読書 > 李卓吾本『三国演義』第9回の訓読

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第9回上_王允 計を定めて董卓を誅す

李儒が董卓に、貂蝉の下げ渡しを勧める

原来、李儒 相府の門に到り、従人に見ふ。言ひて曰く、
「太師 大怒して去る。呂布を尋ぬ」と。
儒 慌てて赶入し、時に呂布の奔走するを見る。
〈呂布〉曰く、「太師 我を殺す」
儒 急ぎ奔入し、董卓と正撞す。地上に倒す。儒 急ぎ卓を扶け、書院の中に至り、再拝して曰く、
「儒 実に社稷の計を為すに、〈私が〉恩相を衝倒す。死罪、死罪」
卓曰く、「逆賊を尀耐し、吾の愛姫を玩弄す。誓ふ、必ず之を殺すと」と。

儒曰く、「恩相 差〈あやま〉れり。昔日、楚荘王 諸侯と夜宴し、愛姫をして酒を勧む。忽ち狂風 驟起し、尽く其の燭を滅す。坐上の一人、愛姫を抱く。姫 冠の上纓を手揪し、荘王に告知す。荘王曰く、『酒の後なり。命ず、金盤の一面を取り、尽く其の纓を撧れ』と。然る後、燭を秉明す。其の会曰く、『撧纓の会』と。正に知らず、愛姫に戯るるは、何の人なるを。
後に荘王、秦兵に囲住せらる。見るに、一大将 陣中に殺入し、荘王を救出す。王 其の人を見るに、身 重傷を帯ぶ。之に問ふ。答へて曰く、 『臣 乃ち蒋雄なり。昔 撧纓の会上、大王に不殺の恩を蒙る。故に来り、報答す』と。太師 何ぞ撧纓の徳を鑑ぜざる。此の機会に就き、貂蟬を以て呂布に賜へ。布 大恩を感じ、必ず死を以て太師に報ゆ」

李卓吾は、李儒の意見を用いるべきとする。ぼくもそう思う。もし董卓に、これをやられていたら、貂蝉は逆効果だった。呂布と董卓の結びつきが強くなり、手が付けられなくなった。


董卓 方に嗔を回め喜を作して曰く、
「汝 呂布に説くべし。吾 貂蟬を以て之を賜ふ」
儒曰く、「漢祖 黄金の二万を以て陳平に賜ひ、遂に大業を興す。今日、太師の為す所、正に此に類す」と。
儒 謝して出づ。

貂蝉が呂布に嫁ぐのを嫌がる

卓 後堂に入り、貂蟬を喚び、之に問ふ。
「汝 何ぞ呂布と私通するや」

貂蝉と喋らなくていいのに。情が移るから。

貂蟬 泣きて曰く、
「妾 将に温侯は太師の子なるを謂ひ、之〈温侯=呂布の誘い〉を回避せんとす。

毛本は、「布曰、『我乃太師之子,何必相避」、提戟趕妾至鳳儀亭」とある。こちらは明らかに、呂布が「オレは董卓の子だ。なぜ避けるのか」とある。しかし李本をぼくが読むには、貂蝉が呂布に「呂布さんは董卓の子だから、私を口説いてはいけません」と言ってるように見える。だって、呂布が自分のことを「温侯」とは言わないよね。
@yunishio さんはいう。李卓吾本のほうが一段、物語は深いな。李卓吾本の貂蝉は「私は、あなたの父の妻妾なのだから」と父子の義理を説いていて、呂布の叶わぬ恋の可能性も秘めているが、毛宗崗本の呂布はたんに野蛮なだけだ。

這厮〈呂布〉 戟を提げて赶来し、鳳儀亭の邉に到る。妾 荷花池に投ぜんと欲し、這厮 抱住す。正に生死の間に在り、太師に性命を来救せらるを得たり」
董卓曰く、「我 汝を呂布に賜らんと欲す。何如」

なぜ貂蝉に意見を聞く必要があるのか。

貂蟬曰く、「妾の身 已に大貴なるに事ふ。今 家奴の妾にせんと欲す。寧ろ死すとも、辱められず」
遂に壁間の宝剣を掣り、自刎せんと欲す。

これ見よがしの、構ってほしがりのリスカと同じである。これに引っ掛かるのだから、『三国演義』董卓は、凡人に過ぎなかったな、と。礼制な政治家だったら、貂蝉に意見を求めないし、貂蝉の自殺騒ぎにも冷静でいられる。
連環の計の成否は、まさにココである。

卓 慌てて剣を奪ひ、擁抱して曰く、
「吾 汝に戯るるのみ」
貂蟬 哭きて卓の懐に倒れて曰く、
「此れ必ず、李儒の計なり。儒と布、厚く交はる。故に此の計を設く」

「李儒と呂布のことについて、口を出すなよ」と言えないところが、『演義』董卓をダメなキャラにしてる。
今日は運転免許を更新しがてら、待ち時間に『蒼天航路』を読んだ。呂布と関係を結んだ後の貂蝉と、董卓はほとんど会話をしない。これによって『蒼天』董卓は、王者のまま死ねた。最期に貂蝉に足をつかまれるが、あれが計略の成否を決定したとは思えない。呂布なら、どのタイミングからでも、城壁から飛び降りて董卓を切りそうだし。

卓曰く、「我 安んぞ能く汝を捨つるや」
貂蟬曰く、「只だ恐る、太師 妾に主と為らざるを」 卓曰く「吾 寧ろ性命を捨つるとも、必ず当に汝を保つべし」

そこまで言うか。李本の董卓は、ここまで貂蝉のために、自分を軽んじない。さすがに、董卓がコモノになったので、李本では修正が加えられたのだろう。

貂蟬 泣きて謝して曰く、「但だ此の処を恐る。宜しく久しく居るべからず。必ず呂布の害を被る」
卓曰く、「吾、明日、你と郿塢に帰り、快楽を受けん」
貂蟬曰く、「塢中、居る可きや否や」

郿塢にいれば、呂布に襲われませんか。安全ですか。

卓曰く、「城中 三十年の糧食有り。門外、数百万の軍兵を列す。事を成せば則ち、你を貴妃と為す。事を成さざれば則ち你も亦た富貴の妻と為らん。愼れて憂慮する勿れ」

貂蝉「わたくしが誰であるか、知っておられるのですか?」、呂布「と、董卓の妃だ」と、『蒼天航路』にある。李本や吉川三国志では、董卓が「もし事(禅譲)が成れば、貂蝉を貴妃にする」と語る。毛本にないセリフ。つまり『蒼天航路』も、毛本でなく李本の系統。毛本(の原典もしくは翻訳)でなく、吉川三国志に基づいたか。

貂蟬 拝謝す。

やっぱり董卓が、貂蝉を郿塢に運ぶ

次日、李儒 入見して曰く、
「今日 良辰なり。貂蟬を呂布に送るべし」
卓 色を変じて曰く、
汝の妻もて呂布に与ふるを肯ずるや
儒曰く、「主公 婦人に惑はさるるべからず」
卓曰く、「甚ぞ婦人 能く我が心を惑はすや。貂蟬の事、再び多言する勿れ。言はば則ち必ず斬る
李儒 天を仰ぎ、嘆じて曰く、
「吾ら皆 婦人の手に死す」と。

後漢の滅亡を、もっぱら男性原理(暴力)で終わらせなかったのが、『演義』をおもしろくしている。後漢は外戚の禍を被るのだが、後漢末になると、すでに皇帝の存在が空気である。
そこで、何進というバカ殿に、皇帝の代わりに失態を演じさせたり。董卓という小人物に、女による判断ミスを演じさせたり。夏の妲己とか、周の褒姒とか。こういう、王朝末期の定型文を、後漢の皇帝の代わりに演じたのが董卓。定型文をきちんと抑えることで、王朝滅亡の納得感というか、スワリが良くなる。
すなわち、董卓の死によって、後漢は、物語において正式に滅亡する。「君主」を殺されて、生き存える王朝なんかない。以後、袁紹や曹操の領土争いは、後漢への忠・不忠ではなく、強弱な切り取りゲームとなってゆく。


卓 左右に命じ、李儒を逐出せしめ、軍馬を收拾す。今日、便ち郿塢に還る。百官 俱に各々拝送す。
貂蟬 車上に在り、遥かに呂布の、稠人の内に、車中を眼望するを見る。貂蟬 虚に其の面を掩ひ、痛哭の状が如くす。

李卓吾はいう。妖なり。そうだねー。

卓の車 已に去る。
布 土崗の上に轡を緩め、氊車を望みて去る。

呂布としては、悲しいシーンやね。


後人 此の処を読み、感有りて詩を吟じて曰く、
「社稷 人の障籬を任ずる無し。憑りて女色を将て支持を頼る。呂布の軽狂輩なるを嗤ふ休〈なか〉れ。多少の英雄、此の迷を被るなれば

李卓吾はいう。迷わされている時点で、英雄じゃないんだよ。
李本は、ちがう詩を載せる。「司徒の妙算、紅裙に托す。干戈を用ゐず、兵を用ゐず。虎牢に三戦し、徒らに力を費やす。凱歌 却りて鳳儀亭に奏でらる」
こっちのほうが、おもしろいと思います。


王允が呂布をたきつける

呂布 正望するの間、背後に一人、馬上より云ふ。
「温侯 何の故に遥かに望み、悲を発するや」

あおりにきました。もう、計略の成立は、確定している。王允は、ちょっとキッカケをつくるだけ。

布之を視るに、乃ち太原の祁郷の人なり。姓は王、名は允、字は子師なり。
布曰く、「吾 公が女の為〈に悲しむ〉なり」
允 佯はりに驚きて曰く、
「許多の時なるに、尚ほ将軍に与へざるか」 布曰く、「老賊 自ら寵幸して、已に久し」
允 其の面を掩ひて曰く、
「此れ禽獣の為す所なり」
布 上件の事を将て、一一 允に告ぐ。
允曰く、「同に弊処〈私の所〉に到れ。商議せん」と。

布 城に随入し、允の宅前に到る。
下馬し、密室に入る。允 置酒し、布を歓待す。布の怒気、深きに転ず。
王允曰く、「太師 吾の女を淫し、将軍の妻を奪ふ。誠に天下の笑端と為るべし。太師を笑ふに非ざれば、允と将軍とを笑ふのみ。允 老羸・無能の輩なり。道を為すに足らず。将軍 半世の英雄なるを憐れむべし」
布 就ち気し、地上に倒る。允 慌急して之を救ひて曰く、

呂布がぶっ倒れるのは、毛本にない。毛本は、「布怒氣沖天,拍案大叫」とある。

「老夫の語 将軍の息怒を失はしむるか」
布曰く、「誓ふ、当に此の老賊を殺し、以て吾が耻を雪ぐべし」
允 急ぎ其の口を掩ふ、
「将軍 言ふ勿れ。累 老夫の九族に及び、皆 死するを恐る」。

たきつけておき、相手がその気になったら、一歩ひく。これで、いよいよ相手の決意を固める。常套手段ですね。

布曰く、「大丈夫 生れて天地の間に居れば、豈に能く欝欎として、久しく人の下に居るや」
允曰く、「将軍の才を以てすれば、韓信の百倍に過ぐ。

毛本では、「以將軍之才,誠非董太師所可限制」とある。董卓に制限されないと。毛本は、呂布が怒りで倒れるのを消したり、「韓信の百倍」というのを消したり、地味な方向への修正が入る。
『三国演義』の一版本だから、貂蝉の話を消すという選択肢はあり得ないが、しかし、さすがに史書から乖離が激しいので、話を薄めて、史書への回帰を図っているのだろう。ぼくら、「日本人なら李卓吾本」を唱える者としては、李卓吾本の荒唐無稽は、どんどん乗っかっていきたい。

〈韓〉信 尚ほ王たり。将軍 豈に久しく温侯たるべきか」

県レベルの侯爵でなく、王よりも上に行けると。つまり、呂布が皇帝になる(くらいの)勢いで、王允は「董卓を殺せ」と、たきつけてる。

布曰く、「吾 老賊を殺すに、父子の情を奈〈いか〉ん。後人の議論を惹くを恐る」
允 大笑して曰く、「将軍の自姓は呂、卓の自姓は董なり。戟を擲ぐるの時、豈に父子の情有るや」

名台詞、いただきました! 吉川三国志は、王允が呂布をたきつけて「老賊が自分の姓を、あなたに名乗らせないのは、養父養子という名にあなたの武勇を縛っておくだけ」という。李本は「将軍は自ら呂を姓とし、卓は自ら董を姓とす」のみ。異姓養子の風習がある日本では、姓の変更が立場を固める。李本は、異姓の事実を述べるだけ。べつに姓を変えることが、そもそもあり得ないから、吉川三国志のような言い方にはならない。

布 奮然と大怒して曰く、「司徒の良言あらざれば、則ち布 亦た老賊の害を被る」
允曰く、「将軍 若し漢室を扶くれば、乃ち忠臣なり。青史 名を留めて、万古不朽たり。

『蒼天航路』で、やたら後世の評価にこだわり、人格が崩れていく王允は、ここから来ているのだろう。

将軍 若し董卓を扶くれば、乃ち反臣なり。史官 筆を下して名を万代に罵らん」
布 随ひて下拝して曰く、
「布の意 已に决せり。司徒よ、疑ふ勿れ」
允曰く、「但だ恐るは、事 又 成ならず、返りて大禍を招くことを」
布 帯刀を抜き、臂を剌し、血を出して誓を為す。
允 跪きて謝して曰く、「漢の天下 四百余年、皆、将軍の賜より出づ。

こんな大げさな表現を、毛本はしない。さすがに言い過ぎw 李卓吾は「王允は忠臣なり」というが、マトハズレ。もしかしたら、皮肉なんだろうか。

天子 已に密詔あり。将軍 宜しく之を懐け。切に泄漏する勿れ。期に臨みて計有れば、自ずと当に相ひ報ずべし」
布 慨然と領諾しして起つ。

董卓を禅詔で呼び寄せる

允 即ち僕射の士孫瑞・司隷校尉の黄琬に、商議せんと請ふ。
瑞曰く、「方今、主上 疾有り、新たに癒ゆ。一の言語を能くする者を遣はすべし。郿塢に着往して、卓に議事を請へ。甲兵を朝門の内に伏け、引入して之〈董卓〉を誅せ。此れ上策なり」
琬曰く、「何なる人 敢へて去く」
瑞曰く、「呂布の同郡 騎都尉の李粛、近日 好く卓に怨を生み、与に陞用せず。布をして此の人を説かしめ、去かせよ。卓 必ず疑はず」と。
允曰く、「善く布に共議せんと請へ」
〈呂布が来て〉
布曰く、「昔日 吾 丁建陽を殺し、亦 此の人も〈殺〉す。今 若し〈李粛が董卓の説得に〉去かずんば、吾 先に之〈李粛〉を斬る。人をして密かに粛に至らんと請へ」と。
〈李粛が来て〉
布曰く、「昔日 孝兄〈李粛〉 呂布に説き、丁建陽を殺して董卓に投ぜしむ。今、卓 不仁・不義なり。上は天子を欺き、下は生霊を虐す。罪悪 人神に貫盈し、憤を共にす。

呂布は2回の裏切りを経験するが、李粛はどちらも付き合わされる。彼の役割も、神話的な分析において、確定させておきたい。

汝 天子の詔を伝へ、郿塢に往くべし。卓に宣して入朝せしめよ。如し司徒の言あるを見れば、一斉に手を下し、漢室を力扶し、共に忠臣とならん。汝の意や、若何」
粛曰く、「吾 亦 老賊を除くを要すこと久し。恨み爪牙に無し。今 天の賜はるなり」
遂に箭を折り、誓を為す。

李粛は、呂布に「協力しないと殺す」と言われているのだから、そりゃあ、賛同するよな。一度目は、赤兎馬を見せびらかして、余裕の交渉をした李粛。いまは、呂布に脅されて、まったく余裕がない。この立場の反転がおもしろい。

允曰く、「汝 若し能く此の事を幹せば、豈に顕官を愁ふ」

董卓を長安に呼びよせる

次日、李粛 十数騎を引き、郿塢に前到す。
人 報じ、「天子 詔有り」と。
卓曰く、「喚びて入来せしめよ」
李粛 入り、再拝し訖んぬ。
卓曰く、「天子 甚なる詔制有るや」
粛曰く、「天子の病むも、体 新たに痊ゆ。文武を未央殿に会し、待せんと欲す。天子を将て太師に譲る。故に此の詔有り。粛 此の事を知り、飛馬して主上を拝賀す」
卓曰く、「王允 何如」
粛曰く、「王司徒 已に受禅台を修めしむ。士孫瑞 已に詔を草す。只だ主の到来するを等〈ま〉つ」
卓 大笑して曰く、「吾 夜に夢む、一龍 単身なるを。今日 此を得るの佳兆なり。時節 錯失すべからず。便ち命ず、車馬を大排して、京に回らん」
粛曰く、「願ふ、主上 万年に垂拱せんことを。粛の子孫 頼る有り」
卓曰く、「吾 若し登基すれば、汝は執金吾と為らん
粛 拝謝して、称臣す。
卓 行に臨みて貂蟬に曰く、「吾 昔日 汝を貴妃と為すを許す。今番 定れり
貂蟬 卓に謝して母に入辞す。母 年九十有余なり。母曰く、
「吾が児 何ぞ往く」
卓曰く、「児 今、長安に去き、漢の禅を受く。母親 早晩 太后と為る」
母曰く、「吾 近日、肉顫とならん。心 驚き恐る、吉兆に非ず」

女の勘はするどい。男(董卓・王允)がバカなことをやり、それを貂蝉が翻弄できるのは、女だから。この魔力は、董卓の母には通用しないのだ。じつは、なんの必然性もない、作中で出てきたこともない董卓の母が出てくるのは、女である彼女が見破ることで、「危うし!連環の計!」と思わせるためである。と思う。

李粛曰く、「万代の国の祖母と為る。豈に預め驚き有らざる」

ごまかした。董卓の母を説得することはムリなので(バレている)、李粛は董卓を急かすのだ。
毛本では、董卓が董卓母を、董卓がみずから説き伏せる。これでは、おもしろみが減る。李粛が、アセアセと話を先に促して、計略の破綻を防ごうとするから良い。董卓が説得してしまえば、ただ騙し続けており、計略が破綻するかも?という、ドキドキがない。

卓に報せて曰く、「吾が心腹の人 見る所は甚だ明なり」

塢を出で、上車す。前に遮り、後に擁し、数千の軍兵 行く。三十里を到らず、車下 忽ち一輪を折る。左右 卓を扶け、牽過し、玉面馬を逍遙せしむ。
卓 衣を整へて上馬す。又 行くこと十余里に到らず、玉面 咆哮・嘶喊し、轡頭を掣断す。
卓 粛に問ひて曰く、「車 輪を折り、馬 轡を断つは、若何」
粛曰く、「乃ち太師 漢の禅を紹ぐことに応ず。旧を棄て新に換ふるなり」

もちろん、作中でのコジツケなんだが、きちんと説得力があるような気がするw

卓曰く、「心腹の人 見る所、甚だ明なり」

なぜ、同じことを短期間で2回も。目が滑ったか。つぎ、3回目もあるから、畳みかけて笑わせるパターンである。毛本では、地の文(間接話法)にする。李本のほうがおもしろい。


次日、忽然と狂風 驟起す。昏霧 天を蔽ふ。

『演義』の第一部・完!に向けて、続々と怪異が起こる。

卓 粛に問ひて曰く、「此れ何の祥や」
粛曰く、「主公 龍位に登る。必ず紅光・紫霧有りて、以て天威を壮すのみ」
卓曰く、「吾が心腹の人 見る所、甚だ明なり」

まただよ。天丼である。


卓 城外に至る。百官 出でて迎ふ。
王允・黄琬・楊瓚・淳于瓊・皇甫嵩 皆 道傍に伏し、

李本では、彼らが出迎えるシーンがない。誰が計略に参加したかを示すから、おいしいシーンである。
しかし、黄琬は何度も名が出てくるが空気。三公として、長安の遷都に反対したわりには、キャラが立たない。黄琬を膨らまそう。
楊瓚にいたっては、誰だか分からない。のちに李傕から献帝を守る、楊彪に置き換えても良いのではないか。
淳于瓊は、烏巣より前に、ちょいちょい有望な将校として出てくる(西園八校尉とか)が、将校として活躍するシーンがない。烏巣を焼かれるバカ、というイメージしかない。ぼくが変更するなら、淳于瓊には、宦官を斬り殺すとき、活躍してもらう?
皇甫嵩は、董卓に屈服させられ、怨みが充満しているキャラだから、楽しめる。

臣を称して言ふ。
「天子、来日 未央殿に大会し、推代の議あり」と。
卓 百官をして回来せしむ。

董卓が受禅する前夜

日 平し、明朝下、呂布を迎接せしむ。
〈呂布〉入賀して曰く、
「大人 来日、当に斉戒・沐浴し、入城して、以て万世不磨の基業に代はれ」
卓曰く、「吾 九五に登れば、汝 当に天下の兵馬を総督せよ」

貂蝉や呂布に、こうして約束を連発するあたりが、コモノ感を出すなあ。後漢に代わろうとして、痛い目を見るというのは、史実では袁術の役割。しかし『演義』では、董卓が先行して、痛い目を見る。帝位への野心という意味で、董卓と袁術は、対句を為さねばならない。袁術が洛陽を出発するシーンを設けるべきだろう。あと、袁紹も。

布 謝して帳前に就き、宿す。

是の夜、数十の小児、郊外に歌を作す有り。風 吹き、歌声 帳に入る。歌に曰く、
「千里の草、何ぞ青青たる。十日下、猶ほ生きざる」
歌 罷み、声 相ひ悲切たり。

有名な歌、いただきました。

卓 李粛に問ひて曰く、
「童謡の吉凶を何〈いか〉にす」
粛曰く、「亦 只だ、劉氏は滅して董氏は興るの意なり」

滅亡するのが、劉氏なのか、董氏なのかにより、意味が正反対になる。興隆と滅亡は正反対の意味だが、正反対の言葉は、容易に逆転する。ボキャブラリーとして逆転する(正反対の単語が生成される)。認識においても逆転する(言い間違え、聞き間違えが起こりやすい)。

卓曰く、「粛の言、是なり」

董卓が禅譲を受けに行く

次日の清晨、擺列して入城す。
卓 車上に在り、一道人を見る。青袍・白巾にして、一長竿を執り、上に布一丈を縛り、一「呂」字を大書す。

毛本は、「兩頭各書一「口」字」と、ギリギリ、なぞなぞの要素を残している。まあ、口を2つ書けば、なんのヒネリもなく、「呂」の字になるから、苦し紛れだが。

卓 粛に問ひて曰く、「此の道人、何の意ぞ」

李粛は、登場した当初、こうした解釈をする学者ではなかった。呂布の同郷として、赤兎馬を贈る役割だった。専門外なのに、呂布に「協力しないと殺す」と言われ、解釈に励んでいるのが楽しい。
もしくは、物語的に、「謎を解くキャラ」すなわち、「離れたものを結合させる役割」を担っているのかも。謎解きは、離れた情報をつなぐ行為。離れた董卓・呂布を、赤兎馬に架橋させて繋いだキャラ、と見なせなくもない。

粛曰く、「乃ち心恙〈狂った〉の人なり」
将士を呼び、之を推す。道人 地上に倒る。粛 命じて、一壁に拖在せしむ。卓 内に進む。前の群臣、各々朝服を具し、道に迎謁す。
李粛 手に宝剣を執り、車を扶けて北掖門に行到す。
軍兵 尽く門外に当在す。独り御車の二十余人 同に入る有り。董卓 王允らの各々宝剣を執りて殿門に立つを見る。
卓 大驚して粛に問ひて曰く、
「剣を持する者 何の意ぞ」
粛 車輪を推す。

もう李粛は、こじつけをしない。

王允 大呼して曰く、「反賊、此に至る。武士 何くにか在る」
両傍 転出す。百余人、戟を持し、挺搠して之を剌す。卓 甲を褁て、傷を臂に入れず。車を堕ち、卓 大呼して曰く、
「呂布、何くにか在る」

王允の「武士」と、董卓の「呂布」がツイなのだ。

呂布 車後より声を厲して出でて曰く、
「賊を討てと詔有り」
一戟もて咽喉を直透す。 李粛 早く手もて頭を割る。布 右手に戟を持し、左手 懐中にす。詔を取り、大呼して曰く、
「詔を奉じ、賊臣の董卓を討つ。其の余、不問とす」
将吏、内外は皆、万万歳を呼び、地に拝伏す。卓 此の時、年五十四歳。漢の献帝、初平三年、歳は壬申に在り、四月二十二日なり。

死んだ日が書かれるのは、『演義』における英雄という扱いなのだろう。「同日に死ぬ」がカギの物語で、死ぬ日が書かれるとは、重視されている証拠だと思う。


史官 詩有りて嘆じて曰く、
「董卓は遷都し、漢帝は憂ひ、生霊 滚滚たり。(中略)奸雄 已に戈矛下に死す。(中略)郿塢 方に成り、已に滅亡せん」

董卓を奸雄と言ってるなあ。毛本が曹操を奸絶と固定するまでは、董卓もまた奸雄だった。というか、曹操に先立つ奸雄だった。

邵康節先生 詩有りて曰く(省く)
論に曰く(省く)、賛に曰く(省く)

呂布曰く、「董卓を助け、君を欺くは、皆 李儒なり。誰か之を擒ふべき」
李粛 声に応じて、朝門の外に出づ。発喊するに、報に道ふ、「李儒の家奴、已に自ら綁縛して献ず」と。

郿塢を解体し、董氏を全殺する

王允曰く、「卓賊の家属、尽く郿塢に在り。誰ぞ去きて誅殺す」
呂布曰く、「某 願はくは往かん」
皇甫嵩・李粛をして、呂布に一同せしむ。前去分揀布領兵五万人、郿塢に飛奔す。
当初、董卓 四員の心腹の猛将有り。李傕・郭汜・張済・樊稠、三千の飛熊軍なり。郿塢を守る。按月内大請大受 当時、董卓の已に死し、呂布 大軍を領して来るを聴知し、四箇 郿塢に慌奔し、軍を領して、凉州に殺上して去らんとす。
呂布 郿塢に到り、先に貂嬋を取り、長安に送回す。
皇甫嵩云く、「内に八百の良家・子女有り。尽く一処に作せば、其の余 但だ董卓の親属のみ。老幼を分けず、尽く皆な誅斬せよ」

董卓を恨みまくっている皇甫嵩。李本には、出てこない。李本では、董卓に「屈服したかね」と皇甫嵩が聞かれるシーンがなかった。伏線も結果も、まるまるカットするのが毛本である。

卓の母、九十有余なり。慌出して告げて曰く、
「乞ふ我が一命を饒せ」 言尤 未だしに、頭を絶ち、已に地に落つ。
宗族 誅せらる者 男女一千五百余人。收得す、塢内に蔵する所の黄金二三万斤・銀八九万斤・錦繡・綺羅・珠翠・玩好。堆積すること山の如し。倉中の米糧、八百万石なり。
允 一半をして官に納め、一半をして軍士に犒賞せしむ。

董卓を殺すの時、日月は清浄、微風は起たず。号令し、卓の屍 道に通す。卓 極めて肥胖なり。屍を看る軍士、火を以て臍中に置き、以て燈光と為す。明照 旦に達す。

毛宗崗本『演義』は、「董卓の死骸に芯を立て、火が消えない」というエピソードを省く。董卓に屈服させられた皇甫嵩が、復讐に燃えて遺族を全殺する話も省く。呂布が嫉妬で地に倒れるシーンも、王允が「呂布の武芸の才は、韓信の百倍」とおだてるのもカット。毛本は、連環の計の印象を薄めたいらしい。
毛宗崗本は連環の計の印象を薄めるが、史実への回帰とも言えない。董卓の死体を燃やす話は、『三国志』『後漢紀』にある話。いくら貂蝉というキャラが架空でも、その影響度を削ぐため、王允による董卓の謀殺のインパクトまで薄めたら、意味がない。単純に李本は、整理しすぎなんだと思う。
正史の「残り香」があり、やや繁雑な李卓吾本。正史の「脱臭」が完了して、物語として完成度が高く、中国で流通した毛宗崗本。ぼくたち日本人は、「残り香」のある李本の系統から『通俗三国志』や吉川三国志を生み、読んできた。ファンが正史に関心を持ち得る土壌は、李本の選択によって準備されたか。まあ、『通俗三国志』の段階では、まだ毛宗崗本がないから、「選択」というのは不適切。しかし、毛宗崗本が完成した後も、『通俗三国志』を起点として、李本を読んできたのは、ひとつの「選択」と言えると思う。

膏 流れ、地を満す。百姓の過ぐる者、手もて董卓の頭を擲ち、碎爛するに至る。

董卓の死体に、蔡邕がすがる

将の李儒 綁して街市に在り、百姓をして之を過ぎ、爭ひて其の肉を啖はしむ。城内・城外、若老・若幼、踴躍・歡忻し、道に歌舞す。
男女の貧しき者 尽く衣裝を売り、酒肉を置き、相ひ慶びて曰く、
「我ら今番、夜に臥するに、皆 床蓆を占むべし」

宵越しの金は持たねえ!べらんめえ!


卓の弟の旻、兄子の璜、皆 四足を城市に懸けらる。但だ卓の門下 阿附する者、皆 下獄して死す。
王允 大臣を会して太平の宴を都堂に作す。

忽ち人 報じて曰く、
「一人 卓の屍に身伏し、哭する有り」
允 大怒して曰く、「長安の士庶、皆 相ひ慶賀す。何なる人、敢へて此の如くするや」と。
遂に武士を喚び、吾と与に擒へよ。須臾 推至、筵前・満座の公卿、驚駭せざる無し。畢竟、是れ誰ぞ。141005

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第9回下_李傕・郭汜 長安を寇す

王允が蔡邕を殺す

武士 擁至し、衆 之を視る。乃ち侍中の蔡邕なり。
允 勃然と之を叱りて曰く、
「董卓は国の大賊なり。幾ど漢室を亡す。汝 漢臣として世々重恩を受くるに、竭力・同心するを思はず、而して反賊を誅せば反りて傷悼す
邕 罪に伏して曰く、
「邕 不智なると雖も、猶ほ大義、古今の安危をを識る。耳 厭く所 聞く。邕 豈に国に背きて卓に向ふを肯ぜんや。狂瞽の辞 口より謬出す。身 不忠なり雖も、願はくは黥首・刖足もて、漢史を続成せんことを
満座の公卿、皆 邕の才を惜み、咸 之を救ふことに力す。
太傅馬日く、
「磾 密かに允に謂ひて曰く、『伯喈〈蔡邕〉 曠世の逸才なり。多く漢事を識る。当に続成して、漢史を一代大典と為さしむべし』と。且つ邕の忠孝 素より著はる。若し微罪を以て之を殺さば、母 乃ち人の望を失ふや」
王允曰く、「昔 漢武 司馬遷を殺さず、後に史を作らしめ、謗書 後世に流る。方今、国祚 終に衰へ、戎馬 郊に在り。侫臣をして筆を執り、幼主の左右に在らしむべからず。既に聖徳に益なく、吾らをして其の訕議を蒙らしむ」

日磾 無言にて退き、衆官に謂ひて曰く、
「王公〈王允〉 為す所、其の後なきや。人国の紀を善くするや。国の典を制作するや。紀を滅し典を廃し、豈に能く久しきや

本人の前で、ちゃんと言えよ。
馬日磾は、関東の死者となり、袁術に罵倒される。ちゃんと伏線を噛ませたい。


允 遂に邕を将て獄中に下し、縊死せしむ。
当時の士大夫、邕の死するを聞り、識ると識らずと〈蔡邕との面識に関わらず〉、尽く皆 流涕す。
邕 卓の屍に哭し、故に自ら是〈ぜ〉ならず。允 亦た之〈蔡邕〉を殺すも非なり。罪は然ると雖も、士大夫 亦た当に主を擇びて焉に事ふればなり。

なんか、編者の論評が入った。毛本も同じだが。


静軒 詩有りて歎じて曰く、
「董卓 専権し、不仁を肆ままにす。侍中 何ぞ自ら竟に身を亡ぼす。当時、諸葛 隆中に臥す。安んぞ身を軽んじ乱臣に事ふるを肯ず」

諸葛は、まだ徐州にいると思いますw


賈詡が李傕に、長安攻めを提案する

且説、李傕・郭汜・張済・樊稠 共に迯〈に〉げ、陝西に居り。人を使して長安に往かしめ、告赦を上表す。
王允曰く、「卓の過悪、皆 是れ四人 之を助くるを以てす。天下を大赦するも、独り此を赦すべからず」
一枝の軍馬人 傕に回報す。
傕曰く、「赦を求むるとも、得ず。各自 軍中に迯生せよ」
謀士の賈詡曰く、
「諸君 若し軍を棄てて單行すれば、則ち一亭長 能く君を縛す。若かず、陝西の軍士を起し、長安に殺入し、董卓に報讐せよ。事 済めば、国家を奉り、以て天下を正せ。若し其れ勝たずんば、走ぐるとも、亦た未だ遅からず」

この一言で、後漢がマジ混乱するというw

傕ら曰く、「然り」と。

遂に西の凉州に流言して曰く、
「王允 皆 此方の人を洗蕩せんと欲す」と。
人 皆 信じて〈李傕の長安攻撃に〉従ふ。
半月に及ばず、衆十万を聚む。軍 分けて四路と作し、長安に殺奔す。路に董卓の女婿 中郎将の牛輔と逢ひ、兵五千人を引きて、丈人とともに去き、報讐せんと欲す。李傕 先に牛輔を使はし、前駆と為す。四人 陸続と進発す。

李粛が、先鋒の牛輔を迎撃す

王允 西の凉州の兵 来ると聴知し、呂布に請ひて商議す。
布曰く、「司徒 放心せよ。此の鼠輩を量るに、何ぞ数ふるに足る」
遂に李粛を引き、兵を将ゐて出迎せしむ。
粛曰く、「某 願ふ、当に先に賊を討つべし」
呂布 兵を提げて〈李粛に〉前進し、正に牛輔と相ひ戦はしむ。輔 敗走し、粛 一陣に嬴てり。

李粛は、呂布に赤兎を運び、董卓に禅詔を運んだ。いま、こういう最期を迎える、神話的な意義について、分析すべき。


当夜の二更、牛輔 李粛の寨に来刼す。粛の軍 乱𥨥す。粛 三十余里折を走げ、軍の大半 呂布に来見す。
呂布 大怒して曰く、「汝 敢へて吾が鋭気を喪はしむるや
立ちどころに李粛を斬り、頭を軍門に懸く。
粛 巳に死し、三軍 呂布の法度を畏る。皆 変心有り。
布 自ら剛に負ひ勇に恃み、士卒を鞭撻す。軍心 巳に離る。

呂布がいかに敗れるかが説明されている。もっと、エピソードを盛り込んで、掘り下げても良いかもな。


牛輔が逃げて、部下に殺される

次日、呂布 兵を牛輔に進み、来迎す。輔の如何なるやを量る。〈牛輔は〉敢へて呂布と対敵す。牛輔 遂に大敗して走ぐ。
是の夜、牛輔 心腹の人 胡赤児を喚び、商議す。
輔曰く、「我 素より呂布の驍勇なるを知る。必ず敵すること能はず。如かず、暗かに金珠を蔵し、親随する三五人に与へ、敗軍を棄て、自ら去かん」
胡赤児 応允す。

是の夜、輔と赤児 三人を随行せしめ、各々金珠を帯び、営を棄てて走げ、将に一河を渡らんとす。赤児 金珠を謀らんと欲し、牛輔を殺死し、頭を将て呂布に来献す。
布 情由を問ふ。
従人 出でて、「首め胡赤児、牛輔を謀殺し、其の金宝を奪ふ」とす。
布 怒り、赤児らを将て尽く之を誅す。

呂布が李傕に敗れる

軍を領して前進し、正に李傕を迎ふ。
軍馬 両つ陣圓の処とす。呂布 李傕ら物無きが如きを観て、戟を挺し馬を躍らしめ、直衝す。傕の部下の将士 如何に当たるべき。

なんか、李卓吾先生のアイノテが入ったw

傕の軍 大乱し、五十余里を退走し、山口を守住す。

郭汜・張済・樊稠に請ひ、商議す。

この4人は、長安を四方から攻める(という形式化された名場面を描写する)ために、つねに四人組である。
四人の末路も、きれいに構造を為してると、なお良い。

傕曰く、「呂布の勇猛 当たるべからざると雖も、智謀 慮を為すに足らず。我 引軍し、谷口を守住す。毎日 他を誘ひ、厮殺す。郭汜 兵を領し、布の後を抄すべし。日夜、攻撃すること、『彭越 楚を撓するの法』に效へ。金を鳴し、兵を進め、皷を擂し、兵を收めよ。呂布 両下 相ひ顧みず。張済・樊稠 兵を両路に分け、長安を逕取せよ。呂布 首尾 救応し、迭せず必然に大敗す」
衆 其の計を用ふ。

却説、呂布 兵を勒して山下に到る。
李傕 兵を引きて、搦戦す。布 忿怒し、傕を衝殺す。〈李傕は〉退走し、山上に去き、矢石 雨の如くす。布の軍 進む能はず。

李傕は呂布と、直接は戦わない。

〈呂布の〉陣後、郭汜の軍 殺来す。布 急ぎ回し、鼓声 大いに震ふ。汜の軍 已に退く。鑼声 処に響く。
布の軍 未だ收めざるに、傕 又 来戦す。未だ対敵するに及ばず、背後の郭汜の軍 又 殺来す。至るに及び、呂布 回し、皷を擂して軍を收む。

前の李傕が山上にこもる。郭汜が後ろから攻める。前後を転じて郭汜を攻めようとすると、郭汜が引っこみ、李傕が攻めてくる。前後を転じて李傕を攻めようとすると、李傕が引っこみ、郭汜が攻めてくる。イライラする!

或いは半夜、或いは早、或いは晩、郭汜 又 背後に撓乱す。前面に李傕 時ならず搦戦す。
呂布 戦はんと欲すれども得ず。

長安の城中、呂布に飛報す。
「張済・樊稠 両路より軍 城下に殺来す。人 敵すべく無し。布 急ぎ軍を領して回せ」と。

王允しか長安に残ってない。誰も戦える人が残っていない。

背後の李傕・郭汜 布の軍に殺来す。多く投じて李・郭に順ふ者有り。此に因り、呂布 勢を失ふ。

長安の陥落

〈呂布が〉長安に及到する比〈ころ〉、城下の四下、軍兵 雲屯・霧集し、城池を囲定し、暁夜 攻打す。
呂布 但だ引軍し、衝出す。一声 喊起するや、〈呂布の兵は〉都て李傕の軍中に往き、投じて拝す。布 心に甚だ憂ふ。
囲むこと十日に及び、董卓の下部曲たりし李蒙・王方 城中に在り、守把するも、〈李傕に〉城池を献ず。四路の軍 一斉に擁入す。
呂布 左衝・右突するも、欄して住まるべからず。数百騎を引き、青𤨏門外に往く。

布 王允を呼びて曰く、
「賊 来り、勢は急切なり。敵に抵り難し。請ふ司徒よ、上馬して同に関を出で去く、別に良策を図れ」
允曰く、「若し社稷の霊を蒙り、国家を安ずるを得るが吾の願ひなり。若し獲ざること已なれば、則ち允 身を奉げて以て朝廷に死す。幼主 我を恃むのみ。難に臨めども、苟しくも吾を免るること、為さざるなり。力に努めて関東の諸公に謝し、国家を以てて念ずるを為す」
布 王允に勧むるとも、允 死して去くを肯ぜず。

但だ各門の火㷔 竟天するを見て、呂布 家を棄却し、小しく百余騎飛を引き、関を走出して、袁術に投奔す。

李傕が長安を占領する

李傕・郭汜 縦兵・大掠・放火・殺人す。人の妻女を淫し、為さざる所無し。
太常卿の种拂 家奴の数人を引き、賊と死戦し、乱箭を被けて南宮の掖門に射死す。太僕の魯馗・大鴻臚の周奐・城門校尉の崔烈・越騎校尉の王頎 皆 国難に死す。

正史と付き合わせて、経歴を追いたい。

賊兵 内庭を囲遶し、至急す。近侍 天子に請ふ、「宣平門に上りて乱を止めよ」と。
李傕ら黄蓋を望見し、軍士とともに万歳を同呼す。

献帝 倚楼して問ひて曰く、
「卿 奏請を候せず、輒ち長安に入る。何を為すを欲するや」
李傕・郭汜 面を仰ぎ、奏して曰く、
「董太師 乃ち陛下の社稷の臣なり。王允 謀を設けて之を殺す。臣ら特来し、報讐す。敢へて造反するに非ず。但だ王允に見へば、臣 便ち兵を退く」と。
王允 帝の側に在り、奏を聞知して曰く、
「臣 本より社稷の計を為す。事 已に此に至る。陛下、臣を惜みて以て国家を廃すべからず。臣 請ふ、二賊に下見し、以て国難を舒せんことを」と。

帝 徘徊して忍びず。允 宣平門の楼上より跳び、楼を下り、大呼して曰く、
「王允 此に在り」

ここだけ、漫画というか、張遼みたいである。

李傕 抜剣して近前し、之を叱りて曰く、
「董太師 何の罪悪有り、你 謀を設けて之を殺す」
允曰く、「董賊の過、天に彌り地に亘り、勝げて言ふべからず。誅を受くるの日、長安の士民 皆 相ひ慶賀す。豈に無罪なるを得るや」

董卓の行動ではなく、董卓が死んだ日の周囲の反応をもって説明している。論理が破綻してる。もしくは、論理の破綻こそが、王允の興奮ぶりを表しているのか。それだとしたら、とても凝っている。

郭汜 大怒して曰く、
「太師 罪有らば、我ら何の過𠎝有りて、原赦されざる」
二賊 手もて王允を起把して、楼下に殺す。
史官 詩讚ありて曰く(はぶく)

王允 宗族数十人を害せられ、市城の中に斬らる。老幼 但だ知る者、下涙ぜざる無し。李傕・郭汜 尋て這裡に思道し、天子を殺さず。
更待、何時、二賊 剣を仗きて内に殺入す。漢の天子 性命は如何。且聴下回分解。141008

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