財産の規模でしかできない。経営したいひとが所有しているとは限らない。株式会社という仕組みを使えば、これが解消される。
経営したいひとは、カネを集めることができる。所有しているひとは、経営者に投資することで(自分で経営しなくても)カネを増やすことを期待できる。両者とも嬉しい仕組み。
当然ながら、所有者はカネを増やすこと(だけ)を経営者に要求する。経営者は、所有者(株主)に配当をわたすことが責務である。極端な話、どんな人を雇い、どんな商品を売り、どんな社会的な責務を果たすかは関係ない。会社がつぶれて、所有者から預かったカネを失ってしまったら、意味がないのだから。
こうして生まれた株式会社は、きわめて利己的に振る舞う。それは、経営者の品性に欠陥があるからではなく、定義からして「そういうもの」だから。
社会的責任とか環境保護といった美辞麗句は、あくまで会社が潰れない範囲での取り組みであって、会社を潰してでも善行をすることは、求められていない。
株式会社と後漢の共通点
ここから飛躍しますが(笑)
後漢という王朝は、豪族の連合政権という言われ方をします。研究史において否定・修正されているでしょうが、それは重みづけの話だと思います。豪族という「所有者」が、劉氏という「経営者」に、持ち金を預けている構造を見出しても、あながち誤りではないはずです。
後漢に限らず、ほかの王朝にも言えそうなことですけれど。豪族は、安定的な領民経営をしたい。そのためには、豪族自身に権威を与えてほしいし、戦乱を抑え、外敵を防ぎ、領土を広げ、利権を増やし……、といったことを後漢に要請します。後漢は、それに答えるために政治をする。
もともと光武帝が推戴されたときだって、「劉秀さんの人柄に惚れたから」ではなく、なかば脅しによってでした。耿純は、「天下の士大夫が、親戚や故郷をすて、劉秀に従い、戦さをするのはなぜか。皇帝に仕え、志をとげたいからだ。劉秀が士大夫に逆らい、号位を正さねば、士大夫は故郷にかえる。いちど士大夫が離れたら、もう集まらない」と言いました。
ややレトリックが入ってますが、裏読みすれば、「豪族の親族・故郷を守る役割を、皇帝となって引き受けよ」というメッセージでしょう。まるでカネ持ちたちが、手持ちの財産が脅かされた経済危機において、敏腕の経営者を見つけて、「われわれのカネを託すから、ぜひ経営に活かして財産を守り、あわよくば配当をくれ。引き受けなければ、経済界に居られなくしてやるぞ」というのに似ている。
株式会社において、株主は有限責任です。つまり、もしも株式会社が潰れた場合、株主は、自分が出資したカネを失うだけで、それ以上の(経営上の)責任を負うことはない。債務をかぶったりしない。
もしも後漢王朝が滅びても、豪族はトモヅレに滅びることはない。後漢における功績をリセットされるだけで、豪族としては存続して、つぎの王朝に仕えることができる。この後漢との距離感も、株式会社に似せて理解することができる。
ものを言う株主(=外戚)による簒奪
後漢の外戚は、建国の功臣の子孫から出る。
まるで、大株主の子弟が、会社役員に名を連ねているようなもの。カネも出すけど、口も出す。間違ったことではないが、「ものを言う株主」の弊害が大きくなると、外戚による圧政と同じことが起こるわけです。
株式会社でも、2000年代の半ば、「会社は誰のものか」という議論がありました。制度的には「株主のもの」としてウソはありませんが、それを言われると経営の現場はモチベーションが削がれる。オレたちは、配当すべき利益の製造マシンかよと。
平川氏がいうように、会社とはひとつの共同体としての側面がある。成員が相互扶助的に生きるための空間をつくる。1900年代後半、会社同士が株式を持ちあっていた。すなわち「株主」というプレーヤーの存在が、ビジネスの場に現れないように、巧みにごまかしていた。
株主は、利益を最大化するために、あたかも一個の商品のように、会社を売買します。これは株主の行動としては理に適っているが、「自分の属する共同体を売買される」経営者・会社員にとっては、たまったものではない。経営者・会社員から見れば「乗っ取り」という語法で認識される。
外戚の乗っ取り・簒奪。漢代によくある話です。
乗っ取りに直面したとき、会社員は言うでしょう。
「われわれは、現在の経営者のために働いてきたのに、株主の都合で一方的に経営者を解任するなんて、ひどい。忠誠心を踏みにじるな。というか、株主が経営者に成り代わるというなら、こんな会社、やめてやる」
王莽・梁冀・桓温らがあびた「簒奪者」という批判は、(平川氏の本が採りあげる例に従えば;古い話になるけど)ホリエモン・村上ファンドに向けられた批判と、なんとなく似てくる。
既存の王朝がもつ永続性・神秘性が、簒奪者の横暴をこばんだ……というと、いかにも歴史物語であり、ぼくらの想像力を超えてしまう。しかし、「株主が議決権を発動して、経営者をかってに解任しようとした」が、「内外からの支持が得られなかった」というトラブルだと思えば、なるほど、と理解することができる(かも)
株式会社という制度上、株式会社の所有権=株主総会の議決権をもつ株主が、だれを経営者にしようが、どのような経営方針を押し通そうが、「法的には正しい」のです。しかし、そうはコトが運ばない。
現任の経営者は抵抗するだろうし、現任の経営者のために働いている会社員も抵抗する。株主のやり口とか、発信するメッセージの内容によっては、世論までもが、株主に反発する。現在の経営陣のおかげで、一定の利益を得ている人々(後漢における、外戚以外の豪族)も、反対に回る。
やがて、ものを言い過ぎる株主(外戚)に、なんらかの刑事罰を見つけて、社会的に抹殺しようとする。同じだなー。
領土を広げるという、不可避的な要求
後漢の劉氏が、なぜ皇帝でいられるかと言えば、豪族に権威を与え、戦乱を抑え、外敵を防ぎ、領土を広げ、利権を増やし……という役割を果たすから。手っ取り早いのは、帝国の規模を大きくすること。さすれば、株主(豪族)の皆さんを、満足させられる。
たとえ史料に表れていなくとも、きっと豪族に尻を蹴られて、後漢は周辺を「開拓」する。匈奴を実質的に解体して、羌族と死闘を演じ、涼州の放棄など(いかに経済的な合理性があっても)ありえず、荊州・揚州は南方に領土をひろげてゆく(三国時代の伏線となる)。こうすることで、豪族は潤うことになる。後漢の版図は、前漢よりも狭いが、狭いからこそ、ムリをしてでも広げなければならない。
後漢の末期に出てくる「桓帝」というのは、領土を広げた君主に贈られる諡号(孫策も同じ)。よく「桓帝・霊帝」は、後漢の衰退期として括られるけど、桓帝のときに領土を広げてる。ローマと交渉を持ったり。羌族との戦いも激しくなる。
実際に領土を広げてないのに「桓帝」というなら、かなり病的に歪んだ諡号です。実際に領土を広げたなら、これが後漢にビルトインされた本性であって、休むことは許されなかった義務を果たしたことになる。
漢を支えるのは儒教の思想。同心円状に世界を認識しており、この世界は、「すでに漢化した地域」と、「これから漢化する地域」という高低差があるだけ。「ここから先は、漢化する予定がない」という外部が、明確に設定されているわけじゃない。
次に論じますが、近代的な「国民国家の国境線」と拒むという点で、儒教の思想と、資本主義のもっているグローバリズムは同じ。関税を撤廃せよ!という方向性。
後漢の拡大志向って、つねに「対前年成長」が目標として与えられ、それ以外の選択肢がない株式会社に似ています。既存の市場が飽和したら、外部に市場を開拓する。グローバリズムの名のもと、文化や政治の境界線を粉砕して、おのれの都合よく社会を均質化し、わが市場とする。この世には、「顕在化した市場」と「潜在的な市場」があるだけ。
寓話ですが、あるクツ屋が航海をして、クツを履く習慣がない民族を見つけたら、「ここでは売れないや」と考えるのは不正解。「やったあ。これから全員にクツを売ることができる、潜在的な大市場を見つけたぞ」と喜べと、会社で教えられる。寒冷地にゆけば、冷蔵庫をもたない民族がいる。要らないから。しかし、「やったあ。これから全員に冷蔵庫を売ることができる」と喜ばねばならない。ぼくが実体験で、そうやって指導されてきたので、マジ話です。ビジネス書でも、よく見かける。
出資を呼びかける株式会社は、ひとつの前提をもっている。「今年の1万円は、来年1.1万円になる」です。市場の拡大・物価の高騰・金利の上乗せなど、拡大傾向にある社会を前提とする。さもなくば、配当金を払うことができない。
平川氏によれば、人口の拡大を前提としたのが、株式会社だと。(株式会社が誕生してからの数百年において)初めて世界的なトレンドが人口が縮小する段階にきており、株式会社は存続の危機を迎える。だから、上記のようにムリにでも「外部」を見つけて、市場を拡大しようとするわけですが。
後漢もまた、「大一統」の理念のもと、天下をあまねく王朝が治めること、その範囲が広がっていくことを前提に、豪族が協力を申し出ている。豪族自身の勢力が拡大する(拡大したい)のに、王朝が用意してくれるポスト・王朝が配分してくれる社会的なリソースが横ばい・減少傾向であれば、そんな王朝に協力する意味がない。
三国時代の魏呉蜀が、異民族の統治・敵国の圧倒に不可避的に取り組んだのは、王朝とは「こういうもの」だからです。安定期に見える後漢だって、拡大への要請は同じだったはず。
次回、後漢の滅亡から三国時代、永嘉の乱までの展望を、株式会社の話から考えます。
こんなに話を散らかしてどうするのだ、という心配が想定されますが(笑)
いちおう娯楽作品に着地するメドはあります。「もしも孫堅が死なず、袁術が勝ち進んだら」というイフ物語を通じて、後漢末の時代の特性を浮かび上がらせたいと思っています。単純に勝敗を逆転させるだけでは、しょーもないので、袁術には軍事的な余裕を持ってもらい、「王朝とは何か」を省察させ、後漢帝国という病を「寛解」させた新体制=仲王朝を作ってもらいたいと思っています。160320寛解:永続的であるか一時的であるかを問わず、病気による症状が好転または、ほぼ消失し、臨床的にコントロールされた状態を指すそうです。閉じる
- 後漢帝国という病(2)
世代論を引き受けて
桓帝・霊帝のころに行き詰まって、破綻に向かった後漢。この後漢という体制を、2010年代に行き詰まっているように見える「株式会社」を基軸とした社会体制に喩えて理解し、そこから話づくりをしようとする雑文です。
ぼくは、グローバル市場と関わりのあるメーカーの経理をやったこともあり、「カネ」の問題と、それをめぐる生きづらさのようなものに関心を持っています。誇りをもって仕事に邁進すれば良さそうなのに、どこかで、犯罪に手を染めるヤマシサではないにしろ、「ひととして違和感のある」ような気持ち悪さが、職場に蔓延しているというか。
この気持ち悪さは、個別具体的な仕事内容からくるのではなく(個別具体的にもイヤなことは多いですが、いまはそれを忘れて)、平川克美氏が数々の著書で論じているような、今日の資本主義・株式会社のつくった時代の雰囲気のようなものに起因すると、ぼくは考えています。
「非人間的」というか、何というか……うまく言えませんが。社会制度における主要な参加者、体制の中枢に近い人々が、あんまり幸せそうじゃないというのは、生物として黄信号が灯っているというか。ここから、後漢の末期の空気を(誤解でもいいから)つかみとれないかという試み。
ぼくは1982年生まれで、この生年には、死ぬまで付きまとわれるわけですが(笑)この世代が描くところの三国志というのが、きっとあるはずなのです。普遍性を失い過ぎない範囲で、世代の特徴も織り込めたらと。
吉川英治は「大日本帝国の支配対象である中国のことを理解する」という目的で三国志を世に出したし、北方謙三は学生運動の経験が抜き去りがたく小説に影響をする。世代から自由ではありません。
ぼくの場合は、カネにまつわる社会制度への違和感から出発しようかと。
カネでカネを買う虚業
株式会社のプレイヤーとして、投資家(株式の所有者)がいる。要するに、カネを増やしたい、カネでカネを買いたい人々です。
平川氏によると、株式会社の事業には「ひねり」があって、必ず商品というものを媒介する。つまり、カネを増やすためには、カネをカネのまま増やすのではない(普通なら、どうやるか分からないはずです)。カネをつかって商品をつくり、商品を売ってカネを増やす。商品というものを迂回した活動である。
もし、この過程をすっ飛ばすと「虚業」となる。実体がないのに、カネもうけをしては頽廃していく。リーマンショックは、「虚業」への偏重の危うさがもたらしたものだと。
原初において経営者は、商売(商品の提供)がしたい者だったはず。経営者が、商品を取り扱うことは当然に見える。
しかし所有者から見れば、商品への迂回はムダに見える。カネがカネのままで増えるなら(カネを「商品」とした金融資本主義が成り立つなら)そちらのほうが、サイクルを回すのに余計な時間がかからないから、魅力的に見える。
……しかし、そういう「実業」を遠ざけたカネ遊びは、経済活動の本分から外れると。全員が「虚業」を始めてしまえば、世間は立ちゆかなくなる。「実業」に従事する大多数がいるから、「虚業」が成り立っている。サブプライムローンだって、住宅メーカーがいなければ、そもそも発生しなかったわけで。住宅メーカーは「実業」です。
官職と、統治の功績を媒介とした関係
後漢の話をすると、『白虎通』は、皇帝が官僚を任命する。官僚は、民をよく統治して、功績を積むことによって皇帝に報いなさいと書いてある。つまり、皇帝と豪族の関係は、官職・民政というものを媒介して、取り結ぶことが定められています。
経営者=統治者である劉氏が、民政をやるべきだと考えるのは、それほど不自然ではない。というか、それをやりたくないなら、とっとと退場すればいい。
豪族は、おのれの権益だけを欲するならば、「王朝はオレに権威を付与せよ。そしたら、家政がやりやすくなるから」、「王朝はオレにカネをくれ。皇帝に推戴してやったんだぞ」と言えばよいだけだが、そうはいかない。官僚に任命されて、民政に参加して初めて、フルメンバーとして認められ、権威・カネを与えてもらえる。
後漢末の分裂期になると顕著ですが、皇帝(為政者)は、行政サービスの提供者であり、豪族・住民は、行政サービスの「お客様」です。「お客様」は、あたかも資本主義の市場のように、サービス提供者を選ぶことがある。地方官を追い出したり、逆に引き留めたり(一銭取りの太守)、逃亡したりする(長江の流域の住民は、曹操から孫権に逃げました)。
豪族は、皇帝(為政者)から任命されて行政サービスを担ったり、ぎゃくに在地ではサービスを受ける(悪い官僚がきたら抵抗する)立場を演じる。
まるで資本主義において、株主も会社員も「消費者」の一員に違いなく、株式会社にとっての「お客様」であるのと似ている。同一の人間は、一種類の役割のみを演じるのではない。ひとり何役もこなして、商品を媒介とした経済活動に参加する。
ここを図式化して「完全に一致」とまでは、言えませんが。
資本主義において、商品を媒介とした「実業」が行われているうちは、社会が崩壊するような暴走は起こらない。
しかし株式会社とは、平川氏曰く、人間の利己的な欲望を、社会的に承認してしまった機関です。節度ある大人なら、利己的な欲望を剥き出しにして、相互的な人間関係を拒否すれば、孤立することを知っている。しかし株式会社という「法人」は、そういう節度を持たなくても、そのことによって糾弾されない。むしろ、きちんと欲望の奴隷にならないと(利益を出し続けないと)糾弾される存在である。結果として、商品の媒介を非効率だと切り捨て、カネをカネで買うような「金融資本主義」に移行して、社会を崩壊に導く……かも知れない。
後漢において、官職・功績を媒介とした「統治」が行われているうちは、社会が崩壊するような暴走は起こらない。しかし王朝・帝国とは、豪族が一族の保全・繁栄のために、皇帝を担ぐという約束をした機関です。
節度ある豪族なら、利己的な欲望を剥き出しにして、ほかの豪族と敵対し、民から過剰に搾取すれば、孤立することを知っている。しかし後漢帝国という「法人」のなかでは、そういう節度をもたなくても糾弾されず、
ここの比喩のあてはめ方が、甘いですね。後日の課題とします。むしろ王朝の一員として権力抗争をすることが助長されることもあるでしょう。
定義において「欲望を実現する機関」という烙印が押されている以上、タガが緩んだら、暴走を拒ぐための装置(株式会社なら「よい商品を通じた商い」、後漢なら「儒教に基づいた善政」)を迂回することなく、欲望にむけて突っ走ることになる。
もっといえば、皇帝による王朝というのは、戦国秦が敵国を滅ぼしたあと、その地を支配するための機構でした。欲望のために、暴力的になるのは当然です。株式会社は(平川氏によると)イギリスのいかがわしい詐欺まがいの集団から始まって、社会を混乱させるものだからと、禁止されていた時代もあったそうです。金融資本主義の暴走は、その嫡子ではないかと。
起源から刻まれた欠点・胡散くささは、どれだけ飾ったところで、消えるものではない。むしろ、巧妙に仕組まれて、どんどん弊害を拡大させる傾向がある。きっと王朝にも。
霊帝が官職を大々的に売り出した愚
平川氏が網野善彦を紹介しているように、商売とは、神仏の場で行われることだった。いちど、無縁の場にものを投げ出して、そこで交換を行う。今日、神仏を締めだして、人間だけで商売を完結させているのは、特殊な状態だと。
平川氏はコンビニを例にとる。コンビニは沈黙交易ではないかと。コンビニ店員とコンビニ客は、たがいに関わりを持たない人間で、レジ台(無縁の場)に商品を置くと、表示された金額を、無言で置いて持っていくだけだと。少なくとも、かつて路地裏で、顔見知りが商圏を循環させていた商店街よりは、沈黙交易に近かろうと。
コンビニの話の当否はともかく(笑)、
後漢において皇帝が官職の任免権を与えられているのは、神仏ならぬ天の委託を受けたからと、『白虎通』で構想されています。人間が人間に役割を与えるというのは、官僚組織では当然という思い込みがあるが、果たして本当に当然なのか。なんで劉氏の命令を聞かなければならんのか。そういう疑問を解消するのが、天の思想です。
今日、商売が「俗化」して、神仏の姿が見えないのと同様に、官僚機構も「俗化」することで、天が見えにくくなった。いや「俗化」したからこそ、天という存在が儒教によって、きちんと唱えられなければならなかった。
『白虎通』において、「天→天子=皇帝→官僚→民=天、天→天子」という循環が規定されています。民に善政を施すことは、天に報いることだというフィクションがあるから、皇帝は豪族を官僚を任命できるし、豪族は民を統治しなくてはいけない(もしくは、天のおかげで、縁もゆかりもない民のことを、統治できる)。
市場で等価でないものを交換するとき、王朝で自明でない関係性を起動するときには、どうしても、神仏とか天とか、そういう人間ならざる存在を想定しないと、うまく回っていかないようです。
官職の任命というのは、『尚書』で尭舜禹の故事が述べられており、どこか神秘性・宗教性が漂うものでした。こういう信仰が生きているうちは、人間は節度を失うことがなく、みなが信徒もしくは思想家として振る舞う。
ところが後漢の霊帝は、カネで官職を売ることを大々的に始めた。つまり、「皇帝が豪族を官僚に任命して、恩を与える」とか、「官僚は善政をして功績を積み、皇帝に報いる」とか、「皇帝は功績ある官僚に報いて、さらに上位に任命する」という贈与のサイクルを壊してしまったのです。
結果、王朝における官職は、単なる利権と化して、あくなき欲望レースにおける油揚げになった。霊帝の判断は、財政上は「合理的」であるが、その合理性ゆえに、儒教のもつ歯止めがなくなった。共有していたフィクションが崩れてしまった。
まるで、商品を媒介としない、金融資本主義のなれの果てのように。
このページの最初に書きましたが、異なる種類の威信財(カネ資本・官爵資本)は、相関性があるにせよ、気軽に変換してはいけないものでした。それぞれ、べつの原理が働いており、べつの権威の源泉があり、べつの暴走を拒ぐシステム(価値の暴落を拒ぐ知恵)がセットされているのに。
実体ある商品をすっ飛ばした商取引と、善政という目標をすっ飛ばした官僚の任免。どちらも、その種類の威信財がつくっている秩序をぶっ壊すような、やっちゃあいけないことだったのではないかと。
会社における人事考課のこと
年度の変わり目ですね。人事考課の季節です。
平川氏が「査定者」の経験に基づいて論じるには、どのような査定をしても、それは満足されないということ。いったい査定者は、なんの権限によって(いかなる洞察をもつ者として)査定をするのか。ひとがひとを査定するということが可能なのか。
ぼくは会社生活において、おもに査定される側として思うに、ひとがひとを査定するのは不可能です。平川氏が言うように、成果があるとして、どこまで「そのひとの給与に上乗せすべき功績」なのか分からない。成果がなかったとして、どの部分が、そのひとの怠惰・無能のせいなのか、誰か教えてください(笑)
後漢においても、官僚の人事考課がありました。皇帝には、官職の配分の公平性が、求められていたはずです。言ってみれば、損な役回りです。どのように判断しても、誰からも怨まれるのですから。
後漢の皇帝権力を安定させたくとも、官職を公平に配分することはできません。だって(ぼくの経験に照らして、大切なことだから、何度も書きますが)どうやっても、どこかに怨みを残すのですから。
すると皇帝権力を安定させるのは、官職の配分が不当でも、皇帝には責任がないという信憑性を、どれだけ演出できるかです。……という論理展開もあり得ますが、いまいちなのでボツです。
現代の会社では、「同輩からの評価」とか「部下からの評価」とか「取引先からの評価」とか、評価の主体を拡散させて、「客観的な評価」を試みる会社が多いようですが、そんなのは責任回避です。評価にともなう不満を分散させて、責任の所在を曖昧にしているだけです。ほんとの客観性なんて、あり得ないことは、ちょっと科学のことを囓れば分かるし、ほんとに客観的な査定があるとしても、やはり怨みを残します。年功序列は、予めルールを開示しておき、「みなが公平に理不尽を味わう」ので、あれはあれでアリでしたが、もう後戻りはできません。
後漢と豪族の関係は、官職の任免によって成り立っているとしたら、極めて危ういと言わざるを得ません。任免が不当である、不公平であるという雰囲気になれば、根幹に関わる危機です。党錮の禁は、「課題のひとつ」どころか、滅亡の原因そのものでしょう。
株式会社は、市場の評価(商品を買ってもらえるか)によって存否が決まります。うまく商品を媒介としたコミュニケーションを、他者と築けるかが、存続の条件でした。つまり、だれも商品を買ってくれなくなったら、すぐに倒産です。
官僚の任免が不公平な(という言説が盛んになった)後漢は、豪族との関係において、とっくに「倒産」すべき情況だったと思います。
うーん。株式会社における「商品の売買」と、後漢における「官職の任免」は、似ていますが、ちょっと概念の階層が違うような気がして、もうちょっと詰めないとダメですね。
岩井克人『会社はだれのものか』
平川氏が参照しており、ぼくも読んだことがある本。
株主が、法人としての会社を所有する。法人としての会社が、会社資産を所有する。こういう2階建ての構造だと。つまり、株主が、会社資産を所有するのではないと、言いたかったんだと思います。
豪族が、フィクショナルな存在としての後漢王朝を所有する。フィクショナルな存在としての後漢王朝が、天下万民を所有・支配する。こういう2階建ての構造から、なにか言いたいけど……、この件は、まだ考え中です。
ぼくにとっての「当代の生きづらさ」を、後漢にあてはめていく作業は、まだ思いつきの羅列の段階ですが、徐々に書き足して、筋道を付けていければと思います。160320閉じる
- 官爵資本をめぐるディスタンクシオン(1)
病的なまでに、官爵を授受する人々
平川克美氏の本を読んで行き着いたのは、現代日本がおかれた、株式会社を主流とした社会体制というのは、「商品」を迂回することによって、人と人とが関係を取り結んでいるなあということ。「商品をカネで買う」という、特異で面倒くさい手順を、まるで精神病の患者のように強迫的に噛ませないと、気がすまないらしい。
ブログひとつ運営する(自分が書くのではなく、あくまで「運営する」)ためには、運営者がライターを募り、ライターが……という、「商品をカネで買う」という動作を何重にも行わねばなりません。その迂回によって、メリットもある反面(きっとあるはずです)、おおくのミスマッチ・品質の低下・不思議な反発などが起きています。「商品をカネで買う」モデルって、限界があるなあと思ってしまったりします。
「商品をカネで買う」こと自体が「悪」なのではなくて(貨幣は、むしろ人類学的な叡智です!)、なんでもそれで済ませようとすると、おかしくなるなあという話です。
現代のぼくらが、病的に「商品をカネで買う」ことに熱中するように、後漢末のひとびとは、人と人とが関係を取り結ぶときに、しつこいまでに「官職の任命」・「爵位の封建」をやっているなあ、というのが、ぼくの直感です。
現代日本だって、学校や会社に所属しておれば、役職の任免はつきものですが、それが人間関係の主流を占めているとは思えない。数ある社会的な関係の要素のひとつです。後漢末のひとびとが、役職の任免に「熱中しすぎ」であることに、ぼくは違和感(理解のためのヒント)を見出すわけです。
ブルデューが資本と呼ぶもの
上でも書いたように、加藤晴久『ブルデュー_闘う知識人』を読んでます。本は、同時に5~10冊くらい読むので、頭のなかでアイディアの混合が起こります。
202ページから「ブルデューが資本と呼ぶもの」という節があり、ブルデューの学説が紹介されておりますが、これと、これまで書いてきた、株式会社・カネの話とのあいだに「化学反応」が起きそうなので、思うところを書いておきます。
「文化資本」という概念は、広辞苑に載っている。「言葉使い・振る舞い方・知識・学歴・資格など、個人が身につけていく文化的な特性。上級階級の出身者ほど獲得しやすい」
資本であるから、蓄積・投資・運用・移転(継承/相続)の対象となる。そして利益を生み出す。_203
ブルデューによると社会とは、支配・被支配の力関係の場である。力関係を左右するのは、経済資本の多寡だけではない。社会的出自・学歴・教養など、非経済的な要因も重要である。統計的に確認することができる。_203
資本は、3種類あり、それぞれ亜種がある。経済資本・文化資本・社会資本であり、これに象徴資本を加える必要がある。
象徴資本とは、3種類の資本それぞれが、その資本固有の論理を認める知覚カテゴリーをとおして知覚されたとき、
ぼくなりに言い換えると、ある強みをもったひとが、その強みについて「違いが分かるひと」のなかに身をおくとき。その強みを(へんなヤッカミや屈節なしに)素晴らしいと思ってくれる場にいるとき。「ほお!たしかに、すごいね」と、自然に言ってもらえるとき。つまり、ブルデューなりに言い換えると、その資本の所有と蓄積の恣意性を見て取られないときに表れる形態のこと。
ぼくなりに言い換えると、「ほお!すごいね!」と素直に感歎してもらえるとき。つまり、「カッコつけるために、わざとあんなことしてるんだ。だせえなあ!」などと、悪口を言われないとき。「あいつカッコつけてるけど、何がすごいのか分からん」と、拒否られないとき。
経済資本は、改めて述べなくても分かるでしょう。
文化資本は、身体化された状態・客体化された状態・制度化された状態の3種類で存在します。
社会資本は、個人ないし集団がさまざまな人間関係、認識と認知の関係の持続的なネットワークをもっていることに由来する、顕在的ないし潜在的な資源の総体です。
資本の種類(タイプ)と様態
◆経済資本(カネ)
経済資本は、社会空間における、個人ないし集団の位置に対して、主要な役割を果たす。この役割は、経済資本が、文化資本・経済資本にも返還されうることから、ますます重要である。_204
ぼくが後漢を捉えようとするとき、カネに目を奪われすぎてはいけない。後漢の皇帝・外戚・群雄も、「いちばんの、おカネ持ちになるために闘争していた」と考えたら、今日的な価値観を投影しすぎていて、全然だめです。霊帝の財政再建策が評価できるから霊帝は名君だとか、曹操は経済政策に成功したか群雄のなかで頭抜けたとか、ちょっと短絡的です。
しかし、偏向を是正しようとするばかり、カネの役割を過少に見積もってもいけない。霊帝のとき国家財政はピンチだったはずだし、羌族との戦いの出費はマジでヤバいと議論があるし、政治が腐敗したのはカネの問題でもあるし、
少なくとも、『范書』などの史料が宦官を罰するときは、カネの話に単純化して罰します。カネに貪欲だから批判されるという以上に、カネという価値尺度に重点を置いたことを(メタな視点から)批判しているような印象を受けます。清貧・施与が美徳とされるのは、その前提としてカネに魅力(ないしは権力)があるからだし、累世三公の袁氏は巨富が特徴だと特記されるし(『范書』袁隗伝)、群雄はカネがないと戦いを継続できない。
「カネは、ほかの資本に転化できる」というのは、ブルデューのいうとおり見落としてはいけない。しかし、20世紀を分析しようとしたブルデューの言説からは、いくらか有効性・重要性を割り引くべきでしょう。
ただし、生産基盤を所有した豪族は、やっぱり強いか。
◆文化資本
家族から受け継ぐ、あるいは学校教育によって生産される、さまざまな能力。文化資本は3つの形態で存在する。
身体の持続的傾向。たとえば、人前で淀みなく発言できる能力、クラシック音楽を鑑賞する能力。上層階級のものとされるスポーツの魏脳、あるいは学歴・教養など。
『范書』で、更始帝が「皇帝の不適格者」として描かれるとき、「人前で淀みなく発言できる能力」がないことが敢えて記されている。客体化した資本とは、絵画とか蔵書、情報処理機器など、文化的財。
制度化された資本とは、諸制度、とりわけ国家によって社会的・公的に認知された財。たとえば出身校・学位、各種の資格や身分。
ブルデューのいう「学歴資本」「言語資本」は、文化資本の亜種。
経済資本を投下できる(ヒマをつくれる)ひとが、文化資本を獲得できる。こうして経済資本が、文化資本へ転換される。
文化的財それ自体には(経済資本とちがって)普遍的な価値がない。帰属する集団・階級によって特殊的である。
階級や階級闘争の消滅が言い立てられる中で、ブルデューは経済資本に代わって、文化資本によって構造づけられる階級社会・階級闘争を記述した。『ディスタンクシオン』は、『文化資本論』である。
さて、ぼくがブルデューに興味をもったのは、渡邉義浩先生が引いていたからです。文学による儒教の相対化とか、皇帝から独立した文化価値とか、なるほど!と思ったものの、いまいち後漢末から三国時代を分析しきれていないような気がしました。ブルデューのいう文化資本(+つぎに説明される社会資本)の階級闘争によって、後漢は滅び、袁術は転び、漢魏革命・魏晋革命へと時代が移っていったのか。そう言えるような気もするけれど、それ以外の言い方もあるような気がする……と、もやもやしてきました。
三国志の分析に対して、「ブルデューを使うのはまちがっている」ではなくて、「もっとうまくブルデューを使えないか」というのが、ぼくの一貫した問題関心です。
順番に書いていきます。
◆社会資本
個人や集団がもっている諸社会関係の総体。より豊富な、経済資本・文化資本の所有者との、広範かつ密接な関係ネットワークを構築すれば、みずからの社会資本が増大する。
社会資本を獲得・蓄積するためには、社交性が必要である。威信のある団体(商工会議所・ロータリークラブ)の会員になったり、ホテルやレストラン・自宅で誕生会・祝賀会・夕食会を催したり、ハイランクのゴルフ場でプレイしたりなど。
著者の加藤氏の整理の仕方のせいかも知りませんが、さきに経済資本があり、これで文化資本で買い、これをもとでに社会資本を取りにいく、という時系列のような説明になってます。
ブルデューは、きっとそんなことを言っていなくて、相互に影響しあうこと、さらには影響の仕方が影響しあうこと、などを説いているのだと思いますが、ひとまず措きます。
ブルデューは社会資本の亜種として、「政治資本」を語ることがある。労働組合が重要な役割を果たすスウェーデンで、組合で占めている位置のおかげで、経済資本と同じくらいの特権・利益を得られることがあるなど。_206
……さあ、だんだん後漢の話になってきましたよ(誤解ですけど)
後漢の後半、太守などの官職にあることは、政治資本でした。政治資本をめぐって、闘争が行われました。宦官が子弟を太守に送りこみ、財産を築いたのは、政治資本を経済資本に転化した例です。
政治資本は、スタンド・アローンで存在するのではなく、社会資本(社会関係資本)の亜種というのが重要です。社会資本とは、ひらたくいえば「世間とのつながり」であり、人脈やコネなどに単純化されがち。しかしそうではなく、後漢という社会制度が、官職にあることによって生じる利権のありかた(どのくらい/どのようにして有利か)を決定づける。後漢のおいて、社会関係資本の亜種にすぎない政治資本が、あたかもそれを独立させて分析する価値があるがごとく、重要なものと見なせるか。
ぼくはこれを「官爵資本」と名づけます。
官爵資本の持ち主として、累世三公の汝南袁氏を念頭におきたいが。汝南袁氏よりも顕著に、もっとも官爵資本の恩恵を受けているのは、南陽の劉氏(皇帝の家)です。汝南袁氏は「天下に門生故吏がいる」といいますが、南陽劉氏は「天下に勅任官の経験者がいる」わけです。フラクタルの構造。三公が独自の任免権によって故吏のネットワークを築くよりも上位に、皇帝が独自の任免権によって官僚のネットワークを築いています。
後漢末の官爵資本をめぐった闘争は、あたかも袁紹・袁術・曹操が競っているように見えるが、それは漢の正統性を自明とすることによって「見落とし」が起きています。
南陽劉氏・汝南袁氏・沛国曹氏などが、同じルールのなかで、レースを競っているのです。だれがいちばん官爵資本をめぐってディスタンクシオンできるかというのが、漢魏交替期の実態です。
これが創意(新しいアイディア)です、この記事の。
加藤氏のブルデュー解説にもどると。
社会資本とは、人脈とかコネであると、有り体に言ってしまうと叱られる。
社会資本という概念を構築することは、この特殊な資本が、蓄積・継承・再生産される論理を分析する手段、この資本がいかに経済資本に変換されるか、また逆に、いかなる経過で経済資本が社会資本に返還されうるかを理解する手段。さまざまなクラブ、あるいは要するに、一族(ファミーユ)――社会資本の蓄積・継承の主たる場である一族――など、諸制度の機能を理解する手段を作り出すことでした。
ふたたび後漢のこと。社会資本の蓄積・継承の主たる場である一族とは、汝南袁氏の例を持ち出すのはケチです。南陽劉氏を筆頭において、南陽劉氏をまきこんだ闘争として、漢魏交替期を分析しなければならない。もっとも「ファミーユ」として力を持っていたのが、南陽劉氏ですから。
こうやって「南陽劉氏」を、たかが一個の、群雄のなかのワン・オブ・ゼムとして、プレイヤーの座に引きずり下ろすことは、ものすごく新しい知見を誘発する。「引きずり下ろす」というのは、彼らの権威を認めないという(あたかも後漢末の当事者として発揮する)政治的な態度のことはなく、そういう分析者の視角を、ぼくが獲得するということを意味します。
袁術は、漢の官僚として栄達したのに、漢を否定したから自家撞着を起こした。これは、渡邉先生の分析でしたが、「もっとブルデューを活用」すると、べつのことが言える。官職の発行者(官職を発行するというかたちで、士人と関係を取り結ぶという戦略の採用者)として、南陽劉氏と汝南袁氏は、対等の戦いを挑んだ。「のれん分け」を試みて、本家につぶされた。
貨幣は、なぜ貨幣であるか(話は飛んでません)。岩井克人いわく、「貨幣として受けとってもらえるから、貨幣は貨幣である」。この循環論法によってしか、貨幣は自己の存在を根拠づけることができない。つまり、官職はなぜ官職か。任命を受けてくれるひとがいるから、官職なのです。そうでなければ、妄言なり、紙切れ(もしくは木片)です。
自分の発行した任命状を嘉納してくれる人がどれだけいるか。どれだけ優れた資本(経済・文化・社会の総量で判定/期待されます)をもったひとが、どれだけ多くの人数いるか。という闘争において、敗れたのです。
霊帝は、政治資本を経済資本に変換しようとした。目先、転化は成功したかも知れない。しかし、異種の資本の変換は、同一の資本の内部でおこなう交換と異なる。変換によって、資本の総量が減ることもある。何度も書いてきたことです。
たとえば、経済資本と文化資本の交換は、慎重にやらないと、転化という行為によって資本の総量を損なう。「カネにものを言わせて、価値が分かりもしない(と周囲から思われているひとが)名画を買いあさる」とか、軽蔑されちゃいます。董卓・李傕は、南陽劉氏のもっている政治資本を借りて、おのれの資本に移転させようとした。短期的には、董卓・李傕に政治資本が宿ったように見える。李傕・郭汜は、献帝という政治資本の「株券」をめぐって、「株券」を壊しそうになるほどの闘争をした。その闘争の仕方によって、政治資本の借用者としての資格も失った。
いかん、ブルデュー解説に戻りましょう。
社会資本とは、常識的な意味での「人脈」とは別のことです。人脈なるものは、社会資本のほんの一面に過ぎません。いわゆる「社交界の交友」、フィガロ紙とかヴォーグ誌、ジュールドフランス誌などの社交界手帳欄が伝える消息は、「有閑階級」の無為な生活の典型的習われ、あるいは裕福な連中の「これ見よがしの浪費行動」とふつうは考えられています。
曹騰が築いた(張奐などの)人脈は、社会資本のほんの一面に過ぎません。三公九卿の人名表は、霊帝期において、裕福な連中の「これ見よがしの浪費行動」と見られがちです。曹嵩がここに名前を登録したのは「浪費行動」と、考えられがちです。しかし社会資本の概念を導入することによって、これが実は、社会的な労働の特殊一形態であること。――金銭や時間の支出と、固有の能力を必要とする、そして社会資本の単純再生産(あるいは拡大再生産)を保障することを目的とする社会的労働であることが、明らかになるのです。
わざわざ曹嵩が、高官や宦官らに煩瑣な根回しをして、一億銭を支出して、太尉の位を買ったことは、沛国曹氏の社会資本(政治資本)の再生産を保障すること目的とした、「社会的労働」にカウントして宜しいと。
象徴資本
他の種類の資本とくらべて特殊な資本。この定義をみる前に、ブルデューが頻繁に使う「象徴的」という語の意味あいに注意する必要がある。
よく「物質的」「金銭的」の反対の意味につかう。経済資本に対抗させて「象徴資本」ということが多い。このときは、象徴資本=文化資本+経済資本となる。_207
そうでなく、固有の意味での「象徴資本」とはなにか。
経済資本・文化資本・社会資本、どんな種類の資本も、それが明示的あるいは実際的認知を獲得するとき、つまり、その資本が生み出された空間と同じ諸構造にしたがって構造化されたハビトゥスからの認知を獲得するとき、
経済資本なら、きちんとカネの価値がカウントされ、そのカネが役に立つような場で、カネによって権力を発動できるとき。
文化資本なら、たとえば将棋のことが知られ、将棋が強いことが尊敬の対象となる場において。将棋のことなど知らない集団のなかで「木片を動かす遊びができても、クソの役にも立たんぜ」言われてしまうような異文化のなかではなく。
社会資本なら、築いた人脈が、きちんと役に立つ(自分を卓越化させてくれる)ような場において。日本と経済交流のない孤島で、日本の政財界の名刺を見せびらかすような場合ではなく。名刺が「印籠」となる場合において。象徴資本として機能する傾向性(程度の違いがあるが)を持っている。厳密には、資本の象徴的効果と言うほうがよいかも知れない。
言い換えれば、象徴資本(地中海沿岸の諸国における男の名誉、地域有力者はるいは中国のマンダリンの名望、著名な作家の威信など)は、資本の個別的な種類ではなく、すべての資本が資本として、すなわち(現勢的あるいは潜勢的な)搾取の力・権力・能力として認識されなくなったとき、したがって正当と認知されたとき、象徴資本となるのである。
経済・文化・社会の資本が、それが有効に機能する場であることは前提であるが、しかし、個別に認識されることなく、効力を発揮したとき。
たとえば、「カネがあるから、彼は偉い」・「学歴があるから、彼は偉い」・「人脈があるから、彼は偉い」という仕方で認識される「彼」は、たしかに卓越性を有しているが、凄さは中くらいなのです。
それらが総合されて、「彼は彼だから偉い」という認知のされ方をしたとき、はじめて象徴資本に昇華したといえる。ただし、見ず知らずの「彼」が現れて、いきなり象徴資本的に(「彼は彼だから偉い」という仕方で)尊敬を集めて、パワーを得ることはムリです。やはり、カネ・学歴・人脈というものがあって、しかしやがて「これ見よがし」でなくなるプロセスをきっと経て、象徴資本の段階に至るのでしょう。
……なんて、ブルデューの解説本に書いてないのですが、きっとそういうことです。
より正確に(ブルデューが)いえば、資本は、それを記号として、重要性の記号として知覚するように性向づけられたハビトゥス――すなわち、その資本に適合しているがゆえに、それに認知を与えるように仕立てあげられた諸認識構造との連環で、それを認識し、認知するように性向づけられたハビトゥス――との関係のなかで、象徴資本として存在し、作用するのである。
そして、たとえば「正直は、最良の策」という確認=教訓が示唆しているように、利益をもたらす。
力関係を意味関係に変換したところの(変換の所産である)象徴資本は、重要性と意味との不在である無意味から、ひとを救い出す。
南陽劉氏に備わった象徴資本
ええと、ブルデューからの引用箇所は、やはり難しいので、南陽劉氏の話に置き換えて、理解しましょう。
南陽劉氏のもっている政治資本(ぼくのいう「官爵資本)は、象徴資本の典型例といえましょう。
これが権力を発揮するためには、「劉氏はカネ・人脈・兵力がある」という光武帝期のプロセスが必要です。そして、「光武帝が偉いことが分かる」人々のなかで、光武帝は偉い存在として君臨します。
後漢の官僚たちは、家庭環境・教育課程において、南陽劉氏が偉いと思うことを、性向づけられる(ハビトゥスを身につける)。そのなかで、「南陽劉氏は偉いなあ」という認識は、再生産されていく。
官僚たちは、南陽劉氏が発行する官職によって、彼ら自身も卓越性を身につけてきた、同じ文脈・利害関係に属する人々です。解説本の著者である加藤氏のいう「同じ資本の持ち主である他者」です。
官僚たちが「南陽劉氏は偉い」という知覚・評価の図式を身体化して、南陽劉氏がもつ政治資本の権力性を「正当である」と認めたとき、その資本がもたらす利益、つまり認識・認知のレベルにいける社会的重要性(尊敬・栄誉・称賛・名誉・信頼・信用など)を象徴資本と呼びますよと。
つまり後漢末期は、「南陽劉氏の政治資本は、正当なものだから、これを象徴資本に登録しましょう」という合意がある時代です。というか「合意がある」というのは、分析者の言い方であって、当事者たちには、ハビトゥスとして身体化しているから、意識すらしない。むしろ、このハビトゥスに叛くことがあったら、本能的に反発する。その反発をもって、はじめて意識にのぼる(当事者たちは、さぞかしビックリしただろう!)。身体化されているとは、そういうことです。
この南陽劉氏の政治資本を承認して、再生産を手助けしてきたのは、官僚群です。その官僚群のなかに、汝南袁氏がいます。袁術は、彼なりに情況を分析して、「南陽劉氏の象徴資本は、もはや象徴資本として機能しないな」と見極めたから、皇帝即位について、臣下に打診したのです。
袁術がミスったのは、不忠だからでも、自家撞着を起こしたからでもなく、資本の総量について、見積を誤ったからです。献帝の生死(李傕に曹陽で殺されたという誤報から、袁術の皇帝即位プロジェクトは始まった)は、数ある要素のひとつですが、決定要因ではない。献帝が死ぬことで、南陽劉氏の資本が減るという見通しがあったが、じゃあ献帝が生きていたら、南陽劉氏の資本は安泰かというと、そうではない。やはり、洛陽に漂着した献帝は、かなり資本を使いこんだ、もしくは負債まみれの存在でした(少なくとも袁術の目から見たら)。
ゆえに、袁術は政治資本を、象徴資本に昇華させようと試みたわけで。
ルイ十四世の比喩と、南陽劉氏
ブルデュー曰く、ひとがルイ十四世の前で身をかがめてる、恭しく振る舞う、国王が命令を下すことができ、この命令が実行される、国王が臣下を降格させたら昇格させたりできるのは、象徴資本のおかげです。
象徴資本は、つぎの状況のもとにおいてのみ存在するものです。
宮廷生活を構成している儀礼と順位における、立ち居振る舞いと衣服における、ありとあらゆる小さな差異が、すなわち、差異化=卓越化(ディスタンクシオン)の微細な兆候が、ある差異化原則――すなわちそれらの差異を認知することを可能ならしめ、それらの差異に価値を認めることを可能ならしめる差異化原則――を、実践的に認識し認知している(つまり身体化している)者たち、一言でいえば、しきたりにかかわる些細な問題に、命を懸ける覚悟がある者たちに知覚されている限りにおいてのみ、存在するものです。象徴資本は、認識をもとにした資本です。認識と認知にもとづいた資本です。
ぼくはここまで読み進める前に、象徴資本の解説を読みながら、南陽劉氏(←後漢末に定点カメラのあるぼくは、今までこんな「不遜」な呼び方をしたことがなかったが、彼らもプレイヤーの一人なので、こう呼びます)のことだと思っていました。案の定、ルイ十四世が出てきたので、やっぱりな、と思いました。この話が、いけると思いました。
ブルデューは、儀礼と順位、立ち振る舞い・衣服の差異をあげています。外部者・異文化から見れば、べつに意味のない差異ですが、当事者たちは、それに命を懸ける。これって、爵位のことですよね。
個別の経済資本・社会資本・文化資本に還元することのできない(還元するルートを閉ざすことで神秘化された)象徴資本として、爵位=天子。
天子という爵位には、おなじ人間の別の顔として、「皇帝」という権力を振るうことも許されており、これが政治資本であるところの官職の任免権をふるわせる。これは、汝南袁氏の「天下に門生故吏」どころではない、稀有で莫大で唯一の政治資本となって、南陽劉氏に蓄積される。
漢の時代が長期化すれば、これもまた象徴資本に登録される。
後漢末の闘争は、南陽劉氏がもっている象徴資本を、いかに個別の種類の資本に解体できるか(聖から俗に引きずり下ろせるか)、いかに資本を奪うことができるか、という仕方で行われました。
曹操の漢魏革命も同じです。経済資本については、董卓が洛陽を破壊して、群雄が領土を切りとった時点で、南陽劉氏から去っていました。文化資本は、祭祀というかたちで劉氏が持っていたが、革命の可否を決する主要因になったとは思えない。むしろ、遼東の公孫氏とか、荊州牧の劉表とかが、資本の増大の材料に使ったという程度。必要条件であるが、充分条件ではない。
ブルデューの資本をめぐる議論を借りるとき、気にしなければならないのは、すべてが相互に関係し、変換可能であること。「どれかひとつ」に単純化すると、とたんにスポイルされる。慎むべし。
やはり南陽劉氏の象徴資本のうち、最後まで群雄(もと後漢の官僚)のハビトゥスに溶けこみ、解体・奪取が難しいのが、政治資本でした。ことに官職の任命・爵位の賜与です。
荀彧と曹操を「分断」したのは、南陽劉氏がもっているこの政治資本だったのかも知れません。曹操・荀彧が、個人的にどんな関係を結んだか、意見が同じだったか違うかは、関係ない。また献帝(劉協)個人に、曹操・荀彧を分断する意図が、どれだけあったのか、それによって曹氏政権をどれだけガタガタ言わせてやろうと思ったのかも、関係ない。
南陽劉氏が持っている政治資本によって、荀彧を漢の高官となり、曹操・荀彧に身体化されたハビトゥスが、ふたりを反目させたのです。
袁術でも曹操でも、内なるハビトゥスに戦いを挑んだのであって、不利な戦いを、よくぞ挑もうと思いました。そして曹操については、よくぞ(二代かかったけど)南陽劉氏に勝ちましたね。
とりあえず、昨日の通勤の帰りの電車で思いついたことは書けたので、いまから会社に行きます。後漢末の「構造的な生きづらさ」を株式会社になぞらえるシリーズも、まだこれから展開する予定です。160322閉じる
- 官爵資本をめぐるディスタンクシオン(2)
象徴的支配
加藤晴久『ブルデュー_闘う知識人』230ページより。
ブルデューがよく引用するヒュームの言葉。
多数が少数に統治されている唯々諾々ぶりほど、驚くべきことはない。人々が、自分の感情と情熱を、支配者の感情と情熱のために断念してしまう黙々とした従順さほど、驚くべきことはない。なぜこのような不思議なことが起こるのか。つねに力は被統治者(多数の統治される側)にあるのだから、(少数の)統治者は、統治者自身を支えるために、意見のほかに何も持たない(力を持たない)ということが分かる。したがって統治は、意見の基礎の上のみに成り立っている。
訳文を見ながら引用・補足してますが、日本語のつながりが分かりにくいので、まちがってるかも知れません。ちゃんと一義に決まるように訳してほしいです。
人間社会は、少数が多数を支配する。物理的な力は多数側にあるから、多数が少数を支配するのが当然に思える。そうでないのは、少数者が「オピニオン」「意見」の力に頼っているから。少数者の支配を、当然で自然なことと信じこませる。
ヒュームの驚きと、ブルデューの驚きは同じ。
社会空間で展開される闘争は、象徴的闘争であり、そこで作動する暴力は象徴的暴力である。そこでの支配とは、象徴的支配である。支配とは、物理的な力ではなく、ヒュームのいう「意見」、ブルデューのいう「物事を知覚・評価・表象する仕方」つまり象徴的要因をめぐる闘争を介しての支配ということ。
ブルデューの引用。
社会世界を知覚する仕方をめぐる象徴的な諸闘争は、2つの異なった形態をとる。客観的な側面としては、一定の現実を目に見えるようにする、また価値あるものを見せるように行動=働きかけること。たとえば、団結を示威するデモ行進。……
主観的側面からすると、社会世界について知覚・評価するときの諸カテゴリー、つまり認識・評価するときの諸構造を変えようとして行動=働きかけること。社会的現実を表現すると同時に、社会的現実を構築する
だれも手に触れることができない「構造」ではなく、関わりあい、働きかけることで、影響を与える者として「構築」し、そして「構築」したものの影響を受けてしまう(「このときは「構築」物は、「構造」のように関わってきて、働きかけてくる)。
「構造」と「構築」の違いについて、184ページの「自ら名乗った構築主義的構造主義」で解説されてます。ぼくが受けとった意味で、ここに注釈しました。ちがうかも。
諸知覚カテゴリー・諸分類システムのこと。要するに、さまざまな語、名詞は、政治的闘争、すなわち正当な「見方・分け方の原理」を認めさせる闘争の賭金=争点なのです。
社会空間において、それぞれの資本の総量と構造によって、それぞれの位置を占めている個人・集団、とりわけ支配階級ないしその分派は、社会空間のなかでより有利な位置に移動するため、あるいは社会空間の構造を保守ないしは転覆するために行動する(客観的側面)。また、行為者(個人・集団)が、社会世界において持つ諸表象に働きかける(主観的側面)わけである。
加藤氏の文章が、やたらイレコというか、複雑な構造になっているのは、ブルデューの文章がそうなっているからでしょう。きっとフランス語は、それを可能にする言語なのでしょう。ろくな日本語になっていない。
すべての支配関係の根元には「恣意性」がある。恣意性を無意識の領域に抑圧し、支配関係を当然のこと・自然なこと・普遍にもとづくものとして受け入れさせるために、支配者側が体現する世界観、見方・分け方の原理を、正当なものとして受け入れさせる必要がある。
つまり社会空間は、力関係の場であると同時に、意味の場でもある。支配の現実である力関係を隠蔽し、正当なものとして受け入れさせる象徴的権力。これが、ブルデューのいう象徴的暴力である。
正当化の働きは、暴力を暴力として認識することを妨げる。
ブルデューの象徴的支配をめぐる記述が込み入っている印象を与えるのは、ブルデューのハビトゥスと界の概念が、「ハビトゥス」「界」はこの本で解説されてます。個人と社会を「実体化して対立させる考え方」を乗り越えるために提起されたものだから。パスカルに言及しながら、ブルデューが説明する。
客観的諸構造と主観的諸構造の複雑な関係を要約するために、パスカルの有名な言葉を、少しだけ変えて引用するようにしている。「世界は私をひとつの天のように包みこんで、飲みこんでいる。しかし私は、世界を包みこんでいる」と。
社会空間は、わたしをひとつの点として包含している。しかしこの点は、ひとつの視点でもある。つまり、社会空間に位置している、ある一点から見た光景のねもとである。その光景を見た基点である客観的位置によって、その形式と内容を定義されたパースペクティヴのねもとである。
社会空間が、行為者がそれについて持ちうる諸現象を規制しているのである以上、社会空間は、最初にして最後の現実である、ということです。
加藤氏が平たくいえば、人間は社会的存在である。社会によって決定されている。しかし、社会のなかで占めている位置は、ひとつの視点であり、その視点から(社会による決定を免れることができないながら)それなりに社会全体を見渡しており、(社会的決定による制約の範囲内で)自己の位置を上昇させたり、社会空間のなかで資本の配置図を、保守したり変換しようとしたりしている。
社会の構成要素=視点としての董卓
えー、ブルデューは難しいですね。
でも、象徴的支配をしているのは、まさに後漢です。べつに「劉氏に支配されると、物理的に快楽がある」わけではないのに、みんなが「劉氏に支配されるのが当然と思っている」わけです。もしも劉氏に叛こうとすると、「なにをバカなことをする。無謀・不忠は辞めたまえ」と、教養ある官僚たちが一斉に制止してくる。思考停止ですよ。
これほど、象徴的支配のサンプルとして完璧なものが、ほかにあるでしょうか。
劉氏の象徴的支配を支えているのは、儒教です。注意したいことですけど、さきに劉氏の支配を裏づける儒教があって、あとに劉氏が「満を持して登場」して、儒教の予言を実現して、大喝采を浴びたのではない。
たしかに春秋戦国期から儒教はあったが、そのテクストを、物理的な暴力によって天下統一した劉氏の支配を裏づけるためにアレンジしました。まあ、この点について、ぼくらは、だれも間違えないでしょうけど。
いま「ぼくらは、間違えない」と、ぼくが書いてしまったのがキモです。そもそも間違えるはずがないことを、いちいち「間違えない」と言う必要はないのです。ぼくらも、けっこう間違えると、ぼくが思っていることを、図らずも露呈してしまいました。
史料もしくは物語に埋没すると、あたかも劉氏の王朝を守ることが当然・自然なことと思い込み、董卓・袁術、やがて末期曹操・曹丕を敵視するような意見を「おのずから」持ってしまう。だから、「間違えないですよね」と、あえて余計なことを言うことで、「間違えてはいけませんよ(ここで間違えられると、先の議論ができないから)」と釘を刺したわけです。
現代の三国志の読者で、「おのれ董卓」「おのれ袁術」「おのれ曹丕」と憤っているひとは、いまだに劉氏の象徴的支配を受けているわけです。すごいなあ!象徴的支配。物理的な力が、ほんとに必要ない。滅びて1800年たつのに。始皇帝の「地下帝国」よりも、力があります。
ぼくらですら、ともすれば、劉氏の象徴的支配に絡めとられる。同時代の人々は、もっと絡めとられやすい。
体制の破壊者としての董卓。董卓は、皇帝を廃立したり、洛陽を廃墟にしたり、いろいろやりましたが、史料には、董卓なりの時代認識とか、王朝観が出てきます。
董卓は、劉氏の象徴支配が蔓延している社会における、ひとつの点でしかないが、ブルデュー風にいうなら、ひとつの視点でもある。董卓は、完全に象徴的支配から自由になることはできない。むしろ象徴支配に「乗っかって」、漢王朝のなかで官職を上昇させ、それによってパワーを得た。しかし、きちんと目をもった点でもあるから、董卓の語る時代像は、象徴支配を見渡す。
象徴的支配をする側(少数)がもっとも困るのが、「当代、象徴的支配が行われているぞ」と指摘され、多数に対して暴露されることです。支配を当然・自然と思い込ませるから、少数が多数を支配できる。しかし、「おや?これは当然なのか?自然なのか?」と多数が疑い始めたら、説得に回っても間に合わないし、暴動を起こされたら抑えることができない。
実際に劉氏という少数派は、董卓という多数派によって、物理的に牛耳られてしまった。「劉氏の皇統を残す必要があるのか?」という、「立ててはいけない問い」が董卓によって立てられた時点で、劉氏の王朝は、象徴的に亀裂が入っていた。
「オレたち、なんでこんなに熱狂してたんだっけ」と、ふっと冷静になった人々は、やがて正気に戻ることになります。
董卓の段階では、まだ後漢王朝は滅びない。ダンスパーティに例えると、「なんで徹夜で躍ってるんだっけ?」という董卓の問いに対して、官僚たちは「楽しいからに決まってるだろう!シラけたこと言うなよ!」と応じた。これによって董卓は孤立した。というか、董卓の歴史的な役割は、これで終わり。
官僚たちは、無意識に盛り上がっていた。理由など、考えたことすらなかった。しかし董卓に向けて、「楽しいから躍っている」と答えることによって、無意識の世界から引きずり出された。因果関係で語られた時点で、ものごとは終わりに向かう。「楽しいけど、疲れたから、そろそろ躍るのをやめよう」という選択肢を手にした。そちらを選ぶ可能性を得ることになった。
象徴資本というのは、経済資本・文化資本・社会資本の、個々の明細を持たない。「3種類の資本を足し上げると、確かに他を著しく圧倒するから、象徴的な権力を認めましょう」という仕方では、獲得されない。というか、明細をチェックできるうちは、それを象徴資本と呼ばない。
初期条件において、モトデとして3種類の資本が卓越していることは必要条件だけれども、そこから一線を超えて、「すごいからすごい」、「やっぱり、なにげに、すごい」、「すごいってんだから、超すごい」という、思考停止の循環論法を、ライバルに(ライバルから降格したところの「被支配者」に)押しつけることによって成立する。
董卓は、劉氏の象徴資本の明細がどうなっているか、点検するキッカケをつくってしまった。官僚たちは、劉氏の支配の正当性を董卓に教えてあげるという行為を通じて、みずから、自分にかかった(身体化された)魔法を解いてしまった。
国家の定義_235
1989年のブルデュー『国家貴族』が、社会学の到達点。
ブルデューは、ヴェーバー『職業としての政治』修正する。国家とは、ある特定の領土に対する、またその領土内の住民全体に対する物理的および象徴的暴力の、正当な使用権を独占することを、成功裏に要求するX(不分明の解)である。
物理的暴力が、ナマの形で行使されることは、異常な事態であり、長期にわたって安定的に持続することはむずかしい。支配の根底には暴力があるが、支配が持続しうるのは、支配の真実が隠蔽され、無意識のうちに抑圧され、当然なこと・自然なこと、つまり「正当なこと」として、受け入れられているからである。
有効な支配とは、「象徴的」支配なのだ。
加藤氏の本と、上の董卓の話、接続がうまくいきましたね(自画自賛)
国家が象徴的暴力を行使することができるのは、国家が、固有の諸構造・諸メカニズムというかたちで、客観性の中に具現しているとき。
ここまでは、ブルデューは新しいことを言ってない。次からが肝心。また同時に「主観性」のなかに、ひとびとの脳のなかに、心的諸構造、つまり知覚・思考の諸図式という形で具現しているからです。国家は制度化された制度ですが、これを社会的な諸構造のなかで、また同時に、それら社会的な諸構造に適合した心的な諸構造のなかで制度化した過程の帰結であるがゆえに、国家は、みずからが制度化するための行為の長い系列から生成したのであることを(被支配者に)忘却させ、自然のありとあらゆる外見をまとっているのです。
支配の関係には、支配者と被支配者がある。国家を介して、だれがどのように支配し、どんな利益を得ているか。これを問わない国家論は、観念的な遊戯に過ぎない。
ブルデューは、支配について説明するため、X(不分明の解)をおいた。決定すべき、明確にすべきなにか。曰く言いがたいもの。
ここでブルデューは、なにが(主語・主体となって)物理的・象徴的な暴力の使用を独占するように主張するのか、提示することを避けた。「X」というだけである。
国家生成のモデル_238
封建制の領主国家から、絶対君主国家へ。さらには近代的官僚制国家へ。移行過程のモデルを、各種資本の集中過程、象徴資本の一種としての「国家資本」の形成と集中過程として提起する。
国家資本なんて、シレッと出てきましたね。社会資本の亜種か。なんでもありか。
国家は、さまざまな種類の資本をもつ。物理的力あるいは強制する諸手段(軍と警察)という資本、経済資本、文化資本(あるいは情報資本)、象徴資本。これらの集中過程の帰結が、国家というもの。
この諸種の資本の集中によって、国家は、一種のメタ資本となる。つまり、他の諸資本に対する、またそれら資本の所有者たちに権力を与えるメタ資本の所有者となる。
秦始皇帝が、戦国六国を併合したところをイメージすると分かる。というのも、諸資本の集中は、国家資本という固有の資本を出現させる。この国家資本が、諸種の個別資本にたいして、とりわけ諸々の個別の資本のあいだの交換比率にたいして(つまり、それら個別の資本の所有者のあいだの力関係にたいして)国家が権力を行使することを可能にするわけです。
分かりにくいけど、ここ、いちばん重要です!国家の構築は、権力界の構築と同時に進行する。
権力界とは、内部で諸種の資本の所有者たちが、とりわけ国家にたいする権力、すなわち国家資本――諸種の資本とそれらの(とりわけ学校制度をとおしての)再生産とにたいする権力を与える国家資本――にたいする権力をめざして闘争するゲーム空間のこと。
高官の子弟がエリート教育を受け、任子として官職を再生産する。
ブルデューは、軍事力(物理的な暴力資本)と、徴税権(経済資本)、公文書・記録・度量衡など(文化・情報資本)、裁判制度(法曹資本)、官僚組織(行政資本)などが相互に絡みあいながら、整備・集中されていった過程を詳述する。
国家資本とは、象徴資本であり、認知・正当化の資本の一種である。国家に集中される諸資本は、究極的には、象徴資本として機能する。_239
すべてが「認知された権威」という、象徴資本の集中に帰着します。これまでの国家生成にかんする諸理論は、象徴資本を無視していますが、これこそ、他のすべての集中形態の条件なのです。
その結果、みずからの諸構造に適合した(国家の存続に都合がいい)持続的な見方・分け方の諸原理を(被支配層に)押しつけ、教えこむ諸手段をもつ国家は、象徴権力の集中と行使の場となります。
曹操が漢魏革命にむけて腐心したこと
国家の生成過程について、ブルデューの言説が紹介されていますが、これは、史実において曹操のことを言っています。
曹操は、暴力資本・経済資本・情報資本・法曹資本・行政資本などを
資本のバーゲンセールですね。蓄積したが、それだけでは、劉氏の象徴資本と戦うことができない。ナマの暴力だけで抑えつけるのは、一時的にしか成り立たない。曹丕の時代まで待ったのは、象徴資本への転化・蓄積に時間がかかったから。
曹氏にとって都合のいい、ものの見方・分け方をする人々が、一定量は貯まってこないと、革命ができない。そういう人々を再生産する体制が固まらないと、革命は危険である。
もしも袁術が、暴力資本・経済資本・情報資本・法曹資本・行政資本などを持っていて、なおも敗れたとするのなら、象徴資本への転化について、見通しが甘かったから。そういう意味での「反面教師」という話は、どうでしょうか。魏公・魏王というクッションは、行政資本などの蓄積・再生産の準備でした。
国家が精神を構築する
官僚制の成立、すなわち「客体化した象徴資本」の成立を経て、
国家資本を、思想のレベルだけでなく、制度として現実のものとして、
袁術のように性急にやらず、曹操が魏公・魏王を経たようにクッションを置いて、
国家は、われわれのハビトゥスをつくりだす、われわれの行動を構造づける役割をも担うことになる。
国家は、すべての行為者に、身体的・心的な強制と規律を均一に課することによって、持続的性向性=ハビトゥスを形成するべく、不断に作用します。さらに国家は、性別・年齢・能力などを基準にした、基本的な分類の諸原理を押しつけ、教えこみます。
国家は、すべてのイニシエーション儀礼の、たとえば家族の土台である全ての儀礼の、また、学校制度の機能を介して、すべての儀礼の象徴的有効性のねもとです。学校制度とは、聖別の場です。選ばれた者と排除された者のあいだに(かつて貴族の叙任式が作り出していた諸差異のように)持続的な、しばしば決定的な諸差異をつくりだします。
国家の構築は、すべての「国民」に共通する、内在的な歴史的 超越因子の構築をともないます。諸実践に枠組みを課することによって、国家は共通の知覚・思考の諸形態と、諸カテゴリー、知覚・理解・記憶の諸社会的な枠組み、心的な諸構造、国家的な分類の諸構造を確立し、教えこむのです。
フランス語の邦訳ですが、なるべく原文のシンタクスを残したようで、難解。そのことをとおして国家は、諸ハビトゥスの即時的な統合の諸条件を作り出します。共通感覚=常識を構成する、共有された自明的な事項の総体に関するコンセンサスの土台である統合を作り出すのです。
この邦訳は「悪夢」ですが、べつに意味は分かります。
被支配者は、なぜ支配を受け入れるのか。なぜ支配にくみするのか。
その管轄圏内において通用している見方・分け方の原理の土台としての、国家の生成過程の分析は、国家が確立した秩序へのドクサ的辛抱と、このいかにも自然な信望のいかにも自然な信望の、まさに政治的な諸土台とをともに理解することを可能にしてくれます。
なんだか「悪夢」が酷くなってきた。ドクサというのは、ある個別的な視点です。支配者たちの視点です。これが普遍的な視点として、提示され、押しつけられるのです。ドクサとはつまり、国家を支配することによって、支配者たち、国家をつくることによって彼らの視点を普遍的な視点として構成した者たちの視点なのです。
漢末の群雄がめざすもの
フランス語の邦訳は、まさに悪夢です。この節は、日本語の母国語話者であるぼくが、日本語で思考したことを、日本語で書きます。こうすることで、悪夢から目覚めたときの、どっと疲れた感じを和らげたいです。「こんなに疲れるなら、寝なければよかった」という後悔を、中和できればと思います。
後漢末の群雄は、2つの道がありました。
後漢の継続を支持するのか。後漢からの革命を提唱するのか。これを「忠か不忠か」、「身の程を弁えているか、身の程知らずか」という語法で考えているうちは、ブルデューの知見を生かすことができない。
この2つの道は、後漢による象徴的支配の枠内で振る舞うか、それとも後漢の象徴的支配に対抗するか、という選択なのです。
漢末の群雄のおもな出自は、高級官僚です。家庭での生活・教育、学問を身につける過程、これまでの官僚経験によって、後漢の臣下であることが「骨身に染みて」いるわけです。後漢では、「後漢の臣下であることが当然」であり、それを疑う余地すらないような社会機構となっています。歴史の重みもまた、その「選択の余地なし」の度合いを強めます。
高級官僚の出身者が、彼らの無意識に従って、本能的に振る舞えば(じつはその「本能」は、後漢の支配制度によってインストールされた、後天的なものなのですが)、後漢の継続を唱えることになります。
べつに漢王朝が「聖なる存在」だから、後漢の支持を表明するのが、正義となるわけではありません。
ぼくたちが、三国志を対象とした社会学者であるならば(いつ、そんな立場になったか知りませんが)、むしろ群雄たちに、漢王朝を「聖なる存在」であると、意識させるに至った社会体制に着目すべきです。べつに劉氏が、有史以来、前例がないほど、格段にずる賢くて、巧妙な「洗脳」を施したのではないでしょう。歴代の官僚たち(おもに豪族の階級?)が、劉氏とともに共犯的に作り上げてきたのが、漢末まで機能した社会体制です。
ブルデューが言っているのは、そういうことです。きっと。高級官僚だけでなく、民衆が「反乱」を起こしてリーダーになることもありますが、彼らも「漢の被支配層」として、飼い慣らされていますから、どうしても「反乱」として振る舞ってしまう。強し、漢王朝。
仕切り直します。さっきあげた、群雄の2つの道。
1つめの、後漢の継続を支持するとは、後漢の象徴資本をまるまる借りるという戦略です。借りるというと、借りパクして、まるもうけに思えますが、そんなに単純ではありません。「後漢の支持」を表明する群雄ががんばっている、という事実によって、後漢の象徴資本を強化しています。しっかりと「上納金を取られた」上で、彼らは自己の威信を獲得しているのです。
2つめは、象徴資本の場において、後漢に戦いを挑むという戦略です。これは、たとえば「洗脳」が徹底された密閉空間のなかで、「教祖は悟りを開いていない」と告発するに等しい。なぜ、そんな無謀なことをするのか。というか、これを「無謀」と表現するなら、1800年の時をはさんで、いまだに後漢の象徴資本に足を絡めとられているわけですが、袁術に言われ場、後漢の象徴資本は、すでに地に堕ちているという見通しがあった。もしくは、後漢の象徴資本は、まだ有効かも知れないが、もっと別の仕方によって支配を行ったほうが、天下のためになるという抱負のようなものがあったか。このあたりは、個々の人物の内面におりていかねば、言い当てることができません。
漢王朝のなかから生まれて、漢王朝を否定する。これは、ヘビが自分のシッポを食べていくのに似ている。食べる主体と、食べられる客体が、一体である。いったいその「自殺行為」は、どこで終わるのか。まさか、すべて消滅することはあるまいに。ヘビは、生命の維持に必要な臓器まで食べ進み、そのあたりで、ぐったりと死ぬのがオチなのか。だとしたら、「どんな形の死体が残るか」を予想し、それを分析することで、かなりの知見が得られそうです。
後漢の象徴的支配は、物理的な暴力とか、教育や文化に因数分解できるものではありません。このパラメータが、何%減ったら、後漢の象徴的支配がくずれるのか、定量的に計測することはできません。しかし、どこかに「しきい」があるのです。
まるで今日の景況感の分析において、何がどうなったら、「景気がいい」と回答するのか、よく分からないのと似ています。個別の要素をどれだけいじっても、結果の予測は不可能。しかし、たびたび経済が沸騰したり崩壊したりするように、どこかに「しきい」があったと、事後的に指摘することだけが可能です。
ともあれ曹氏は、象徴資本の闘争において、劉氏を打ち破ったのです。一定の時間の経過が、カギにように思えますが、その分析は後日。
「物心ついたときから、漢王朝がガタガタ」という世代が権力を持つようになると、諸資本のあり方が変わったのでしょう。象徴的支配は、象徴的支配であるがゆえに(明確な指標に分解することを拒むがゆえに/分解を拒むことによってしか象徴資本は象徴資本でいることができないために)回復の処方箋をつくることができず、後漢は終わりました。曹操がいかに「忠」だとしても、回復はムリな相談です。しかし曹氏は、「勝ったけど、傷を負った」というのが実際のところであり、魏晋革命を招くことになりますが。
もうちょっとだけ続きます。160323
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- 官爵資本をめぐるディスタンクシオン(3)
ブルデューの解説本を読んだので、つぎは、ブルデュー『国家貴族』を読んでみようと思います。その前に、加藤氏の「X」について、消化しておきます。
ぼくは、通勤時間に解説本を読みながら、帰宅後に記事を書いてます。すべて読み終わってから、記事に着手しているのではありません。ゆえに、解説本を読み進むと、「ぼくの書いた記事は、解説本を先回りしていた」と、かってに嬉しくなることがあります。思考をなぞることに、成功しているぞと。
『国家貴族』で語られている「官職に任命する権力」というのは、ぼくが、政治資本からさらに進化した象徴資本のなかから、「官爵資本」として切り出そうとしたものにあたる。資本の「究極のかたち」として論じられている。
そしてX_241
出自とか家柄によらず、専門的な能力の有無を基準に、必要に応じて設けた官職に任命する権力を、絶対君主がみずからに集中することで官僚制が出現した。国家がもつ命名・任命権を、ブルデューは国家の象徴的権力の究極の形と見なした。この行為を「神秘的」「不思議」な行為という。「命名・任命の魔術」という。大統領が署名する任命書は、最高権力者が持つ象徴資本ゆえに信用される。医師の発行する証明書は、医師の資格を国家が認定するから信用される。
命名・任命とか証明書発行は、公式の行為・言説に属します。これらが象徴的な効力を発揮するのは、権威ある状況のなかで、その権限を与えられた者たちによって遂行されるからです。公務の担い手として、国家によって割り当てられた役割を実行する。「公務官」によって遂行されるからです。
裁判官の判決、教員による評価、公的登録の諸手続(確認書とか調書とか)、法的効果を発生させるための諸文書(戸籍謄本、出生尚書、婚姻証書、死亡証書)、売却証書などは、公的な命名・任命行為の魔術を発揮する。
魔術とは、資格を有する行為者が、所定の形式によって遂行する、そして公式の登記簿に規定どおり記載される、おおやけの宣言として行われる。
魔術は、社会的に保障された社会的アイデンティティ(市民・選挙民・納税者・親・所有者というアイデンティティ)、あるいは正当な諸団体と諸集団(家族、教会、組合、政党など)を、創造あるいは制度化するのです。
ひとはふつう、自分という存在は、他者によって代えることはできない、絶対的な個別性・独自性をそなえていると信じている。しかし、自分のありかたは、国家が命名・規定したものであると気づく。
父親・母親・子・生徒・学生・会社員・公務員・農民・漁民・失業者など。
モノであれヒトであれ、ある存在が、正当な社会的定義において、真に何であるかを、つまり、いかなるものと認可されているかを、いかなる権利をもっているか、いかなる社会的存在であるかを(不法行為に陥ることなく)要求・主張・体現する権利を有するかを、権威をもって宣告することによって、国は真に創造的な権力、まるで神のような権力を行使するのです。
翻訳は、まどろっこしいですが、あとで消化します。
国は権威(神のような権力)によって、ひとに宣告します。「あなたは、権利を有していますよ」と。いかなる権利を有すると、国が宣告/保障するのか。ひとが「私はこれこれだと、要求・主張・体現する」権利を、国が保障するのです。
袁紹・公孫瓚の戦い
官職の任命権は、象徴的権力の究極の形。ブルデューは、すでに存在する国家が、いかに象徴的権力を振るうかについて書きました。しかし後漢末を読むぼくらは、象徴的権力がどのように生成するかを分析することができる。
まず、皇帝でもないくせに、官職を任命する。これは、「象徴的権力があるから任命する」のか、「任命するから象徴的権力があったことになる」のか。人間は、往々にして原因と結果を取り違える。
ググったら、 ニーチェ『偶像の黄昏』が出典らしい。公孫瓚が、景気よく地方長官を任命していれば、公孫瓚に象徴的権力を「発見」してしまうのかも知れない。
つぎに、任命した官職が「権威ある状況のなかで、権限あるもの(任命者・被任命者)によって遂行される。これもまた、象徴的権力があるから遂行できるのか、遂行によって象徴的権力が「発見」されるのか。公孫瓚と袁紹の冀州をめぐる戦いは、まさに、どちらが象徴的権力を持っているのか、競っておりました。袁紹と公孫瓚の、どちらが任命した地方官が、実効的にその地域を支配するのか。どちらが「遂行」を行うのか。
資本のあいだで変換が起こるのは、ブルデューのよくいうこと。暴力資本(と、ブルデューを解説して加藤氏は書いてたが、安易に「資本」の種類を増やすのはどうかと思うけど)によって、つまり界橋の戦いなどによって、象徴資本を奪いあって、ゼロサムゲームをしていた。ゼロサムになるのは、冀州は1つしかないから。
袁紹さんは、矢に身をさらすのは、象徴資本を、まさに得られるかどうかの瀬戸際にいたから。韓馥から、冀州牧の地位を奪っただけでは、まだ袁紹のところは、象徴資本にリーチがかからない。
袁紹・公孫瓚が地方官を任命し、その地方官が統治するのは、「公務」です。たとえ、皇帝を名乗って折らずとも。袁紹・公孫瓚の「私」的な権力志向と、儒教が用意した「公」の理念とが、接続されるのは、もっと先のことでも。
「公」の理念と接続されるとは、すなわち易姓革命のこと。公孫瓚は、まったく届かず。袁紹は、ちょっと触れたけど、その前に曹操の象徴資本(献帝)と、暴力資本(官渡)に敗れてしまった。すでに「公務」を開始した時点で、すでに(擬似的な)皇帝権力に、手を伸ばしているのです。これを「不忠」と断じるのは、儒者の腐ったようなやつで(笑)、諸資本をめぐった闘争の形態として分析すべきだと思います。
構築主義的な構造主義者:袁術
ブルデューは、構造主義ではなく構築主義、さらには構築主義的な構造主義を唱えたそうです。つまり、誰にも変えられないルールの上で人間は動かされているのではない。ルールを作っていく存在だと。同時に、作ったルールによって、みずから縛られるのも人間。その縛られ方・縛られるという事実によって、新しいルールを作っていく。以下、無限にくり返し。
平川克美は、原因と結果が、相互に入れ替わり続ける状態をブームと呼ぶと書いてました。コンビニが登場してライフスタイルが変わり、いやライフスタイルが変わったからコンビニを歓迎する準備ができており、ともあれコンビニによってライフスタイルが変わってコンビニが流行し、その流行によってコンビニが増殖し……と。袁紹・公孫瓚が、本能的に?選び取った、権力を争う作法とは、地方に割拠して、地方長官を任命していくことでした。まあ、群雄割拠は歴史に先例が多いから、彼らの創意ではありませんが。
皇帝権力が董卓によって挫折したとき、
地方官を任命するから皇帝候補になれる、皇帝候補だから地方官を任命できる、地方官が実際に統治するから皇帝候補になれる、皇帝候補だから地方官をさらに任命する……という「ブーム」を、みずから演出したのが、袁紹・公孫瓚でした。
袁紹・公孫瓚が「皇帝を僭称」するには、あと半歩もありません。
後漢初の群雄割拠のときは、どんどん「皇帝を僭称」する勢力が現れました。まあ、長安にいるのが王莽だと、皇帝を自称しやすいのでしょう。象徴資本における闘争において、王莽になら勝てるというのが、群雄の見通しです。しかし、後漢末、献帝との闘争に勝てるのかは、微妙なラインです。
献帝の象徴資本を借りたほうが有利なのか。しかし借りることができるのは、ひとつの勢力のみです。献帝がひとりしかいないから。泥仕合をして献帝を奪いにいくのか、象徴資本においても献帝に戦いを挑むのか。
袁術は、曹操との戦いに敗れ、献帝の奪取に失敗した(ちゃんと失敗するというプロセスが重要)。次善の策として、献帝との象徴資本をめぐる戦いに進んだ。結果的に敗れた。
曹操・曹丕が、献帝に対して、どのような仕方で象徴資本をめぐる闘争を挑み、みごとに勝利したか。これは、「曹氏の権威づけが、経書のどこどこに根拠をもつ」という列挙とは "別" の分析手法によって、解き明かされるべきでしょう。
制度化(叙任)儀式
ブルデュー『パスカル的省察』の最終章のタイトルは「パスカル的省察」。
ここでブルデューは、「制度化(叙任)儀式」を例として、象徴資本の機能を詳しく分析してから、つぎの一節でこの本を結ぶ。
制度とは、「ひとを恣意性から救う権力」をもつ恣意的な存在である。
つまり制度とは……、至上の存在理由、すなわち病気・心身の障害、死にさらされた偶発的な存在である人間が、「(人間には)社会秩序とおなじように超越的で不滅の尊厳性を与えられている、それに値する」という主張を人間に付与する権力をもつ恣意的な存在である。
制度化(叙任)儀式は、この恣意的な存在である制度の効果を、見やすく拡大して映し出してくれる。
命名・任命行為とは、身分証明書や診断証明書、あるいは心身障害者証明書の発行のような、日常行政的な次元の卑近な行為から、諸貴族を聖別するような、おごそかな行為までをいう。
命名・任命行為は、根拠をたどっていくと、「地上における神の具現化」である国家にたどりつく。国家こそが、正当な生存(病人・心身障害者・教員あるいは司祭としての生存)の諸証明書の有効性を、代行者を介して証明する、無限にくり返される権威行為を、最終的に証明するのである。
社会学はかくて、いわば国家という最終審級の神学として完結する。カフカの法廷のように、真実の陳述と、創造的知見の絶対的権力を付与された国家は、カントのいう神のごとき根源的直感と同じように、命名・任命することによって、また区別することによって、すべてを存在せしめる。社会とは神である。
ブルデュー社会学は、「X=神」で完結する。_244
魔術的・神秘的な権力
ブルデューが、原典でどのように論じているかは、これから確かめますが。
任命権が、魔術的・神秘的な効果を発揮するのはなぜか。人間そのものを定義する。また人間に「私はこれこれである」と主張する権利を与えるから。
人間が、何者であるか定義するだけでも、たいした権力です。卑称な言い方に変えるなら、「専一的にレッテルを貼る特権」であり、「自分が貼ったレッテルを認めない(無視する/異議を申し立てる)連中を、処罰する特権」でもあります。
……これだけでも、充分に万能の権力に見えるのだが、ブルデューは、ひとつ次元を繰り上げてある。
国家は、人間が「私はこれこれである」と主張する権利すら、与えてやるという。一見すると、「専一的にレッテルを貼る権利」と矛盾するように見える。つじつまを合わせておきたい。
たとえば、ぼくらが役所に登録するときは、役所が知りたい情報を、役所が指定した切り口によって、登録をする。つまりぼくらは、役所が決めた分節の仕方によって、自分を分節し、その分節の仕方だけが、公的にオーソライズされる。
たとえば、所得や住居・家族構成は、役所に登録しなければならない。しかし、興味や関心は、役所に登録しなくてよい。というか登録することができない。ぼくらは、みずからを役所に登記して、何者であるかという保証を手に入れるわけだが、これによって、役所の決めた金型に自分をあわせ、役所にとって都合のよいアイデンティティを、みずから/おのずから作ってしまう。そして「役所のおかげで、アイデンティティが確立して、安心だなあ」という、小市民的な生活の平穏を手に入れる。
こんなことをされたら、たしかに魔術的・神秘的な権力である。
後漢の皇帝が、魔術的・神秘的な権力を発揮する、命名・任命の機会といえば、もちろん官職の任命がはじめに思い浮かびます。しかしそれ以上に、世襲できる爵位を与えるとき、権力の魔術性・神秘性が発動します。
漢のすべての成年男子は、二十等爵のピラミッドに包摂されてました。これが「秩序」を作っていた。「秩序」の形成とは、権力の発揮と同じことです。
二十等のどこかに割り付けるということは、「AさんはBさんと同じ」と同定するだけでなく、「AさんはCさんより上」と、漢王朝の構成員を分断することにもなります。
人間というのは、等級に無関心でいることができない。「全員が同じ」と言われたら、「あいつと一緒にされたら困る」と思う。いくつかの等級に分けたら、「オレがあいつより下のはずがない」と思うし、けっきょく「あいつと一緒にされたら困る」という意識も働く。どちらにせよ、心の同じ部分が、不服を申し立てる。
こういう意識を持つ時点で、被支配層の位置に縛りつけられているわけです。任命者・命名者の権力圏のなかに閉じこめられている。
会社で、人事等級の上下によって、一喜一憂しない人間がいるものでしょうか。もしもこの不満に耐えられなくなったら、被支配層=被雇用者という身分を捨てるという行動によって、魔術・神秘の効果を振り払おうとします。
しかし、国家にこれをやられ、「国から脱出する」というのが、ほぼ現実的でないときは、この支配は強いです。上昇することによってしか、自尊心が満たされないという、いかにも被支配層に特有の(支配層によって都合がよい)行動をとって、国家のために励むでしょう。命名権・任命権、おそるべし。
冒頭にもどりますが、保育士に叙勲というのは、まったく無効ではないと思います。もしも人口減少が「国家存亡の危機」であり(本当にそうかな)、子供をつくらない理由が保育施設の不足にある(本当にそうかな)のなら、叙勲というかたちで保育士に報いれば、保育士を希望するひとが増えると思います(皆無とは思えません。これは確信あります)。ともあれ、2つの「本当にそうかな」を挟みましたけど。
袁術の祖父は、「あなたの家は、安国亭侯ね」という爵位をもらった。これは、皇帝が汝南袁氏を定義した。そして同時に、袁湯は皇帝から「うちは、安国亭侯ですから」と主張する権利を与えた。
身近な例え。職場の公的な場で、「あだ名」を付けることが許されるのは、上から下に対してである。下が「お茶室」で、上に対して「あだ名」を付けることがあるが、それは公的なものではない。
命名権というのは、原初に遡れば、親もしくは共同体の上位者が、子供に対して行うものである(はず)ですが、それと相似形をもつ、権力的な人間関係が、くり返し演じられている。たしかに袁氏は、亭侯をもらうことで、経済資本(封戸からの収入)、社会資本(亭侯という威信、子孫が高い官職を得やすいという蓋然性)、文化資本(経済・社会資本が安定することで、学問を安定的に継承できる)において卓越した。しかし、卓越させてもらったという事実は、後漢の権威を増やす方向にもフィードバックされる。
「あの袁氏を、亭侯に封じた後漢って、やっぱり資本がたっぷりあるよね」
「亭侯をもらった理由は、皇帝を立てた功績によるそうだ」
「あと、歴代、三公を輩出しているというのも要因としてありそう」
「三公として、王朝に貢献しているから、彼らは肩で風を切っているのだ」
「オレたちも王朝に対して、功績を立てて、爵位を上昇させよう」
言葉使いは、こんなではありませんが、要するに同じことです。
袁術が不利な戦いを強いられたのは、後漢の象徴資本の「分け前」によって、みずからの一族を卓越させておきながら、その源泉である後漢に、象徴資本をめぐる闘争を仕掛けた(仕掛けざるを得なかった)ことです。というか、禅譲を受けるのは、大半が前王朝の有力官僚なので、すべての受禅の候補者が同じ戦いを強いられるわけですが。曹氏の例外ではないです。後漢から恩を受けておきながら、仇で返したから、その戦略が拙いのではない。みずからも協同的に/共犯的に、後漢の象徴資本を増やしてきたのに、その後漢に、象徴資本で勝たねばならないから、かなり不利なのです。
運動会の玉入れ。自分は本当は赤組なのに、それに気づかない。競技時間の前半まで、白い玉を、白組のカゴに投げ入れていた。しかし途中で、「オレって赤組なのに、何やってるんだ」と気づいた(白組の勝利は、自分の勝利とならないことを悟った)。残り少ない時間で、すでに自分が投げ入れた白い玉よりも多くの赤い玉を、赤組のカゴに入れなければならない。これは、かなり不利です。なんども書いてますが、「矛盾したことをして、袁術のバーカ」と言いたいのではない。劉氏の資本の総量と、袁氏の資本の総量とを(袁術なりに)冷静に比較して、「よし、勝てるぞ」と見積もったから、皇帝に即位したのです。たしかに建安初期、献帝は、生命すら守れない状況であり、お世辞にも資本が豊かとはいえない。
曹操は、献帝の資本をまるまる借りて、袁術を倒したわけですが、つぎは、劉氏の象徴資本との対決が待っていたわけで。「袁術がバカで、曹操が賢明」なのではなく、「劉氏の象徴資本をいかに自己に取りこむか」という、同じ種類の戦いを、ちがった形態で戦ったのが、漢末の歴史です。
曹氏に「謀反」する、漢王朝の官僚たちは、劉氏の社会資本の発動です。曹操に謀反したひとびとは、主観的には「忠臣であろう」とか、「曹操の横暴、許せない」と思っているかも知れないが、要するに、劉氏の社会資本に「あやつられて」いるわけです。というか、彼らに「あやつられている」自覚を与えず、主観的には「忠臣たれ、逆臣を許すまじ」とだけ思わせたことが、象徴資本があることの傍証になるわけです。
曹操だって、「忠臣であろう」という意図は、いつわりなくあったはずで、そこに作為的な屈節がなかったはず。作為的な屈節とは、「忠臣のふりをしておけば、簒奪が有利になるな」という、あらぬ勘ぐりのことを指します。
禅譲とは、象徴資本の移行(当事者に主体性を認めるなら「授受」という表現のほうが適切か)です。
即位儀礼にあらわれた神秘性
ブルデューの書きぶりだと、前近代には「神」の役割であった、命名・任命が、近代においては国家に代替されているという認識だと思います。20世紀を分析対象としているのだから、当然、そうなる。
ぼくら三国志の読者は、ブルデューよりも有利なかたちで、命名・任命の起源に触れることができる。つまり、皇帝=天子の即位儀礼は「告天」によって行われる。天子の特権は「祭天」です。
皇帝による官爵の付与は、天に基礎づけられたものだと、そのまんま、表現されている。「皇帝を名乗る個人が、恣意的に任命しているんじゃないぞ。天の代理として、任命しているんだ。だから、納得してくれよな」という原理が、わざわざ口に出さなくても、前提として共有されている。
人間が、人間に命名・任命するなんていう、不遜で、神をも恐れぬ行為ができるのでしょうか。そういうことは、神にしかできないし、許されてもいないんです。
……いきなり何を言うのか、という突飛な話ですが、身近なことを思い出せば、実感に近づくと思います。「学校の先生から成績をつけられた」、「会社の上司から査定をされた」というとき、「なるほどそうか!そのとおり!」と、100% 素直に納得できることがあるのか。「(期待値よりも)いい評価をもらった」、「既存の評価基準では、これより上の評価は付けられない」という場合を除けば、「なんで、あいつの査定を受けなければいけないんだ」と、イライラするはずです。「あいつは、私のこういう欠点を指摘してきた。だが、その欠点ならば、あいつのほうが酷いだろう」云々。
ときには、いい評価をもらっても、その理由を述べたコメントで、「あいつは、自分のことを、きちんと理解していない」と、怨みをためるのではないでしょうか。なんとも、厄介な存在です、人間は。
そこで、神ですよ。そこで、天ですよ。
皇帝権力が、天に根拠を求めたのは(求めずにはいられなかったのは)、人間が人間を任命・評価することの不可能性のためだと思います。「劉なんとかという個人に、なぜ命令されなければならんのだ」という人間らしい感情は、優秀な官僚の皆さんにあったと思います。突き詰めれば、「なぜオレは、劉なんとかに殺されねばならん!」という、生命の危機における怒りだってあったはず。
すると、ややこしい理屈になりますが、ある人間が、ある王朝から官職を受けとるのは、なぜでしょうか。「その王朝が、天の代理であることを承認するから」という話が導き出されます。
まちがっても、官職を受ける理由が、「ある王朝が(人間であるにも関わらず、人間の限界を超越して)正当な人事評価をできるから」という話にはなりません。だって、人間が人間を正当に評価するのは、ムリだから。一時的に、「あのひとは、人間(というか「オレ」という不世出の逸材)のことを分かっている」と信じることがあるでしょう。己を知るもののために死にたい!と、思うかも知れません。それは個人的な紐帯から生まれる幻想であって、国家という制度のものではない。再現性に乏しい。
後漢の後半、皇帝からの招きに応じなかった人々。袁紹・曹操・袁術に仕えるのを拒んだひとびと。彼らは、もちろん任命者のキャラクターを見て、仕官の有無を決めたのかも知れませんが、背後には、「彼らは天の代行者か」という問いが、(もしかしたら無意識かも知れないけど)あったはずです。
この問いを生起させず、自動的に任命に従わせるものを「象徴資本」という。つまり後漢末の戦いは、「オレの発行した官職を、受けとってくれよな」という、プレゼント競争だと言うことができます。より有力な(文化資本や、社会資本=人脈や名声のある)士人に、官職を受けとってもらうことができるか。かぐや姫への求婚と同型の戦いが起きていました。
かぐや姫が受けとってくれたら、諸資本が増えて、やがて象徴資本に転化できる日がくるかも知れない。
群雄が天を祭るのは、「オレが発行する官職は、天から仕入れたものですよ」という、品質のアピールです。それが、どこまで有効に機能するかは分かりませんが。
以上、いろいろ見えてきました。
官職を任命できるのは「天のみわざ」であり、それを可能にするのは象徴資本であること。象徴資本の持ち主であることは、有力な士人に、自分の発行した官職を受けとってもらうことによって獲得/確認できること。受けとってもらう条件は、まだ象徴資本に昇華しておらずとも、諸資本(経済・社会・文化資本など)を自分なりに蓄積していること。官職を任命することで、任命者は支配者となり、被任命者は被支配者となります。被支配者は、人間の本性に従ってか、ほぼ自発的に秩序の形成をはじめること。
こういった原理が働いているとき、史料にみえる現象は、けっきょくは官職の任命と、それが受諾された、もしくは拒否されたというパターン化された行動の反復であること。などです。160324
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