読書 > 李卓吾本『三国演義』第28回の訓読

全章
開閉

第28回上_雲長 擂鼓し蔡陽を斬る

夏侯惇が追いつく

却説 雲長 孫乾と同に二嫂を保ち、汝南に向きて路行す。忽然の間、背後に夏侯惇 赶来す。約そ三百余騎有り。雲長 急ぎ孫乾をして車仗を保せしめ、一面に行く。
遂に馬を勒回し、刀を按住して言ひて曰く、
「汝 吾を来赶す。丞相の大度を失ふこと有り
夏侯惇曰く、「丞相 又 明文無し。伝報す、汝 路に殺人し、又 吾が部将を斬ると。特来し、汝を擒へん。早く下馬し、縛を受けよ」
雲長曰く、「吾 未だ漢に降らざる時、曽て説応するに、殺伐すること有り。禀問するを須たず。路に守把するの将校 事を生じ吾を欄截す。皆 之を斬る」
惇曰く、「吾 秦琪の与〈ため〉に報讐す」
拍馬し挺鎗して、出でんと欲す。

背後に一騎 飛到し、大叫す、「関将と交戦する可からず」
関公 亦 轡を按じて動かず。
来使 懐中より公文を取出し、馬上に大叫す。
「丞相 関将軍の忠義を憐愛し、路の関隘に攔截せらるを恐る。故に某を遣はし文書を特賫し、諸処に遍行す」
惇曰く、「関公 路に関隘を把するの将を殺す。丞相 知るや否や」
来使曰く、「未だ知らず」
惇曰く、「〈関羽を〉活け捉り、将に去き丞相に見せよ。丞相の自ら他を放つを等て」
関公 大怒して曰く、「吾 汝の大丈夫に非ざるを懼るなり」

拍馬し輪刀して、夏侯惇に直取す。惇 挺鎗し出迎す。両馬 相交すること約戦二十合、又 一飛騎 至る。大叫して曰く、
「二将軍、戦ふを罷め、各自 分開せよ」
夏侯惇 問ひて曰く、「汝 来るは何が故なるや」
使者曰く、「曹丞相 恐る、路に関将軍を阻当するを。特来、告報す」
惇曰く、「丞相、他の路に関を把する将を殺すを知るや否や」
使臣曰く、「未だ知らざるなり」
惇曰く、「此の如くんば、放去す可からず」
両将 又 戦ふこと十余合に到る。又 一騎 到りて大叫す。
「二将軍 少しく歇め」
惇 陣前に在り、便ち使臣に問ひて曰く、
「丞相 関某を擒へしむや」
使者曰く、「非なり。丞相 三次 人をして来説せしむ。誠に恐る、路上の人 関将軍を阻当するを。故に公文を送り、行はしむ」
惇曰く、「既に未だ殺人を知らず。必ず用て擒下せよ」
手下に指揮し、軍馬 圑團と囲住し、〈関羽を〉走脱せしめず。背後に馬軍、斉来す。雲長 並せて半分と無く懼怯す。声 巨雷が如し。陣勢に来衝す。惇 挺鎗し来迎す。

張遼が追いつく

陣後の一人 飛馬して来叫す、
「元譲・雲長 得て争戦する休れ」
衆 皆 之を視るに、乃ち張遼なり。俱に各々失驚す。二人 馬を勒住す。張遼 近前して言ひて曰く、
「丞相の鈞令を奉る。雲長の孔秀を殺すに因り、阻む有る恐る。当特、我を差はし、路に関隘に来たらしむ。任じて便ち放行せしむ」

夏侯惇曰く、「秦琪 是れ蔡陽の外甥なり。蔡陽 是れ我 丞相に挙薦するなり。他 秦琪を将て我が処に分付し、你 今 他の無罪なるを将て之を斬る。理に、然らざること有るを恐る」

夏侯惇のほうが正しいな。

遼曰く、「我 蔡将軍を見るに、自ら分解有り。既に丞相 美度す。関雲長をして去かしむ。丞相が寛洪の意を廃す可からず」
惇 軍馬をして退去せしむ。後に詩有り……

張遼曰く、「雲長 今 何処に往く」
関公曰く、「兄長 袁紹の処に在ず。吾 今 普く天下を往き、之を尋ぬ
遼曰く、「未だ下落を知らざれば、且に再び丞相に回見するは若何」
関公曰く、「既已に辞を告ぐ。安にか復去するの理有らん。文遠、許都に回り、言を借りて罪を請へ」

二人 分別す。
張遼 夏侯惇と与に自ら領軍し回去す。

郭常のバカムスコ

雲長 車仗を赶上す。孫乾に此の事を説知す。二人 馬を並べて行く。遇晩、随処に投宿す。
行くこと数日、正に大雨に値る。行装に滂沱し、尽く濕る。遥望す、崗邉の一所の庄院を。関公 先に往き、宿を借る。庄主 関公を出迎し、来意を言ひ畢はる。
庄主曰く、「某 姓は郭、名は常、世々此に居り。久しく大名を聞く。幸にも瞻を得て拝す」
遂に羊を宰り酒を置き、相待す。二夫人を後堂に請ひ、暫く歇す。

郭常 関公・孫乾と与に三人 草堂に飲酒す。一邉 行李を烘焙す。一面、馬匹を喂養す。
黄昏の時候に到り、見る、一後生 数人を引きて庄に入り、草堂に逕奔して来るを。郭常 喚びて曰く、
「吾が児 将軍に来拝せよ」
関公 之に問へば、常曰く、
「此の愚男なり」
関公 問ふ「何より来る」
答へて曰く、「射猟して方に回る」

なんか、マジで、どうでもいいー。

常 流泪して言ひて曰く、
「老夫、世々本は儒流なり。天下の荒乱に因り、隠居し務農すること一生。止めて此子有り。儒業を習はず、惟だ遊猟を務めて楽と為す。是れ家門の大いなる不幸なり」
関公曰く、「方今の乱世、若し是れ文を棄て武に就くは善し。弓馬に熟せば、亦 以て功名を取る可し。何ぞ不幸なるや」
常曰く、「他輩 若し是れ肯へて武芸に習へば、亦 是れ幸なり。此の子、専ら遊蕩に務め、為す所無し」
関公 亦 歎息すること良に久し。

郭常 相陪し、更深に至る。各人 歇去す。郭常 辞出す。関公 孫乾に曰く、
「此の老 此の如く賢なり。此の子 此の如く愚なり。乃ち天意の斉しからざるなり」
乾曰く、「瞽聘 至頑にして、虞舜を生む。自古、之の二人に敘論有り」

片時の間、方纔 寝に就かんと欲す。忽聞 後院の馬は嘶き、人は語る。関公 剣を提げ往きて之を視る。見る、郭常の子 地に踢倒し、従者 庄客と与に相ひ打つを。
関公 之に問ふ。従者曰く、
「此の人 来りて赤兎馬を盗み、撁き出し、鞍を備へんと欲するに、馬の一脚を被け、踢倒し叫喚す。方に其事を知る。我が衆人 赶起し、馬を奪ふ。庄客 尽く劫奪す。此に因り、相ひ打つ。

マジ、あほらし。

孫乾 関公に之を殺すを勧む。公 之を責めて曰く、
「吾 天下を独行するに、全て此の馬を仗る。汝 之を盗まんと欲せば、是れ吾が去路を絶つなり」
恰かも之を殺さんと待す。

郭常 奔り至り、告げて曰く、
「不肖の子 此の逆事を為す。罪 万死に合ふ。奈 老妻 素より此の子を愛す。公 若し之を殺さば、吾が老妻 必ず憂悶して死しす。将軍の仁慈・寛恕をを望めば幸甚なり」
関公 平生 是れ仗義の人なり。此の老人を思ひ、曽て実に訴告せられ、故に之を釋して殺さず。坐して以て旦平明を待ち、行李を收拾す。

郭常の夫婦 堂前に拝して謝して曰く、
「辱子 虎威を冐凟す。深く感ず、将軍が哀憐の恩に」
関公 喚出せしむ。
「吾 善言を以て之を慰む」

関羽サマが言葉をかけてやるから、愚息を呼んでこい。

郭常曰く、「辱子 四更の時分、又 数箇の無徒を引き、何処に去くやを知らず。乃ち前に冤業を生ずなり」
関公 郭常に謝す。二嫂に上車を請ふ。

郭常のバカムスコ、再び

公と孫乾 庄を離れ、馬を並べて山路を取りて行く。行くこと三十里に到らず、前に村房無く、後に店舍無し。只だ見る、山の背後に両馬 引着し、百余人の来るを。
首為る者、頭に黄巾を褁り、身に戦袍を穿く。後面の者、乃ち郭常の子也なり。欄住し路を穿る。首為る者 大呼して曰く、
「吾 乃ち天公将軍の張角の部下、大方の裴元紹なり。来る者、快やく赤兎馬を留下せよ。你を放たん」
関公 大笑して曰く、「狂猾の匹夫、汝 張角に従ひて盗を為せば、還りて知るや、劉関張の兄弟三人の名字を」
首為る者曰く、

もう名前を書いたのだから、「裴元紹曰く」でいいだろ。

「我 只だ聞く、赤面の長髯なる者 名は関雲長なり。其の面を識らず。汝 何なる人や」
関公 乃ち停刀し髭髯を解開し、之を視しむ。其の人 滚鞍と下馬し、脳揪す。郭常の子 拝して馬前に献ず。
関公 姓名を問ふ。告げて曰く、
「裴元紹なり。張角の死する後自り、一向に主無く、山林に嘯聚し、此の処に権り、蔵伏す。今、早く這厮 報道す。一客人有り、一匹の千里馬に騎り、我が家の庄上に投宿す。故に某をして此の馬を強奪せしむ。
想はず、却是 関爺爺なり。此の人を殺し可し。以て其の罪を正す。小人の事を干せず」
関公曰く、「吾 郭常を看て、相ひ敬ふこと甚だ厚し。之を殺すに忍びず
就ち馬前に放ちて回す。其の人〈郭常の子〉 頭を抱へ鼠𥨥して去る。

雲長曰く、「汝 吾を識らず、何を以て名を知る」
裴元紹曰く、「此を離るること二十余里、新版に一の『臥牛山』有り。山上に一の関西の人有り。姓は周、名は倉、両臂に千斤の力有り、板肋・虬髯、形容は甚だ偉なり。原〈もと〉は黄巾に在り、張宝の部下、将と為り。張宝 死し、山林に嘯聚す。他〈周倉〉 多く曽て某に将軍の盛名を説く。門路無く相ひ見えざるを恨む」
雲長 嘆じて曰く、
「山林の中、亦 信義の士の盗と為るもの有り。今後、去く可きや。正に帰し、此の身を陥す勿れ」
元紹 拝謝し、恰かも分別せんと欲するに、遥かに望見す、一彪の人馬 来到するを。元紹曰く、「此れ必ず周倉なり」

周倉の登場

立馬して之を待つに、果して是れ周倉なり。周倉 雲長に見ひ、下馬して道傍に俯伏す。
雲長 請起せしめて言ひて曰く、
「壮士、何処に曽て関某を識る」
倉曰く、「旧て黄巾の張宝に随ひ、曽て尊顔を識る。恨む、身を賊党に失し、相ひ随ふを得ず。今日、天 機会を賜ひ、得て此に拝す。願はくは将軍、棄てず周倉を收留せよ。願ふ、将軍の一小卒と為り、早晩、鞭を執るを。墜𨮴して死するとも亦 心に甘んず」
雲長曰く、「汝 願はくは吾に随へ。汝の手下の人伴は若何」 周倉曰く、「其の自ら然るに聴ふ。願ふ、順ふ者は之を従ふるを」
随ち問ふこと一声。皆 帰順するを願ふ。

雲長 遂に車前に下馬し、二嫂に禀問す。
甘夫人曰く、「叔叔 許昌を離れて自り、路に独行し此に至る。多少の艱難を歴過するに、未だ嘗て軍馬の相ひ随ふを要せず。前の廖化は叔 尚ほ之を郤す。今 次いで又 盗者の相ひ従ふを容す。人の議論を惹くを恐る。

なぜ黄巾の廖化がダメで、黄巾の周倉なら、随従を許すのかと。不公平だし、一貫性がないじゃないかと。

我 女輩にして浅見なり。叔 自ら斟量せよ」

雲長曰く、「尊嫂の言、是なり」
遂に周倉に回りて曰く、
「関某に寡情に非ざれども、奈の二夫人 未だ順はず。汝ら且に山中に回れ。寧ろ耐へよ。孝吾 兄長を尋ぬれば、必ず相ひ招く
周倉 頓首して告げて曰く、
「倉 乃ち一麄鹵の匹夫なり。身 盗と為るとも、今 将軍に遇ひ、重ねて天日を見るが如し。此に英雄の錯過するを等つが似くありけり、別に門路無きなり。如し将軍 衆を容れざれば、随ち裴元紹と某のみをして歩行にて将軍に跟はしめよ。万里と雖も辞せず」
雲長 再び此の言を二嫂に告ぐ。
甘夫人曰く、「一二人 相ひ随ふは、又 且に何をか妨げん」
雲長 周倉をして人を撥せしめ、裴元紹を伴随す。
元紹曰く、「哥哥 将軍と跟に去く。弟 亦た随ふことを願ふ」
周倉曰く、「汝 若し去く時、人伴 皆 散ず。汝 権時、領料す可し。我 且に将軍随ひ、但だ札住の処有らば、便ち你を来取す」

お留守番の裴元紹は、趙雲に斬られる。


古城にこもる張飛

裴元紹 怏怏として別る。周倉 跟して去く。雲長 元紹と別れて行き、汝南に前往す。進発して行くこと数日、将に界口に至らんとす。
正に行くの間、相ひ近き山城を遥かに望む。土居の人に、「此れ何処なるや」と問ふ。土人 答へて曰く、
「此れ古城と名づく。数月前、一将軍有り、姓は張、名は飛、数十騎を引き此に到る。県官を将て赶逐し、他の処に往まる。此の人 古城の中に在り、軍を招き馬を買ひ、草を積み糧を屯し、四五千人を聚む。四遠 人の敢へて当たる無し」
関公 喜びて曰く、「徐州に失散して自り、今まで已に半年なり。誰か想ふ、兄弟 此に在るを」
先に孫乾に令し、城中に報説して、嫂嫂を接さしむ。

却説 張飛 硭碭の山中自り、飄蕩・落草す。河北に投ずるを待ち、路を去くに、古城を経る。県に入り糧を借る。県官 就くを肯ぜざれば、殺入して県印を奪ふ。県官 皆 逃ぐ。
張飛 此に就き身を安んず。
忽ち見る、孫乾 便ち其の故を問ふ。乾 説くらく、
「劉皇叔 袁紹の処を離れ、汝南の劉辟の処に投じ、人馬を会合す。今、関将軍 許都を離れ、二嫂嫂を送り、尋覔して此に到る。請ふ、将軍 廓を出でて迎接せよ」
張飛 聴き罷むや、言を回さず、随即ち披掛し丈八の神矛を持し、飛身し上馬して、一千余人を引き、北門に逕出す。
雲長 翼徳の到来するを望見し、喜びて自ら勝へず、刀 周倉に付して接し、拍馬し来迎す。

関羽が張飛に疑われる

張飛 圓睜・環眼、倒竪・虎鬚、声は雷の吼ゆるが若く、矛を揮ひて雲長を望み、便ち戳せんとす。雲長 大驚し、慌閃し鎗を過ぐ。
便ち叫ぶ、「兄弟 如何に桃園の結義を忘るや」
飛 喝きて曰く、「你 既に義無し。何の面目有りて、来り、我に相ひ見へるや」
雲長曰く、「我 如何にして義無きや」
飛曰く、「你 既に曹操に順ひ、封ぜられて寿亭侯と為り、自ら富貴を享く。今 又 来り我を賺す。我 両箇 併箇 你死我活」

もう口語は辞めてください。

雲長曰く、「你 原来也、我を知らず。説き難し。見放着嫂嫂 在此你自請問」

張飛から兄嫁に聞けよと。

甘・糜二夫人 聴得し、簾を揭げて呼びて曰く、
「翼徳よ、叔叔 何が故に此の如きか」
飛曰く、「嫂嫂 怪しむ休れ。我 義に負くの人を殺す。請ふ、嫂嫂 入城せよ」
甘夫人曰く、「雲長 並せて知らず你等下落。已むを得ずして漢に降り、曹に降らず。今 你の哥哥 袁紹の軍中に在るを知り、故に千里独行し我を送り、此に到る。你 錯る休れ」
張飛曰く、「大丈夫 世にり、豈に二主に事ふるの礼有るや。嫂嫂 你 他〈関羽〉に瞞かるる被れ」
甘夫人曰く、「下邳に在りし時、奈無く出づ」

飛曰く、「寧ろ死すとも、辱じず。你 既に曹に降り、何の面目有りて相ひ見ふや」
雲長曰く、「兄弟よ。你 我が心を屈る休れ」
孫乾曰く、「特来、将軍に尋ねよ」
飛 喝きて曰く、「如何に你も、胡ぞ説くや。他 那里に好心有るや。必ず是れ我を捉ふるなり
雲長曰く、「我 若し你を捉へなば、須らく軍馬を帯ぶ
飛 手の一指を把ぐ。
「兀的、是れ軍馬の来るにあらざるや」
雲長 回顧するに、果して見る、塵埃の起る処、一彪の人馬 来到す。三面 風吹き、曹操の軍馬の旗号を動かす。

関羽が蔡陽を斬る

張飛 大怒して曰く、
「尚ほ敢へて吾を支ふるや」
丈八矛を使き、搠来す。
雲長 急ぎ止めて曰く、
「兄弟 且に住まれ。你 看よ、我 来将を斬りて以て我が真心を表はす
張飛曰く、「你 既に真心有らば、我 這里に三たび通鼓す。罷めば、你 来将を斬るを要す」

只だ見る、曹軍の擺開するを。
蔡陽 横刀し勒馬し、門旗の下に立つ。雲長を猛見し、披掛す。拍馬し陣前に前来す。喝して曰く、
「来将 何なる人ぞ」
答へて曰く、「我 蔡陽なり。你 吾が外甥の秦琪を殺す。你 原来 這裡に在れ。吾 丞相の鈞命を奉り、特来、你を捉ふ。若し你を捉住せば、我 便ち寿亭侯に封ぜらる」

蔡陽さん、セコいな。

叫ぶこと一声、鼓を擂つ。鼓 纔かに挙動し、雲長 早騰し面前に到る。一たびの通鼓 未だ尽くせざるに、雲長 刀を挙げて起つ処、蔡陽の頭 已に地に落つ。
張飛 見て大喜す。関公を讃ずる詩有りて……

衆軍 便ち走ぐ。雲長 赶上し、蔡陽を活け捉る。

さっき、たしかに蔡陽の頭が地に落ちたのにな。

認旗を執りて過来す。取らへて消息を問ふ。其の余 潰散す。認旗を拏して軍に告ぐ。〈関羽が〉説くらく、
「蔡陽 将軍〈関羽〉の他〈蔡陽〉の外甥〈秦琪〉を殺すを知り、心中に忿怒とす。河北に来り、将軍と交戦して報讐せんと要す。曹丞相 肯ぜず、故に他〈蔡陽〉を汝南に差はし、劉辟を攻めしむ。想はず、這𥚃に将軍〈関羽〉と遇着す」
言ひ畢はり、雲長 〈蔡陽の兵に〉張飛の前に実事を告説せしむ。飛 小卒に問ひて曰く、
「雲長 許昌に在り、行止は若何」
小卒 頭従り尾に至るまで一遍を説く。張飛 方纔 実を信ず。車前に却来し、二嫂に施礼し、城中に従ふ。
又 報説す、
「城の南門の外、又 見る、十数騎の来る有り、甚だ緊なり」
知らず、是れ甚なる人やを。張飛 心中 疑慮し、就便ち領軍し城より転じて来迎す。畢竟 是れ誰ぞ。下回便見。141111

閉じる

第28回下_劉玄徳 古城に義を聚む

麋竺・麋芳があわさる

関公 蔡陽を斬る。敗残の軍 自ら奔り許昌に回る。張飛 方纔 実に信ず。
忽ち報ず、城南に数十騎有り、到ると。張飛 便ち転びて城を出でて看るに、時に果して十数騎、軽弓・短箭なるもの来見す。張飛 鞍を滚じ下馬す。飛 之を視るに、乃ち糜竺・糜芳なり。
張飛 亦 下馬す。
竺曰く、
「徐州の失散するに従ひて自り、我ら兄弟二人、逃難して回郷す。人をして遠近に打せしめ聴知す。雲長は曹操に降り、主公は河北に在りと。並せて知らず、将軍 此に来るを。昨者 道上に遇見す、一夥の客人。言説すらく、箇の姓 張といふ将軍有り。此の如き模様にて、今 古城に拠ると。吾が兄弟 酌量するに、必ず是れ将軍なりと。故に来り、尋訪す。幸にも得て相見す」
飛曰く、「雲長 二嫂を送り、今日 方に到る。孫乾 亦 到り、已に哥哥の下落を知る」

糜竺の昆仲 大喜し、同に来る。飛 遂に迎へて二嫂に請ひ、城に進めしむ。衆 各々甲を解き、二夫人に請ひて、衙に入り坐 定む。衆人 悲哭し階下に拝す。二夫人傷感して已まず。
張飛 却纔 仔細を備問す。甘夫人 雲長の前後に歴過するの事を説く。張飛 方に哭き、雲長に参拝す。飛ら各々其の事を言ひ、已に畢はり、乃ち猪羊を殺して賀喜す。

雲長曰く、「兄長 未だ到らず。甚の酒食 能く肺腑を充たすや」
孫乾曰く、「此より汝南に去くは遠からず。明日、共に往き之を迎へよ」

関羽が劉備を探しにゆく

当日、権に且に将 息む。次日、雲長・孫乾 二人 分付す。衆人 皆 古城に在り、二人を等候す。十数騎の従者を引き、汝南に逕奔す。
劉辟・龔都に接着し、便ち問ふ、「皇叔 何こに在る」と。
劉辟曰く、「皇叔 此処に到りて住まること数日。軍の少なきを見て、再び河北の袁紹の処に回る

劉備は、マジでバカ。このあたり、話が複雑になるだけ。『三国演義』はどういう狙いがあるのやら。劉備が見つからない、という焦らし戦法であり、劉備が移動する動機として、袁紹に援軍を求めることしか、もっともらしい自由が付かなかったのだろう。


商議すること三日、前に去く。
雲長 怏怏として楽しまず。
孫乾曰く、「将軍 憂ふ休れ。只だ這の一番の駆馳を用て、再び袁紹の処に往け。走りて一遭せば、皇叔に報知し、同に古城に到れ」
便ち雲長 劉辟・龔都に辞し、古城に回還すし、張飛に説く。此の事を知り、張飛 自ら往かんと欲す。
雲長曰く、「此の一城有れば、便ち是れ我ら安身の処なり。未だ軽々しく棄つ可からず。我 孫乾と同に往し、兄を取る。汝 古城を堅守す可し」
飛曰く、「汝 他の顔良・文醜を斬る。如何に去きて得るや」
雲長曰く、「汝 但だ放心せよ。機を見て変じ、收拾す」

ともあれ、関羽サマがうまくやるよと。


二十余騎 雲長に随行す。周倉を喚びて曰く、
「臥牛山の裴元紹の処 共に多少〈どれだけ〉の人馬有るや」
倉曰く、「五百余の人、四五十匹の馬有り」
雲長曰く、「我ら 近路を抄し、兄長を取る。你 臥牛山に去往し、此の一路の人馬を大路に招き、上接せよ。得て悞り有る勿れ」
周倉 欣然として上馬して去る。

関羽が、関平と出会う

雲長・孫乾 冀州に投じ、将に界首に至らんとす。
孫乾曰く、「将軍 只だ此の間に在り、箇の去く処を尋ねて歇宿せよ。某 自ら境に入り、皇叔に見ひて報知し、便ち脱身の計を求む」

袁紹の領土に入ると、関羽は天敵だから。


雲長 道の左に見る、一座の村庄を。独り覔宿に往く。孤庄上に一人 出迎す。関 実〈正体〉を将て之に告ぐ。
庄主曰く、「某 亦 姓は関、名は定。久しく聞く、将軍の大名を。今 聸拝するを得て、雲霧を撥ひて青天を見るが如し」
随ひて二子を喚び、出でて雲長に拝す。 曰く、「二子 何なる名や」
答へて曰く、「長男じゃ関寧、読書を学ぶ。次男は関平、武芸を学ぶ
関定 遂に雲長を庄に留む。人伴 尽く家に蔵す。

劉備が袁紹のもとを去る

孫乾の匹馬 冀州に逕来し、玄徳に入見す。上件の事を把して説知す。
玄徳曰く、「簡擁 亦 此の間に在り、袁紹に投奔す。暗かに請求す可し」
密処に商議しるに、簡擁 到り、孫乾と相見す。共に脱身の術を議す。
雍曰く、「主公 明日、袁紹に見へて請ふ可し。親ら荊州に往き、劉表と結連して共に曹操を破ると。主公 此に乗じて去れば可なり。雍 亦 自ら脱身の計有り」
商議 已に定まる。

次日、玄徳 紹に入見し、告げて曰く、
「劉景升 荊襄の九郡を鎮守す。兵は精しく糧は足る。以て結びて唇 歯と為り、共に曹操を破る可し」
紹曰く、「吾 嘗て使を遣はして此人に結好せんとす。此人 未だ相ひ従ふことを肯ぜず」
玄徳曰く、「此人 是れ備が同宗の兄なり。備 往きて之に説かば、必ず阻むこと無し」
紹曰く、「若し劉表を得れば、劉辟に勝ること多し」
遂に玄徳をして行かしむ。

紹 又 曰く、「近く人の説く有り。汝の兄弟たる関雲長、已に曹操を離れ、必ず来りて汝を尋ぬると。吾 之〈関羽〉を殺して以て顔良・文醜の恨を雪がんと欲す
玄徳曰く、「顔良・文醜 之に比せば、二鹿なるのみ。吾が弟の雲長 乃ち一虎なり。若し二鹿を失して一虎を得れば、以て曹を拒むに足る可し。何が故に之を殺さんと欲す」
紹 笑ひて曰く、「吾 実に之を愛すが故に、戯言するのみ。汝 人をして之を召しむ可し」
玄徳曰く、「即ち孫乾を遣はし、之を召しめよ」
紹 大喜し、玄徳 出づ。

簡雍 出でて曰く、
「劉玄徳 此より去り、必ず回らず」
紹曰く、「当に之をいかんせん」
雍曰く、「某 願はくは同行せん。一は同に劉表を説く。二は劉備を監住す
紹曰く、「甚だ妙なり」

却説 玄徳 先に孫乾をして行かしめ、次日、来りて袁紹に辞す。紹曰く、
「汝の隻身にて成し難きを恐る。吾 簡雍をして相ひ輔け、同往せしむ」
玄徳 簡雍と同に袁紹を辞し、上馬して城を出づ。

郭図 紹に入見して曰く、
「劉備 前は劉辟を説きて未だ事を成さず、今、又 簡雍と与に劉表を説く。此れ行かば、必ず回らず」
紹曰く、「汝 多疑する勿れ。簡雍 自ら見識有り」
郭図 嗟呀して出づ。

関平を関羽の養子にする

玄徳・簡雍 行きて界首を出づ。孫乾 接着し同に関定の家に至る。雲長 迎門し接拝す。手を執り啼哭して止まず。

関羽と劉備が再会したのに、意外とあっさり。

関定 二子を領し草堂の前に拝す。玄徳 其の姓名を問ふ。
雲長 曰く、「此の人 弟〈わたし〉と同姓なり。次子をして弟と同に去かしめんと欲す」
玄徳曰く、「年 幾何ぞ」
関定 答へて曰く、「次子の関平 年一十八歳なり」
玄徳曰く、既に長ぜり。心有らば、子をして雲長と跟せしめよ。吾が弟 又 子嗣無し。某 願はくは求む、嗣をして雲長に与へしめ、嗣と為せ。若何」
関定曰く、「若し主盟を蒙れば、厳令を聴くを願ふ」
玄徳 致謝す。関平 此自り雲長を以て父と為す。

趙雲の登場

玄徳 袁紹に追はるるを恐れ、急ぎ收拾し起行す。関定 送ること一程。雲長 路を取り臥牛山に住かしむ。
正に行くの間、忽ち見る、周倉 数十人を引き、傷を帯びて来る。雲長 玄徳に引見せしむ。玄徳 其の故を問ふ。
倉曰く、「自ら臥牛山に到るに、誰か想はん、一将の単騎有り。裴元紹と交鋒すること只だ一合、裴元紹を戳死す。数を尽して人伴に招降す。山寨を占住す。
周倉 彼に到り、人伴を招誘す。止めて這の幾箇有り、過来す。余の者 懼怕し、敢へて擅ままに倉を離れず、親自ら他と交戦す。他 連勝し、数次に身中 三鎗を被る。此に因り、逕来し、専ら主公を待つ」
玄徳 問ひて曰く、「此の人、怎生 模様なるや。姓は甚、名は誰ぞ」
倉曰く、「極めて其れ雄壮なるも、姓名を知らず」

雲長 縦馬し挺刀し、前に在り。玄徳 後に在り、臥牛山に逕投す。周倉 山下に在り、那員の将を喊叫す。披掛を全付し、挺鎗し縦馬し、衆人を引き下山す。
玄徳 鞭を揮ひ出馬し、大いに叫びて曰く、
「来る者 子龍に非ざる莫しや否や」
那員の将 玄徳を見て、鞍を滚し馬を下り、伏道に拝す。傍の衆 皆 一斉に下馬して之を迎ふ。乃ち真定の常山の人なり、姓趙、名は雲、字は子龍なり。
玄徳 其の所来を問ふ。
雲曰く、「主公と離れて自り、公孫瓚 直諫に従はず。喪に致るを以て敗す。放火し自焚す。袁紹 節次に雲を招く。雲 想ふに、紹 成立するの人に非ざると。棄てて遂に北方に投ず。
後に知る、主公 袁紹の処に在ると。相投せんと欲するも、又 袁紹に怪まるを恐れ、四海に飄零し、容身の地無し。
因従りて此の処を過ぐるに、裴元紹 下山して吾が馬匹を奪ふ。雲 就ち之を殺し、此に借り身を安んず。今、張翼徳の古城に在るを知り、又 之に投ぜんと欲す。真実に非らざるを恐る。今、天幸 得て主公に遇ふ。正に昨夜の佳夢に応ずるなり」
玄徳 大喜し、尽く従前の事を訴ふ。
玄徳曰く、「吾 一見するに子龍なり。便ち留恋して捨てざるの情有り。誰ぞ想ふ、今日 相ひ遇ふを」
雲曰く、「雲 四方を奔りて主を尋ね之に事ふ。未だ真主有らず。今、皇叔に随ふ。大いに平生を称へば、肝脳 地に塗ゆると雖も、少しも恨み無し」

劉備の君臣がそろう

当日、就ち〈趙雲が〉山寨を焼毀し、人衆を率領し、尽く玄徳に随ひ、古城に前赴す。
張飛・糜竺・糜芳 聞知し、出郭して迎接す。各々相ひ拝訴す。
二夫人 出でて雲長の徳を言ふ。玄徳 感歎して尽きず。乃ち牛を殺し馬を宰し、大いに聚義の筵会を作す。
先に天地に拝謝し、遍く諸軍を労る。衆 皆 歓悦す。文武の仍旧 相ひ聚まり、又 子龍を添ふ。
玄徳 歓喜すること限り無し。連飲すること数日、以て兄弟の再見するの喜びを慶賀す。
後人 詩有りて曰く(はぶく)

古城 義を聚む。時に有り、玄徳・関張・趙雲・孫乾・簡雍・糜竺・糜芳・周倉・関平。馬歩・軍校 共に四五千人なり。
玄徳 商議し、古城を棄てて汝南を守らんと欲す。又 劉辟・龔都に値て、人を差はして来請す。玄徳 遂に起軍し、汝南に前赴す。札を住めて、軍を招き馬を買ふ。漸く自ら崢嶸たり。

袁紹が孫策と結びたい

却説 袁紹 玄徳の回らざるを見て大怒し、起兵して之を伐たんと欲す。郭図 諌めて曰く、
「不可なり。劉備 乃ち疥癬の疾なるのみ。曹操 乃ち是れ勍敵す。除かずんばある可からず。劉表 兵は精しく糧は足ると雖も、強しと為すに足らず。
江東の孫伯符 威は三江の地に振ひ、六郡を連ね、謀士に周瑜・張昭の輩有り、武将に程普・黄蓋の徒有り、糧を積みて五七年有り、甲兵 数十万有り。人をして結好せしめ、共に曹操を破る可し。南北 相ひ攻めば、唾手して得可し」

つぎに孫策が死ぬから、その前振りである。

紹 其の論に従ふ。
即時、書を修め、陳震を遣はして使と為し、孫策に来会せしむ。兵を合せ曹操を破らんとす。還りて是れ如何。141111

閉じる