読書 > 李卓吾本『三国演義』第31回の訓読

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第31回上_曹操 倉亭に袁紹を破る

袁紹が田豊を殺す

却説 沮授 曹操に執らわれ、上賓を以て待す。授 但だ死を求め、義 屈するを肯ぜず。軍中に放ち、馬を盗みて帰らんと欲す。操 後患と為るを恐れ、之を殺して、後に甚だ悔ゆ。親自ら祭を設け、遂に墳を黄河の渡口に建て、碑を立てて曰く、
「忠烈 沮君の墓」
操 袁紹の敗に乗じ、軍馬を整頓し、迤𨓦 追襲す。冀州の城邑 操の袁紹を大破するを聞き、尽く皆 肝裂し、軍前に詣でて投降す。操 皆 之を撫慰す。

却説 袁紹 幅中に単衣にて八百余騎を引き、黎陽の北岸に至る。大将の蒋義渠有り、寨を出でて迎接す。紹 心腹の事を以て、尽く義渠に訴ふ。義渠 乃ち離散の衆を招諭す。衆 紹 在りと聞き、又 皆 蟻聚す。軍威 復た振ふ。
冀州に還るを議す。軍行の次、夜 荒山に宿す。
紹、夜 哭声を聞き、遂に私かに往きて之を聴く。軍 皆 訴説す、兄を喪ひ弟を失ふと。伴を亡ひ親を去ふ者 計数す可からず。都な搥胸して哭きて曰く、
若し田豊の言を聴かば、我ら怎ぞ此の苦に遭ふや」と。
紹 大いに悔いて曰く、
「吾 田豊の言を聴かず、兵は敗れ、将は亡す。吾 今〈冀州に〉回るに、何の面目有りて田豊に見ふや」
次日、上馬して正行するの間、逢紀 軍を引きて来接す。紹 逢紀に対して曰く、
「吾 田豊の言を聴かず、此の敗有るに致る。吾 今 帰りて此の人に見ふことを羞づ」
逢紀曰く、「豊 獄中に在り、主公の兵 敗るるを聞き、撫掌し大笑して曰く、『果して吾が料を出でざるなり』と」
紹 大怒して曰く、「竪儒 怎ぞ敢へて吾を笑ふや。吾 必ず之を殺す」
逢紀 又 曰く、「田豊 常に獄卒に対して曰く、『袁本初 再び我を求むる時、吾 却りて謀を用ゐず』と」

李卓吾はいう。小人が人をそしるのは、いつもこんなふう。


却説 田豊 獄中に在り。獄吏曰く、
「別駕に万全の喜を賀す」
豊曰「何をか喜び賀す可き」
獄吏曰く、「袁将軍の全師 大敗して回る。想ふに、必ず君を重ず」
豊 笑ひて曰く、「吾、今日 死す」 獄吏 問ひて曰く、「人 皆 君の為に喜ぶ。君 何ぞ死すると言ふや」
豊曰く、「袁将軍 外は寬たるとも内は忌なり。忠誠を念ぜず。若し勝てば喜び、猶ほ能く之を赦す。今 戦は敗るれば則ち羞づ。吾 生くるを望まず」
獄吏 未だ信ぜず。
忽ち使者 剣を賜ひて至り、田豊の首を取らんとす。獄吏 方に驚く。乃ち酒食を豊に具へて曰く、
「吾 必ず死するを知る。願はくは利刃を借りん」
獄吏 皆 忍びず、衆人 流涙す。豊曰く、
「大丈夫 天地の間に生き、其の主を識らずして之に事ふるは、是れ無智なり。嫌疑を識らずして之に進むは、是れ不明なり。今日 死を受く、夫れ何ぞ惜みに足る」
乃ち獄中に自刎す。

後に史官 詩有りて曰く、
「鉅鹿の田元皓 天姿は邁等倫。周朝 入士に斉しく、殷室 三仁に配す。袁紹を直諌し、忠心 兆民を救ふ。堪嗟、牢内に死す。黄土 麒麟を蓋ふ」
又 詩有りて袁紹を歎じて云く、
「昨朝、沮授 軍中に失ふ。今日、田豊 獄内に亡す。河北の棟梁 皆 折断す。本初 焉ぞ家邦を喪はざる」 孫盛曰く(袁紹伝の裴注、はぶく)
田豊 獄中に死し、知る者 皆 哭す。

袁紹の後継者が集まる

袁紹 冀州に回り、心は煩ひ意は乱れ、政事を理せず。
其の妻の劉氏 後嗣を立てて共に君権を掌るを勧む。紹 生む所 三子、一甥なり。長子の袁譚、字は顕思、出でて青州を守す。次子の袁熈、字は顕奕、出でて幽州を守る。三子の袁尚、字は顕甫、是れ紹の後妻たる劉氏の所生なり。甥の高幹 出でて并州を守る。
袁尚 生得 形貌は俊偉たり、紹 甚だ之を愛す。劉氏 常に紹の前にて尚の才徳有るを称讃す。紹 故に身辺に留む。官渡に兵敗するの後自り、譚 再び青州に往き起兵す。熈・幹 皆〈冀州に〉在らず。劉氏 紹に尚を立てて後嗣と為し、軍馬を掌せしめよと勧む。

後継のやっかいごとが、ぜんぶ劉氏のせいに単純化されている。分かりやすくて、これはアリだな。

当初、審配・逢紀 袁尚に輔佐を為す。辛評・郭図 袁譚に輔佐を為す。四人 各々其の主の為に、常に不足の心有り。

時に当り、袁紹 審・逢・郭・辛の四人と商議して曰く、
「今、吾が命 弱し。吾 其の後を立て、河北の主と為す。長子の譚の人となり、性は剛にして殺を好む。聦明たると雖然も、事 躁暴多し。二子の熈 柔懦にして成し難し。三子の尚 英雄の表有り。賢を礼し士を敬ふ。吾 之を立てんと欲す。汝の意は如何」
郭図 進みて曰く、
「昔日、沮授 曽て主公を諌めて言ふ、猶ほ耳に在り。授 言有りて曰く、『世に称す、万人争ひて一兎を逐ひ、一人 之を獲る。貪る者 遂に止み、分定する故なり』と。
譚 其の長為り。今、外に居り、此れ乱の萌為り。自古、長を遷して幼を立つれば、家邦は定まらず。嫡を廃し庶を立つれは、天下 安ぜず。
今、軍勢 稍々挫く。曹操 境を圧し、又 譚・尚をして之を争はしめば、乃ち自ら乱を取るの道なり。主公 且に拒敵の策を理会せよ。家をして乱れしむ勿れ」
袁紹 決せず。人 報ず、
「袁熈 幽州自り、兵六万を引き、前来して助戦す。高幹 兵五万を引き、并州自り来る。袁譚 兵五万を引き、青州自り来る」

当事者が集まってきてしまったw

紹 喜び、再び冀州の人馬を整へ、曹操と来戦す。

曹操に天命がある星

此の時、操 得勝の兵を引き、河上に陳列す。土人の簞食壼槳する有り、以て王師を迎ふ。操 父老に見ふ。数人 鬚髪は尽く白し。皆 地に拝す。操 帳中に入れと請ひ、坐を賜ひて之を問ひて曰く、
「老丈 多少の年紀なるや」
答曰へて皆く、「百歳に近し」
操曰く、「吾が軍士 汝郷に驚擾す。何ぞ之を喜ぶ有るや」
父老曰く、「桓帝の時、黄星有り、楚宋の分に見はる。彼 遼東の殷馗なり、善く天文を暁し、夜に此の対に宿す。老漢ら言はく、黄星 乾象に見はれ、正に此の間を照す。後に五十年、当に真人の梁沛の間に起こる有るべし。其の鋒 当たる可ならず、天下 無敵なり。今 年を以て紀す。
整整たること五十年。袁本初 重ねて民を歛し、民 皆 怨を生す。丞相 仁義の兵を興し、民を弔ひ、代はりに〈袁紹を〉罪す。官渡の一戦 袁紹が百万の衆を破る。正に応じて時は殷馗の言に当る。兆民 太平を望む可し」

操 笑ひて曰く、「老丈の言ふ所の如くんば、何ぞ以て之に当らん」
酒食を取り、絹帛 以て老人に賜ふ。三軍に号令し、如し下郷に人家の鶏犬を殺す者有れば、殺人の罪の如しとす。是に于て軍民 震服す。
操 亦 心中に暗かに喜ぶ。

倉亭の戦い

人 報ず、袁紹 四州の兵を聚め、二三十万を得て、前みて倉亭に至りて下寨すと。
操 兵を提げて前進し、下寨し、巳に定む。
次日、紹 戦書を下す。操 批回し、日に決戦を下す。回りて〈戦おうという返事を〉紹に見しむ。
両軍 擂皷し、各々披掛し上馬して、陣勢を布成す。操 諸将を引き、出陣し、紹を喚びて答話す。

紹 三子一甥・文官・武将を引き、両辺に擺す。
操曰く、「計は窮まり、力は尽くとも、投降を思はず、直だ刀の項上に臨むを待ち、恐悔すること及ばず」
紹 大怒して衆将に回顧して曰く、
「誰か敢へて出馬する」
袁尚 父の前に耀武・揚威せんと欲し、便ち双刀を舞はせ飛馬・出陣し、来往・奔馳す。
操 指して曰く、
「此れ何なる人や」
識る者 答へて曰く、
「此れ袁紹が三子、袁尚なり」
言 猶ほ未だ畢らざるに、一将 挺鎗し、早出す。操 之を視るに、乃ち徐晃の部将たる史渙なり。両騎 相交すること三合とせず、尚 馬を撥回して刺斜して走ぐ。
史渙 赶来す。袁尚 拈弓・搭箭し、翻身し背射し、史渙の左目に正中し、墜馬して死しむ。

袁紹 子の得勝を見て、鞭を揮ひて大隊を一指す。人馬 将を擁して過来し、混戦す。午従り酉に至るまで、各々軍校を折し、日暮、分開す。鳴金し收軍す。

程昱の十面埋伏

寨に還り、操 衆将と商議す、袁紹を破る必勝の策を。程昱 十面埋伏の計を献じ、袁紹を擒とす可きとす。
「〈十面埋伏とは〉操をして河上に退軍せしむ。先に軍十隊をして之に伏せしむ。紹 若し河上に追至すれば、軍 必ず死戦す」と。
操 其の計を然りとす。
左右 各々五隊に分く。左一隊は夏侯惇、左二隊は張遼、左三隊は李典、左四隊は楽進、左五隊は夏侯淵なり。右一隊は曹洪、右二隊は張郃、右三隊は徐晃、右四隊は于禁、右五隊は高覧なり。中軍は許褚 先鋒と為る。
次日、十隊 先に進み、埋伏す。左右 巳に定まり、操 半夜を待ち、許褚をして引兵して前進せしめ、偽りて刼寨の勢を作さしむ。
袁紹が五寨の軍馬 一斉に俱に起つ。許褚 回軍し、便ち走ぐ。袁紹 引軍して赶来す。喊声 絶へず。滅明に、比及し、河上に赶至す。
曹操の軍 去路無し。操 大呼して曰く、
「吾 亦 此に在り。諸軍 何ぞ死戦せざる」
急ぎ回身し、奮力す。向前 許褚 飛馬し、先に当り十数将を力斬す。衆 皆 大乱す。
袁紹 退軍し、急ぎ背後に回る。曹軍 赶来す。正行の間、一声 鼓響す。左辺の夏侯淵、右辺の高覧、両軍 衝出し、一陣を悪殺す。袁紹 三子一甥を聚め、血路を死衝し、奔走す。
又 行くこと十里に不到らず、左辺の楽進、右辺の于禁、肋下より一陣を殺出す。紹軍を殺得し、屍は横たはり野に遍ねく、、血は流れて渠を成す。
又 行くこと数里に到らず、左辺の李典、右辺の徐晃、両軍 一陣に截殺して殺得す。袁紹の父子 肝は喪し心は驚き、旧寨に奔入す。三軍をして造飯せしめ、方に待食せんと欲するに、左辺の張遼、右辺の張郃、透寨して入る。紹 慌てて上馬し、倉亭に前奔す。人は困し馬は乏し、待歇息せんと欲するに、後面より曹操の大軍 赶来す。袁紹 命を捨てて走ぐ。
正行の間、前面に両軍 擺開す。乃ち、曹氏の宗族、魏家の枝葉たる、右壁廂の曹洪、左壁廂の夏侯惇なり。去路に当住す。

紹 大呼して曰く、「若し死戦を決せずんば、必ず擒ふる所と為る」
奮力し衝突し、重囲を脱するを得たり。
袁熈・高幹 皆 箭傷を被く。

紹 連夜 走ぐること百余里。方に脱す。随ふ所の馬歩・人衆、約有万余、大半は各自 潰散す。少半 皆 殺戮せらる。
紹 三子を抱へて痛哭すること一塲。覚えず、昏倒す。衆人 急ぎ紹を救ふ。口に鮮血を吐き、止まず。紹曰く、
「吾 自ら歴戦すること数十塲、未だ官渡・倉亭の失に若かず。乃ち天 吾を喪すなり。操 必ず来り汝らを追ふ。各々本州に回り、曹賊と雌雄を一決すると誓へ」

悲壮だ。ちょっと感動した。

譚曰く、「青州 兵糧は極めて多し。児 去きて再び整頓を為さんと欲す」
辛評・郭図を引きて、火急に袁譚に随ひ前に去かしめ、理会〈戦闘の準備〉す。曹操の犯境を恐れ、袁熈をして再び幽州に回り、高幹をして再び并州に回せしむ。各々去き、人馬を收拾し、以て調用に備ふ。
袁紹 袁尚らを引きて冀州に入り、病を養ふ。尚をして審配・逢紀と与に、暫く軍士を領せしむ。城中 糧草を広積し、曹操の兵 来るに准備す。

曹操が冀州の実りを待つ

却説 曹操 倉亭に大勝して自り、重ねて三軍を賞し、冀州の虚実を探察す。
然る後、進取して、細作 探知す。回報すらく、
「紹 叶病して床に在り。袁尚・審配 城池を緊守す。袁譚・袁熈・高幹 皆 本州に回る
衆 皆 操に勧む、「急ぎ之を攻む可し」と。
操曰く、「冀州の糧食、極めて広し。

袁術のときも、さんざん勝ったあと、なお同じ言葉で袁術を警戒していた。袁氏は、地理に恵まれてる。

審配 又 機謀有り。急ぎても未だ抜く可らず。見るに、今 禾は田に稼る。功 又 成らず、民業を枉廃しては。秋成を姑待し、之を取りても、未だ晩からず」
衆曰く、「若し其の民を恤れまば、必ず大事を悮る」
操日く、「民 邦の本本為り。固より邦 寧せ。若し其の民を廃し、縦ままに空城を得ても、何ぞ用ゐること有る

正に持疑して未だ決せざるの間、忽ち報ず、
「劉備 汝南に在り、劉辟・龔都の数万の衆を得る。〈劉備が〉丞相 尽く軍馬を提げ、河北より出でて征すと聴知し、見今、劉辟をして汝南を守らしめ、劉備 虚に乗じて引軍し、許昌に来攻するなり」
少刻、荀彧の書 到り、亦た此の事を言ふ。
曹洪を留めて河上に屯兵して虚に声勢を張らしむ。操 自ら大兵を提げ、汝南を望て劉備を来迎す。未だ知らず、勝負 如何なるを。且聴下回分解。141102

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第31回下_劉玄徳 荊州に敗走す

曹操と劉備がまた戦う

曹操の兵 冀州の境界に至り、歎じて曰く、
「吾 義兵を起し、天下の為に暴乱を除く。旧郷の人民 死喪し、略ぼ尽く。終日、識る所に見はず。吾をして感傷せしむ。况んや禾稼 田に在るの時、擾動す可からず。権りに且に兵を罷めよ。
正に荀或の書 到るに値る。説くらく、
「劉備 許を攻めんと欲す。速やかに軍を回し、之を迎ふ可し」
操 曹洪を留めて河上に屯兵せしめ、遂に勒兵して東に向ふ。

劉玄徳 曹操の兵 来るを探知す。穰山の五十里に近づき下寨し、軍を三隊に分く。雲長 東南角上に屯兵す。張飛 西南角上に屯兵す。正南の寨中、玄徳・趙雲あり。
人 報ず、曹操の兵 至ると。玄徳 鼓譟して出づ。操 陣勢を布成し、玄徳を叫び、打話す。玄徳 門旗下に出馬す。操 鞭を以て指して罵りて曰く、
「吾 汝を待して上賓と為す。汝 何ぞ義に背き恩を忘るや」
玄徳 大怒して曰く、「汝 名を漢相たるに托し、実は国賊為り。吾 乃ち漢室の宗親なり、故に反賊を討つのみ」

『三国演義』ですらなお、曹操のほうが説得力があるんだけど。

操曰く、「吾 天子の明詔を奉り、四方に降を招き逆を討つ。汝 敢へて乱言するや」
玄徳曰く「汝の詔 乃ち虚誑の言なり。吾 天子の密詔 此に有り」
操曰く、「汝 託言する休れ」
玄徳 遂に衣帯する詔を誦す。

操 大怒し、許褚をして出馬せしむ。玄徳 背後の一将 挺鎗して出馬す。乃ち常山の趙子龍なり。操 指して言ひて曰く、
「此の賊、昔日 吾が寨を偸過するの人」
許褚・趙雲の二将 相交すること三十合、勝負を分けず。

忽然、東南角上、喊声 大震す。雲長 引軍し衝突して来る。操 分兵して之を欲へんと欲するに、西南角上、喊声 大挙す。張飛 引軍し衝突して来る。三処 一斉に掩殺す。

直前の十面埋伏を思わせる。劉備が勝つのかと、一瞬だけ期待してしまう。

操の軍 遠来し、疲困す。抵当する能はず、大敗して走ぐ。玄徳 領軍して追ふこと二十里、方に回る。

玄徳 得勝し、一陣を大殺す。心中 甚だ喜ぶ。人をして操兵を探聴するに、五六十里を退くと。玄徳 衆人に言ひて曰く、
「意はず、今番、操の鋭気を挫動す」
雲長曰く、「未だ軽視す可らず。操の奸計 極めて多し。恐る、必ず計有るを」
玄徳曰く、「此に退けば、即ち戦に怯むなり」

勝ってるなら、突っこんでしまえと。

玄徳 趙雲をして搦戦せしむ。

操の兵 旬日、出でず。玄徳 又 張飛をして搦戦せしむ。操の兵 亦 出でず。玄徳 癒々疑ふ。
忽ち報ず、龔都 運糧するに、曹軍に囲住せらるに至る。玄徳 急ぎ張飛をして去救せしむ。流星馬 又 報ず、張遼 引軍し、背後を抄して汝南を逕取すと。
玄徳曰く、「雲長の料る所、是なり。此の間、吾が兵を滯住するは、必ず張遼をして吾家の基業を攻取するためなり。宜しく速やかに老小を救ひ、急ぎ雲長を遣はして之を救はしむ可し」

両軍 皆 去く。半日となく、玄徳に速報して曰く、
「張遼 汝南を打破し、劉辟 城を棄てて走ぐ。雲長 亦 囲住せらる」と。
玄徳 大驚す。又 報ず、張飛 龔都を去救するや、被囲せられて住まると。玄徳 起せんと要するに、猶ほ操兵に後襲せらるを恐る。
小卒、来報す。許褚 搦戦すと。趙雲 出でんと欲す。
玄徳曰く、「出づ可からず。敵 存下、気力あり。今夜、寨を棄て、穰山を望みて走ぐ」と。
子龍 拒住して出でず、天晩に至るを候つ。軍士をして飽食せしめ、歩軍 先に出し、馬軍 後に随ふ。寨中 虚伝し、更めて點すと。

曹操が劉備の退路に待ち伏せる

玄徳ら 寨を離れて約行すること数里、転じて土山を過ぐ。火把斉明、山頭上より大呼して曰く、「劉備を走がす休れ。丞相 此に在り。専ら等つ」と。四面の火鼓 喧天し、山上の曹操 自ら劉備に呼ぶ、「快く降れ」と。
玄徳 慌てて走路を尋ぬ。
趙雲曰く、「主公 憂ふ勿れ。但だ臣と来れ」
趙雲 挺鎗・躍馬し、走路を殺開す。
玄徳 双股の剣を掣し、後に随ふ。鏖戦するの間、張遼 忽ち至り、趙雲と相戦す。背後に于禁 赶到す。玄徳 助戦す。肋落中、李典 又 到る。玄徳 勢の危落たるを見て、荒てて便ち走ぐ。背後に喊声を聴得すること、漸く遠し。
玄徳 深山を望み、僻路 単馬 逃生し、天明に捱到す。

側首、一彪の軍 撞出す。玄徳 大驚するに、乃ち劉辟の敗軍千余騎なり。玄徳の老小を護送し、皆 到る。劉辟 孫乾・簡雍・糜芳を引き、亦 至る。
玄徳 之に問ふ。皆曰く、
「張遼の軍 至り、勢は当る可からず。此に因り、城を棄てて走ぐ。遼の 兵 赶来す。幸に雲長を得て、背後に当住す。此に因り、脱るるを得たり」

劉辟より、関羽のほうが大事じゃない?

玄徳曰く、「二弟の雲長 皆 如何なるを知らざるや」
劉辟曰く、「将軍 且に行かんとし、却りて又 尋覔す」

行くこと数里に到り、一棒の鼓 響くあり、前面に一彪の人馬 擁出し、当先す。大将 乃ち張郃、大叫す。
「劉備 下馬して降を受けよ」 玄徳 方に退後せんと欲し、只だ見る、山頭上に紅旗 磨動するを。背後の一軍 山塢の内従り擁出す。乃ち高覧なり。
玄徳 両頭 路無く、仰天し大呼して曰く、
「天 何ぞ我をして此の窘極を受けしむ。功名 成らざれば、如かず死に就くに」

お前の兵法が拙いから、こうなったんだろ。

抜剣して自刎せんと欲す。劉辟 急ぎ止めて曰く、
「容せ、某 死戦して路を奪ひ、君を救ふ」
辟 便ち陣後に来り、高覧と交鋒して戦ふこと三合となく、高覧の一刀もて馬下に砍らる。玄徳 正に慌て、方に自ら高覧と戦はんと欲するに、後軍 忽然、大乱す。

一将 陣を衝きて来る。鎗の起こる処、高覧 身を翻し落馬す。高覧を刺す者、乃ち子龍なり。
玄徳 大喜す。子龍 縦馬し挺鎗し、後隊を殺散す。又 前軍来れば、独り張郃と戦ふ。郃 子龍と戦ふこと十余合、気力 加へず、撥馬して便ち走ぐ。
子龍 勢にじて張郃に衝殺す。郃 又 子龍と戦はんと欲す。郃の兵 山の隘路に守住して窄して出るを得ざるを見て、正に路を奪ふの間、只だ見る、雲長・関平・周倉 三百の軍を引きて到し、両下 夾攻し殺退す。張郃 隘口を救出し、山険を占住し、下寨す。
玄徳 雲長をして尋覔し、張飛を北して及去して龔都を救はしむ。龔都 巳に夏侯淵に殺さる。飛 龔都のために報讐し、夏侯淵を殺散す。迤𨓦、赶去す。楽進・徐晃に欄住せられ、雲長 路に敗軍と逢ふ。踪を尋ねて殺退す。楽進・徐晃 飛と同に玄徳に回見す。

ドタバタすぎて分からん。

人 報ず、曹軍の大隊 赶来す。
玄徳 孫乾らをして老小を保護して先行せしむ。玄徳 関張・子龍と与に後に在り。且つ戦ひ、且つ走ぐ。操 寨を棄てて遠に去くを見て、收軍して赶〈お〉はず。

劉備がやさぐれる

玄徳 総して一千も無く、軍 路を取りて走ぐ。前みて一江に至る。土人を喚びて之を問ふに、乃ち漢江なり。
土人 是を玄徳と知り、羊酒を奉献し、乃ち沙灘の上に聚飲す。玄徳 酒酣し、乃ち悲を発して曰く、
諸君 皆 王佐の才有り。不幸にして劉備に随ふ。備の命 窘累たり、諸君に及ぶ。今日、上は片瓦の頂を蓋ふ無く、下は置錐の地無し。誠に恐る、諸公を悮らしむる有るを。公ら、何ぞ備を棄てて明主に投じ、共に功名・富貴を取らざる

悩んでぶっこわれる劉備は、『蒼天航路』の専売ではない。

衆 皆 面を掩ひて哭く。
静軒先生 史を読み、此に至りて心に感ずる有り、遂に詩を作り、慨歎して曰く、
「強暴は横行し、仁義は殃す。老天 何事か分を欠き功名を張る。未だ遂に英雄 困して此に到る。何ぞ断腸を為さず」

先生、つまらんよw>


関羽が落ち目の劉備を励ます

雲長曰く、「兄の言 差れり。某 昔 聞く、高祖 項羽と共に天下を同争し、羽に数敗する後、九里山の一戦、功を成して四百年の基業を開く。某ら 兄と黄巾を破りて自り以来、今 二十年に近し。或いは勝ち或いは負れ、其の志 癒々堅し。何が故に今日、忽ち変異を生ず。兄 志を墮す勿れ。天下の笑を惹かん」
玄徳曰く、「吾 聞く。主 貴ければ則ち、臣 栄たり。吾 履足の地すら無し。恐る、公らに負くを」
孫乾曰く、「使君の言、未だ然らず。且に人の成敗 時に有り。志を喪ふ可からず。此より荊州 遠からず。劉景升 乃ち当世の英雄なり。坐して九州を鎮め、兵甲 数十万、糧草 山の如く積む。更めて且に公と与に皆 漢室の宗親なり。何ぞ往きて之に投ぜざる」
玄徳曰く、「但だ恐るのみ、容れざるを」
乾曰く、「景升 漢江の地に拠り、東は呉会に連なり、通は巴蜀に西じ、南は海隅に近く、北は漢沔に接す。君 不容を恐るれば、乾 願はくは景升に一往せん。必ず境を出でて、主公を迎ふなり」
玄徳 大喜し、便ち孫乾を差はし、先に荊州に往しむ。

孫乾が劉表に交渉する

郡に到りて入見し、礼 畢はる。劉表 問ひて曰く、
「汝 玄徳に従ふに、何ぞ此に至るや」
乾曰く、「劉使君 明公と与に皆 漢室の胄なり。天下 共に知る。今 使君 力を極めて社稷を扶持せんと欲す。但だ恨む、兵は微なく将は寡なきを。汝南の劉辟・龔都 素より親無し。故に亦 死を以て之に報ず。使君 新たに敗れ、江東に往き、孫仲謀に投せんと欲す。
乾 僣かに言ひて曰く、『安にか親しきに背きて踈きに向かふ可きや。荊州の劉将軍 当世の英雄なり。士の帰向するや、水の投東するが如し。何ぞ况んや同宗をや』と。
此に因り、未だ敢へて擅ままにせず、便ち先に乾に命じて、拝白して以て進見の階を為さしむ」

表 大喜して曰く、「玄徳 吾が弟なり。久しく相ひ会はんと欲するとも得可からず。吾 坐して九州を鎮す。豈に一宗の弟を容れざるや。玄徳 何処に在り、便ち人を差して遠接するや」
蔡瑁 譛りて曰く、「不可、不可。劉備の心術 不正なり。義に背き恩を忘る。先に呂布に従ひ、後に曹公に事へ、近く袁紹に投ず。皆 克たず。終に其の人と為りを見る可きに足るなり。今、若し之を納るれば、必ず曹公の加兵を惹き、〈荊州の〉九州の生霊をして、安ぜず。如かず、乾の首を斬りて、以て曹公lに献ずるを。曹公 必ず主公を重待す」

孫乾 色を正して言ひて曰く、
「乾 死を懼れざるの人も非ず。劉使君 従事すると雖も、三人〈呂布・曹操・呂布〉皆 其の交はるに非ず。布 乃ち殺父の徒なり。操 誠に欺君の賊なり。袁紹 忠言を納れず、賢良を損害す。此らの輩の似〈ごと〉き、安んぞ共に仁義の道を論ず可き。
劉使君の赤心・報国の言、必ず有信・忠孝、両全するの士なり。豈に俗子の下に身を屈するを肯ずるや。今 聞く、劉将軍は漢朝の苗裔・宗族の兄なり。寬洪・大度、敬老・尊賢、愛民・惜物たり。乃ち当世の英雄なり。故に千里にして之に投ず。爾 何ぞ讒言を献じて、賢を妬み能を嫉むや」

劉表 之を聞き、言を用て𠮟退す。
蔡瑁曰く、「吾が主 持して巳に汝を定む。多言する勿れ」
蔡瑁 満面に羞慚して退く。
表 問ふ、「玄徳は何処にある」
乾曰く、「江口に見る」
表曰く、「吾 自ら郭を出でて之を迎ふ」
乾をして人と与に先往せしむ。表 郭を出でること三十里、玄徳を迎接す。表に見ひて拝伏すること、甚だ恭たり。表 親情に泣訴し、之を待すること甚だ厚し。

玄徳 関張らを引き、劉表に拝見す。表 同に荊州に入り、院宅を尋ぬ。居住 巳に定まる。連日、宴を設けて、前事を敘説す。
蔡瑁 不足を懐くと雖も、安んぞ敢へて顔色に形はす。

李卓吾のアイノテです。

玄徳 荊州に到る時、建安六年の秋九月なり。

曹操が劉備を捨てて、袁紹に専念する

却説 曹操 玄徳 巳に荊州に往き、劉表に投奔するを探知す。操 就ち之を攻めんと欲す。程昱 諌めて曰く、
袁紹 未だ除かずして、一旦に便ち荊襄に下る。倘し袁紹 北従り起ちちて両下し夾攻すれば、劉表 劉備の肋け有り、袁紹 三子の力有り、則ち大事なり。如かず、兵を許都に還し、少しく軍士の力を養ふに。東消し春煖するを待ち、引兵し北に向ひ、先に袁紹を破れ。得勝の師を回し、荊襄を来攻せよ。南北の利 易きこと反掌するが如し」
操曰く、「善し」
遂に兵を提げ許都に回る。
時に建安七年、春正月なり。

劉備がぶじに退場しました。


曹操 師を興すを商議す。先に夏侯惇・満寵を差はし、汝南を鎮守せしめ、以て劉表の勢を拒む。遂に曹仁・荀彧を留め、許都を守らしむ。尽く軍馬を撥して、官渡に前赴す。

夏侯惇が、やがて徐庶と戦わされます。


却説 袁紹 旧歳自り吐血の症候を感ずるも、今 経漸す〈少し良くなる〉。許都を攻むるの策を商議す可し。審配 諌めて曰く、
「旧歳自り、官渡・倉亭に敗れ、軍心 未だ振はず。尚ほ当に溝を深くし塁を高くすべし。以て軍民の力を養なふ可し」
忽ち報ず、曹操 官渡に進兵し、冀州に来攻すと。
紹曰く、「若し兵を候ち、城下に臨みて、将に壕辺に至らんとすれば、之に敵すること未だ易からず。吾 自ら大軍を領して出迎す」
袁尚曰く、「父親の病軆 未だ痊せず。遠征す可からず。児 願はくは兵を提げて前去し、迎敵す」
紹 之を許す。
遂に人をして青州に往き、袁譚に取らしむ。幽州に袁熈を取り、并州に高幹を取る。四路 同に曹操を破らんとす。未だ勝負の如何なるやを知らず。141102

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