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- アイディア出し 第0回
「もしも三国志の人物が新末後漢初にタイムスリップしたら」という話を作れないか考えてみます。会社の帰り道に、ふっと思っただけなので、まだまだ荒削りです。
テーマ設定
テーマは、「漢の永続性に関する呪い」です。後漢末のひとびとは、「漢は永続するもの」という前提と、非常に不利な勝負を強いられます。禅譲と放伐は、王朝交替の手続として正反対で……、という説明を聞いて、分かったふりをしてはいけない。後漢末のひとびとの動向は、かなり奇異なんです。おかしな思い込み、「漢は永続するはず」という固定観念と格闘しています。
その固定観念は、「呪い」といってもいいほど。
後漢末の特異性を浮かび上がらせるのが、ほかの時代との比較。ことに、直近の王朝の交替期である、新末後漢初と比べるとおもしろい。古代中国という時代の雰囲気はそのままに、戦争の仕方は同じだろうし(詳しい技術史は知りませんが、ぼくの話づくりが変わってくるような兵器の発明はない)、地理・経済も、南方の開発が進んでいないことを除けば、おもに同じように戦略を立てればいいと思う。
『三国志平話』みたいにタイムスリップ
だれがどうやってタイムスリップするか。
『三国志平話』の方式でいきましょう。後漢末、だれかが、歴史に関する無責任なコメントを垂れていると、カミサマが現れて、ほかの時代に飛ばされる。「だったら、お前が直接、やってみろ」とカミサマに叱られる。『平話』では、青年の司馬仲相が、光武帝の天下統一記念パーティで居眠りして、司馬懿に転生した。
ぼくは、タイムスリップは、日本で娯楽として成り立つと思うけど、輪廻転生は娯楽として成り立つとは思わない。『平話』とは時代の飛び方が逆だけれど、転生ではなくタイムスリップさせる。
「漢の永続性」がまさに立ち上げられてようとしていた、漢末後漢初に飛んで、おのれの耳目で観察して、というか光武帝の時代に行動して、漢の永続性について考える。もしかしたら歴史を変えちゃうかも。一切は未定!
だれをタイムスリップさせるか
あまりに大勢を時間旅行させたら、彼らが舞台を200年前に置き換えて、「後漢末の戦い」を再演してしまう。それじゃあダメ。あくまで主役は、後漢初の人々。時間旅行した人々は、傍観者から始まってくれないと。10人とかでは多すぎて、時間旅行をした人々を描くことに枚数が割かれてしまう。
極端な話、ひとりがタイムスリップすれば充分。しかし、タイムスリップした同士の人間関係も、きっと作品を盛り上げると思うので、数人とか。
候補は大きく2つあって、後漢末の抗争の第1世代か、第2世代か。
第1世代だと、董卓が長安に遷都して、高祖の廟を蹂躙しながら、そこで昼寝をすると、高祖の霊に呼びかけられる。
高祖の霊というのは、王莽に革命の詔命を出したと、『漢書』にある。漢について問答をして、不遜な回答をくり返していると、「だったら、お前がやってみろ」てな感じで怒りを買う。高祖は、「お前だけが時間旅行したら、ゲームバランスが崩れる。苦手とするライバルの名を挙げてみろ」という。董卓は、「二袁児さえ片付けば、オレはなんの心配もいらん」と、史料ベースの発言をする。
こうして、董卓・袁紹・袁術はタイムスリップ。しかし、事故によって、袁紹と一緒にいた曹操、袁術と一緒にいた孫堅も飛ぶ。おまけで、劉備も飛ぶ。たとえば、袁紹が酸棗でだらだらしている。曹操が揚州で募兵したとき、劉備も同じ動きをしていた。曹操が袁紹に「董卓と決戦すべし」と説くとき、劉備も「兵を連れてきました」と報告にきて、タイムスリップに巻きこまれるとか。
董卓・袁紹・袁術という、初期のトップ3名と、曹操・孫堅・劉備という三国の祖。
第2世代といえば、諸葛亮・孫権・魯粛・周瑜といった、赤壁以後に主役になる人々。曹丕・司馬懿も、ざっくり言えば同じ世代。司馬懿は179年生まれ、諸葛亮は181年生まれ、孫権は182年生まれ、曹丕は187年生まれなので、同世代です。
きっとカミサマに怒られるのは、諸葛亮の役割。劉備に出会う直前。強者となった曹操にイライラして、「私ならば、漢をこのように復興するのに」と、身勝手なプランを練っていると、カミサマが表れる。
このパターンだと、50歳前後の曹操・劉備が生きているので、タイムスリップできる。いっぽう、董卓・孫堅は死後なので、登場できない。董卓・孫堅まで「英雄集結」させると、ワケが分からなくなるのでダメです。しかし、50歳前後の曹操・劉備が、若者の光武帝とであって、化学反応を起こせるのか疑問です。
いま2つの候補をあげましたが、1つめのほうが、新末後漢初の雰囲気に馴染みそうです。第2世代は、いちどは(曹操が勝利して)鎮静に向かった天下を、混ぜっ返していく戦いであって、新末後漢初とは違う。
各キャラの初めの動き
ぼくは高校生のとき、まだ連載初期の『龍狼伝』が教室のなかで回覧されてきて、読んだのが最初の三国志との接点であり、歴史のタイムスリップものとの出逢いです。けっきょくそのときは、三国志に興味を持たなかったのですが。
この原体験に従って、タイムスリップものを考えてゆくのなら、大きな戦いの中心地に、未来人が龍に乗って降ってくるものだと思ってます。昆陽の戦い(023年)が良いと思います。
飛ばされる場所は、もといた場所がいい。つまり、降ってくるのは孫堅でしょう。昆陽のあたりにいたから。孫堅が、王莽軍 vs 光武帝の属する軍との戦いに巻きこまれ、手柄を立てるところから、過去の話は始まる。
史実では、荊州を本拠にして、劉氏は更始帝を立てる。袁術は信頼を得て、更始帝の朝廷のなかで位を得る。孫堅も、袁術と運命をともにする。袁術の推薦と、王莽軍との戦いぶりにより、更始帝集団で将軍となる。袁術・孫堅は、光武帝とは同僚となるわけです。むしろ、光武帝を危険分子と見なして、更始帝集団から排斥する(史実どおりの展開)の一派に、袁術が加わる。
曹操は、初期の光武帝の配下となる。ゆくゆくは、雲台の諸将の二十九人目になれるように振る舞う。更始帝・袁術に虐げられる光武帝こそ、真の英雄だと思って、こちらに従って河北にゆく。
河北にいった光武帝に立ちはだかるのは、この地を支配する王郎。成帝の子を詐称している。王郎のもとに、ちゃっかり参謀に収まっているのが、袁紹さん。光武帝・曹操と、王郎・袁紹との河北をめぐった戦いが起きる。光武帝は、史実なみに苦しみを味わい、曹操もその苦しい道程についてゆき自炊したり、立場を詐って逃亡したり。たのしー!
王郎が滅びると、袁紹・曹操は、ともに光武帝の部下となる。袁紹は、雲台の三十人目になる方向性。曹操と袁紹が、手をとりあって、河北から天下を統一する戦いに加わる。しかも主君が光武帝だから、ハッピーエンドが予想されます。
劉備は、とりあえず逃げて流民に混ざる。あんまり勉強しなかったから(笑)自分がどうなってしまったのか、理解するのに時間がかかる。有名どころの人物とも会うのが遅れ、有名どころと会っても認識できないので、「漢はどうなったのですか」と市街地で聞きこみをする。漢新革命があったなんて、言葉の意味が分かっても、受け入れたくないから、もがく。
孺子嬰がどこかに放置されていると聞いて、孺子嬰のそばから義兵を挙げることを誓う。史実の孺子嬰は、更始帝集団に討伐される。つまり本作では、孫堅も討伐軍のなかにいる。劉備は善戦するも……、どうなるんだろう。
孺子嬰は、後漢末の献帝に似ている。史実では、あっさり殺されるけれども、劉備によって死を免れて、後漢初と後漢末のちがいを浮かび上がらせる!
董卓は、長安という土地柄、王莽のところに就職する。もちろん、すんなり就職するのでなく、トラブルを起こしながら。王莽は、董卓がもちいた蔡邕に似ている。あるべき王朝の姿を経書のなかに見出して、それを実現しようとする。
董卓は、王莽軍に強さを与える。王莽の王朝が、関中で長続きする! あ、ぼくは、この展開を描きたいから、この設定を思いついたのかも知れない(という遡及的に理由をつける自己分析をしてみた)。ぼくは、王莽のファンなので。
董卓は、隗囂ら関中の軍閥を説得して、王莽軍に強さを与える。
◆その後の展開
どのように歴史が変わるのかは、何も考えてませんが、
更始帝集団は、史実で、長安を占拠するまでは良かったが、途中で滅びる。しかし、袁術・孫堅がいるから、滅びずに揚州方面を目指す。光武帝は、じつは更始帝に謀反して自立した勢力に過ぎないことを、突きつけていくスタイル。
劉備は、在野の賢者と出会って(誰かはまた考える)益州の公孫述を頼れないかと考える。公孫述に、孺子嬰を保護してもらおうと考える。公孫述に拒否られて、劉氏に対する風当たりの強さを知る。きっと公孫述が、劉備らを歓迎したふりをして、孺子嬰を殺すんだろうな。「時代錯誤な願いを持ち込みやがって」と、公孫述の臣下たちに笑われる劉備。
歴史に関する知識の取り扱い
注意深く設定しないといけないが、時間旅行した人々は、後漢初の歴史についての知識が抜き取られている。いや、もしくは、知識は残っているが、リアルに過去の人々と会うなかで、認識を改めていってもいい。そっちのほうが面白いか。
後漢初の歴史は、彼らにとって基礎の教養だから、「詳しくない」などあり得ない。現代日本のひとがタイムスリップするのとは、ワケが違います。
「史書では、こう書かれていたが、実態は違うなあ!」という驚きをくり返して、史書の知識が役に立たないことを悟り、当事者として振る舞うようになっていくとか。歴史の教養は、彼らのキャラクターを形成する「抜き去りがたき柱の一本」だろう。後漢初の記憶を消されたら、彼らが彼らでなくなる。
よし、記憶を消すという設定はやめよう。
きっと互いに、だれがタイムスリップしてるか知らない。自分だけがタイムスリップしたと思っているが、偶然が手伝って邂逅することがある。面識がある者なら、「お前もここにいたのか」となるし、そうでない場合は、服飾とか言葉づかいとかで、「もしかして、お前も?」と探りを入れる。
警戒すべき最大のライバルは、自分と同じようにタイムスリップしてきた人々です。いちおう史書の知識が頭に入っており、それを利用して何かを仕掛けてくるから、やはり手ごわいのです(史書の知識がそのまま使えなくても)
頭のまわる人物などは、きっと名前を変えるな。たとえば曹操は、名前を変えて光武帝の配下にいる。董卓の乱の時点で、曹操と袁術は面識があるが、曹操と孫堅は面識がなさそう。曹操は、袁術が更始帝のもとにいると知りつつ、袁術には自分がタイムスリップしたことを悟られないように振る舞い……、とか、サスペンスの要素も含めることができそう。
あとは、後漢初に祖先をもつひとをどうするか。彼らをタイムスリップさせて祖先に会わせてやりたいに一票。もしくは、上であげた時間旅行者が祖先と出会って「あいつとそっくりだ」と感想をもつに一票。
とりあえず、第0回のアイディア出しは終わりです。160224閉じる
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