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- 第17回上_袁術 七路より徐州に下る
袁術が皇帝に即位する
却説 袁術 淮南に在り、地は広く糧は多く、民を尅耴して以て倉庫 盈満たるに致る。又 孫策の当る所の玉璽有り。遂に称帝を議す。宮室・車輦・冠冕 巳に辦ず。
群下に大会す。術曰く、
「吾 聞く。昔日、漢高祖 乃ち泗上の一亭長なるのみ。四百年の基業を創る。今 数 巳に尽き、劉氏は微弱たり、海内は鼎沸す。
だいたい正史準拠かと思いきや、「亭長なるのみ」なんて、正史では言わないのだ。吾が家 四世公卿なり。百姓の帰する所なり。吾 天に応じ命に順ひ、位 九五に登らんと欲す。爾 諸の公卿 各々忠孝の節に存せ」
主簿の閻象曰く、
「不可なり。昔 周氏は后稷より文王に至るまで、徳を積み功を累ね、天下を三分して其二を有し、以て殷に服事す。明公 奕世克昌たると雖も、未だ周の盛有るに若かず。漢室 微たると雖も、未だ殷紂の暴に若かず。此の事 決して行なふ可からず」
術曰く、「吾が袁姓 陳より出づ。陳 乃ち大舜の後なり。土の火を承くるを以て、其の運に応ずなり。吾が字 公路、讖に云はく、『漢に代はるは当塗高なり』と。吾 伝国の玉璽有り。若し君〈天子〉と為らざれば、天道に背くなり。吾が意 巳に決す。臣下 再び多言する者 之を斬ると決す」
遂に仲氏と建号し、台省・等官を立つ。龍鳳の輦に乗り、南北郊を祀り、馮方の女を立てて后と為す。後宮の美麗たる数百人、衣服・金帛¥錦繡・器用 並に是れ金玉なり。奇珍・美味を飲食し、自ら以為へらく帝業を成す。子を立てて東宮と立す。
袁術が徐州攻めを起こす
因りて使に命じ、呂布の女を取りて児の婦と為すを催す。却りて聞く、巳に韓胤を将て解きて許都に赴し、操に斬られ訖はり、布 巳に平東将軍の職を授かるを。
術 大怒して、遂に張勲に拝して大将軍と為らしめ、大軍の二十余万を統領せしめ、七路に分かれ徐州を征す。
第一路は大将、中に居り。第二路は上将の橋甤、左に居り。第三路は上将の陳紀、右に居り。
第四路は副将の雷薄、左に居り。第五路は副将の陳蘭、右に居り。第六路は降将の韓暹、左に居り。第七路は降将の楊奉、右に居り。各々部下・健将を分撥す。
尅日、起行し、兗州剌史の金尚に命して太尉と為し、七路の銭糧を監運せしめんと欲す。尚 従ふを肯ぜず。術 之を殺す。紀霊を以て七路の都救応使と為す。
金尚ではなく、紀霊がまとめ役に。術 自ら李豊・梁剛・楽就を引き、三万の軍馬もて催進使と為る。
陳珪が呂布に、策を授ける
七路の兵に接応し、呂布 人をして探聴せしめ、回へりて報じて曰く、
「今 張勲の一軍 従路大り上逕し、徐州を取る。橋甤の一軍 小沛を取る。陳紀の一軍 沂都を取る。雷薄の一軍 瑯琊を取る。陳蘭の一軍 碣石を取る。韓暹の一軍 下邳を取る。楊奉の一軍 浚山を取る。七路の軍馬 日に五十里を行き、路に刼掠し、将に来らんとす」
地図に書きたいですね。
呂布 慌忙し、急ぎ陳珪の父子を召し、商議して曰く、
「今日 袁術の軍 七路に分れて来り、徐州を取る。当に之を如何にすべし」
陳宮曰く、「徐州の禍 乃ち陳珪の父子 招く所なり。巧言令色、以て朝廷に媚び、営に爵禄を求め、今日 禍を将軍に移す。二人の頭を斬りて以て袁王に献ず可し。其の軍 自ら退かん」
布 大怒して喝し、陳珪の父子を簇下せしむ。
陳登 大笑して曰く、「何ぞ是の如き懦なるや。吾 七路の兵を観るに、七堆の腐草が如し。何ぞ介意するに足る」
布 問ひて曰く、「汝 何ぞ計有るか。之を破る可くんば、汝の死罪を免ず」
陳珪曰く、「七路の兵の領将、是れ誰ぞ」
共に幾多有り、布 一一に説き了はり、珪曰く、
「将軍の兵将 共に多少有るや」
布曰く「五六万人に過ぎず」
珪曰く、「衆寡 等しからざると雖も、我 逸を以て労を待つ。四面 分路し、之に応ぜよ」
布曰く、「汝らの罪 誅を容れざるに、言を以て我を寛し、将に逃遁せんと欲するなり」
正解!珪曰く、「父子の良賤 皆 将軍の掌握の中に在り。走ぐるを待つとも、那裏に去くや。倘し将軍 老夫の言を用ゐるを肯ずれば、徐州 保ちて虞れ無かる可きなり」
布曰く、「公 試しに之を言へ。明らかに以て吾に教へよ」
珪曰く、「袁術 今 韓暹・楊奉を收めて、以て羽翼と為すも、彼 皆な鳥合の師なり。素より親信せず、相ひ維持するに正兵を以てせず。之を守るに奇兵を出せば、之に勝つ。成功せざる無し。又 一計有り。徐州を保安するに止めず、袁術も亦 擒らふ可し」
布 又 問ふ。珪 答へて曰く、
「暹・奉の袁術に依るは、譬ふれば鳳鶏が如し。勢 並棲せず。立ちどころに之を擒らふ可し。袁術 人を用ゐるは、正に薪を積むが如し。今 韓暹・楊奉を用ゐ、左右の羽翼と為す。二人 乃ち漢の旧臣なり。曹操を懼るに因りて走げ、家無くして依る可し。暫く袁術に帰するのみ。術 必ず之を軽ず。若し尺書を憑けて結連すれば、暹奉 以為へらく内応す。劉備と結連して以て外合と為せば、必ず袁術を擒ふ」
布曰く、「汝 必ず親ら韓暹・楊奉の処に到り、書を下せ」
登曰く、「目今、便ち行く」
陳登が袁術軍をくずす
布 表を発し許都に上る。書を豫州に致す。然る後、陳登をして数騎を引きしめ、下邳に道上に先ぜしめ、韓暹に来接す。暹 引兵し下寨す。登 韓暹に入見す。
暹 問ひて曰く、「汝 是れ徐州の呂布の人なり。此に来るは、何を幹するや」
登 乃ち笑ひて曰く、「某 大漢の公卿なり。何ぞ呂布の人と謂ふや。久しく聞く、将軍 関中に保駕し、蓋世の功を有るを。身に罪悪無く、乃ち有徳・清白の士なり。今 却りて袁術を佐く。譬ふれば明珠を舍てて泥丸に就き、良玉を棄てて頑石を抱くが如し。
あっはっは。不忠・不義の名 万代に罵らる。某 将軍の為に之を耻ず。豈に一時の忿に因りて、千古の名を失ふや。且つ袁術 久しく疑ひ多し。後に必ず将軍に害有らん」
暹曰く、「吾 漢に帰せんと欲するも、門無きを恨む」
登 布の書を出す。暹 其の書を覧ず。
書に曰く、
「布 聞く。二将軍 大駕を同扶し、万世の功を立つ。偶々一時の間言に因り、以て身を関外に失なふに致る。若し能く故鼎を革むれば、新たに邪を去りて正に従ひ、同に党逆を誅し、共に皇朝を佐け、以て遠大を図れ。名 竹帛に書かる。専ら回音を候つ。照察を切希す」
韓暹曰く、「吾 巳に之を知る。公 先に回れ。吾 楊奉と与に両路より兵を縦し、之〈袁術〉を撃つ。但だ火を看て、起ちて号を為す。温侯 兵を以て之に応ぜよ」
ああ、裏切りやがった。登 暹を辞す。急ぎ回り、呂布に見へて報ず、
「韓暹ら准を以て内応に備ふ。遂に五路に分かて」
高順 一軍を引き、小沛に進み、橋甤に敵す。陳宮 一軍を引きて沂都に進み、陳紀に敵す。張遼・臧霸 一軍を引きて瑯琊に出で、雷薄に敵す。宋憲・魏続 一軍を引きて碣石に出で、陳蘭に敵す。
呂布 自ら一軍を引き、大道に出で、張勲に敵す。
各々軍一万余を与へ、守城す。
呂布と袁術が開戦する
先説 呂布 城を出づること三十里、下寨す。張勲の軍馬も到り、呂布を見る。敵手に非ずと料り、二十里を退き、四下に待兵して接応す。
張勲は、分を弁えてる。是の夜、上山の一週、火起に遭ふを望見す。勲の軍 自ら乱れ、韓暹・楊奉 兵を分け、到る処に放火し、号を為し、接応す。
張勲が、裏切り者に掻き乱された。各軍 入寨す。呂布 勢に乗じて一撃す。張勲 敗走す。呂布 赶ふ。
天明に到り、正に撞き、紀霊 接応す。両軍 相ひ敵し、却りて交鋒せんと欲す。韓暹・楊奉 両路より殺来す。紀霊 大敗し、奔走す。
袁術サマが呂布に敗れる
呂布 兵を引き追殺す。山の背後に一彪軍 到る。門旗 両路に分る。中間を開き、一隊の軍馬あり。龍鳳・日月の旗旙、四斗・五方の旌幟を打つ。金瓜・銀斧、黄鉞・白旄あり。上に黄羅・綃金の曲柄傘を打つ。傘 蓋の下、袁術 身に金甲を披び、腕に両刀を懸く。馬を陣前に立つ。布を罵りて、
「逆賊め、主に背く家奴よ」
布 怒りて戟を挺し、向前して袁術に来殺す。副将の李豊 挺鎗し出馬して迎戦すること三合とせず、布の戟に其の手を傷つけらる。豊 鎗を棄てて走ぐ。梁紀・楽就 双びて出来し、呂布と戦ふ。袁術 中隊を引きて出づ。後軍 潰走し、三軍 大乱す。
呂布軍、馬匹・衣甲を搶奪すること無数なり。術 敗れ、軍は走ぐること数里ならず、山の背後に一軍 出で、去路を截住す。先の一馬に当り、乃ち蒲州のなり、姓は関、名は羽、字は雲長なり。五百の校刀手を領す。大叫す、
「反賊、還りて死を受けず、待ちて何方に逃ぐるや」
袁術 慌迯して走ぐ。雲長 赶来す。紀霊 敵して住む。
紀霊が関羽を食い止めた!余衆 四散し奔走す。袁術 敗軍を收拾し、再び淮南に回る。
呂布 勝を得て、邀へて奉暹の二将に請ふ。一行の人馬 都て徐州に回る。城中に到り、叙を請ひ、礼畢はり、筵宴を大排し、衆将を管待す。 布 韓暹を保ちて沂都牧と為し、楊奉を瑯琊牧と為す。
席 散じ、各々謝して去る。雲長 辞して帰る。
次日、布 陳珪と商議し、一軍を徐州に留めんと欲す。
珪曰く、「不可なり。韓楊の二人 山東に拠りて出でざれば、一年にして則ち山東の城郭 皆 将軍に属するなり」
布曰く、「然り」
次日、重ねて三軍を労らひ、二将を送り、暫らく二処に屯せしむ。劄して以て〈曹操からの〉恩命を候つ。
登 父に問ひて曰く、
「何為れぞ韓楊の二人を徐州に留めて、呂布を殺すの根と為さざるや」
珪曰く、「倘し二人 呂布を協助すれば、是れ布に爪牙を添ふるなり」
登 父の高見に服す。
孫策から袁術への絶縁状
却説 袁術の軍馬 其の大半を折し、乃ち淮安に回到す。人を遣はし江東に往き、孫策に借兵・報仇を問ふ。
使 江東に至り、袁王 兵を借る事を説く。
策 怒り、「汝 帝位を僣称し、漢室に背反するに、吾が玉璽に頼る。義人に非ず。吾 兵を加へて罪を問はんと欲す。豈に妄りに逆党を助くるを肯ずるや」
つぎの、孫策伝 注引『呉録』に比べると、『三国演義』オリジナルの孫策のセリフは、直情的ですね。つぎの絶縁状は、もっと婉曲している。
〈孫策は〉書を作りて以て之と絶す。書に曰く、
「策 聞く。蓋し上天は司過の星を垂れ、聖王は敢諫の鼓を建つ。非謬の備を設け、箴闕の言を急とするは、何ぞ哉。凡そ長たる所有れば、必ず短たる所有り。
去冬、大計有りと伝はり、悚懼せざる無し。貢献を供備すると旋知し、万夫 解惑す。頻りに建議するを聞き、復た前図・即事の期を追遵せんと欲す。便ち月を定めて使を益す有り。憮然と想ふ、是れ流妄なると。其れ必ず爾に設け、民 何ぞ望むや。曩日の〈袁術が〉義兵を挙ぐるや、天下の士 以て響応する所なり。董卓 擅ままに廃置し、太后・弘農王を害し、略に宮人を烝し、陵園を発掘す。暴逆 此に至るが故に、諸州郡の雄豪 声を聞き義を慕ひ、神武 外に卓を振はしめ、遂に内に元悪を殲す。既に斃れ、幼主 東顧し、宣命を保伝せしむ。
諸軍 振旅し、〈袁紹は〉河北に黒山と通謀し、曹操 東徐に毒を放ち、劉表 南荊を称乱し、公孫瓚 燕幽を炰烋し、劉繇 江滸に決力し、劉備 淮隅に爭盟す。是を以て未だ承命を獲て𡒩弓・戢戈せざるなり。
今 備・繇 既に操らに破れ、饑餒す。謂ふ、『当に天下と与に合謀して以て醜類を誅す。捨てて図らず』と。自取の志有るは、海内の望む所に非ず。一なり。
昔 成湯 桀を伐し、有に称せらる。夏 罪多く、武王 紂を伐して曰く、『殷 罪罰有ること重し』と。此の二王は、聖徳有りと雖も、若世に宜当す。如使し其の時に遭はざれば、亦 興す由無し。幼主 天下に悪有るに非ず。徒 春秋〈年齢〉を以て尚ほ少なく、彊臣に脅さる。若し故無くして之を奪はば、未だ湯武の事に合はざるを懼る。二なり。
卓 狂狡にして廃主するに至ると雖も、自ら与ふこと亦た猶ほ未だしなり。而るに天下 其の桀虐を聞き、攘臂し同心して之を疾む。中土を以てすら希戦の兵あり。邉地 勁悍の虜に当たれば、斯須に遊魂する所以なり。今、四方の人 皆 玩敵して戦闘に便たり。得て勝つ可き者は、彼の乱を以て我は治まり、彼は逆して我は順ふなり。当世の紛を見るに、若し大挙して以て之を明とせんと欲せば、𧼈ち禍に適足す。三なり。
天下の神器 虚しくす可からず。必ず須らく天 人力に賛すべし。殷湯 白鳩の祥有り、周武 赤鳥の瑞有り、漢高 星聚の符有り、世祖 神光の徵有り。皆な民 桀紂の政に困瘁し、秦莽の役に毒苦するに因り、故に能く無道を芟去して其の志を成すに致る。今、天下 幼主に患らふこと非ず。未だ受命の応験を見ず、而して一旦に卒然と尊号に登即せんと欲す。未だ之れ或有せず。四なり。
天子の貴、四海の富、誰か焉を欲せざる。義 不可なれば、勢 得ざるのみ。陳勝・項籍・王莽・公孫述の徒、皆な南面し孤を称するも、之れ能く帝王の位を済す莫し。横冀す可からず。五なり。
幼主 岐嶷たり、若し其の逼に出づれば、其の鯁 必ず中興の業を成すべし。夫れ主は周成の盛に致り、自ら旦奭の美を受く。此れ誠に尊明に望む所なり。縦使し幼主 他に改異有るとも、猶ほ宗室の譜属〈外の劉氏〉を推すを望む。近親の賢良を論じ、以て劉統を紹ぎて、以て漢宗を固む。皆な功を金石・図形・丹青に書く所、流慶は無窮、管絃を垂声す。捨てて為さず、其を為すこと難きは、明を想ひ、之を明とす。素より必ず忍びざる所なり。六なり。孫策伝の裴注『呉録』が出典だろう。よく分からんので、孫引きの『三国演義』でなく、ちゃんと『三国志集解』を使って読み直す。つづきがあるけど、いいや。
使 書を賜はり回りて袁術に見ふ。術 看畢はり、怒りて曰く、
「黄口の孺子、敢へて文字を以て我を譏るか。吾 先に之を伐ちて、以て江東を取らん」
長史の楊大将 苦苦と諌め、方に住まれとす。
却説 孫策 自ら書を発し、後に毎に術を防ぐ。點軍して江口を守住せしむ。忽ち曹操の使 至る。策を拝して会稽太守と為す。便ち起兵して袁術を征討せしむ。策 乃ち商議し、便ち起兵せんと欲す。如何を知らず、且聴下回分解。141101閉じる
- 第17回下_曹操 兵を会して袁術を撃つ
曹操が袁術の討伐にたつ
孫策 起兵して袁術を撃たんと欲す。
長史の張昭曰く、
「術 新たに敗ると雖も、兵将 極めて多く、糧食 備ふるに足る。倘し兵を進むれば、利せず、禍ひ江東に及ぶ。如かず、曹操に上書するに。他 若し南征すれば、願ひて後応と為れ。両軍 相援すれば、術の軍 必ず敗る。万一 禍有れば、亦た操に望みて之を援けしめよ」
曹操をつかえと。策曰く、「然り」
遂に使を遣はす。此の意を以て之に達す。
却説 曹操 許都に至り、典韋を思慕し、祠堂を興立し、四時 之を祭る。遂に其の子を封じて中郎と為す。府に收養す。
忽ち報ず、孫策の使 貢献・礼物を至すこと尤も多しと。操 其の書を観て、遂に南征せんと要す。人 袁術 糧に乏き、陳留を劫掠するを探得す。操 遂に點兵し出師す。
此の時操 自ら専権し、恣ままに大事を行なひ、然る後、啓奏す。従はざる有る無し。
操 曹仁をして許都を守らしめ、其の余 皆 操と出征す。三十万を起兵し、糧食・輜重 千余車なり。
時に建安二年、秋九月なり。
曹操が袁術を破る
操 行軍の次、先に人を発して孫策と会合し、劉備・呂布と与にしむ。比 豫章の界上に到るに及び、兵を分く。
玄徳 兵を引きて来迎す。操の営に入り、首級の二顆を献上す。操 驚きて曰く、
「此れ何なる人の首級や」
玄徳曰く、「此れ韓暹・楊奉の首級なり」
画面の外で敵を倒し、強さをアピールするのは、関羽が華雄についてやった方法である。操曰く、「何を以て之を得るや」
玄徳曰く、「呂布 因りて二人をして沂都・瑯琊の両県に権らしむ。縦ままに軍士をして徐楊の地面・人民を搶掠し、所怨まざる所無し。此に因り、備 乃ち一宴を設け、詐りて議事を請ふ。比に及び、入坐して、先に馬を牽き、盞を擲げて号を為す。小弟の関張の二人、各々一人を殺死し、尽く其の兵士を部下に收む今、特来し、罪を請ふ」
操曰く、「爾 国家のために其の大害を除き、大功と為すに堪へども、何ぞ罪と為すや」
遂に玄徳を賞し、兵を合せて徐州の界に到る。
呂布 操を出迎す。美言を用て撫慰し、命もて左将軍の職に封ず。許都に還るの時、即ち印綬に換ふ。布 大喜す。操 即ち兵を分く。
呂布の一軍 左に在り、玄徳の一軍 右に在り、操 自ら中に居り。夏侯惇・于禁をして先鋒と為らしむ。
時に袁術 曹兵の来ると知り、大将の橋甤をして兵五万を引き、先鋒と作す。両軍 寿春の界口に会す。橋甤 先に当りて出馬し、夏侯惇と三合と戦はず、橋甤 搠せられて死す。術の軍 大敗し、奔走して城に回る。
寿春の籠城戦
四下裏より来報す、孫策 舡を発して江邉の西面を攻む。 呂布 兵を引して東面を攻む。劉備・関張 引兵し南面を攻む。操 自ら三十万を引兵し北面を攻む。
袁術 大驚し、急ぎ衆の文武官を聚め、商議す。
楊大将 出でて曰く、
「目今、寿春の水 旱す。連年、田禾 熟さず。人 皆な欠食す。今 又 兵を動かさば、必ず民を擾す。民 既に怨を生ず。四下に兵 至り、以て迎敵すること難し。如かず、軍馬を寿春に留下して、戦ふ休かれ。彼の兵糧 尽くるを待てば、必ず変を生ず。陛下 御林軍を統し、淮を渡れ。一は熟に就き、二は且に其の鋭を避けよ」
術 其の言を用ゐ、李豊・楽就・梁剛・陳紀の四人を留め、各々上将の職を分く。十万の兵を分し、寿春を堅守せしむ。
術 数を尽して庫蔵・金玉・宝貝を收拾し、車に上す。約二十万人 聯絡して絶へず。淮を過りて躱す。
袁術が、淮水を渉って逃げてしまったw
曹操が兵糧に困る
却説 操の兵三十万、日に糧食を費やすこと浩大なり。况んや諸郡 旱荒し、人民 相ひ食む。屋宇 尽く皆 折毀す。軍士 得て掠擄する無し。操 軍に速戦を催すも、李豊ら閉門して出でず。
操の軍 相拒すること月余、糧食 将に尽きんとす。書を致して孫策に問ふ、「糧米十万斛を借せ」と。不敷支散。
立間訳は「焼け石に水」と。呂布・玄徳 自ら人をして運糧するも、不敷支散。
管糧官の任峻の部下たる倉官の王垕なり。随出して征し、数日を賜ひて操に入禀して曰く、
「兵は多く、糧は少し。当に之を如何とすべき」
操曰く、「小斛を将て之を散ず可し。権りて且に一時の急を救へ」
垕曰く、「兵士 倘し怨まば如何」
操曰く、「吾 自ら方策有り」
垕 果して小斛を以て分散す。操 却りて暗かに人をして各寨に之を聴かしむ。一人として怨まざる無し。皆曰く、
「丞相 大いに衆を欺くなり」
説者は紛然たり、皆 言ふ、散糧 数に及ばずと。
操 密かに王垕を召して入らしめて曰く、
「吾 問はんと欲す、汝に一物を借りて、以て衆心を圧せんと。汝の妻小もて、吾 自ら之を養ふ。汝 自ら憂慮する無かれ」
垕曰く、「丞相 何物を用て欲するや」
操曰く、「汝の頭を借りて以て衆に示さんと欲す」 垕曰く、「其れ実に罪無し」
操曰く、「吾 亦た知る、汝の無罪なるを。若し汝 死せざれば、三十万人の心 皆な変ず」
垕 再び言はんと欲するも、操 刀手を呼びて門外に推出し、一刀に之を斬り、頭を高竿に懸けて榜を出し、暁示して曰く、
「故に小斛を行ひ、官糧を盗竊す。謹みて軍法に按じ、此に因りて之を斬る」と。
乃ち三十万人を瞞過し、尽く皆な怨無し。
寿春の都の落城
操 糧の尽くるを知る。各々の寨軍に、「如し三日 併力して城を得ずんば皆 斬る」と教す。操 自ら城下に至り、諸軍を看る。土を搬び石を運び、壕を塡め塹をむ。
忽ち見る、両箇の末将 将に及び城邉に到らんとす。城上を見るに、矢石 雨の如く下る。慌走し、急ぎ回る。操 剣を掣して親ら城下に〈末将を〉斬る。操 自ら下馬し、土に接し、坑を塡む。
是に于いて大小の将士 向前せざる無く、軍威 大いに振ふ。城上 看見し、並皆な色を失す。
是の夜、先を争ひて上城する者 無数なり。操 親ら賞賜を賜はり、軍士 力を併す。城池 巳に破れ、縦ままに軍は入城し、擄掠す。李豊・陳紀・楽就・梁剛、皆 生け擒られ。操に見ゆ。
操 皆を市に斬らしむ。操 僞造の宮室・殿宇を焚焼し、禁を犯すの物を一応す。
寿春の城中 收掠せられ一空たり。操 進兵して渡淮し、袁術を追赶せんと欲す。
荀彧 諫めて曰く「此の間 十数の郡を接連し、皆 荒旱し、收めず。更めて進兵せんと欲すれば、労軍・損民す。倘し未だ勝を見て退かんと欲せざれば、急難す。若かず、暫く許都に回り、来春を待て。麥 熟せば、軍糧 足備す。方に之を図る可し」
操 持疑し、未だ決せず。
曹操が孫策と劉備にあとを任せる
忽ち報ず、馬 到りて称説すらく、
「張繡 劉表に依託りて唇歯と為る。南陽の張陵の諸県、復た反す。曹洪 抗拒するも住めず、連輸すること数陣。今、張繡 殺来し、許都 失有るを恐る。請ふ丞相、回れ」
操 書を持して孫策に与ふ。
「江を跨ぎ、布陣せよ。、以て劉表の疑兵と為れば、表 敢へて妄動せず。吾 自ら復し、張繡を征ち、以て其の根を絶つ」
即日、兵 行く。劉備をして呂布と結びて兄弟と為り、相ひ求助せしめ、再び相ひ侵すこと無からしむ。
操 玄徳をして仍ち沛城に住まり、呂布に着き、領兵して徐州に回らしむ。操 密かに玄徳に曰く、
「吾 汝をしして沛城に屯兵せしむ。是れ坑を掘りて虎を待つなり。但だ汝 陳珪と商議し、失有らしむ勿れ。音〈連絡〉至らば便ち接応せよ」
話し畢はりて退く。
曹操が麦をふむ
却説 曹操 自ら大軍を引き、許都に回り、安撫し定む。人 報ず、
「段煨 李傕を殺し、伍習 郭汜を殺し、首級を解きて前来す」と。
煨 李傕の三族 老小の二百余口を将て俱に活解し、許昌に入る。操 各門の処に分けしめ、傕・汜の老小の首を斬り、相ひ伝へ、号令す。人 皆 喜悦す。
「此の賊 巳に滅ぶ」
天子を称へ、陞殿し会集す。文武 太平の筵席を作し、段煨を封じて盪寇将軍と為し、伍習を殄虜将軍と為す。各々引兵し、長安を鎮守せしむ。二人 謝恩して去る。
操 奏す、「張繡 郡民を侵掠す。兵を興して之を伐つ」
天子 親ら鑾駕を排し、操の出師を送る。
時に、建安三年の夏四月なり。
操 大兵を引きて進発す。荀彧を許都に留め、兵将を遣るを調へしむ。
操 行軍の次、見る、一路に麥の巳に蒼黄なるを。民 食と為さんと欲す。兵の来るを聞き、逃𥨥して入山するに至る。操 下寨し諸将を会集し、更めて人を使はして遠近に遍く村人・父老を叫ばしむ。各処に及び、境を守る官吏 来聴し、発放す。操曰く、
「吾 天子の明詔を奉り、招降し討逆す。民のために害を除く。方今、麥 熟するの時なり。巳むを得ず起兵し、此に去る。大小の将校 凡そ麥田を過り、但だ踐を作す〈麦畑を踏む〉有る者、並びに皆 斬首す。擅ままに自ら人の財物を擄掠する者 並びに皆 誅戮す。王法 親と無く、宜しく当に遵守すべし。居民を仰ぎ、驚疑を得しむ勿れ。他界に流遺するを許さず」
此に因り、百姓 路に塵を望み、道を遮りて拝し、聖徳を称頌す。凡そ官軍 麥田を経過するに、並皆 下馬し、手を以て麥を扶け、逓相し、伝送して過ぐ。只だ怕る、倒を路上に麥すを。
操 麥中を行き、忽ち一鳩に驚起し、馬 乃ち眼生 麥中に𥨥入して其の麥を踐倒す。操 随下し寨喚す。行軍主簿 自ら巳に踐麥の罪あるを擬議す。主簿曰く、
「丞相の言令なり、誰か敢へて従はざる」
操曰く、「吾 自ら法を制し、吾 自ら之を犯す。何を以て衆に服するや」
佩する所の剣を掣し、刎せんと欲す。衆 急ぎ之を救ふ。
郭嘉曰く、「古の春秋の義に、『法は尊きに加へず』と。丞相 総統の大将なり。豈に自ら残害す可きや」
操曰く、「既に春秋に『法 尊きに加へざる』の義有るとも、吾 暫く記過す」と。
乃ち剣を以て自巳の髪を割ち、地に擲げて曰く、
「髪を割きて権りに首に代ふのみ」
万軍 悚然とす。沿道の民 秋毫も犯す無し。
静軒有詩断曰(はぶく)
やっぱり髪じゃマヤカシだよねと。
曹操が南陽城をかこむ
却説 張繡 知る、操 又た引兵するを。急ぎ書を発し、劉表に報じて、後応を為さしめ、乃ち雷敘・張先の二将を遣はし、出城して迎敵す。賈詡をして守城せしむ。両軍 相拒し、陣勢 排成す。
張繡 出馬し、指して面罵して曰く、
「汝 乃ち仁を假り義を詐るの人なり。禽獣と異なる無し」
そのとおりだなー。操 大怒し、許褚をして出馬せしむ。繡 張先を出して迎へしむ。只 三合、許褚 張先を馬下に斬る。繡の軍 大敗す。
操 引軍し、繡を赶ひて南陽の城下に至る。繡 城中に入り、閉門して出でず。操 城を囲みて攻打す。城上に擂鼓・砲石・金汁・弩箭を絶やさず、以て之を守る。城壕 大いに水勢を濶し、尤も深し。急ぎ城に近づくること難し。
操 軍兵をして土を運ばしめ、壕に塡め、又 用て土の布袋を做り、并せて柴薪・草把 相ひ雜ず。城邉 凳梯を作り、又 雲梯を立て、城中を窺望す。
操 自ら騎馬し、城を繞り、之を視ること、巳に三日を経る。
〈張繍軍の〉伝令 教ふ、「軍士 西門の圯角の上に柴薪を堆垜す。将士を会集し、就ち那裏より城に上る」と。
繡 詡に問ふ。答へて曰く、「某 巳に曹操の意を知る。計を将て就ち計り、操をして自ら兵を棄てて走げしむ可し」
繡曰く、「如何に」、且聴下回分解。141101閉じる