雑感 > 三国志と『水滸伝』が融合した話をつくる計画

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三国志と『水滸伝』を融合させる宣言

四大奇書のひとつである、という意味で、『三国演義』とならぶ『水滸伝』。三国志のファンでありながら、『水滸伝』のことをよく知らない(読んだことがない・読もうとも思わない)というひとは、多いのではないでしょうか。少なくとも、1ヶ月半前までのぼくは、そんな状態でした。
しかし、四大奇書として、『三国演義』に並べられるくらいだから、きっとおもしろいに違いない……と、いう気がしないでもない。
日本においては、白話小説の受容史において、『水滸伝』は『三国演義』を上回るほど、熱烈な関心をもって扱われた。近接分野を好む集団が、「おもしろい」というものが、破滅的につまらないはずがない。
江戸時代、『三国演義』は、『通俗三国志』に翻訳されます。これ以降は、『通俗三国志』を底本のように扱って、いろんな作品が派生していく。しかし『水滸伝』は、翻訳や読解にかんする研究がやむことなく、原典へのアクセスが継続された。
近世のひとにとって、中国の現代(←当時の)の口語で書かれたものとしては、『三国演義』よりも『水滸伝』のほうが、研究対象としておもしろい。だから、熱心に取り扱われたという気がする。しかし、内容がサッパリおもしろくなければ、『三国演義』よりも『水滸伝』が優勢だった、という状況が生まれたとは思えない。白話に対する語学的な興味をのりこえたところで、『水滸伝』にも魅力があるはずだ。
……などという、『三国演義』を信奉したかのような(=『水滸伝』ファンにから見れば無礼千万な立場で)、『水滸伝』のことを、ながめていたわけです。

そこで、読みました。『水滸伝』。
読みながら考えたことは、このブログに書いてます。
いつか書きたい水滸伝 http://suiko.hateblo.jp/
原典を翻訳したり(お約束どおり白話に苦戦して)、解説本や論文を見たり、翻案ものを楽しんだり。三国志もので、楽しみ方のリテラシーだけは身についているから、入り口で転ぶことはありませんでした。

上のブログは、このサイトにならって、「いつか書きたい」というタイトルにした。せっかく読み書きするなら、作品につなげたいなあ、という思いがあったので。
いろいろ情報発信しながら、かつネットで発信されている情報を見ながら、「どんなものを書こうかなあ」と、しばらく考えていました。
結論としては、『水滸伝』そのものを、『水滸伝』として語り直しても、あまりニーズがないと思うに至りました。『水滸伝』はおもしろい。しかし、ストーリー全体で読ませるというよりは、個々の名場面の蓄積によって、読者を楽しませるというもの。それぞれの名場面は完成度がたかい。ぼくが入りこむ余地がない。

『三国演義』であれば、正史という「最強の並走者」がいる。正史をチラチラと見ることで、『三国演義』が表現しきれなかった、無数の要素をひろってくることができる。まだ、アレンジのやりようがある。ぼくが入りこむ余地がある。

原典に近いままで本編を語り直すことに、やれる余地がないのだなら、翻案ものを作ろう……、と思いました。もちろん『水滸伝』の翻案は、すでに、いろいろやられてきた。江戸時代に書かれた、曲亭馬琴(滝沢馬琴)の『南総里見八犬伝』は、もっとも有名な翻案です。

白井喬二氏の現代語訳で『八犬伝』を読んだが、前半の4分の1くらいで挫折して、1ヶ月くらい放置していることは内緒です。

石川英輔の『SF水滸伝』は、冗談ぬきにおもしろかった。吉岡平『伏龍たちの凱歌』は、完成度が高かった。
それでは、ぼくが翻案するとなれば、なにがいいかなあと思ったとき、『三国演義』とくっつけちゃえばいいじゃないかと。
『三国演義』と『水滸伝』という、四大奇書どうしを融合させるという荒技は、前例がないのではないかと。
極端な話をすれば、「三国志は好きだが、『水滸伝』は読んだことがない、読む予定もない」というひとが、これに目を通せば、三国志に対する興味から逸脱することなく、つまり、三国志に興味を持っているだけで、『水滸伝』にはサラサラ興味がなくても、『水滸伝』の楽しさのエッセンスを楽しめるものになれば、成功だと思います。

四大奇書のひとつ『金瓶梅』は、『水滸伝』のスピンオフです。『水滸伝』の登場人物である武松にまつわる人々を切り抜いて、ひとつの作品にした。このように、四大奇書は、まったく独立した無関係な作品ではありません。
中国の白話小説が共有したはずの、同じプラットフォームの上で、三国志と『三国演義』とを融合させて、相互の翻案させあうというのは、必ずしも、ムリ筋ではないと思います。
中国の白話小説が誕生した宋明の時代の雰囲気を、ぼくはあまりよく知らない。宋明のことを知ったかぶるつもりは、ないです。代わりに、17世紀、『三国演義』や『水滸伝』をせっせと長崎から輸入して、世界観にひたった、江戸時代の読者たちが共有したプラットフォームに乗っかって、その上で、物語をコネコネできないかと。日本の戦国時代の英雄の話を、物語の素材として、コネコネしたのが、17世紀の江戸時代の作者や読者たちです。
この土壌は、時代を隔てても共通で、昭和にも引き継がれる。吉川英治の『宮本武蔵』、『新平家物語』、『三国志』、『新水滸伝』などを、「同じような話」として、なんの違和感もなく同列に読んできた、ぼくらにも通じると思います。これら、時代も土地も、元ネタの来歴も、まるでちがう話を、違和感なく、スススッと読めてしまうぼくらは、かなり特異な文化的なコードに従って、物語を受容していると言えましょう。というか、すごく特別な能力を、訓練によって開発されているように思います。
来歴が、ぜんぜん違うことは承知の上でも、『三国演義』と『水滸伝』は、けっこう親和性が高いのです。というか、親和性が高いことを、ぼくが2つの物語を融合させて、「ほら、そうでしょう」と提示したいと思っています。

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話づくりの進め方

基本的には、『水滸伝』の本編にそって、話を進めていく。ただし舞台は、後漢末にする。時期としては、『三国演義』の本編が始まる前の時代。袁紹・曹操らの若いころ。正史には、彼らの若いころの逸話が、いくらか載っているが、いまいち満足できない。だから、『三国演義』の主要人物たちの若き日々を、『水滸伝』の好漢たちの振る舞いに引きつけて語る、という縫合を行います。
だから、まず、『水滸伝』の本編に出てくる主要人物を、三国志のだれなのか「比定」する作業をすることになります。そして、だいたいの見通しをつけてから、もう書くのみ。
『水滸伝』の本編は、とても簡単。ひとが集まって、ひとが散っていくだけ。三国志は、史実に影響を与えてはいけない。「史実に伏線をはる」というのが、結末になるわけです。この期間限定のうたげが終わったら、きっちり史実もしくは『三国演義』に回帰していって、本業に戻ってもらわなければならない。
そういうわけで、
頭から、どんどん書いていっても、途中で行き詰まることはないはず。おおはばに路線変更が必要になり、ストーリーがまるまるゴミ箱ゆき、ということは起きにくい。ぎゃくにいえば、いかに、三国志ファンとして、「ニヤリ」とできる伏線を張り巡らすことができるか、というのが、この作品の生命線になる。だって、結末は、大きくは外れないのだから。全体のストーリーに起伏がない、もしくは強引すぎる、というのが、『水滸伝』の弱点。その弱点まで、継承してはいけない。

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登場人物の比定(作成中)

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