読書 > 李卓吾本『三国演義』第21回の訓読

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第21回上_青梅に酒を煮て英雄を論ず

馬騰が劉備を推薦する

却説 董承ら問ひて曰く、
「公 何なる人を用ひんと欲す」
馬騰曰く「豫州牧の玄徳有るを見よ。此に何ぞ求めざる」
承曰く、「此の人 漢室の皇叔と雖も、今、曹操のために爪牙と作る。安にか此の事を行ふを肯ずるや」
騰曰く、「玄徳を観に、素より操を殺すの心有り。前日、囲塲の中、操 万歳を迎ふるの時、雲長 背後に之を殺さんと欲す。玄徳 目を以て之を視て、関羽 遂に退く。之を図らんと欲せざるに非ず。操の牙爪 多きを恐恨み、力 及ばざるを恐るるのみ。公 試しに之を求めよ。応允せざる無し」
呉碩曰く、「此の事、宜しく太だ速やかにすべからず。各々心を得て、再容び商議せよ」
衆 皆 散去す。

董承が劉備をたずねる

次日の黒夜裏、董承 詔を懐き、玄徳の家に逕往す。門吏 入報す。玄徳 董承の駕を出迎へて曰く、
「国舅 何ぞ来る。請ふ、小閣に入り坐して定めよ」
関張 面前に立つ。
玄徳曰く、「国舅 夤夜 此に至る。必ず事の故なること有り」
承曰く、「白日 乗馬し相訪するは、正に其の理に当たる。只だ曹操に疑はるを恐る。故に黒夜、相ひ見ゆ」
玄徳曰く、「深く厚き恩命を荷ふ」
酒食を取り、相ひ待す。

承曰く、「前日、囲塲の中、雲長 曹公を殺さんと欲し、将軍 目を動かし頭を搖らして之を退くるは何ぞや」
玄徳 失驚して曰く、
「公 何を以て之を知る」
承曰く、「人 皆 見ざるとも、独り某 将軍の側に立ち、動静を見るに足る。玄徳 隠諱する能はず」

そうだったのか。後出しジャンケンだな。

遂に曰く「舍弟〈関羽〉、操の僣越を見て、故に容さざるのみ」
承 聞きて面を掩ひて哭く。
玄徳 其の故を問ふ。
承曰く、「漢朝 若し雲長のごとき心地の人を得て股肱と為せば、何ぞ太平ならざるを憂へん」
玄徳 又 恐る、是れ曹操の使にして、他 試探するを。乃ち言を佯はりて曰く、
「曹丞相 国を治む。亦 何をは憂へんや」
承 色を変じて起ちて曰く、
「公 乃ち漢朝の皇叔なり。故に肝を剖き肝を瀝き、以て之を言ふ。公 何ぞ詐はるに足るや」
玄徳曰く、「只だ詐有るを恐る。故に相ひ戯るるのみ」
是に于いて衣帯の詔を取り観しむ。玄徳 悲憤を騰げず又 義状を将て出示す。上に六位〈六人〉有るに止む。
一、車騎将軍の董承。二、長水校尉の种輯。三、昭信将軍の呉子蘭。四、工部郎中の王子服。五、議郎の呉碩。六、西凉太守の馬騰。

玄徳曰く、「既に公 社稷を匡扶するの心有り。備 敢へて犬馬の労を效はずや」
承 拝謝す。
玄徳曰く、「既に明詔を奉れば、万死するとも辞せず」
承曰く、「大名を書くことを請ふ」
玄徳 亦 書す、
「左将軍 劉備」
字を押付す。承 收め訖はる。
承曰く、「尚ほ容せ、再び三人に請ふを。共に十義を聚して、以て国賊を図れ」
玄徳曰く、「切に宜しく緩緩と施行すべし。軽々しく泄れ共議する可からず」
五更に到り、相ひ別る。

劉備が畑仕事をする

玄徳も曹操の謀害を防ぎ、就ち処後の園に下り、菜を種ゑ、自己ら澆灌す。
雲長曰く、「兄 心を弓馬に留めて以て天下を取らずして、而るに小人の事を学ぶ
玄徳曰く「汝の知る所に非ず」

劉備のくせに関羽に内緒にするなんて。

雲長 但だ閑し、『春秋左傅』を看み、或いは弓馬を演習す。

次日、関張 在らず。玄徳 正に菜を澆す。許褚・張遼 十数人を引き、慌てて園中に入りて曰く、
「丞相 命有り、玄徳に便ち行くを請ふ」
玄徳 問ひて曰く、「甚ぞ緊事有るや」
許褚曰く、「知らず。只だ我をして来らしめ、相ひ請ふ」

玄徳 只だ得て二人を随へて府に入る。曹操 色を正して言ひて曰く、
「家に在りて、得て好事を做す」
諕得するや、玄徳の面 土色の如し。操 玄徳の手を執り、後園に直至して曰く、
「玄徳 圃を学ぶも、易からず」
玄徳 方纔 放心す。答へて曰く、
「事無く、消遣するのみ」
操 面を抑ぎ大笑して曰く、
「適来 枝頭に梅子の青青たるを見る。忽ち感ず、去年 張繡を征し時、道上の水を欠く。将士 皆 渴す。吾が心 一計を生じ、鞭を以て虚指して曰く、
『前面に梅林有り』
軍士 之を聞き、口に皆 唾を生ず。是に由り、渇せず。今 此の梅を見るに、賞せざる可からず。又 値り酒を煮て正に熟せしめ、同に賢弟を小亭に邀へん。一会して以て其の情を洽せ」
玄徳の心神 方に定む。随ひて小亭に至る。

酒を煮てアルコールを飛ばす

已に樽爼盤を設け、青梅の一樽を貯め、酒を煮る。二人 対坐し、開懐し暢飲す。酒 半酣に至り、忽ち陰雲 漠漠たり。驟雨 将に至らんとす。従人 遙かに天外を指すに、龍 掛く。
操 玄徳に凭欄して之を観る。
操曰く、「賢弟 変化を知るや否や」
玄徳曰く、「未だ知らず」
操曰く、「龍 能く大となり、能く小となる。能く升り、能く隠る。大となれば則ち霧を吐き雲を興し、江に翻り海に攪す。小となれば則ち、頭を埋め爪を伏せ、介に隠れ形を蔵す。升れば則ち宇宙の間に飛騰し、隠るれば則ち波濤の内に蔵伏す。
龍乃ち陽物なり。時にひ変化す。方今、春 深し。龍 其の時を得るは、人に相ひ比る。龍 発せば則ち九天を飛升し、人 志を得れば則ち四海に縦横す。龍 世の英雄に比す可し。

曹操さん、よく喋るなあ。

玄徳 久しく四方を歴す。必ず当世の英雄を知る。果して何なる人や。請ふ、試しに之を言へ」

玄徳曰く、「備の肉眼 安にか英雄を識る」
操曰く、「謙る休れ。胸中に必ず主張有り」
玄徳曰く、「備 叨〈みだ〉りに恩相あり、得て朝に仕ふ。英雄・豪傑 実に未だ知る有らず」
操曰く、「識らざれば、亦 其の名を聞かん。願ふ、世俗を以て之を論ぜよ」

玄徳曰く、「淮南の袁術 兵糧は足備し、英雄為る可し。 操 笑ひて曰く、「塚中の枯骨なり。吾 早晩に必ず之を擒へん」
玄徳曰く、「河北の袁紹、四世三公、門に故吏多し。今 冀州の地に虎踞す。手下 能事する者 極めて多し。英雄為る可し」
操 笑ひて曰く、「袁紹 色は厲とも、肝は薄し。奸謀は断無し。大事を幹して身を惜む。小利を見て命を忘る。乃ち疥癬の輩なり。英雄に非ず」
玄徳曰く、「一人有り、八俊と称し、九州を威鎮す。劉景升 英雄と為す可し」
操 又 笑ひて曰く、「劉表 酒色の徒なり。英雄に非ず」
玄徳曰く、「一人有り、血気は方剛、江東の領袖。孫伯符、乃ち英雄なり」
操 又 笑ひて曰く、「孫策 籍父の名、黄口の孺子なり。英雄に非ず」
玄徳 又 曰く、「益州の劉季玉 英雄為る可きや」
操 大笑して曰く、「劉璋 乃ち守戸の犬なるのみ。何ぞ英雄と為すに足る」
玄徳曰く、「張繡・張魯・韓遂らの如き輩、皆 如何」
操 掌を鼓ちて大笑して曰く、「此 皆 碌碌の小人なり。何ぞ歯に掛くるに足る」

玄徳曰く、「此の外を捨き、備 実に知らず」
操曰く、「夫れ英雄は、胸に大志を懐き、腹に良謀を隠す。宇宙の機を包蔵し、天地を吞吐するの志有り。方に英雄と為す可し」
玄徳曰く、「誰か之に当る」
操 手を以て玄徳を指し、後に自を指して曰く、
「今、天下の英雄 惟だ使君と操のみ」

ありがとうございました。

言 未だ畢はらず、霹靂・雷声、大雨 驟至す。備 手中の匙筯を以て尽く地に落つ。操 玄徳の筯を失するを見て、便ち問ひて曰く、
「為何 筯を失す」
玄徳 答へて曰く、
「聖人 云はく、迅雷・風烈 必ず変ず。一震の威 乃ち此に至る」

ありがとうございました。

操曰く、「雷 乃ち天地の声なり。何ぞ為に驚怕するや」
玄徳曰く、「備 幼自り雷声を懼る。地に避く可きところ無きを恨む」
操 乃ち冷笑して、玄徳を以て無用の人なりと為す。曹操 奸雄なると雖も、又 玄徳に瞞過せらる。
詩有りて曰く……蘇東坡の詩に曰く……

関羽と張飛が助けにくる

大雨 方に住る。両箇人の後園に撞入するを見る。手て宝剣を提げ、亭前に突入す。左右 皆 当てて住めず。操 之を視るに、乃ち関張なり。
原来、二人 城外に射箭す。方に回り、玄徳の張遼・許褚に将に去れと請はるるを聴得し、慌忙し相府に来る。打聴し、後園に在るを知り、只dさ失故有るを恐れ、衝突して入る。
却りて見る、玄徳 操と対坐し飲酒するを。二人 剣を按じて入らず。曹操 二人に問ふ、「何ぞ来る」
雲長 答へて曰く、「丞相 兄と飲酒すると聴知し、特来、舞剣して以て一咲を助けんとす」
操 其の意を知り、笑ひて曰く、
「此れ鴻門の会に非ず。安にか項荘・項伯を用てするや
玄徳 亦 笑ふ。操 命じて酒を取り、二樊噲に与へ、圧驚す。
関張 拝謝す。須臾、席 散ず。

玄徳 操に辞して帰る。
雲長曰く、「険驚 我ら両箇を殺す」
玄徳 筯を落つる事を以て関張に説く。関張 解せず。
玄徳曰く、「吾の圃を学び、雷を懼るるは、其の理 頗る同じ。曹操は奸謀の輩なり。早晩 必ず人有り、此に在れば窺観す。吾 菜を種うるの故は、操をして我の無用なるを知らしめんと欲す。匙筯を失するは、蓋し操の言ふ、『我 亦 英雄なり』を懼るればなり。予 未だ能く答へざるに、忽ち一声の雷震あり。只だ雷を懼ると説くは、操をして我の小児に同じが如しと看て、相ひ害せざらしむ
関張曰く、「兄の高明なる遠見 曹操を瞞過するなり」

いかに曹操をだましたか、関張を相手に雄弁に謎解きする劉備、自分を追ってきた許褚にウソを教えて撤退させる劉備。どちらも李本『三国演義』21回にあるが、毛本は前者を薄め、後者を削る。劉備その人の智謀や行動力は、李本から毛本に移るとき、消臭される。文学性が洗練されたと言えるのかなあ。


公孫瓚が滅び、二袁が合体する

操、次日 又 玄徳に扶頭するを請ふ。正に飲むの間、人 報じて曰く、「満寵 軆に去き袁紹を察して回る」と。
操 人を召して問ひて曰く、
「吾 汝を河北に差はし、民物を採訪せしむ。何如」
寵曰く、「民物 故の如し。公孫瓚 已に袁紹に破らる」
玄徳曰く、「願はくは其の詳を聞かん」
寵曰く、「瓚 紹と戦ひ利あらず。退きて冀州を守り、城を築く。囲に圈圈と楼を建き、高さ十丈、名づけて曰ふ、『易京楼』と。穀三十万を積み、以て自守す。戦士 出入して息まず。
或もの紹に囲まれ、衆 之を救へと請ふ。瓚曰く、『若し一人を救はば、後の戦ふ者、只だ人の救ふを指望し、死戦するを肯ぜず』と。
此に因り、袁紹の兵 来れば、多く降る者有り。瓚の勢 孤たり。張燕に求めて暗かに約す。火を挙げて号と為し、裏に応し外に合すと。正に書を下して人を差はすに、袁紹に擒へらる。却来、城外 放火し、瓚 自ら出でて戦ふに、伏兵 四起す。軍馬 其の大半を折し、退守し伏中す。袁紹 地を穿ちて直入す。瓚 居る所の楼下 放火し、号を為す。瓚 走ぐる路無く、先に妻子を殺し、然る後、自ら縊す。遂に一火 之を焚く。

満寵の報告は、まだ続く。


後に史官 公孫瓚を論ず。「……劉虞 道を守り名を慕ひ、忠厚を以て自ら美を牧む。季漢の名宗子なり。若し虞・瓚 間無く情を同じくして力を共にし人衆を糾し、聚蓄を完し燕薊の饒を保ち、兵を繕ひ耀武して以て群雄の隙に臨めば、諸々の天運を合し、人文に徴なるや。則ち古の休烈、何ぞ之に遠きこと有らん」

『三国演義』に劉虞が出てこないなんて言ったのは誰ですか。李卓吾本の第二十一回に出てきます。「論」のなかのみだけど。


今、袁紹 其の瓚の軍を得たり。紹の弟 袁術 河南に在り驕傲たること過度なり。軍民を恤まず、衆 皆 背反す。術 人をして帝号を袁紹に帰せしむ。
紹 始めて北方に登基す。紹 人をして玉璽を取らしむ。術 親を約して送到す。今を見るに、淮南を棄てて河北に帰さんと欲す。若し二人 協力せば、急に收復し難し。丞相に乞ふ、急を作し之を図れ」

満寵の報告はここまで。なぜ河南のことまで、河北にいった満寵が雄弁なのか(曹操より詳しいのか)は、分かりません。きっと編者の都合です。


玄徳 起身して曰く、
「術 若し紹に投ざば、必ず徐州従り過ぐ。備 一軍を請ふ。半路に就き、術を絶撃し擒ふ可し」
操 喜びて曰く、
「来日 帝に奏し、便ち登程せしむ」

劉備が許都をあとにする

次日、玄徳 君に面す。操 朱霊・路昭を差はし、兵五万を引き、玄徳をして摠督せしめ、袁術を拏す。
玄徳 帝に辞す。
帝 泣きて之を送る。

玄徳 家に到り、星夜 軍器・鞍馬を收拾す。将軍の印を掛け、催督し便ち行く。
董承 赶出すること十里。長亭に玄徳を送る。
玄徳曰く、「国舅 寧ろ某の此に行くに耐へよ。必ず約を変ぜず。自ら馳書に当りて相ひ報ゆるなり」
承曰く、「公 宜しく掛念し、帝の心に負く勿れ」

二人 分別す。関張 馬上に在り問ひて曰く、
「兄よ、今番の出征 此の如し。慌速せよ」
玄徳曰く、「吾 乃ち籠中の鳥、網中の魚なり。此に一たび行かば、魚の大海に入るが如し、鳥の青霄に上るが如し。羅網 之に中つるを受けず、羈絆するなり。
曹公 只だ同に憂ふ可し、同に楽しむ可からず。若し心 一変せば、死して地無し」
関張 慌催し、朱霊・路昭の軍馬 速行す。

郭嘉と程昱が、劉備を放つなという

時に郭嘉、銭糧を考較し、方に回る。
知曹公の已に玄徳を遣り、徐州に進兵せしむるを知る。慌てて入り諫めて曰く、
「丞相 劉備をして督軍せしむ。何の意ぞ」
操曰く、「袁術を截たんと欲するのみ」
程昱曰く、「昔日、劉備 豫州牧と為る。時に某ら、来りて丞相を諫むるとも聴かず。今日 又 之に兵を与ふ。乃ち龍を入海に放ち、虎を縦ち山に帰すなり。後に之を治めんと欲するとも、其れ得可きか

郭嘉曰く、「備 雄才有り。又 民心を得たり。関張 皆 万人の敵有り。以て嘉 之を観るに、久しく人の下と為る者に非ず。其れ謀れども測る可からず。古人の言に、『一日 敵を縦てば、万世の患なり』と。今 兵を以て之に与ふるは、虎に翼を添ふるが如し。丞相 察す可し」
操曰く、「吾 劉備を観るに、閑中に圃を学び、酔後に雷を畏る。亦 事業を成すの人に非ず。何ぞ憂ひ有らん」

程昱曰く、「圃を学ぶは、故に丞相を瞞くのみ。雷声を畏るは、其の本情に非ず。丞相 天下を明照せよ。何ぞ劉備に瞞過せらる」
操 頓足して曰く、「吾 此の人に欺詐せらる。何れの人 吾のために星夜、之を擒ふ」
一人 昻然として出でて曰く、
「某 只だ五百の軍を用て、劉備・関張を縛りて、府下に献ず」と。
此の人 是れ誰ぞ。且聴下回分解。141113

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第21回下_関雲長 襲ひて車胄を斬る

劉備が、郭嘉・程昱をそしる

去き玄徳を赶はんと要する者は、乃ち虎賁校尉の許褚なり。操 大喜して遂に許褚に命じ、五百軍を帯領し、連夜、〈劉備を〉来赶す。

却説 関張 正に行くの次、只だ塵頭 起るを見て、玄徳に謂ひて曰く、
「此れ必ず、曹公の追兵 至るなり」
遂に下定し営寨して、囲繞す。関張をして各々軍器を執らしめ、両邉に立つ。許褚 至近し、甲兵を厳整するを見る。入りて玄徳を見る。
玄徳曰く、「校尉 此に来りて何を幹すや」
褚曰く、「丞相 命じ、特来、将軍に回れと請ふ。別に商議有り」
玄徳曰く、「将 外に在れば、君命 有るとも受けざる所なり。吾 君に面す。况んや又 丞相の一語を蒙るや。你 回りて我に替りて丞相に禀覆せよ。
程昱・郭嘉有り、累ねて我と間あり、金帛を取るとも曽て相ひ贈らず。此に因り、丞相の前に讒言を以て我を譛る。故に汝をして赶来し、吾を擒へしむ。

程昱と郭嘉が、そんなケチな人だと言われて、信じる許褚のほうが、間違ってるよなあ。程昱・郭嘉をそしっているのは、いまの劉備である。

吾 若し仁義の輩なる無くば、就ち此の処に砍り肉泥と為せ。吾 丞相の大恩に感じ、未だ嘗て忘れざる。汝 当に速やかに回り、善言もて之に答へよ」

劉備が泣いて天下を取ったとか、劉備は自分では何もしない主人公だとか言うが。そんなこと、ないよな。


許褚 関張を観見るに、目を以て之を視る。声を連ねて応諾して退く。遂に行き、許褚 回りて曹操に見ゆ。
玄徳の言語を将て細説一遍す。操 程昱・郭嘉を喚して之を責めて曰く、
「汝 劉備の処に、金帛を覔〈もと〉むるとも〈劉備が〉従はず。此に因り冤を心に含み、毎に吾が前に讒言して之を譛る。此れ何の理なるや」
程昱・郭嘉 頭を以て地に頓して曰く、
「丞相 又 他に瞞過せらる」
操 笑ひて曰く、「彼 既に去れり。若し再び追はば、怨恨を成すを恐る。吾 汝らを恠〈あやし〉まず。汝ら、疑ふ勿れ」
二人 辞去す。
此の事 曹公 半ば疑ひ半ば信ずるなり。

却説 馬騰 玄徳の去るを見て、邉報して又 急ぐ。亦 西して凉州に回る。

劉備が袁術の北上を塞ぐ

却説 玄徳の兵 徐州に至る。剌史の車胄 出迎す。公宴 畢はり、孫乾・糜竺ら 都な来り、参見す。家に回り老小を探視し、袁術〈の状況〉を打聴す。
知る、術 奢侈たること太だ過ぎ、雷薄・陳蘭 皆 嵩山に投じて去る。術の勢 甚だ衰ふ。乃ち書を作り、帝号を袁紹に帰す。
書に曰く、

「漢の天下を失ひて久し。天子 提携し、政 家門に在り。豪傑 角逐し、疆宇を分裂す。此 周の末年に七国の分勢すると異なる無し。卒に彊き者 之を兼すのみ。
袁氏 受命し、当に王たるべし。符瑞 炳然たり。今、君の権 四州に有り、民戸は百万。彊さを以てせば、則ち与に大を比ぶるもの無し。徳を論ずれば、則ち与に高を比ぶるもの無し。
曹操 衰を扶け弱を拯けんと欲するも、安にか能く絶命を続け、已に滅せるを救ふや。今、上帝の号を納る。兄に請ふ、早く帝位に即け。共に万世の洪基を享けよ。此の機会を失ふ可からず。傅国の璽 続けて当に献上すべし。弟の術、百拝す」

袁紹 亦 簒国の心有り。故に人をして袁術を召さしむ。術 乃ち人馬・宮禁・御用の物を收拾し、先に徐州に到る。
玄徳 袁術の来到するを知り、乃ち関張・朱霊・路昭の五万軍を引き、出でて正に迎着す。先鋒の紀霊 至る。張飛 更めて打話せず、紀霊に直取す。両員の将 闘ふこと十合と無く、張飛 大叫すること一声、紀霊を馬下に鎗剌す。 敗軍 奔走す。

袁術 自ら軍を引き来たりて闘ふ。
玄徳 兵を三路に分く。朱霊・路昭 左に在り。関張 右に在り。玄徳 自ら兵を引き、術と相ひ門旗下に見る。
〈劉備が袁術を〉責め罵りて曰く、
「汝 反逆にして不道なり。吾 今 明詔を奉じ、前み来りて汝を討たんと欲す。汝 当に手を束ねて降を受くべし。曹丞相に引見し、你の罪犯を免ぜん

なんてことを言うのだw
劉備が死にかけの袁術を責める。「降伏したら、曹丞相に引見して罪を免じる」が李本。「降伏したら罪を免じる」が毛本21回。李本では、曹操の先鋒として徐州にきたという劉備の立場が鮮明。直後に曹操を裏切ることが際立つ。毛本では主語を省き、罪を免じる主体が劉備に見える。李本のほうがいい。

袁術 罵りて曰く、「席を織り履を編むの小輩。安にか敢へて我を軽ずるや」

兵を引き赶来す。玄徳 退歩す。両路の軍 殺出し殺得す。屍は横たはり野に遍く、血は流れて渠を成す。士卒 逃亡するもの、勝げて計ふ可からず。又 嵩山に被る。雷薄・陳蘭 銭糧・草料を刧尽す。

袁術の最期

玄徳 迤𨓦 赶来す。袁術 四下に路無し。寿春に回らんと欲し、又 群盗の襲ふ所となる。術 乃ち江亭に住まる。只だ一千余の衆有り。皆 老弱の輩なり。
時に盛暑に当る。糧食 尽く絶ゆ。麥屑の三十斛有るに止む。分泒し軍士の家人に与ふ。食無きもの多く、餓死する者有り。
術 飯の粗く、能く下咽せざるを嫌ひ、乃ち蜜水を求め、渴を止めんとす。
庖人曰く、「血水有るに止む。安にか蜜水有る」
術 床上に坐して大叫すること一声、地上に倒れ、吐血すること斗余。而して死す。時に、建安四年の六月なり。
後人 詩有りて曰く……

なんの新規性もないので、残念だけど省く。


袁術 巳に死し、姪の袁胤 霊柩及び妻子を将て、盧江に奔り、徐璆に尽く殺さる。

徐璆が、袁術の遺族を殺すのが、『三国演義』のオリジナル。正史とは違う。正史では、袁術の璽を得るだけ。伝国ですらない。

璆 玉璽を得て許都に赴き、曹操に献ず。操 大喜して、徐璆を封じて高陵太守と為す。此の時より、玉璽 操に帰す。

車冑が劉備を殺そうとする

却説 玄徳 袁術の巳に喪するを知り、表を写し朝を申す。書 曹操に呈し、朱霊・路昭をして許都に回らしむ。
〈劉備は〉軍馬を留下し、徐州を保守す。玄徳 一路に人民の流散するを見る。随処に招諭し復業せしめ、徐州に来還す。

朱霊・路昭 許都に回り、曹操に見へて説く、
「玄徳 軍馬を留下す」と。
曹公 二人を斬らんと欲す。荀彧曰く、
権 劉備に帰す。二人 亦 奈何も無し
操 叱り二人を退く。
荀彧曰く、
「書を写きて車胄に与ふ可し。就ち〈徐州の〉内より之を図れ」
操曰く、「此の計 理有り」
暗かに人を使はし、車胄に見て曹操の鈞旨を伝ふ。

〈車冑は〉随即ち陳登に請ひて此の事を商議す。
登曰く、「此の事 極めて易し。将軍の神機に憑らば、何ぞ劉備を慮る。軍をして甕城の邉に伏せし可し。只だ接を作さば、劉備の馬の到来するを待ち、一刀にて之を斬れ。某 城上に在り、後軍を射住す。大事 済せり」

即ち人を差はし、玄徳に請ふ。陳登 回りて父に見へ、車胄の曹公が鈞命を奉り、劉使君を殺さんと欲するを言ふ」
珪曰く、「吾児 先に玄徳に報〈つ〉げよ」
登曰く、「児子 已に計を定めり」
珪曰く、「玄徳は仁人なり。登 父命を領り、玄徳に来報す」
正に関張を迎へ、此の如きことを報説す。此の如くんば、原来、関張 先に回り、玄徳 後に在り。張飛 聴得せば、便ち厮殺せんと要す。
雲長曰く、「他 甕城の邉に伏し、你を待つ。我 殺去せば、必然、失有り。若し兄 知れば、必ず便ち徐州に入らず、車胄を殺す。我に一計有り。夜間に乗じ、扮して、『曹公の大軍 徐州に到る』と做す。車胄を引き出でしめ、迎へて襲ひ、之を殺す」
張飛曰く、「倘し或いは出でざれば、之いかん」
雲長曰く、「別に区の処に作る。那の部下の軍、原より曹公の旗号・衣甲有り。都て同に夜三更に当り、城上に「開門」と叫ぶ。城上、『是れ誰ぞ』と問はば、衆 是に応じて、『曹丞相 張文遠の人馬をして車胄に報知す』とせよ」

胄 急ぎ陳登に請ひて議して曰く、
「若し迎接せずんば、誠に疑ひ有るを恐る。若し出でて之を迎へ、倘し或いは奸詐有れば、胄 乃ち城に上り、回りて言ふ。黒夜 以て分辨し難し。平明、城下に相ひ見て、答応す。只だ怕る、劉備 知りて、疾快に開門して看看するを」

関羽が計略を実行する

俄かに五更に到り、城外に一片の声叫あり、『開門』と。車胄 自ら披掛して上馬す。胄 生得に面は紫礦の如く、手は鋼鈎の如し。古定刀を提げ、一千軍を引き、城を出でて吊橋を跑過す。
軍 両邉に分け、車胄 大叫す。
「文遠 何にか在る」
中間に関将 刀を提げ、馬を縦し、車胄に直迎す。大喝すること一声、「匹夫 安にか敢へて心に玄徳を殺すことを懐くや」
車胄 大叫す。戦ふこと未だ数合とあらず、遮欄して住らず。馬を撥して便ち回り、吊橋の邉に到る。城上の陳登 乱箭もて車胄を射下す。城を遶りて走ぐ。
雲長 赶来し、本は活け捉らんと要すも、手に一刀を起し、馬下に砍る。雲長 刀を用て首級を割下し、提げて回り、城上を望みて呼びて曰く、
反賊の車胄、吾 巳に之を殺す。衆ら冤無くんば投降して死を免れよ」
諸軍 甲を棄て戈を抛て地上に拝す。軍民 皆 安ず。雲長 胄の頭を将て玄徳を迎ふ。後人 詩有りて曰く……。

雲長 玄徳に見へ、具さに車胄 之〈劉備〉を害せんと欲する事を言ひ、今 已に首を斬るとす。玄徳 大驚して曰く、
「曹公 若し来らば、之をいかんせん」
雲長曰く、「吾 張飛と与に之を迎ふ」
玄徳 懊悔して已まず。遂に徐州に入る。百姓・父老 伏道して玄徳に接す。府に到り、張飛を尋ぬ。飛 已に胄の全家を将て誅殺す。
玄徳曰く、「曹公が心腹の人、殺して如何に肯休せん。日後、兵を興して罪を問はれん。将に何を以て辨ぜんとす」
陳登曰く、某 一計有り。曹公を退く可し。其の計 如何に。且聴下回分解。141113

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