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- 第3回上_董卓 陳留王を立てんと議す
何進の召兵に、曹操が反対する
操曰く、「宦者の禍 古今 皆 但だ世主の不当に之に権寵を假し、近侍・浸潤せしめ、疾を成さしむるに有るなり。此に至り、若し罪を治めんと欲すれば、当に元悪を除くに、但だ一獄吏を付せば足るべし。何ぞ必ずしも紛紛として外兵を召すや。尽く之を誅せんと欲するする事、必ず宣露たるべし。吾 其の必敗を料る」と。
何進 怒りて曰く、「孟徳も亦 私意を懐くや」と。
操 退きて言く、「天下を乱す者は、必ず進なり」と。
これが『三国演義』における何進の位置づけ。進 乃ち詔を降し、暗かに使を差はして命ず。星夜 前に詔を去かしめて曰く、
毛本では、ここのニセ詔はない。「朕聞く、紀は敗れ、常は乱る。曰あらず誅すること無くば、国を害し、時を傷つけん。豈に能く彌久とせんや。切に惟ふ、常侍の張譲・段珪ら、濫叨・寵栄し、恣生・強逆し、報本の恩を思はず。復た滔天の禍を造る。意に喜ぶは、一門の栄貴のみなり。心に怒るは、九族の誅夷なり。
諸侯をして畿甸の外にあらしめよ。天子を宮闈の中に挾め。上下 切歯して、咸 殄滅を思ふ。朕 素より卿らの心に、忠義を懐くを知る。奸邪を討戮し、速やかに雄虎の師を提げ、蕭墻の禍を尅定せよ。
詔書 到る日、火速に奉行せよ。宜しく朕の懐を体せ。遐邇〈遠近〉に知悉せしめよ」と。
董卓の登場
先に四道に詔書を発す。急ぎ詔を四路の軍馬に詔す。
第一路、東郡太守の橋瑁。第二路、河内太守の王匡。第三路、武猛都尉・并州剌史の丁原。
董卓を討つ十八鎮の前バージョン。顔ぶれが、対句になっているのだろうか。毛本には、この四道の記述はない。第四路、身長八尺・腰大十囲・肌肥肉重・面濶口方・手綽飛燕・走及奔馬にして、前将軍・鰲郷侯に任ぜられ、西凉剌史を領す、隴西の臨洮の人なり。
董卓は、劉備とのからみがあった。初登場ではない。それなのに、人物描写が、ここでねちっこく行われる。毛本では、初出でないことに配慮してか、人物描写はなく、「前將軍鰲鄉侯西涼刺史董卓」としか言わない。姓は董、名は卓、字は仲頴。先に黄巾の為に破られ、功無し。治罪を議せんと欲するや、卓 十常侍に賄賂す。此に因り、幸いにも免かる。後に金珠を以て朝貴と結托し、遂に顕官に任ぜらる。時に手下に西州の大軍二十万を統し、常に不仁の心有り。
キャラの思想信条は、言動のなかで仄めかされる、、という約束をやぶる。『三国演義』の董卓は、はじめから地の文で、「不仁」と決めつけられる。作者にそう言われたら、それ以外のキャラにはなりえない。
是の時、〈董卓は〉詔を得て大いに喜ぶ。軍馬を點起し、陸続と便行す。卓の女壻 中郎将の牛輔、陝西を守住す。卓 李傕・郭汜・張済・樊稠を帯せしめ、前後 調練・提兵して、洛陽を望み来る。
卓の女壻 中郎の謀士 李儒、上言して曰く、
牛輔も李儒も、董卓の女婿という設定。毛本でも、婿の牛輔、婿の李儒、となってる。董卓は、婚姻によって、配下を固めていた。李傕・郭汜は、ただの軍人に過ぎず、婿ですらない。「今 奉詔すると雖も、中間 多く暗昧有り。何ぞ人を差はして表章を上通せざる。名は正しく、言は順なれば、大事 図るべし」と。
何進の詔は、毛本で省略されてた。この董卓の作文は、毛本にも収録される。董卓 大喜して儒に表を作らしめて曰く、
「臣 伏して惟るに、天下 逆有りて止めざる所以は、皆 黄門・常侍に由るなり。張譲ら天常を侮慢し、王命を操擅す。父子・兄弟 並びて州郡に拠る。一書 門を出づれば、便ち千金を獲たり。京畿の諸郡、数百万の膏腴・美田は、皆 譲らに属す。怨気をして上蒸せしめ、妖賊 蜂起するに至る。臣 前に詔を奉じ、於扶羅を討つ。将士 饑乏して、渡河を肯ぜす。
董卓が於夫羅を討ったなんて、でたらめ。毛本では、カットされている。皆 言ふ、京師に詣でて、先んじて閹豎を誅し、以て民害を除かんと欲すと。台閣に従ひ、資直を乞求す。
李卓吾は、「これ大なる奸雄の文字(言葉)なり」とする。臣 撫慰して以て新安に至るに随ふ。臣聞く、湯を揚げて沸を止むるには、火を滅して薪を去るに如かず。癰を潰すは痛しと雖も、毒を養ひ、愆を成すに勝る。溺れて船を呼ぶに及びて、之を悔ゆれども及ぶ無し。昔 趙鞅 晋陽の兵を興し、以て君側の悪を逐ふ。臣 輒ち鐘鼓を鳴して洛陽に入り、譲らを除くを請れば、則ち社稷の幸甚、天下の幸甚なり」と。
鄭泰・盧植が、董卓を召すなという
何進 〈董卓の〉表を得て、出して大臣に示す。侍御史の鄭泰 諫めて曰く、
「董卓 乃ち豺虎なり。若し京城に引き入るれば、必ず人を食はんかな」と。毛本では、豺狼である。トラか、オオカミか。進曰く、「汝の心 人に之ふこと多し。与に大事を謀るに足らず」と。
毛本では、「汝多疑」とあり、分かりやすい。
李卓吾は、「何進は人の話を聞くことを好まぬ、奴材(ダメな人材)である。鄭泰の言うことを聞けば、敗れなかったのに」とある。
盧植 亦た植を諌む。
「素より知る、董卓の人となりを。面は善けれども、心は狠なり。常に不仁の心有り。一たび禁庭に惹入すれば、必ず国にを禍乱を生じ、民に益無く傷有らん。如かず、早く人を遣りて回せしめよ。庶はくは免ぜよ、簒奪の患を」と。
董卓は、十常侍を使って兵権を得た、十常侍よりも悪いやつで、しかも簒奪しそうな者として描かれる。曹操よりスケールの大きい悪役。というか、悪役になっていく曹操の到達点を、予め見せているのだ。曹操は、けっきょく董卓に追いつくことで、悪役としての地位が分かりやすく固まってゆく。
十常侍は、簒奪はしないからなー。
進 之を叱りて曰く、「汝ら皆 無志の士なり。君禄を枉食す」と。
何進こそが、滑稽なほど自分のことを分かっておらず、後漢を食いつぶす者として描かれる。何進の役割は、明確になってきた。
鄭泰・盧植 皆 官を棄てて去る。
泰 問ひて曰く、「此れ去ること如何や」と。
植曰く、「此れ公〈何進〉 輔くべからず。禍ひは即目に在り」と。
ちゃんと何進に反論し、何進を見捨てた二人。見識ある役回りの二人が、これからどうなるか。とくに盧植は、劉備とつながっているから、善玉である。荀攸 亦た閑を告ぐ。朝廷に居る大臣 其の大半を去る。
張譲が何太后に泣きつく
進 人を使はして卓を澠池に出迎せしむ。卓 兵を按じて動かず。
張譲ら知る、詔ありて各路の兵 到るを。董卓のほかの三道の兵も、きちんと活躍させてあげたい。これは、李本『三国演義』の趣向を膨らますことになるだろう。十常侍 商議す。譲曰く、
「此れ乃ち何進の謀なり。我ら若し先んじて手を下さざる時、皆 滅族せられん」と。
張譲ら、先に刀斧手五十人を、長楽宮の嘉徳門内に伏す。
譲ら何太后に告げて曰く、
「今 大将軍 詔を矯めて、諸路の軍馬を召して、並びて京師に至らしめ、臣らの宗族を滅せんと欲す。娘娘に望む、憐を垂れんことを」と。
皆 叩頭・伏地して曰く、
「臣ら田に帰し、老を養ひ、死を免るれば万幸なり」と。
太后曰く、
「汝ら大将軍の府下に詣でて罪を謝すべし」と。
譲ら曰く、
「若し相府に到れば、骨肉 皆 虀粉と為らん。娘娘に望む、手詔を賜はり、大将軍に宣し、入宮せしめ、其の事を解釋せよ。如し其れ臣らに従はざれば、只だ就ち、娘娘の前にて死しても恨み無し」と。
袁紹・曹操が、何進の入宮を諌める
太后 乃ち手詔を降し、進に宣して入宮し、議事せよとす。進 詔を得て便ち行かんとす。主簿の陳琳 諌めて曰く、
陳琳もまた、鄭泰・盧植と同じく、何進にたてつく知識人。この知識人の層の厚さと、彼らの去就が『三国演義』を支える魅力なのだ。袁紹・曹操・劉備などの戦いのなかで、どのような判断をするかと。宦官・何進・董卓に反対することは、共通の了解としても、董卓以降は、正解がなくなって、知識人もさまよってゆく。
劉備が正しいか、曹操が正しいか、それが分からない、というのが『三国演義』の魅力なのだ。ぎゃくに、この魅力を浮き上がらせるため、「旧勢力」である、十常侍・何進・董卓は、たんなる悪玉や愚者であるべきだ。「太后の此の詔は、必ず是れ十常侍の謀なり。切に去くべからず。去かば必ず禍有らん」と。
陳琳の予言は、必ず当たる。こういうキャラは、作者にとって都合がよい。おのずと伏線になってくれるし。進曰く、「太后 詔す。我 何の禍事有あらんか」と。
袁紹曰く、「交持 已に形勢を成し、已に将軍を露にするに、尚ほ入宮して議事せんと欲す。何ぞ早く事を决せざる。久しくすれば必ず変あらん」と。
毛本は、「今謀已泄」とわかりやすい。進曰く、「已に吾が掌握の中に在り。待てども如何に変あらん」と。
毛本は、何進のバカみたいな反論を省いて、袁紹と曹操が畳みかける。李本は、何進のバカさを強調する。このセリフの詳細までは、正史にない。バカな何進というのは、李本の特徴かも。曹操曰く、「先に当に十常侍を召出すべし。然る後、方に入るべし」と。
進 笑ひて曰く、「此れ小児の見なり。吾 天下の権を掌す。
何進は、これを何回も言いますね。
つぎに袁紹は、何進を「主公」という。前の回でもあったけど。どうやら何進は、姿の見えない後漢皇帝の代替物として描かれる。霊帝がキャラを発揮する前に死んだ。活躍の機会がなかった。つぎの劉辯と劉協は、幼い。「状況の見えていないバカ君主」としての役割を、何進が与えられている。十常侍 敢へて待するとも如何せん」と。
紹曰く、「主公 堅く執要にして我らを去る。宜しく堅を披ちて鋭を執り、甲士を引きて以て之を護とせよ」と。
孟徳も亦 当に輔佐して以て不測を防ぐべしとす。
袁紹と曹操というペアを、何進を支える青年将校の二枚看板と位置づけている。二人の幼少期のエピソードを持ち出すよりも、ツイになって何進を導いているという場面によって、二人をペアにすることができる。官渡の伏線となる。
袁術の登場、何進が斬られる
是の日、袁紹・曹操 各々宝剣を帯び、精兵五百を選ぶ。弟を喚び、之を領せしむ。袁紹の弟、同父・異母、姓は袁、名は術、字は公路なり。孝廉に挙げられ、身を進め、折衝校尉・虎賁中郎将を授けらる。
当日 袁術の全副 披掛して精兵五百を引きゐ、青瑣門外に布列す。紹と操 百余人 何進を護送す。
袁術は、何進の腹臣という扱いではない。朝廷に高い官位を持っている、袁紹の協力者、という位置づけである。車 長楽宮前に至る。黄門 懿旨を傳へて云く、
「太后 禁宮の深処に在り。要す、将軍と国家・大事を議論せんことを。持兵・護送の者 輒ち入るべからず」と。
此に因り、袁紹・曹操 一行の人 都て当に禁宮の外に在るべし。何進 傍若無人に似て、昂昂と直入し、嘉徳殿門に至る。
李卓吾はいう。何進は、もとより奴才である。惜しむに足らず。しかも何太后に呼びつけられて、死ににゆく。天が何進を殺したがっている証拠である。張譲・段珪 迎出し、左右に囲住す。譲 声を厲して進を責めて曰く、
「董后 何の罪ありて妄りに酖死を加へらるか。国母の喪葬 疾に托して出でず。汝 本は屠沽の小輩なり。我ら之を天子に薦め、以て栄貴に致るに、報效を思はざる。
李卓吾は、「これも正しいね」という。十常侍と何進は、何太后を媒介にして、じつは癒着した同類だと示される。外戚と宦官が対立して後漢を傾けたのではなく、外戚も宦官も同じように後漢を傾けた。だから、袁紹や曹操のような英雄が、次の時代に準備されたのだよ、という物語である。『三国演義』は。
何進や十常侍にも、そりゃ人間らしさとか多面性はある。だが、『三国演義』の文脈に則る限り、そちらに目を向けてはいけないのだ。話が散らかって、意味不明になる。
相ひ謀害せんと欲す。言はく、我ら甚だ濁なりと。其の清なる者 是れ誰ぞ」と。
進 乃ち黙然として、言無し。尋て宮門より出路せんと欲すれども、尽く閉じらる。譲 呼びて曰く、
「何ぞ手を下さざる」と。
群刀斧を擁出す。何進を宮門側畔に揪住す。砍きて両段と為す。何進、ついに死にましたね。何も言い返すことなく、斬られた。毛本では、「何進 黙然として言無し」がない。李本では、何進がいかなる反論もできない場面を、わざわざ挿入して、何進の庸才ぶりを強調する。後来の史官、四句の言語有り。何進を嘆きて曰く、 「漢室 傾危し、天数 終はる。無謀なる何進 三公と作る。幾番も忠臣の諌を聴かず。免れ難し、宮中に剣鋒を受くるを」と。
「忠臣の諌を聴かず」が、何進のキャラ造型のヒント。というか、この一言につきる。
つぎに李本では、初めての「論」が出てくる。
論に曰く、竇武・何進 元舅の資に藉し、輔政の権に拠り、内は太后の臨朝するの威に倚り、外は群英の風に乗ずるの勢を迎ふ。卒かに事ありて閹豎に敗る。身は死し、功は頽れ、世の悲しむ所と為る。豈に権足らずして、余り有ることを智らんや。
傳に曰く、天の商を廃すること久しきかな。君 将に之を興さんとすれば、斯ち宋襄公 泓に敗るる所以なり。
贊に曰く、〈竇〉武 蛇祥を生じ、〈何〉進 自ら羊を屠る。惟の女・惟の弟 紫房に来儀す。上は惛、下は嬖。人霊 怨を動じ、将に邪慝を紏さんとし、以て人の願ひに合ふ。道の屈なり。代 凶困を離る。
賛は、よく分かりません。すみません。毛本にない。
譲ら既に何進を誅し、太尉の樊陵に請ひ、入りて進の職位に代へしむ。袁紹 久しく進の出でざるを見て、乃ち宮門の外に大叫して曰く、
「将軍の上車をを請ふ」と。
中黄門 墻上に何進の頭を擲出し、宣諭して曰く、
「何進 謀反し、已に伏誅す。其の余の協従、尽く皆 赦下す」と。
袁紹 声を厲して大叫す。
「閹官 大臣を謀殺す。豈に此に理有らんや。大義を失ふ有り。悪党を誅する者は、前来して戦を助けよ」と。
宦官を全殺する
何進の部将 呉匡、青瑣門外に於いて放火す。袁術 引兵して宮庭に突入す。但だ閹官を看れば、大小を論ぜず尽く皆 之を殺す。
李卓吾は「快事なり」という。袁術・曹操 関を斬りて内に入る。樊陵・許相 殿を出でて大呼するも、無礼を得ず。袁紹 二人を立ちながらに斬り、余 皆 奔走す。
趙忠・程曠・夏惲・郭勝の四箇、翠花楼上に赶し、都に放火し、楼より跳下し、就きて楼前に在り。刴〈き〉られて肉泥と為る。
宮中の火焰 冲天す。張譲・段珪・曹節・侯覧、太后及び太子并びに陳留王を将ゐ、内省より刼出す。官属 後道より北宮に走ぐ。
尚書の盧植 官を棄つるとも未だ去らず。宮中の事変を見て、擐甲・持戈し、閣下に立つ。牕前 遥かに見る、段珪 何后を擁逼して過来するを。植 大呼して曰く、
「段珪 逆賊よ。尚ほ死するを知らず、敢へて太后を劫するや」と。
段珪、身を回して便ち走ぐ。太后 牕中に従ひて跳出す。植 急ぎて之を救ひ、免るるを得たり。
盧植が何太后を助けた。見せ場!呉匡 内庭に殺入す。何苗も亦 提剣して出づると見ふ。呉匡 大呼して曰く、
「是れ車騎の何苗 同謀して兄を殺す。報讐を願ふ者は、前に向へ」と。
数十人 大叫して曰く、
「願はくは謀兄の賊を斬らん」と。
苗 走げんと欲するも、四面 囲定せらる。砍られて粉碎と為る。
紹 上宮門を閉じて軍士に号令す。
「但だ閹官を見れば、大小を問ふ無く、尽く皆 之を殺せ」と。
宮中 尽くを殺して頭を分く。来りて十常侍の家属を大小を分かたず殺し、尽く皆 誅絶す。流血 地も満つ。何ぞ二三万の多に止らん。鬚無き者有れば、誤りて殺戮せらる。
曹操 一面 救ひて宮中の火を滅す。
旧体制の内側にあって、放火・殺害をする袁氏。旧体制から半分だけ外に出ており、再建まで視野に入れる曹操。という構図か。しかし、曹操の消火活動は、旧体制の維持なのか、新体制の再建への一歩なのか、傍目には区別がつかない。
張譲が自殺する
張譲・段珪 少帝及び陳留王を擁して逼り、烟を冐し火を突す。殺して宰門より出後す。城を離れて北邙山を望み、難より逃る。
袁紹 何太后に請ひて大事を権攝せしむ。四下 兵を分けて追ひ、襲ひて少帝を尋覔す。
張譲・段珪、従者二十余人、連夜、奔りて北邙山に走ぐ。天色 昏黒なり。各々相ひ随従の人を見ず。各自 逃回すること約二更時分。
後面に喊声・大挙あり、人馬 赶至す。当先、河南中部掾史の閔貢 大叫す。
張譲 走ぐるを休む。段珪ら乗馬しながらに落荒して逃ぐ。張譲 事の急なるを見て、叩頭して帝に辞して曰く、「臣 路無し。陛下 自ら顧みよ」と。遂に河に投じて死す。
少帝と陳留王がさまよう
帝と陳留王も亦た虚実を知らず。敢へて高声せず、二王 河辺の乱草の内に伏す。
此の時、中平六年八月二十四日なり。城中 宦官を誅殺し、二帝 荒草に夜臥す。軍馬 四散し、去赶れども、帝の所在を知れず。二帝 伏して四更に至る。露水 又た下る。腹中 饑餒す。相ひ抱きて哭し、又た人の吞声を知るを怕る。草莽の中、涙 雨の如く墜つ。
陳留王曰く、
「此に在り、久しからんと恋ふは宜しからず。去りて尋て路を活せん」と。
帝曰く、「路は暗く、行き難し。之をいかんせん」と。
陳留王 帝と与に、衣を以て相ひ結び、岸辺を爬上す。地は荊棘に満ち、行路見へず。仰天して嘆じて曰く、「劉辨 休〈や〉みたり。但だ流螢の千百、群を成す。光芒 照耀す」と。
後漢の皇帝は、ただ哀れなだけの役回り。まあ史実がそんな感じだから、『三国演義』の特徴には数えられないけど。
李卓吾は、「このときの蛍もまた功臣である」という。劉弁と劉協を励ましたからか。ぎゃくに、人間の忠臣は残っておらず、というか『三国演義』には忠臣は登場せず、蛍だけが味方である。可哀想なやつら。只だ帝前に在りて、陳留王曰く、
「此れ天の吾が兄弟を助くるなり。螢火に随ひて行かん」と。
漸漸として路を見つく。二帝 相ひ扶けて、一歩一跌、山路を奔出して走〈ある〉く。
史官 詩有りて曰く、
「乱兵 蟻の如く、王師を走らす。社稷 傾危して、孰んぞ持するを為さんや。夜 火螢を逐ひて道路を尋ぬ。漢家の天子 歩きて時に帰す。
腐草 螢上の為に時に岸き、曽て夜を照らして書幃に向ふ。言ふ莫れ、微物 相ひ軽賤なるを。曽て君王と路迷を引く」と。
このホタルの情景が、後漢の滅亡を象徴する。そして、董卓の登場という、大騒音の直前の静けさである。
二帝がひろわれる
二帝 行至すること五更。足は痛く、行く能はず。山崗の辺に、一草堆を見る。二帝 草堆・畔草に臥す。堆の前面、是れ一所の庄院あり。
庄主 是れ夜夢すらく、両つの紅日 庄後に墜つを。庄主 驚き覺め、衣を披ちて戸より出づ。四下 観望して、庄後の草堆上に見る、火 起りて天に冲するを。
庄主 慌忙して往きて観見る、二帝 草畔に臥するを。庄主 問ひて曰く、
「二少年、誰が家の子なるや」と。
帝 敢へて応ぜず。陳留王曰く、
「吾が兄は乃ち是れ大漢皇帝なり。十常侍の乱に遭ひ、夜 難を来逃して、螢火の引路を得る。故に此の庄に到る」と。
庄主 大いに驚きて地に再拝して曰く、
「臣 先朝、宦に歴仕す。司徒の崔烈の弟、崔毅なり。十常侍の売官し賢臣を嫉するを見るに因り、此に於て躬ら壟畆を耕す。
このような、本物のニンゲンの忠臣を遠ざけたのが、十常侍の禍いであり、今日の混乱(袁氏の突入)を招いたと。
しかし『三国演義』で、十常侍の腐敗として描写されているのは、劉備に賄賂をもとめた宦官の左豊だけである。もうちょい、宦官の腐敗を描かないと、事情が分からなかろう、読者に。
遂に帝を扶けて庄に入らしむ。跪きて酒食を進む。
帝と陳留王 崔毅の庄中に隠はる。
二帝が閔貢に発見される
却説 閔貢 段珪を赶上して、拏住して問ふ、「天子 何にか在ある」と。
珪言はく、「已に半路に在りて、之を棄つ。何処なるかを知らず」と。
貢 遂に段珪を殺し、頭を馬項に懸け、下来して天子を尋ね、崔毅の庄に到り、覔飯す。毅 首級を見て之を問ふ。貢詳細を説く。崔毅 貢を引きて帝に見へしむ。君臣 痛哭す。
貢曰く、「国 一日として君無かるべからず。陛下に請ふ、都に還れ」と。
崔毅の庄上 匹瘦馬 備ふ有り。帝に与へて乗せしむ。貢 陳留王と共に一馬に乗り、庄院を離る。
行きて三里に到らず、司徒王允・太尉楊彪・左軍校尉の淳于瓊・右軍校尉の趙萌・後軍校尉の鮑信・中軍校尉袁紹の一行、人衆は数百人、馬 車駕に接着す。君臣 皆 哭し、先に人をして段珪の頭を将て京師に往かしめ、号令す。
另に着け、好馬に換へて帝及び陳留王に与へ、騎簇せしむ。帝 京に還る。
是より先、洛陽の小児 謡して曰く、
「侯は侯に非ず、王は王に非ず。千乗・万騎 北邙に走る」と。
董卓の登場
車駕 行きて数里も到らず、忽ち旌旗 日を蔽ひ、土を塵し、天を遮るを見る。一枝の人馬 到来す。百官 色を失ふ。帝 大驚す。袁紹 驟馬して出でて問ふ、「何なる人、敢へて聖駕を攔〈さへぎ〉るや」と。
繡旗の影裏より董卓 馬を出し声を厲し、便ち問ふ、
「天子 何くに在るや」と。
帝 戦慄して言ふ能はず。群臣 措く所を知る罔し。陳留王 馬を勒して向前し、之を叱りて曰く、
「来る者 何なる人や」と。
卓曰く、「西凉州剌史の董卓 是なり」
be動詞の「是」は、書き下しは要らんよなあ。場所を表す「在」も、要らんよなあ。陳留王曰く、「汝 来りて駕を保つや。汝 来りて駕を劫すや」と。
卓 応じて曰く、「特に来りて駕を保たんとす」と。
陳留王曰く、「既に来りて駕を保たんとし、天子 此に在り。何ぞ下馬せざる」と。
董卓と陳留王(献帝)は、史実はどうあれ、物語では相性がよい。というか、劉弁を廃するという事件を起こすという点で、共犯関係にある。董卓は、陳留王のような聡明な弟がいなければ、廃立をやれなかった。陳留王は、董卓がいなければ即位できなかった。ここの問答は、董卓と陳留王が出会い、年齢をへだてて理解しあい、同盟を結ぶシーンだと言えそう。
バカ殿の何進に連なる劉弁を斥けて、後漢をいちおうは長らえさせる。墜落するかと思いきや、下から突風をかまして、後漢を30年ほど延命させた。卓 大驚・慌忙して下馬し、道左に拝す。
陳留王 言を以て董卓を撫慰す。初より終に至るまえ、並せて遺失無し。卓 暗に之を奇とす。是の日、護送して宮に還り、何太后に見ふ。俱に各々下涙・痛哭す。
傳国璽を失ふ。
董卓 城外に屯兵せしめ、毎日 鉄甲馬軍の数千を帯びて入城し、街市に横行す。百姓 惶惶として不安たり。
董卓が何度も同じ兵を出し入れして、兵数を多く見せるのは、どこかの小説が出典だっけ。
両路の軍 何進 已に死するを知る。
両路というのは、、「第一路、東郡太守の橋瑁。第二路、河内太守の王匡。第三路、武猛都尉・并州剌史の丁原」のこと?各々軍兵を引き、本処に回る。去き訖はり、董卓 志を得て宮庭に出入す。畧すること忌憚無し。
後軍校尉の鮑信 袁紹に来見して言はく、
「董卓 朝廷を縦横す。必ず異心有り」と。
鮑信は、袁紹を見限って、曹操に最初の根拠地を与える役割。ここで、袁紹が鮑信をガッカリさせることが大切。紹曰く、「朝廷 新らに定まる。未だ軽動・刀兵すべからず」と。
鮑信 王允に見へて亦た其の事を言ふ。允 従はず。
王允も、腰が重いほうの人だった。ただし王允の場合は、のちに貂蝉をつかって呂布を殺すための伏線。王允が董卓を殺す話は、ここに伏線をはられた。信 本部の軍兵を引きて、自ら泰山に投じ去く。董卓 何苗の部下の兵を招誘して、尽く帰せしめ掌握す。
董卓が皇帝を廃立する
卓 李儒を召して曰く、「吾 帝を廃して陳留王を立てんと欲す。如何」と。
李儒曰く、「今 朝廷 主無し。就 此の時 行事せず、遅るれば則ち、変有らん。
今がチャンスだと言った。李儒は、『三国演義』では大活躍する。正史では、、どうだっけ。来日、温明園中に百官を聚会せしめよ。若し従はざる者有れば、立ちに之を斬れば、則ち指鹿の謀なり。 宜しく今日に在るべし」と。
李卓吾はいう。董卓と李儒もまた、一時の雄であると。ぼくは思う。李卓吾本では、董卓は単なる悪役ではない。何進というバカ殿のあとを受けて、袁紹・曹操とは別の立場から、後漢を改革するものである。董卓が、どのように「悪役」に転落するのか、もしくはしないのか、見物です。卓 喜びて便ち大排して温明園中に筵会せしむ。来日、百官に請ひて飲酒せしめんとす。次日、飛騎 城中に往来す。遍に公卿に請ふ。皆 董卓を懼れ、誰か敢へて到らざる。
お誘いを断るわけには、いかないと。卓は百 官を探知し了んぬ。徐徐に馬に策うちて轅門に到り、
李卓吾いわく、「奸雄、奸雄」と。なんや、そのコメント。下馬・帯剣して席に入る。百官 見了はり、先に従人をして盞酒を執らしめ、行すること数巡なり。卓 自ら盃を挙げ、諸大臣に飲酒を勧め畢んぬ。卓 酒を停め楽を止めしむ。卓曰く、
「今 大事有り。衆官 聴察せよ」と。
衆 皆 耳を側だつ。卓曰く、
「天子 万民の主と為りて、以て天下を治む。威儀無くば、以て宗廟・社稷を奉ずべからず。况んや先君〈霊帝〉 密詔有りて言はく、『劉辨 軽浮・無智なり、君たるべからず。次子の劉協 聡明・好学なり、大漢の宗廟を承くべし。吾 帝を廃せんと欲す。仍ち旧は弘農王と為し、陳留王を策立して天子と為して、以て漢室を正せ。爾 諸大臣 以為へらく何如んと」と。
諸官 聴き罷み、黙黙として言ふ無し。各各 頭を低げ地を覷る。座上一人、卓几を推して直出して筵上に立ち、大叫す。
「不可、不可。汝 乃ち何等の人なるや。敢へて此の語を発し、俺が漢朝を欺き、人物無しとするや。天子 乃ち漢霊帝の嫡子なり。又た過悪無し。安んぞ廃すべきや。吾 知る、汝 簒逆の心を懐くこと久しきを。吾 豈に能く容るるや」と。
衆人 大驚す。畢竟、是れ誰ぞ。且聴下回分解。140927
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- 第3回下_呂布 丁建陽を剌殺す
第3回上が長かったが、今度は短い。
土曜の昼間だけで、書き下しをつくることができた。
丁原が廃立に反対する
董卓 之を視る。此の人、官は荊州剌史を拝し、姓は丁、名は原、字は建陽。何進に因りて詔を降し、遂に引兵して洛陽に至る。当日、兵権に倚恃して敢へて出でて抗拒す。
董卓 大怒し、之を叱りて曰く、
「朝廷の大臣、尚ほ敢へて言はず。汝 何等の人にて、輒ち敢へて言を多くするや」と。
遂に佩剣を掣して手に在らしめ、之を斬らんと欲す。
時に李儒、丁原の背後の一人を見る。身長一丈、腰大十囲、弓馬閑熟、眉目清秀なり。五原郡の九原の人、姓は呂、名は布、字は奉先、官は執金吾を拝す。幼より丁原に随従し、拝して義父と為す。
当日、布 方天画戟を執り、丁原の後に立つ。李儒 意を会して急ぎ進めて曰く、
「今日、飲宴の処なり。以て国政を談ずるべからず。来日、都堂に向ひて公論するとも、未だ遅からず」と。
李儒は、董卓が(丁原の命令を受けた)呂布に殺されることを察知して、結論を遅らせた。呂布は、登場の直後から、董卓を殺すキャラとして設定されている。衆人 皆 丁原に上馬するを勧む。呂布 手に画戟を執り、目に董卓を視て出づ。衆 皆 丁原の上馬して去くを奉送す。
盧植・王允が、廃立に反対する
董卓 百官に曰く、「吾 見る所は、公道に合ふや、否や」と。
盧植 筵上に立ちて曰く、
「明公の所見 差〈あやま〉れり。昔 商の太甲 不明にして、伊尹 之を桐宮に放つ。昌邑王 位方に登りて立つこと二十七日、罪を造ること三千余條にして、霍光 太廟に告げて之を廃す。
今上皇帝、年紀は幼と雖も、聡明・仁智、並びに分毫も過失無し。汝 乃ち外郡の剌史なり。素より曽て国政に参預せず。又 伊尹・霍光の大才無し。何ぞ敢へて主に廃立の事を強ふるや。聖人 云はく、伊尹の志有れば則ち可なり。伊尹の志無ければ則ち簒なり。汝 漢の天下を簒ずるを欲せざる莫きや」と。
董卓 大怒し、抜剣して向前し、植を殺さんと欲す。
侍中の蔡邕、議郎の彭伯、諌めて曰く、「盧尚書は、海内の大儒、人の之を望むなり。今 先に之を害せば、天下 震怖す」と。
卓 乃ち止め、但だ植の官を免ず。遂に逃難して上谷に隠る。
盧植は、つぎ、いつ出てくるのだろう。
司徒の王允 出でて曰く、
「廃立の事、酒後に商議すべからず。別日、再び聴して約束せん」と。
是に於て、百官 皆 散ず。
董卓がへたれ、百官を斬れない
董卓 剣を按じて園門に立つ。意は百官を傷害せんと欲す。
毛本では、董卓にこんな意図はない。「按劍立於園門」のみ。李本のほうが、横暴をやりたいけど、武力が足りない董卓、というキャラがよく出てる。忽ち一人 躍馬・持戟して、園門外に往来す。
呂布の武力は、董卓の抑止力になってる。ぎゃくに言えば、董卓は戦さが弱いキャラである。
董卓は、黄巾に敗れたが、宦官に賄賂を送って、罪を免れた。天子の廃立を言えば、丁原の後ろに立つ呂布を懼れ、結論を先送る。剣をかざして、反対者の盧植ら百官を斬ろうとするが、李儒に止められる。つまり、強者・呂布に物語的に重要な役割を与えるため、董卓は弱者でなければならない。でなければ、呂布を出す意味がない。董卓は、武力よりは、李儒の智恵に支えられた狡猾な政治家として、後漢を我流に変革してゆく。李卓吾が連発する、「奸雄」という人物評は、狡猾な政治家としての面を強調する。
三国志界では「董卓・横暴」が合い言葉。正史(というか史実においても)、董卓は、後漢の改革者=破壊者として、歴史的な意義が大きい。『蒼天航路』では圧倒的な強者として曹操を脅かし、卞氏をくれてやった。 だが『三国演義』の董卓は、物語の構造を支えるため、弱くあるべき。毛本より遡った李本のほうが弱い。むやみに剣を振りかざし、たびたび呂布にびびる。李儒の制止がなければ、バッサリやられてる。
奸雄としては、曹操が上位互換として現れる。呂伯奢を斬ることで、曹操が董卓の「奸」を越えてゆくという段取り。卓 李儒に、「此れ何なる人や」と問ふ。
儒曰く、「此れ丁原の義児、呂布なり。勇にして、当たるべからず」と。
卓 乃ち園に潜入し、百官を廻避す。此に因り、脱れて家に回るを得たり。
毛本は、「卓乃入園潛避」のみ。董卓の弱さ、呂布の怖さは、李本のほうが、ねちっこく書かれている。
董卓が、丁原・呂布に敗れる
次日、人 董卓に報ず、丁原 城外に引軍し、搦戦すと。卓 怒りて軍馬を引き、出づ。両陣 対円す。
董卓は、弱いイヌとして、よく吠えるなあ。このとき董卓は、何苗の軍兵を吸収したが(正史に準拠)、まだ軍事力においては丁原が優勢。その優勢さを象徴するのが、呂布である。
呂布とは、ただ1人の最強の武人というより、洛陽を取り巻く兵権を表すもの。なんだか、『蒼天航路』のように董卓をはじめから最強として描くよりも、李本『三国演義』のように、弱いイヌとして描くほうが、物語がおもしろい。
卓 対陣に呂布の出馬するを見る。頂に髮を束ね、金冠 百花を披ち、戦袍 唐猊を擐ち、鎧甲 獅蛮宝帯を繫ぐ。騎一匹、陣を衝き、馬を劣す。方天画戟を持し、往来して馳驟す。貌は天神の若し。卓 心中に驚駭す。
丁建陽 陣中に馬を縦り、直出して亦た卓を指して罵りて曰く、
「漢の天下 不幸にして閹官 権を弄びて、以て万民 塗炭を受くに致る。爾 乃ち凉州剌史・相国なり。寸箭の功も無きに、焉ぞ敢へて廃立を乱言し、朝廷を侮慢するや。将に反ぜんと欲するや」と。
丁原は、名言をはくなあ。丁原の強さや功績についても、説明があると、もっと分かりやすいかも。董卓 言ひて答ふべき無し。
呂布 飛馬・挺戟して、董卓を殺過来せんとす。先に去き、建陽 軍馬を率ゐて卓の兵を一掩す。大敗して三十余里 走ぐ。卓 兵を收め、寨に下り衆を聚めて商議す。
李粛が董卓に策を説く
卓曰く、「吾 観る、呂布は非常の人なり。吾 若し此の人を得れば、何ぞ天下を慮らんや」と。
李卓吾は、ここでも、「奸雄、奸雄」という。帳前に一人 出でて曰く、「主公 憂ふ勿れ。某〈わたし〉と呂布とは同郷なり。其の人 勇なれども無謀、利を見れば義を忘るるを知足す。某 三寸不爛の舌に憑りて呂布を説かん。拱手して主公に来降せしむること可なるや」と。
卓 大喜して其の人を観る。乃ち虎賁中郎将の李肅なり。卓 曰く、
「汝 去きて呂布を説くに、何を以て進むるや」と。
肅曰く、「某 主公に名馬一匹有るを聞く。号して曰く赤兔、日に千里を行く。須らく此の馬を得て、更に金珠を用ゐ、利を以て其の心を結ばしむれば、呂布 必ず丁原に反し、主公に来投するなり」と。
卓 李儒に問ひて曰く、「此の言、可なるや」と。
董卓は、自分では決められないんだなー。頭は李儒、力は呂布、という2つを揃えて、董卓は初めて廃立ができる。まるで劉備が、冒頭で力としての関張を手に入れるが、頭としての諸葛亮を手に入れないと、成果を出せないのと同じである。儒曰く、「主公 天下を取らんと欲すれば、何ぞ一馬を惜む」と。
卓 欣然として之を与へ、更めて金一千両・明珠数顆・玉帯一條を与ふ。
頭も力も足りぬ董卓。董卓は思慮が足りず、李儒が補う。董卓は(呂布を背後に置く)丁原を斬ろうとして、李儒に止められる。李粛が「赤兎を呂布に与えて味方にしろ」と提案したら、策の可否を李儒に決めてもらう。力が足りず、呂布にて得る。はじめ丁原に洛陽城外で合戦して敗れ、天子の廃立も失敗。
李粛が赤兎馬で、呂布を説得
李肅 赤兔馬に騎りて馬二匹・三箇人を帯従して、呂布の寨に投来す。伏路の軍人 肅を囲住して曰く、
「速報を作して、呂将軍に知道せしむべし。故人 来見すと」と。
軍士 帳中に報入す。肅 入りて布に曰く、
「賢弟 別来して恙が無きや」と。
布 半晌 思想起せず〈思い出せず〉、問ひて曰く、
「足下 果たして何なる人や」と。
肅曰く、「郷中の故人なり。何の故に某を失忘する。乃ち李肅 是なり」と。
李本と毛本でちがう。
李粛が赤兎馬を連れて呂布を訪れるとき。李本で、呂布が「誰?」と半日思い出せず、李粛が「同郷の年長者を忘れたのか」、呂布「ご無沙汰します(汗)」と、初対面である。同郷をダシに、李粛が面識のない呂布に、計略を仕掛けたと分かる。だが毛本では、呂布は李粛を知る。李本のほうが面白い。
毛本は、直接話法を間接話法に置換したり、ムダに見える会話の往来を省略したりする。毛本では、呂布が李粛を見て、「この人、誰だっけ」と半日モヤモヤする描写が省略された。その結果、李粛の計略のあざとさ(面識がない呂布に、敢えて親しげに接近する)が消えてしまった。惜しいことである。布 下拝して曰く、「郷兄 久しく相ひ見見せず。何処に居するや」と。
肅曰く、「漢朝に仕へ、虎賁中郎将の職に任ぜらる。聞く、賢弟 社稷を匡扶すること、不勝の喜とすると。良馬一匹有り、日に千里を行き、水を渡り、山を登ること、平地を履むが若し。名づけて赤兔と曰ふ。李肅 敢へて乗らず、特来 賢弟に献与す。以て虎威を助けよ」と。
布 聴き罷み、便ち牽きて過来せしむ。果然、那の馬 渾身の上下 火炭のごとく般赤、半根も雜毛なし。頭より尾に至るまで、長さ一丈。蹄より項鬃に至るまで、高さ八尺。嘶喊・咆哮 騰空・入海するの状有り。呂布 見て大喜す。
史官 四句の詩有り。単道 赤兔馬の詩に曰く、
「千里を奔騰し、塵埃を蕩す。爬山を渡水し、紫霧 開く。絲韁を掣断し、玉轡を揺す。火龍 九天に飛下し来る」と。
布 肅に謝して曰く、「兄 此の龍駒を与ふ。布 将に何を以て之に報ゐん」と。
そういえば、毛本では、兄・弟という表現がない。呂布が、兄貴分(と言えずとも、少なくとも同郷の年長者)に遠慮しながら、赤兎馬を受けとったということが重要。呂布は、李粛の顔を知らず(「忘れて」おり)、無礼を働いた。この負い目も、呂布を駆りたてる。いずれも毛本に見られない設定。肅曰く、「某 義気の為に来る。豈に報ゐを望まんや」と。
布 置酒して相待し、酒酣す。
肅曰く、「肅と賢弟とは、少くして相ひ見るを得たり。尊多〈呂布の父〉をして曽て会来せしむ。此の馬 亦た説くべからず」と。
布曰く、「兄 醉ひたり」と。
肅曰く、「何を以て之を知る」と。
布曰く、「先に父 世を棄て、多年なり。安んぞ得ん、兄と相ひ会すを」と。
呂布は、やっぱり李粛と面識がないので、モヤモヤしてる。李粛が、うっかり「知己」という設定を外れることを口走ったので、突っこんだのだろう。呂布と李粛の、近そうで実はなんの縁もない関係が、この計略をおもしろくする。肅 大笑して曰く、「非なり。某 説くは、今日の丁剌史なり」と。
毛本も「非なり」だが、立間訳は、「おお、そうだったな」とする。呂布と李粛の緊張関係、というか、李粛の計略の成否そのものを、台無しにした翻訳である。
ここは、もっと強い口調で、「違う!(呂布の実父が死んだことは百も承知である。お前の兄貴分だからな)」と、断言しているのだ。さもなくば、次に呂布は、「惶恐」しない。
布 惶恐して言ひて曰く、
「丁建陽の処に在るは、亦た無奈〈仕方なさ〉より出づ」と。
肅曰く、「賢弟 擎天・架海の才有る。而るに、四海 孰ぞ懼怕せざる。功名・冨貴は、囊中を探して物を取るが如きなり。何ぞ無奈を言ひて、人の下に在るや」と。」
布曰く、「布 大いに其の能を展ぜんと欲するに、主に逢はざるを恨む」と。
肅 笑ひて曰く、「良禽 木を相て棲み、賢臣 主を擇びて佐く。青春 再び之を悔ゆること晩からず」と。
布曰く、「兄 朝廷に在りて、何なる人を世の英雄と為すと観る」と。
肅曰く、「某 遍に観る、大臣 皆 董卓に如かざると。董卓 人となりは敬賢、士に礼するに寛仁・厚徳、賞罰 明を分く。終に大業を成さん」と。
このセリフを、李粛が呂布をたぶらかすために、ウソをついたと見なすべきじゃないだろう。董卓は、こういうキャラ(にも見え得る)として、登場したのだ。やがて、曹操と劉備に分かれていく人格である。布曰く、「某 之に従はんと欲するとも、恨むらくは、門路無きを」と。
肅 金珠・玉帯を取りて、布の前に列す。
布 驚きて曰く、「何の為にか此れ有る」と。
肅 叱りて左右を退らしめ、布に告げて曰く、
「此れ董刺史 久しく賢弟の徳を慕ふ。特に某をして礼物を送らしむ。以て赤兔馬を献ずるも亦た董公の賜はる所なり」
董卓からの贈り物であることは、ここで明かされる。何進の殺害は、単なるドタバタ劇だった。『演義』で、計略らしい計略は、ここで初めて登場しますね。布曰く、「董剌史 此に如く某を愛すか。将た何の礼にて之に報ゐん」と。
肅曰く、「某の如き不才なるとも、尚ほ加へられ、武賁中郎将と為る。公の若し彼に到れば、貴きこと言ふべからず」と。
布曰く、「恨むは功無きこと。往きて之に報ずべし」と。
肅曰く、「功は翻手の間に在り。弟 為すを肯ぜざるのみ」と。
いつでもやれるくせに、やってないだけだよねと。李粛は、あくまで何も具体的なことを言わない。丁寧に描かれた計略である。
李粛は、『平話』で活躍するので、チェックせよ。布 沉吟すること久しくして曰く、
「兄長 少し待容せよ。吾 軍中に到りて丁原を殺し、引軍して董刺史に帰す。いかんや」と。
肅曰く、「但だ恐る、賢弟 為す能はざるを」と。
たきつけた!
布 刀を提げて便ち起逕して中軍に到る。丁原 燭を秉り、書を観る。当に〈呂布が〉提刀して至るを見る。
丁原曰く、「吾が児、来るは、何の事故有るか」と。
布曰く、「吾 乃ち当世の大丈夫なり。安にか肯ぜんや、汝子の為にするを」
丁原曰く、「奉先、何が故に、心 変ずるや」と。
布 向前して一刀もて丁原の首級を砍下し、左右に大呼す。
「丁原 不仁なり。吾 巳に之を殺す。吾に従ふを肯ずる者は、此に在れ。従はざる者は、自ら去れ」と。
軍士 其の大半を散ず。
呂布、丁原軍のなかで求心力がない。ぎゃくに、丁原の求心力が分かるのだ。董卓のライバルたちの武力や魅力について、注意深く見ておかないと、ただの、董卓と呂布に薙ぎ払われる、マネキンになってしまう。物語が薄っぺらくなる。
呂布が董卓に帰順する
布 首級を提げて肅に見ゆ。肅 又た曰く、
「某 当に先に去きて主公に報して、将軍を来接すべし」と。
布 一面の軍を收む。肅 董卓に報ず。董卓 置酒して呂布を去迎す。呂布 丁原の首級を献ず。卓 下馬して手を携へ、帳中に入らしむ。
卓 先に下拝して曰く、
この腰の低さは、じつは英雄の振るまい。もしかして董卓は、『演義』曹操と、『演義』劉備を、どちらも兼ね備えた人物かも知れない。両方の性質をもつゆえに、最初の支配者となったが、そのキャラが強すぎることがアダとなったとか。奸雄すぎる(曹操キャラの過剰)、部下が強すぎる(劉備キャラの過剰)「卓 今 将軍を得るは、旱苗の甘雨を得る如きなり」と。
布 卓に納りて坐して之に拝して曰く、
「布 今 暗を棄て明に投ず。願はくは以て之に父事せんことを」と。
卓 大喜して、重ねて李肅を賞す。
是の日、金甲・錦袍を以て布に賜ひ、暢飲して散ず。卓 又た呂布を得て軍馬を帯来す。其の勢 越々大にして、乃ち自ら前将軍事を領す。弟の董旻を封じて左将軍・鄠侯と為す。呂布を封じて、騎都尉・中郎将・都亭侯と為す。
李儒 卓に早く廃立の計を定むることを勧む。
袁紹が董卓の廃立に逆らう
次日、省中に宴会を設けて公卿を集はしむ。呂布 甲士の千余を将ゐて左右に侍衛す。是の日、太傅の袁隗 百官とともに皆 到る。酒行 数巡し、卓 剣を按じて曰く、
「大なる者は天地、次は君臣。治を為す所以なり。 今上皇帝 闇弱にして、以て宗廟を奉り、天子たるべからず。吾 伊尹・霍光の故事に依り、帝を廃して弘農王と為し、陳留王を立てて君と為さん。汝 大臣の意下 如何や」と。
群臣 惶怖して敢へて対ふる莫し。
坐上一人、声を応じて出でて曰く、「太甲 不明にして伊尹 之を放つ。昌邑 罪有りて、霍光 之を廃す。
盧植と同じ故事。まあ、いろんな故事を出して、孫盛みたいに意味が分からなくなるよりは、いいけど。今上 春秋に富み〈若く〉、何の不善有るや。汝 嫡を廃して庶を立てんと欲するは、反を為さんと欲するや」と。
衆 之を視るに、乃ち中軍校尉の袁紹なり。
卓 大怒して之を叱りて曰く、
「豎子よ、天下の事 我に在り。我 今 之を為す。誰か敢へて従はざる。汝 視るや、我の剣 利ならざると」と。
袁紹 亦た剣を抜きて出て曰く、「汝の剣 利なると雖も、吾が剣 豈に利ならざるや」と。
両箇 筵上に在りて敵対す。畢竟 袁紹の性命、如何。且聴下回分解。140927閉じる