読書 > 李卓吾本『三国演義』第60回の訓読

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第60回上_張永年 反りて楊修を難ず

あの孟達が初登場する、第60回を読みます。

張松が劉璋を説得し、曹操に向かう

劉璋 之を視るに、出進して言ふ者は、益州成都の人なり。官は益州別駕を帯び、姓は張、名は松、字は永年。其の人 生得より額は钁、頭は尖、鼻は偃、歯は露、身は短にして、五尺に満たず。言語 銅鐘の若き有り。
劉璋 問ひて曰く、
「別駕 何ぞ高見有りて、張魯の危を解く可きか」と。
松曰く、「某聞く、許都の曹操 已に中原を掃蕩し、呂布・二袁 皆 滅せらる。南は江漢を直抵し、北は幽燕を直抵し、近も又 馬超を破る。天下 無敵なり。主公 進献の物を備ふ可し。松 親ら許都に往き、曹公に説き、兵を興して漢中を去取して、以て張魯を図らば則ち、魯 豈に敢へて蜀中を望まんや」
璋曰く、「汝 建安十三年冬、荊州に去き、曹公に見ふも、甚だ相ひ待されざる。汝 猶ほ之を恨む。今 何故 此れ行かんと欲するや」

正史準拠!

松曰く、「曹公 荊州に在る時、手下 百万の衆を領し、事 猶ほ蝟集するがごとし。豈に閑暇有りて人を待するや。

曹操が私に対して冷たかったのは、曹操が忙しかったからで、仕方がないと。みょうに曹操に理解を示す張松。
毛本では、この問答が省かれる。あたかも張松が、はじめて曹操に会いに行くのが、このタイミングかのように見える。

今 許都に在り、文武 各〃乃事を執る。松 利害を以て之を説かば、曹公 必ず兵を興さん」
璋曰く、「汝 且に試しに利害を言ふべし。吾 之を聴かん」

事前の内容確認まであるのか!
李本では、「劉璋大喜,收拾金珠錦綺……」と、何も聞かず、何も確かめず、さっさと張松を派遣する。李本のほうが、劉璋が用心ぶかい優れた君主に見える。いずれも『三国志』劉璋伝にないこと。

松曰く、「某〈曹操に〉話間 説起す。馬超 韓信・黥布の勇有り、丞相に殺父の讐有り。今 暫時 兵は敗るると雖も、久後、必ず讐に報いと欲す。今 漢中の張魯 兵は精、糧は足、百姓 之を尊び、漢王と為す。久しからず、必然 称帝すること。称帝すれば則ち必ず中原を侵犯す。欠く所の者は、惟だ大将のみ。
若し馬超 急に讐に報いんと欲すれば、必ず隴西の兵を聚め、張魯に投ず。魯 超を得るは、是れ虎の翼 生ゆるがごとし。魯・超 出でん。丞相 何を以て之に当る。超の未だ之に投ぜざるに乗ずるに如かず。前に漢中 備へ無し、一鼓にて破る可し。
此らの利害の語を将て、更に随機・応変有りて、往きて説かんとするの事なり。患へずんば諧〈かな〉はず。今 早く去かず、若し張魯の兵 動かば、蘇・張の辨と雖も、曹公 亦 聴かず」

まとめる。張松が曹操に「馬超は曹公を父の仇とします。張魯は善政を施し、民から『漢王』と呼ばれてます。ほどなく皇帝を称し、中原を攻めるのは確定です。いま張魯に欠くのは、大将の人材のみ。もし馬超が張魯に降れば、馬超を将軍とし、中原に攻めてきます」と説く予定。さすが正史準拠の李卓吾本『演義』。
張魯は、漢寧王を称えようとして、留まったのでした。張魯が、王、皇帝というステップを踏むことは、なくはない。

劉璋 大喜し、金珠・錦綺を收拾し、進献の物と為す。便ち張松を発送し、許都に赴かしむ。

張松が曹操にあしらわれる

松 暗かに西川の地理図本を画き、之を蔵して帯ぶ。人十騎を従へ、劉璋を辞し、路に行くこと早し。
人 荊州に入りて、孔明に報知する有り。此の時、孔明の意 川を図くことに有り、常に人をして川に入らしめ、探細す。此に因り、〈川の地形を〉信知するを得たり。
張松 許都に入るや、孔明 便ち人をして許都に入らしめ、消息を打探す。

却説 張松 許都の館駅に到り、中下して定む。毎日、相府に去き、伺候して曹操に見ゆるを求む。操 原来 西都自り回り、物表を傲倪す。自ら謂ふ、志を得るに、天下を以て念と為さずと。

天下統一してなくても、志は達成できるもんね!と。赤壁に敗れたあとの曹操の態度として、リアリティがある。
李本は、「傲睨得志」と、簡潔すぎて意味不明。

毎日 飲宴し、事無くば少しく出づ。 国政 皆 相府の商議に在り。第三日、張松 方に姓名を通ずるを得たり。左右の近侍 先に賄賂を要し、却纔に引入す。
操 堂上に坐す。松 拝し畢はり、前に立つ。操 松に問ひて曰く、
「汝の主 劉璋 連年 進貢せず。何なるゆえや」
松 答へて曰く、「路途は艱難と為る。賊寇 𥩈発す。通進する能はず」と。
操 𠮟りて曰く、「吾 中原を掃清す。何ぞ盗賊有る」
松曰く、「南に孫権有り、北に張魯有り、中に劉備有り。少なきに至るも帯甲有十余万、縦横す。当たる可き者無し。

多い敵対勢力は、もっと兵力がある。敵わないと。

豈に太平を得るや」
操 先に張松の人物 猥𤨏たるを見て、五分にて喜ばず。又 語言の衝撞する〈逆らった物言い〉を聞き、遂に乃ち袖を拂ひて起ち、後堂に転入す。
左右 松を責めて曰く、
「汝 使命と為るも、丞相の意を啓くこと会はず。一味 衝撞し、幸いにも丞相 汝の遠来の面たるを看て、罪責に見はざるを得たり。汝 急急と回去す可し」
松 笑ひて曰く、「吾が川中 諂侫の人無し

益州には、お前らのような、主君にへつらってばかりで、なんの見識もないような人物はいないぞと。

忽然、階下の一人 大喝して曰く、
「汝 川中、諂侫に会はず、吾が中原 豈に諂侫の者有るや」
松 其の人を観るに、單眉・細眼、貌は白く、神は清く慌たり。其人に姓名を問ふに、答へて曰く、
「某 乃ち弘農の人なり。太尉たる揚彪の子、司空たる楊震の孫なり。一門 六相・三公を出づ。安平と、孝廉に挙げられ、身を出して丞相門下郎中と為る。内外の倉庫を掌る主簿なり」と。

武将が戦場で名乗るように、文官が座上で名乗る。

姓は楊、名は修、字は徳祖たり。此人 博学にして、言詞は敏捷、智識は人に過ぐ。時に年二十五歳。
松 修の舌辨の士たるを知り、心に之を難ぜんとする有り。修 平生 才有り、天下の士を小覰す。当時、張松の言語 相府の人を譏諷するを見て、遂に外面に邀出し、書院中 賓主を分けて坐す。

公的な場所の外側に出て、書院で決戦する。


楊脩を張松が論戦する

脩 一席を将て話来し、張松を難ずるの心有り。遂に松に曰く、
「蜀道 﨑嶇たり。遠来・労苦なり」
松曰く、「主公 命有り。豈に万里の遥雖を辞せんや。赴湯・蹈火するとも、敢へて辞せず」
修問ふ、「蜀中の地物 如何に」

まだ難ずる段階まで行ってないなー。

松曰く、「「蜀 西郡を古号と為す。益州の路 錦江の険地有り、剣閣の雄を連ぬ。回還すること二百八程、縦横は三万余里なり。鶏嗚・犬吠、市井・閭𨶒に相ひ聞こゆ。田肥・地茂に断へず、歳々に水旱の憂無し。国は冨、民は豊たり。時に管絃の楽有り、所産の物 阜たること山積するが如し。天下の最雄なるとも及ぶ可きこと莫し」

ただのご当地自慢じゃないかw

修 又 問ひて曰く、「蜀中の人物 何如」
松曰く、「文は相如の賦有り。武は管楽の才有り。医は仲景の能有り、卜は君平の隠有り。九流・三教 出で、其の類 抜く。其の萃する者 勝げて記す可からず。豈に能く尽く数ふるや」
修 又 問ひて曰く、「方今、劉季玉の手下 公の如き者、還りて幾人有る
松曰く、「文武は全才、智勇は足備する忠義・慷慨の士、動すれば百を以て数ふ松の如き不才の輩、車載斗量し、勝げて記ふ可からず」
修曰く、「公 近く何なる職に居るや」
松曰く、「濫りに別駕の任を充つ。甚だ職を称へず。敢へて問ふ、公 朝廷の何なる官に処るや

攻守が交代しました。

修曰く、「丞相府の主簿なり」
松曰く、「久しく名を聞くに、公の世代、簮纓の祖宗 相輔す。何ぞ廟堂に立ちて天子を輔佐せざる。乃ち区区として相府の門下の一吏と作るや」

痛いところを突いた!うまい!

楊修 之を聞き、蒲面して羞慚し、顔を強らせて答へて曰く、
「某 下僚に居ると雖も、丞相 委ぬるに軍政・銭糧の重を以てす。早晩、多く丞相に𫏂き、教誨し、極めて開発すること有り。故に此の職に就くのみ」
松 笑ひて曰く、「松 聞く、曹丞相の文 孔・孟の道に明ならず、武 孫・呉の機に達せず。専ら強覇に務めて、大位に居りと。豈に以て講誨し、足下 明公を開発する足るや」

楊脩が曹操の部下なのは、曹操にいろいろ教導できるからだと。だが張松は、曹操がバカという。楊脩が教導するに値する人物じゃないよな、と挑発してる。曹操への教導とはウソで、ただ実態は、天子を輔佐するのをサボっているだけだと。

修曰く、「公 辺隅〈蜀地〉に居り、安にか丞相の大才を知るや。吾 汝をして之を観せしむ」

『孟徳新書』を張松が暗誦する

左右を厨内に呼び、書一巻を取りて、以て張松に示す。松 其の題を観て曰く、『孟徳新書』なり。頭より看て、尾に至る。遍く観ること一次、共で一十三篇、皆 用兵の要法なり。松 看畢はりて問ひて曰く、
「公 此を以て何等と為すや」

こんな本が、どうかしたの?え?

修曰く、「此れ曹丞相 古を酌み、今に凖へ、孫子十三篇に体して作す所なり。号して曰く、『孟徳新書』と。汝 欺く、丞相は無才なりと。此れ以て後世に伝ふるに堪ふや否や」
松 大笑して曰く、「此の書、吾が蜀中に三尺の小童も亦 能く暗誦す。何ぞ新書と為す。此れ戦国時、無名氏の作る所なり。曹丞相 盜𥩈し、以て為すとす。已に能く止み、足下を瞞むくを好む」

そうだったのか、諸子百家だったのかw

修曰く、「丞相 秘蔵の書なり。以て成帙すと雖も、未だ世に伝へず。汝 言ふ、蜀中の小児 暗誦すること流るるが如しと。何ぞ相ひ欺くや」
松曰く、「公 如し吾を信ぜずんば、試しに之を暗誦す」
修曰く、「願はくは一遍を聞かん」と。
松 孟徳新書を将て、頭より尾に至るまで朗誦すること一遍、並せて一字も差錯すること無し。修 聴知して大驚し、遂に席を下りて之に拝す。
後に詩有りて讚して曰く、
「古怪形容異清高体貌疎語傾三峽水目視十行書肝
量包西蜀文章貫太虚千経并万論一覧更無余」

楊修曰く、「公 一覧して余り無し」

楊脩は、戦国の諸子百家ではなく、張松がこの場で暗記したことを分かって、称えてるのですね。

二人 相対して大笑す。
修曰く、「公 且に暫く館舍に居りて容れよ。某 再び丞相に稟し、公をして君と面せしむ」

曹操に再び会えるように、手配してくれる。

松 修に謝して退く。

張松と曹操が二回目に会う

修 操に入見して曰く、「適来、丞相 何ぞ蜀使の張松を慢るや」
操曰く、「容貌 堪へず、言語 不遜たり。吾 故に之を慢る」
修曰く、「若し貌を以て人を取れば、天下の士を失ふを恐る。丞相 尚ほ一禰衡を容れ、何ぞ張松を納れざるや」

曹操が、傲慢なバカ君主になっている。見た目で判断するという。また禰衡は、受容しなくても天下統一に影響が出なかったが、張松は違うのである。

操曰く、「禰衡の文華たること当今に播し。吾 故に之を殺すに忍びず。松 何の能有るや」
修曰く、「且に言ふ休かれ、海を倒し江を翻すの辯、風を嘲り月を弄ぶの才。適来、丞相の撰する所の『孟徳新書』を将て、彼 観ずること一遍、即ち能く暗誦すること瓶に水を瀉ぐが如し。此の如き博聞・強記、世の罕なり。松に言有り、此の書 乃ち戦国時、無名氏の作す所なり。蜀中の小児 皆 能く暗誦す」と。
操曰く、「古人 吾と暗合するに非ざる莫きや否や。其書をして扯碎して之を焼かしめよ」

特許を申請したら、たまたま同じ発明が、とっくの昔に登録されていたという悲しさである。

修曰く、「此の人、君に面ぜしむ可し、大国の気象を見しめよ」
操曰く、「此の人 吾が用兵を知らざるのみ。来日、西の教塲に點軍す可し。汝 他を先引せよ。〈張松に〉見しめ、吾 蜀中に調遣して説かしむ。吾 江南を下りて川を收むること未だ遅からざると」

毛本のほうが、分かりやすい。「來日我於西教場點軍,汝可先引他來,使見我軍容之盛,教他回去傳說:吾即日下了江南,便來收川

修 回至す。

次日、〈楊脩は〉張松と同に西の教塲に至る。操 虎衛雄兵の五万を點し教塲中に布す。
果然、盔甲は鮮明、衣袍は燦爛、金鼓は震天、戈戟は参地。四方・八面、各々隊伍を分け、旌旗 彩を蔽ひ、人馬は騰空す。松 斜目もて之を視すること良に久し。
操 松を喚び、前指して示して曰く、
「汝の川中 曽て此の英雄・人物を見るや」
松曰く、「吾が蜀中 曽て此の兵革を見ず。但だ仁義を以て天下の士を定む」
操 色を変じて之を視る。松 全く怯の意無く、相藐の心有り。楊修 頻りに目を以て松を視る。

楊脩が張松に目配せして、「さすがに、怒らせちゃったから謝れよ」と、やきもきする。楊脩をやきもきさせるのだから、張松は、よほど厄介な人物である。これが、劉備に蜀地を献ずるんだから、劉備の「蜀」政権は、危うい経緯で成り立っているなあ。
張松のいかがわしさや、自分勝手な感じは、そのまま益州という土地の性質を象徴しているのだろう。地形にめぐまれ、世間知らず・傲慢でも維持できる。劉璋や劉禅のたぐいでも、維持できるような、インチキな防御力。

操 松に曰く、
「吾 天下の鼠輩を視ること、猶ほ草芥のごときのみ。大軍 処に到り、戦へば勝たざる無く、攻むれば取らざる無し。吾 に順ふ者は生き、吾に逆らふ者は死すこと、止むこと非ず。能く人をして栄達せしめ、亦 能く人をして滅族せしむ。汝 之を知るや」

万能の君主として見せつける。

松曰く、「丞相 兵を駆り、処に到りて戦はば必ず勝ち、攻むれば必ず取る。松 亦 素より知るなり」

じゃあ、張松は、もっとビビれよ。

操曰く、「汝 既に能く吾が用兵を知るに、何ぞ服せざるや」
松曰く、「丞相 昔日、濮陽に呂布を攻むるの時、宛城に張繡と戦ふの日、赤壁に周郎に遇ふとき、華容に関羽を逢ふとき、鬚を割き袍を潼関に棄つるとき、此 皆 天下に無敵なるや」

ぎゃあw

操 大怒して曰く、
「豎儒 怎ち敢へて吾が短処を掲ぐ」
喝して左右をして即ち推出せしめ、之を斬らしめんとす。
楊修 急ぎ諌めて曰く、「松 斬る可きと雖も、奈何 蜀道より来りて入貢し、蛮夷の心を傷つくることを恐れざる。此の人〈張松〉を知る者 謂ふ、「口より不遜の言を出す」と。知らざる者 謂ふ、「丞相 礼物の微なるを嫌ひ、故に斬る」と」
操をして怒気せしめ、未だ息まざるに、荀或 操を苦諌し、方に死を免れしめ、乱棒もて張松を打出しむ。

張松が荊州に寄り、趙雲・関羽が接待す

松 館舍に帰り、連夜 城より出で、收拾して川に回らんとす。
松 自ら思ひて曰く、
「吾 本は西川の州郡を献ぜんと欲す。誰ぞ、此の如く慢人にして、我 故に之に辱めらるを想ふや。来時、劉璋の前に大口を開き、今日、怏怏として空しく回る。須らく蜀中の人に笑取せらる。吾 聞く、荊州の劉玄徳 仁義は遠く播すること久し。如かず、那條の路を徑由して回るに。試しに此の人 如何なるを看る。我 自ら主に見ふこと有り」と。
是に於て、乗馬し、僕従を引きて荊州の界上を望む。而して来前し、郢州の界口に至る。忽ち一隊の軍馬を見る。約 五百余騎有り、首たる一員の大将 軽粧・軟扮、馬道に相迎し、那員の将 問ひて曰く、
「来たる者、張別駕に非ざる莫きや」
松曰く、「然るなり」
那員の将 慌忙して下馬し、声喏して曰く、
「趙雲 等候する〈まつ〉こと多時なり」
松 問ひて曰く、「常山の趙子龍に非ざる莫きや」
雲曰く、「然るなり」

お互いが予め相手を知っているという、対句になってる。趙雲の名は、自然と伝わっているだろうが、張松のことは、諸葛亮の密偵が位置を探っていた。張松について、趙雲に予習させたに違いない。

某 主公の劉玄徳が命を奉り、大夫の為に遠渉す。路途、鞍馬 駆馳し、趙雲に特命す。酒食を𦕅奉し、大夫を護して以て衛し、回程せよと」
言 罷はるや、軍士 酒食を捧過し、雲 跪きて之を進む。
松 自ら思ひて曰く、

張松は、こういう内省が多いなあ。文学として、こういう内省を使えるかによって、深みが変わるというか、物語そのものの種類が変わる。

「人は言ふ、劉玄徳 寬仁にして客を愛すと。今 果して此の如く、遠接す。却りて又 那の曹操 傲にして我を慢ること有り」と。
遂に子龍と数盃を飲み、上馬して同行し、荊州の界に来到す。

首め是の日、天は晩く、館駅に前到するや、門外の両辺に百余人 侍立し、撃鼓するを見る。一将に相接し、馬頭に前み、礼を施して曰く、
「主公の劉玄徳の令を将て奉る。大夫 遠渉して風塵を為す。関某をして駅庭を灑掃せしめ、以て歇宿を待す」と。

劉備は、趙雲にお出迎えを、関羽には宿の清掃をさせた。趙雲がそれを、張松に説明している。 

松 下馬して雲長と同に館舍に入り、相待し、酒礼す。早く巳に設け畢はり、雲長・子龍 再三 謙譲して、後方に坐して殷勤として相ひ歡飲す。更に至り、一宵を闌宿す。

劉備によるご接待が描写されている。
李卓吾は、「これは孔明が正要・形容を妙用したのであり、孟徳の悪い処である」とする。張松の待遇の差が、孔明と曹操の智恵の差だと。なんだか、至れり尽くせりで、かえってイヤミに思えるが、そこは李卓吾先生が突っこんでくれない。


次日、早く膳し畢はり、上馬して行くこと三五里に到らず、遠近に一簇の人馬 到る。当中 乃ち是れ大漢の劉皇叔なり。左に伏龍有り、右に鳳雛有り。遥かに張松を見て、早先して下馬し、等候・相見す。
玄徳曰く、「久しく聞く、大夫の高名 雷に如く耳に灌す。恨む、雲山 迢遠にして教へを聴くこと得ざりしを。今 都より回ると聞き、専ら此れ相接し、倘蒙不棄、荒州に到り、暫歇片時、以て敘渴し之を仰げ。松 未だ大夫の容を肯んずるを知るや否や」?

毛本本では、「今聞回都,專此相接。倘蒙不棄,到荒州暫歇片時,以敘渴仰之思,實為萬幸」とある。

松 大喜す。遂に皇叔らと張松 轡を並べて荊州に入り、宴管を設けて坐間に待し、只だ聞話を説き、並せて西川の事を提起せず。亦 動も劉璋は安楽にして川中を并する人物なるや否やを問わず。松 一一対答す。只 等〈ま〉つ、劉玄徳 開言するを。然る後、之を玄徳并びに孔明に説くも、亦 默然として題とせず。

孔明の教育が、よく行き届いている。しかし、このジラしプレイが、毛本では省かれる。

松曰く、「今、皇叔 荊州を守し、還りて幾郡を有するや」
孔明 便ち答へて曰く、「荊州 暫く東呉に借る可きものなり。毎毎、人をして之を取討せしめんとす。今 我が主、是に因り、女婿たる故に、権 且に身を安んず」
松曰く、「東呉 六郡八十一州に拠り、民は強、国は冨、猶ほ且つ足るを知らざるや」

孫呉には借りたままパクって開き直り、張松には「借りてるから帰さねばならず、劉備はひもじい」と同情を買おうとする。劉備こそ「賊」じゃねえかw

龐統曰く、「吾が主公 漢朝の皇叔なるも、反りて州郡を占拠する能はず。其の他 皆 漢の蟊賊にして、覇道を以て之に居る。惟だ焉を不平なると智るのみ」
玄徳曰く、「二公 言ふ休れ。吾 有何の徳有りて、豈に敢へ高位に居りて城池を守ることを望むや」
松曰く、「然らず。天下は 一人の天下に非ず、乃ち天下の人の天下なり。惟ふに有徳の者 之に居り。何况んや明公 乃ち漢室の宗親にして、仁義 充塞するをや。四海 休道し、州郡を占拠するは、便ち正統に代はり帝位に居り、亦 分外ならざるや」
玄徳 拱手・惶恐して、謝して曰く、
「如し公の言ふ所なれば、吾 何ぞ敢へて之に当らん」
此自り一連、張松を留めて飲宴すること三日。並せて川中の事を題起せず。

張松をお見送りする

松 辞去するや、十里長亭に宴を設け、送行す。玄徳 酒を挙げて松に与へて曰く、
「甚だしく大夫に荷し、外に留むること三日なるを肯ぜず。今日、相ひ別る。知らず、何日 教へを聴くやを。潜然、涙 下つ」
張松 自ら思ふ。

また始まったよ、張松の内省。この内省、やっぱり『演義』の文学性を損なうよな。

「玄徳 尭舜の風有り。安くにか之を捨つ可き。如かず、之に説きて西川を取らしむるに」
松 遂に言ひて曰く、
「松 亦 思ふ、朝暮に趨侍し、未だ便有らざるを恨む。松 荊州の東を観るに、孫権有り、当に虎を懐踞すべし。北に曹操有り、毎に鯨吞せんと欲す。亦 久しく恋ふ可きの地に非ざるなり」

荊州の悪口を言うな!

玄徳曰く、「故より知ること此の如し。但し未だ安跡・の所有ず、身を容るるなり」
松曰く、「益州 険塞にして沃野千里、民は殷、国は冨、地霊は人傑、帯甲は十万なり。智能の士 久しく皇叔の徳を慕ふ。若し荊襄の衆を起して長駆し、西指すれば、覇業 成る可し、漢室 興る可し」

ついに言ってしまった!

玄徳曰く、「備 安くにか敢へて此に当つ。劉益州 亦 帝室の宗親なり。恩澤 蜀中に布くこと久し。他人 豈に可得て動揺せしむ可きや」
松曰く、「某 主を売りて栄を求むるに非ず。今 明公に遇ひ、敢へて肝肝を披瀝せずんばあらず。劉季玉 益州の地を有すると雖も、稟性は暗弱、能く賢を任じ能を用ゐざる。加之、張魯 北に在り、人と為りは不武、賞罰は明ならず、号令するとも行はず。人心 離散す。〈漢中の人は〉明主を得んと思ふ。松 此れ一行、専ら操に納欵せんと欲するに、何をか期せん、逆賊 恣逞し、奸雄 君を欺き、罔上 終に漢朝の大禍と為らん。

つぎから、「戦略」が語られます。

明公 先に西川を取り、基と為し、然る後、北して漢中を図り、次いで中原を取り、天朝を匡正すれば、名は表史に垂れん。明公 果して西川を取るの意有れば、松 願はくば犬馬の労を施し、以て内応を為さん。未だ明公の鈞意を知らず。若何」
玄徳曰く、「深く君の恩を感ず。備 艱窘なると雖も、劉季玉と備とは同宗なり。若し之を相ひ攻むれば、天下の人に唾罵せらるを恐る」
松曰く、「明公 天時・人事を知るや。若し人事を以て天時に背かば、日月の逝くことすら恐れよ。大丈夫 世に処り、当に以て建功・立業に努力すべし。鞭に着くこと先今に在り、若し時に乗じて取らず、他人の為に之を取らるれば、之を悔いても晩し」
玄徳曰く、「備聞く、蜀道は﨑嶇たり。千山・万水、車 方軌する能はず、馬 聮轡する能はず。之を取らんと欲すると雖も、何の良策を用てするや」

劉備がやる気になったなw

松 箱中より一図を取出し、玄徳に逓して曰く、
「松 感荷 尽すこと難し。故に此図を献ず。明公 知遇の恩に上報するなり。但だ此の図を将て観看すれば、一日にして便ち蜀中の道を知る
玄徳 畧 之を展視するに、上面 尽く写着す、地理・行程・遠近・濶狹・山川の険要、府庫の銭糧を。一一俱に載り、明白なり。
松 又 曰く、
「明公 速やかに之を図る可し。松 心腹・契友 二人有り。法正・孟達なり。此の二人 必ず能く相ひ助く。如し二人 荊州に到る時、心事を以て共に議す可し

でました、孟達。ここを読みたくて、『演義』六十回を読み始めたのだ。

玄徳 拱手して謝して曰く、
「青山 老いず、緑木 長く存す。他日、相ひ期す、必ず当に厚く報ゆるべきを」
松曰く、「松 仁義の主に遇ひ、情告を尽くすを得ず。豈に敢へて報を望まんや」
二人 相ひ別る。孔明・龐統 皆 長亭の下に拝す。雲長ら皆 数十里を送り、方に回り、張松 西川を望みて去る。玄徳ら自り荊州に回る。

法正と孟達を使者にする

却説 張松 益州に回り、先に友人の法正に見ふ。正 字は孝直、右扶風の郿の人なり。賢士 法真の子なり。松 正に見ひ、備説す、
「曹操 賢を軽んじ、士を傲る。只 憂へを同〈とも〉にす可し、楽を同にす可からず。吾 已に益州を将て劉皇叔に許さんとす。専ら兄と与に之を議さんと欲す」
法正曰く、「吾 劉璋を料るに、其の主に非ざるなり。已に心に劉皇叔を見ること有るは久し。此の心 〈張松と〉相ひ同じくして、何ぞ疑ひ有らん。吾が郷兄の孟達を待ち、議を同にせよ。

孟達は、法正の「郷兄」として登場する。


少頃 孟達 至る。達 字は子慶、法正と同郷なり。達 入りて正と松とに見ひ、大笑す。

すげえ!頭がよさげじゃないか。

達曰く、「吾 已に知る、二公の意を。将に益州を献ぜんと欲するや」
松曰く、「是れ欲すること此の如し。兄 試しに之を猜ふ、誰に合献するや」
達曰く、「劉玄徳に非ざれば、之に当つ可からず」
三人 掌を撫して大笑す。
法正曰く、「汝、明日 璋に見ひて、若何せん」
松曰く、「吾 二公を使と為し、荊州に往かしむ可しと薦む」
二人〈法正・孟達〉 応允す。

次日、張松 劉璋に見ふ。璋 「幹事は若何」と問ふ。松曰く、
「操 乃ち漢賊なり。天下を簒まん欲す。言を為す可からず。彼 已に川を取るの心有り」
璋曰く、「似し此れ之の如くんば奈何」
松曰く、「松 一謀有り。張魯・曹操をして皆 敢へて軽々しく西川を犯しめず
璋 又 曰く、「如何に之を解くや」
松曰く、「見よ、荊州に居する劉皇叔 主公と同宗なり。加之〈しかのみならず〉、本人 仁慈・寛厚 長者の風有り。赤壁に兵を鏖するの後、操 之を聞かば肝裂せん。何ぞ况んや張魯をや。主公 何ぞ賫書を遣はしめ以て之に好を結び、外援と為せば、以て曹操・張魯を拒むに足る可し、蜀中 安す可し」
璋曰く、「吾 此の心を立つること久し。誰をか使と為らしむ可し」
松曰く、「法正・孟達に非ざれば、往く可からず」
璋 即ち二人を召し、修書一封を入れ、法正をして使として、先に情好を通ぜしむ。次に孟達を遣はし、精兵 数千を送り、玄徳の守禦と為らしむ。
正に商議する間、一人 外自り突然に入り、汗流・蒲面、大叫して曰く、
「主公 若し張松の言を聴かば、則ち四十一州郡 已に他人に属すなり」
松 大いに驚く。言ふ者、是れ誰ぞ。下回便見。141019

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第60回下_龐統 西川を取れと献策す

黄権が、劉璋を諌める

進言する者、乃ち西の閬中の巴の人なり。姓は黄、名は権、字は公衡、劉璋が府下の主簿なり。
璋 問ひて曰く、
「吾 劉玄徳と結好して一家と為る。汝 何故に此の言を出すや」
権 諌めて曰く、「某 西蜀に居り、素より劉備を知ること久し。斯の人 寬たりて以て人を待し、柔 能く剛に克つ。英雄 敵する莫し。曹操すら尚ほ自ら心を寒からしむ。其の余 何ぞ論ずるに足るや。斯の人 遠くに人心を得て、近くに民望を得たり。
兼せて有り、諸葛亮の智謀、関・張の英勇。趙雲・黄忠・魏延 羽翼為り。若す蜀中に召到して部曲を以て之を待せば、則ち劉備 安んぞ伏低・做小に肯ぜんや。若し客礼を以て之を待せば、則ち一国 二主を容れず。
若し某の言を聴かば、則ち西蜀 泰山の安有り、若し某の言を聴かざれば則ち、主公 塁卵の危有り。
張松 昨日、荊州より過ぐ。必ず劉備と同謀す。先に張松を斬り、後に劉備と絶つ可し。則ち西川の万幸なり」

ぼくは思う。『黄権と孟達』と題して、線対称の2人をツイにした物語ができそう。蜀出身の黄権、外来の孟達、ともに劉璋に仕える。劉備を拒む黄権、招く孟達。劉備「が」背く黄権、劉備「に」背く孟達。漢魏革命を認めぬ黄権、認める孟達。いずれも曹丕に厚遇されて馬車に同乗する。『演義』60回~85回に登場。

璋曰く、「曹操・張魯 到来す。何を以て之を拒む」
権曰く、「如かず、境を閉じ寨を絶ち、溝を深くし塁を高くし、以て時清を待て」
璋日く、「賊兵 界を犯し、焼眉の急有り。若し時清を待てば、則ち是れ慢計なり」
璋 不従はず。遂に法正を遣して便ち行かしむ。

王累が劉璋を諌める

又 一人〈法正の派遣を〉阻み、言ひて曰く、
「不可、不可」と。
璋 之を視るに、乃ち帳前従事官の王累なり。累 頓首して言ひて曰く、
「主公 今 張松の説を聴き、自ら其の禍を取る」
璋曰く、「然らず。吾 劉玄徳と結好するは、実に張魯を拒すればなり」
累曰く、「張魯 界を犯すは、乃ち疥癬の疾なり。劉備 川に入るは、是れ心腹の大患なり。况んや、劉備 世の梟雄なり。先に曹操に事へ、便ち謀害を思ふ。後に孫権に従ひ、便ち荊州を奪ふ。心術 此の如し。

呂布さんやないか。

安んぞ同処す可きや。今 若し之を西川に召せば、休ぬるかな」

璋 之を𠮟りて曰く、
「再び乱道する休れ。玄徳 是れ我が宗兄なり。他 安んぞ肯ずるや、我が基業の心を奪ふ有るを」
便ち二人を扶けて出でしむ。
遂に法正に命じ、便ち行かしむ。後に詩有りて曰く、
「四海鯨吞百戦秋堪嗟季玉少機謀。当時、若し黄権の諌を聴かば、安にか西川を得て、便ち劉に属するあらん」

法正が荊州に使いする

法正 益州を離れ、荊州に逕取し、玄徳に来見す。参拝 已に畢はり、書信を呈上す。玄徳 折封し、之を視る。
書に曰く、
族弟の劉璋 再拝し、書を宗兄に致す。将軍の麾下、久しく伏電す。蜀道の﨑嶇なるを誉り、未だ賫貢する及ばず、甚だ切に惶愧す。璋 聞く、吉凶 相ひ救ひ、患難相ひ扶ふと。朋友 尚ほ然り、况んや宗族をや。
今 張魯 北に在り、旦夕に兵を興し、璋の界を侵犯す。甚だ自安せず。専ら人 奉尺の書を謹る。上に鈞聴を乞ふ。倘し同宗族の親を念ひ、手足を全うするの義を賜はれば、即日、師を興して狂寇を勦滅せよ。永く唇歯と為り、自ら重酬有らん。書、言を尽さず。専ら車騎を候つ。建安十六年、冬十二月、宗弟の劉璋、再拝して奉書す」

玄徳 看畢はり、大喜し、宴を設けて法正を相待す。
玄徳 筵上に左右を屏退し、正に曰く、
「久しく孝直の英名を仰ぐ。

こうして、「以前から存じ上げておりました」と言うのが、文人のあいだの作法なのね。

張別駕 談多く、徳盛んなり。今 教へを聴くを獲て、甚だ平生を慰む」
法正 謝して曰く、
「蜀中の小吏、何ぞ道ふに足るかな。盖し聞く、馬 伯楽に逢ひて嘶〈いなな〉く。人 知巳に遇ひて死す。
張別駕の昔日の言、将軍 復た意有るや」
玄徳曰く、「備一身、寄客す。未だ嘗て傷感して歎息せざるなし。常に思ふ、鷦鷯 尚ほ一枝存り、狡兔 猶ほ三窟を蔵ず。何ぞ况んや人をや。
蜀中 豊余の地なり、之を欲せずんば非ず。奈の劉季玉 同一の宗室なり」
法正曰く、「益州 天府の国なり。治乱の主に非ずんば、居る可からず。今 劉季玉、賢を用ゐて事を立つ能はず。剛なるとも勇無く、柔なるとも太弱なり。此の業 久しからず。巳に他人に属す。今 将軍に此の機会を付与するは、錯失す可からず。豈に聞かざるや、兔を逐ひて先に之を得るの語を。将軍 之を欲すれば、某 当に死して效さん」
玄徳 拱手して謝して曰く、
「倘し天をして助けしめば、実に公の賜はる所より出づるなり。暫く請ふ、少歇して尚ほ商議を容れよ」
当日、席 散じ、孔明 法正を送りて館舍に帰る。

龐統が劉備に、蜀取りを勧める

玄徳 尚 自ら沉吟し、龐統 退かず笑ひて言ひて曰く、
「事 有りて、决せず。其の心を疑惑する者は愚人なり。主公の仁智・高明、何ぞ太だ疑ふや」
玄徳 問ひて曰く、
「公の言を以て当に復た何如とすべきや」
統曰く、「荊州 荒残たり。人物 殫尽す。東に孫権有り、北に曹操有り、以て志を得ること難し。今、益州は、戸口は百万、土は広く財は冨む。誠に以て大業に資して王覇 成すに足る可しと為す。幸にも張松・法正 内助を為すを以て、此れ天賜なり。何ぞ必ずしも疑惑するや。某 故に之を笑ふ」
玄徳曰く、「今 吾と与に水火とて相ひ敵する者は、曹操なり。操 急以てすれば、吾 寬を以てす。操 暴を以てすれば、吾 仁を以てす。操 譎を以てすれば、吾 忠を以てす。毎に操と相反すれば、事 乃ち成る可し。

名言、いただきました!

小利を以て信義を天下に失するは、吾 此に為に忍びず。
後に史官 這𥚃を看到して詩を作りて讃して曰く、
「累ねて勧む、川を收むるを。意は已に深し。誰か知る、玄徳 尚ほ沉吟して、小利に因りて公義を忘れざるを。便ち是れ、当年の尭舜の心なり」と。

マジか。劉備が、堯舜なのか!


龐統 笑ひて曰く、「主公の言 天理に合ふと雖も、奈の離乱の時 兵爭の強固なるを用て、一道に非ず。若し礼に拘執すれば、寸歩も行なふ可からず。宜しく権変に従ひて之を用ゐよ。且に弱を兼せ、昧を攻むるは、五覇の事なり。
逆取するも順守したくば、若し事 定まるの後、之に報ずるに義を以て封じ、大国と為せ。何ぞ信に負くか。今日 取らざれば、終に他人に取らるのみ。多いに権変を以て天下を得て、仁義を以て之を守れ。主公 焉を熟思せよ」

すじは、通っているのです。

玄徳 拱手して謝して曰く、
「金石の言、当に肺腑に銘ずべし」

是に於て、遂に孔明に請ひ、起兵して西行するを同議す。
孔明曰く、「荊州は重地なり。必ず須らく兵を分けて之を守るべし」
玄徳曰く、「吾 龐士元・黄忠・魏延と与に、前に去く。軍師は、関雲長・張翼徳・趙子龍と与に、之を守る可し」
孔明 応允す。

次日、孔明 荊州を総守し、関公 襄陽の要路を拒す。当に青泥もて隘口すべし。張飛 四郡を領し、江を巡る。趙雲 江陵に屯し、公安に鎮す。
玄徳 黄忠をして前部と為し、魏延を後軍と為す。玄徳 自ら劉封・関平と中軍に在り。馬歩兵の五万 起程・臨行す。
廖化 一軍を引き、来降す。玄徳 廖化をして雲長を輔佐せしめ、以て曹操を拒む。

劉備が益州を目指し、孟達と会う

是の年の冬月、兵を引き、西川を望みて進発す。行くこと数程ならず、孟達 接着し、拝見し、玄徳に説く。

孟達さん、待ってました!

「劉益州 某をして兵四千を領し、遠来して、玄徳を迎接せしむ。人をして益州に入らしむ。先に劉璋に報せよ。璋 便ち書を発し、沿途の州郡に告報し、銭糧を供給し、動ずるに以て万を計ふ」

孟達のセリフ出ました!良かった!


黄権が劉璋を押しとどめる

璋 自ら涪城に出で、親ら玄徳に接す。
即ち令を下し、車乗・帳幔・旌旗・鎧甲を准備し、並せて皆 一新せしむ。
主簿の黄権 忙入して諌めて曰く、

孟達は益州の財物を劉備に与えるといい、黄権は益州の財物を与えるなという。この対立が見たかった。

「主公 此に去かば、必ず劉備に害せらる。某 禄を食むこと多年、主公の他人の奸計に中たるに忍びず。望む、之を三思せよ」
張松曰く、「黄権 宗族の義を疎間し、寇盜の威を滋長し、実に主公に益無し」
璋 権を大喝して曰く、
「吾が意、巳に决せり。汝 何ぞ之に逆らふ」
権 叩首し、碎破して満面に流血す。近前し、口に璋の衣を啣へて諌む。璋 大怒して衣を扯ちて起つ。権 放頓せず、門牙の両箇を落す。

名場面、頂きました!
ぼくは思う。立派な行動のすえに生じた身体的な欠陥は、勲章みたいなもの。夏侯惇の片目は武勇のあかし。黄権は、劉璋の衣を加えて諌め、両前歯が折れた。両前歯がないのが忠義の証。彼は、辺境の蜀から、天下の中心たる洛陽にゆき、大いなる魏の皇帝以下、文武百官の前で、歯抜け顔を大いに称えられたに違いない。

璋 左右に𠮟りて黄権を推出せしむ。権 大哭して帰る。

璋 行かんと欲するに、一人 叫びて曰く、
「黄公衡 直言するも納れず。死地に就かんと欲するや」
階前に伏して謙す。璋 之を視るに、乃ち建寧の癒元の人なり。姓は李、名は恢。叩首して諌めて曰く、
「切に聞く、天子に争臣七人有り。無道なると雖も、其の天下を失はず。諸侯に爭臣五人有り。無道なると雖も其の国を失せず。大夫に爭臣三人有り、無道なると雖も、其の家を失せず。士に爭友有り、則ち身に令名を失はず。父に爭子有れば、則ち身 不義に陥らず。

劉璋は、物語としては、諌めを聞けないハダカの王様キャラだが。こうして、諌める臣下が次々と出てくるのだから、却って名君だったことが分かるなー。
身分があがるにつれて、諌めてくれる人数が増えないと、地位を保つことができない。偉くなるとは、より多くの諌めを聞くこと。教訓だなー。

黄公衡の忠義の言、何ぞ之を納れざる。若し劉備の入川するを容るれば、是れ虎を山林を縦つなり。何ぞ能く之を制するや」
璋曰く、「玄徳 是れ吾が宗兄なり。安んぞ肯ぜん、親に背きて疎に向ふを。再び言ふ者あらば、必ず斬る」と。
左右を𠮟り、李恢を推出せしむ。
張松曰く、「今 蜀中の文官、各々妻子を顧み、復た主公に与らず。守関の諸将は、功を恃みて驕傲たり、外意有らんと欲す。劉皇叔を得ざれば、則ち敵 外より攻め、民 内より攻む。必敗の道なり」
璋曰く、「公の言ふ所の如くんば、深く吾に益有るなり」

逆さ吊りの王累が現れた

次日、上馬して榆橋に出づ。門の前面に人 報ず。広陵の王累 自ら縄を用て索り、城門の上に倒吊し、一手に文を持し、一手に剣を仗し、口に称す、
「如し諌めて従はざれば、自ら其の縄索を割断し、此の地に撞死す」と。

きました。大げさな名場面。

劉璋 〈王累が〉執る所の諌文を取らしめ、以て之を観る。其の文に曰く、
「益州従事の臣 広陵の王累、泣血・懇告して言ひて曰く、昔 古者の尭 敢諌の鼓を立て、舜 誰謗の木を置くは、苦口の味を食し、逆耳の言を納るるためなり。楚の懐王 武関に会盟し、屈原の言を聴かず、囚りて秦に𫒗かる。呉夫差 黄池に約会して、子胥の諌を納れず、越国に誘はる。

出典(正史から、さらにその出典)を見よう。

今 主公、軽々しく大郡を離れ、劉備と涪城に相見す。恐る、去路有りて回無きを。倘し沐して回心し、張松を市曹に斬り、劉備の盟約を絶てば則ち、蜀中の老幼に万幸なり。主公の基業にも万幸なり。惟だ焉を垂察す」

劉璋 観畢はり、大怒して言ひて曰く、
「吾 仁者の人に与す。相会すること親ら芝蘭するが如し。汝 何ぞ数々吾を侮るや」
王累 大叫すること一声、「惜まるるかな」とて、自ら其の索を割断し、地に撞死す。後に史官 詩有りて歎じて曰く、(はぶく)。劉璋 三万の人馬を将ゐ、涪城に往きて、後軍、裝を乗せ資を載せること、糧・銭・帛は一千余輔なり。玄徳に接す。

黄権の言うことを聞かず、孟達の言うとおり、劉備に潤沢な供給をした。


劉備と会見して、劉璋が信頼する

却説 玄徳の前軍 巳に墊沮に到る。到る所の処、一は是れ西川の供給なり。二はれ玄徳の号令 厳明なり。如し妄りに百姓の一物を取る有らば之を斬る。是に到る所の処、秋毫も犯す無し。老を提げ幼を携げ、蒲路 瞻観し、焚香して礼拝す。玄徳 皆 之を撫慰す。

忽ち張松 心腹の人を遣り、法正と見ふ。正 書を得て、其の意を知る。遂に来り、龐統に見ふ。
正曰く、「近く張松 密書をして此に到らしむ。今、涪城に相会す。疾く便ち之を図る可し。大事 即ち定まるかな。機会 切に失なふ可からず」

法正を仲介にして、張松と龐統が結合した!2人は、「さっさと劉璋を殺しちゃえ」の計で一致する。しかし2人とも、蜀取りの途中で殺される運命にある。

統曰く、「此の意 切に言ふ可からず。二劉の相見するを待ち、方に之を進言すべし。若し預め走りて中に泄るれば、変有らん」
法正 乃ち秘して言はず。
涪城 成都を離るること三百六十里なり。璋 巳に到り、人をして玄徳を迎接せしむ。両軍 皆 涪江の上に屯す。

「二劉」の軍が合流する、わりと感動的なシーンである。底意がいろいろ渦巻くという意味でも、すごく名場面。
このとき、黄権は成都で、折れた歯を癒やしてる。孟達は、江陵に残っている。この歴史的な会見の場を、間接的にセッティングしたっきり、2人は登場しないのだ。残念。
劉璋側の張松、劉備側の龐統が、ツイである。そして法正が媒介する人。この媒介者が、さいごまで生き残る。


玄徳 入城し、劉璋と相見す。各々兄弟の情を敘す。講礼 畢はり、備 涙を揮ひて以て漢朝の宗族として訢ふ。
筵 散じ、各々寨中に回る。
璋 安歇して衆官に曰く、
黄権・王累の等輩を笑ふ可し。知らずや、宗兄の心を。妄りに相ひ猜疑せり。吾 今日 之に見ゆるに、真に仁義の人なり。吾 外助と為るを得て、又 何ぞ曹操・張魯を慮るや。張松非ざれば、則ち此の羽翼失す。当夜、穿く所の緑袍を脱ぎ、黄金五百両を并せ、人をして成都に往かしめ、張松に賜与す。

アホやなー。この滑稽さが、おもしろさが、劉璋の物語における役割、持ち味である。

璋 衆官に対へて喜び、言ひて曰く、
「吾 玄徳と結好し、夜に臥して安たり」と。

時に手下の将佐たる、劉璝・冷苞・張任・鄧賢、這の一班児、蜀中の文官・武将曰く、
「主公 且に劉備を喜と為す休れ。心意 測り難し。柔中 剛有り。

この「柔」「剛」のモチーフは、劉備を理解するキーワードなのね。毛本でも、「主公且休歡喜。劉備柔中有剛,其心未可測,還宜防之。」とある。

以て処を度し難し。倘し一時、変有らば、量る可からず」
璋 笑ひて曰く、「汝ら皆 心術の人なり。吾が兄、豈に二心有るや」
遂に帳中に帰して宿す。

龐統・法正が、劉璋の暗殺を勧める

却説玄徳 寨中に帰到するや、龐統 入見して曰く、
「主公 今日の席上、劉季玉の動静を見るや」
玄徳曰く、「季玉 真に誠実なる吾が弟なり」
統曰く、「季玉 善しと雖も、其れ劉璝・張任ら各々不平を抱き、主公を睨視す。中間、吉凶 未だ保つ可からず。統の計を以て、若くは莫し。来日、宴を設け、季王に赴席を請け、壁中に衣せしむ。刀斧手の一百人を埋伏す。主公 盃を擲ぐるを号と為し、就ち筵上 之を殺し、一に成都に擁入すれば、刀 鞘より出さず、弓 弦に上せず、坐して定む可し」

さすが龐統さん。効率がいい!龐統は、蜀取りで死ぬという結末があるから、全てが結末となる。劉備は、けっきょく蜀を得る。このとき劉備が、龐統の献策を聞かなかった代償は、蜀取りの成否ではなく、龐統の生命なのです。切ないな-。

玄徳曰く、「季玉 是れ吾が同宗なり。肯肉・誠心もて吾を待す。更めて兼ねて吾 初めて蜀中に到り、恩信 未だ立たず。

マトモなこと、言うじゃないか。

若し此の事を行はば、上天 容れず、下民 亦 怨む。公の謀、覇者なると雖も、亦 為さざるなり。此の如くんば則ち、不義なり」

統曰く、「統の所見に非ず。此の如きは、是れ法孝直〈が荊州への使者となり〉 張松の親書を得て言ふ所なり。事 宜しく遅るべからず。只だ早晩在り、之を図る可し」
法正 入見して曰く、「某ら自己の為にするに非ず、天命に順ふなり」
玄徳曰く、「劉季玉 吾と同宗なり。之を取ること忍びず」
正曰く、「明公 差〈たが〉へり。若し此の如くならざれば、張魯 蜀に殺父の讐有り、其の人 必ず取るなり。

劉備が蜀を取らねば、張魯が蜀を取る。だったら、劉備が蜀を取っても同じじゃないかと。ムチャな理屈であるw

今 主公 久しく住む可ならず。当に速やかに之を図れ。切に主公に謂ふ、山川を遠渉し、士馬を駆馳し、既に此の地に到る。進めば則ち功有り、退けば則ち益無し。

いまになって迷うなよと。

若し其の狐疑の心を執り、遷延すること日に久しければ、失計と為り。不但、此の如くんば、又 機謀の一泄して他人の筭する所と為るを恐る。那時、主公 何を以て立着せん。如かず、此の天与の時・人帰の際にに乗じて、其の不意を出し、以て基業を立てよ。誠に之の為に有りて、時 失なふ可からず」
此の時、法正 再三にして玄徳に取蜀を勧む。知らず、玄徳の心下 如何なるを。且聴下回分解。141019
起自、漢献帝建安十三年戊子歳、至、建安十六年辛卯歳、止四年事実。

劉備が執拗に、執拗に、蜀取りを拒むのは、「もしも劉備が龐統の言うことを聞けば、龐統が死なずに済んだのに」という、たった一声を読者に出させるための念入りな仕掛け。龐統は、諸葛亮に匹敵する人物のはずだから、劉備の天下統一が成ったかも知れないのに、という、さらなる慨嘆をも誘う仕掛け。

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