読書 > 李卓吾本『三国演義』第19回の訓読

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第19回上_呂布 敗れて下邳城に走ぐ

呂布が小沛を劉備から奪う

高順 張遼を引きて張飛の寨を撃つ。布 自ら関公の寨を撃つ。各々出迎し、玄徳と戦ふ。兵を両路に分け、求応す。呂布 引軍し、背後より関公に殺来す。両路の軍馬 尽く皆 潰散す。
玄徳 十数騎を引き、沛城に回る。呂布 玄徳を赶来し、急ぎ城上の軍士に喚び、吊橋を放下せしむ。呂布 後に城上に到り、却要し放箭す。又 只だ玄徳を射るを怕る。
呂布 勢に乗じて城門に赶入す。甕城の裏、数騎 呂布を来迎す。一戟一箇、殺得して尽く絶ゆ。把門する将士 都て走ぐ。布 軍馬を招き入城す。

玄徳 背後に火の起り家に到るを見て、城を逕穿して過ぐに及ぶ。西門より出でて、匹馬 逃難す。
布 先に玄徳の門首に到る。糜竺 出迎し、馬前に跪き、告げて曰く、
玄徳 乃ち将軍の弟なり。吾 聞く、大丈夫 冤讐して人の妻子を廃せざると。将軍 与に天下を争ふ者は、乃ち曹丞相なり。玄徳を量るに、何ぞ敢へて将軍の愛惜を望むや。玄徳 嘗て想ふ、〈呂布が〉轅門に戟を射るの恩を。一飯の間すら、未だ嘗て忘れざるなり。将軍 之を憐め」
布曰く、「吾 玄徳と旧なり。曽て義を拝す。安にか敢へて害 妻子に及ぶや。汝 一家の老小を引き、復た徐州に去き安置せよ」
呂布 竺に宝剣一口を賜る。「但だ〈玄徳の妻子が保護された家の〉門に登る者あらば、即ち之を斬れ」とす。糜竺 老小を保ち上車して徐州移往し、安置す。

呂布 既に玄徳の軍を殺散し、自ら山東の兗州が境上に投す。高順・張遼を留め、小沛城に屯せしむ。孫乾 亦 自ら逃げて城を出づ。関張 各々自ら些かな人馬を收得し、山中に往き、住劄すること落草一般の如し。

劉備が人肉を食し、曹操に降る

却説 玄徳の匹馬 山中に往き、逃難す。正に行くの間、背後に一軍 来赶す。頭を回して之を視るに、乃ち孫乾なり。相ひ抱して哭く。
玄徳曰く、「吾 今 二弟の存亡を知らず。老小 失散す。吾 将に自尽せんとす」
孫乾曰く、「不可なり。何ぞ操に投じて以て後計を図らざる」
玄徳 其の言に依り、小路を尋ね、許都に投ず。路上 糧を絶え村中に食を求む。但だ到る処、劉豫州と聞きて、皆 跪きて飲食を進む。
忽ち一家に到り、宿に投ず。其の家一後生 出でて之に拝して問ふ。乃ち猟戸の劉安なり。是の同宗なるを聞く。豫州牧 至遍に野味を尋ぬるも得ず。其の妻を殺して以て之を食はしむ。
玄徳曰く、「此れ何の肉や」
安曰く、「乃ち狼肉なり」

呂布に敗れた劉備が、劉安に妻の肉を食わされたとき、「此れ何の肉や」とたずね、劉安が「乃ち狼肉なり」と答えて、しばらく騙される。つまり劉備は、ほとんど(もしくはまったく)人肉を食べたことがない。連年、「人 相ひ食む」時世において、さすが劉備は、食糧に余裕があったことが分かった。

二人 飽食し、天は晩く夜宿す。暁に至り、辞去する。後院に馬を取るに、其の妻を厨下に殺し、臂上 尽く其の肉を割くを見る。

死んでるのが「妻」と分かるのだから、いちどは「妻です」と紹介されて、劉備は会っているのね。

玄徳 之に問へば、方に知る、是れ他の妻肉なるを。痛傷し、上馬して劉安を帯せんと欲す。
安曰く、「老母 在り。遠行す可からず」
玄徳 謝りて、遂に路を取りて梁城に出づ。

忽ち見る、塵頭 日を蔽ひ、山を漫し野を塞ぐ。軍馬 来到し、玄徳 之を迎ふ。乃ち是れ 操の軍なり。
中軍の旗側に直到し、下馬して拝迎す。操 亦 下馬して之に答ふ。「沛城を失ひ、二弟を散じ、老小を陥せらる」を説く。操 亦 下涙す。更に説く、「劉安 妻を殺して食と為すの事」を。操 孫乾をして金百両を以て之〈劉安〉に賜ふ。

済北に行至す。夏侯淵ら迎接す。操 寨に入り、説く、兄〈夏侯惇〉其の一目を損じて臥病し、未だ痊せざるを。
操 臥す処に臨み、之を視て、先に許都に回りて調理〈治療〉せしむ。

曹操が蕭関を攻め、陳父子が呂布を欺く

一面 人を使はし、呂布 何処に在るやを打聴す。人 報じて云はく、
「呂布 陳宮・臧霸と結連し、泰山の寇兵 兗州を犯す」と。
操 曹仁をして三千軍を引き、沛城を打たしむ。操 二十万の軍馬を提げ、玄徳と与に来戦す。
呂布の軍 山東の界口に至る。路 蕭関に近し。敵軍 欄住す、乃ち泰山の寇たる孫観・呉敦・尹礼・昌狶 三万余の兵あり。四員 将に陣前に立たんとするに、操 陣を衝かしむ。許褚 飛馬し舞刀して去く。四将 一斉に来迎す。許褚 精神を抖擻し、四員 将に迎敵せんとするも、住めず四散し奔走す。
操 勢に乗じて掩殺し、蕭関に追上す。

人 呂布に〈泰山の四将が許褚に破れたと〉報ず。布 此の時、已に徐州に回る。布 沛城に往き高順を救はんと欲す。布 陳珪の父子を喚び、徐州を守らしむ。布 陳珪の子たる陳登を帯び、同に去く。
珪 登に曰く、「昔日、曹公 曽て言ふ、東方の事は尽汝に付すと。今、布 将に敗れんとす。力〈つと〉〉めて之を図る可し」
登曰く、「外面の事、児子 之を為す。倘し呂布 敗れて回らば、便ち糜竺に請ひて、一同 城門を守把せよ。布を放ちて入るる休かれ。児 自ら脱身の計有り」
珪曰く、「布の老小 此に在り。必ず心腹の頗る多きこと有り」
登曰く、「児子 亦 計有り」と。

呂布 行に臨み、登曰く、
「徐州 四面に敵を受く。操 必ず死攻す。先に思ふ、銭糧を将て退歩し、下邳に移せ。倘し徐州を囲まるとも、下邳に糧有らば、〈徐州=小沛を〉救ふ可し」
布曰く、「元龍の言、是なり。吾 就ち老小を将て同去す」
人 宋憲・魏続を喚び、回りて老小を保ちて下沛城に屯せしむ。
船隻を将て糧草・金帛を運ぶ。

小沛のほうが、必争の城で、「徐州」と呼ばれるように、州治として扱われてる。下邳は、辺境のような扱い。だから後に、「呂布は、もう下邳の1城しか残ってない」というセリフが出てくる。


布 陳登と同に蕭関に先来し、救援す。布半路に到るや、登曰く、
「某に容せ、先に去きて曹操の虚実を看ることを。主公 却纔 行く可し」
布曰く、「何の謂ひや」
登曰く、「泰山の孫観ら、皆 寇心有り。未だ托す可からず」
布曰く、「登 吾に有益なり」

陳父子が呂布と陳宮を同士討ちさせる

布 未だ行かざるに、登 先に関上に到る。陳宮・臧霸ら接見す。
登曰く、「温侯 深く汝らの向前するを肯ぜざるを怪しむ。要来、罰を責めんと」
宮曰く、「目今、曹兵の勢は大なり。未だ敵を軽んず可からざるなり。吾ら関隘を緊守す。主公をして沛城を深保せしむ」
登 関に上り之を望む。操が軍の関下に逼るを見る。登 是の夜、連ねて三封書を写し、箭上に拴し、下関〈曹操の陣〉に射る。
次日、早く辞して回る。
陳宮曰く、「関上 妨ぐる無し。温侯をして沛城を守らしむ可し」

蕭関は、陳宮がきっちり曹操を防いでいるから、呂布サマが来る必要はない。そうお伝え下さいと。


登 遂に飛馬して呂布に来見して曰く、
「関上の孫観ら、皆 関を〈曹操に〉献ぜんと欲す。某 已に陳宮を留下す。守城の将軍 黄昏に殺去す」
布曰く、「公非ずんば、則ち吾 計に中るなり」

先に登をして陳宮と来約せしむ。火を挙げて号を為し、内外に相ひ応ずと。登 先に〈陳宮のいる蕭関に〉到り、報じて曰く、
「曹兵 小路を抄下し、已に到る。関内 徐州に失有るを恐る。公ら急ぎ〈蕭関を出て徐州に〉回れ」
宮 遂に衆人を引き、関を棄てて走る。

登 就ち関上に放火し、号と為す。呂布 黒きに乗じて殺来す。操軍 関中に搶入す。陳宮の一軍 呂布の軍と自ら相ひ掩殺す。曹兵 又 孫観・呉敦らに到り、各自 四散し、領軍して去上す。

呂布 天明に到り、方に知る、是れ計なりと。急ぎ陳宮と与に徐州に回り、城邉に到り、門に叫ぶや、城上より乱箭 之を射る。糜竺 敵に在り、楼上より叫びて道ふ、
「汝 吾が主〈劉備〉の城池を奪ふ。今 旧に依り主に還せ」
布 問ひて曰く、「陳珪 何にか在る」
竺曰く、「老賊よ、吾 已に之を殺せり!」
呂布 陳宮を回顧して曰く、
「陳登 安にか在る」
宮曰く、「主公 尚ほ自ら執迷して侫賊に問ふや」
軍士 中道に、陳登を尋ぬるとも見へず。

布 陳宮と与に沛城に来投す。

「呂布が支城の小沛を失った」が史書だろうけど、『三国演義』では、「呂布が本城の小沛を失い、下邳に落ち延びざるを得なかった」という印象にしている。

行至すること半路、一彪の軍 驟至するを見る。之を視るに、乃ち高順・張遼なり。布 之に問ふ。
順曰く、「陳登 来報して説く、『主公 囲はる』と。某ら急来し、救解せんとす」
宮曰く、「此れ侫賊の計なり」
布 怒りて曰く、「吾 必ず此の賊を殺す」
兵を小沛に進む。

小沛の城下で呂布が敗れる

曹操 先に曹仁をして引軍し、已に沛城を襲はしむ。呂布 城下に陳登を大罵す。登 城上に在り、言ひて曰く、
「吾 乃ち漢臣なり。安んぞ反賊に事ふるを肯ずるや」
布 転怒するに、忽ち聴く、背後に喊声の大起するを。
布 高順をして之を探さしむに、一隊の人馬 当先するを見る。一将 豹頭・環眼、燕頷・虎鬚、幽燕の涿郡の人、姓は張、名は飛、字は翼徳なり。

張飛は、いちどは生死不明になったから、これは再登場なので、ふたたび自己紹介をした。

高順 交戦するも利あらず、退走し入陣す。飛 陣に衝入す。呂布 奮怒し張飛と来戦す。
正に戦ふの間、陣外に喊声の起る処、曹軍 呂布に突入す。画戟を倒拖し、引軍して東走す。操の両軍 呂布に殺来す。人困し馬乏するに、又 一彪軍の路に欄住す。乃ち大刀の関雲長なり。
立馬し横刀し、大叫す。 「走ぐる休れ」
呂布 自ら交戦するに、背後より張飛 赶来す。声の吼ゆること雷の如し。布 慌てて衝走し下邳に忙奔す。侯成 引兵して接応す。

劉備と関張が再会し、小沛を守る

関張 相見し、各々失散の事を言ふ。
関公曰く、「我 海州の路上に在り、蔵避す。消息を打聴し、故に此に来至す」
飛曰く、「弟 㟐碭山に在り、落草して寇と為る
二人 曹操に来見し、又 玄徳に見ふ。拝して地に哭し、各々礼を敘し畢はる。

〈劉備は〉操と同に徐州に入る。糜竺 接見して言ふ、
「家属 危無し」
玄徳 甚だ喜ぶ。
陳珪の父子 曹操に参拝す。操 一大宴を設け、諸将を犒労す。操 中に居り、玄徳 左に居り、陳珪 右に居る。文武らの官 各々次に依りて坐す。
操 陳珪父子の功を言ひ、十県の禄を加へて以て之に供す。登 授けられ伏波将軍と為る。

劉備が淮南方面を攻める

操 徐州を得て、大喜し、起兵して下邳を攻打するを商議す。
程昱 進みて曰く、「布 今 下邳の一城を有するに止む。緩緩たるを以て進む可し。若し逼ること太だ急なれば、賊 必死に戦ひて袁術に投ず。一たび往きて之に投ずれば、其の勢 必ず大なり。淮南の逕路に擒獲すること極めて難し。

呂布が、袁術サマと接合しないようにすることが、曹操が呂布を破る唯一の方法だと。袁術が孤立するのは、袁術の不徳もあろうが、それ以上に、曹操による分断の計略によるものであったかw

必ず能事する者有れば、之を守る。外に袁術に当り、内に呂布を防ぐ。况んや今、山東 尚ほ臧霸・孫観の徒有り。未だ曽て帰順せず。亦 宜しく之を謹しめ」
操曰く、「吾 自ら山東の諸路に当る。其の淮南の逕路 玄徳に請ふ。辞する休れ」

山東は曹操の本拠地だから、ここは自分でやる。しかし、リスクのある外地は、とりあえず劉備を放り込んでみて、袁術と呂布の関係が乱れるように、仕向けてみる。爆薬と火種があるところに、新しい爆薬を放り込んでみるほどに、曹操は手が足りない。

玄徳曰く、「丞相 将に命ぜんとす。安にか敢へて違ふこと有るや」

次日、操 泒を分けて各路に軍馬を守把す。玄徳 糜竺・簡雍を徐州に留む。孫乾 関張を帯び、軍馬を收拾し、淮南の逕路を取り、邳郡に来襲す。

曹操が呂布を説得する

呂布 下邳に在り、自ら糧食の足備すると為し以て内は泗水の険を資けとし、以て外に拒む。
「吾 何をか憂へん」
陳宮 進みて曰く、「今 操の兵 方に来らんとす。寨柵に乗り、未だ定めず。逸を以て労を撃てば、勝たざる無し」
布曰く、「吾 昨 敗を累ぬ。軽々しく出づ可からず。其の来るを待ち、攻むること一撃、皆 泗水に落し、吾の計策の中つること、已に掌中に在り」
陳宮 大笑して出越すること五六日、各々下寨し、柵 已に定まる。操 二十余将をして皆 全付の鉄鎧を披らしめ、城下に直到し、大叫す
呂布 答話す。布 上城に立つ。操 麾蓋の下に在り、鞭を以て布を指す。布 手を以て之に答ふ。

操曰く、「近く奉先 袁術と婚を結ぶ。吾 故に領兵して此に至るは、実に術が為なり。術 反逆の大罪有り。君 董卓を討つの功有り。若し能く戈を倒にして之に降らば、共に王室を扶けよ。封侯の位を失はずして、富貴は取る可し、功名は立つ可し。
若し愚迷にして省みざれば、城池 一破し、玉石 分たず。之を悔いても晩し。爾 之を察す可し」
布曰く、「丞相 且に退きて尚ほ商量するを容せ」
陳宮 布の側に在り、操を大罵して曰く、
「汝 是れ君を欺くなり。賊 反りて他人を毀たんと欲す」
〈陳宮は〉言 罷み、一箭もて〈曹操の〉麾蓋を射中す。
操 面を指し恨みて曰く、
「吾 汝を殺すを誓ふ」
遂に引兵し攻城す。
布曰く、「曹丞相 我の自首を容せ。当に明公に拝投すべし

呂布は、主義主張のないヤサオトコなんだろうな。最強の武を、振るった場面はない。むしろ、劉備と同じで、節操がなく転がるけど、配下の武将が強いので、影響力がでかいという。話のなかでも、「旧勢力の袁氏」と、「袁術・袁紹を順番に破っていく曹操」という、おおきな二項対立のあいだで、コロコロと転がるコマである。

陳宮 色を変じて大怒して曰く、
「逆賊の曹操 何等の人なり。今日 若し降らば、如鶏子の石に投ずるが如し。豈に全うするを得んや」
布 剣を抜きて陳宮を来殺せんとす。未だ性命を知らず。如何且聴下 回分解。141108

呂布が最強というイメージの根拠は、虎牢関で劉関張と張り合うから?『三国演義』を読んでるが、呂布が最強に思えない。むしろ、「曹操が袁氏を掃討する話」のなかで、「何を達成するでもなく、曹操の敵か味方かも定まらず、戦局を混乱させる厄介な奴」であり、物語のなかでの役割は、劉備とそっくり。
曹操の兗州獲得から官渡までの間は、「曹操と袁術が覇権を競う」話であり、競う手段として「呂布や劉備という節操のない軍事力を、どちらがうまく利用するか」がテーマとなる。曹操と呂布が協調する場面は少なくないほどに、劉備と曹操が敵対する場面も少なくない。
呂布と劉備は、曹操と袁術に利用されて翻弄されつつ、ことあるごとに、恩讐の関係を確認しあう。道具は道具なりに、労働組合をつくって、互いを守り合っているのだ。最後は、劉備が呂布を切り捨てるけど。
「強くて美丈夫で、ファンを引き寄せる」という意味で、呂布と劉備は、対照的な関係。史実はいざ知らず、『三国演義』ではね。

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第19回下_白門楼に曹操 呂布を斬る

陳宮の計略を、呂布が聞かない

呂布 陳宮を殺さんと欲す。高順・張遼曰く、
「公台 忠義の人なり。言 心より出づ。願ふ、主は之を詳らかにせよ」
布 剣を擲げて笑ひて曰く、
吾 汝に戯るるのみ。公台に願ふ、我に操を拒むの策を教へよ」

冗談になってない。呂布に、主君としての度量や品格を求めるほうが、間違っているのだが。

宮 辞して、「計無し、施す可し」
布 之に求懇す。宮曰く、
「只だ恐る、将軍の従はざるを」
布曰く、「公の良言、安にか従はざるを肯ずるや」
宮曰く、「曹操 遠来す。勢 久しくする能はず。若し将軍 歩騎を以て屯を出づれば、外に勢を為し、宮 余衆を将ゐて内に閉守す。操 若し将軍を攻むれば、宮 引兵して其の背を攻む。若し城を攻むれば、将軍 後ろより救へ。旬日を過ぎず、操の軍 食は尽き、一鼓にして破る可し。此れ乃ち犄角の勢なり」
布曰く、「公の言 極めて善し」
遂に兵を分くるを議す。

布 府に帰り、戎装を收拾す。
此の時、冬 寒し。側に従人在り、多く綿衣を帯ぶ。妻の厳氏曰く、
「君 何こに往かんと欲す」
布曰く、「陳宮 我をして犄角の勢をせしむこと此の如し」
厳氏曰く、「昔 曹操 公台を待すること赤子の如し。猶ほ捨てて来る。今、将軍 公台を厚くするも、曹操を過ぎず。而るに、城を委全し妻子を捐て、孤軍 遠出せんと欲す。若し一旦 変有れば、妾 豈に将軍の妻為るを得んや
布曰く、「夫人の見る所 如何に。言有れば、吾 必ず之に従ふ」
遂に三日 出でず。

呂布が再び陳宮を無視る

宮 入りて布に見えて曰く、
「操の軍 已に大いに張声し、勢 四面を囲ふに至る。若し早く出でずんば、必ず其の困を受く」
布曰く、「吾 思ふ、遠出は堅守に如ず」
宮曰く、「近く聞く。曹操の糧は少なく、人を遣はして許都に往取せしむと。早晩、将に至らんとす。将軍 精兵・猛将を引きて出で、糧道を絶つ可し。此の計 最も毒なり」
布曰く、「公の言 極めて善し」

又 入内し、厳氏に曰く、
「曹操の糧食 将に至らんとす。我 出でて之を断ち、便ち回らん。汝 且に寛心せよ」
厳氏 泣きて曰く、「将軍 自ら出でて糧を断てば、必然、陳宮・高順 城を守る。我 聞く、宮・順 素より和睦せず。将軍 一たび去らば、宮・順 必ず同心して共に城池を守らず。
如し差失有らば、将軍 当に何地を以て立つや。願はくは将軍、詳聴し、宮らに誤せらる所となる勿れ。
妾、昔 長安に在りて、已に将軍の棄つる所と為る。幸いに龐舒の私かに妾の身を蔵すを頼る。今須、妾を顧みず、将軍 万里を前程す」
言ひ畢はり、痛哭す。

布 愁悶して決せず、貂蟬に入告す。
貂蟬曰く、「将軍 妾の主と作る。軽騎もて自ら出づる勿れ」
布曰く、「汝 憂慮する無れ。吾 画戟・赤兎馬有り。天下の人 誰か敢へて我に近づくや

布 出でて謂ふ、
「陳宮曰く、『操の軍糧 至る』とは詐りなり。操 詭計多し。吾 未だ敢へて動かず」
宮 長歎して出でて曰く、
「我ら皆 死して葬身の地無し」

静軒 詩を以て之を断じて曰く、
「奸雄の曹操 中原を併す。社鼠・城狐 塞垣を棄つ。笑ふ莫れ、温侯の決断すること無きを。丈夫 多く婦人の言に惑ふ

許汜・王楷が、袁術との同盟をはかる

布 終日 出でず。只だ厳氏・貂蟬を守り、飲酒して以て愁悶を解く。
陳宮の下なる謀士の許汜・王楷 呂布に見ゆるを求む。布 問ひて曰く、
「二公 何ぞ解囲の策有るや」
許汜曰く、「今 袁術 淮南に在りて、声勢 大いに振ふ。旧曽 女を許して婚を為す。将軍 何ぞ解を求めざる。術の兵 一たび至り、内外 攻撃せば、操の兵 必ず敗る」
布 大喜して、人をして書を修めて就着せしむ。
汜・楷 去く。
許汜曰く、「須らく一軍を得て、引路し衝出すべし。方に去くことを得可し」

包囲を突破して、袁術のところに使者を出すための道を開いてくれと。

布 張遼・郝萌をして、両箇 一千を引兵し、隘口を送出せしむ。許汜・王楷 呂布を辞す。張遼 前に在り、郝萌 後に在り、夜 二更に至り、城を殺出して去く。
玄徳の寨を抹過す。衆将 追赶するとも迭せず、已に隘口を出づ。張遼 一半にて軍 回す。郝萌 五百の人馬 汜・楷と跟に去く。
張遼 回来するに、雲長 欄住す。各々顧盻の心有り、手を下すことを肯ぜず。

張遼と関羽の伏線を、いちいち張る。

高順・侯成 城を出でて引兵し、張遼を救護して回来す。

且説 許汜ら寿春に至り、袁術に拝見し、書信を呈上す。
術曰く、「前は吾が使命を殺し、吾を頼りて婚姻せんとす。今 復た相ひ問ふは何ぞや」
汜曰く、「此れ操 姦計を用ひて以て此の如くに致るなり。明上 詳らかに之を訖納せよ」
術曰く、「汝 操軍の困逼すること甚だ急なるに是あらざれば、豈に女を以て吾の子に許するを肯ずるや」
汜曰く、「明上 今、布を救はざれば、布 必ず敗る。布 若し一たび破るれば、明上 亦 破る
術曰く、「奉先 反覆して信無し。先に女を送る可し。然る後、国を傾けて之を救はん」

わりに妥当な条件ではないかな。

汜・楷 謝して郝萌と和に回る。

〈汜・楷は〉玄徳の寨邉に到る。
汜曰く、「日間、過ぐ可からず。夜半、吾 二人 当に先んず可し。汝 後を断つ可し」
郝萌 結束し、夜 玄徳の寨を過ぐ。正に行くの次、張飛 寨を出で路を欄ぐ。郝萌 交馬すること一合、生擒らる。
汜・楷 城邉に至り、大叫す。城上の救人 五百の軍馬を折し郝萌と并さる。

却説 張飛 郝萌を解き、玄徳に見えしむ。玄徳 問ひ、大寨に押往して操に見えしむ。萌 説く、
「救を袁術に求め、女を許して婚を為す」
操 怒りて推出せしめ、軍門に斬る。主簿を喚びて各寨に告示し、「如し呂布を走透せしむること有らば、将士を並せ、亦 軍法を按じて処治す」と。

呂布軍を包囲の外に逃がしてしまったら、逃がした者を死刑にすると。

各寨 悚然とし、昼夜、寝ねず。

玄徳 寨に至り、関張に分付して曰く、
「我ら正に淮南の路上にて衝要の処に当るべし。倘し踈失有らば、王法 親無し。二弟 須らく宜しく用心すべし。吾 今日の夜、敢へて甲を卸さず」
飛曰く、「呂布の健将を捉へるに、重賞を賜はらず、反りて相ひ諕嚇せらる」

その指摘は、とても正しいな。

玄徳曰く、「非なり。曹操 数十万の雄兵を統ぶ。軍令を以てせずんば、何を以て人を服せしむ。第に之を犯す勿れ」
関張 応諾して退く。

呂布が娘を背負って突破する

却説 汜・楷 呂布に見えて言はく、
「袁術 先に欲す、児婦を得るを。後に傾国の兵を起し、救援す」
布曰く、「如何に送去する」 汜曰く「将軍に非ざれば、不可なり」
布曰く、「今日は如何」
汜曰く、「今日 乃ち凶神の辰なり。城を出づ可からず。明日、大いに利し。宜しく戌亥の時を用て、以て上馬す可し」
布 張遼・侯成をして三千の軍馬を引かしむ。
一輌の小車を安排せよ。外に我 親ら二百余里を送りて却る。你 両箇をして〈淮南まで〉去かしむ」

次日、天晩、呂布 女を将て綿纏するを以て、身に甲を用て包褁す。布 遂に赤兎馬に上り、女を背上に負ひ、手に画戟を提ぐ。時に正に二更なり。夜、月は微明たり。

呂布のテーマは、月。劉備から徐州を奪うときも、わざわざ月夜で、、とか描写されてた。

城門を放開す。布 先に当り、出城す。張遼・侯成 跟着す。将に玄徳の寨前に次到せんとし、一声 鼓響す。

雲長 路を欄住し、大叫して走くことを休らしむ。戦ふこと十合せず、布 斜を剌して便ち走ぐ。
張飛 早く一軍を引き、来迎す。布 心に恋戦すること無く、只だ路を要衝して走ぐ。玄徳 自ら一軍を引き、又 来る。両軍 混戦す。
呂布 勇たると雖も、終に是れ一女を身上に縛り、只だ傷着するを恐れ、敢へて重囲に突せず。

後面に徐晃・許褚 皆 殺来す。箭 雨の點ずるが如し。衆軍 皆 大叫して曰く、
「不要、走了呂布」
布 軍の来ること太だ急なるを見て、只だ下邳に回るをを得たり。玄徳 軍を收む。徐晃・許褚 寨端に帰す。一箇すら走透せず。布 城中に帰し、心内 憂悶たり。只だ飲酒す。

曹操が水攻を決める

却説 曹操 城を囲むこと両月、下さず。
忽ち報ず、河内の張揚 東市に出兵し、呂布を救はんと欲するに、部将の楊醜 之を殺す。醜 〈張楊の〉頭を将て丞相に献ぜんと欲するに、却りて張楊の部将の眭固 之を殺す。反りて犬城に投ず。
操 史渙を遣りて之を追斬す。

操 衆将を聚めて曰く、
「吾 囲むこと両月、克たず。下邳の北に西凉の憂有り。東に表・繡の患有り。吾をして食して甘味あるを無からしむ。 幸いに爾 張楊 自滅す。吾 布を捨てて還都し、暫くして且に戦を息まんと欲す」
荀攸 急ぎ止めて曰く、
「不可なり。某 観るに、呂布 勇有るとも謀無し。今 屢々戦ひて皆 敗る。鋭気 墮衰せり。三軍 将を以て主と為すも、将に衰へんとすれば則ち軍に奮心無し。彼の陳宮 謀有りと雖も、而れども遅し。今 布の気 未だ復せず。宮の謀、未だ定らず。急速に之を攻む可し。布 必ず獲ふ可し」
郭嘉曰く、「某 一計有り。勝てば、如し二十万の兵あり、布 勇たると雖ども迯ぐる能はず」
荀彧曰く、「沂・泗の水を決するに非ざる莫きや」
嘉曰く、「然り」

操 大いに喜び、一万人を差はして、即ち両河の水を決す。諸軍 皆 高原に居り、坐して水の下邳を渰するを視る。

下邳も鄴城も、水攻で片づける曹操さん。


下邳の城中、衆軍 夜に水声を聞き、呂布に飛報す。
布曰く、「吾に赤兎馬有り。水を渡ること平地の如し。吾 何をか懼れんや。美酒を痛飲し、以て天の時を待つ」
布 酒色に因りて身体を過傷す。容顔 銷減す。鏡を取りて之を照らし、大驚して曰く、
「吾 酒色の傷を被る。今日より之を断つ。城中、但だ飲酒する者あれば、皆 斬る」

侯成 馬十五匹有り、後槽の数人 盗去し、玄徳に献ぜんと欲す。侯成 知覚し赶上して奪回す。尽く後槽の人を将て之を殺す。
諸将 合せて侯成に礼し、作賀す。五六斛の酒を成釀し、十余口の猪を殺す。未だ敢へて飲成に就かざるに、先に酒五瓶・猪一隻を将て、布に敬詣す。前に跪きて告げて曰く、
将軍の虎威に托し、追ひて失馬を得る。衆将 皆 来りて作賀し、釀して些かの酒を得て、猟して数猪を得たり。未だ敢へて先に飲食せず。先に微意を奉上す」
布 大怒して曰く、「吾 酒を禁ずるに、汝 酒を釀して将士に召して会飲し、兄弟の同謀を作し、我を伐つや。推出して之を斬れ」
高順ら入告す。布 怒りて曰く、
「故〈ことさら〉に吾が令を犯す。理 之を斬るに合ふ。今、諸将の面を看て、且に打一百とす」
衆将 哀告し、五十背花を打つ。

成〈侯成〉 帰して尽く其の酒肉を棄つ。衆 皆 相ひ謂ひて曰く、
「此の心 変ず」

宋建・魏続が裏切り、開城する

時に宋憲・魏続 共に来りて探視す。成 澘然と下涙して曰く、
「公ら非ざれば則ち成 死す」
憲曰く、「布 只だ妻を以て念を為し、我らを視ること草芥の如し
続曰く、「軍は城を囲ひ、外は水 壕邉を遶ふ。吾ら死して地無し」
憲曰く、「東門 水無し。我ら布を棄てて走げん。若何」
続曰く、「丈夫に非ざるなり。布を擒へて之を献ず可し。吾ら身を全し害を遠ざけん」
成曰く、「我 馬を追ふに因りて責を受く。布 倚仗する所の者 赤兎馬なり。汝二人 門を献じて布を擒とせよ。吾 先に馬を盗みて去き曹公に報ず。若何」
三人 商議し大策を定む。

侯成 暗かに馬院に来り、其の動静を観る。槽上の人を見るに、皆 睡る。赤兎馬を盗み、東門に走る。魏続 放出す。佯はりて追赶の勢を作し、操の寨に来到す。備へて献馬の一事を言ふ。宋憲・魏続 白旗を挿して号を為し、献門を准備す。

操 消息を得て、榜の数十張を押し、軍をして城に射入せしむ。榜に曰く、
「今、明詔を奉じ、往きて呂布を伐つ。如し大軍に抗拒す者有れば、満門 誅滅す。如し城内、上は将校に至るより、下は庶民に至るまで、如し呂布の首を献ずる者は、重ねて官を加へて賞す。大将軍曹(押字)

次日の平明、城外の将校、大小の諸将、一斉に吶喊し、天地を震動す。呂布 大驚し、慌てて画戟を提げ、上城す。各門 點視し、魏続を責罵し、侯成を走透して、罪を治するを待たんと欲す。城下 望見するに、白旗 挿して城上に在り。曹軍 城勢を打つこと雨の點ずるが如し。
布 自ら迎敵す。城裏・城外 箭は飛蝗の如く、砲は驟雨に似る。平明より打到し、日中、城外の軍 退く。布 少しく憇ひ、楼中に坐して椅上に睡着す。宋憲 左右を赶退し、先に其の画戟を盗む。 憲・続二将 斉しく呂布を上綁す。布 急ぎ左右を喚ぶ。魏続 殺散し、白旗を把して一に大兵を招し、斉しく城下に至る。魏続 大叫す、
「已に呂布を生け擒れり」
夏侯淵 尚ほ未だ信ぜず。宋憲 城上に就き、呂布の画戟を擲下す。大いに城門を開き、一擁に入らしむ。

高順・張遼 都て西門に在り、水 囲みて出づること難し。城上・城下の将士 擁けて出で、皆 陳宮を生け擒る。南門の邉に就き、徐晃に捉へらる。
操 人を差はして入城せしめ、良民を刼掠するを許さず。

呂布の縄をゆるめない

操 門楼の上に坐し、人をして玄徳を請はしむ。関張と同に楼上に至る。操 玄徳をして側に坐せしむ。操 一千人をして提過し、呂布を来らしむ。然りと雖も、身長一丈 数條の索縛を被り、一團を作す。
布 叫びて曰く、「縛 太だ急なり。乞ふ、之を緩めよ」
曹操 喝して曰く、「虎を縛る。急とせざるを得ず」
布曰く、「容せ、一言を伸べて死するを」
操曰く、且に稍々解寛せんとす。主簿の王必趨り進みて曰く、
「布は勍虜なり。其の衆 近く外に在り。寛す可からず」
操曰く、「本より少しく緩むるを欲すのみ」
主簿 従はず。

布 侯成・魏続の皆 側に立つ見る。
布曰く、「我 諸将を待すること簿からず。安んぞ反すること忍びざるや」
憲曰く、「妻の言を聴き、将の計を用ひず。安んぞ厚しと為すや
布 黙然たり。先に高順を擁して前に至る。
操 問ひて曰く、「汝 何か言ふこと有るや」
高順 答へず。操 怒り、命じて、推下して之を斬る。

陳宮の最期

陳宮を押過す。操曰く、
「公台 別れて自り恙が無きや」
宮曰く、「汝の心術 正からず。吾 故に之を棄つ」
操曰く、「吾が心 正からざるとて、爾 如何に布に事ふ」
宮曰く、「布 無謀なると雖も、你の謟詐・奸雄たるに似ず」
操曰く、「公台 自ら智謀 余り有ると謂ふ。今、竟に如何」
宮 呂布を顧みて曰く、「但だ此の人、吾が言に従はざる。若し吾が言に従はば、未だ必ず擒とならず」
操 笑ひて曰く、「今日の事、当に何如にすべき」
宮曰く、「臣として不忠、子として不孝なり。死して自ら甘心す」

操曰く「卿 是の如くんば、老母をいかんせん」
宮曰く、「吾聞く、将 孝を以て天下を治むる者は、人の親を害せずと。老母の存亡 明公に在り」
操曰く、「卿の妻子の若きは何如」
宮曰く、「吾聞く、仁政を天下に施す者は、人の祀りを絶たず。妻子の存亡 亦 明公に在り」
〈陳宮に〉留恋の心有り。
宮曰く、「請ふ、出でて戮に就けて、以て軍法を明らかにせよ」
遂に歩きて下楼し、之を牽きて住めず。操 起身し泣きて之を送る。宮 並びて回顧せず、臨行す。操 従者に曰く、
「即ち公台の老母・妻子を送りて許都に回せ。吾が府中に恩養せよ。怠慢する者あらば斬る」
宮 聞けども言はず、頸を伸して刑を受く。衆 皆 下涙す。操 棺槨を以て之を盛んとし、遷して許都に葬る。

史官 廟祠の讃有りて曰く(はぶく)
操 宮を下楼に送る。

呂布の最期

布 玄徳に哀告して曰く、
公 坐上の客と為り。布 階下の虜と為る。何ぞ一言を発して相ひ寛せざる」
玄徳 點頭す。操 其の意を知り、人をして呂布を押過せしむ。布曰く、
「明公の患らふ所、布に過ぎず。今、已に服す。天下 憂ふるに足ず。明公 歩将と為り、布 騎将と為らば、天下 定むるに足ざるや」
操 玄徳を回顧して曰く、
「呂布 如何にせんと欲す」
玄徳 答へて曰く、「明公 布の丁建陽・董卓に事ふるを見ずや
操 之に頷く。布 目に玄徳を視て曰く、
「是の児 最も信無き者なり」
操 楼に牽下し、之を縊す。
布 首を回して曰く、
「大耳児、轅門に戟を射るの時を記へざるや」
操 大怒す。忽ち一人 大叫して曰く、
「呂布の匹夫、何ぞ死を懼るや」
之を視るに、衆の刀斧手 張遼を擁して至る。
操 〈呂布を〉縊死せしむ。

宋賢 詩りて歎じて曰く、「……妻を恋ひ陳宮の諌めを納れず。枉に罵る、大耳児に恩無しと」

呂布を責めるパターン。

羅隠の絶句 玄徳を責むるの詩に曰く、「……董卓・丁原の血 未だ乾かざる。玄徳 既に知る、〈呂布が〉能く父を啖ふを。争でか如し留取して曹瞞を害せしめざる」

劉備は、どうせ呂布が曹操を裏切ると分かっているのなら、呂布に曹操を殺させれば良かっただろうに、と。盲点だったw

贊に曰く、……。

須臾 呂布を縊死す。時に建安三年の十二月なり。
武士 呂布の首級を献上す。

張遼と曹操が対面する

操 命じて、張遼を押過して来たらしむ。操 遼を指して曰く、
「這の人 好生面善」 遼曰く、「我 両箇 濮陽の那里に相ひ見ゆ。如何に忘るや」
操 大笑して曰く「你も原来 記得するや」
遼曰く、「只だ是れ惜む可し」
操曰く、「惜む可きこと、甚ぞや」
遼曰く、「是れ惜火の大ならざるを惜む可し。若し火 大なれば、你 這の国賊を焼殺するを」
操 大怒して曰く、「敗将 安にか敢へて吾を辱しむるや」
手に剣を抜き親自ら来りて張遼を殺さんとす。遼 頸を引き、曹操の剣下に誅せらるを待つ。一人 臂膊を攀住し、一人 面前に跪く。二人 張遼を救ふ者 乃ち是れ誰なる人や。且聴下回分解。141108

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