雑感 > 漢字そのものに関して感じてること

全章
開閉

漢字づかいの規範と、古典のパソコン入力

三国志パズル大戦をやった結果、「エン州」とか、「鍾ヨウ」とか、「荀イク」とか、むかしのインターネット環境に合わせて使われてた、不自然な表記について、違和感がなくなってきた。
なんとなく、最近 思っていることを、書いてみます。

規範としての言葉使いや文字使い

規範としての言葉使いや文字使いのこと。
はじめに自然に生成した言葉や文字があり、それを整理して、文法や字書が作られる。それが規範となり、こんどは自然に生成した言葉や文字に影響を与える。言葉や文字に、本来ならば、ないはずの「正誤」という概念が導入されてく。
どういうことかというと、
そもそも言葉や文字が、自然に生成して、人々のあいだで流通するものだと定義するなら、「正誤」というのは、そもそもおかしいはず。使われ、通じているのなら、それが言葉や文字であり、正しいも誤りもない。でも言語に対する統制という営みは、どの時代も行われてきたこと。
人間は(権力者は?学者は?)統制をせねば、気が済まないらしい。

漢字は『説文解字』や「康煕字典」で整理され、近代の日本でも整理され。本来は別の字なのに同一視されたり、同じ字なのに別字に扱われたり。正字、旧字、略字、異体字、印刷用の活字、パソコン用フォント、などが混乱して、今に至る。
たとえば、宋代の印影本をパソコンに打つことは絶えざる恣意的な解釈の連続。恐ろしくて、びくびくする。どこまで、「これは恣意的に判定しましたからね」と、申し送れば良いのか分からない。
字形そのものが、時期や地域によって異なる。「正しく筆写する」というのが、そもそも不可能なこと。定義的にムリ、原理的にムリ。英語とまったく意味が同じ日本語を書けないのと、まったく同じこと。「恣意的ですから」と申し送るなら、5文字に1回ずつくらい、エイヤッと判断している気がする。キリがない。

正しい漢字の知識は学習を継続するしかないけど。
取りあえずは、日本語のパソコン用のフォントが、康煕帝と同じかそれ以上に、我流の規範を押しつけてくる。ひとつの企業が(研究者の力を借りているのであっても)文字の規範をつくるなんて、すげー。
文字コードがどういう体系で作られているか知らねば。ネットで三国志のホームページを作ってるから、この問題は10年間、悩みの蓄積がある。

文字にイデアなんてない

もしも文字に、イデアのようなものがあったとする。だが、塞外の異民族に、バベルの塔を破壊されて(比喩に出すのが、ハンパなカタカナ語ばかりですみません)そのイデアが参照できなくなったとする。現在、人々は、イデアの劣化コピーのみを手にしてる。古代の輝かしくも正しい漢字のイデアを追い求めて、さまよっている。
・・・なんて話は、ありえない。
周文王が編纂した、漢字のイデア目録とか、前漢の後期に整理されて、伝わっていそうだけどw

ぼくのなかにあって、漢字のイデアのように感じられるものは、きっと文部省(当時は文科省とか、モンケ=ハンとかじゃなかった)に叩き込まれたもの。そして、現在の日本語の書体メーカーも、同じような基準に従って、フォントを作っている。だから、まだギリギリ、パソコンへの打ち込みの作業が成り立つ。
戦後の国語教育を定めるときに、常用漢字表をつくるにあたり、また字体を定めるにあたり、多くの批判があったことは、本を読めば、分かりすぎるくらいに分かる。確かに、文字のあいだでの整合性に欠くとか、漢字の歴史性を無視しているとか、誤解の上に成り立っているとか、いろいろ不備がある。しかし、ひとたびそれが規範として制定され、教育に使われたら、それは、マジで規範となるわけで。

ぼくが恐いのは、文部省に叩きこまれて作った、自分なりのイデアが、おおくの古典に触れることで、ゲシュタルト崩壊を起こすこと。戦後教育用の漢字表の不備のほうに、意識の重点がうつってしまい、規範を見失うこと。
これは、古典を学ぶ者としては嬉しいとこであり、成長にカウントできることかも知れない。でも、日本の仕様のパソコンで作業する者としては、両腕を切り落とすに等しい。かといって、現代中国の仕様のパソコンで作業できるわけもなく、とても不便です。ピンインなんて、ほとんど頭に入ってない。簡体字のほうが、省略が荒々しくて、古典からの距離がいっそう離れそう(な気がする、日本で教育を受けたぼくは)。

日本と中国に跨がる問題だから、規範的な文字使いを1つに統一することは不可能。実作業者としては、どんな漢字が、旧字体、異体字、繁体字、簡体字などでトラブルを招くか、職人芸としてノウハウを蓄積するしかない。文字コード上、ランダムにN:Nで混線して対応する「要注意な漢字」まとめたい。
おおー、やるべきことができた。
ネットで三国志の情報を発信する者として。その下準備として、中国のサイトから、原文を借りてくる者として。このあたりを、しっかりまとめるのは、ぼくの役目かも知れない。
という勘違いから、ネットの三国志界隈は充実するのだと思います。ぼちぼち、やってみたいと思っています。

異体字を表示できるIPAをスルーしたい

一太郎2014は、「IPAmj明朝フォントを標準搭載したため、58,000字もの文字のやりとりが行えます」とあり、ワタナベの「ナベ」は、30種類の字体から選べるらしい。戸籍の作成の過程で不当に拡散した字形を、そのままパソコンに流通させるのは、戦略としてイヤ。収集がつかなくなる。
IVS(異体字のコード体系)は、独立行政法人情報処理推進機構って組織が作ってるらしい。日本の行政実務や冠婚葬祭の案内状で使うために作成されたらしい。
金石文や印影本、中国の出版物から引き写すときは無意味。っていうか、区別不可。状況は知りませんが、中国史の先生方にはスルーして頂けると助かります。あくまで、日本の特殊環境で使うものとして企画されたので、関係ない、という態度で良いのではないかと思います(というか、願っています)

上の独立行政法人のサイトでも、一太郎のサイトでも、紹介されているのが、東京の「カツ飾(カツシカ)」と奈良の「カツ城(カツラギ)」の問題。このカツの字は、三国志では、諸葛亮の話につながる。
ちょっと話が飛びますが(すぐ戻ってきますが)、
クリプキが、色としての青と緑と、言葉としての「青」と「緑」のつながりの恣意性(結びつきは必然でない)を説明するために、グリーンとブルーを混ぜた「グルー」という術語を使う。同じことが、パソコンによる漢字表示でも起きる。
以前に満田先生がイベントで説明されるときに、カツの字が話題になりました。諸カツ亮のカツの中央下が「ヒ」なのか「人」なのか。どちらかは忘れましたが、例えば先生が「スライドで『ヒ』になってますが、正しくは『人』」と仰ったとき、前の画面には「人」が表示されている。でも先生の手許では「ヒ」らしく、「いいえ、だから『ヒ』ではなく『人』で」、「先生、画面では『人』になっているから大丈夫です」、「っていうか、どちらが正しいんだっけ」とか、会場がやや混乱しました。

入力者の思い描いている字形、パソコンに入った文字コード、その文字コードに基づいて表示するプログラム(ユーザーの使用環境によって左右される)、割り当てられているフォント、見る者の判読の精度(関心の高さ、目の良さに左右される)などにより、字形がいろいろ変わる。
入力者の思い描いている字形と、画面や印刷物に出てきた字形と、それを見た者が読んだ字形は、わりに恣意的なのです。っていうか、恣意的じゃ困るし、クリプキの哲学的な命題と異なり、技術や、関係者間での取り決めの問題で、実務的に解決できる(解決できなければならない)と思うけれど。

図書館のデータベース

最後になりましたが、先週、長坂和茂「書誌データベースの異体字処理 ー谷と穀は同じ字かー」という論文を、ご本人から頂きました。
どうやら図書館の職員が、書誌データベースを検索するとき、入力者がどの字で入力したか、を忖度して、文字の候補をいろいろ入れてみないとダメなようです。さもなくば、存在する資料でも、「ヒットゼロ件、存在せず」という判定をしてしまう。
これは、規範が云々とかではなく、他の図書館員がどのように入力したか、という、極めて不確かで、個人差(作業の正確さ、文字に関する教養やポリシー)の影響を、もろに被ってしまう話です。
また、検索システムが、どの字を同じと見なし、どの字を異なると見なすか、という仕様にも影響される。このご論文は、それについて調査されたものでした。

長坂氏は図書館員としてのものでしたが、三国志のホームページを作る者としても、同じような調査とか、実務上のまとめとかがあったほうが、便利だなあと思いました。というか、本職の方々でも、このような調査が必要であり、相互に共有されているくらい、文字の扱いは、まだまだ途上にあるのだな、ということが分かりました。
うっすら、使命感がわいてきましたw
はじめに戻ると、かつては、「荀イク」とか「荀或〃」とか、苦肉の策で対処するしかありませんでしたが、いつからか、誰かのおかげで(いつからで、誰のおかげなんでしょうか)どんな難しい字も、とりあえずはネット環境で表示できるようになりました。
これを受けて、ウエブで三国志をやる者としての手引きとか、文字の扱いに関する合意(ゆくゆくは、規範となるもの)があったら、いいなあと思います。広くファン同士で繋がりつつ、つくっていけたら、ウエブ上の三国文化が、持続的に、もっと盛んになるかも知れないです。

新品の日本語パソコンから、三国志の話をネットでできるようなるまでの、効率的なセットアップとか。中央研究院や、中国の維基文庫などからもらってきたテキストの、効率的な整理と加工の方法とか。漢字の扱いに困ったときの、調べ方とか、現代日本の漢字づかいの規範への置換とか。簡体字が割り込んできたことによる、(中文を学ばない者から見る)文字の混乱と、その対処法とか。140921

閉じる