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- #もし魯粛が長生きしたら
20150520の夜遅くに、「#もし魯粛が長生きしたら」というタグを、ツイッター上で設定させて頂き、皆さんにイフの展開を、いろいろ教えて頂きました。30時間ほど経過したので、その記録として、まずはまとめます。
平日にも関わらず、ツイートで反応して下さった皆さま、ありがとうございます。発言は、「@+アカウント+曰く」で引用させて頂いています。申し訳ありませんが、ページの簡潔のために敬称を略しています。
イフ設定の発端;湘水のこと
ぼくが、魯粛に関する記事をあげたところ……
@g_kasya 曰く、魯粛が実は荊州奪回の種を仕込んでたという説はどう思われますか? 以前Jominian氏がつぶやいていたような気がします。 http://togetter.com/li/638268 まとめありました
ぼくはいう。Jominian氏によると、孫権は、零陵(桂陽・豫章と共に中原に米を供出したことあり)を劉備に割譲する一方、湘水を征圧し、湘関を設置して徴税の権利を保持した。もし劉備軍が曹操と戦うなら、零陵から戦地に米を贈るため、湘水を使わざるを得ず、兵站を孫権に掣肘されると。
孫権・魯粛は、「劉備に零陵を割譲する」と言いながら、じつは劉備が零陵の税収を(少なくとも緊急性の高い戦時に、水運をつかって)使えない状況を作っておいた、という仮説だと理解しました。ぼくが気になるのは、魯粛の戦略です。魯粛は、「劉備(劉備がいなければ関羽)を曹操にぶつけ、孫権を保全する」と想定したはずです。
魯粛が、劉備をジャマする(保険をかける)前提で、割譲の案を決めたかは微妙だと思います。湘水は「境界」という約束なので、劉備・孫権が表面上は同盟しているとき、孫権だけが征圧したとは考えにくいです。関羽と対立した呂蒙が、同盟が作った状況(湘水を境界とする)を有利に使った(いち早く征圧した)のかと思います。
魯粛の意図については、Jominian氏の仮説に違和感がありましたが、「湘水を征圧することで、関羽を追いつめた」という意味で、呂蒙のうまさは、氏の仮説のとおりだと思います。関羽が米を盗んだのでなく、湘水を征圧されて困窮した、というのは異論が思いつきません。
魯粛の眼目は、「いかに劉備(や関羽)を曹操にぶつけ、孫権の役に立てるか」にあると思います。ここは、史料でもブレてないはずです。評価されるとしたら、劉備に対して悪意のないはずだった領土の分け方を、後年、関羽を討つために活用した、呂蒙の応用力だと思います。
@g_kasya 曰く、本当に魯粛がもっと長生きしてたら、面白い展開になっていたでしょうね
直接的には、このツイートがキッカケです。
ぼくはいう。『三国志集解』魯粛伝で、王氏の論をひき(王氏の名は漢字変換が面倒なので割愛)、「もし魯粛が死ななければ、関羽が中原を征圧して、曹丕は帝号を称さなかっただろう」というイフが書かれている。
もしも関羽が死ななかったら、というのは、河原谷創次郎氏の『関雲長北伐戦記』という小説。だが関羽が冥界?で神になるのを断って……とか、発端がやや現実離れしてる。それよりも、魯粛が死ななかったら、から語り起こして、ドミノ式に関羽も死なず……のほうが、現実的でおもしろい話になりそう。
イフ設定で、魯粛が死なずに、劉備・孫権の関係が維持されたら、天下はどうなったか。三国は訪れたか。というネタを想像したら楽しそう。 #もし魯粛が長生きしたら のタグで、やんわり募集させてください。宜しくお願いします。
前回の『 #曹丕80歳 』は、曹丕が冒頭で死んで、ずっとイフ物語だった。魯粛のイフものは、前半は史料にもとづき、がっちり史実。後半は、 #もし魯粛が長生きしたら というイフもの。という2部構成で1つの作品にしたい。前半で伏線をたっぷり張れるから楽しそう。
初動は、悲観的なご意見
@tkoujou 曰く、諸葛瑾、歩騭、厳畯ら、徐州出身者がかなりの影響を与えるだろうとは、容易に想像の付くところ(徐盛も加えてもいいかも)。命懸けでも徐州を奪還したいこの連中と、荊州収奪派(呂蒙、陸遜)の鬩ぎあい。大粛清は避けられないか。少なくとも張昭は無事では済むまい。
@toronei 曰く、どっかで粛清されていた未来しか感じねえ。
@korekorebox 曰く、多分、215年の段階で魯粛の発言力は失墜してる。横江将軍・漢昌太守以降の役職は無く、214年には孫皎が都護・征虜将軍となり215年に呂蒙・蒋欽が左右護軍となり地域の軍を取り仕切る。呂範・呂蒙は魯粛より先に偏将軍だから長生きしても呂範・呂蒙の下に埋没する。
@kamikami_3594 曰く、荊州の代わりに徐州とか淮南が戦場になってそう。四姓を始め呉郡出身者の影響力が相対的に減って、張昭らとの確執が増える代わりに、二宮事件のような政争は、起こったとしても小規模なものになりそう
なんか、暗い感じになったので(じつは、この暗さこそ「正解」のようですが)、ひと晩、明けてから、通勤しがてら、ぼくが新しくツイートしました。
ぼくはいう。魯粛がプラス何十年も生きなくても、たとえば曹操が死ぬ220年まで、あと3年でも生きれば、後漢最末期はちがった展開になりそう。『三国志集解』がひく説のように曹丕は革命しないかも。魏・蜀・呉の天子が誕生しない可能性もある。魯粛は漢を滅ぼしたがってるけど。
皆さんの想像を教えてください。孫権のところの政策・君臣の勢力図が変わることに留まらず、例えばあと4年(50歳まで)生き延びるだけで、魏・呉・蜀の天子即位の有無まで、史実から変わるはずです。関羽の北伐の成否は、三国志で最大の分岐点ですし。
ぼくはいう。曹操は関羽の北伐に憂悶したまま死に、関羽は魯粛の支援を受けて中原に領土拡大。関羽と魯粛の、第2次 単刀会イベントが発生して領土交渉。曹丕は漢の忠臣をアピールして政権を維持し、漢魏革命なし。劉備も漢中王どまり。魯粛は領土拡大を背景に、孫権に称帝を迫り…
魯粛が君臣の世論を無視して、孫権に帝位を勧めるのは、赤壁の頃からのデフォルト。孫権は呂蒙ら忠実な臣や、陸遜ら在地の有力者を味方につけて、称帝を回避しようとするが、魯粛のサギ(内容は未定)により、称帝が不可避。曹丕から徐州を奪い、諸葛亮との全面対決を始め…
史実で曹丕が矢面に立った「漢を滅ぼすな」という世論の圧力を、魯粛が一人で引き受けるのは難しい。漢(曹氏)を滅ぼすより先に、領土拡大の途上にある呉で、臣下の分裂と、大いなる粛清が起きるかも。革命の達成よりも、既存の組織の居心地の良さを巡る争いが優先となり。
もう魯粛の思想的な急進性を扱い切れないと判断した孫権(晩年のように劣化する前)が、魯粛に名誉を与えつつ、穏便に要職から外すというハッピーエンドになるのかな。光武帝と鄧禹との関係に準えて、円満な解決。
劉備に移籍する魯粛?
このころ、悲観的なイフ以外の意見をいただきます。
@toshizoaraki 曰く、単刀会で直接会って話している関羽と手を組んで何かしそう。関羽と話が通じるのは珍しい。第一、魯粛って、孫権以外の人士との関係ほとんどない。周瑜と呂蒙ぐらい?
魯粛にとって上司が孫権でなければならない理由って、あったのだろうか? 天下二分を実現するなら、別に劉備でもいい。荊州の司令官の地位を奪われそうになったら劉備に寝返ったりして。
魯粛と諸葛亮は関羽の操縦方法を心得ていそう。魯粛は単刀会で義理と筋道で説き伏せ、諸葛亮はごますり手紙でご機嫌を取る。
劉備に移籍すれば、話がひろがるか……も。
ぼくはいう。単刀会で話す機会のあった関羽の「軍師」的な役割を演じそう。周瑜や魯粛の構想では、孫権軍と劉備軍は別物ではない。盛んに自立を画策し、孫権に喧嘩を売ってくる劉備に対し、魯粛は、物資や助言の提供、外交努力によって、両軍の(再度の)一体化をはかり、わりと成功するとか。
魯粛が劉備に仕えるなら、劉備を「後漢の継承者」ではなく、「後漢の対抗者」として、天子に担ぐことになりますね。劉備は、乗ってきそうです(笑)。袁紹が劉虞を担ぐときは、「後漢(霊帝)の継承者」ではなく、「後漢の対抗者」のような位置づけでした。袁紹と同じことを、魯粛が劉備をつかってやるとか。
劉備に移籍する路線で、ご意見をいただく。
@korekorebox 曰く、①荊州返還の意思が無いことがハッキリした建安20年(215)以降、自分の呉内での立場の危うさを感じた魯粛は同じ徐州出身の諸葛亮・麋竺・麋芳を頼って、劉備に鞍替えする。タイミングとしては劉備が漢中王を名乗った頃。
②劉備に鞍替え後は、よほどうまく立ち回らないと許攸の二の舞。うまく立ち回れば、おそらく李厳との2枚看板みたいな形になると思う。
③魯粛が生きていた場合、陸遜と呂蒙の交代が起きないので関羽の北進が鈍る。関羽への魯粛の北進支援があった場合、それを利用して呂蒙と孫権が、魯粛には秘密にして荊州奪還の計画を遂行。
④魯粛が劉備に鞍替えする場合、魯粛は漢昌郡を放棄。保持は難しいと思う。陸遜と呂蒙の交代劇がないから関羽北進が鈍ったおかげで于禁軍水没事件が回避され、関羽北進が行き詰る。
ぼくはいう。 呂蒙と違うやり方で、劉備軍を攻略するかも。蜀を取ったばかりで、北の曹操戦に目が向く劉備の背後から、もと劉璋の臣に働きかけて成都を揺さぶるとか。傭兵の劉備を「有効活用」するには、同盟の名目は保ち、双方の利益を確保しつつ、裏で計略をかけるみたいな。
曹丕・劉備を手玉にとる
開始(20150520の夜)の悲観的な未来を、翌日の朝に盛り返したいと願っていたところ、その日の昼あたり、魏をまきこんだ大きな話を頂戴する。
@caobiao_a 曰く、魏が漢から禅譲されたあとは、魏と対抗するため劉備を利用する。劉備が負けそうになれば少し手を貸す程度で滅亡を避けてやる。 表面上では漢王朝復興を支持しつつも、呉国内では臣下・民衆の信頼を得る政治をし、内政に務める。攻められない限り、呉からは戦争を発動しない。
国家が安定しているので、魏蜀から戦乱を避ける民や臣下がなだれ込む。魏と蜀が戦っている間に呉が一番豊かな国となる。魏は国内の政権争い・代替わりで弱体。蜀と共に魏を滅ぼす (ここは考え中) 劉禅の禅譲で呉が漢を継ぐ正統王朝となる。
魯粛殿なら呉を正統王朝に持っていけるかな
ぼくはいう。魯粛の主眼は、劉備と曹操(やがて曹丕)を、両国が潰れ合うほどに戦わせること。戦乱で溢れた人材や人口を、孫権に吸収させ呉のみを富ませる。劉備と曹丕の最終戦には、呉の国富を背景に、魏蜀の両国に同じ量の兵器を売り捌く、悪徳の武器商人みたいな動きをするとか。
益州を得た劉備軍にクサビを打つため、諸葛瑾を成都に送り込む。昔、「龐統は呉臣で、劉備の目付け役だった」と書いたことがあるけど、その後任が諸葛瑾。表面上は同盟関係だが、国の目指すところが違い、また君臣のこと、兄弟のことで悩み、諸葛瑾はストレスで禿げる。
魯粛が長生きしても何も変わらない
話をポジティブに展開しようと思っていたところ、昼休みの終わりがけに、ふたたび冷や水をぶっかけられます(笑)
@HAMLABI3594 曰く、孫権は建安22(217)年春に曹操に降伏。同年魯粛が死ぬ。建康実録は秋と書く。(中略)魯粛が江南が安定するまでの繋ぎとして関羽に江陵を貸し与えて北辺を守らせたように、孫権は呂蒙が育つまでの繋ぎとして魯粛を使い倒したのである。つまり何も変わらない。
起兵当初の曹操にとって曹洪が持つ兵は重要だったが、時を経ると相対的に曹洪が持つ軍事力の価値は下がり、最後には兵権を奪われるに至った。周瑜の兵を引き継いだ魯粛の立場は曹洪と似ている。
これが、のちに効いてきます。さらに本質的な問いかけとして、
@toshizoaraki 曰く、魯粛の戦略が凄いのは分かる。だけど、魯粛は自身をどういう立場に置きたかったのだろう。孫権のもとで作戦を練ったり助言を与える軍師的な役割をしたかったのか。前線に出鎮し、一方面の司令官として、各勢力を相手に虚々実々の駆け引きをやりたかったのか。
そうなのです。描くからには、ハッピーエンドがいい。しかし、なにがどう決着すれば、魯粛にとってのハッピーエンドなのか。それが分からない。
魯粛について、魯粛の末期の情勢について、じつはよく分かってない(分かった気でいた)ことが、このイフ設定を投げかけることによって、浮き彫りになった。こうした思考実験ができるだけでも、イフを考えることの意義はあると思いますが、そんな地点に落ちついて、この設定案を総括してはいけない。
イフ設定の問題の立て方への疑問
ついつい、悲観論に落ちつく。話が広がらない。という、なんとなくの不調を受けて、(やはり勤務中に)考えてみた。
ぼくはいう。2ちゃんねるに「もし魯粛と呂蒙の死ぬ順番が逆だったら」という、今年1月の話題がある。 #もし魯粛が長生きしたら よりも、問いの立て方がうまいです。魯粛だけに単発で長生きさせても、想像力がうまく起動しない…という課題がありそうです。(長生きという仮定は、集解の注からの借り物です)
魯粛がらみのイフものをやるとき、想像力が順調に起動するような問いの立て方は、もっと別にあるのかも。魯粛ファンの皆さん(ファン以外の皆さんも)、知恵を貸してください…… #もし魯粛が長生きしたら と質問を設定してみましたが、やや窮屈かも知れません。
帰宅後、ぼくはいう。魯粛が長生きしても「何も変わらない」という @HAMLABI3594 さんの指摘が気になる。単刀会の意義は、魯粛の交渉力で孫劉の衝突を回避したこと。つまり魯粛が交渉力を発揮せざるを得ないほど、両者の対立は決定的。「劉備を利用して曹操に当て、孫権に利す」当初の戦略は破綻した上での話となる。
『SWEET三国志』で魯粛は、孫権に「いつの間に死んだんや」と言われる。こういうN次創作は、わりに真理を突く。魯粛の死は、歴史的な画期でない。孫権と劉備の対立が決定的になり、「湘水を境界とする」という敵国同士の条約がある時点で、魯粛の当初の計画は失敗し、あとは存在意義が薄いかも。
ぼくは思います。歴史の画期でない出来事を、イフの想像力によって覆したところで、大勢に影響はないのかも知れない。魯粛について感じ・考えるとき、「もし、こうだったらなあ」と思うことは、どこかにあるはずですが、少なくとも「魯粛がこのタイミングで死ななければ」というのが、おおくの三国ファンが自然に懐くイフ設定ではないのかも知れない。だめじゃん。
疑問になるのが、「結局、魯粛は何をしたかったか」、「魯粛は失敗して終わっただけか」ということ。劉備が益州を得た時点で、魯粛は劉備をコントロールできず、生きてても死んでも大勢に影響なし、となったのか。「もし魯粛が長生きしたら」が想像力を起動しにくい理由はそこか。だとしたら、淋しいな。
イフ物語に対するぼくの態度
イフの遊びを、ときどきやりますが、ぼくが歴史もののイフについて、どのように考えているか。頭のなかを整理しがてら、(一連のツイートは、魯粛イフを募った翌日、勤務中の午後に)書きました。
ぼくはいう。歴史のイフもので重要なのは、イフの内容ではない(考えるのは楽しいけど)。史料を読み込み、史実の人物像についてきちんと仮説を立てることが重要。さもなくば、イフの内容にリアリティがない。史実をよく知ることが目的であり、イフ展開を想像することは、目的遂行のための手段やキッカケだと思う。
史実や人物像に関して、仮説を表現するとき、論述形式でやるのが普通だろうけど、イフものを書いてみるという方法もあると思う。史料読解力・知識量・考察力などの総合戦で、ごまかしがきかない。べつに、「好きな人物に勝たせたい」とかいうスケベ心?が、ぼくの主要なモチベーションじゃないです。
イフものは、史実から分岐する点から書かれるのが普通だが(曹丕80歳もそうした)、ぼくの遊び方をやるには、前半の8割は史実に準拠して、解釈の提示=イフものの伏線を張り、最後にイフでちょっと遊ぶ、というバランスがいいと思ってます。解釈を提示せず、架空の物語だけ見せられても唐突ですし。
とくに魯粛のように、作品・読者によって、イメージがちがう人物を扱うのであれば、「ぼくが把握している魯粛は、こんなひとです」という提示が必須だと思います。
魯粛について、「魯粛が長生きすれば、きっと歴史がおもしろく展開したはず」と、なんとなく安易に思って、タグを設定した時点で、ぼくは史料の読み込みがあまく、魯粛に対する理解が足りなかったのだと思います。
魯粛を最大限に、活躍させられるイフ設定は、もっと別にある(気がする)。そういう設定を考えられた時点で、魯粛について読解・理解ができたことになるだろう。
翌日の夜に頂いたお話
ぼくが、問いの立て方に懐疑的になっているころ、新たなご指摘を頂戴しました。やはり、魯粛の未来を広げるのは、難しいようです。
@Rieg__Goh 曰く、孫権の魯粛評を忘れていた。魯粛は戦略を修正して劉備と組み、孫権に批判された。孫権は魯粛の戦略を捨て、本来の魯粛の戦略を呂蒙に実行させた。それが215年の荊州侵攻だと思う。魯粛は荊州の責任者として関羽と対峙し、交渉もしたが中心人物ではなくなってる。
兵の統制については賞賛されていたので、兵を没収されることはないだろう。しかし、鄧禹になれない魯粛は魯粛たりえない。長生きした所で、存在感を発揮する機会はないと思う。魯粛の戦略に従った孫権が魯粛を批判することの違和感を解消できた気がする。
@baisetusai 曰く、魯粛が漢を倒したあとに「孫権とともに謀れるとしても彼とともにあることはできない」と、太湖の彼方へ去っていくエンディング
@daradara3594 曰く、賀斉や陸遜らが苦労して獲得した山越兵も泥沼状態の淮南にぶち込んで全て溶かしそう。
曹操との妥協は有り得るか否か、という点が魯粛と孫権の唯一最大の相違点だったと思うから(有り得ない魯粛、有り得るし実行した孫権)、淮南経略が泥沼化していた建安後期からさらに長生きしたら、ひょっとすれば孫権との対立までいったかもしれない。
魯粛の後任に孫権が考えたのは厳畯と呂蒙。どちらも孫権に対し従順で、他の幕僚達との折り合いもつけられる人格者だった。魯粛を喪った孫権は魯粛のような男を探すより、これからは自分自身が魯粛のように引っ張っていく決意をしたのかもしれない。呂蒙は自分の意志を遂行させる為のアシスト役。
@toshizoaraki 曰く、魯粛がなにがなんでも反漢なら、そもそも孫権のところにはいなかったのでは。赤壁で開戦を決意するまでの孫権勢力は、献帝から爵位をもらって喜ぶような、曹操に忠実な地方勢力だから。魯粛は張昭に非難されながらずっとそこに居続ける。
@toronei 曰く、魯粛はマジで長生きしてたら、孫権に粛清されてるか、そのムードを察知して蜀に亡命しても不思議じゃないよな。孔明がストレス抱える姿しか浮かばないなw
魯粛の末期の無力感を味わって
皆さんの話を聞くと、あまり明るい未来がない。
ぼくはいう。個人の才覚で、どうにもならぬことを「構造」と呼びます。これをタイトルにした三国志の学術書もあります。「魯粛が長生きしても何も変わらず」という仮説は、構造に寄った発想です。しかし魯粛こそ、構造を覆す(or創る)革新者であってほしい。史実ありきで遡及的に決めつけたくないです。←願望
なんて考えつつ、イフを楽しんでます。
「#もしも魯粛が長生きしたら」は、わりと窮屈な問いかも知れません。魯粛にとってのハッピーエンドを導けるイフは、分岐点を前に置いたほうが良いかも知れません。215年の湘水の同盟の内容が、もうちょっと好意的になるとか、劉備・孫権が敵国同士になってしまった時点で、いかに弁舌さわやかに交渉しても、胆力たっぷりに説得しても、ムリなのかも知れません。
皆さんのツイートを見る限り、魯粛だけを長生きさせるだけでは、おもしろい話にならない気がしています。魯粛の周囲で、もっと話が盛り上がるような設定を考えたい……というのが、ご意見の募集を始めてから、まる1日が経過した時点での、ぼくの考えです。もうちょい、考えます。もっと遊びます。
ひきつづき、ご教示をお願いします。150522
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- つぎは、 #曹操戦死208 をお願いします
上の記事を書いてから、会社に行きました。それなりに仕事をしつつ、魯粛のイフのことを、もやもや考えておりました。昼休みにツイートしました。
#もし魯粛が長生きしたら 企画は、流産です。魯粛の場合、史実に準拠して物語を書き込んだ方が、おもしろいと思い至りました。史料なかの魯粛が、すでにフィクションめいた魅力の持ち主です。
イフ物語のアイディア、ありがとうございました。史実の魯粛を理解するのに、すごく役立ちました。
でも、別のイフもので、まだまだ遊びたいです……(懲りてないです)
というのが、昼休みまでの結論ですが、午後は、工場で経理監査をやりつつ(←三国志に関係ないです)、イフのことについて考えてました。
@daradara3594 曰く、魯粛は外交面では張松、軍事面では張遼という想定外の敵に敗れてしまったんだと思う。
魯粛が江陵譲渡という危険な賭に出れたのは、あの時点で劉備のオーナーになれる存在が孫権以外なく、孫権なくして劉備なしという状況だったからこそ。それが張松らの暗躍により劉璋から劉備への莫大な経済援助、江陵の共同防衛の成立で崩れた。これは魯粛にとって遼来来と並ぶ痛恨事だった筈。
というご指摘を頂きつつ、まさにその通りだなと、唸りながら、魯粛が活躍するストーリーの拡張性について、あれこれ想像してました。
@dayomonsan 曰く、もし魯粛が長生きしたら、は一丁噛みするだけの知識も無かったので傍観してましたが、では周瑜が長生きしてたらどうなったかなぁ、とぼんやりと
自分はシュウユスキーなので単純に、早死にしたアニメのキャラのようにもっと出番が増えたのになぁくらいの感想しかでませんでしたがそれだけに、
周瑜にとっての孫権はあくまで孫策の弟という意識があるんじゃないかなぁという方向に妄想が働くので、孫権にとっても色々な意味で扱いにくい家臣だろう事を思えばあまり幸せな終着点は無い気がしますので、ある意味あそこで死ぬのが「呉の孫権の家臣」としてはベストだったのかなぁ……、という結論に
という、お話を読みながら、会社から帰っており、帰りの電車のなかで、あれこれツイートをしておりました。周瑜だって運命が変わって、もっと活躍できたら、おもしろいに違いない。これを含めて、遊べる話はないものか……云々。
ツイートを連投しました。
魯粛が活躍し得て、かつ三国志ファンの腕の見せ所となるイフ設定を考えてます(未練がましくてすみません)。魯粛の裁量権が最も発揮されるのは、周瑜が死ぬ210年から、孫劉の対立が確定する215年。この期間、荊州や劉備の動きを規定していたのは、やはり曹操。流れを変えるなら曹操をいじらねば。
イフで曹操に死んでもらうなら、正史ベースなら211年の馬超戦(流矢ヒットは可能性あり)。演義ベースなら208年の華容道(関羽 義を忘る)。魯粛をクローズアップするなら、後者がおもろしいか(原理的な正史主義者の脳内では、関羽の偃月刀でなく、疫病や、水戦ゆえの事故で曹操が死んでも、おもしろさや企画の趣旨は同じとなります)
「もし曹操が赤壁で死んだら」は、『蒼天航路』で大脱線をかますほど、リアリティとおもしろみのあるネタだと思います。早速、曹仁と周瑜の攻防戦の、戦局や意義が変わりそうだし。ひょんなことで、周瑜の死期が遅れ、魯粛に影響するかも。張魯と劉璋の対立の仕方が変わり、劉備の居場所が変わるかも。
検索したら、「曹操が赤壁で死んだら」の設問は多く、大抵は、「演義バーカ」と批判されて終わる。可能性ある話題なのに、「正史vs演義」という、つまらん二項対立に矮小化され、議論が浅そうです。これは、伸びしろがある!と思いました。
ただし、歴史的な大事件の変化には、「どうにでも転ぶ」設定であり、リスクが伴います。想像するとき、共通の土壌がないと、楽しめません。
ぼくが前提としたいのは、、曹操の死の衝撃は、概ね曹丕が吸収(史実からの遊離して混沌となり、「何でもあり」になるのは回避)。しかし荊州情勢は微妙に史実から食い違い…魯粛のチャンス!と考えたい。もとは、魯粛のイフ物語で遊びたいので、このような発想になります。
#曹操戦死208 のタグで、もし曹操が赤壁で死んだらのイフ展開を教えて下さい。収集をつけるため、いくつか前提を設けさせて下さい。曹操の死因は特定せず(演義のように華容道で関羽と遭遇しなくても可)。中原は、荀彧らや曹丕の活躍で当面の自壊は回避。魯粛がどこかの時期で荊州を仕切ります。
曹操が華容道で関羽に斬られたほうが、話がおもしろくなるなら、そちらを採用する。話がおもしろくならない(むしろ、アンチ演義派からガッカリされる)なら、曹操はそれ以外の理由で死んでもらう。とりあえず、既存の議論の袋小路(演義が嫌いな人による、想像力の減殺)は、避けたいと思っています。『演義』が好きでも、『演義』が嫌いでも、曹操が赤壁で死んだら……というのは、楽しい想定だと、ぼくは思っています。
『演義』で、曹操がもしかしたら死んだかも!という物語が語られていること自体、「#曹操戦死208」という設定は、数百年レベルで、関心を集めてきたテーマであるはずです。
宜しければ、「 #曹操戦死208 」で、皆さんの想像する、三国志のイフ展開をツイッターで教えて下さい。どうかお願いいたします。
もしくは、メール(hirosatoh0906@yahoo.co.jp)、または、このサイトの掲示板 にて、ご指導をお願いいたします。
「基調講演」と書いて、「たたきだい」とルビが付きますが、イフ設定の問いかけをしたものの責任として、ぼくが思うところのメインストーリーは、この土日にアップする予定です。20150522閉じる