読書 > 李卓吾本『三国演義』第8回の訓読

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第8回_司徒の王允 貂蟬に説く

今回は、冒頭で孫堅の死体を片づけたあと、もっぱら、智略と武勇にすぐれた「貂蝉将軍」の活躍を見守る回です。
史書と比較対象して、『三国演義』の編者による史実の取捨選択・アレンジを楽しむ、というのとは、ちょっと違います。

孫堅の死骸と、黄祖を交換する

蒯良 出でて曰く、「方今、孫堅 已に喪く、江東 無主なり。堅の子 皆 幼く、歴事する能はず。此の虚弱の時に乗ずべし。火速に進兵すれば、江東 一皷にて得べし。若し屍を付して策に還し、南郡に回るを容るれば、〈孫策は〉気力を養成し、荊州の患とならん」
表曰く、「吾 黄祖 彼の営中に有り。安んぞ之を棄つること忍びん」

この辺が、劉表らしさ。史書にないが、史書よりもリアリティのあるセリフを言うのだ。

良曰く、「一の無謀之輩を捨て、万里の土を取る。此れ乃ち大丈夫の為す所や」
表曰く、「吾と黄祖 心腹の交なり。之を捨つれば不義なり」

遂に桓楷を送り、営に回〈かへ〉し、相ひ約するに、屍を以て黄祖と換ふることを。黄祖 回るを得て、孫策 霊柩を迎接す。孝を掛け、軍を回す。両邉 戦ひを罷み、回りて江東に至る。

孝を做し、已に畢はり、父を曲阿の原に葬る。策 墓を辞し、軍を引きて江都に居る。賢を招き士を納れ、己を屈して人を待す。
此に因り、四方の才徳ある者 漸漸と之に投ず。

周瑜の登場は、もうちょっと先。
孫堅の死が『三国演義』で初平三(192)年に設定される理由は2つ。
1つ、孫堅の死を聞いて董卓が安心し、増長して王允に殺される、という話の流れをなめらかにするため。
2つ、孫堅の荊州攻めは、袁術の冀州攻めと両面作戦であり(作中のセリフにある)、袁術の初平四年春の北伐と時期を揃えるため。孫堅の荊州攻めと同時に展開されたはずの、袁術の冀州攻め(正史で匡亭の戦いに繋がる)は、伏線のままで放置された。袁術は、いつのまにか南陽から淮南に移動しており、編者も混乱して、袁術の居場所の記載が一定しない。曹操vs袁術という、最高に盛り上がるべき場面が、『演義』でカットされたのは残念w


董卓が尚父となり、郿塢を築く

却説 董卓 長安に在り、孫堅の巳に死するを聞き、乃ち曰く、
「吾が心腹 一患を除却するなり」
其の子の多少〈いか〉なる年紀かを問ふ。
答へて曰く、「十七歳なり」
卓曰く、「何ぞ道ふに足らんや」
此より董卓 自ら号して尚父と為し、出入 天子の儀を僣す。

董卓が傲慢になり、死のキッカケとなるのは、孫堅の死。うまく話がつながっている。史実では、因果関係はそこまでではない。
劉備が生きていても、それほど気にしないところが、史実っぽさが残り、『三国演義』臭さが徹底していない。


仗りて弟の董旻を封じて左将軍・鄠侯となす。兄子の董璜を侍中と為し、禁軍を総領せしむ。
宗族は長幼を問はず、皆 列侯に封ぜらる。男女 抱中に懐くに便ち金紫を以てし、爵位 之に与ふ。
二十五万の人夫を差はし、郿塢を築く。長安の城郭と、高下・厚薄を一般〈同じ〉とす。週囲は九里、郿塢は長安を離るること二百五十里なり。
塢 宮室・倉庫を蓋ひ、二十年の糧食を屯積す。民間より美貌なる女子、年二十以下、十五以上なる者 八百人を選び、充たして婢妾と作す。塢内に、金玉・彩帛・珍珠を積み、其の数を知れず。
卓 常に云ふ、「吾が事 成れば当に天下に雄拠すべし。成らざるとも、此を守れば、以て老を養ふに足る」と。

董卓が郿塢を作り、「吾が事 成れば当に天下に雄拠すべし。成らざるとも、此を守れば、以て老を養ふに足る」というのは李卓吾本。吉川英治も踏襲。もとは『三国志』巻六 董卓伝。だが毛宗崗本は、このセリフを省略する。もし日中の三国ファンで、同セリフの認知度を調査したら、日本が圧勝するかも。
次の蔡邕が公卿を登用した話も、皇甫嵩とのギクシャクした関係の話も、毛本にない。


董卓が皇甫嵩を圧倒する

省台の公卿 但だ卓に見へば、出でて皆 車下に拝す。朝廷の旧き臣宰、尽く皆 委用せらる。此是、蔡邕の薦なり。

蔡邕が、あとで王允に殺される伏線。

忽ち一日、御史中丞の皇甫嵩 〈董卓の〉車下に拝す。卓曰く、
「皇甫義真〈皇甫嵩〉、你 今日 我に服すや」
嵩 答へて曰く、「安んぞ知る、明公の位 此に至るを」
卓曰く、「鴻鵠 固より遠志有り。但だ燕雀 自ら知らざるのみ」
嵩曰く、「昔日 嵩と明公 皆 鴻鵠なり。不意に明公 変じて鳳凰と為るのみ

「不意に燕雀に成り下がったね」とは言わないw

卓 大笑して曰く、「義真、我を怕るるや」
嵩曰く、「明公 徳を以て朝廷を輔け、大いに度して賢を容るれば、誰か敬はざるか。若し酷法・厳刑を為せば、天下は皆 懼る。豈に独り嵩のみや」
卓 又 笑ふ。

卓の家属 皆 郿塢に在り。或いは半月に一回、或いは一月に一回、公卿 皆 横門の外に拝す。(横門 即ち長安の東門なり)。
路に帳幔を設け、常に公卿と聚飲すること一日。

北地郡の人を殺した、残虐な宴会

北地 降士の数百人を招安し、到来す。卓 横門より出で、百官 皆 送る。
卓 留まりて飲宴し、却りて、軍士の数百人を座前に将ゐる。或いは其の手足を断ち、或いは眼睛を鑿去し、或いは其の舌を割り、或いは大鍋を以て之を煮る。皆 未だ死せざるを、酒卓・几前に反復して掙命す。百官 戦慄して失筯す。卓 飲食・談笑すること、自若たり。 百官 散を告ぐ。
卓曰く、「吾 歹心なる者を殺す。何ぞ之を怕るる」

董卓は、ふつうに残虐なのではない。敵対する者を見せしめ、味方する者を手厚くする。これは、董卓なりの人心収攬のテクニック(のつもり)なのだ。史書でも、董卓は残虐なことをやる。史実の董卓も、人心収攬のつもりだったのだろう。裏目ったけど。


袁術と通じた張温を殺す

数日前、太史院 卓に禀げて曰く、「黒気 冲天す。大臣 災有らんと
卓 省台に百官と大会し、列坐・両行せしむ。酒 数巡に至り、呂布 逕入し、耳邉に言ふこと数句ならず。

呂布が、董卓の手足・耳目として、キビキビ働いていることが示される。

卓 笑ひて曰く、
「原来、此の如し」と。
呂布に命じ、筵上に脳揪し、司空の張温をして下堂せしむ。百官 色を失す。
卓曰く、「太史 昨〈昨日〉言ふ、大臣に災有らんと。原来、此の人〈張温〉の身上に応ず。時 多からず、侍従 一紅盤を将て張温の頭を托し、卓に入献せよ。呂布 酒を勧め、人の面前ごとに〈張温の〉頭を将て呈せ。百官を過ぐれば、魂 体に附かず」
皆 相ひ顧みず。
卓 笑ひて曰く、
「諸公 驚く勿れ。張温 袁術と結連し、我を害せんと図らんと欲す。因りて人を使はして書を来らしむるに、錯りて吾が児 奉先の処に下す。故に之を斬り、以て夷三族とす。汝ら、吾に孝順なれば、吾 之を害せず。吾 天祐の人なり。吾を害する者 必ず敗れん」と。

李本では、夷三族も、「私に孝順なら」とも、「天祐の人」とも言わない。だいぶ、控えめな董卓に仕上がっている。

衆官 唯唯とするのみ。晩に当り、皆 散ず。

貂蝉が王允を心配する

司徒の王允 府中に帰到す。尋て今日の席間の事を思へば、坐すれども席に安ぜず。杖を策きて後園に歩出し、天を仰みて涙を沉れ、吟じて立ちて荼蘼に架側す。
忽ち聞く、人 牡丹亭の畔に、長吁・短歎するもの有り。允潜かに歩みて之を窺へば、乃ち府中の歌舞の美人、貂蟬なる女なり。
其の女 幼より選入し、楽女を充たす。允 其の聡明なるを見て、以て歌舞・吹弾の一通を教ふ。九流・三教に百達し、知らざる所無し。

万能の楽人という設定。その能力ゆえに、王允が見出したと。義理の親子としての愛情よりは、ただ能力で抜擢したという関係だから、計略に使ってもいいのだw

顔色は傾城。年 十八に当る。允 親女を以て〈実の娘のように〉之を待す。

王允と貂蝉の関係。吉川三国志は「愛情においては、主従というよりも、養父と養女というよりも、なお濃い」と。李本と毛本「允 親女を以て之を待す」、通俗三国志「子のごとし」。王允と貂蝉を湿っぽい情緒的な関係にしたのは吉川のしわざ。『演義』では、外見・聡明を買われて技能を仕込まれただけ。

是の夜、允 〈貂蝉の歌を〉聴くこと良に久し。喝して曰く、
「賎人 私情〈恋愛〉を将て有るや」

貂蝉のことは、「賎人」と呼びかけるのね。そして、オヤジは、いつだって野暮なのである。たとえ、国家の大計について考えている素振りを隠しているにしても、隠し方が野暮なのである。

貂蟬 大いに驚き、允の前に跪す。答へて曰く、
「賎妾 安んぞ敢へて私情を慕ふこと有るや」
允曰く、「汝 私する所有らざれば、何ぞ夜の深く、此に長嘆する」
貂蟬曰く、「容〈ゆる〉せ、妾に肺腑の言を伸すを」
允曰く、「汝 隠匿する勿れ。当に実に我に告げよ」
貂蟬曰く、「妾賤の軀 大人の恩養を蒙り、歌舞を訓習する。未だ嘗て婢妾なるを以て相待せず、親女と作して之を視る。妾 粉骨・碎身すると雖も、大人の万一も報いる莫し。
妾 大人を見るに、両眉は愁鎖、必ず国家の大事有り。

貂蝉にバレる程度じゃ、王允の器は小さい。隠し切れていない。そして王允は、董卓を始末したあと、すぐに政権が滅亡する。
李卓吾はいう。〈貂蝉は〉自ら是れ心有る人なり。

妾 敢へて問わず、大人の憂ひを解くことを。
今晩 又 見るに、大人 行坐して、安ぜず。此に因り、長嘆して想はず。大人 窺かに見るに、倘〈も〉し妾を用ゐるの処有れば、万死するとも辞せず」と。

このあたり、吉川三国志のほうが、心にせまる。

允 杖を以て地を撃ち、曰く、
「誰ぞ漢の天下を想ふ。却りて汝が手中に在るや。我に随ひて画閣の中に到れ」

ふたりきりで、きっちり話がしたい。


王允が貂蝉に頼み込む

貂蟬 允と閣中に到る。允 尽く婦妾を叱出す。允 貂蟬を中に端坐せしめ、叩頭して便ち拝す。

密室で、新しいプレイを始めたのである。司徒なのに、いや司徒だからこそ、こういう遊びが楽しいのでしょう。

貂蟬 驚き、地に倒伏して曰く、
「大人 何なる故にて、賤妾に下拝する」
允曰く、「汝 漢の天下・生霊を憐れむべし」
言ひ訖り、涙 泉の如く涌く。

貂蟬曰く、「適間 賤妾、曽て言ふ。但だ有り、万死をして辞せざらしむるを」

何でもしますって、さっき言ったじゃん。

允 跪きて言ひて曰く、
「百姓 倒懸の危あり。君臣 累卵の急あり。汝にあらざれば、救ふ能はず」
貂蟬 再三、拝して允に問ひて曰く、
「賊臣の董卓 将に簒位せんと欲す。朝中の文武 施すべき計なし。董卓の手下に一義児あり、姓は呂、名は布、万夫不当の勇あり。我 観るに、二人 皆 酒色の徒なり。今 連環の計を用ゐんと欲す。

名台詞、いただきました!

先に汝を将て呂布に許嫁し、然る後、献じて董卓に与ふ。汝 中取にて便ち諜間せよ。他の父子、顔を分たん。布をして卓を殺さしむれば、絶大・悪重を以て、社稷を扶け、再び江山を立つ。皆 汝の力なり。汝の意を知らず、いかん」と。

貂蟬曰く、「妾 大人に許す、万死するとも辞せずと。献ぜられ、他処に出到するを望む。妾 自ら道理あり」と。
允曰く、「事 若し泄漏すれば、我 当に滅門すべし

王允のほうが、びびっている。毛本も同じだが、吉川三国志では、王允は「モレたらどうしよう」と言わない。貂蝉がいきなり、「もし、し損じたら」と切り出す。

貂蟬曰く、「大人 憂ふ勿かれ。妾 若し大義に報いざれば、万刃の下に死いして、世世 人身に復せず」と。

貂蝉のほうが、腹が据わっている。「人身に復せず」を、吉川三国志では、「人間の身をうけて生まれてきません」とする。輪廻転生のことを言ってるのか?

允 拝謝して、之を密す。

貂蝉が連環の計に参加する動機は、作中で本人が曰く「卑賤な私に、芸能を仕込んでくれたから」であって、「王允と親子に準じた心情の結びつきがあるから」でない。王允は計略を提案するとき、叩頭して頼み、「漢の天下を憐れんでくれ」と依頼する。父娘や男女でなく、同士のような扱い。
しかし吉川は、王允を貂蝉に向けて叩頭させた後、「貂蝉。おまえに礼をほどこしたのではない。漢の天下を救ってくれる天人を拝したのだ」と、叩頭の意義をすり替える。『三国演義』原典では、教育の代価を払えと同志に頼む王允。だが吉川は、そのドライさを嫌って、連環の計を、父娘の悲劇的な共同作業に改変した。


王允が呂布にへつらう

次日、王允 家蔵の明珠 数顆あるを、匠者をして金冠に嵌めしめ、人をして密かに呂布に送らしむ。

曹操に与える宝剣が出てきたり、呂布に送る明珠が出てきたり、貂蝉が出てきたり。王允の家は、お金持ちである。

布 之を得て大喜し、朝の畢るを候〈ま〉ち、王允の宅に逕到し、致謝す。
允 布を料るに、必ず来ると。允 嘉肴・美饌・好酒・細菓らを備へて、〈呂布を〉等候す。呂布 至りて、允 出門して接す。
後堂に接入し、之に高坐を譲る。
布曰く、「呂布 乃ち相府の一将士なるのみ。司 徒は乃ち、朝廷の元老・大臣なり。何の故に 錯りて敬ふか」

すげえ!呂布は常識人。どうしてこの呂布が、諸勢力の計略によって、でたらめに操縦されてしまうのか。毛本も同じ。

允曰く、「方今 天下に、別に英雄なし。惟だ将軍あるのみ。

李卓吾はいう。司徒は妙人なり。

允 将軍の職を敬ふにあらず、将軍の才徳を敬ふなり

才能を愛する王允。『三国演義』で王允は、貂蝉の美貌と芸能を評価し、卑賤にも関わらず、実子のように待遇した。王允は呂布にへつらい、「呂布の官位を敬うのではなく、才徳を敬うのです」という。出身階層や社会的身分より、本人の才能を愛する人物としてテキストに表れる。ただ才のみ…って既視感w
このドライさは、貂蝉から、芸能を教育した代価として、きっちり身柄を「買い取る」ところにも表れる。 そして、才を愛するなら、なぜ蔡邕を殺したんだよ、王允。

布 大いに喜ぶ。
允 慇懃に敬酒し、只だ董太師并びに布の徳の絶えざるを称し。
布の酒 半酣に至り、曰く、
「布 早晩 亦た司徒に望む、天子の処に保奏せんことを」と。
允曰く、「将軍の言は、差〈あやま〉れり。允 専ら望む、将軍 太師の前に提携し、終身、大徳を忘れざることを

呂布のなかにある、董卓を慕う心を探ったのだろう。つぎに呂布は大笑する。王允が、「呂布は董卓に、死ぬまで仕える気はなさそうだぞ」と感得するシーン。
惜しいかな、李本では削除されている。

布大笑して、暢飲す。

貂蝉を王允に献げる

允 左右をして退去せしめ、只だ侍妾の数人を留め、酒を勧む。
允曰く、「孩児を喚べ、将軍に与へよ」と。
盞を把し、少頃、二青衣の丫鬟 貂蟬を引き、席前に到らしめ、再拝す。
布 問ふ、「何なる人か」
允曰く、「小女は貂蟬なり。将軍を敬うを以てすべきこと無く、当に妻に出すべきと、子〈呂布〉に見せしむ」

毛本は、「小女貂蟬也。允蒙將軍錯愛,不異至親,故令其與將軍相見」とある。毛本なら意味が分かるが、李本は、ちょっと難しい。訓読も変です。

貂蟬 呂布に盞を把し、目して睛を転ぜす。允 酔を推して曰く、
「孩児央 将軍に及びて痛飲すること幾盃。吾が一家 将軍哩に全靠着す」

毛本は、「孩兒央及將軍痛飲幾盃。吾一家全靠著將軍哩」で、だいたい同じ。立間訳は、「これ娘、もっと将軍にあがっていただかぬか。わたしたち一家にとって将軍はなくてはならぬお方なのじゃぞ」とある。訓読できないので、載せておく。

布 貂蟬に坐を請へども、蟬 回るを要さんとす。
允曰く、「将軍 吾の恩人なり。孩児、便ち坐せ。何ぞ妨げん
又 数盃を飲み、允 立脚して牢せず、面を仰ぎて大笑して曰く、
吾 小女を将て将軍に送り、妾と為さんと欲す。還りて納るること肯ずるや否や」
布 跪きて謝して曰く、
「布 願はくは、犬馬の報に当るべし」
允曰く、「早晩 一良辰を選び、府中に送至す」
布 欣喜して限り無し。頻りに以を目て貂蟬を視す。貂蟬 亦 秋波を以て情を送る。

いわゆる毒電波であろうか。ちがうかな、ちがうな。

允曰く、「本は将軍を留めて止宿せしめんとす。但 恐る、太師に疑はるを。実に敢へてせざるなり。貂蟬をして回せしむ〈見送りさせる〉」と。
允 布を送り、上馬す。布 謝して去る。

允 是の夜 貂蟬に曰く、
「天下・百姓の福なり。早晩 太師に請ふ。汝を却し、歌舞を以て之を侍す」と。
貂蟬 応諾す。

吉川三国志で、貂蝉は自殺する。自殺という結果は唐突に提出されるのではない。初登場で『三国演義』とは違うキャラと説明され、やんわり自殺の伏線になる。『三国演義』では、教育を施してくれた王允に、プロとして、教育に要したコストを返報すると約束し、それを果たす。吉川三国志では、王允と父娘として情の通う、言わばアマチュアという立場(自己認識)に基づいて、計略に挑む。
貂蝉の連環の計が、どこかやり切れない、せつない物語になのは、吉川英治による改変の結果だと思う。『三国演義』は、貂蝉がプロとして仕事を成功させた話。吉川版の印象を強制的に忘却して『三国演義』を読めば、微妙な読み味の悪さは残らないのでは。物語進行の都合で、貂蝉の自殺が要請されることもない。だって連環の計のヒットは、賞賛されることではあり、悲劇性などない。
読者の印象のなかで、悲劇に見えるなら、それはプロが就いているその職業に対する全体のイメージであって、貂蝉の件は関係ない。


貂蝉を董卓に見せる

次日、允 朝堂に在り、卓に見ふ。傍に呂布なきを却て、

呂布にバレたら、計略が成立しないもんなw

允 地に伏して拝して請ひて曰く、
「允 太師に車騎を屈して草舍に到り、宴に赴くことを欲するとも、未だ鈞意を審らかにせず。いかん」と。
卓曰く、「司徒は乃ち国家の元老なり。既に然して日来りて、請有れば、当に赴くべし」
允 拝謝して、帰家す。水陸 畢陳し、前庁の正中に坐を設く。錦繡・鋪地、内外に各々幔幃を設く。

董卓を迎えるために、豪華な席を準備した。


次日、巳の時分。人 太師の来到するを報ず。允 朝服を具へ、出迎へ、再拝して起居す。
卓 下車し、左右の持戟する甲士は百余なり。簇擁して入庁し、両旁に分列すること霜の雪に似るが如し。
遂に堂下に再拝す。卓 命じて扶け上げ、坐を側に賜る。

王允が平伏しちゃって、場がどうしようもないので、董卓が顔をあげさせ、自分の隣に座らせた。まあ、王允の政庁なんだけど。

允曰く、「太師の盛徳は巍巍たり。伊尹・周公 安くにか能く及ぶや
卓 大喜して酒を進め、楽を作す。允 致敬の情 甚だ天子よりも厚し。

天色 漸く晩く、卓の酒 半酣なり。允 卓に後堂に入るを請ふ。卓 甲士をして休進せしむ。允 觴を捧げ、称賀して曰く、
「允 幼きときより頗る天文を習ひ、夜に乾象を観る。漢家の気数 此に尽くるに到る。太師の功徳 天下を震はすこと、舜の尭より受け、禹の舜を継ぐが若し。正に天心・人意に合ふなり」

いっきに、尭舜・舜禹の話に飛んじゃった!毛本も同じ。これは董卓が、禅譲の詔に吸い寄せられて、王允・呂布に殺されにいくという伏線。董卓が禅譲を意識するとしたら、この王允のセリフによってである。

卓曰く、「安にか敢へて此を望むか」
允曰く、「天下は、一人の天下に非ず。乃ち天下の人の天下なり。

おいおい、史書では、まったく禅譲の話なんか出てこない段階なのに、先走って、王允が革命を正当化するロジックを、勝手に語り始めたよ。曹丕の漢魏革命の伏線としては、偉く遠いな。物語として、不親切なんじゃないか。

古より、有道 無道に代はり、無徳 有徳に譲る。豈に過分なるや」
卓笑ひて曰く、「果して然り。天命 吾に帰す。司徒 当に元勲と為る」と。

允 堂中に拝謝し、画燭を點上し、止留して、女をして酒を進めて食を供せしむ。允 進めて曰く、
「教坊の楽 以て供奉して鈞顔するに足らず。輒ち有り、草舍の女楽。敢へて承応せんや」
卓曰く、「深く厚意に感ず」
允 簾櫳を放下せしめ、笙簧・繚繞・簇捧なる貂蟬、簾外に舞ひ、詞有りて曰く、(省略)又 詩に曰く(省略)

原是昭陽宮裏人驚鴻宛転掌中身只疑飛過洞庭春按徹梁州連歩穩好花風裊一枝新画堂香煖不勝春。又詩曰、紅牙催拍燕飛忙一片行雲到画堂眉黛促成遊子恨臉容初断故人腸榆銭不買千金笑柳帯何須百宝粧舞罷隔簾偷目送不知誰是楚襄王。
楚襄王の故事が、計略のネタバレなんだけど。「襄王有意神女無心」と、ググったら説明が出てくる。董卓がググったら、アウトだった。


王允が董卓に貂蝉を差し出す

舞ひ罷み、卓 命じて貂蟬を近前し、簾内に転入せしむ。〈王允は〉深深、卓を再拝す。曰く、
「此の女、何なる人や」
允曰く、「楽童の貂蟬なり
卓曰く、「能く唱ふや否や」
允 貂蟬に命じて、手に執り、板低に檀し、一曲を謳せしむ。

一曲は、訓読をはぶく。「一點櫻桃啟絳唇両行碎玉噴陽春丁香舌吐衠鋼剣要斬姦邪乱国臣」


卓 称賞して已まず。允 貂蟬に命じて、盞を把り、卓に擎盃す。殢〈とど〉めて曰く、
「春色 幾何ぞ〈年齢はいくつか〉」
貂蟬曰く、「賤妾 年は二旬を整ふ」
卓 笑ひて曰く、「真に神仙の中人なり」
允 再拝して曰く、「老臣 此の女を将て主人に献ぜんと欲す。未だ容納を肯ずるや否やを審らかならず」
卓曰く、「美しき人 恵まる。何を以て徳に報いん
允曰く、「此の女 侍る主人を得たり。其の福 浅からず」
卓曰く、「尚ほ容れて致謝とす」
允曰く、「天気 已に暮る。先に氊車を備へ、相府へ送到す」
卓 身を起し、謝を奉る。

貂蝉をさきに相国府にとどけ、つぎに董卓が相国府に着いて、夜を過ごす。

車輌 已に定まり、便ち貂蟬を送り、先行せしむ。允 董卓を拝送し、相府に直到す。
卓 允に白馬を回乗するを命ず。前に列侍する五七人 府を離れ、行くこと百余歩に到らず、遥かに見る、両行する紅紗 道を照し影を燈す中、一人 手に方天戟を執り、馬上に坐着するを。

呂布 半醒・半酔にして、正に王允と撞見す。布 王允を見て、就ち馬上 軽舒し、猿臂もて一把し、衣襟を揪住す。睜圓・環眼、手もて腰間に宝剣を掣す。允を指し言ひて曰く、
汝 既に貂蟬を以て我に許す。今 送りて太師に与ふ。何ぞ相ひ戯むるや
手に剣を起し、落す。〈王允の〉性命 如何。141004

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第8回下_鳳儀亭に呂布 貂蟬と戯むる

王允が呂布にウソを教える

呂布 街に当り、王允と衝着す。心中 大怒し、罵りて曰く、
「老賊 怎んぞ敢へて我を戯るるや」
允 急ぎ止りて曰く、
「此れ非なり。説話する処なり、同に草舍に到れ」
布 允に随ひ、家に到る。
下馬し、同に後堂に入る。允曰く、
「将軍 何の故にか反りて老夫を怪しむや」
布曰く、「人の報じて我に説く有り。你 氊車もて一女を送り、相府に入れしむ。貂蟬に非ざれば、何ぞや
允曰く、「将軍、原来 知らずや」
布曰く、「我 豈に裏に就きて知る」

つぎ、王允が、呂布をひっかきまわします。


允曰く、「昨日、太師 朝堂中に在り、老夫に対して道ふ。『我 一件の事あり、明日 你の家に到らん』と。允 此に因り、小宴を准備し、太師を等候す。

董卓が王允の家にきたのは、王允が申し出たのではなく、董卓がかってに決めたことなのだ。だから、貂蝉を見られたのも、王允の意思ではないのだ。という話。

飲宴中に到り、我に説ふらく、『聞く、你に一女子有り。名は貂蟬と喚ふ。以て奉先に許づくるに、我 你に誠を准さざる〈王允が貂蝉を呂布に渡すという約束を覆す〉ことを恐る。特来、上門して肯を告げん』と。

董卓がきて、王允に、「貂蝉を呂布にあげるそうだな。私から呂布にあげるので、ちょっと預かろう」と言ったという話。王允のウソだけど。

老夫 太師の自ら到るを見て、安くにか敢へて少しくも〈董卓の要望に〉違ふや。貂蟬を随引して、公公と太師に拝せり。

王允の言い訳であり、計略を成り立たせるために、ウソの話を呂布にインストールしているから、くどいのだ。ウソつきほど、よく喋るというのは、本当である。

太師曰く、『今日 良辰なり。汝 吾に一大宴を作せ。奉先に〈私から貂蝉を〉配して、以て一笑を助く。尋て将軍を思ふべし』と。太師 親ら老夫に臨み、敢へて推阻せよ」と。

布曰く、「司徒 罪を少なしとす。布 一時 錯〈あやま〉りて見る。来日、自ら当に荊を負ふべし〈謝ります〉」
允曰く、「小女 頗る粧奩・首飾有り。将軍を府下に待過し、便ち当に送至すべし」
布 謝して去る。

呂布が董卓の寝所をのぞく

当夜、卓 貂蟬を幸す。
次日の午牌も、未だ起きざる。
呂布 府下に在り、打聴するも、絶へて音耗を聞かず。堂中に逕入し、尋て諸々の侍妾に問ふ。侍妾 対へて曰く、
「夜来、太師 新人と共に寝ず。今に至るまで、未だ起きず」
布 潜かに卓の臥房に入り、後より之を窺ふ。

貂蟬 起きて窓下に梳頭す。忽ち窓外の池中を見るに、一人の影を照らす。極長・大頭に、束髪の冠有り。睛を偷み之を視るに、呂布 池畔に潛立するを見る。
貂蟬 双眉を蹙め、憂愁・不安なるの態を做る。復た香羅を以て、頻りに涙眼を掩ふ。
呂布 窺かに視ること良に久し。
乃ち出沉し、思忖を吟ずるも、未だ真実を得ず。実に少頃、布 又 卓の中堂に坐するに入る。布を見て、〈董卓が〉来問して曰く、
「外面、無事なるや」

董卓が呂布に警護させているから、こんなことを聞く。呂布のやりきれなさが面白い。

布曰く、「無事なり」
卓の側に侍立す。

卓 方に食はんとす。
布 目を偷み、竊かに繡簾の内を望む。一人 往来し、観覷す。須臾、微かに半面を露はにす。目を以て情を送る。布 知る、貂蟬の神魂、飄蕩たるを。

まったくプロのテクニックだろう、これ。
思うに、日本で三国ファンが貂蝉の話になると、「貂蝉はフィクションだから」と、話題の展開や深化を回避する(ような気がする)のは、吉川三国志が、口に出すのも憚られる、可憐なアマチュア少女の悲劇に仕立てたから。
だが『三国演義』の貂蝉は、堂々とプロのテクニックを駆使している。貂蝉について会話する土壌が、準備されているように思う。逆に言えば、吉川英治が、貂蝉について話にくい土壌をつくった。まあ、その悲劇性ゆえに、貂蝉は印象が強まったのだが。

卓 布の語言し、不順なること那身に頻りなるを見て、裏に迎へて望む。

董卓も、呂布をのぞき見する。お互いに、ひどいな。

卓曰く、「奉先、無事なれば、且に退け」と。

布 心中に愈々疑ふ。
家に到り、妻 布の情緒 佳からざるを見て、問ひて曰く、
「汝 今日 董太師に責めらるるに非ざる莫きか」
布曰く、「太師 安にか能く我を制するや」

毛本では、呂布は八つ当たりしない。
この八つ当たりにて、呂布が董卓にそむく心が固まったと、読者は確認することができる。妻とは、袁術の子に輿入れする娘を産む、厳氏だろうか。

妻 敢へて問はず。
布 此より心に貂蟬あり。身上、毎日 府堂を逕進するも、一見すること能はず。

董卓が病み、貂蝉が呂布に目配せ

董卓 貂蟬を納れて後、情色 迷ふ所、月余なり。理事に出でず、貂蟬 枕前・席上に非ざるなし。殢雨、尤雲あり、董卓 合せて休す。自然と恋に迷ふ。

時に春残に値り、卓 一小疾に染む。貂蟬 衣して、帯を解かず、意を曲げて卓に阿従し、〈董卓の〉心 愈々喜ぶ。
卓 睡し、布 床前に立つ。貂蝉 床後に半身を探し、布を望むに手指を以てす。心して睛を転ぜず。

「貂蝉は眠る董卓を指さし、次に自分の胸を指さし、呂布の前で泣いて見せた」。これに李卓吾は、「貂蝉将軍の軍略はこれほどだ。孫子や呉子でも及ばない」とコメントする。他にも貂蝉が嫉妬を誘う微妙な行動を取れば、李卓吾は「巧妙、巧妙」と批評をつける。連環の計は、このようにドライに楽しみたい。

布 點頭を以て之に答ふ。貂蟬 手指を以て董卓を強擦し、眼に涙す。布の心 碎かるが如し。
卓 朦朧として、双目に布の動静 猛紐たるを見る。身を回し、之を視れば、貂蟬 屏風の後に立つを見る。
卓大怒して、呂布を叱りて曰く、
汝 敢へて吾が愛姫と戯るるや」と。
左右をして之を逐しめ、今後、入堂を許さず。呂布 大怒し、恨を懐き、府に帰る。

李儒が董卓を諌める

人 李儒に報ず。儒 慌忙と卓に入見して曰く、
「大師、何なる故に、奉先を責むるか」
卓曰く、「吾が愛姫を竊かに視るに因る。吾 故に之を逐ふ」
儒曰く、「太師 天下を取らんと欲すれば、何なる故に、小過を以て、之を責む。如し温侯の心 変ずれば、大事 去るかな」
卓曰く、「奈何せん」

董卓は、謀逆な専制君主ではなく、李儒の意見をきちんと聞ける人。貂蝉に惑ったのも、帝王として、というよりは、ひとりの平凡な男として、という印象を出している。すくなくとも、『三国演義』の物語内においては。

儒曰く、「来朝し、喚びて入らしめ、賜するに金帛を以てし、好言を以て之を慰めよ。自然、事なからん」と。

卓、次日、人をして布を喚びて入堂せしむ。
卓曰く、「吾 前日、病中にて、心神 恍惚たり。言ふ所を知らず、汝を責むる有り。汝 心に記する勿れ。来日、左右を休離して、随ち金十斤・錦二十疋を賜はん」

これが言える董卓は、大物というか、李儒の言いなりというか。始末が付けられない暴君ではないことだけは確か。

布 謝して曰く、「大人 布を怪むを見るも、何ぞ敢へて焉を怪まんか」
此より再び堂中に入り、畧々忌憚なし。

董卓の目を盗んで、会いにゆく

卓の疾 少しく愈へ、因りて貂蟬 郿塢より回らざる有り。
入朝ごとに、呂布、手に画戟を執り、車前に乗馬す。殿前に至り、下車し、剣を帯びて上殿す。布 戟を執りて階前に立ち、
百官 丹墀に拝伏す。左右 拱聴・約束す。
朝 退けば、布 乗馬して前に引導す。
是の日、布 卓の来到するを引き、内門の階に畧住すること少時なり。卓 献帝と共に談ずるを見て、呂布 慌てて戟を提げ、内門より出で、上馬して相府に逕投し、馬を道傍に繋ぎ、戟を提げ、後堂に入る。

董卓の関心が、貂蝉から離れるのを、ずっと待っていた。まさか、献帝まで、グルではあるまいw


尋て貂蟬を覔〈もと〉む。
貂蟬 布をみて、尋て覔し、慌忙たり。出でて曰く、
「汝 後園中の鳳儀亭の邉に去き、我を等つべし。

『三国演義』の名場面に仕向けました。

我 便ち来らん」と。
布 戟を提げ、逕往し、亭下の曲欄の傍に立つこと、良に久し。貂蟬の花を分け、柳を拂して来るを見る。
果然、月宮の仙子の如し。

演出まで行き届いた、プロの仕事。

泣きて布に曰く、
「我 王司徒の親生の女に非ずと雖も、之を待すること神珠・玉顆の若し。一たび将軍と見ひ、大人〈王允〉妾に許づくるを肯んず。已に平生、足るを願ふ。誰が想はんや、太師 不仁の心を起こし、妾を将て淫汚し、恨めども死するを得ず。

よくも、「誰がそうなると思ったでしょうか、想定外のあり得ないことですが」とか、言えたもんだ。

今 幸ひにも将軍 此に至る。妾 誠心を表すれども、此の身 已汚れ、復すること事を得ず。英雄よ、願はくは君の前で死し、以て君の念ひを絶て」と。

ヒートアップした演技!くさすぎるセリフ!
李卓吾はいう。妖美なる人、[馬虎]なる将軍なり。呂布は、いかにこの(勇猛な将軍を)抜いて過ぎる(勝利する)ことができるか。

言ひ畢り、手 曲欄に攀せ、荷花池を望み、便ち跳ぶ。呂布 慌忙して抱住し、泣きて曰く、
「我 汝の心を知ること久し。恨むらくは、勾〈とら〉へ共に語ること能はざるを」と。

貂蝉将軍の計略、どうでもよくなってきた。早く、終わらないかなー。


貂蟬 手もて布を扯して曰く、
「妾、今生 君を勾〈とら〉へて妻と為ること能はず。願はくは相ひ後世に期せん」
布曰く、「我、今生 汝を以て妻と為す能はずんば、世の英雄にあらざるなり」と。
貂蟬曰く、「妾 日を度すこと年の如し。願ふ、君 憐憫して之を救へ」と。
布曰く、「我 内庭に在り、空を偷みて、老賊に疑はるを恐る。必ず当に速やかに去き、戟を提して、身を転ぜん」と。
貂蟬 其の衣を牽きて曰く、「君 此の如く老賊を懼れ怕る。妾の身 天日の期を見ること無し」
布 立住して曰く、「我が思忖を容れ、一計 你と共に團圓す」と。
貂蟬曰く、「妾 深き閨に在り、将軍の名を聞く。轟雷の如く灌し、以為へらく当世の一人のみと。誰か想ふ、反りて他人の制を受くるを」と。

説ひ訖り、涙 下ること雨の如し。両箇 偎偎・倚倚として、即かず相ひ離る。

董卓が、呂布に戟を投げる

却説 董卓 殿上に在り、回顧す、呂布の心下 甚だ疑しきこと見はるを。卓 上車し、府に回る。布の馬、府門に拴せらるを見る。

献帝との話は、あまり盛り上がらなかったのかなw

吏に問ふ。吏 答へて曰く、
「温侯 後堂に入る」と。
卓 叱り、左右を退け、後堂中に逕入し、尋て覔不見 又 貂蟬も無し。侍妾に問へば、侍妾曰く、
「温侯 却纔、画戟を執りて此に至る。何こに在るやを知らず」と。

相府の門の吏と、貂蝉の侍妾は、対句である。


卓 尋て後園に入れば、呂布 戟を倚けて、貂蟬と鳳儀亭の下に在るを見る。卓 根前に走至し、大喝すること一声。布 回頭し、卓を見て、大驚す。
卓 呂布の手中の戟を奪下す。
呂布 便ち走ぐ。卓 呂布に赶来するも、〈呂布は〉走ること快〈はや〉し。董卓 胖〈ふと〉り、赶上せず。

卓 戟を擲げ、呂布を殺さんとす。布 手に一拳を起し、戟を打ちて、草中に落す。
卓 拾ひて戟を起し、赶来す。布 已に走ぐること五十歩の遠きにあり。卓 赶して園門より出で、一人 飛奔し、前来す。卓 胸膛 相ひ撞つ。卓 地に倒る。未だ 〈董卓・呂布の〉性命の如なるかを知らず。何且聴下回分解。141004

『三国志』には、計略がたくさん出てくる。言葉づかいとか、微妙な態度の変化で、相手を陥れる。真正面からの武力の衝突よりも、「だます話」が見せ場である。純粋な戦術のかけひきは、あまり魅力的には描かれない。戦いが始まる前、ツクエの上で勝負がついている系の話がおもしろい。
貂蝉は、まさにその系統の話。
あれだけ汜水関・虎牢関で、勇将があつまり、何十万という死者を出しながらも、決着がつかなかった。しかし、貂蝉という、軍師&将軍は、たった1人で、董卓を倒してしまった。「これは痛快だ!これは痛快だ!」という種類の、爽やかな読み物なのだ。
袁紹も曹操も、劉備も関張も、まったく出る幕がなかった。洛陽という代価だって、払う必要があったのか、よく分からない。
陽を圧倒する陰、というモチーフ。『三国演義』は、そういうの、好きでしょ。
連環の計を、気まずくてタブー的なものにした、情緒的な貂蝉をつくった吉川英治の功罪は、やや罪が大きいと、ぼくは思います。もっとドライに、貂蝉の軍略をほめ、スカッとしたいものです。プロの女のテクニックを賞賛するというか、これについて堂々と発言するのが後ろめたいなら。「正義」の名のもとに、無節操に万単位の殺人をしまくる将軍たちだって、後ろめたい存在のはずで。しかし、そこまで「自粛」してしまったら、『三国演義』を楽しく読むことなんて、できないじゃん。

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