読書 > 桐野作人『破 三国志』の読解・分析

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存命の作家の文学研究は、成り立つか

今週考えたことを、最初にメモしておきます。
『破 三国志』の話は、この次のワクから始めるので、本題に進みたい方は、このワクは読み飛ばして下さい。

突然ですが、自問します。
北方謙三・宮城谷昌光など(もちろん、今から扱おうとしている桐野作人氏も)、存命の作家による『三国志』の文学研究が成り立つか。
ぼくは成り立つと思う。

大学のレポートや卒論として、受理されるかというのは、先生によるとは思いますが。文学作品を「読む」というプロセスに、教育的な効果を狙うからか。現代の消費者のために、読みやすく書かれた作品を読んだところで、教育的な効果が発揮されない。だからレポート・卒論として受理しない、ということもあるかも。

疑問があれば作者に聞けば済むから、研究にならないと言うひとは何も分かってない。例えば、作者による自作解説『三国志読本』には、事実誤認や記憶の変成が見られる。作家本人にも、作品は支配できない。
作家は生き物だから、書いた瞬間から忘れていく。つぎの作品に、必死に取り組んでいれば、完成した作品のことを忘れる、ということは普通に起こりそう。忘我の境地で書くこともある(そういうときに傑作が生まれる)。作者に自作の解説を求めても仕方ない。
ぼくらが研究すべきなのは、テキストそれ自体であり、それは北方謙三や宮城谷昌光に憑依した三国志の霊のようなもの。作者の生死は関係ない。
著作権は、テキストを書いた個人が内容に責任を持つ代わり、そこから発生する経済的な利益を受け取れるという制度。この制度に、読解や発想の仕方を毒されると、存命中の作家に対して、「自作解説をして責任を取れ!」と言いたくなり、探究心が死ぬ。中国古典のテキスト群(とそれから派生した文学作品)の読み方は、きっとそうじゃない。

……というのを仕事中に思いついて、職場を抜け出して、ツイートしていた。前日の夜に、@xisun3594 さんと話したことが、ひっかかっておりまして。
初めにぼくが、北方三国志から三国志に興味を持ったという、@xisun3594 さんに言いました。
例えば、北方三国志の感想交換・分析など、ご一緒にやりたいですね。まだ新しい小説なので、学問としては認可されにくいでしょうが、やりがいがあるような気がします。
@xisun3594 さんはいう。北方三国志の一番の特徴は、北方先生の意向で他の三国志小説を読まずに資料のみを読んで書き上げたところだと思っております。ですので仰る通り学問としては認可されにくいでしょうし、日本で盛んなテキスト研究の視点から見ると「?」と疑問符が付くでしょうが、本当に面白そうです。北方三国志読本に書かれている以上のことを研究してみることは新しい切り口になると思われます。
ぼくはいう。読本を見て、分析したような気分になるのが、いちばん勿体ない気がします。作者自身も忘れている作品の特徴って、多いはずです。そして「他の小説を読まずに書き上げた」というのも、格好つけた発言で、ぼくはウソではないかと疑ってます。どこかに影響があったような気が…
@xisun3594 さんはいう。言われてみれば確かに。読本と言えども、作者が監修した以上は絶対に主観が入っていますものね。分析したような気分になってしまうことは思考停止にも繋がると思います。あと、今改めて読本を読み返してみたのですが、その中でも矛盾点があることに気がつきました。作者にインタビューしている第一章のP16に「三国志」との出逢いは、いつごろなんでしょうか?という問いがあるのですが、その問いに対して作者は「僕はね、中学生のころに初めて読んだと思います。」と答えています。しかし、P18には「僕は、他の作家の「三国志」は一切読まないようにしました。」と答えています。「「正史」だけを見つめる、というふうにした。」ともありますが、中学生の時に三国志に触れている(十中八九文学作品だと思います。)以上は、影響が出ているのではないかと。
ぼくはいう。さっそく手がかりですね。ぼくは北方三国志(本編+読本)を読んで10年以上たち、詳細を忘れてますが(再読します)、正史だけでは絶対に生まれない描写が多いと思った記憶があります。「桃園結盟なんて信頼できない、だから劉備・関羽・張飛が出会ったとき、馬運びをやらせた」という言葉が、正史のみ読んで出てくるはずが無いです。
@xisun3594 さんはいう。やはり。そもそも桃園結盟は演義の知識が無いと何のことを言っているのかわからないはずですよね。作者が中国、とりわけ四川省の出身であれば演義=史実という認識なのかな?と理解できますが、北方氏は佐賀県出身ですもの。もしかしたら作者が中学生の時に触れた三国志は、子ども向けに直した児童文学の三国志演義だったのかもしれません。

@okakiyo92 さんはいう。『三国志読本』。北方『三国志』をめぐる十年前の議論を思い出しました。http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=791;no=1433
この掲示板のなかで、清岡さん(=@okakiyo92)はいう。たまたま手元の藤水名子『公子曹植の恋』(講談社文庫)をみていると解説を北方謙三先生が書いていて、そこには「かく言う私自身も、正史から起こした史実を中心に据え、長い小説を書いた。」と書かれていました。確かに「だけ」ではなくあくまでも「中心」ですね。
ぼくは思う。この掲示板では、ほかに「汜水関で華雄を斬る」のは、『演義』ベースであり、正史だけを見ても、この話ができるはずがない、という話がされている。


というわけで、存命の作家の作品ですが、『破 三国志』を読解・分析します。せっかく考えたことで、メモしておかないと、タイムラインで押し流されると思い、引用しておきました。150711

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上巻:隆中対の三方面進攻が実現する

作者の桐野氏曰く、諸葛亮が北伐に失敗する悲劇性を、修正しようとするのが本作。孔明の「天下三分の計」が暗転する結節点は、建安24年(219年)。関羽のだまし討ちを「なんとかしてやらねばならない」というところから、物語が始まる。
作者すら自覚していない、テキストに宿った三国志の霊のようなものを、読み取ることができたら、このページは成功となりますが……。

興復の章_023

◆第1回
いきなり関羽の死から書くのではなく、建安24年の正月から描き始められる。孔明が輿に乗り、屠蘇散をもって、陽平関にいる劉備を訪問する。漢中王に推戴するという、史実準拠の話からスタートする。
"劉備とて、帝位を夢見ることがなかったかといえば嘘になる。それを孔明が現実に変えてみては、という。孔明 「私自身の心情を申さば、閣下に帝位に就かれるべきだと念願しております。しかしながら……天子に忠節を尽くす意味からも、漢中王を称されるのがもっとも穏当な処置かと愚考しております」。"

◆第2回:討虜将軍の黄忠が、夏侯淵を斬る。

まだ史実から分岐せず、ふつうにストーリーを語る。建安24年の出来事は、余さずに書くつもりのようだ。「関羽が生き残ったとき、天下の情勢はいかにあったか」を説明するために、遡って描いているのだろう。まさに説明。桐野氏の小説は、説明が好き。


◆第3回
趙雲 郭淮伯の裏をかき、「帰城の計」で米倉山を焼き尽くす。というタイトルだけで、語り切れてしまう。
曹操の右腕として、賈詡が優れた軍師であることを、印象づける。これは物語の最後に、賈詡が世渡りの方法を間違えて、無残に死んでいくことの伏線である。洛陽に追いつめられた魏軍から抜け出して、孔明に帰順を申し出るが、「あんたなんか要らんよ」と言われる。

◆第4回:劉備が漢中王となる。まじそれだけ。

怒濤の章_077

◆第5回:関羽が黄忠と比肩するのを嫌い、費詩に諌められる
◆第6回:関羽が北伐を誓い、麋芳・傅士仁を叱る
◆第7回:司馬懿の当人が、呂蒙に共闘を持ちかける
◆第8回:関羽が樊城を囲み、于禁を捕らえる
……関羽の北伐を描く。史実から分岐する前に、115ページまで使ってしまった。全体(上中下3巻)の15%くらいは、イフが始まる前の状況説明である。この比率が、適切なのか、そうでないのか。
イフに分かれる前の、キャラたちの挙措を描いておかないと、イフに分かれた後の行動に説明がつかない、という構成上のニーズもある。

謀計の章_116

◆第9回
呂蒙・陸遜は、魯粛の「生ぬるさを歯がゆく感じて」いた人々であり、周瑜の「大呉路線」を支持している。『笑裏蔵刀』の計略をつかって、関羽のウラをかこうとする。
◆第10回
曹操が鄴への遷都を考え、司馬懿・蒋済が止める。史実なみ。
◆第11回
関羽が北伐しているころ、成都の孔明のところに、魯淑が訪れて「子明」とかかれた酒杯をプレゼントした。136ページ。あまりにも直接なリークであり、謎かけにすらなっていないが、ともかく孔明は、①呂蒙の笑裏蔵刀に気づかされる。
「益州閥」の法正の推戴によって、①早くも孔明は丞相になる。143ページ。法正が勧めるのだから、誰にも文句は言われないと。
法正は、史実でもギリギリ生きているから、展開に無理がない。史実・『演義』では第一線を退いているが、建国の功労者として、人事に口を挟んでもおかしくはないかな。史実以上の法正の有効活用です(へんな言い方ですけど)。この一事によって、作品がイフ展開に突入します。
そういうわけで、孔明は、①呂蒙の計略に気づき、②計略を防ぐために行動を起こす権限を得たので、関羽を助けることができる。
ここが分岐点であって、とても重要。むしろ物語を、ここから始めても良かったのではないかという気がする。

◆第12回
呂蒙が公安の傅士仁を籠絡して、関羽の退路を断つ
◆第13回
快速艇に乗って、丞相の孔明と、翊軍将軍の趙雲が、長江を下る。孔明は、関羽から苛められた江陵の麋芳が、もしかしたら裏切るのでは、と見抜いている。ビンゴである。もし裏切る意図はなくても、関羽から叱られるほどには、兵糧の管理がザツなのだから、劉備軍としては糾明する必要があると、整合的なことを孔明に言わせている。趙雲は聞き役。
趙雲は、江陵に入城するや、麋芳を斬り殺す。もちろん麋芳には、趙雲に斬り殺されても仕方ないような理由を付けつつ。于禁軍の捕虜を有効活用して、劉備軍のために、江陵の守備にあてる。ナイスな展開だなあと感心するしかない。
こうして、呂蒙の笑裏蔵刀は失敗したのである。

邂逅の章_167

◆第14回
孔明の訪問を受けた関羽は、「後方の備えが、がら空きでした。恥ずかしい。解任して下さい」と謝る。孔明は、「まあまあ、元気を出して、徐晃でも斬って来なさいな」と慰める。
◆第15回
呂蒙が撤退したと聞いた曹操。「こら司馬懿。お前は、呂蒙を活用すれば、関羽を退けられると言った。遷都は不要だと言った。しかし、失敗したじゃん。もう遷都するからね」といい、司馬懿を左遷する。
正史の読者には、馴染みがないかも知れませんが、司馬懿の左遷は、『演義』第91回にある。馬謖の計略によって、司馬懿は官職を剥奪される。ちょうど出師の表の直前。孔明は「司馬懿が左遷されたから、北伐のチャンス」と、行動を開始することになる。

◆第16回
魏軍との戦いに専念できるようになった関羽は、徐晃と一騎打ちをして退ける。史実に反して、徐晃の救援が来ないことになったので、樊城の曹仁が自害した。189ページ。味方すら欺いて、ひとりで死ぬ最期は、踏襲したい。樊城は開城した。

◆第17回
夏侯淵・曹仁を失った曹操は、荊州を放棄する。
荊州の放棄が、どういう意味をもつか、桐野氏が説明する。この説明が過剰なところが、桐野氏の特徴なので、せっかくだから引用する。
曹操は、受動的な内線戦略に転換した。内線とは、外線に対応する戦術用語である。敵の包囲体制(外線)に対して、全般的な防衛体制をとり、機を見て兵力を集中して、敵を各個撃破する作戦のことである。
魏のチョークポイント(死命を制する要衝)は、3つある。
 ①陳倉から長安までの渭水領域
 ②襄陽から宛城までの荊州北部
 ③合肥から寿春までの淮水下流域
魏はこれらを守るために、積極的な攻勢作戦を展開してきた。しかし、襄陽を失ったので、②が深刻である。②を放棄することで、積極作戦を諦めて、内線作戦に転じた。ドイツのハウスホーファーによると……という具合で(笑)

さて孔明は、宛城・許都を一気に落として、曹操のチョークポイントを制するために、呂蒙との同盟を回復しようとする。どうしても呂蒙を殺したい関羽を、孔明が宥めた。
孔明は、陸口に乗り込んで、呂蒙・陸遜に境界線を確定させようとする。
「魯粛は湘水を境界にすると決めた。しかし、洞庭湖より北が確定しておらず、韓遂で分けるのか、南郡・江夏の郡境で分けるのか、判然としない。呉のいう関羽の狼藉というのも、この国境が定かでない地域で起きたことです」
と事実を確認してから、孔明は条件を提示する。
「南陽から魏を駆逐した暁には、荊州7郡のうち、江夏・長沙・桂陽・零陵・武陵の5郡を呉に与える。蜀は、南郡・南陽だけでいい」と。

じつは呂蒙は(魏の司馬懿と同じく)作戦に失敗したから、政治的な苦境にあった。そこに孔明が、破格の譲歩を提示してくれたから、飛びついた。呂蒙は、保身のことがアタマにあった。

205ページに地図がある。あくまで蜀は、中原を狙うことを最優先して、荊州の南部を放棄するという考えである。中原に地を接さない地域は、呉にくれてやる。それほど、呉と関係回復して、急いで魏を討つことを優先している。
これは、作中の呂蒙・陸遜だけでなく、きっと作中の劉備・関羽も驚くべき交渉であり、読者もおおいに驚かされる。

呉は割譲してもらう約束の代わりに、蜀の宛城攻めに協力することになった。
陸遜は、あくまで関羽と戦うつもりだったから、面白くない。

◆第18回 宛城が陥落し、徐晃が死ぬ
陸遜が宛城を包囲しているとき、呂蒙が史実なみに死んだ。
宛城に籠もるのは、徐晃・司馬懿である。しかし曹操は、荊州北部を放棄すると決めてしまったので、カメが首を引っこめたので、救援するつもりがない。兵と民を助けることを条件に、開城した。徐晃は抵抗した。徐晃は、関平の肩を斬るという見せ場をもらって、死んだ。

司馬懿は捕らえられ、孔明・陸遜と出会う。「曹操に見捨てられたし、私は姿をくらますんで。孔明は、せいぜい漢室の復興をがんばって。どうせ無理だと思うけど」といって去っていく。

乾坤の章_216

◆第19回 馬超が進撃を始める
馬超は、史実・『演義』では活躍しなくなるが、この期間、羌族の強兵部隊をつくっていたことになる。陰平あたりに生活の場を与えられ、軍事訓練をやってた。「青羌武騎」「青羌散騎」をつくり、孔明の考案した連弩を装備してる。
手始めに天水郡を攻めた。
同じころ、魏延は冀城を攻略した。
馬超は、思い出の地である冀城が落ちたことに感慨を抱きながら、軍令違反を覚悟で、子の馬承を連れ出して、曹操領を攻め進んでいく。

孔明の北伐ルートを、馬超が率先して進んでいくのは、『反三国志』も同じだった。馬超は、出身地といい、能力といい、曹操との関係性といい、蜀が勝ち進むイフでは、使い勝手のよい武将です。


◆第20回 孔明が、孫劉の婚姻を画策する
孔明は、「孫権の力を借りて、曹操を攻撃すれば、楽々である。孫権に劉備の娘を娶らせよう」と提案する。借刀殺人は、呂蒙・司馬懿だけが使える計略じゃないんだぞと。その交渉を、孔明みずから建業に行って、やってくるという。
劉備・黄夫人は、「孔明さん、死ぬなよ」と見送る。

赤壁の前夜、孔明は孫権のところに説得にいく。また赤壁のあと、劉備が孫権妹をめとるとき、京城にいく。このあたりのオリジナルの話を、もじっている。


◆第21回 孔明が孫権を説得する
孫権「孔明よ。オレが劉備の娘をめとったら、淮南に出兵して、間接的に劉備を助けることになる。臣下たちが納得しないぞ」と。
周泰・韓当は猛反発した。しかし張昭は、和平を優先して、劉備と婚姻することに賛成する。孫権妹が、劉備に嫁いだ。劉備娘がこちらに嫁いでも、バランスが取れるじゃん。そもそも、荊州南部をもらうという条件に釣られ、宛城の攻撃に参加した時点で、魏とは決裂しているよと。
陸遜が、「孔明を暗殺したら終わりじゃん」と、周瑜の亡霊に取り憑かれたようなことを言うが、用いられない。どうやらこの作品では、陸遜は、蜀に対する強硬派であり、バカを見る役割である。
孫権のほうが、史実なみに柔軟で、ややこしい。

◆第22回 司馬懿が馬超に刺客を送る
司馬懿は、引退しているのだが、羌族の娘を見出して、馬超のもとに送りこむ。この娘は、のちに馬超を殺そうとするが、失敗する。馬超のもとに司馬懿の刺客がいるというのは、とてもおいしい設定なので、踏襲していきたい。

曹操は、鄴を根拠地として、万全の将兵の配備を行い、蜀との決戦の準備をした。陳留に本営をおき、許昌・洛陽・鄴にも数万ずつの兵を置いた。257ページ。

◆第23回 孫権が合肥、劉備が許県を攻める
劉備の娘をもらった孫権は、宿願の合肥を攻める。
曹操としては、孫権を中立のまま置いておきたかったが、孔明の計略により、戦線が増えてしまった。3つのチョークポイントを同時に攻められてしまった。
曹操「張遼に合肥を救わせろ。合肥が抜かれたら、寿春も沛郡も危なくなる。故郷を攻め落とされたら、わしの面目はどうなる」261ページ。

馬謖は、曹操の後方である鄴を攪乱して、魏諷・張泉(張繍の子)に反乱を起こさせようとする。途中で鎮圧されるが、いちおう成功する。秘密工作をする馬謖というキャラは、鉄板です。反乱は、早くも266ページに発動する。

4月、関羽が襄城を攻めたところから、魏蜀の戦いが始まる。襄城をすぐに落として、許県を12万で囲む。267ページに地図がある。

◆第24回 曹操が鄴に帰り、蜀軍が勝利する
魏諷が反乱したので、それに備えるために、曹操が蜀との戦いから去る。曹操がいなくなり、統制がゆるんだ曹操軍は、夏侯惇が活躍するものの、張飛に敗れた。
許昌の決戦は、つぎから第2段階である。中巻へ。

◆第25回 馬超が潼関を攻める
そのころ馬超・魏延は、陳倉・武功を落として、鮮卑・羌族と呼応した。長安を守る曹真と戦った。
馬超は、長安・洛陽の連絡を絶つために、長安を魏延に囲ませたまま、自身は潼関にむかう。曹操軍は、もとは馬超と同盟していたが、潼関の戦いの後に下った楊秋・侯選をつかって、馬超を防がせた。しかし、孔明の新兵器をつかう馬超が勝つ。
楊秋・侯選は、もとのように馬超と行動をともにすることにした。

上巻のまとめ

これにて上巻は終わりです。作者のアタマのなかは、包み隠さずに開示されていて、①陳倉から長安までの渭水領域、②襄陽から宛城までの荊州北部、③合肥から寿春までの淮水下流域で、同時に戦闘が起こるように、孔明が準備を整えるというのが、上巻でした。

②荊州北部は、押し上げられて、許県にまで曹操軍が後退しているけれど。

チョークポイントと言われると初耳だが、これは隆中対の内容を、横文字に言い換えているだけである。

隆中対を実現するために、劉備軍は増強が必要。
①では史実でフェードアウトする馬超に「青羌」の騎馬隊を作らせて、ここに投入した。副将の魏延とか、孔明の連弩とか、おまけも持たせてもらった。これは、史実の孔明の北伐で使うものである。
代わりに、馬超の独立性というリスクが発生した。馬超は、民族的な結束を優先して、劉備を軽んじるかも知れない。子の馬承を連れ出しているし。というのが、中巻に持ち越された課題。

本当に構成がうまい。やばい。

桐野氏は、②荊州を攻めるには、関羽を生かすことが必要と考え、法正の推挙によって孔明が前倒しして丞相になった。不自然にならないように、麋芳から江陵を奪い、呉の進攻を防いだ。

関羽が生きていたら?というイフが先になるのではなくて、諸葛亮の隆中対ありきで、この作品が書かれている。関羽ファンには残念なことですが、関羽の生存は、②の戦線を押し上げるための手段である。

②がうまく行っても、喜んでいられない。関羽を活かしたことで、孫権との関係が悪化すると、③合肥に投入する戦力がなくなる。だから孔明は、荊州南部を投げ出し、劉備の娘を投げ入れ、彼自身の生命も賭けに差し出して、ともかく譲歩しまくって、孫権との同盟を維持した。
①②③同時進行さえできるなら、後は何もいらん!という覚悟の見える、専権的な全部乗せ・全部賭けです。『反三国志』よりおもしろい。150711

@g_kasya さんはいう。破三国志をまた読みたくなったじゃないか。天下収斂の計! 実にかっこいいではないか。天下三分の計はそもそも天下を収斂するための仮の手段に過ぎないってのが分かる。

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中巻:豫州・兗州で、魏呉蜀がしのぎを削る

中巻に入る前に、マップを確認すると、蜀は益州・雍州・荊州北部を得ている。雍州のまんなか、長安の周辺だけ、辛うじて曹真が持ちこたえているが、マップの着色において孤立している。馬超が、潼関を奪ったからである。
呉は江陵よりも北を蜀に譲ったものの、それより南はちゃんともらっている。諸葛亮が、同盟を結ぶため(合肥を攻めてもらうため)に差し出した領土である。

蹉跌の章_015

◆第26回 張遼が合肥の救援に向かう
合肥の李典を、孫権がかこむ。落ちない。
陸遜 「今回の合肥攻めは、孔明の指図で始めたもの。苦戦するくらいなら、もう引こうよ(もう義理は果たしたから、約束どおり荊州南部はもらうけどな)」
貴公子然とした若い孫桓 「陸遜は、臆病風に吹かれている。後続の部隊の到着を待たずに、合肥を力攻めにしよう。そしたら合肥を得られる!」

そこに寿春を出発し、八の字の鼻髭をもつ張遼が、合肥を救いに向かっている。楽進・劉曄・涼茂・楊俊は、張遼の子・張虎を送り出し、孫権を攻める。地図は23ページ。
孫権は合肥の包囲をといて、張遼・張虎を迎え撃つため、寿春の方向に向かう。合肥と寿春のあいだで、両軍はぶつかる。

◆第27回 劉曄が呉軍を泥に填める
合肥と寿春のあいだで、孫権・張虎が衝突した。凌統が活躍するので、魏軍は逃げる。ところがこれは、本当の敗走ではなかった。劉曄が準備した泥沼の地帯に、呉軍を連れ込むためのワナである。
◆第28回 凌統が死ぬ
凌統は、張虎を追いかけて、泥に落ちた。そこを討ち取られた。甘寧に看取られて、凌統が死ぬ。御涙頂戴のシーンである。「甘寧、それがしを友として看取っていただけるか」と。44ページ。

凌統の没年は、史料や物語で混乱がある。ともあれ、うまく片付いてよかった。


◆第29回 孫権が張遼に敗れ、濡須口に逃げる
凌統が討たれたので、孫権軍は怒って、さらに魏を攻めようとする。虞翻が慎重策を唱えると、孫権の怒りに触れて入牢された。芸が細かい。51ページ。
持節護鮮卑校尉の牽招が、この作品では活躍する。「ヒョー、ヒョー」と発声しながら、鮮卑の兵が周泰を破った。孫権は惨敗した。

陸遜 「ほら、孔明に操られたりせず、魏との戦いを避ければよかったでしょ。濡須口まで引いて、態勢を立て直しましょう」と。
孫権は悔し涙で、落とせなかった合肥城を睨んだ。
「こうなったのも、孔明の策に乗せられ、欲を出したせいだ。おのれ、この借りは、何倍もにして孔明に返してやる」と、筋違いな恨みを抱くのでした。57ページ。

メタなことを言うと、これで隆中対が提示した、三方向の同時作戦の一角がくずれた。具体的には、張遼によって砕かれた。孔明にとって、張遼をいかに扱うかというのが、物語のキモになる。張遼がここで活躍しなければ、隆中対は成功していた。
史実や『演義』で、なんども孫権は、孔明の北伐と同時に軍を起こして、そのたびに失敗して撤退する。しかし、作中の合肥の敗戦を、史実や『演義』の失敗と同列に捕らえてはならない。
隆中対で提示した三方向同時!というのは、空前である。史実で馬謖がドジるときよりも、快進撃だったから、ガッカリ感が強い。そして、孫権が孔明に怨むようになったから、同時進撃は絶後である。 孔明は、戦略のリニューアルを求められる。


凱歌の章_058

◆第30回 周倉が敖倉・栄陽の兵糧を焼く
孫権が敗退したころ、陳留の平地で、魏蜀がにらみあう。馬謖が魏諷を動かし、曹操が鄴に帰ってしまった。司令官を失い、夏侯尚・夏侯覇・張郃・臧覇・文聘・呂虔が、上巻の終わりで蜀軍に敗れた。
この戦場に、関羽・張飛・趙雲・黄忠が揃っている。

曹操は挽回のために、持節烏丸校尉の田豫に、烏丸の兵を連れてこさせる。牽招・田豫が活躍するのが、この作品のポイント。

光武帝が北方の異民族を手に入れてから、反則級に強くなって、勝ちまくるのと同じである。つまり作中で劉備は、牽招・田豫を破ることに拘らねばならない。彼らを破壊したら、劉備の勝ちである。


膠着を破るために、孔明が魏軍の後方を攪乱することを計画する。伏牛山にもぐって、周倉が兵糧庫を焼きにゆく。75ページの地図を見ると、陳留の戦場から、大きく西の山地に迂回して、魏の懐に入り込んでいることが分かる。
戦力的に無理のない範囲で、周倉は焼いてきた。

◆第31回 孔明が「敗戦の計」を立案
兵糧を焼かれて、曹操が怒った。曹操は、曹休をくり出して、陳郡を奪った。蜀軍はびびる。しかも、さらに悪いことに、すでに孫権を破った張遼が、この戦場にやってくるかも知れない。
孔明 「心配ないさ。張遼は、しばらく戻ってきません。孫権は濡須口にいるから、張遼はこれを警戒する必要があります。そして蜀軍は、新しい作戦をやる。魯陽まで一気に引きあげます。わざと負けたように見せかけ、曹操軍を山岳地帯まで誘う。そこで逆に殲滅するのです
趙雲 「勢いの強い曹休は、私がやり過ごしましょう。曹休が暴れたら、『逃げるふり』に失敗して、本当に逃げることになる」

◆第32回 蜀軍が偽って撤退する
蜀軍は、わざと兵糧が足りないふりをして、撤退した。だまされた曹操・賈詡は、いまこそ蜀軍を討つぞ!とやる気になる。夏侯惇は、勝ち誇って進軍する。
そのころ趙雲は別の場所で、ヒット・エンド・ランで、曹休をイライラさせる。

◆第33回 張飛が仁王立ち、趙雲が空城の計
関羽は、夏侯惇を誘いこむ。夏侯惇が勇んで駆けつけた場所は、すでに無人であった。人間に見せかけた人形に張り紙をつけ、「これを読んだ夏侯惇は天下の名将である」とメモを読ませ、バカにする。「アカンベエ」と嘲笑された夏侯惇は、ぶち切れる。115ページ。

孫武が張り紙をした「これを読んだ龐涓は、この樹の下で死ぬだろう」を、受けているのだろう。ちょっと変則的だけど。

蜀軍の主力が、順調に敗走のふりをして、曹操軍を引き込む。
場所によっては、うまく魏軍をいなさないと、本当の敗走になってしまう。頴水のほとりで、張飛が橋の前で大喝する。夏侯覇は、ガタガタと奮えた。

撤退の難しさは、趙雲も味わっている。趙雲は、葉城で曹休を食い止めて、蜀軍が挟み撃ちになるのを防がねばならない。空城の計をつかって、曹休をやり過ごした。121ページ。

趙雲は、裴注『趙雲別伝』で空城の計を使うが、『演義』ではその手柄を諸葛亮に奪われる。『破 三国志』第33回では、諸葛亮の発案という制約はつくが、趙雲が曹休に対して空城の計を使って、ピンチをしのぐ。正史・『演義』の両方を踏まえた演出。こういうのをやりたい。
ハラリラさんはいう。趙雲の空城の計ですが、演義でも71回で趙雲が実行していないでしょうか?違うもののことを言っていたらすみません。
ぼくは、ご指摘の件、確認してみました。
『演義』71回:却説張郃・徐晃領兵追至蜀寨、天色已暮。見寨中偃旗息鼓、又見趙雲匹馬單鎗立於營外、寨門大開、二將不敢前進。
趙雲伝 注引『雲別伝』:公軍追至圍、此時沔陽長張翼在雲圍內、翼欲閉門拒守、而雲入營、更大開門、偃旗息鼓。公軍疑雲有伏兵、引去。
仰るように、第71回で趙雲がやってましたね。趙雲が外に単騎で出ているか否かというアレンジはされていますが、ほぼ『雲別伝』が踏襲されていました。


◆第34回 孔明が魯陽で夏侯惇を討つ
関羽に罵られた夏侯惇は、129ページの地図のように、魯陽に向けて突撃する。「諸葛」の旗を見つけたから、さらに深追いした。山岳地帯に入り込んだところで、上から岩石が降ってくる。孔明は、これをやりたいから、敗戦のふりをしてきた。
夏侯惇は負傷しており、張飛と一騎打ちして負けた。
曹休も、趙雲のせいで遅刻して駆けつけ。やはり負けた。

曹操 「賈詡よ。お前が、蜀軍を追撃しろと提案するから、聞いてやったのだ。しかし蜀軍の撤退は、実は計略である。まんまと誘い込まれて、夏侯惇を失ってしまったぞ。うわー、関羽じゃ、関羽じゃ、恐いよお!」

ここでまとめを。
①長安方面は、馬超が潼関までワープして、曹真を孤立させることに成功した。合格である。魏延が、長安の曹真軍を釘付けにしたから、できたこと。有名な魏延の「長安に対する執着心」は、有効活用された。馬超は、このあたりを守る武将たちと人脈があるし、青羌の騎兵を強い。曹操軍は、こちらの方面を失陥した。
ただし、馬超の独立の気配は、リスクとして残る。
②荊州から許方面は、陳留で本隊と本隊が衝突して、動けなくなった。馬謖が鄴を騒がし、周倉が兵糧を焼くという小細工をしたが、やはり曹操軍の本隊は強い。そこで孔明は「敗戦の計」を行った。これは、趙雲の空城の計とか、張飛の大喝とか、良くいえば蜀軍の見せ場、悪くいえば綱渡りを必要とする戦いであった。夏侯惇を討ち取るという、明確な成果を得て、まあまあ成功。しかし、本来は、曹操を一気に滅ぼしたかったはずだから、判定はサンカクであろうか。作者は、孔明の手柄を激賞してるけど(敗戦の計の、真の立案者は作者であるから、自画自賛である)
リスクたっぷりの撤退戦であるが、関羽の武力がテコになって、結果オーライ。
③合肥方面は、張遼が強かったし、劉曄が賢かったし、孫権が腰抜けだったし、陸遜がネガティブなことを言うから、失敗した。孫権の中途半端なところは、史実や『演義』をうまく反映している。
孫権が孔明を逆恨みするというリスクを作ってしまった。

蜀軍は勝利を重ねて、陳留から官渡、黄河の北へと魏軍を押しこむ。

簒奪の章_138

◆第35回 曹操が酒食におぼれ、曹丕が立つ
曹操は使い物にならなくなった。曹操の人格が壊れるのを描く。もうちょっと別の壊れ方を描けなかったか、とここだけは不満が残る。
曹操がもうダメなので、賈詡が曹丕を立てる。

◆第36回:曹植・楊脩が排除される
◆第37回:曹操が銅雀台から飛び降り自殺
◆第38回:曹丕が曹彰を毒殺する
◆第39回:曹丕が簒奪して献帝が姿を消す

オリジナリティがない。史実の魏で起こることを、河北だけが領土となった本作でも、同じように行わせただけ。
隆中対の実現!に向けては、すごくおもしろい展開だったが、この革命に関係するところは、あまり得意ではなかったらしい。史実を消化しただけ。
むしろ次の章のタイトルにあるとおり「転変」をいかにやるか。河北政権になった曹丕をいかに片づけるかが、オリジナリティの見せどころ。


転変の章_184

◆第40回 陸遜・仲達が、魏呉の同盟をつくる
陸遜 「蜀が強大だ。魏と結ぼう」
孫権 「わが妻=20歳下の劉備の娘のことを、お気に入りなんだけど」
陸遜 「国よりも私情を優先ですか?」
孫権 「陸遜の諌言キャラ、うざい。発動するの早くない?」
陸遜 「大都督の地位を賭けて、諌言してますんで」
孫権 「曹丕と結ぶとは、曹丕に臣従するということ?」
陸遜 「私は現実主義者です。曹丕の粘土細工のような帝位は、無視すればいいと思う。司馬懿に交渉して、豫州・兗州の蜀軍を攻めるとき、魏呉で連携するように約束します。豫州・兗州を守るのは、張飛。あいつを暗殺します。史実なみですから、うまくいきますよ」
孫権 「おもしろそうかも」
陸遜 「武陵蛮をあおって、成都を攻めさせる。西南夷を味方につけましょう。これも史実なみなので、きっと成功します」
孫権 「じゃあ、それで」

そのころ司馬懿は、笑いがこみ上げた。190ページ。
帝位に上った曹丕には、懸案が3つある。①孫権と和睦したい、②長安の曹真を救って函谷関を固めたい、③沛の張遼を使って蜀を攻めたい。
このうち、①が解決したから、孫権を、呉王・大将軍・持節・督交荊州牧にした。孫権は、漢中王を名乗った劉備に負い目があったから、喜んで受け取った。ここで、魏呉同盟が成った。

『反三国志』で、伝国璽の逆フェチズムを発揮した孫権よりも、遥かにリアルである。『破 三国志』のほうがうまい。


曹丕は、②長安の件を解決するために、馬超に和睦を持ちかけた。長安を開城する代わりに、城兵を助ける。潼関を境界にして休戦すると。
馬岱 「長安は、ほっといても落ちる。それに、すでに潼関は馬超軍のもの。どちらの条件も、曹丕が得をするじゃないか」
魏延 「馬超には、和睦する権限がない。統帥権はあるが、外交権を与えられていないはずだ。和睦すること自体が問題。長安とか潼関とか、関係ないんですけど」
馬超 「魏延、うるさい。条件つきで、和睦しよう」196ページ。
魏延 「丞相に言いつけてやる」

◆第41回 張飛が暗殺される
呉に降った、傅士仁・范彊・張達が帰ってきて、汝南を守る張飛を暗殺した。うまいこと言って、張飛と一緒に酒を飲んで、隙を見て殺した。

原作では、范彊・張達は、張飛を殺してから呉に逃げる。それを逆転させ、彼らが先に呉に逃げたことにして、後から帰ってきたことにした。ちょっと不自然。
これにより、魏呉は、河南地方の蜀軍を攻める準備ができた。


◆第42回 汝南の東部を、魏呉が切りとる
張飛が死んだので、汝南の東半分にある諸城が次々と、魏呉によって陥落させられた。しかし魏呉は、取り分の相談ができていなから、すぐに互いを牽制せざるを得ず、蜀を攻めきれない。地図は219ページ。
兗州にいる黄忠も、対応が忙しい。
さらに、史実の圧力により、法正が病死した。諸葛亮を、史実よりも早く丞相に推して、関羽を救わせたのだから、もう功績は充分である。

◆第43回 孔明が孟獲をキャッチ&リリース
『演義』の消化試合。

逆離の章_238

◆第44回 劉備が皇帝となる
孔明は、曹丕の簒奪が既成事実となるのを防ぐために、建安26年4月6日(史実なみ)劉備を皇帝にした。
孔明は、江陵に丞相府を置いて、情報伝達を早める。
関興が武陵蛮を平定して、陸遜のもくろみを外す。

◆第45回 馬超が姜維を得る
鮮卑の軻比能は、羌族の馬超が起こした戦乱をチャンスと見て、馮翊に侵入した。馬超は、「さては鮮卑が魏に調略されたのか?」と警戒しながら、鮮卑と戦う。調略ではなくて、鮮卑なりの意思をもって、動いていた。
鮮卑を破ると、鮮卑のなかにいた「天水の美将」姜維を見出した。姜維は冀県の出身であって馬超と地縁があり、父の姜冏が馬超の世話をしたという人脈もあって、姜維は馬超に従った。

『反三国志』は、遠慮せずに後期の武将を、つぎつぎと戦場に投入した。しかし、登場時期を繰り上げるなら、これぐらい慎重にやってほしいものだ。


◆第46回 魏延が馬超から離れる
関中を支配して、君主きどりで太守の任命まで行う馬超。魏延は、「劉備への謀反だろう」と思い、居心地が悪い。
そのころ郭淮は司馬懿と相談して、「馬超を味方につけたい」と計画した。「馬超が、魏延を殺して、曹丕のもとに帰参する……という展開。全然ありだな」

◆第47回 劉備が馬超の説得にくる
馬超のもとには、司馬懿が送りこんだ女刺客がいる。この刺客が、妻となっている。馬超に訴えて、魏に味方するように説得した。馬超が心を傾けたところ、劉備が現れて、直接 説得にあたる。劉備の姿を見て、馬超は蜀に従うことを誓う。

侍臣に化けた劉備とか、名場面です。282ページ。


中巻のまとめ

隆中対の戦いのあと始末。
①長安方面は、馬超が勝利を収めた。だが馬超が強くなり過ぎて、離反のリスクを帯びる。これを、劉備がわざわざ説得にいくという危険を冒して、消火にいく。劉備の生命の危機とトレードオフで、関中は安定した。
②荊州は、孔明の「敗戦の計」で、夏侯惇を殺して、蜀の勝利。獲得した領土に、黄忠・張飛が駐屯したが、陸遜のせいで張飛が殺された。どんどん蜀の領土が縮んでおり、ここを早く何とかしなくては。下巻で、どのように魏呉の連合軍を押し戻すのか。兗州は、魏の本国と黄河を隔てて接しているから、もっとも厳しい。
③合肥方面は、孫権と曹丕が結んでしまったから、蜀としては敵地。というか、蜀軍が②荊州を出て、豫州に戦線を押し上げた時点で、②荊州と③揚州のチョークポイントは、張飛のいた豫州に集約しており、ここが暴発するしかない。

陸遜が、荊州の武陵とか、益州の南中とか、後方に手を突っこんで、話を後ろに引き戻そうとする。しかし、史実ですら、蜀が支配していた地域である。ここをひっくり返すのは難しい。というか、蜀が後方が不安になり、戦線を後退させてしまったら、話が終わらないから! やめてちょうだい。

ただし、蜀にとって嬉しいこともある。魏呉が、蜀から豫州を切りとったところで、魏呉は新しい対立を生むのだから、漬けこむ隙がある。

むしろ、強者=蜀のチョークポイントは、どこだろう。それを、桐野氏に代わって分析して、陸遜を励ましてあげたい。


「用武の地」は、荊州から押し上げられて、豫州・汝南である。この1つの郡に、三国の兵がひしめいている。張飛を失った蜀軍は、この「用武の地」から、後退しそうである。この逆境を克服して、いかにして天下を統一するのか。黄忠だけに、兗州を任せておいたら、すぐに老衰を迎えてしまうだろう。下巻にて。150711

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下巻:第二次赤壁と、天下収斂の計

混沌の章_015

◆第48回 馬超が刺客に襲われる
劉備に説得されて、馬超は劉備に味方することにした。
しかし居合わせた姜維は、「劉備に平伏するような馬超に、仕えたつもりはない」といって、憤然と退場する。姜維の再合流を、読者は待望すべきである。きっとピンチを打開してくれる。そういう「使い方」をするはずである。

郭淮・司馬懿は、劉備による説得が行われているとも知らず、馬超に魏の王号を与えるために函谷関に出張っている。
司馬懿に呼応して、司馬懿が忍び込ませた女刺客=馬超の妻が、「魏に付きなさい」と説得する。馬超が従わないと見ると、女刺客が馬超の腹を刺した。
これは、物語をおもしろくするための補正です。馬超が健在なら、『反三国志』みたいに馬超だけで魏を滅ぼしてしまう。こんな万能なキャラは、退場してもらわねばならない。もう一度だけ、負傷のまま出陣するシーンがあるが、基本的には、もう退場である。蜀軍は、馬超なしで戦わねばならない。

◆第49回 仲達が潼関を襲う
司馬懿・張郃は、函谷関を発して、潼関を目指す。夏侯尚・満寵もいるし、田豫・牽招ら、異民族の軍も連れている。馬超が味方すれば良し、馬超が味方せずとも力押しで関中をこじ開ける。

魏は3つのチョークポイントを復活させようとしている。③合肥方面は、呉と仮に同盟を組めているからヨシ。②荊州方面は、張飛を汝南で殺して、回復しつつある。①長安を取り戻すために、諸葛亮の隆中対の戦争の後、初めて本格的な大軍勢を起こした。馬超への外交とセットなのは、言うまでもない。


馬超が刺客によって倒れた。しかし馬岱は、馬超ほどは劉備に心服しておらず、劉備のために働いてくれない。青羌の騎兵を、使いこなすことができない。

万能の必殺技を手に入れて勝ったら、つぎはその必殺技に制約がかかって、主人公は苦しまなければならない。お約束である。

馬謖・王平・張翼(もともと馬超軍を接収するために北上したが、馬超が恭順したから手が空いていた人々)が、魏軍を防ぐしかない。地図は31ページ、魏軍の顔ぶれは32ページに詳しい。田豫・牽招が主力であることが、強調される。
それから、歴戦の張郃は、曹丕に任用される司馬懿のことが嫌い。司馬懿が張郃を捨て駒にする伏線だと思いましたが、そんなシーンはなかった。

◆第50回 馬謖が命令違反、張郃に破られる
馬謖が判断を誤り、王平の諌めを聞かず、張郃に破られる。
街亭の戦いを、場所と年代を変えて、くり返すための回。結果はお察しのとおり。

◆第51回 馬良が馬謖を処刑する
例のようにミスった馬謖。史実では、孔明が馬謖を斬る。
この作品では、関羽が死を免れ、夷陵の戦いが起こらないことで、生存している馬良が、積極的に厳罰を主張する。「一族のことは心配するな」

◆第52回 魏延が潼関を守る
馬謖のバカが敗れたので、張郃・夏侯尚は長安まで迫る。
長安までの道を防ぐのは、潼関である。潼関を守るのは、「高齢化する五虎将軍より、若い分だけ凌駕している」魏延である。床子弩(カノン砲)を使って、夏侯尚を退けた。

馬超の負傷、馬謖の登山、によって蜀軍は危機に立たされた。しかし魏延が辛うじて、魏軍を削った。まだこの戦いは、途中である。分量の都合からか、章が変わる。


挽歌の章_062

◆第53回 仲達が夏侯尚をなじる
魏延に負けてきた夏侯尚を、仲達が「下手くそ」と叱る。夏侯尚には、定軍山で捕虜になった経験がある。

この作品は、定軍山の戦いから語り起こされているから、この夏侯尚のブザマな戦績も、作中で描かれていた。

なぜ仲達は、夏侯尚を詰るか。
65ページによると、曹氏・夏侯氏の勢力を削って、司馬氏の栄達を図りたいからである。魏というパイが縮小しているのに、そのなかでの栄達のために、戦場で適当なことをいう仲達。そりゃあ、魏も滅びるよね、内紛してるんじゃ……、という話である。

張郃は「高陸」という城を包囲したまま進めない。高陸を守るのは王平。きっちり、いい仕事をするけれど目立たない、というのが王平である。
蜀軍にプラスの材料がほしいなーと思っていたところ、馬岱・楊秋・侯選が、馬超ぬきでも蜀将として戦うことを申し出る。蜀の官爵をもらって、すっかり喜んだ。ちょろい。馬岱らは、張郃と戦うことになった。

まだ姜維が復帰していないことに注意。きっと、もっと引っ張って、「ここぞ」という場面で、蜀の味方をする。
だいぶ位置づけが変わっているが、これは『演義』の名場面である、諸葛亮の北伐の読み変えだろう。関中に、孔明・仲達の二雄がおり、魏の張郃、蜀の魏延などが活躍する。孔明・仲達が直接対決するわけじゃないが、プランナーはこの2人である。


◆第54回 孔明が渭水をわたる
蜀の年号で章武2年(223年)。
長安を発した蜀軍の4万(陣容は73ページ)が、堂々と渭水を押しわたった。諸葛亮・馬良を中心に、馬岱・楊秋・侯選ら馬超の代役がいる。
蜀軍が進んでくることは、魏の望むところ。蜀が守りを固めていると、戦いが前に進まないから。なぜ孔明は、あえて危険を冒したか。
これより先、
馬岱 「劣勢の側がやるような専守防衛では、士気が下がる。高陸の王平だって、いつまで耐えられるか分からない。長安が危険だ。こちらから、撃って出るべき」
孔明 「そうかなー。危ないしなー」
馬岱 「じれったい!」
こうして孔明ははぐらかし続け、諸将がどんな意見を持つのか観察した。関ヶ原で徳川家康が福島正則を観察したように……、って日本の戦国時代の話を持ってくるのは、辞めてほしい。ある日、「天啓があった。今こそ出撃すべきだ。渭水をわたって、張郃に当たる」と言い出した。
馬良 「天啓ってなに? ちゃんと説明して」
孔明 「そのうち分かるよ」
馬良 「張郃・満寵・牽招・田豫が攻めてきたよ。牽招・田豫は、異民族の兵を持ってるから強いという設定なんだ。やばいよ、丞相」
田豫の強さを読者に分からせるために、楊儀の3千が壊滅させられた。田豫は、もとは劉備に仕えたことがあるのに、なんとも皮肉な。劉備は、元部下によって、大切な北伐を失敗させられてしまうのか。

◆第55回 馬超が最期の出陣
田豫が楊儀を壊滅させたと聞いて、療養中の馬超が、さらしをまいて出撃する。女刺客=妻とは、ハッピーエンド的な別れ方をする。
「司馬懿が送りこんだ女刺客」というのは、この作品のオリジナルキャラ。責任を取るために、濃密な会話や心理描写をやる。

◆第56回 姜維が合流し、馬超が死ぬ
99ページに、高陸における、魏蜀の布陣図がある。地形を無視した、概念図みたいなやつ。馬超の異民族兵と、田豫の異民族兵が戦う。
張郃が勝つかと思いきや、鮮卑の軻比能をつれた姜維が合流することで蜀軍が勝った。孔明の「天啓」とは、姜維が来るという連絡であった。それを頼りに、孔明は渭水をわたって、決戦に持ち込んだのである。

これで関中が戦場になることは、なくなる。『演義』北伐をアレンジした、孔明と仲達の戦いは、姜維を切り札にするという、とても『演義』的な展開によって、孔明の勝利になった。


決別の章_114

◆第57回 孔明が呉との決戦を決める
馬岱を長安において、涼州牧にした。楊儀が輔佐でついている。楊秋を潼関、侯選を冀城においた。鮮卑の軻比能には、土地を割譲して、自治権を与えた。
戦功が最大なのは、魏延である。しかし馬岱の代わりに魏延をおいたら、関中は収まらない。次の戦場を与えるため、魏延は張飛の後任として汝南に置かれた。116ページ。

関中を収束させ、孔明は馬良とともに江陵にゆく。
孔明 「張飛を殺すような呉とは、もう決裂だ。荊州の全域を、呉から奪う。江夏から追い出すし、南部4郡も支配する」
馬良 「二面で戦うなと戒めておられたのは、あなたじゃん」
孔明 「天下三分の計はもう要らぬ。うちの国力は魏を上回る」
馬良 「陸遜は信頼できない。彼は、蜀が魏を滅ぼすのを、指をくわえて見つつ、火事場泥棒をやる気に違いない。荊州の江陵を、また狙ってきたりね。ところが、魏が弱くて関中の戦いが早く終わったから、陸遜はアテが外れたはずです。仕方なく呉は、諸葛瑾をつかって、うちに和議を申し出てくるでしょう」
孔明 「そんな和議、突っぱねるわ。これから中原で戦うのに、荊州に呉軍がいると、つねに背後を心配しなければならない。やっぱ、荊州から呉を追い出す

◆第58回 関羽が汝南を平定
関羽は許昌(頴川)にいる。孔明から「張飛が殺されて失った汝南東部を回復し、夏口に進め」という命令書がくる。
李厳・王連といった経済官僚に兵站を担当させ、章武二年5月、出発した。これは、蜀呉の赤壁に向かうためである。汝南から楽進を追い出した。
「恨這関(こんしゃかん)」を通り抜けて南下する。義陽三関(平靖関・武陽関・黄峴関)である。かつて関羽が荊州を都督したとき、この関を通り抜けて中原に出ようとした。いま、逆ルートで中原から南下する。
もっとも険しい平靖関を突破した。そのかわりに周倉が負傷した。困難なことをやるとき、ただ成功するだけではダメで、味方が相応の犠牲を払わないと面白くならない。『水滸伝』や『反三国志』は、この原理を無視するから、現代の読者から叩かれる。

◆第59回 諸葛瑾・陸遜が、蜀を防ぐ
関羽が南下したので、陸遜はびっくりした。諸葛瑾を、左将軍・公安督として、蜀軍を防がせる。呉軍は、諸葛瑾を陸口に、陸遜を江夏に配置して、「かつての赤壁の戦いのように」蜀軍に備えた。147ページ。

そのころ魏では、関羽の南下を受けて、軍議してる。
仲達 「呉を救援しよう」
曹真 「むしろ呉を無視して、うちのやりたいことをやる。陳留・済陰を蜀から取り戻す。関羽の留守を突いて、黄忠を討ち取る」
仲達 「呉との同盟を維持しないと、蜀には勝てない。ほらほら張郃さんも、関中で蜀と戦ってきたから、分かるよね。呉は有用だよね」
張郃 「呉とか、マジ要らんし」
仲達 「……孤立しちまった。新興の司馬氏に対して、宿将たちは警戒しているようだ。分が悪いぜ」

◆第60回 孔明・関羽が戦場に到着
153ページの地図を形づくるためだけの回。関羽は平靖関を抜けて、夏口へ。関興・姜維は、漢水を通って、同じく夏口へ。夏口で合流したとき、関羽は姜維のすごさを見抜く。しかし、2人の関係が深まることはない。ただ、姜維は重要キャラだから、史実にない関羽との出会いを描写しておくべきだと思ったのだろう。
孔明・魏延は、長江を下って、烏林(陸口の対岸)にくる。

呉軍は来襲に備えていた。劉備軍は抜けない。
陸遜 「あとは仲達が、汝南に現れて、関羽の後方を突いてくれたら、蜀軍は崩れるだろう。勝利は目前だ」
史実で、関羽は北伐して魏を攻め、呉に背後を突かれた。本作で、関羽は南征して呉を攻め、魏に背後を突かれようとしている。
この対句が面白いだけでなく、長江を下ってきた孔明は、かつての赤壁の曹操を反復している。どう考えても、物語の構成上、呉が勝つところである。

◆第61回 魯淑が呉を裏切って、蜀が勝つ
孔明は魯淑に「当帰」の薬草を送って、裏切りを誘う。魯淑は、父の魯粛が死んでから、呉での待遇が良くないので、蜀に寝返った。蜀軍が勝利する。
呉から裏切りが出るというのは、赤壁の黄蓋を踏まえているが、内容が異なる。黄蓋の投降はウソだったが、魯淑は本当に投降をした。

裏切り者を出した責任をとって、諸葛瑾が死んだ。
蜀軍は、夏口・陸口を得て、停戦した。
この戦いが長引くと、孔明にとって不利である。なぜなら、魏軍が動き出したら、兗州・豫州を失う。あんまり、呉との戦いに兵を集中していられない。
逆から見れば、陸遜にしてみれば、もっと早く魏が動いてくれたら、蜀は兵力が分散したはずである。仲達の発言力が、魏のなかで低下しているところまで、勘定に入ってなかった。

同じころ、荊州の南部は、沙摩柯などが平定しており、「十五年もの長きにわたった荊州争奪は、蜀漢の一人勝ちという結末で、事実上、終止符が打たれた」とさ。

蜀呉の赤壁というのが、この作品の一番の見せ場でしょう。ここで、分量の9割弱が終わっており、あとはハッピーエンドに向けた後始末。


間隙の章_179

◆第62回 陸遜が蟄居する
孫権は、揚州の6郡だけに押し込められた。孫策の時代に逆戻りである。
陸遜はいらいらして、共闘した武将を叱り飛ばした。孫権に会ってもらえない。陸遜は、事実上、失脚した。

史実よりも幸せに見えるのは、気のせいでしょうかw


そのころ、蜀の領土の北端である、兗州の陳留・済陰は、黄忠がひとりで支えていた。曹真・張郃・夏侯尚が集まって来た。183ページ。
いちばん防備が弱い、しかし領土の中心にあるのは、張嶷の守る済陽である。黄忠は、とりあえず済陽を目指す。酸棗では、呉班が25倍の魏軍に囲まれているとか、むちゃな戦いをしているが、黄忠はここを助けている余裕がない。
呉蜀の赤壁を華々しくやっているころ、蜀の兗州領は、武将の個人のキャラと好運に頼って、辛うじて保たれているという状況である。

◆第63回 張遼が定陶を囲む
張遼の回。
軍議のとき、仲達は呉を救えといったが、曹真が兗州を奪うことを優先した。
経験が豊富な張遼から見れば、仲達のほうが正しく、兗州なんていつでも奪える。しかも黄忠に抵抗されて、鎮圧に時間が掛かっているとか、バカみたいな話である。しかし、仲達にくみすると、軍中で孤立する恐れがあるから、黙っていた。
「曹操のころは、良かったなあ……」
しぶしぶ、兗州を奪う戦いに参加させられた張遼。割り当てられたのは、厳顔が守る定陶。厳顔は、どうせ老い先も短いから、張遼に一騎打ちを挑み、敗れて死んだ。定陶は開城した。済陰郡は魏のものになった。
このように、兗州の全ての城がもちこたえたのではなく、張遼のような名将が来ると、落ちるパターンもあるよ。やはり張遼は名将だな!という回でした。

◆第64回 張遼が曹休にストライキ
厳顔が敗れたので、黄忠は焦った。もしも張遼がこちらに転じてきたら、持ちこたえられない。
しかし、曹休から「手伝えよ」と指図された張遼は、「オレはオレの持ち場を片づけた。曹休の持ち場を手伝う義理がない。まして曹休のガキは、オレに対する指揮権がないだろ。ああ、曹操サマのころは、良かったなあ……」
魏は連携に失敗して、張遼は徐州に移っていった。

黄忠が籠城すること4ヶ月、関羽が帰ってきた。
蜀郡が兗州に入った。張遼・曹休がいがみあったおかげで、蜀は兗州を保つことができた。

寄せ集めの魏軍、多彩な人材のいる魏軍、だからこそ起きるトラブルが、描かれているのだと思います。是非ともマネていきたいと思います。


◆第65回 劉備が死ぬ
蜀が二面作戦をぶじに達成した。
呉で失脚した陸遜、魏で失脚しそうな仲達は、ふたりとも苦々しく思っている。
「もしもオレの言うとおりに、魏呉同盟を機能させていれば、今日のようなことにならなかったのに!」
陸遜は仲達を訪問して、魏呉同盟を、ふたたび機能させる日取りを約束した。いま、魏呉同盟を退けた人々(魏は曹真や曹休などの皇族、呉では張昭ら軟派)が発言力を増しているが、その結果、蜀をのさばらせてしまった。
いつか魏呉同盟が必要だと、分かってもらえる日がくるさ!と、健気である。

仲達・陸遜は、オトモダチとして励まし合っているのではなく、「あなたの発言は、ちゃんと軍を動かす力があるんでしょうね」と腹を探り合ってもいる。そのあたりは、リアリティを求めてある。


史実の圧力が押し寄せて、劉備が死んだ。
夷陵の戦いで負けてガッカリして体調をくずす、という展開に持って行けない。だから、史実で劉備の死の前後で反乱する勢力を持ちだして、彼らに暗殺されたという話にした。

出師の章_225

◆第66回 天下収斂の計
即位した劉禅に、孔明が「天下収斂の計」を説く。233ページ。
孔明の言葉を、史実に反して最後まで生き残った関羽がさえぎり、代わりに喋ってしまう。
「馬岱が函谷関をめざす。黄忠・魏延が河水をわたって鄴をめざす。趙雲・関平が呉にそなえる。それがし=関羽が汜水関を守る。さすれば、魏都である洛陽は陥落するだろう。のこった呉は、恐れて降伏するだろう」
なんの計略でもなく、ただ同時多発的に兵力を大動員して、一気にカタをつけてしまおうという、強者の戦略である。
馬岱は函谷関を割り振ってもらい、嬉しがった。しかし魏延は、自分が汜水関に行きたい。関羽は、みずからの手柄を大きくするために、おいしいところを取ったのではないかと。黄忠も「わしが汜水関を攻めたい」とゴネる。

孔明 「関羽の作戦は、ただのゴリ押しです。魏は、汜水関・函谷関を閉じると、攻めきれないでしょう。それよりも、別の方角を攻めなさい。徐州を守る張遼を攻略する。人材としては、張遼という名将を消せる。領土としては、魏呉がつながった場所がなくなり連携できなくなる」237ページ。

序盤から、やたらと張遼の存在がチラチラと目立っていたのは、孔明にこれをやらせるための準備であった。伏線が回収された。

声東撃西(洛陽を落としたいのに、迂回して徐州を狙う)というのが、天下収斂の計のキモです。

◆第67回 関羽が張遼に米を贈られる
陸遜・仲達の努力により、魏呉同盟が成った。
呉は柴桑から蜀郡を牽制しながら、魏呉の主力は汝陰・寿春から許昌に攻める。関羽の考えたように蜀が洛陽を囲めば、その背後を魏呉がさらに大きく囲まれるところだった。危なかった。
仲達・陸遜は、許昌(関羽)に狙いを定めて、魏呉の動員をかけた。ところが徐州の張遼は、不作のせいで兵糧が足りない。仲達「早く来い」、張遼「ちょっと待って」、仲達「早くこい」、張遼「曹操サマのころは良かったなあ」と。
危機を見て、関羽が張遼に兵糧を支援することで、魏軍のなかにおける張遼の立場を悪くした。

そのころ、軻比能・姜維が、北西の異民族をつれて、河北の魏領をかすめている。鄴を守るために、魏軍は分散するしかない。

◆第68回 張紹・孟獲が交州を得る
北方では姜維がスケールの大きなことをやっているとき、蜀軍は交州を奪って、孫権をがっかりさせた。交州の遠征軍は、252ページにある。
孫権は、濡須口にいる呂範3万をひきぬき、豫章・廬陵の守り(交州への備え)に宛てるしかない。
このように、北方・南方の異民族を有効活用して、魏呉が中原の決戦に割ける兵力を削っていく。蜀は異民族を活用するから、中原の兵力を削らなくてすむ、という必勝パターン。

張遼のニセモノ(周倉が化けている)が呉軍を攻めた。呉軍は「張遼が裏切った」と思った。陸遜は、仲達が約束を違えたと見なして、怒った。ホンモノの張遼は、ますます居場所がなくなり、関羽の説得を顧みずに死を選ぶ。

◆第69回 公孫淵・倭国の使者
徐州を蜀が平定し、黄権が徐州牧。
関羽と張遼が最期の会話。266ページ。

◆第70回 孔明が七龍将軍を定める
呉は張昭が降伏の使者にたつ。孔明は条件を緩めない。
魏延・馬岱・王平・姜維・黄権・関平・呉壱を「七龍将軍」と定めて、275ページにあるように最終決戦をする。魏都の洛陽が落ちた。司馬懿は、死せる孔明ならぬ、孔明の影武者を追いかけて、敗退した。

ぼくのイメージでは、魏は守りにくい洛陽ではなく、鄴に籠もりそうな気がするが、曹丕は洛陽に残る。なんで?


下巻は、だいぶ省略してしまったが、おおむね、こんな話でした。

下巻のまとめ

大きな戦いをまとめると、まず関中で、仲達・孔明が衝突。鮮卑が連れてきた姜維のおかげで、蜀が勝利する。関中が蜀領として確定する。
関中で魏蜀が戦っているとき、火事場泥棒をしようとしたのが陸遜。孔明は「関中を手に入れたし、本格的に呉と対立してもいい段階だ」と考え、第二次 赤壁の戦いを起こして、呉を揚州の押しこめる。
蜀が進むについて、魏呉同盟の必然性が増してきて、陸遜・仲達が暗躍する。孔明は、徐州を奪うことで、魏呉を地理的に分断した。かつ、北限と南限から異民族を攻め寄せさせ、魏呉の兵力を分散させた。呉は降伏を願いでて、魏は洛陽を落とされ、天下統一が成りましたと。150712

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