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- 第78回上_曹操 神医の華佗を殺す(部分)
曹操が華佗を殺す、第78回上は、後日コンプリート。
第78回下に続く部分だけ、訳します。
曹操は周文王になりたい
却説 魏王 華陀を殺すの後より、病勢 退かず。又 呉蜀の未だ如何なるかを知らざるを憂ひ、正慮するの間、近臣 忽ち東呉に奏す。
又〈孫権も〉 使を遣はして操に至り、人を召す。書を曹操に呈す。操 封を折りて之を視る。書に曰く、
「臣孫権 久しく天命を知る、以て皇上に帰すと。伏して望む、早く大将を遣はして、劉備を剿滅し、両川を掃平せんことを。臣 即ち群下を率ゐ、土を納れ、帰降せん」と。
曹操さんには、早く劉備を平定してほしいな。そしたら、私は曹操に帰順する準備があるのに。天命は、とっくに曹氏に移っているのだから、それが出来るだろ?早く!早く!
操 観畢はり、大笑し、群臣に示して曰く、
「是の児 吾をして爐火上に居らしめんと欲するや」
時に 侍中の陳群・尚書の桓階有りて、二人 地に伏して奏して曰く、
「漢室 安帝自り以来、国祚 已に衰ふること、今日に止まるに非ず。王上の功徳 巍巍たり。生霊 仰望す。故に孫権、外に在りて臣を称す。此れ天人の応なり。気を異にするとも、声は斉し。王上 早く大魏皇帝に登りて、正統に即け。復た何をか疑はん」
操 笑ひて曰く、
「吾 自ら漢に事ふること三十余年なり。功徳有り、位は王に至ると雖も、身に足れり。何ぞ敢へて更に外を望むや」
李卓吾はいう。老奸 此の処に、天理有るに似る。然るも亦 天下を三分して以て殷に服事するを得ざるを説く。夏侯惇 諫めて曰く、
「天下 咸 知る、漢祚 已に尽き、代を異にするを。方起、自古より以来、能く万害を除き、百姓の帰する所となる者、即ち生民の主なり。今、王上 戎に即くこと三十余年、功業 黎庶に著はる。今、天下 理合に投帰し、順民・応天、復た何ぞ疑ふや」
操曰く、「有政に施すも、是れ亦 政為り。苟くも天命 孤に在らば、孤 即ち周文王と為らん」
原文は「施於有政是亦為政」。李本になし。武帝紀 注引『魏略』には、「施于有政、是亦為政」とあるが、何か出典をもつ引用のようだ。あとで調べる。
後に詩有りて云く、
「奸雄の曹操 功勲を立て、久しく朝に臨み、漢君を廃せんと欲す。只だ恐る、万年の人 吐罵するを。故に言ふ、吾 願はくは周文に学ばんと」
司馬温公 亦 曰く、「操 簒位せんと欲すること久し。猶ほ其の名を畏れ、敢へて行はず。故に言ふ、『周文王と為らんと願ふ』と」と。「名」というのは、後世くさい概念だなあ。操 謙辞して允へず。
司馬懿曰く、
「今 江東の孫権 既に臣を称、王に帰附す。上 之を封ずるを以て劉備を拒ましむ可し」
操曰く、「此の理 極めて善し」
遂に文武を集め、封呉の事を商議す。還りて是れ如何。且聴下回分解。141012閉じる
- 第78回下_魏太子の曹丕 秉政す
孫権を荊州牧に任じる
曹操 司馬懿の言ふ所を聴き、多官と商議し、孫権を封じて、驃騎将軍・南昌侯と為し、荊州牧を領せしむ。
即日、使を遣はして東呉に往かしめ、権を封ず。
権 爵を受け、已に畢はり、随ち使を遣はし、箋を上して謝恩し、于禁を送り都に還す。
史書では、于禁は、曹丕の時代に帰ってくるのに。
曹操が三馬の夢をみる
操の病 転加す。是の夜、子時、三馬の同槽するを夢みる。暁に及び、賈詡を召して曰く、
「孤 昔夜 三馬の同槽するを夢みる。疑ふ、馬騰・馬林・馬鉄の三人、故 馬騰の全家を将て之を殺す。今夜、復た之を夢むるや」
詡 奏して曰く、
「馬を禄するは、皆 吉兆なり」
衆官 言はく、
「馬を禄するは、尚ほ曹のごとし。皇上 何ぞ必ず疑ふや」
操 此に因り、疑はず。
「三馬 同槽する事、疑ふ可し。知らざるや、已に晋の根基を植うるを。曹瞞 空し。奸雄の略、豈に識る、朝中に司馬懿有るを」
伏皇后と董貴妃が現れる
是の日、天 晩く、文武 皆 散ず。
夜 三更に至り、操 覚め、頭目 昏眩たり。几上に起伏し、臥す。忽ち殿中の声を聞く。帛を裂くが如し。
操 驚きて之に問ふ。忽ち見はる、伏皇后・董貴妃・二皇太子、并びに国舅の董承ら二十余人なり。渾身 血に汚れ、、愁雲の内隠に立つ。隠れ聞こゆ、命を索むる声。
操 急ぎ剣を抜き、空を望みて之を砍る。忽然、一声 響亮・震塌す。殿宇の西南の一角、近臣 操を将て救出す。別宮に病を養ふ。
次夜、又 殿外に聞く、男女の哭声 絶へざるを。暁に至り、操 群臣を召して入らしめて曰く、
「孤 戎馬の中に在ること、三十余年なり。未だ嘗て怪異の事を信ぜず。今日 此の如し。いかんせん」
群臣 奏して曰く、
「王上 当に道士に命ずべし。蘸を設け、薦揚せよ」
操 難じて曰く、「聖人 罪を天に獲れば、禱する所無しと云ふ有り。孤が天命、将に尽きんとす。日に万金を用ゐると雖も、安にか救ふ可き」
遂に蘸を設くるを允さず。
次日、覚む。気冲 上焦たり。目に物を見ず。急ぎ夏侯惇を召し、商議す。惇 殿門の前に至り、忽ち見る、伏皇后・董貴妃・二皇太子・国舅の董承ら、陰雲の中に立つを。
!!夏侯惇も見ちゃった。夏侯惇もすぐ死ぬからw惇 大驚し、昏倒す。左右 扶け出す。此れ自り、病を得たり。
曹操が遺言する
操 前将軍の曹洪・待中の陳群・中大夫の賈詡・主簿の司馬懿を召し、同に臥榻の前に至らしむ。後事を以て嘱す。
操曰く、「孤 天下を縦横すること三十余年。群兇 皆 滅止す。江東に孫権、西蜀に劉備有り、未だ曽て收復せず。孤 今 病は危たり。必ず然り、逃れ難し。今 大事を以て汝 四人に嘱す。孤の長子 曹昂は、劉氏の生む所なり。不幸にして、早年 宛城に没す。今 卞氏 四子を生む。丕・彰・植・熊なり。孤 平生 愛する所は、第三子の植なり。人と為り虚華にして、誠実を少なしとし、酒を嗜なみ、放肆たり。此に因り、立てず。
次子の曹彰、勇にして無謀なり。曹植に比べると、一瞬で却下w四子の曹熊 病多く、保ち難し。
惟だ長子の曹丕 篤厚・恭謹、才智兼全、大事を任す可し。汝ら宜しく之を輔佐せよ。各々忠義の心を懐き、以て悠久の計を図れ。怠慢を得る勿れ」
言 訖はり、長嘆すること一声、涙 雨の如く下る。気 絶へて亡す。寿は六十六歳、時に建安二十五年、春正月下旬なり。
後に史官 詩有りて曰く(はぶく)
又史官贈撥曹操行状云(はぶく)
晋平陽侯陳寿評曹操曰(はぶく)
宋賢讃曹操功徳詩曰(はぶく)
唐太宗曽祭魏武祖云(はぶく)
前賢又貶曹操詩曰(はぶく)
宋鄴郡太守晁尭臣登銅雀台有詩嘆曰(はぶく)
鄴城で曹丕が悲しむ
却説 曹操の身 亡び、文武・百官 尽く皆 哀を挙ぐ。
一面 魏太子の曹丕に報ず。一面 鄢陵侯の曹彰、臨淄侯の曹植、蕭懐侯の曹熊に報ず。
多官 金棺・銀槨を用ゐ、操を将て入殮せしむ。
星夜 霊櫬を挙げ、鄴郡に赴く。
却説 曹丕 父の喪を聞知し、声を放ちて痛哭す。衆将 再三 解を勧む。方に息むや、遂に大小の官員を率ゐ、城を出ること十里。道に伏し、櫬を迎へ、城に入る。偏殿に停む。
曹操の棺は、鄴県までひきあげた?官僚 孝を掛け、祭を拝す。哀声 大いに震ふ。忽ち一人、挺身して出でて曰く、
「太子に請ふ。哀 息め、百官 暫く止めよ。何ぞ且に大事を議せざる」と。
衆 之を視るに、乃ち司馬孚なり。太子中庶子たり。孚 声を厲して言ひて曰く、
「王 已に晏駕し、天下 震動す。当に早く嗣君を立て、以て万国を鎮むべし。何ぞ但だ哭泣するや」
群臣曰く、「太子 宜しく宝位に登るべし。但だ未だ天子の詔命を得ざれば、豈に敢へて造次して行ふ」
天子の詔がないと、魏王を嗣げないと。まだ詔がないから、とりあえず、泣いて間を持たせていたのに、司馬孚は何を言うのかw忽ち班部の中より、又 一人 出でて曰く、
「遅已なり、遅已なり」
丕 之を視るに、乃ち広陵の東陽の人、姓は陳、名は矯、字は季弼なり。兵部尚書たり。矯曰く、
「王上 已に薨ず。太子 側に在り。若し詔命を等〈ま〉ちて彼此を分くれば、則ち社稷 危ふし」
遂に剣に抜きて手に在り、官僚を指して怒りて曰く、
「敢へて吾が言を乱す者は、割袍して例と為す」
この陳矯サマに逆らったら、見せしめに殺すぞ。言 訖り、一剣もて袍袖を割下す。百官 悚懼し、丕を擁して殿正に至り、冊立せんと欲す。
華歆が、封王の詔をもたらす
忽ち華歆 許昌より飛馬もて至るを報す。衆 皆 大驚す。至るに及び、之に問ふ。歆曰く、
「今 魏王 晏駕し、天下 震動す。汝ら久しく君禄を食む。何ぞ早く太子を立てざる」
衆官 応へて曰く、
「正に立てんと欲す」
歆曰く、「吾 已に漢帝の処に、詔命を索〈もと〉めり」
衆 皆 踴躍して、称賀す。
李本では、曹丕が詔命を待たずに即位しようとしたら、華歆が「偶然にも」間に合った。詔命を踏まえて、即位できた。ここで華歆が来なければ、かってに即位してた。そのほうが、魏っぽい。歆 懐中より詔命を取出し、開きて読み、百官をして跪き聴かしむ。制に曰く、
文帝紀 裴注に同じ。末尾に、「建安二十五年春二月日詔」と追記されてる。
毛本では、まるまる全削除!いま、ぼくのサイトでも、全削除したから、李卓吾本にせっかく漂う正史臭を除く罪は、同程度であるw
是の時、華歆 魏に謟事す。故に此の詔を草す。献帝に威逼し、之を降さしむ。
正史には、華歆がここまで悪辣なキャラではない。裴注の封王の詔も、とくに「献帝が、イヤイヤ出させられた」とか、書いていない。帝 其の勢を懼れ、只 聴従するのみを得て、故に詔を下し、即ち曹丕を封じて魏王・丞相・冀州牧と封す。
百官 並びに敢へて其の非を言はず。
丕 即日 位に登る。大小・官僚の拝舞・起居を受く。正に宴会・慶賀するの間、この油断ぶりが、曹丕らしくて、いいですねw忽ち報ず、
「鄢陵侯の曹彰 長安自り十万の大軍を領し、来到す」と。
丕 大いに驚き、遂に群臣に問ひて曰く、
「孤が黄鬚の小弟、平日 性は剛にして、深く武芸に通ず。今 兵を提げ、遠来す。必ず孤と王位を争ふなり。之をいかんせん」と。
忽ち階下の一人 声に応へて出でて曰く、
「臣 素より知る、鄢陵侯の所行を。当に片言を以て之を折る」
衆 皆 称して曰く、
「大夫に非ざれば、能く此の禍ひを解くこと莫し」と。
未だ誰なるやを知らず。且聴下回分解。141012閉じる