読書 > 李卓吾本『三国演義』第24回の訓読

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第24回上_曹操 董貴妃を勒死せしむ

吉平が曹操を殺し損ねて死ぬ

吉平 階下に大罵して曰く、
「君を欺くの逆賊め」
操 指して曰く、「此の人、曽て王子服ら四人に攀下す。吾 已に拏獲し、廷尉に下す。尚ほ一人有り、未だ曽て捉獲せず」
承〈董承〉 敢へて問はず。 操曰く、「誰か汝をして吾に薬を来らしむ」
平曰く、「有り」
操曰く、「吾 今 便ち你を放つ」
平曰く、「天 我をして逆賊を殺さしむ」
操 怒りて身上を打たしめ、刑処に容るること無し。

承 座に在りて之を観る。心は刀割せらるが如し。操 又 平に問ひて曰く、
「你 原は十指有り。今 如何にして只だ九指のみ有る」
平曰く、「嚼りて以て誓を為す。国賊を殺すと誓ふ」
操 截刀を取らしめ、階下の就け、九指を截つ。

操曰く、「一に発截し、你をして誓を為さしむ」
平曰く、「尚ほ口有れば、以て賊を吞む可し。舌有れば、以て賊を斬る可し」
操 其の舌を割かしむ。
平曰く、「吾が舌を割く勿れ。今 熬せられて過ぎざるや。只だ実に従ひて之を告ぐるを得たり」
操曰く、「此の如くんば、亦 残疾の軀を留めよ」
平曰く、「汝 吾が縛を釋けば、吾 自ら同謀の人を捉へ、献出せん」
操曰く、「之を釋すは、何なる碍ぞ」
平 欠身し闕を望みて拝して曰く、
「臣 国家に与して此の賊を除くこと能はず。乃ち天数なり」
拝 畢はり、階に撞きて死す。
操 其〈吉平〉の肢体を分けしめ、号令す。時に建安五年の正月なり。

史官 詩有りて曰く、
「奮然と興義し肝応するに、功名を為さず。指を嚼りて国賊を図り、身を捐てて董承を救ふ。謀有り、親ら薬を進む。豈に独り刑に遭ひて死に至るを懼るるや。心は鉄の如し。誰人 吉平に似る」

『三国演義』的にはヒーローだな。


董承が族殺される

操 吉平の已に死するを見て、左右をして牽過せしむ。
秦慶童 面前に至る。操曰く、
「国舅 此の人〈秦慶童〉を認得するや否や」
承 大怒す。「逃奴 此に在るや」
便ち之を誅さんと欲す。
操曰く、「手を下すこと不可なり。他 首め謀を告げ、反りて今、来りて〈董承の謀反を〉対證す。何ぞ敢へて此の如きや」
承曰く、「丞相 何が故に逃奴が一面の説を聴き、以て董承を誣するや」
操曰く、「王子服ら、吾 已に擒下す。皆 招證すること明白たり。汝 尚ほ抗拒するや」
承曰く、「丞相 何を以て、言 相ひ逼るや」

操 左右を喚びて拏下せしむ。便ち二十人を差はし、董承の臥房の内に去かしむ。捜尋するに、時を多とせず、衣帯の詔并びに義状を捜出す。

あーあ。隠しとけよ。

操 看て笑ひて曰く、
「鼠賊 安にか敢へて此の如きか。全家の良賤 尽く皆 監下し、一箇とも走透せしむ休れ」

操 府に回りて衆の謀士を聚む。操 詔令を出す。荀彧 看る。
彧曰く、「明公 今、何如せんと欲するや」
操曰く、「此れ情理に拠れば、正に合ふ。『其の君を誅して、其の民を吊し、有徳者を擇びて之を立つ』に」
彧曰「主公 能く四海を威震し、天下に号令する者なるは、蓋し漢家の苗裔有る故なり。征討に名有り、賞罰に制有り。古往今来、以て議論を絶つ」
操曰く、「董承ら四家を将て之を誅せんと欲す。必ず正悪を得て、以て衆に示さんと欲す」
彧曰く、「丞相の意 若何」
操曰く、「之を誣せざれば、反りて豈に族を誅するを得んや」
彧曰く、「事 巳に此に至れば、之を釋せ。難を恐る」 操の意 遂に決す。

連夜、王子服らの老小を収め、官に入れて反逆の罪を明正とす。
次日、各門の処に押送し、良賤 皆 斬る。死するもの共に七百余人なり。城中の官民 下涙せざる無し。

曹操が董貴妃を殺す

操 剣を帯びて入宮し、董貴妃を殺す。

静軒先生 詩有りて歎じて曰く、
「逆を討ち、禍を成す無し。已に冤魂七百を招く。恨み消し難し。曹賊の機変を多とするに因ること非ずんば、只だ天公 魏朝に祚を為す

漢魏革命は、しゃーないと。


貴妃 乃ち董承の親女なり。帝 之を幸し、五月の身孕有り。
当日、帝 後宮の中に在り、正に伏皇后と董承の事を論ず。並せて音耗無く、如何なるやを知らず。忽ち見る、曹操 帯剣して入るを。帝 驚得し、魂魄 体を離る。
操曰く、「董承 此の如く謀反す。陛下 知るや否や」
帝曰く、「董卓 已に誅せり」

献帝がボケたw

操曰く、「董卓にあらず、董承なり」
帝 乃ち戦慄し、「朕躬 知らず」
操曰く、「指を破りて詔を修むるを忘るるや」
帝 答ふる能はず。

操 武士をして董貴妃を擒へしむ。
操曰く、「一人 造反すれば、九族 皆 誅す」
怒喝し、牽きて之を斬る。
帝 告げて曰く、
「董貴妃 五箇月の身孕なり。丞相の憐れみを望む」
操 之を叱りて曰く、
「若し天の敗るに非ざれば、吾 已に門を滅す。尚ほ此の女を留め、吾が後患と為すか
后〈伏氏〉 告げて曰く、「冷宮に貶しめ、分娩を待ちて之を殺すとも、未だ遅からず。
操曰く、「汝 此の逆種を留めて、母のために報讐せしめんと欲するや」

帝 泣きて告げて曰く、「乞ふ屍を全して死するを。露に彰はしむ勿れ」
操 白練を取りて、面前に至らしむ。
帝曰く、「卿 九泉の下に、朕躬を怨む勿れ」
言 訖はり、涙下 雨の如し。
操 怒りて曰く、
「猶ほ児女の嬌態を作すがごとし」 速やかに武士をして牽出し、宮門の外に勒死せしむ。

静軒 詩に曰く、
「跋扈する強臣 主を震威し、美人の魂 逐に落花し目中に飛ぶ。天子 児戯に同じ。何ぞ况んや区区たる董貴妃をや」

操 遂に監官を喚して囑して曰く、
「但だ外戚の内族有り、曽て吾に禀奉せず」
輒ち宮門に入るを肯ずる者 之を腰斬とす。守禦 厳からざる者 罪は同じ。曽て董承と来往する者 並びに黜退す。重き者 逆党に類入す。論 此の似きこと、勝げて数ふ可からず。皆 其れ害す。
此より許都 内外の官員 敢へて交頭し接耳するもの莫し。曹公 心腹の人 三千を撥し、御林軍を充たす。曹洪をして之を総領せしむ。

袁紹よりも劉備を優先して討つ

操 荀彧に曰く、「今 董承ら千余人を戮す。吾が心腹の大患 尚ほ有り。馬騰・劉備 亦 此の数に在り。誅せざる可からず」
荀彧曰く、「馬騰 西凉に屯軍す。未だ軽々しく取る可からず。但だ書を以て慰労し、疑を生ぜしむ勿れ。徐ろに京師に誘入し、之を図れば、可なり。劉備 徐州に在し、犄角の勢を分布す。亦 軽々しく敵す可からず」
操曰く、「何為れぞ未だ可ならざる」
彧曰く、「明公と天下を争ふ者は、袁紹なり。今 紹 官渡に屯兵し、常に許都を図るの心有り。一に且に若し劉備を東征せば、備 必ず袁紹に求救す。若し紹 虚に乗じて襲はば、何を以て之に当る」

操曰く、「非なり。彼の劉備 乃ち人傑なり。今、若し之を撃たずば、其の羽翼の長成するを待つ。急難 搖動すれば、必ず後患と為る。
袁紹 大志有ると雖も、事 多く懐疑して決せず。必ず動かざるなり。何ぞ必ず憂ふや」
彧曰く、「紹 不才なると雖も、田豊・沮受・審配・郭図・許攸・逢紀の輩、皆 奇謀・高見有り。倘し紹 之を信ぜば、禍為ること軽からず」
操 猶豫ほ未だ決せず。

郭嘉 外より入るに見ふ。
操 問ひて曰く、「吾 劉備を東征せんと欲す。曽奈 袁紹の憂有り、未だ動く可からず」
嘉曰く、「紹の性は遅にして疑ひ多し。未だ決せず。他の手下の謀士 各々相ひ妬忌す。何ぞ必ず之を憂ふや。劉備 目今、新らたに軍兵を整へ、衆心 未だ服せず。丞相 精兵を引き一戦せば、此を定む可し」
操 大喜して曰く、「此の機 正に吾が意に合ふ」
遂に大軍二十万を起し、劉備を東征す。知らず、勝負の如何なるを。且聴下回分解。141108

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第24回下_玄徳の匹馬 冀州に奔る

袁紹の末子が病気で、進兵せず

却説 曹公 兵を五路に分け、徐州に来る。細作 深知し、徐州に報入す。孫乾 下邳に逕来し、先に関公に報す。

次日、小沛も去き、玄徳に報知す。玄徳 慌てて孫乾らと商議す。
乾曰く、「必ず須らく袁紹に求救すべし。方に可囲を解かん」
玄徳 即時に書を修め、便ち孫乾を遣はして河北に至たらしめ、田豊に見え、具さに此の事を言ふ。
豊曰く、「明日、主公に見えよ。即ち当に商議すべし」

次日、孫乾を引きて紹に入見す。紹 形容に憔悴を出し、衣冠 整はず。
豊曰く、「今日、主公 何が故に此の如きや」
紹曰く、「某 将に死せんとす」
豊曰く、「主公 天下を縦横にす。何が故に此の言を出すや」
紹曰く、「吾 今 命は旦夕に在り。豈に他事を論ずるに暇あるや」

毛本よりも、明白に弱ってるなあ。

豊曰く、「主公 此の如き言 是れ何なる意故あるや」
紹曰く、「吾 五子を生み、惟だ最小の者のみ、極めて吾が意に快し。今 疥瘡を患ひ、将に命を垂とせんと欲す。吾 何の心有りて兵に用ふるや」
豊曰く、「目今、曹操 起兵し東征す。許昌は空虚なり。若し義兵を将て虚に乗じて入上せば、以て天子を保つ可し。下は以て万民を保つ可し。誠に国家の万幸なり。諺語に云く、『天与 取る勿くんば、反りて其の咎を受く』と。某れ明公に願ふ、焉を詳察せよ」
紹曰く、「吾 亦 此の如きことを知る。最も争取するに好きも、奈んせん我が心中 恍惚たり。之に去かば不利なり
豊曰く、「何ぞ之に恍惚たること有るや」
紹曰く、「五子の中、惟だ此の子のみ、生得に最異たること有り。倘し疎虞有らば、之を悔いても晩し」
〈袁紹は〉孫乾に謂ひて曰く、
「汝 回りて玄徳に見ひて此の事を言ふ可し。恐らく意の如くならずんば、便ち来りて吾に相ひ投ぜよ。自ら相ひ助くるの処有り」
田豊 杖を以て地に撃ちて曰く、
「錯過を惜む可し」
又 歎じて曰く、
「此の難遇の時に遭ひ、惟だ嬰児の病有りて、此の機会を失なふ。大事 去れり。痛惜す可きかな」
脚を以て地に頓し、而して去る。

劉備が曹操と戦う覚悟を決める

孫乾 紹に見ひ、〈袁紹が〉進兵を肯ぜざれば、夜を連ね小沛に回り、玄徳に見ひて具さに此の事を説ふ。
玄徳 乃ち大哭して曰く、
「此の似くんば、若何せん」
張飛曰く、「哥哥 憂ふ勿れ。兄弟 一妙の計を献じ、必ず曹公を破らん。曹兵 若し来らば、必然、困乏して等たず。他 来下し住寨せば、先に去きて寨を劫せ
玄徳曰く、「素より以へらく汝は一勇夫為るのみ。前は劉岱を捉へ、果して此の妙策有り。今、此の計を献ず。吾が弟 亦 兵法を按ずること、甚だ好し甚だ好し。
操 若し遠来せば、必然、便ち此の計を成らん。晩に当り、去きて寨す」
商議 已に定まる。

曹操が劉備の奇襲を見抜く

却説 曹公 大軍を引きて小沛に往く。正に行くの間、狂風 驟まり、曹公の馬前に至る。忽ち一声 响亮たり。大風 吹き、牙旗の一面を折る。
操曰く「怪を作す。便ち軍兵をして且に住めしめよ」
謀士を喚びて吉凶を問ふ。操 自ら己に主張あり。只だ謀士の所見 同か不同かを看る。 操 言はく、「風 吹きて牙旗を折る。之れ兆なり」
荀彧曰く、「風 何なる方自り来り、甚なる顔色の旗を吹き折るや」
操曰く、「風 東南方自り来り、吹き折るは角上牙旗なり。旗 乃ち青紅の二色なり」
彧曰く、「別事を主らず。今夜、劉備 必ず来りて寨を劫す
操 點頭す。忽ち毛玠 入見して曰く、
「適纔 東方の牙旗 風に吹折らる。今夜 必ず人の劫寨する有るを主る」

静軒 詩有りて歎じて曰く、
「仁心の帝、胄勢は孤窮たり。全て仗して分兵し、劫寨して功す。争でか奈んぞ旗先を折りて兆有る。老天 何が故に奸雄を縦にす」

なんで天は、曹操にヒントを与えて、劉備を不利にするのだ。クレームを付けるべき問題だろ、おいと。


操曰く、「天の報応なり、吾 当に自ら之を防ぐべし」
時に当たり、九隊に分兵す。只だ一隊を留め、向前す。 虚に営寨に劄し、余衆 四面・八方に埋伏す。

張飛が待ち伏せられ、逃げる

是の夜、月色は微明たり。
玄徳は左に在り、張飛は右に在り、兵を両隊に分く。只だ孫乾を留めて小沛を守らしむ。
且説 張飛 自ら神妙の計を為すを以て、軽騎を領して前に在り、操の寨に突入す。但だ見る、零零・落落たるを。多く人馬の無く、四邉の火光 大明たり。
喊声 斉挙す。張飛 知る、是れ〈曹操の〉計に中るを。急ぎ寨外に出づ。正東に張遼 殺来す。正西に許褚、正南に于禁、正北に李典、東南に徐晃、西南に楽進、東北に夏侯惇、西北に夏侯淵、八下の軍馬 殺来し、團團と囲定す。

だめだ、張飛さん、死んだ。

張飛 垓心に在り、左衝し右突し、前遮し後当す。張飛の手下の兵 原来 旧は曹公の管する軍なり。尽く皆 過去す。

今回、劉備が「袁術を遮るから」と偽って、曹操から兵を盗んだ。劉備の軍は、壊滅・逃亡するために、主力が入れ替わっているのか。おもしろい。


飛 軍の去ること大半なるを見る。飛 忙中に在り、徐晃に逢ふ。両馬 相ひ交はり、戦ふこと十余合に到る。後面に楽進 赶到す。張飛 血路を殺條し、突囲して走ぐ。只だ十数騎有り、跟定し、小沛に還らんと欲す。
大軍 路の徐州・下邳〈を連絡する地〉に截住し、曹公 自ら精兵を引き、当に住む。飛 尋ぬるとも路無きを思ふ。芒碭山を望みて走ぐ。

劉備が小沛を諦めて逃げる

却説 玄徳 兵を引き、正に去きて〈曹操の〉寨を劫さんと、将に近づかんとす。寨門に喊声 大いに震ひ、後面 一軍を衝き、一半の人馬を先截す。夏侯惇 又 到る。
玄徳 囲を突きて出づ。後面に夏侯淵 赶来す。玄徳 回顧するに、三十余騎のみ跟随するもの有るに止まる。小沛を望見するに、城中に火 起こる。玄徳 小沛を棄て、徐州を却取せんとす。
河を隔てて望見するに、軍馬 山に漫ち野を塞ぐ。玄徳 自ら思ふに、路無くして、帰す可きは、袁紹 言有るを想ふ。
「『倘し意の如くならずんば、来りて相投す可し』と。今 袁紹に投じ、暫く且に依棲し、別に良図を作さん」と。
青州の路を逕尋して走る。

正に楽進に逢ひ欄住せらる。玄徳の匹馬 落荒す。正北に走ぐ。楽進 将・従騎を擄へて去る。
只説 玄徳の匹馬 青州に投ず。一日に行くこと三百余里なり。
晩に当り、青州に到る。城下に開門と叫ぶ。門吏 姓名を問ひ、剌史に来報す。剌史 乃ち袁紹の長子たる袁譚なり。袁譚 素より玄徳を敬ひ、聞知す。匹馬 到来し、速やかに却りて開門し、出迎ふ。公庁に至り、其の故を問ふ。
玄徳 説くらく、
「曹公の勢 当たる可からず。故に城并びに妻子を棄て逃命し、此に至る」
袁譚 乃ち再拝し、館駅の中に留住す。劄し書を発して父の袁紹に報ず。紹 徐州の已に失ひ、玄徳の青州に在るを知る。遂に兵五万を引き、玄徳を迎接す。

袁譚 本州の人馬を将て送り、平原の界に至る。袁紹 鄴郡を離るること三十里、玄徳に来接す。玄徳 地に拝伏す。紹 荒に之に答へて曰く、
「昨、小児の患を抱へるが為に、救援を失ふこと有りて、其の心 怏怏として安ぜず。今 幸ひにも相見するを得たり。大いに慰めり。渇想の思を生ず」
玄徳 答へて曰く、
「孤 窮たり。劉備 久しく門下に投ぜんと欲す。奈何 機縁あらん、未だ遇はず。今、曹操の攻むる所と為り、妻子 俱に陥つ。将軍の四方の士を容納するを想ひ、故に羞慚を避けず、逕来して相投ず。收録せらることを望乞す。誓ひて当に補報すべし」
紹 大喜し、父子 相待すること甚だ厚し。同に冀州に居す。

曹操が下邳の関羽を狙う

且説 曹公 夜に当り、小沛を取る。随即ち進兵し、徐州を攻む。糜竺・簡雍 守把して住まらず。只だ棄つるを得たり。
陳登 徐州を曹公に献ず。大軍 入城し、已に安民す。随ち衆の謀士を喚び、下邳を取ることを商議す。
荀彧曰く、「雲長并びに劉備の老小 此の城に死拠す。務むるなれば、速く取るに在り。如し若し遅慢たれば、袁紹に竊まるを恐るのみ」
操曰く、「当に何なる計を用て下邳を取る可き」

彧曰く、「丞相 徐州に坐鎮し、一軍馬を援して之を誘へ。若し関公 出でて戦はば、即ち分投して之を襲へ。城 若し一たび陥つれば、関公 必ず擒とならん」
操曰く、「吾 素より関公の武芸・人材を愛す。勇は三軍に冠たり。吾 之を得んと欲す。以為へらく已に用ひん」
郭嘉曰く、「吾れ聞く、関公の義気 深厚たり。必ず降るを肯ぜず。若し人をして之に説かしめば、其の害せらるを恐る。
先に兵を以て之を囲み、若し事 危急たれば、彼 必ず之に降らん」

帳下の一人 出でて曰く、
「我 関公と一面の旧交有り。某 親ら下邳に往きて之に説き、降らしむ、若何」
衆 皆 之を視るに、乃ち張遼なり。
程昱曰く、「文遠 雲長と旧有ると雖も、吾 此の人を観るに、言詞を以て説く可きこと非ず。某 一計有り。此の人をして、進退 無門ならしめば、則ち文遠を用て之を説け。関公 自然、丞相に帰すなり」
必ず何なる計を用ひ、以て之を降すや。畢竟、如何且聴下回分解。141108

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