読書 > 李卓吾本『三国演義』第29回の訓読

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第29回上_孫策 怒りて神仙を斬る

曹仁の娘を孫氏に嫁がす

先説 孫策 江東に霸たりてより、兵は精しく糧は足る。
建安四年の冬に因り、襲を為して廬江を取り、復た数郡を守る。黄祖を破り、劉勲を敗り、豫章太守の華歆降る。
後に声勢 大いに振ひ、遂に張紘を遣はして許昌に前往して上表せしむ。
表に曰く、「臣 黄祖を討ち、十二月八日を以て、祖の屯する所 沙羨県に到る。劉表 将を遣はして祖を助けしむ。並せて臣に来𧼈す。臣 十一日の平旦を以て、江夏太守の領する所を部す。行建威中郎将の周瑜 桂陽太守を領し、行征虜中郎将の呂範 零陵太守を領し、行蕩寇中郎将の程普、行奉業校尉の孫権、行先登校尉の韓当、行武鋒校尉の黄蓋ら、同時に俱に進み、身づから馬に跨がり……

孫策伝 注引『呉録』でした。はぶく。

此の表 乃ち黄祖を破るの始未なり。必ずしも重ねて説かず。

『三国演義』の著者が面倒くさいから、孫策の上表を通じて、語ってしまったという。


曹操 孫策の強盛たるを知り、乃ち歎じて曰く、
「獅児 与に爭鋒すること難し」
遂に曹仁の女を以て、孫策の小兄弟孫匡に配せしめ、是に由りて結親す。張紘を許昌に留む。
孫策 此の時 大司馬と為らんと欲するも、曹操 許さず。策 甚だ之を恨む。常に許都を襲ふの心有り。

許貢の残党が、孫策を襲う

呉郡太守の許貢 暗かに使を遣はして漢帝に上表す。其の表の、略々云はく、
「孫策の驍勇 項籍と相ひ似る。宜しく貴寵を加ふべし。以て京邑に還らしむ可し。若し詔を被りて還らざるを得ず。若し外に放てば、必ず世の患ひと作る。当に速やかに之を制すべし」
許貢 人をして渡江せしめ、江守の将の獲へる所となり、解赴す。策 表を観て大怒し、遂に許貢に説話す。策 之を責めて曰く、
「汝 吾を死地に送らんと欲す。何ぞや」
貢 答へて曰く、「貢 此の意無し」
策 表を出し之を示す。
貢 対ふる可き言無し。策 武士に命じて之を絞殺す。貢の家小 皆 逃散す。家客三人有り、許貢のために報讐せんと要す。其の便〈チャンス〉無きを恨む。

孫策 専ら遊獵を好む。一日 引軍して丹徒の西山中に会獵す。群鹿を赶起し、各々爭ひて赶射す。策 「五花馬」に騎り、急快に飛走す。山を上ること平地を登るが如し。
正赶の間、道傍 三人を見る。持鎗し帯弓し、竹篠の内に立つ。策 馬を勒して之に問ひて曰く、
「汝ら、何人や」
答へて曰く、「乃ち韓当の軍士なり。此に在りて鹿を射る」
策 方に轡を挙げて行く。一人 拈鎗し策の左腿を望みて便ち搠る。孫策 大喝すること一声、急に佩く所の剣を取り、就ち馬上に砍去す。剣 挙げ、忽ち墜ち、剣靶を手内に止む。一人 拈弓・撘箭し、射て孫策の面頰に中つ。策 就ち抜き、面を下げて箭を上ぐ。宝雕の弓を取り、回りて放箭の人を射る。弦に応じて二人を倒す。
鎗を挙げて孫策の身上に向け、乱搠し、大叫して曰く、
「我ら許貢の家客なり。特来、主人のために報讐す」
別に器械無く、馬上 弓を以て之を打つ。二人 死戦して退かず。

策 身に十数鎗を被り、馬 亦た傷を帯ぶ。正に危急の中、程普 数騎を引きて至り、許貢の家客たる三人を将て砍り、肉泥と為す。孫策の時に血流すること満面なるを看るに、此の傷 重に至る。刀を用て袍を割きて之を勒し、救ひて呉会に回り、養病す。

静軒 詩有りて曰く、
「孫郎の智勇 江湄に冠たり。射獵して、垓心 困危を受く。許客の三人 能く死戦す。身を殺すに、豫譲 未だ奇と為さず」

孫策が療養し、郭嘉に侮られる

華陀を尋ぬるに、時に巳に中原に往く。止まりて呉に有るは徒弟のみ。命じて以て治療せしめ、薬餌を敷貼す。医者 言ひて曰く、
箭頭上に薬毒を帯び、巳に骨に入る。将に一百日に息む可し。得て妄動する勿かれ。若し怒気 動激すれば、其の瘡 治り難し」

孫策は、ここで死んで良かったよね。于吉の話とか、マジで蛇足だし。


孫策の人と為り、平生 性急なり。恨みて、三日の無事に得ず。将に息むこと二十余日に到り、忽ち聞く、許昌より人の来る有るを。策 喚びて之に問ふ。来人曰く、
「操 反りて主公を懼怕す。長歎して曰く、『獅児 与に爭鋒し難し』と」
策 笑ひて曰く、「操の帳下の謀士 還りて皆 吾を懼るや、否や」
来人曰く、「惟だ郭嘉有り、主公に服さず」
策 声に応じて問ひて曰く、
「嘉 曽て何なる話説有りや」
来人 敢へて言はず。策 怒りて之を殺さんと欲す。来人 只だ得て実に従ひて告げて曰く、
「郭嘉 曹丞相に言説す。孫策 懼るるに足ず。軽にして備へ無し。百万の衆有ると雖も、安んぞ敢へて中原に横行するや。主公〈孫策〉を説きて、性急・少謀にして、乃ち匹夫の勇なるのみとす。倘し一剌客の起つ有らば、便ち強暴の鬼と為るのみ。他日、必ず小人の手に死せん」

まるまる当たっている。やはり、郭嘉の智謀を浮き上がらせるためにも、許貢の刺客によって死ぬべきだった。于吉とか、マジでいらん。

策 之を聴きて大怒して曰く、
「匹夫 安にか敢へて吾を料る。吾を射るは、必ず操の謀なり。吾 誓ふ、許昌を取りて、以て漢帝を迎へんことを。瘡を待たず、便ち出でて議事す可し」
張昭 諌めて曰く、
「医者 主公をして百日 動く休かれとす。何が故に、一時の忿に因りて、自ら千金の軀を軽ずるや
策曰く、「匹夫 我を料りて、吾 実に容し難し。中原を取りて以て英雄たるを彰らかにす」
昭曰く、「主公の瘡を待ちて、之を議す可し。未だ晩からず。

正話の間、忽値、袁紹の使命たる陳震 至る。言ふ、
「結びて外応と為らんと欲す。南北より曹を攻め、共に天下を分けん」
策の心 甚だ喜ぶ。城楼上に諸将を会集し、管待す。陳震 正に飲酒するの間、忽ち見る、諸将 互相に偶語すること紛紛たるを。楼を下り、策 恠して之に問ふ。左右 答へて曰く、
于神仙吉有り。今、楼下より過ぐ」

孫策が于吉をとがめる

諸将 皆 往きて之に拝す。策 起身し、欄観に凭れて、一道人を見る。身長は八尺、鬚髪は蒼白、面は桃花に似て、身は飛雲・鶴氅を披り、手に過頭藜杖を執り、当道上に立至す。
孫策の部下の諸将、下りて城中に至る。男女 皆 香を焚き道に伏せて、之に拝す。
策 大怒して曰く、
「此れ妖人なり。吾と与に擒へよ」
左右 告げて曰く、
「此の人 東方に寓居し、呉会に往来す。道院 城外に有り、毎夜 静坐す。日に則ち焚香・講道し、符水を普施して人を万病より救ふ。験有ざざる無し。当世 呼びて神仙と為す。乃ち江東の福神なり。当に之を致敬すべし」

策 怒りて曰く、
「汝ら、敢へて吾が令に違ふか」
便ち剣を掣せんと欲す。左右 巳むを得ず、走りて下楼す。吉を推して楼に上ぐ。策 之に叱りて曰く、
「狂夫 怎ぞ敢へて人心を扇惑するや」
于吉 答へて曰く、
「貧道は、瑯琊宮の崇詣闕の上師なり。順帝朝、曽て山中に入り、薬を採る。神書を曲陽泉の水上に得る。皆 白素にして朱書なり、号して曰く、『太平青領道』と。凡そ百余巻なり。皆 治人・疾病の方術なり。之を名づけて曰く、『禁呪科貧道』と。之を得て、惟だ務む、天に代はりて宜化し、普く万人を救ふ。未だ曽て、毫𨤲の物も取らず。安んぞ明公の軍心を扇惑するや』

もう、充分に怪しいけどなw 張角くさいし。

策曰く、「汝 毫𨤲も敢へて人より取らざれば、飲食・衣服 何こより得るや。汝 即ち黄巾賊の張角の徒ならん。今 誅せざれば、必ず国患と為る」
左右を叱りて之を斬らしむ。

張昭 諌めて曰く、「于道人 江東に在ること数十年、並せて過失無し。之を殺す可からず。民望を失なふを恐る」
策曰く、「此ら、山野の村夫なり。吾 宝剣を試す。何をか異なる、猪狗を屠ることと」
衆官 皆 諌む。策 未だ消命せざるを恨み、枷鎖し下獄す。之に囚り、衆官 皆 散ず。

孫策が于吉に雨乞いを試す

〈衆官は〉各々妻女をして入宮せしめ、呉国太夫人に告ぐ。夫人 孫策を喚び、後堂に入らしめて言ひて曰く、
「我 聞く。汝 于先生を将て縲絏に下すと。此の人 多く曽て、軍を助け福を招き、将士を医護す。之を殺す可からず」
策曰く、「此れ乃ち妖妄の人なり。能く妖術を以て衆の心を惑はす。遂に諸将をして復た君臣の礼を相ひ顧みざらしむ。尽く皆、楼を下りて之を拝す。賓を掌る者 呵禁するも止むること能はず。此らの人 張角と異なる無し。除かざる可からざるなり」
呉夫人 再三 之を勧む。策曰く、
「願はくは母親、女流の言を聴く勿れ。児 自ら区処有り」

策 出でて急ぎ獄吏を喚び、于吉を取りて出獄せしむ。獄吏 皆 牢中に敬仰す。尽く枷鎖を去り、之に事ふること父母の如し。
策 人をして之を看しめ、枷鎖を旋帯して出す。策 之に怒り、尽く獄吏を殺す。仍ち于吉を将ゐて扭手し、下牢す。
張昭ら数十人、名を連ねて状を作り、于吉を保てと乞ふ。
策曰く、「汝 皆 読書の人なり。何ぞ礼に達せざる。
昔日、南陽の張津 漢の交州剌史と為り、前聖の典訓を捨て、漢家の法律を廃て、常に絳帕褁頭を着け、瑟を鼓き香を焚き、邪俗の道書を読む。自ら以て出軍の威を助くと称す。後に南夷の殺す所と為る。此ら甚だ是れ無益なり。
諸君 自ら未だ悟らざるのみ。今 此子 巳に鬼録に在り。紙筆をして費やさしむ勿れ。吾 必ず之を斬る」
呂範 進みて曰く、
「某 素より先生の能く風を祈り雨を禱ることを知る。方今、天は旱たり。何ぞ祈雨して以て其の罪を贖はしめんや」
策曰く、「我 且に此の妖人を看る、若何」

衆 皆 之を保つ。
獄中より取出し、其の枷鎖を開き、甘雨を求めて以て万民を救はしむ。于吉 即ち沐浴して更衣し、衆将に辞して曰く、
「吾 三尺の甘雨を求めて以て万民を救ふ。吾 終に一死を免れざる」
諸将曰く、「若し霊験有れば、主公 必ず敬ふなり」
于吉曰く、「気数 此に至れり。之より逃ぐる能はずを恐る」

于吉 繩を取り自ら縛す。日中に曝さる。
策 人をして曰はしむ、「若し午時 雨無くんば、即ち此処に焚死す」
先に人をして乾柴を搬運せしめ、市に堆積す。
忽然、狂風 就ち起ち、百姓 看る者 何ぞ数万人に止まる、通衢を塡塞す。孫策 城楼の上より之を望む。風 起つ処、西北に雲 生ず。頃然、天心 四下より陰霧 漸合す。
候吏 報じて曰く、「午時三刻なり」
策曰く、「空に陰雲有るとも、甘雨無し。正に是れ妖人なり」
左右に叱りて于吉を将て柴棚に扛上せしめ、四下より挙火す。焔 風に随ひて起つ。

忽ち、黒烟一道有り、空中に冲上す。一声 响喨し、雷電 斉発す。空中 大いに雨ふること注ぐが如し。頃刻の間、街市 河を成す。溪澗 皆 満つ。
午時下より未時に到るまで、雨 三尺有り。
于吉 柴棚上に仰臥し、大唱すること一声、雲は收まり雨は住く。復た太陽を見る。衆官 親自ら于吉を将て、柴棚より扶け下ろす。繩索を解去し、便ち孫策に之を礼せと請ふ。
策 轎に乗り通衢に至り、衆官 皆 水中に羅拝して衣服を顧みざるを見る。
策 大怒して曰く、
雨 乃ち天地の定数なり。妖人 偶々其の便に遇ふのみ。吾が手下の人 皆 心腹の士なり。此れ禍の端と為るなり」
宝剣を掣りて、左右をして之を斬らしむ。衆官 力諫す。策曰く、「汝ら皆 于吉に随従して造反せんと欲するや」
衆 皆 黙然たり。
急きて手下の武士を叱り、一刀に斬頭し地に落つ。只だ見る、一道の青気 東北に投じて去るを。
策 怒り、于吉の屍を将て市に号令して、以て「妖妄の罪を正す」とす。
是の夜、風雨 交々作り、暁に及び、于吉の屍首を見ず。遂に孫策に報ずるに、策 怒りて、屍を守る軍士を殺さんと欲す。忽ち見る、堂前の陰雲中、于吉 足歩して来る。孫策 剣を取りて之を斬り、忽然 昏倒す。未だ知らず、性命を。如何且聴下回分解。141104

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第29回下_孫権 衆を領し江東に拠る

孫策の母が、信仰を説く

孫策 于吉を戸内に見て、剣を掣ちて于吉を砍らんと欲す。策 自ら地に倒る。衆人 救ひて臥房に入らしむ。昏迷して醒めず。
母の呉夫人 来りて疾を視る。須臾、〈孫策が〉甦醒して于吉の事を説く。
母曰く、「吾が児 神仙を屈殺して以て禍を招くに致る」
策 笑ひて曰く、「吾 十六七より父と出征し、人を殺すこと麻の如し。賢愚 多少を知らず。何ぞ曽て禍を為すの理有るや。

この合理的な発想は、孫策を応援したくなる。しかし、君主として、価値観の評価軸をすべて自分に置きたがったのは、やはり狭量という感じがする。

今、妖人を殺して以て大禍を絶つ。何ぞ懼るるに足るや」
母曰く、「汝の不信に因りて以て此の如きに致る。好事を作して以て之を禳る可し」
策曰く、「吾が命 天に在り。 妖人 豈に能く禍を為すや
母 親ら之を勧むとも、省みず。自ら左右をして暗かに善事を修めしめ、以て之を保たんとす。

是の夜の二更、策 房内に臥し、忽然、陰雲 驟起し、燈滅を将て復明す。燈影の下、于吉の床前に立つ見る。策 床頭に𠋣り、剣を仗りて之に擲ぐ。鏗然、声有り。
策 大喝して曰く、「吾 平生 誓ふ。妖妄を誅して、以て天下を靖んずと。汝 陰鬼と為り、何ぞ敢へて吾に近づくや」
言 畢はり、于吉、忽然と見えず。
其の母 之を聞き、転じて煩惱を生ず。

策 乃ち病を扶して強行し、以て母心を寛せんとす。母 孫策の日々漸く黄痩なるを見て、転じて齋醮を修設して以て之に禳るを求む。
策 聞知して乃ち、母に見ひて曰く、
「児 幼きより父に従ひて、四方に縦横す。未だ嘗て見ず、父の鬼神するを。

だから孫堅は、早死にしたんじゃないのw

母親 何が故に謟侫して以て之に事ふるや」
母曰く、「非なり。凡人 天地の間に生れ、誰か死せざるもの有る。但だ清濁を分かつのみ。其の清を禀する者は英魂なり、散ぜず天に升りて神と為る。其の濁を禀する者は幽魂なり、散ぜず地に入りて鬼と為る。

三国志のなかで、なんの話をするのかね。

聖人 尚ほ云ふ、『鬼神の徳たるや、其れ盛んなり』と。又 云ふ、『禱爾于上為下』と。神祗・鬼神の事、信ぜざる可からず。汝 神仙を屈壊す。豈に報応無きや。吾 巳に人をして郡の玉清観の内に設醮す。汝 親ら往きて謝罪す可し。自然、安ぜん」為

孫策が道観で于吉を見る

策 敢へて母の命に違はず、遂に上轎して観に至る。
道主 出迎ふ。策 心に不喜ばず、勉強めて観の内に入る。道士 策に香を焚くを請ふ。策 香を焚きて謝せず。
忽ち香爐の中に、烟 起ち、散ぜずして華蓋を結成す。華蓋の上、于吉を立つ。策 之を思ふこと急なり、殿宇を離れて廊廡を下り、行くこと数歩と到らず、又 于吉の面前に立つを見る。
策 従人の佩く所の剣を掣して、之を擲ぐ。一人 剣に中りて倒る。衆人 之を視るに、乃ち前日、手を下し于吉を殺す者なり。剣 脳に入り、七竅の内より鮮血を迸流して死す。
策 扛出して之を葬はしめ、比に及び観を出づ。

于吉 又 観門の前に当る。衆 皆 見へず。惟 策 之を見る。策曰く、
「此れ即ち妖人の所なり」

母に連れてきてもらったのにね。

観前に坐して、随ち武士五百人を喚び、其の観を折毀す。武士 屋に上り瓦を揭し、皆 地に墜つ。策 独り屋上に見る、于吉を立ちて手を用て之を推すを。策 転じて怒り、武士をして一斉に放火し、観宇を焼毀せしむ。火光の中、于吉を見る。瓦を飛して之に擲ぐ。

もう錯乱してるだけ。おもろいのか?これ。

策 急ぎ府に帰る。又 于吉を府前に見る。策 乃ち府に帰らず、三万の軍馬を點起して、城外に屯す。

大将1人がオバケに怯えて、大きな出費である。

野寨を扎し、夜宿す。中軍の帳令の武士 各々長戈・大斧を執り、遶帳して立つ。
是の夜、独り于吉を見て、髪を披ちて来る。策 帳前に叱喝し、暁に至る。j狂ふが如く、酔ふが似し。

次日、急ぎ城内に帰る。又 城門に于吉を見る。策 顧みずして府に帰る。母 親ら従者に因り、尽く其の事を白す。哭泣して巳まず。
是の夜、于吉を見る。策 数十番、眼 合はす能はず。天明に比及し、母 至りて見る、策の其の瘦弱を極むを。
母曰く、「児の形容 全く換はれり」
策「鏡を取りて之を照らしめよ」と。
其の形容を見る。
自ら覚り、驚を失す。左右を回顧して曰く、
「面色 此の如きか。当に何ぞ復た功を建て事を立つるや」

鏡を見てビビるのは、呂布と同じ。


忽ち于吉の立つを鏡中に見る。
策 鏡を拍ちて大叫すること一声、「妖人」と。
金瘡 迸裂し、昏絶して死せんとす。

孫策が遺言する

母 扶け入れて房内に臥せしむ。
須臾 策 醒めて金瘡の粉碎たるを見る。乃ち自ら歎じて曰く、
「吾 復た生くる能はず」
随即ち張昭らに請ひて、諸将 皆 入る。策 囑付して曰区、
「中国 方乱す。夫れ呉越の衆・三江の固をを以て、以て成敗を観るに足る。汝ら善く吾が弟を相けよ」
乃ち印綬を取り、弟の孫権を喚びて臥榻の邉に近づかしめて曰く、
「若し江東の衆を挙げて両陣の間に決機すれば、天下と爭衡すること、卿 我に如かず。賢を挙げ能を任じ、各々其の心を尽さしめ、以て江東を保つこと、我 卿に如かず。汝 宜しく父兄の剏業の艱難を想ひ、軽々しく易ふる勿れ」
権 拝して印綬を受く。
策 母に語りて曰く、「不孝なる男、天年 巳に尽き、慈母を奉ずる能はず。今、印綬を将て兄弟に付す。望む、母 朝暮に之を訓へよ。父兄・旧人 愼みて軽怠する勿れと」
母 乃ち嚎哭して曰く、「汝の弟 年幼にして、立事する能はざるを恐る。当に復た如何せん」
策曰く、「吾が弟 我に勝ること十倍す。江東 必然、無事なり。但だ内事 決せざれば、張昭に問ふ可し。外事 決せざれば、周瑜に問ふ可し。恨むらく、周瑜 左右に在らざう。話を囑付すること得ざるなり」
諸弟を喚びて曰く、「吾 死するの後、汝ら孫権の使する所を聴く可し。宗族の中、異心を生ずる者有れば、衆 皆 之を斬れ。骨肉 逆を為さば、祖墳に入るを得ず。遷して葬へ」
妻の橋氏を喚びて曰く、
「吾 汝と不幸にして中途に相ひ分る。早晩、汝の妹 入見して囑付す可し。周郎に説知せしめよ。意は、吾が弟を輔佐して負〈そむ〉く休きことに在りと。我 平生 堂に升りて母に拝す、通家の義なり」
策 文武を回顧みて曰く、「汝ら、善く吾が弟に事へよ。各々忠義の名を全うせよ」

このクドさは、孫策の無念さを意味しているのか。和解のに、よく喋るなあ。死んでも死にきれない、死にたくても死ねない、という無惨さを間接的に表しているのだw

再び孫権に語りて曰く、「汝 若し功臣に負〈そむ〉かば、吾が陰魂 九泉の下にあり、必ず相ひ見ざる」
言 囑し訖はりて時に亡す。年二十六歳なり。

史官 詩有りて賛して曰く(はぶく)) 曽子固の詩に曰く(はぶく) 又 題して『于吉を誅するの詩』に曰く(はぶく) 〈陳寿の〉賛に曰く、(はぶく)

張昭が孫権を立ち直らせる

孫策 既に亡し、権 哭して床前に倒る。
張昭曰く、「此れ将軍の哭する時に非ず。且に周公 立法し、伯禽 師あらず。父に違ふこと欲するに非ざれば、時に行ふことを得ざるなり。方今、天下 未だ定らず。休みて只管に哭せば大事を廃す。况んや今、姦宄 競ひ起ち、豺狼 道に満つ。乃ち親戚を哀しみ、礼制を顧るは、猶ほ開門して盗を揖すがごとし。未だ以て仁と為す可からず」
張昭 言ひ罷み、乃ち孫静をして喪儀の事を理会せしめ、即ち孫権の服を改易し、扶けて上馬せしめ、便ち出でて軍馬の大事を理論す。

権 生得より方頤・大口、碧眼・紫髯たり。昔 漢使の劉琬有り、呉に入りて孫家の昆仲を見て曰く、
「吾 徧に孫氏の兄弟を観る。各々才気は秀達たりと雖も、然るに皆 禄祚 終へず。惟だ孫仲謀 形貌は奇偉、骨体は非常、大貴の表有り。又 高寿を享く。衆〈孫策ら他の兄弟〉皆 及ばざるなり」と。

周瑜の登場

時に権 既に江東の大事を掌するも、尚ほ恍惚として、未だ安ぜず。人 中護軍の周瑜に報ず。自ら巳に兵を提げ、呉に回る。
権曰く、「公瑾 巳に回る。我 憂へ無し」
周瑜 巴丘を守禦するに、孫策の箭に中るを聴知す。此に因り、回来し、将に呉郡に至らんとし、策の亡するを聴得す。星夜、来奔す。喪に哭し霊柩の前に拝す。呉夫人 出でて遺囑の言を以て、尽く周瑜に告ぐ。
瑜曰く、「瑜 豈に敢へて托付の重任に当るや」
呉夫人曰く、「江東の事、全て公瑾に仗る。願はくは伯符の言を忘るること無かれ」
則ち孫権 族を挙げて荷戴す。
周瑜 地に拝伏して曰く、「敢へて犬馬の力を効はず、之を継ぐに、死を以てする」

権 入拝し瑜に謝して曰く、
「権 願ふ、先兄の言を忘れざるを。明公 訓誨せよ」
瑜 頓首して曰く、「願ふ、肝脳を以て地に塗るとも、以て相知の恩に報ゐんことを」
権曰く、「今、父兄の基業を承し、将た何なる策もて之を守るや」
瑜曰く、「方今、英雄 並起す。人を得る者 昌んたり、人を失ふ者、亡ぶ。須らく高明・遠見の士を得て、以て将軍を佐けしめよ。江東 自ら定まるなり」
権曰く、「亡兄 言有り。内事は張子布に委托せよ。外事は皆 公瑾を頼りて之を為せと
瑜曰く、「子布は賢達の士なり。将軍 師傅の礼を以て之を待す可し。瑜は駑鈍・不才なり。恐る、𠋣托の重きを負ふを。願はくは一人を薦めて、以て将軍を輔けしめん」

周瑜が、魯粛を連れてくる

権 問ふ、是れ誰ぞ。
瑜曰く、「此の人、胸に韜略を懐き、腹に機謀を隠す。生れて父を喪ひ、母を奉ること至孝。其の家 極めて富み、大いに資財を散じて、以て貧乏を済ふ。
瑜 居巣長と為りしの時、数百人を将ゐて経過し、糧食無きに因り、往きて稍の助を求む。其の家 両囷有り。糓米 各々三千斛あり。瑜の言に見ひ、即ち一囷を指して之を与ふ。平生 撃剣・騎射を好み、曲阿に寓居す。

孫策も曲阿にいた。劉繇が割拠した曲阿は、とても使い勝手が良いか、もしくは避難地として人士が集まっていたか。

祖母 亡し、東城に還りて葬る。
友人の劉子揚〈劉曄〉 数次 巣湖に往きて鄭宝の処に就けと請ふ。此の人 未だ去らず。将軍 速やかに之を召す可し」

乃ち臨淮の東城の人なり。姓は魯、名は粛、字は子敬なり。
権 便ち周瑜をして之に請はしむ。瑜 命を奉り親ら粛に往きて接着す。共に坐す。粛 其の故〈鄭宝でなく孫権に従うべき理由〉を問ふ。
瑜 孫権が相ひ待するの意を将て之を白す。粛曰く、
「劉子揚 曽て吾を召して巣湖に往かしむ。吾 之に就かんと欲す」
瑜曰く、「昔、馬援 光武に答へて云ふ、『当今の世、但だ君の臣を擇ぶのみに非ず、臣も亦た居を擇ぶ』と。今、吾が主人の孫将軍 賢に親しみ士を貴び、奇を納れ異を録る。

奇異な魯粛さんには、ぴったりじゃないか。

且つ吾 聞く。先哲 秘かに論ず、天運を承けて劉氏に代はる者は必ず東南に興ると。事勢を推歩するに、其の暦数に当り、終に帝業を成して、以て天心に協ふは、是れ烈士なり。龍に攀り鳳に附し、馳騖の秋、吾 方にに此に達す。足下、須らく子揚の言を以て意に介するべからず」

すげえ雄弁な周瑜。口説かれる魯粛もいい。

粛 其の言に従ふ。
遂に周瑜と同に、孫権に来見す。
権 甚だ之を敬し、之と与に談論すること終日、倦まず。

魯粛が戦略を語る

一日、衆人 皆 散ず。権 留まりて魯粛と共に飲す。同榻・抵足して臥す。夜半に至り、権 粛に問ひて曰く、
「方今、漢室は傾危し、四方は雲擾す。孤 父兄の余業を承け、桓文の政を立てんと思ふ。君 既に恵顧す。何を以て之を佐くや」

粛 答へて曰く、「昔、漢高祖 区区として義帝に尊事せんと欲するとも、獲ざるは、項羽の害を為すを以てなり。今の曹操 項羽に比す可きなり。

孫権が後漢を復興する意思があっても、曹操が妨げて、ブツリテキにムリだから、諦めよと。

将軍 何に由りて得て桓文と為るや。
粛 切りに之を料るに、漢室 業を復す可からず。曹操 卒かに除く可らず。将軍の為に計るに、惟だ江東に鼎足する有りて以て天下の釁を観よ。規模 此の如くんば、亦 自ら嫌ふこと無し。
何となれば、北方 誠に務め多きなり。其の務め多き〈袁紹と曹操が戦って手間どっている期間〉に因り、黄祖を勦除し、劉表を進伐し、竟に長江 極むる所、拠して之を守れ。
然る後、帝王を建号して以て天下を図れ。此れ高帝の業なり」

権曰く、「今、力を尽くして一に方に冀ふは、以て漢を輔くるのみ。此の言 及ぶ所に非ざるなり」
粛曰く、「古に云ふ、『人 皆 以て尭舜と為る可し。但だ恐る、将軍の為ることを肯ぜざるを」
権 大喜して、衣を披け起ちて謝して曰く、
「深く教誨を承けり。願ふ、共に富貴を享けよ」
此より権 大喜して、魯粛の老母に衣服・幃帳を賜ひ、居る処に用を受く。

魯粛が、諸葛瑾を連れてくる

昔時、周瑜 魯粛を薦む。粛 乃ち一人を薦め、孫権を其人に見はしむ。
漢末に因り、乱を江東に避く。『毛詩』を治め、『尚書』に通じ、『左氏春秋』に明るし。母に事ふること至孝なり。瑯琊の南陽の人なり。覆姓は諸葛、名は瑾、字は子瑜なり。権 甚だ之を敬ひ、拝して上賓と為さしむ。
瑾 権に勧む、「袁紹と通ずる勿れ、且つ曹操に順へ。後に却りて之を図れ〈曹操を倒せ〉」と。
権 諸葛瑾の言を聴く。陳震を〈袁紹に〉遣はして以て書を回し、之を絶つ。

曹操 孫策の巳に死するを知り、起兵して江南に下るを計議す。侍御史の張紘 諫めて曰く、
「人の喪に乗じて之を伐てば、既に古義に非ず。若し其れ克たざれば、讐を成し好を棄つ。如かず、因りて之を厚するに」
曹操 其の言に従ひ、即ち孫権を封じて討虜将軍と為し、会稽太守を領せしむ。就ち張紘に委ねて会稽都尉と為し、印を賫はりて江東に往かしむ。
孫権 大喜して又 張紘を得て呉に回し、張昭と与に政事を同理せしむ。
既に会稽を領するも、人の管事するに欠く。張紘 乃ち一人を薦む。合淝長なり、此の人 上虞に居る。乃ち呉郡の呉の人なり、姓は顧、名は雍、字は元嘆なり。漢の中郎将の蔡伯 喈〈蔡邕〉の徒弟なり。其の人 言語を少なく、飲酒せず、厳厲・正大たり。権 雍を以て丞行太守事と為す。
自ら孫権 江東を威震し、乃ち深く民心を得る。

却説 陳震 回りて袁紹に見へ、説くらく、
「孫策 巳に亡し、孫権 衆を領して、曹操 封じて討虜将軍と為し、結びて外応と為す」と。

孫策が死ぬ第29回から、官渡の第30回への繋ぎを演じるのが、陳震であった。正史にもいた?

袁紹 大怒して、遂に冀青幽并らの処の人馬五十余万を起こし、復て来りて許昌を取り曹操と戦ふ。未だ知らず、勝負 如何なるを。141104

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