読書 > 李卓吾本『三国演義』第15回の訓読

全章
開閉

第15回上_孫策 太史慈と大戦す

劉備が張飛を許す

張飛 自刎せんと要し、玄徳 向前し、抱住して其の剣を奪ひ、言ひて曰く、
「古人 云ふ有り。兄弟は手足の如し。妻子は衣服の如し。衣服 破るる時、尚ほ更換有り。手足をして若し廃せば、安にか能く再び続げんや。吾 三人、桃園に結義し、同日の生を求めずとも、同日に死せんと誓願す。今日、城池・老小無しと雖も、安にか兄弟をして中道に亡ふこと忍びん。呂布 吾が妻小を擄るも、必ず之を害せず。方略を作し、救抜せん」
遂に皆 大哭すること一塲。

袁術が呂布への贈物をケチる」

〈劉備は〉紀霊と会戦するの事を理む。
袁術 知る、呂布 徐州を襲ふを。星夜、人を差はす。糧五万斛・馬五百匹・金銀一万両・綵段一千匹を許とし、劉備を夾攻せしむ。布 喜び、高順をして兵五万余を領して、玄徳の後を襲はしむ。玄徳 知る、呂布の兵 後を襲ふと。陰雨に乗じて徹兵し、盱眙を棄てて走ぐ。思ふ、東して広陵を取らんと。
高順と紀霊 相見え、順曰く、
「温侯 順をして助戦せしむ。就ち許とする所の物を索む
霊曰く、「公 且く下邳に回れ。某 主人に見ひ、那時、相送る」
高順 紀霊と別れ、回りて呂布に見ひ、紀霊の此の如き回答を言ふ。忽ち袁術の書 至る有りて云はく、
「劉備 未だ除かず。劉備を捉はば、那時、相送らん」
布 大怒す、
「袁術 信を失す。起兵して之を伐んと欲す」
陳宮曰く、「不可なり。術 寿春に拠り、兵は多く、糧は広し。便ち出づ可からず。如かず、玄徳に還りて小沛に屯せよと請ひひ、養ひて羽翼と成せ。玄徳をして先鋒と作らしめ、那時、先に袁術を取るの後、袁紹を取らば、天下を縦横す可し」
布 其の言を聴き、暗かに人をして玄徳を取回せしむ。

玄徳の兵 広陵に至り、又 袁術に寨を刼され兵を折らる。大半 回来するに、呂布の使命に正遇す。
玄徳 〈呂布の〉書を見て、大喜して便ち徐州に投ず。
関張曰く、「呂布 乃ち義の薄きの人なり。准信す可からず」
玄徳曰く、「人 既に此の如くんば、心を好くし、我を待つ。我 疑はず」

劉備が呂布に降り、小沛にいる

遂に之に行き、徐州に来到す。
布 疑惑あるを恐れ、先に人をして老小を送りて、玄徳に還らしむ。甘・糜二夫人 玄徳に対して曰く、
「呂布 兵一百をして宅門を把定せしめ、諸人 敢へて入らず。常に侍妾をして送物せしむ。未だ嘗て欠有らず」
玄徳 関張に謂ひて曰く、「我 呂布の無義の人に非ざるを知る」
入城し、呂布に謝す。飛 呂布を恨み、未だ往かず。〈張飛は〉先に嫂嫂と与に小沛に去く。

玄徳 呂布に入見し、拝謝す。呂布曰く、
「吾 你の城池を奪ふに非ず。汝の弟の張飛 此に在り、酒に恃みて人を殺す。吾 故に来りて之を守る」

張飛の殺人は、呂布が入城した後だけど。呂布の言い分も、あながちウソではない。呂布は、もっと純粋な常識人としてイメージすれば良いのだろうな。何をやるべきか、分かってないだけで。

玄徳曰く、「備 兄に譲らんと欲すること久し」
布 再び玄徳に虚譲す。玄徳 力辞す。宴 訖はり、拝別し、還りて小沛に屯し、住劄す。関張 心中に忿まず。玄徳曰く、
「身を屈し分を守りて、以て天の時を待つ。命と争はず
呂布 人をして糧米・段疋を送らしめ、兼せて玄徳をして豫州剌史と為らしむ。此自り両家 和好す。

孫策が独立したいと歎く

却説 袁術 将士と寿春に大宴す。人 報ず、孫策 廬江太守の陸康を征し、勝を得て回ると。術 策を喚びて、至りて堂下に拝せしめ、問労を問ふ。巳に畢はり、便ち侍坐して飲宴せしむ。
原来、孫策 父の喪する後自り、江南に居り、賢を礼し士に下る。後に陶謙と策の母舅たる丹陽太守の呉景 不和たるに因り、策 乃ち母并びに家属を移して曲河に居り、自ら袁術に投ず。

孫策伝を読んでもよく分からない、孫策の履歴。もう一回、整理しよう。

術 甚だ之を愛し、常に嘆じて曰く、
「使し術 子の孫郎の如き有らば、死して復た何をか恨みん」
此に因り、孫策をして懐義校尉と為し、引兵して涇県の太師たる祖郎を攻めしむ。勝を得て回り、術に見ゆ。術 策の勇なるを見て、復た陸康を攻めしむ。一陣に大戦し、勝を得て回る。

やっと本日の場面に戻ってきた。


当日、筵 散じ、策 営寨に帰る。術の升𠫊せざる見て、策 心中に些さか欝悶有あり。是の夜、月明に策 父を思ふ。

孫策の神話は、生まれるときに月だから。

「〈父は〉此の如き英雄、独り江東の霸たり。今日。我に到り、十に一も及ばず」
声を放ちて大哭す。
忽ち見はる一人、外自り入りて大笑して曰く、
「伯符 何が故に此の如きか。汝の父 在りし日、多く曽て我を用ゐる。汝 今 不決の事有れば、何ぞ我に問はざる。我 汝と商議せん。何ぞ自ら哭するや」
策 之を視るに、乃ち丹陽の故鄣の人なり、姓は朱、名は治、字は君理、乃ち孫堅の手下たる従事官なり。策 坐を請ひて之に問ひて曰く、
「策 哭く所は、父の志を継ぐ能はざるを恨むなり」
治曰く、「君 何ぞ袁公略に告げて、兵を借りて江東に往かざる。名を呉景を救ふに假り、実には大業を取れ。久しく人の下に困するは、此れ大丈夫の志に非ざるなり」
正に商議する間、一人 忽然と入りて曰く、
「公ら謀る所、吾 已に之を知る。吾が手下 精壮なる者 百十余人有り。暫く伯符を一馬の力に助けん」
策 大喜して坐を請ひて之を問ふに、乃ち袁術の謀士たる、汝南の細陽の人なり、姓は呂、名は範、字は子衡なり。生得 面は傅粉の如し、体じゃ凝酥の若し。策 大喜す。三人 共に議す。
呂範曰く、「只だ恐る、袁術の兵を借すを肯ぜざるを」
策曰く、「吾が亡父 伝国の玉璽を留下する有り。以て質と為し、当つべし」
範曰く、「術 心有ること久し」

孫策が伝国璽をさしだす

次日、策 袁術に入見し、階下に哭拝す。術 其の故を問ふ。
策曰く、「父の讐 能く報いず。母舅の呉景 楊州剌史の劉繇に追はるること、甚だ急なり。策の老母・家小 皆 曲阿に在り。必ず繇の害する所と為らん。策 伯父に処を問ひ、暫く雄兵の数千を借り、渡江して老母を探し、舅氏を助抜せん。

母方のおじの呉景と、架空のおじの袁術のあいだを往復するという孫策。実父が不在だから、こういう往復運動が起動する。
李本では、孫策が第15回で袁術を「伯父」と呼ぶ。毛本では削除されているが。李本では、初平三(192)年に、孫堅が37歳で死ぬ。X+37+1=192だから、孫堅の生年Xは、154年(曹操より1年だけ年長)。そして孫策が「伯父」と呼んでるから、袁術はそれより年上の設定と判明する。

伯父〈袁術サマ〉の信ぜざるを恐る。亡父の遺下に玉璽有り、権りに質と為す」
当に術 玉璽有ると聞き、取りて之を視、大喜して曰く、
吾 你に玉璽を要〈もと〉むるに非ず。権りに此に留下す。我 兵三千・馬五百疋を借し、你に与ふ。平定の後、速やかに軍を回らしめよ。你の名 微なり。大軍を掌ること難し。我 表して你を折衝校尉・殄寇将軍と為す。尅日、領兵して便ち行け」
策 拝謝し、遂に軍馬を得て帯領す。

周瑜・二張が孫策に合流する

朱治・呂範、旧将の程普・黄蓋・韓当、日を擇びて起兵し、歴陽に行至す。正行の際、一軍の到るを見る。当に先に一人 策を見て下馬す。策 之を視るに、其の人 面は美玉の如く、唇は點朱の若く、姿質は風流、儀容は秀麗、胸に経天・緯地の才を蔵し、腹に安邦・定国の謀を隠す。乃ち廬江の舒城の人、姓は周、名は瑜、字は公瑾なり。
漢の太尉たる周景の孫、洛陽令の周異の子なり。初め孫堅 董卓を討つの時、家を舒城に移す。瑜 孫策と同年にして、結びて昆仲と為る。瑜 策より小なること両月、以て之に兄事す。策 瑜の道南の大宅に住く。策と瑜と升堂して拝母し、通家の好有ること此の如く、交 甚だ厚きに至る。
瑜の叔たる周尚 丹陽太守と為る。因りて往省し、親ら此に到り、策と相見し、以て衷情を訴ふ。

孫策が叔父を救う戦いをするが、周瑜も叔父を救う戦いに行きたかった。孫策を慕ったというより、利害が一致してる。


瑜曰く、「某 願はくは犬馬の力を施し、共に大業を図らん」
策曰く、「吾 公瑾を得れば、大事 諧かな」
策 〈周瑜を〉朱治・呂範に相見せしめ、共に籌略を画く。治・範 大喜す。瑜 策に曰く、
「将軍 大事を済はんと欲すれば、江東に二張有るを知る可きや
策曰く、「未だ知らず」
瑜曰く、「一人 能く群書を博覧し、善く隷字を書き、天文地理の学に兼明たり。彭城の人なり、姓は張、名は昭、字は子布。陶謙 曽て聘するも、屑すを肯ぜず、就ち故来、江東に乱を避く。一人、九経を貫通し、諸子百家に深明す、広陵の人なり、姓は張、名は紘、字は子綱。因りて世乱を避け江東に隠る。

周瑜の登場シーン。毛本では「姿質風流、儀容秀麗」と外見だけほめる。李本では「胸に経天・緯地の才を蔵し、腹に安邦・定国の謀を隠す」ともあり、内面に隠し持った思想にまで触れる。周瑜ファンは、李本のほうが楽しめますね。
張昭・張紘の登場シーン。毛本は「二人 皆 経天・緯地の才有り」と、前述の李本の周瑜の描写の残骸を、てきとうに割り振られる。李本では、張昭が「能く群書を博覧し、善く隷字を書き、天文地理の学に兼明たり」、張紘が「九経を貫通し、諸子百家に深明す」と盛られる。武将が戦場で名乗るみたいだ。

此処の二人 何ぞ之に請はざる」
策 則ち便ち人をして請はしむも至らず。策 親自ら其の家に到り、与に議論すること終日なり。口は懸河の若し。
策 張昭を拝して長史と為し、撫軍中郎将を兼ねしむ。張紘を拝して参謀正議校尉と為す。商議して起兵し、劉繇を攻撃す。

太史慈が劉繇の先鋒になれない

却説 劉繇、字は正礼、東萊の牟平の人なり。亦 是れ漢室の宗親にして、

「亦」って、なにが「また」かといえば、劉備だよな。劉繇は、劉備との繋がりが不必要に強調される。また、劉繇の使う太史慈は、孔融のところで劉備と交際した。この太史慈と敵対する孫策は、悪玉というか、「その他」勢力である。
孫策は、まだ孫堅の子という属性のみがあり、また大泣きしか見せ場のない、ショボいキャラである。孔融を救った太史慈と、同程度に英雄なのだと見せつけて、孫策のキャラのすごさを説明してゆく。
孫策と太史慈の一騎打ちは、なんだか孫策には余分で(孫策は太史慈と一騎打ちなんかしなくても、強いだろ)、太史慈の救済(見せ場の提供)に思える。しかし逆で、物語に既出の人物である、劉備の血縁である劉繇、劉備の共闘者である太史慈に、孫堅・袁術という暗闇から、孫策が拾い上げてもらうためのプロセスである。
太史慈のこと、省略したらダメなんだ。というか、孔融から孫策の間に、太史慈の活躍の話を追加するくらいで、ちょうど繋がりが分かりやすくなって好ましい。

漢の太尉たる劉寵の侄なり。兗州剌史の劉岱の弟なり。繇 旧は楊州剌史と為り、寿春に屯するも、袁術に江東に赶過せらる。

孫堅・袁術は、『三国演義』においては、ダークサイドである。まあ孫策も、消毒しきれずに、于吉にやっつけられる、という終わり方をするのだが。

故来、曲阿を守る。彭城相の薛礼、下邳相の笮融有り。両箇 領兵し、繇を幇助す。孫策の渡江するを知り、歴陽に屯兵し、急ぎ衆将を聚め、商議す。
樊能・于糜・陳横・張英有り、説く、「策 是れ驍騎大将なり」と。
張英曰く、「某 一軍を領し、牛渚に屯す。縦ひ百万の兵有るとも、亦 近づく能はず」

言 未だ畢はらず、帳下に一人 高叫して曰く、
「某 願はくは前部・先鋒と為らん」
衆人 之を視るに、乃ち東萊の黄県の人なり。覆姓は太史、名は慈、字は子義なり。北海の囲を解くに因り、特来し、劉繇に見ふ。繇 就ち之を留む。

袁術が追いだした、陳氏の揚州刺史の話(正史で名前が決まらないやつ)が、『三国演義』では、劉繇だったことになってる。それなら、袁術が寿春を攻め落とす戦いで、太史慈が活躍できるぞw

孫策の来到すと聴得し、前部・先鋒と為るを願ふ。
繇曰く、「你 未だ大将と為る可からず。只だ吾が左右に在り、命を聴け」
太史慈 喜ばずして退く。

孫策が光武帝廟を祭る

張英 兵を領して牛渚に拒む。糧十万を邸閣に積む。策 引兵し張英に到る。兵を領して両軍を出し、牛渚の灘上に会す。
孫策 出馬す。張英 大罵す。黄蓋 便ち出でて張英と戦ふこと数合せず、忽然、張英の軍 大乱す。報じて説く、「寨中 人の放火して窩鋪を焼く有り」と。
張英 急ぎ軍に回りて迭せず。孫策 引軍し前来す。勢に乗じ、掩殺す。張英 牛渚を棄てて深山を望みて逃ぐ。
寨後に放火するは、是れ誰ぞ。両員の将、三百余人を領し、孫策に来見す。二人 声喏す。策 之を問ふに、一人 面は黒く須は黄にて、身体は雄偉、九江の寿春の人なり、姓は蒋、名は欽、字は公奕なり。一人 彪形・虎体、目は朗にて眉は濃く、九江の下蔡の人なり、姓は周、名は泰、字は幼平なり。二人 皆 世乱に遭ひ、故に人を聚めて洋子江中に在り。刼掠して生を為すこと久し。兄 乃ち江東の豪傑なりと聞き、又 君 賢を招し士を納ると聞く。特来し、相助す。
策 大喜し、用ゐて軍前校尉と為し、尽く牛渚の邸閣の糧食・軍器を收め、兵卒四千余人を收得し、遂に兵を神亭に進む。

張英 敗れて回り、劉繇に見ふ。繇 張英らを責罵して之を斬らんと欲す。笮融・薛礼 免を勧め、兵を零陵城に屯せしめ、策を拒ましむ。
繇 自ら神亭嶺に近づき南して下営す。
孫策 嶺北に下営す。策 土人のに問ひて曰く、
「近く山に漢光武廟有りや否や」
土人曰く、「廟有るとも、巳に傾頽し、人 祭祀する無し」
策曰く、「吾 夜に夢む、光武を我に邀し相見す。当に以て之に祈るべし」
長史の張昭曰く、「不可なり。今、嶺南 是れ劉繇の寨なり。倘し伏兵有らば、奈何とす」
策曰く、「神人 我を祐く。吾 何をか之を懼れん」
遂に全装し、慣帯・綽鎗し、上馬し衆将に回顧す。程普・韓当・黄蓋・蒋欽・周泰を引き、共に十三騎、寨を出でて策と嶺に上り、廟に到る。香を焼き馬を下る。参拝 巳に畢はり、策 向前し跪きて祝を告げて曰く、
「果して若し孫策 能く江東に立業し故父の基を復興せば、即ち当に重ねて廟宇を修め、四時の祭祀せん」

孫呉は、漢の忠臣キャラとして、孫堅が洛陽の廟を復興し、孫策が光武帝の廟を復興する。孫権が即位するときも、「誰も天を祭らないから」仕方なく即位する。
この、一見すると善玉になれそうな、忠臣キャラという設定に反して、どうして孫呉が道化くさくなるのか、考えねば。

祝 畢はり、廟を出て上馬し、衆将を回顧して曰く、
「吾 嶺を過りて劉繇の寨柵を看んと欲す
諸将 皆 当に住くべからずとす。遂に同に嶺南に上り、村林を望むに、路に〈劉繇側が〉小軍を伏す。

劉繇に飛報して云はく、「孫策 自ら十数騎を領し、嶺を逕過し、来たりて寨柵を看る」
繇曰く、「此れ必ず 孫策の誘敵の計なり。之を追ふ可らず」
太史慈 踴躍して前みて曰く、
「此の時 捉へず、更めて待てば、何時 劉繇 阻むや。当に住るべからず」
披掛し上馬し、綽鎗して出迎へ、大叫して曰く、
「肝気有る者 我と来れ」
諸将 動かず。惟だ一小将有りて曰く、
「太史慈 真の猛将なり。吾 之を助く可し」
拍馬し赶去するも、衆将 皆 笑ふ。

孫策と太史慈が一騎打ち

却説 孫策 看ること半晌、程普 向前して曰く、
「以て早く回る可し」
正に行きて過嶺せんするに、只 聴得す、嶺上に叫ぶを。
「孫策 走ぐる休れ」
策 回頭し之を視るに、両匹の馬 嶺を飛下するを見る。
策 十三騎を将ゐて一斉に擺開す。策 横鎗し嶺下に立馬し、之を待つ。太史慈 高叫して曰く、
「那箇 是れ孫策か」
策曰く、「你 是れ何なる人や」
答へて曰く、「我 便ち是れ東萊の太史慈なり。特来し、孫策を捉ふ」
策 笑ひて曰く、「我 便ち是〈孫策〉なり。你 両箇 一斉に来り、我を併へよ。吾 你を懼れず。我 若し你を怕るれば、英雄に非ず
慈曰く、「你 便ち衆人 都な来れ。我 亦た你を怕れず」

縦馬・横鎗し、孫策に直取す。策 挺鎗・来迎す。両馬 相交し、戦ふこと五十合、勝敗を分けず。
程普ら暗暗と、好箇の太史慈を称奇す。慈 孫策の鎗法 半點無きを見て、児渗漏、佯り輸り、詐り敗れ、深山に引き入る。急ぎ馬を回して走ぐ。孫策 赶来す。太史慈 暗かに喜び、旧路に入らず、上嶺す。却りて山の背後に転じ過る。策 赶到す。
慈 策を喝して曰く、
「你 若し是れ大丈夫なれば、和と你 個に併せよ〈一騎打ちしろ〉。你 死して我 活きん」
策 之を叱りて曰く、「走ぐれば男子漢に算へず」
両箇 又 闘ふこと三十合、慈の心中 自ら忖す、「這厮 十二の従人有り。我 只だ一個なり。便ち他を活捉〈生け捕り〉するとも、衆人に喫せられ奪去らる〈奪い返される〉。再び一程を引き、這厮們をして没せしめ、処を尋ねん。

孫策を、彼の味方から引き離すために、移動をくり返す太史慈さん。

又 詐りて敗走し、大叫して曰く、
「我に来赶する休かれ」
策 喝して曰く、「你 却りて走ぐる休れ」

一直し、平川の地に赶到す。慈の兠 回馬し、再び戦ひ、又 五十合に到る。策の一鎗 慈に搠去し、閃過挾住鎗慈也。一鎗搠去策亦閃過挾住鎗。両箇用力只一拖。都滾下馬来馬不知走的那里去了。両箇 鎗揪を棄てて、住厮打す。慈 年は三十歳、策 年は二十一歳なり。両箇揪住戦袍扯得粉碎。

アクションシーンは、よく分からないので、毛本のこれに対応する部分を載せる。
策一鎗搠去,慈閃過,挾住鎗;慈也一鎗搠去,策亦閃過,挾住鎗。兩個用力只一拖,都滾下馬來。馬不知走的那裏去了。兩個棄了鎗,揪住廝打,戰袍扯得粉碎。

策 手を却して慈の背の短戟を快掣す。慈 策の頭上の兠鍪を掣す。策 戟を把し、慈を剌す。慈 兠鍪を把して遮架〈防御〉す。

忽然、喊声 後ろより起る。乃ち劉繇 接応し、軍到る。約そ千余有り。慈 策と戦ひて放さず。
両軍 合ひ、将に上来せんとす。策 正に慌て、程普 十二騎を領して到る。両邉の軍を衝殺す。慈 策を放つ。慈 軍中に一匹馬を討ち、鎗を取りて上馬して、復た来る。孫策の馬 程普に牽来せらる。策 鎗を取りて上馬し、一千余軍を衝殺す。十二騎と混戦す。迤𨓦 神亭の嶺下に殺到す。喊声 起る処、周瑜 領軍して来到す。太史慈 怎に脱を得るや、身は畢竟 如何に。141029

閉じる

第15回下_孫策 厳白虎と大戦す

孫策が小覇王と呼ばれる

周瑜の救軍 到り、劉繇ら自ら大軍を引き、嶺を殺下す。来る時、黄昏に近く、風雨 暴に至る。両下、各自 軍を收め寨に回る。

太史慈は、天候に助けられ、周瑜から逃げることができたと。ひどい章回小説の引っぱり方。


次日、孫策 大軍を引き、劉繇の営前に到る。劉繇 引軍し、両陣圓の処に迎ふ。孫策 鎗を把し、太史慈の背の戟もて陣前に挑めしむ。軍をして大叫せしめて曰く、
「太史慈、若し是れ走げずんば、快く你を剌死す可し」
劉繇 却りて孫策の兠鍪を将て陣前に挑む。軍をして大叫せしめて曰く、
「孫策の頭 巳に此に在り」

両軍 吶喊す。這の邉に勝を誇る。那の壁道 強く、慈 遂に出馬し、孫策と戦ひて勝負を決せんと約す。
策 当に先に出馬せんと欲するに、程普曰く、
「須らく主公 力を労すべからず。某 自ら之を擒へん」
程普 陣前に出到す。
太史慈曰く、「你 是れ我の敵手に非ず。只だ孫策をして出馬せしめよ」
程普 大怒し、挺鎗し太史慈に直取す。両馬 相交して戦ひ三十合に到る。劉繇 急に金を鳴し、軍を收む。
太史慈曰く、「我 正に賊将を捉拿せんと要す。何が故に軍を收む」
劉繇曰く、「吾 聞く、周瑜 巳に到り、領軍して曲河を襲取す。一人有り、乃ち廬江の松滋の人なり、姓は陳、名は武、字は子烈。周瑜を接応し、入らしむ。吾が家の基業 巳に失へり。久しく留む可からず。速かに秣陵に往き、薛礼・笮融の軍馬に会し、急来して接応せよ」

劉繇がセリフのなかで、陳武の説明してますけどw

太史慈 劉繇と跟着し、軍を退く。

孫策 〈逃げる劉繇を〉赶收せず、人馬を住む。長史の張昭曰く、
「彼の軍 周瑜に曲河襲取せられ、恋戦の心無し。今夜、正に好し、営を刼するに」
孫策 之を然りとす。
当夜、軍を五路に分け、長駆し、大進す。劉繇の軍兵 大敗し、衆 皆 四紛・五落す。太史慈 独力 加へ難し。十数騎を引き、連夜、涇県に投ず。
劉繇 謀士の許子将と、秣陵に来投す。

孫策 又 大将の陳武を得たり。其の人、身長は七尺、面は黄、睛は赤、形容は古怪なり。策 甚だ之を敬喜し、拝して校尉と為し、先鋒と為て薛礼を攻めしむ。陳武 十数騎を引き、陣に先入し、首級を斬ること五十余顆。薛礼 閉門し、敢へて出ず。策 城を正攻するに、忽ち人の報ずる有り、
「劉繇 笮融と会合し、牛渚を取る」と。
孫策 大怒し、自ら大軍を提ひ、竟に牛渚に奔る。両邉 迎敵す。繇・融の二人 出馬す。
孫策曰く、「吾 今 此に到る。你〈劉繇と笮融〉如何に降らざる」
劉繇の背後の一将 挺鎗し出馬す、乃ち于糜なり。孫策 戦ふこと三合となく、糜 策に馬上に活捉せらる。策 撥馬して陣に回る。

樊能 于糜の捉はるを見て、挺鎗し来赶す。那〈樊能〉の鎗搠 策の後心に到り、陣中 叫ぶ、「背後 人有り、暗かに算ず」と。
孫策 頭を回すや、忽ち樊能の到るを見る。策 大喝すること一声、巨雷の如し。樊能 倒れて翻身し、下馬に撞れて死す。
策 門旗の下に到り、于糜を将て失下し、巳に挾まれて死す。因りて、「挾みて一将を死せしめ、喝して一将を死せしむ」、人 皆 策を呼びて小霸王と為す。

孫策が死んだふりをする

劉繇・笮融 大敗し、人馬の大半 策に降る。策 首級を斬ること万余。劉繇・笮融 豫章に走り、劉表に投ず。
孫策 兵を還し、復た秣陵を攻む。親ら城壕の邉に到り、薛礼に投降せよと招諭す。城上の張英 暗かに一冷箭を放ち、孫策の左腿に正中す。翻身し落馬す。衆将 急ぎ救起し、営に還る。箭を抜き、金瘡薬を以て之に傅す。
策曰く、「詐りて『吾 箭に中りて、身は軍中に死す』と作す可し。哀を挙げ、寨を抜きて斉起せよ」と。

薛礼 孫策の死せるを聴知し、連夜、便ち城内の軍を起す。張英・陳横 城を殺出し、之を追ふ。策 営の背後に兵を伏せて起つ。軍馬を 策を擁出し、高叫すること一声、
「孫郎 此に在り」
衆軍 皆 驚き、尽く鎗刀を棄て、地下に拝す。策 殺すを休めしむ。一人 張英 要走し、陳武の一鎗に剌死せらる。陳横 蒋欽の一箭に射死せらる。薛礼 乱軍の中に死す。一路 皆 黎民を招呼し、業に復す。

太史慈を捕らえる

〈孫策〉 兵を追ひて涇県に至り、太史慈を捉ふ。慈 城上に再招し、精壮二千余人を得て、劉繇と与に〈孫策に〉報讐せんとす。
策と周瑜 太史慈を活捉するの計を商議す。瑜 三面より県を攻め、只だ東門を放走せしむ。県を離るる三條の路 各々其の軍を伏す。「城を離るること二十五里、太史慈 那里〈そこ〉に到り、人は困し馬は乏し、必然、捉ふ」とす。

原来、太史慈 招く所の大半 是れ山越の民なり。県内に在らず。孫策の忽ち至るを聞き、措手して及ばず〈孫策との戦場に来なかった〉。
兵 巳に三面より県を困せしむ。太史慈 兵を引き、忽ち衝乱し箭射して回る。

包囲された城から出て、包囲軍を圧倒するのは、孔融を助けて、黄巾の管亥を退けた方法である。

夜に当り、陳武 首先に短衣にて、上城し放火す。太史慈 城上に起火するを見て、急ぎ上馬し東門に投じ、背後に走る。
孫策 自ら軍馬を引き、来赶す。太史慈 正に東門への路上を往きて走る。後軍 赶至するも、三十里 赶はず。太史慈 五十里を走り、人は困し馬は乏す。

周瑜の言うとおりの描写になった。

蘆葦の中 喊声 忽ち起る。慈 急ぎ待走す。両下裏より絆馬索 斉来す。馬を将て絆翻し、慈を生擒し、解きて大寨に上ぐ。
策 太史慈の解到するを知り、親自ら営を出で、士卒を喝散す。自ら其の縛を釋き、自巳の錦袍を将て以て之に衣し、寨中に入れと請ふ。
太史慈曰く、「敗将 誅を請ふ」と。
策曰く、「我 知る、子義 真の丈夫なるを。劉繇の蠢輩 用ゐて大将と為す能はず、以て此の敗に致る」
慈 策を見るに、之を待すること兄の如し。遂に之に降るを請ふ。策 慈の手を執りて曰く、
「寧ろ神亭を識るや。若し公 是の時 我を獲れば、還りて相ひ害すや否や」

なんか、せっかくの名言が、口語くさくて、ちっともまとまらない。

慈 答へて曰く、「未だ量る可からず」
策 大笑して曰く、「今日の事、当に公 之を共にすべし」

入帳を請ひ、之を上坐に邀へ、待するに酒食を以てす。
策曰く、「今 既に与に相処す。意の如くならざるを憂ふ勿れ。願はくは我に進取の策を教へよ」
慈曰く、「敗軍の将 論ずるに足ず」
策曰く、「韓信は昔日、広武君を求む。策 今 仁者に決するを願ふ。公 何ぞ焉を辞するや」
慈曰く、「劉君〈劉繇〉 新たに破れ、士卒 離心す。倘若し分散すれば、復た聚を合すこと難し。自ら往き收拾して明公を少助せんと欲す。恐る、尊意に合はざるを」
策 長跪して曰く、「誠に本心より望むなり。明日の日中、公 来還するを望む」
慈 応諾して辞せず。 諸将曰く、「太史慈 此れ必ず来らず」
策曰く、「子義 乃ち青州の名士なり。信義 重と為す。必ず我に背くを肯ぜず」
衆 皆 未だ信ぜず。

次日、竿を立て日影を看る。却りて将に日中せんとするに、慈 一千余衆を引きて寨に到る。孫策 大喜す。衆 皆 之に服す。

孫策が江東を平定する

孫策 数万の衆を聚め、江東に遊び、安民し恤衆す。投ずる者は無数、江東の民 但だ呼び、策を孫郎と為す。
孫郎の兵 至ると聞けば、皆 魂を失なひ魄を喪なふ。官吏 俱に城郭を棄て、山野に遠く避く。策の軍 到るに及び、並せて一人も敢へて鶏犬・菜菓すら出擄する無く、分毫も動ぜず。人民 皆悦び、牛酒を□し寨に到り軍を労ふ。策 金帛を以て之に答ふ。懽声 野に遍し。
其の劉繇の旧軍 従軍を願ふ者あれば、従ふことを聴し、並せて門戸に除す。軍と為ること願はざる者は、糧米を賞賜す。儘に自ら帰家し生理せしむ。江南の民 仁政を聞き、誰か之を仰ぎ之を羡まざる。
是に由り、形勢 大盛たり。策 母叔・諸弟を迎へ、俱に曲河に帰す。

今さらだけど、「曲阿」とすべきを、李本は誤ってる。


厳白虎・厳輿を倒す

弟の孫権をして、周泰と与に宣城を守らしむ。
策 領兵して南進し、呉郡を取らんとす。時に厳白虎なるもの有り、「東呉の徳王」を自称す。
周泰を遣はして烏城を守らしめ、王晟に嘉興を守らしむ。策の兵 至り、白虎 弟の厳輿をして出城し楓橋に交兵せしむ。輿 横刀し橋上に立馬す。
人の〈孫策に〉報ずる有り、「〈厳輿が〉中軍に入る」と。
策 便ち出でんと欲するに、張紘 下馬して諌めて曰く、
「夫れ主将 乃ち籌謨の所なり。自ら三軍の所に出で、命を繋ぐなり。宜しく軽々しく脱すべからず。自ら敵は小寇なり。願ふ、麾下天授の姿を重んじ、四海之望に副へ。無令国内の上下をして危懼せしむ無かれ」
策 謝して曰く、「先生の言、金玉の如し。但だ恐る、将士 命を用ゐざるを。当に先んずべし」
随ひて韓当を遣はして出馬せしむ。比 驟馬して橋上に到るに及び、時に蒋欽・陳武 各 小舟に駕して河岸の邉従り早殺し過る。橋裏より乱箭し、岸上の軍を射倒す。二人 飛身し上岸して、厳輿を砍殺し退走せしむ。韓当 軍を引き、直殺し、昌門の下の賊を過り、退かしめ城裏に入す。
策 兵を分けて水陸 並進し、呉城を囲む。一困せしむこと三日、策 衆軍を引き昌門の外に到り、招諭す。城上の一箇裨将 左手に護𪲭を托定し、右手 城下を指して罵る。太史慈 馬上より弓を拈り箭を取り、箭を搭して云く、
「看よ、我 這厮の左手に射中せん」
一箭 左手を射透し、反りて護𪲭の上に牢釘す〈縫い付ける〉。城下・城上の人 見る所の者 喝采せざる無し。
群賊 這人を救ひて入城す。白虎 大驚す、城外に此の如き神箭の人有るを。遂に商量し、和を求む。

次日、厳輿をして出城せしめ、孫策に見ふ。策 輿して入帳せよと請ひ、飲酒せしむ。酒 酣たるに、策 抜剣して、坐する所の席に輿を砍らんとす。、輿 即ち驚倒す。策 笑ひて曰く、
「聊か戯るるのみ。驚きを得る勿れ」
策 輿に問ひて曰く、「汝の兄の意 如何」
輿曰く、「将軍と江東を平分せんと欲す」
策 大怒して曰く、「鼠輩 敢へて吾と相ひ等しとするや」
輿 急ぎ起身す。策 飛剣し之を砍り、応手にて頭を倒割す。従者をして城中に送入しむ。

白虎 敵を料り、過城を棄るに過ぎずとして走ぐ。策 進兵して追襲す。黄蓋 王晟を生擒り、勢 破竹の如し。太史慈 急ぎ烏城を攻打し、先に登城し、那の太守を射死せしむ。数州 皆 平らぐ。

厳白虎は、けっこう広い範囲を治める者として設定されてる。劉繇より後に出てくる、劉繇のもとで手に入れた太史慈を使って(使わないと段取り的に)平定できない、王を自称する、孫策と対等と自称する、ということから、けっこう大敵であるべきな。

白虎 余杭に奔走し、路に刼掠せらる。土人の凌操 郷人を領して〈厳白虎を〉殺敗す。会稽を望み、走ぐ。凌操の父子 二人 孫策に来接す。策 操の威儀を見て、衆を出でて遂に父子を領し、従征せしむ。

王朗が会稽に籠城する

策 引兵し渡江す。厳白虎 聚寇し西津の渡口に分布す。白虎 自ら程普と交鋒し、大敗して走ぐ。連夜、会稽に赶到す。
会稽太守の王朗 引兵し白虎を救ふ。

無双7エンパの197年シナリオに取り込みたい情勢。

一人 諫めて曰く、「孫策 仁義の兵を用ゐ、白虎 乃ち暴虐の衆なり。白虎を捉へて以て孫策に献ず可し。天命に順へ」
朗 聴かず。
此の人、乃ち会稽の余姚の人なり、姓は虞、名は翻、字は仲翔なり。郡吏と為る。朗の聴かざるを見て、長歎すること一声にて帰る。

朗 白虎に同に山陰の野に陳兵す。両岸 対囲す。孫策 出馬して王朗に謂ひて曰く、
「吾 仁義の兵を興し、来りて浙江を安ず。汝 何が故に賊を助くるや」
朗 怒罵して曰く、「汝 心を貪りて足らず。既に呉郡を得て、而も又 吾が界を強併せんとす。今日 特に白虎と与に雪讐するなり」

王朗は、わりに合理的。後漢の地方官は、複数の行政区画を望むべきでない。ただ貪欲なだけである。王朗の会稽だって、太守として普通に治めていただけだ。

孫策 憤発し、正に交戦を待するに、背後の一騎 巳に陣に殺過す。乃ち太史慈なり。王朗 拍馬し舞刀して、慈と戦ふこと数合に上る。勝負を分たず。

王朗が太史慈と、一騎打ちでしばらく対等に戦っている。王朗の武勇は、孫策にも匹敵するのか。同じ名の者として、敬服します。

朗の驍将たる周昕殺出し、戦を助く。孫策の陣中より黄蓋一騎 飛到し周昕に接住す。交鋒すること両下、鼓声 大震し、互相に鏖戦す。
忽ち王朗の陣 後先に乱る。一彪の軍 抄将し前来す。朗 大驚し急ぎ撥し、馬を回して来迎す。却ち是れ周瑜・程普 引軍して剌斜し殺来するなり。前後 王朗を交攻す。寡 衆に敵せず、白虎・周昕 血路を殺條し、城中に走入し、吊橋を拽起して堅く城門を閉す。

孫策の大軍 勢に乗じて城下に赶到し、衆軍を分付す。四門に分布して攻打す。王朗 城中に在りて聴知す、孫策の攻撃 甚だ急なるを。再び出兵して一死戦を決せんと欲するに、厳白虎曰く、
「孫策の兵勢 甚大なり。今 遠渉して来る。正に我 一戦の利を要求す。足下 只だ宜しく深溝・高塁し、堅壁して出る勿れ。一月と消せず、策の食 将に尽きんとす。自然、退守し、那の時 虚に乗じて之を掩せ。 戦はずして破る可し」
朗 其の議に依り、乃ち各門に重垣を築起し、以て長守の計と為す。

孫策 一連に攻むること数日、成功する能はず、乃ち衆将と計議す。孫静曰く、
「王朗 守城の固きに負ひ、卒かに抜く可きこと難し。会稽の銭糧 大半 査瀆に屯す。其の地 此より離るること数十里なり。若かず、撤囲して先に其の内に拠れ。謂ふ所、其の無備を攻め、其の不意に出でよ」
策 大喜して曰く、「叔父の妙用 賊人を破るに足る」

即ち下令し、各門に火を燃し、旗号を虚張し、設けて疑兵と為す。連夜、撤囲し、南す。
周瑜 進みて曰く、「主公の大兵 一起すれば、王朗 必ず城を出る。赶ふに奇兵を用ゐて之に勝て」
策曰く、「吾 今 准備し、城池を下取す只 今夜に在り、遂に軍馬をして行を起せしむ」

却説 王朗 正に商議するに在り、孫策を退くるの計を。
忽ち報ず、孫策の軍馬 退去すと。朗 信ぜじ、自ら衆人を引き、敵を楼上より観望す。果して見る、城下に煙火 併起し、旌旗 雜りて心下す。疑を持す。
周昕曰く、「孫策 必ず走げり。故に疑計を為して設く。出兵して之を襲ふ可し」
厳白虎 亦た曰く、「孫策 北去るは、査瀆を要取するに非ざる莫し。我 部下を引き、周将軍〈周昕〉と与に之を追ふ。
朗曰「査瀆 是れ我が屯糧するの所なり。正に須らく隄備すべし。汝 引兵し先行せよ。吾 隋後、接応す」
白虎 周昕と与に五千兵を領し、出城し追赶す。

将に初更に近かんとし、城を離るること有二十余里、忽ち密林の裏より一声 鼓震し、火把 斉明たり。白虎 大驚し、便ち馬を勒転して走ぐ。正に一少年なる将に遇ふ。当に先に欄住すべし、乃ち孫策なり。
周昕 舞刀し来迎するも、策の一鎗に剌死せらる。尽く其の衆を降す。白虎 血路を殺條し、余杭を望みて走ぐ。
王朗 前軍の巳に敗るるを聴知し、敢へて入城せず、部下を引きて海隅に奔逃す。
孫策 復た大軍を回し、乗勢して〈会稽の〉城池を取り、其の人民を安定せしむ。

却説 白虎 余杭に走げ、一人 引兵して路に白虎に接す。〈白〉虎 喜ぶ。是の夜、帳中に飲酒す。那人 抜剣して白虎を砍殺し、立ちどころに数十余人を誅し、孫策に来投す。
策 此の人を見るに、身長は八尺、面は方、口は濶、会稽の余姚の人なり。姓は董、名は襲、字は元代なり。命じて別部司馬と為す。

華佗が周泰を治療する

却説 東路〈会稽〉 皆な平らぐ。叔孫の静をして之を守らしむ。
策 乃ち軍を回し、朱治をして呉郡太守と為らしめ、軍を收して江東に回る。人 来りて報ずる有り、
「孫権 周泰と与に宣城を守るに、忽ち山賊 竊かに四面より発し、殺至す。時に更に深く、泰 権を抱へて上馬す。数十賊衆 刀を用て砍る。事 急なり。泰 馬を棄て、身に片甲も無く提刀し、賊を殺し、砍殺すること十余人。随後、一賊 躍馬し挺鎗し、周泰に直取す。泰 扯めて住まり鎗拖し下馬す。鎗・馬を奪ひて殺す。血路を條して孫権を救ふ。

緊迫してるが、わりにどうでもいい。

余賊 遠く周泰を遁し、身に十二鎗を被る。皆 是れ陣上に傷つくる所なり」と。
〈周泰が〉回りて孫策に見ふ。金瘡 発脹し、命 須臾に在り。策 大驚す。帳下の董襲曰く、
「某 不才なりと雖も、曽て海寇と相持し、身は数箭に遭ふも、会稽の郡吏たる虞翻 一医者を薦むる得て、半月にして癒ゆ」
策曰く、「虞翻とは、虞仲翔に非ざる莫しや」

ご存知でしたか。「名士」は違いますね!

襲曰く、「然り」

策 先に張昭をして虞仲翔に「来りて功曹令と為れ」と請はしめ、医者を求む。随ひて引兵し、周泰に看ふ。一日ならず、董襲 虞仲翔を引き、宣城に来りて孫策に見ふ。
策曰く、「吾 敢へて郡吏たるを以て相ひ待せず。先生、今日の事、願はくは先生と之を共にせん」
翻 拝謝して、遂に医者を引き、策に見へしむ。策 其の人を見るに、童顔・白髪、飄飄然とし、出塵の姿有り。之に問ふに、乃ち沛国の譙郡の人なり、江東に遊芸す。姓は華、名は陀、字は元化なり。
策 之を待すること上賓と為し、周泰の瘡を視るを請ふ。
陀曰く、「此れ易き事のみ。一月にして癒えん」
策 大喜し、遂に進兵し、山賊を殺除す。江南 皆 以て平靖たり。

孫策 将士を分撥し、各処・隘口を把守せしむ。雄兵は十余万、文官・武職は各々忠誠に效ふ。策 当時を思ひ、父の孫堅 在りし時の部下・将吏 皆 賞を陞すこと二等。
一面 表を写し朝に申し、一面 交を曹操に結び、一面 人をして書を袁術に致らしめ、玉璽を取らんとす。術 暗かに称帝の心有り。書を回して還さずと推托す。

袁術サマが動きだす

長史の楊大将、都督の張勲・紀霊・橋蕤、上将の雷薄・陳蘭ら三十余人を聚め、商議す。
術曰く、「策 我が軍馬を借り、起事す。今日 尽く江東の地面を得て、兵甲 十余万有り。吾 之を併吞せんと欲す、若何」
長史の楊大将曰く、「孫策 長江の険に拠り、兵は精、糧は広、未だ図る可からず」
術 又 曰く、「吾 劉備を恨む。〈劉備は〉故無く、兵を以て我を伐つ。我 之に報いんと欲す」
楊大将曰く、「劉備を擒へんと欲せば、某 一計を献ず。未だ尊意を知らず、若何」と。且聴下回分解。141029

閉じる