読書 > 『西漢通俗演義』を抄訳(第06-10回)

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第06回 呂政 立ちて暗に秦嗣を絶やす

『西漢通俗演義』(『西漢演義』)を読みます。『通俗漢楚軍談』も並行して見るべきですが、時間がかかってしまうので、翻訳に困ったときだけ参照する、という距離感でいきます。

『通俗漢楚軍談』は、秦の天下統一後から語り起こす。それがこの第06回の途中。というわけで、秦の天下統一までは、いちど措いて(都合で戻ってくることにして)第06回からやります。
@AkaNisin さんはいう。そういえば、『三国志後伝』を翻訳した『通俗続三国志』も冒頭部分の蜀漢滅亡シーンを削ったり、ストーリーを組み替えたりしてました


秦王政が即位して、呂不韋が実権をにぎる

秦昭王五十六年,季春三月,昭王薨。群臣議立太子安國君為王,以華陽夫人為皇后,子楚為太子,朱氏為夫人。命玉翦、章邯統兵伐趙。李繼叔失守,城陷,遂得漳河。秦加兵於周王,周兵亦敗績。自此秦日益強大,伐魏,取韓,聽到無敵。秦王立一年,薨。群臣立太子子楚為王,封華陽後為華陽太后,生母夏後為夏太后,朱氏為王后,子政為太子,以呂不韋為丞相,封為文信侯,食河南洛陽十萬戶,佩劍上殿,召命不名,威權日重,群臣莫敢仰視。

秦昭王の56年の季春3月、秦の昭王が薨じた。太子の安國君が秦王となり、子楚(始皇の父)が太子となる。玉翦・章邯に命じて、趙を伐たしむ。(趙将の)李継叔が城を守れず、ついに(秦軍が)漳河をわたった。

第06回から読み始めたので唐突感があるが、李継叔は、めずらしく出てきた固有名詞。前回までに、けっこう活躍してるんだろう。

秦は、周王(との戦いに)兵を加え、周兵もまた(趙と同じく)敗績した。これより秦はますます強大となり、魏・韓を破った。
秦王が立って1年で薨じた。太子の子楚が秦王となり、子の政が太子となる。呂不韋が丞相・文信侯となり、河南の洛陽10万戸と食む。佩劍上殿・召命不名;威権がおもくなる。

秦王楚即位三年,薨。太子政立為王,以朱氏為王太后,尊不韋為相國,號稱仲父。秦王年少,國政皆不韋統理,出入宮禁,略無忌憚,時時與太后私通。宮門之中,畏不韋之威,莫敢聲言。
不韋奢侈日極,養家童萬人,招致四方食客,常數千人,金玉如山,甲第連雲,珍玩奇寶,不可勝數。凡戚屬故舊,皆列貴極,金紫滿前,任其封賞。又延覽天下名士,凡有聞見,著為集論,有八《覽》、六《論》、十二《紀》,二十餘萬言,以為備天地萬物,古今之事,號曰《呂氏春秋》。行於咸陽市門外,懸千金於其上,招延諸侯、遊士、賓客,有能增損一字者,予千金。懸告十餘日,無人敢增損之,不韋以為不刊之典,遂將此書頒行天下不題。

子楚は即位して3年で薨じ、太子の政が秦王となる。呂不韋を相國として「仲父」と称す。秦王は年少なので、国政はすべて呂不韋がやる。呂不韋が太后と私通したが、だれも口を出せない。
呂不韋は贅沢をして、人材を集めて『呂氏春秋』を編んだ。咸陽市の門外にテキストをかかげ、字を増減できる者がいたら懸賞金を与えることにした。しかしテキストを修正できない。

『演義』に特有の、史実にない物語・キャラのつながり等があれば、必ずひろう予定です。しかし、呂不韋の政治に関しては、史書を引き写しているように見える。だから、けっこうザックリと抄訳をしてます。


且說秦王雖年少,承父祖之餘烈,當國家之強盛,東周不祀,六國益衰不韋專內,王翦治外,滅楚伐趙,破燕取魏,天下縱橫,藩籬固結。人知秦之強不知秦已滅矣。

さて、秦王は年少だが、父祖の余烈をつぎ、国家の強盛にあたり、東周は祀らず、六国はますます衰え、呂不韋は内政を専らにして、王翦が外征を治めて、楚を滅ぼして趙を伐ち、燕を破って魏を取った。ひとは秦の強さを知るが、じつは秦がすでに滅んでいたことを知らない。

!!!!!!


呂不韋が失脚する

卻說不韋見秦王蓋世,太后荒淫不止,恐禍及己,乃私求大陰人繆毐以為舍人。太后聞,欲私得之,不韋乃進繆毐,詐以為宦者,拔其鬚眉,奉侍太后遂與私通,心極愛之,封為長信侯。又恐事敗,詐卜避時,遷居岐雍大鄭宮,凡宮中大小事,皆毐裁決。
秦王九年五月五日,太后與毐飲酒,大醉,命御衣夫人季氏進酒,偶酒傾於地,毐怒而叱之曰:「老婢乃敢無禮耶!」季氏曰:「我居宮禁十餘年來,侍秦先王,多有辛苦,爾何罵我耶?」毐大怒,令人笞背逐出。季氏懷恨,即奔告太史趙高,說毐實非宦者,而與後私通,見生二子,藏匿在宮,待王上春秋後,二子爭圖天下。高聞知大驚!不敢隱諱,見秦王,將季氏之言,一一奏知。秦王大怒!就捉繆毐下獄追究,具得情實。至九月,夷毐三族,殺太后所生二子,遷太后於雍地,拘相國呂不韋於幽室。諸大臣賓客極力上言,而死者二十七人,俱斷其四肢,積之關下。

さて呂不韋は、太后との荒淫がやまず、禍いが及ぶことを恐れて、宦官という触れこみで、陰部の大きな嫪毐を送りこんだ。太后は嫪毐に夢中になった。
秦王9年の5月5日、太后は嫪毐とともに酒に酔い、御衣夫人の季氏に酒を運ばせた。たまたま酒が地にこぼれた。嫪毐は怒った。「老婢め!無礼を働きやがって」。季氏「わたしは秦の宮禁に10余年来おり、先王にも仕え、多くの辛苦がありました。なぜひどく罵るのです?」。嫪毐は大怒して、背を笞うって逐い出した。
季氏は怨みを懐き、太史の趙高にチクった。「嫪毐は宦官ではない。太后と私通して、すでに2子を産んだ。もし秦王が成人すれば、(父が違って母が同じ)兄弟が争うことになる」と。
趙高はおおいに驚き、あえて隠さずに、秦王に李氏の言をチクった。秦王は大怒して、9月までに嫪毐の三族を殺した。嫪毐と太后が設けた2子も殺した。太后を雍地に移して、呂不韋も幽室に捕らえた。大臣は諌言して(秦王の刑罰を止めたが)死者は27人となる。

有齊人茅焦,不避斧鉞,願欲議諫。王大怒,按劍而坐,口沫流出,設油鑊於殿傍,令人召焦進見,欲烹之,焦徐徐而行,旁若無人。行至王前,再拜謁起,稱曰:「臣焦向聞天有二十八宿,今死者二十七人,臣來之,固欲滿其數矣,臣非畏死者也。凡生者不諱死,存者不諱亡;諱死者不可以得生,諱亡者不可以得存。死生存亡,聖王所欲急聞也。陛下如欲聞其說,臣當極力上言之;如不欲聞其說,臣即投諸鼎鑊,願死王前,不畏也。」王曰:「汝有何說?吾即聽之。」焦曰:陛下有狂悖之行,不自知耶?車裂假父,囊撲二弟,遷母於雍,殘戮諫士,桀紂之行,不至於是矣!今天下聞之,盡瓦解而去,無一人向秦者,王獨立無與,臣竊為陛下危之。臣言已盡,決知必死。」即解衣徑赴油鑊,王急下殿,手自接之曰:「先生請就衣,願今受事。」即爵以上卿。

斉ひとの茅焦は、命をなげうって諌言した。「天に28宿があるといい、いま死者は27人。私が殺されたら、ちょうど28の数に足りるので、私は死を畏れない」。秦王は彼の諌言を受け入れた。

茅焦のエピソードはまとまってる。ぼくが『西漢演義』を読む理由は、本紀・列伝をどのように組み合わせるかという、構成に対する興味がおおきい。まとまったエピソードは、とりあえずタグを貼り付けて、コンベアに流すような感じで。『通鑑』でもやったし。


數日後,王命駕虛左方,往迎太后歸於咸陽,復為母子如初。釋不韋於幽室,以文信候使就國河南。一歲餘,諸侯賓客使者相望於道,請文信侯宴會無虛■。王恐其為亂,召群臣諭之曰:「不韋雖有救先王之功,今隆以重爵,可謂厚■。況又無汗馬血傷之勛,反位居文武百僚之上,恐不足以勸天下也。意欲■之蜀地,使老死遠方,亦不忍加誅之意耳。」群臣莫敢再諫。王乃出手書與不韋曰:
君何功於秦?秦封君河南,食祿十萬戶?君何親於秦?號仲父?其與家屬,徙處蜀地,以全不忍加誅之意。勿違朕命,速令起行!

数日後、秦王は太后を咸陽に呼びもどし、母子の関係を回復する。呂不韋を河南にもどす。1年余、また呂不韋が脅威になったので、秦王は「蜀地にいけ」と命じた。呂不韋は、鴆毒を飲んで自死した。

秦王は、嫪毐の子(秦王の父系の血をひかないもの)が秦王の候補になるのを防いだ。秦の王室を守るための行動をしたと思いきや、じぶんも秦王の父系の血をひかなかった。呂不韋の子だった……という滑稽さが、この物語。
そして、呂不韋のことを父と知らずに、これを迫害する秦王。タイトルが「呂政 立ちて、暗(ひそ)かに秦嗣を絶やす」となっているから、このタイトルとあわせて本文を楽しむ、という趣向である。


東南の気が、始皇を悩ます

秦王自滅不韋之後,侈心益盛。一日,召群臣議曰:「我今併吞六國,一統疆宇,古今全盛,天下一人,當更國號,以新天下耳目。今自謂德兼三皇,功過五帝,故立尊號曰皇帝;又自以我為始,可稱一世,相繼於後為二世,綿延不已,傳至萬世,故尊始皇帝。」又分天下為三十六郡,銷天下之兵,書一統之法,遷徙天下豪傑於咸陽,鑄金人十二,以示國富。起章台於上林,通復道於上阪,大興工作,創立宮室,盡將所得諸侯美女、珍玩、鐘鼓充人。

秦王は呂不韋を滅ぼしてから、いよいよ奢って、「始皇帝」を号して、天下を36郡にわけた。復道・宮室をつくって、諸侯から美女や珍宝をうばった。

『通俗漢楚軍談』はここから始まる。つまり日本の翻訳者は、始皇帝が、じつは秦の王室の血をひかないことを、物語の題材としては扱わない。「呂不韋 娠める女を荘襄王に献りてより、呂政 秦の統を嗣いで、六国を滅ぼし……」と説明するにとどめる。この第06回の前半までを、一気に片づけた。


二十七年,始皇召群臣議曰:「古於聖王巡狩天下,以觀民風,朕欲效之出巡,與汝百官計議,汝以為何如?」群臣奏曰:「古先有道之君,巡行天下,以觀民間疾苦,謂坐明堂而聽政也。若深居九重,天下利病,何從知之?陛下此行,正合古意。」始皇隨命駕,先巡隴西北山。偶過雞頭山,登高遙望,見東南有雲氣非煙非霧,隱隱中有五色祥光。命近臣宋無忌問之曰:「此何兆也?」無忌奏曰:「雲氣之出,各有不同:有祥雲,有浮雲,有瑞雲,有霽雲,有慶雲,皆謂之雲。臣觀此雲,非雲也,乃大貴之氣,龍成五色,其應不小也。」

秦王27年、秦王は、郡臣に「いにしえの聖王は天下を巡狩するもの。朕もやりたいな」という。郡臣「引き籠もっていたら、天下の疾苦が分からない。巡狩はいいですね」。
鶏頭山をすぎりと、東南に雲気がある。煙となく霧となく、5色の光がある。近臣の宋無忌に問う。「なんの兆しだ」。宋無忌「おおいに貴い気で、竜が五色をなす。その応(兆しが導く結果)は小さなものではない」

始皇曰:「為之奈何?」無忌曰:「此雲非陛下不能鎮也,當遊巡東南以寶物鎮之,可以消此應兆也。」始皇曰:「卿言正合吾意。」遂傳命旋車駕,復轉回東巡,登鄒嶧山立石頌功德,封東嶽太山,遂以所佩太阿寶劍,瘞於山下。遂渡淮浮江,至南郡而還。駕回咸陽群臣迎接入宮。始皇自回咸陽之後,一向無事,時常追思東南雲氣,不知有何應兆,心下不樂。有近臣奏請:「連日天氣融和,御園中百花爭放,陛下何不命駕一遊,以悅聖心?」始皇即命駕,帶領近侍妃嬪,前至御花園看景。未知如何?且看下回分解。

始皇「どうしたらいい」。宋無忌「この雲は、陛下が鎮められないものではない。東南に巡狩して、宝物を供えたら鎮めて、兆しを消せる」。始皇「じゃあそれで」
各地をまわって祭祀をやった。しかし、咸陽に還った後も、ずっと東南の雲気のことを思い出す。なんの兆しか分からず、心は楽しまない。近臣が「妃嬪をつれてお花見したら、気分が晴れるよ」というから、花見にいく。つづきは次回に。150814

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第07回 始皇 徐福に命じ仙を求む

青服・赤服の小児が太陽を奪いあう

卻說始皇駕幸東御花園,入的園來,賞玩佳景……
侍臣導引,看畢園景,登顯慶殿暫憩,不覺困倦,伏幾而臥。忍聞一聲響亮,駭動天地!見紅日墜於面前,從東一小兒,身著青衣,面如鋼鐵,目有重瞳,向前欲抱太陽,未曾抱起,從南又一紅衣小兒,大叫:「青衣小兒,未可抱去!我奉上帝敕命,特來抱太陽。」兩個不服,各努力爭打。青衣小兒,連摔紅衣小兒七十二交,紅衣小兒不服,跳將起來,用力打訖一拳,青衣小兒仆地便倒,氣絕而死。

始皇は、東御花園でお花見して…(詩は省略)
花見をしたあと、始皇は疲れて臥した。
とある声が響き、天地をさわがす。太陽が眼前に落ち、東からひとりの小児がきた。青い服をきて、顔は鋼鉄のようで、目は重瞳。前には太陽を抱えて立たない。

これは項羽のことだろう。

すると南から赤い服をきた小児がきて、「青い服の小児よ、まだ太陽を抱えられないのか。上帝の勅命をたてまつり、太陽を抱えにきた」と。

こちらは劉邦を暗示している。わかりやすい話である。

2人の小児は(太陽を取り合って)なぐりあった。青服が赤服を72回も叩いたが、赤服は屈せず、拳を1発くらわすと、青服は地に倒れ、気絶して死んだ。

劉邦は項羽に72回にわたって破れるが、ついに屈することなく、項羽を垓下で負かした。項羽は、ただ1度の敗北によって、諦めて死んでゆく。全101回なのに、すでに07回でネタバレ。


紅衣小兒將太陽抱起向南去。始皇叫小兒:「且住!我問你是誰家小兒?通個名姓!」小兒曰:「我是堯舜之裔,生於豐沛,先入咸陽,蜀封興義。沙丘汝歸,長安我立,帝簡命在,四百之祀。」言罷,向南而去,只見雲霧迷天,紅光滿地,小兒不知所往。帝颯然覺來,細思此夢,凶多吉少,我嬴秦天下,恐怕終為他人所得。遂命駕回宮,終日常常不樂,因與近臣計議,要求長生不死之藥,萬世為君。

赤服の小児が、太陽を抱えて立ち、南に去った。始皇は小児に、「まて。どこの家の小児だ。名をなのれ」という。小児「ぼくは尭舜の子孫で、豊沛に生まれ、先に咸陽に入り、蜀に封じられて義を興す。沙丘であなたは(天に)帰し、長安にはぼくが立つ。天帝の命により、四百年の祭祀をたもつ」
言い終わると、南にむけて去った。ただ雲霧となって天に消えた。始皇は目を覚ますと、夢のことを思い出し、凶夢だと思った。「朕は秦の天下を得たが、他人に奪われるのか」。宮殿にもどって閉じこもり、不老不死になって、万世の君になることを欲した。

始皇が不老不死になりたいのは、赤服(劉邦)が天下を奪うことを、夢によって知ったから。というか、秦末に起こる戦いを、楚漢の2英雄の戦いだと単純化している点で、かなりネタバレである。邦訳では「楚漢軍談」というが、原典では「西漢演義」であって、2英雄に収斂することまでタイトルがバラしていない。
この構成のようなものが、ぼくが『西漢演義』から読み取りたかったこと。


始皇が不老不死を求める

有燕人宋無忌奏曰:「東海中有三神山,山中十洲三島,蓬萊方丈,八節如春,四時清明,不知寒暑,不識甲子。中有長生不死之藥,服之可以壽算無窮也。」始皇曰:「卿曾見此仙境否?」無忌曰:「臣有一方士徐福,曾到東海,見蓬萊方丈,遇神仙乘鸞駕鶴,亦與凡人不同,見在臣家暫居。」帝聞說,就召徐福入見,求長生不死之藥。徐福曰:「求藥不難,入海得真藥為難;若必欲得此藥,須入海,方可得也。」帝曰:「如求得此真藥,與卿共食,羽化登仙,不亦美乎?」福曰:「必欲臣去,須用大船十隻。諸色匠作,俱要預備。要童男童女,各用五百名,■金珠寶貝,飲食器用之類,俱不可缺。打點整齊,臣便起行。」帝即傳令,打造■只,各色完備,著徐福過海採藥。

燕ひとの宋無忌が奏した。「東海に3神山がある」と。徐福が東海に、不老不死の薬を探しにゆく。

徐福撐駕船隻入海訪仙,一去杳無音信。帝見徐福去久不回,心急,又著儒盧生入海尋訪。盧生行至海邊,見驚濤萬傾,銀漢波翻,煙霧茫茫,不知聽往,嗟歎良久而回。自思勞民動眾,費了許多錢糧,恐難空回,始皇必加譴責,卻數從人,去秦嶽山中,遍訪真跡。行至東華絕頂,見一人蓬頭垢面,臥於石上起。盧生尋思此高處,人不可居,此人居之,定是異人,虛心向前施禮。其人起曰:「公是何人?來此何干?」生曰:「某奉始皇命,來此訪仙,求長生不死之藥。」其人笑曰:「天數已定,大限難逃,世上安有長生不死之藥?始皇可謂誤!」盧生見其人言語不凡,再三哀告懇切,務要指示迷途。其人用手推石成洞,久取書一冊,上有書名,乃《天籙秘訣》,遂付盧生,囑之曰:「此書當與始皇詳看,上有死生存亡之數。」盧生再要細問來歷,其人復臥於石上,合眼不語。

徐福の音信が絶えたので、始皇はあせって、著名な儒者の盧生に海をさぐらせる。盧生は海辺にゆき、海路の厳しさを知った。しかし手ぶらで帰れないので、東華山の山頂にゆき、蓬頭・垢面の人物に話しかけた。その人物「何しにきたの?」。盧生「始皇の命令で、仙山を訪れ、不老不死の薬を求めて」。その人物「寿命は定まっており、薬で寿命は延びない。始皇は誤りである」。盧生は、その人物が言い終わる前に、再三にわたって懇願した。その人物は『天籙秘訣』をくれた。「この本を始皇に読ませろ。天は、ひとの寿命、国の存亡を決めてあるのだ」。盧生は、その人物の来歴について聞いたが、答えてくれない。

盧生得書,回見始皇言說:「東海茫茫,不知邊岸;尋訪徐福,杳無蹤跡。臣至東華絕頂,見異人授書一冊,不敢隱諱,即將原本進上。」帝將書展開觀看,上有書名《天籙秘決》,其中有歷代轉運之圖,上書蝌蚪文字,言語多隱諱不可曉。帝命李斯詳譯字義,中有一言說:「亡秦者,胡也。」帝大驚曰:「此《天籙》之言,必謂亡秦之天下者,必北胡也。」遂令蒙恬起人夫八十萬,沿邊高築長城,以防北胡。

もどった盧生は、始皇にいう。「東海は渡れませんでしたが、東華山の山頂で、ふしぎな人から書物を授かった。さしあげます」。始皇が読むと、上代の文字が使われて読めないので、李斯に解読させた。本のなかに、「秦を亡ぼすのは胡である」とあった。始皇は驚いて、「この本によると、秦は北の胡族(匈奴)に滅ぼされる」といった。蒙恬に80万をつけ、長城を築いて匈奴をふせぐ。

始皇既命蒙恬北築長城,又傳令東填大海,西建阿房,南修五嶺,創立宮殿。興工動眾,連絡不絕,改變制度,大肆更張。又恐人非議其過,乃聽李斯之計,盡燒歷代詩書,並百家之書,如有偶語者棄市,坑侯生、盧生等四百六十餘人,諸生不得居中國。長子扶蘇諫曰:「諸生皆誦法孔子,今陛下以重法繩之,臣恐天下不安也!」始皇大怒,使北監蒙恬軍於郡。
始皇惓惓,只思東南旺氣,恐人作亂,又命駕東方出巡,那山東地方,連年不收,百姓嗷嗷,不得安生。始皇車駕一出,日費數十萬金,百姓皆逃竄,天下大失所望不題。

始皇は、建築事業をすすめ、制度を改革した。ひとから政策の不備を批判されるのを恐れて、李斯の計にしたがって、百家の書を焼いた。(不老不死の薬の探索にいった)侯生・盧生ら460余人を殺した。長子の扶蘇がいさめた。始皇は怒って、扶蘇を蒙恬のところに送る。
始皇は、東南の気が盛んなのを嫌って、東方をめぐる。山東では連年、不作である。始皇の巡行にはカネがかかったので、百姓は逃げた。

趙三公が張良とであう

卻說韓國城西三十里,淺山腳下,有一酒店,有幾個鄉老在內飲酒。將至半酣,各人談無論地,說古道今,正是:「暢飲村醪行欲倒,務中閒樂四時春。」內有一老,姓趙名三公,言說五百年前,天下太平,人人快樂。眾老便問:「如何是太平?」公曰:「熙熙風景,皓皓年光,黎民鼓平,遍處笙簧。三日一風,風不鳴條,不摧折林木;五日一雨,雨不破塊,不打傷禾稼。盜賊不生,夜戶不扃;行人扃路,道不拾遺。邊庭無征戰之勞,朝野無奸邪之患,野外無蝗蟲旱澇之災,百姓無疲倦艱辛之苦,五穀豐登,天下安樂。此便叫做太平時節。」眾老又問:「此時如何?」公曰:「此時法度嚴謹,不敢說。」眾老便道:「我等僻處鄉村,又無外客你便說何妨?」趙三公只是搖頭不說。

さて、韓国の城の西30里には、酒店があり、何人かの郷老が酒をのむ。なかに趙三公という老人がおり、5百年前の理想の世について語った。秦の法度が厳しすぎると言いつつ、途中で口をつぐんだ。

周代を理想として、『尚書』に出典がありそうな描写をおこなう。いかにも漢代の言説の産物みたいなひとを、はやくも秦末に登場させる。


酒店傍邊閃出一個人來,那人高冠博帶布袍草履,面如美玉,目若朗星,便道:「你不說,聽我說。」眾人拱聽,那人便說「此時秦始皇無道,男不耕種,女罷機織,父子分散,夫婦離別,南修五嶺,北長城,東填大海,西建阿房,焚書坑儒,大肆狂悖,民不聊生,天下失望。」那人罷,又要高聲道幾句言語,只見那趙三公便起身就走,眾老拖住道:「你如何便走?」三公曰:「你眾人不怕死耶!今始皇法度,偶語者棄市,我等被人捉去,都是死數。」眾老聽罷,一齊都走了。那人呵呵大笑曰:「愚人不識我機,但此不世之恨,何處發付也?」未知其人是誰?且看下回分解。

酒店にひとりの男が現れた。顔は美玉のようである(張良の登場)。張良「おじさんが秦についてコメントを控えるなら、私が語ろう」といい、秦の批判をした。趙三公は、「死にたいのか。秦の法度では、そうやって(群れて、政治について)語った者は、棄市になる。われらも巻き添えになる」と。
居合わせた老人は、一斉ににげた。張良は大笑した。「彼らはわたしの機略を知らない」と。秦を批判してもヘッチャラである、人は誰なのか。150814

面倒くさいので、ぼくは初めから張良とかいてます。『通俗漢楚軍談』は、原典の回の分かれ目をことごとく無視して、抄訳して繋いでゆく。だから、張良のことは初めから張良と書いている。
ぼくはいう。社会的な規範や思想(中国なら『義』などの儒家の徳目、日本ならこの季節に盛り上がるやつ)から自由になり、物語の分かりやすさとか、商業的な売りやすさのために、大胆にストーリーをアレンジできるのが、外国ものをやる利点ですね。昔もいまも同じような気がします。
@AkaNisin はいう。その点、通俗物第一号の『通俗三国志』は割とお堅く無難な翻訳ですね
ぼくはいう。章回の構成を壊さないという点でも、『通俗三国志』は無難でしたね。『通俗漢楚軍談』は、今ちょっと読んだだけですが、原典の章回を無視してます。「この後、何が起こったか」「この人は、果たして誰か」というお約束の伏線も踏みつぶし、どんどんネタバレして、章回を繋げます。

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第08回 張良 力士をして車を撃たしむ

張良が依頼して、始皇を狙撃する

卻說此人乃韓國人,姓張名良,字子房,五世相韓。因始皇滅了韓國,一向懷恨在心,只要與本主報仇,用千金結交天下壯士,欲殺始皇。因來到村中,遇見這幾個鄉老,不覺說出這幾句言語來,眾人都走了。從店後有一壯士出來,張良見那人,身高一丈,相貌堂堂,向良長揖便曰:「賢公適言始皇無道,想要為天下除此暴秦,如有用我之處,自當與公出力。」良曰:「此處不可說話,便請壯士到某家求教。」壯士同良到家,分賓主坐定。良便問壯士姓名,其人曰:「某姓黎,住居海邊,人稱某為滄海公。頗有膂力,使一百斤鐵槍,單管天下不平事。適見公器宇不凡,語言出眾,必是奇特之士,故敢剖露肝膽。願聞姓名,有何指教?」良曰:「某韓國人,姓張名良,五世相韓。今韓被始皇所滅,願破千金求士,未得其人。今遇壯士,大遂吾願,況今始皇無道,天下切齒,公若奮力,誅滅此無道,與六國報仇,天下仰德,青史標名,萬世不朽也。」壯士曰:「謹遵公教,決不食言。」良遂留壯士在家,打聽始皇東巡,何處經過。

さてこの人は、韓ひとの張良である。主家が滅ぼされてから、壮士と結んで始皇を殺そうとする。郷老の酒席に居合わせ、うっかり秦を批判してしまった。郷老たちが逃げた後、店の後ろから壮士が出てきた。
壮士は「姓を黎といい、滄海公と呼ばれてます」と自己紹介して、始皇の東巡を狙撃することになった。

  後數日,良出探問,得知始皇從陽武縣過來。良卻令壯士在高阜處懸望,見始皇車駕,將行之三里遠,正行到博浪沙地方。壯士只見黃羅傘蓋之下,想是始皇,即大步奔走向前,用力舉鎚,將車駕打得粉碎,原來始皇恐人暗算,常有副車在前,壯士不知,誤中副車,早有護駕御林軍將壯士捉住,始皇追問:「誰人主使?」壯士切齒瞑目,大罵曰:「吾為天下誅汝無道,豈有人使之耶?」子房見事不成,暗暗叫苦,即於人叢中走脫,始皇又令趙高勘問,壯士不肯招出何人主使,乃撞柱而死。始皇卻令天下大索主使之人,十日不獲。子房遂逃難於下邳友人項伯家隱藏。項伯乃楚將項燕之後也,與良交甚厚,遂留居住不疑。

数日後、張良の調べによると、始皇は陽武県を過ぎる。壮士が鎚を投げつけた。始皇は暗殺を恐れて、つねに副車を前にゆかせる。壮士はこれを知らず、誤って副車を撃った。
暗殺に失敗したので、張良は逃げ去った。壮士は、趙高から「だれの依頼か」と尋問されたが、張良の名を言わない。始皇は依頼者を捜索したが、つかまらず。張良は下邳に逃げて、友人の項伯の家にかくれた。項伯とは、項燕の子孫である。張良をかくまった。

良因偶出城外圮橋邊閒立,忽見一老人,身著黃衣過橋下,偶將履溺於泥中,不能出,遂呼良曰:「孺子可將吾履取出!」良見老人仙風道骨,與尋常人不同,急向泥中取履,跪而進之,極其恭謹,老人行不數步,又將履溺於泥中,又令張良去取,良略無異色,又取跪進之。如此者三次。
老人曰:「此子可教。」遂指橋邊大樹曰:「汝於後五日,早往此處等我,我與汝一物,不可違也!」至五日,子房早起到樹邊,見老人坐於樹下,老人曰:「孺子與長者約,何來太遲耶?汝且退,後五日當早來!」子房至後五日,五更時復來,又見老人先坐於樹下相等,怒言曰:「孺子何懶惰如此?且退,後五日當早來!」子房至第五日,先夜不寢,即來樹下等候,不時老人忽然就到,子房一見,俯伏拜迎。月明之下,見那老人時,比前更精采,道袍竹杖,皮冠草履,飄然而來,真神仙也。子房跪而言曰:「願領教。」老人曰:「汝年富力強,勤心就學,他日貴顯,當為帝王之師。幸今相遇,千載難逢,授汝秘書三卷,奇謀神算,雖孫、吳不能及也,功成身退,雖連、蠡不能過。汝留為韓報仇,扶立真主,名垂萬世,與日月爭光,不可負也!」子房向老人前跪而懇告曰:「願求大名。」老人曰:「你記著,後十三年,大谷城東葬一國君空地內得黃石一片,即我也。」言訖飄然而去。子房藏書,回到伯家,開卷看時,名曰《素書》。暗讀默記,自覺心胸開豁,識見精明,與前迥然不同也,

下邳にいたころ、張良は、老人に「履を履かせろ」と3たび命じられた。履かせると、「教育してやるから、5日後にあの大樹の下で待て」を言われた。張良は遅刻して怒られ、寝ずに待ち合わせ場所にいくと、『素書』をもらえた。

もらった書物の名前を、いろいろ比較したら楽しそう。有名なくだりなので、いちいち訳出しません。
そして、『通俗漢楚軍談』は、始皇帝の天下統一から、この張良&老人のくだりまでで、はじめの章回が途切れる。なんの必然性もない。というか、原典における章回の切れ目ですらない。単純に、分量でなんとなく割っているということが分かる。


始皇が、劉邦・項羽の故郷を訪れる

不說張良在項伯家隱藏。卻說始皇東巡來到徐州,風景不同,民俗自別,桑麻繡野,禾黍鋪田。百姓來獻嘉禾,一莖三穗。始皇大喜,賞了百姓,復往東南到沛縣,又見旺氣,想此地必有異人,吩咐細加訪問,倘或有人,即當殺之,以絕後患。李斯曰:「雲氣出沒偶然耳,何勞陛下憂心!如若差人訪察,恐騷動百姓,反生他患。」始皇曰:「卿言是也。」遂命駕起行,來到會稽城中。見十字街人叢中,走出一少年壯士來,要刺殺始皇。不知性命如何?且看下回分解。

張良が項伯の家で匿われたことは、さておき。
始皇は徐州に東巡すると、風景・民族が(秦地と)異なる。桑麻が野に飢えられ、稲穂が田に実る。百姓が嘉禾3穂を献じたので、始皇は百姓を賞した。また東南にゆき、沛県に至る。ここでさかんな気を見た。この地に特別な人間がいると思い、小まめに訪問した。もし特別な人間がいれば、殺しておく。李斯「雲気が出たり消えたりするのは、偶然です。陛下が心配することもない。小まめに家々を調査すれば、ぎゃくに百姓が騒動して、後の患いになる」と。始皇「そうだね」。

読者は、劉邦が見つからなかったことに、胸をなで下ろす。もっとハラハラする設定を加えても良いかも知れない。始皇と劉邦のニアミス。まるで、イエスキリストが生まれた時に、付近の赤子が殺されたエピソードである。

始皇は、会稽の城中にいく。十字街の人ごみから、1人の年少の壮士が走り出て、始皇を殺そうとした。始皇の生命はどうなるのか。次回につづく。150814

始皇が、劉邦・項羽の故郷を訪問するのは、このお話がつくったフィクションである。史実の東巡の経路・記録には、こんな話はなかったはず。

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第09回 趙高 詔を矯めて胡亥を立てる

始皇の死

卻說那少年要刺始皇,有一老者急止之曰:「不可!大丈夫當立萬世之功,豈可效刺客之流耶?」少年遂止。其人為誰?老者姓項名梁,少者姓項名籍,字羽,楚將項燕之後,下相人也。籍初學書,書不成;學劍,劍不會。梁大怒曰:「爾欲何為耶?」籍曰:「書,記姓名;劍,不過敵一而已。」梁曰;「汝今欲何學?」籍曰:
「吾但欲學萬人敵也。」梁甚奇之。今日遇見始皇,意欲刺殺,項梁急止之。因此遊行於吳楚之間,潛有圖天下之志。

さて、少年のが始皇を刺そうとすれば、老人が急ぎ止めた。「だめだ。大丈夫なら、万世の功を立てるべきだ。どうして刺客の流儀をまねるのだ」と。少年は暗殺をやめた。これは誰か。下邳のひと項羽である。おじの項梁から、書・剣を学んだが身につかず、「万人の敵」となる方法を学んだ。いま項羽を止めたのは、項梁である。呉楚の間で、遊行している。

卻說始皇三十六年,有隕石見於郡,上刻六字:「始皇死而地分。」使御史逐一緝訪不出,遂命盡誅石傍居人,並燔其石。御史覆命訖,李斯乘便諫曰:「陛下遊巡日久,變詐百出,祥瑞微驗,恐難准信。不若回鑾歸國,修整邊備,安撫邦國,高拱無為,自能無事。何必勞車駕遠出生事端,致陛下終日不寧也?」始皇從李斯之言,回轉車駕。回到兗州,夜作一夢,與東海龍神交戰,但見龍神威力駿發,勢不能敵,急欲逃走,茫茫蒼海,竟無路可出。正在危急之中,忽見一龍,自天而降,遂吞而食之,醒來神思恍惚,四肢困倦,自覺此身若有所夫。

さて始皇の36年、隕石が東郡におちて、「始皇 死して、地 分る」と刻まれた。隕石のそばの住人を全殺して、隕石を焼いた。李斯が帰国を提案して、始皇は車駕をめぐらす。兗州に戻ると、始皇は夢を見た。始皇は、東海の龍神が交戦するが、敵わないので逃げたいが、蒼海に逃げ場がない。そのとき、もう1匹の(赤い)龍が天から下りて、敵を呑みこんだ。始皇が目を覚ますと、四肢がだるかった。

項羽が秦を追いつめたとき、劉邦が項羽を呑みこんで天下をかっさらう。『通俗漢楚軍談』では、天から降りてくるのは「赤龍」となっており、劉邦を暗示することが明確。このページでは、原典に「開放文学」という信頼性の怪しいテキストを使っているので、『通俗漢楚軍談』で補っておこう。もしくは、降りてきた龍を「赤」としたのは、『通俗漢楚軍談』の創意なのか。


行至沙丘,病癒沉重,密囑李斯曰:「朕昔年東填大海,觸犯龍神,自夢來有病,恐不能起。若我崩之後,當往上郡宣太子扶蘇立為君,庶不失秦天下。」即日與李斯玉寶、遺詔、玉璽等寶,李斯哭泣拜領。又曰:「卿事我多年,凡一應大小事務,皆托於卿,卿宜盡心王事,勿違朕命!且太子扶蘇,仁愛誠敬,足可承繼。借我一時見錯,誤貶遠方。卿等務要用心,不可失也!朕之遺言,不可輕泄於人。」言畢遂崩。在位三十七年,壽五十歲。是時知始皇崩者,止公子胡亥、趙高、李斯、宦者五六人,秘不發喪,棺載於溫涼車中,隨所至進飲食,奏事亦如平時,事後以鮑魚混其味,無有知之者。

始皇は沙丘に至り、いよいよ病気が重いので、ひそかに李斯に託した。「むかし朕は、東海を埋めて龍神を侵した。(そのせいで、東海の龍と戦う)夢を見て病気になり、もうダメだ。太子の扶蘇をつぎの皇帝に立てろ。秦の天下を失うな」
始皇は、李斯に玉宝・遺詔・玉璽らを託して崩じた。在位37年、寿は50歳。このとき崩御を知るのは、胡亥・趙高・李斯・宦官5-6人のみ。鮑魚をつるして死臭をごまかす。

『通俗漢楚軍談』には、7月の暑気のために、死臭があって……、とか説明がついてる。開放文学では、「鮑魚を以て其の味を混し」としか書いておらず、死臭をごまかしたことは直筆されない。ぼくが見てる開放文学のテキストが信頼できないのか、『通俗漢楚軍談』が『史記』などから補ったのか。


趙高が、太子の扶蘇をほうむる

卻說始皇雖有遺詔立扶蘇為君,尚未發使。趙高急來說李斯曰:「大丈夫不可一日無權,無權則爵寵去而身危。我欲君侯改詔立公子胡亥,未知君意以為何如?」斯曰:「此亡國之言,非人臣所當出也!」高曰:「君侯自謂長子之信任蒙恬,與君侯孰優?」斯曰:「不如也。」高曰:「扶蘇明而能斷,剛而有為,平日與君不相得,若立為君,決以蒙恬為丞相,奪君侯之印而與之,君侯決罷歸鄉里,廢為庶人,徐徐侵害,死無葬地矣。君侯何不自悟耶?」斯沉吟良久曰:「子之言亦自有理,但不忍負遺囑也。」高曰:「與其遵遺囑而身危,孰若負遺囑而權久?二者之間,隨君侯取之。」斯起謝曰:「謹如子教。」

さて始皇は扶蘇を立てよと遺詔したが、使者は発せられない。趙高は、李斯を説得した。「扶蘇・蒙恬ペアに敵わないなら、胡亥・李斯ペアが成り代わろう」。李斯は納得した。

遂即來說胡亥曰:「今日之權,其存亡在公子與丞相及高耳。如若奉詔立長子為君,必權歸於人,招之不來,揮之不去,退處僻地,不過一常人耳。乍當寵沃,一旦失位,心獨安耶?我與丞相意欲改詔立公子為君,共享富貴,不知公子之意以為何如?」亥曰:「廢兄而立弟,亂倫也;違父命而獨擅,不孝也;取人之有而害之,不仁也。三者逆埋亂常,天下不服,恐不可為也。」高曰:「信小節而失大事,守微義而泥遠圖,君子謂其不達也。時不可以錯過,權不可以假人,公子急當自思,勿致後悔。」亥曰:「任汝為之。」高大喜,遂與李斯改詔,賜扶蘇死,立胡亥為太子。乃遣閻樂齎詔。

趙高は胡亥を説得して、皇帝になることを納得させた。李斯は詔を偽造して、扶蘇に死を賜い、胡亥を太子とした。閻楽が(扶蘇・蒙恬のところに、趙高が偽造した)詔を届けさせる。

閻樂亦不知始皇駕崩,遂於車前承命啟行。不一日到上郡,入城傳命接詔,扶蘇、蒙恬急出迎詔開讀,詔曰:
三十七年七月十三日,始皇帝詔曰:三代以孝治天下而敦大本,父以此立倫,子以此盡職,違此則悖理逆常,非道也。長子扶蘇,不能仰承體命,闢地立功,乃敢上書誹謗,大肆狂逆,父子之情,似若可矜,而祖宗之法,則不可赦。已詔立胡亥為太子,廢爾為庶人,賜藥酒短刀自決。其將軍蒙恬,稽乓在外,不能匡正規諫,本欲加誅,以築城之工未完,姑留督理。故茲詔示,盡宜知悉。

閻楽もまた、始皇が崩じたと知らない。上郡(匈奴との国境)にゆき、入城して詔を届けた。扶蘇・蒙恬が開いて読む。「始皇37年7月13日、始皇が詔す。胡亥を太子として、扶蘇を庶人とする。蒙恬を誅する

扶蘇讀罷詔,涕泣曰:「君教臣死,不敢不死,父教子亡,不敢不亡。今君父賜死,願飲酒以全其軀。」方欲飲,蒙恬急止之曰:「皇上使臣統領兵三十萬眾,駐節邊陲,托殿下久住監督,此天下之重任也。既授以重任,而又賜死,中間有詐。不若面見奏過,若果不虛,死未晚也。」扶蘇曰:「君父命既出,理不可違,使命前來,豈有不實,如若奏請,愈增不孝。」遂飲酒而死。蒙恬覆太子屍,痛哭不止。三軍莫不垂淚。
閻樂見扶蘇死,回咸陽覆命。李斯、趙高啟知胡亥,胡亥傷悼不已,遂傳秦始皇車駕啟行。未知如何?且看下回分解。

扶蘇は詔を読み終わり、涕泣して毒を飲もうとした。蒙恬があわてて止めた。「私は30万の軍をあずかっております。この詔は詐りかも知れない。始皇に面着で確認してから、自殺しても遅くない」。扶蘇「君父の命はすでに出ている。これ以上、不孝を増やしたくない」と。扶蘇は飲酒して死んだ。蒙恬は扶蘇の死体をおおい、痛哭してやまず。三軍は、みな涙した。
閻楽は、扶蘇の死を見届けると、咸陽に復命した。李斯・趙高は、胡亥に報告した。胡亥は傷悼してやまず。ついに(まだ生きているという設定の)始皇の車駕に報告にゆく。どうなるか。150814

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第10回 芒碭山に劉季 蛇を斬る

二世が蒙恬を殺して、悪政をしく

卻說李斯、趙高、胡亥扶始皇靈車,從井陘九原,直道至咸陽,始發喪。胡亥襲帝位,是為二世皇帝。九月,葬始皇於驪山下,以宮女無子者,皆令其殉葬墓中,自此大權俱李斯、趙高執掌。又為嚴刑酷法,殘虐百姓,大臣公子有罪者,輒行誅戮,四海怨望,干戈遍起。二世又思蒙恬在外,兄弟子姪在內,恐復作亂,欲召而盡殺之。子嬰諫曰;「蒙氏,秦之大臣謀士也,一旦棄絕,而用此無節行之人,是使群巨不自相信,而鬥士之意離也。」二世不聽子嬰之諫,定要盡殺蒙氏九族。

さて李斯・趙高・胡亥は、始皇の霊車をたすけて、井陘・九原から、直道で咸陽にいたり、始めて喪を発する。胡亥が二世皇帝となり、9月に始皇を驪山のもとに葬る。これより、李斯・趙高が大権をにぎる。刑法をきびしくして、四海から恨まれ、戦闘が各地で起こる。
二世は、辺境の蒙恬が乱を起こすことを恐れて、中央にいる兄弟・子姪を殺そうとした。子嬰が二世を諌めた。「蒙氏は、秦の大臣・謀士である。蒙氏を棄て絶やして(逆に)節度ある行いをしない人(李斯・趙高)を用いれば、郡臣・闘士は、秦を見限るでしょう。

子嬰は、状況が正しく見えているキャラである。

二世は聴かず、蒙恬の九族を殺した。

蒙恬聞知,歎曰:「吾積功信於秦三世矣,今將兵三十餘萬,其勢足以背叛,而寧守義不妄為者,不敢辱先人之教,不敢忘先王之恩也!」遂飲鴆而死。二世聞蒙恬死,將蒙氏兄弟子姪,盡遷徙於蜀郡,平日李斯、趙高所忌憚者,惟扶蘇、蒙恬耳,今皆誅滅,此外一無所畏憚,遂勸二世專行殺伐,凡一應大事,俱按不奏聞。以此盜賊蠭起,山東、山西、河南、河北、吳楚之間,無一處無兵馬。
陳勝、吳廣起兵於蘄,武臣起兵於趙,劉邦起兵於沛,項梁起兵於吳。四海縱橫,天下變亂。二世惟荒淫酒色,恣行快樂,終日有奏事者,伺候不得投見,以此各處奏章,略無所聞。

蒙恬はこれを聞き、「3世にわたり秦に功を積んで、30余万をひきいる。わが軍勢は、秦に背くに足る。しかし先王の恩を忘れられない」といい、鴆毒を飲んで死んだ。蒙氏の兄弟・子姪は、蜀郡にうつされた。

『通俗漢楚軍談』は、ここで2回目の章回の切れ目。劉邦が登場する直前で切るのだから、やや必然性がありそう。

李斯・趙高がはばかるのは、扶蘇・蒙恬だけ。どちらも誅滅したから、やりたい放題である。結果、各地で兵馬が起こらない地はない。陳勝・呉広は、蘄で立つ。武臣は趙で立つ。劉邦は沛で、項梁は呉で兵を起こす。天下が変乱しても、二世は顧みない。

開放文学というサイトで『西漢演義』のテキストを見てますが、ここにない話が、『通俗漢楚軍談』にある。例えば開放文学にある原典の第10回には、陳勝・呉広の乱が起こる理由(漁陽の役務に間に合わない)や、名台詞(むしろ種あらんや)が書かれないが、『通俗漢楚軍談』では書いてある。①開放文学が信頼できないか(まあ所詮はウエブなので、印刷物との照合が必須なのは心得ていますけれど)、②和訳者が補ったか。信頼できる原典に当たらねば。取り寄せに時間がかかるから、気勢を削がれるんだよな……。


劉邦の登場

卻說劉邦字季,沛縣人也。母媼嘗休息於大澤堤塘之上,夢與神交會。忽時雷電晦冥,邦父太公往視之,則見蛟龍見於其上,母遂有娠,後生邦。邦為人隆準龍顏,美須鬢,左股上有七十二黑子。愛人喜施,豁達大度,不事生產。及年壯考試,補吏為泗上亭長,好酒喜色,人多狎侮。獨單父人呂文見邦狀貌,甚奇之,常曰:「劉季雖貪酒好色,人多輕之,但時未遇耳。若一發跡,其貴不可言。」

劉邦は、沛県のひと。母が大沢の堤塘の上で休んでいると、夢で神と交わった。太公(劉邦の父)が見ると、蛟竜が上におり、劉邦を身ごもった。劉邦は竜顔で、左股に72のほくろがある。泗上の亭長となり、単父のひと呂文は、劉邦の容貌を見て、「貴くて言い表せない」といった。

『通俗漢楚軍談』は漢の高祖といわれ、400年の基業を開くのは彼である、とか、ネタバレ解説が挿入されている。


因歸家謀諸呂媼,願將女呂顏與邦為妻。呂媼怒曰:「往日曾許沛令,今何復許此下賤耶?」文曰:「此非汝兒女子所知也!」遂邀邦入座上,留飲酒。說話間,呂公起身舉酒,勸邦曰:「君狀貌有大貴,君當自愛,吾有息女,願嫁君為箕帚之婦,君勿違。」邦曰:「吾有三事未立:第一,幼而失學;二,力弱無勇;三,貧不能自贍。有此三事,豈敢屈公之女耶?」呂公曰:「吾意已決,願君勿阻。」邦遂出座,向公同呂媼拜謝。

呂文は、娘の呂顔(呂雉)を劉邦の妻にしたい。呂顔の母は怒った。「あんな下賎なやつに」。呂文「児女の知ったことか」。呂文は劉邦を上座に座らせ、酒をよんで劉邦の娘を売りこんだ。「あなたの顔はおおいに貴い。わが娘はいかがですか」。劉邦「私には3つの欠点がある。1つ、幼くして学を失う。2つ、力は弱く勇なし。3つ、貧しくて自活できない。それでも娘をくれますか」。呂文「もう決めたことだ。断らないでくれ」と。劉邦は座を出て、呂文とその妻(呂顔の父母)に拝謝した。

劉邦が、お祝い金の金額をいつわり、ハッタリをかまして、呂文=呂公と出会うキッカケをつくった……、という話は採用されない。呂公の熱烈な片思いと、劉邦の紳士的な辞退(ウソくさいですね)によって、劉邦は結婚する。


酒深辭出,呂公送邦行百步遠,忽見一人望邦長揖曰:「連日訪季,欲想與一見也。」呂公相其人,身材凜凜,相貌堂堂,聲若巨雷,暗想此人一盛世諸侯也,隨於路傍酒館,復邀邦與其人入飲,便問壯士姓名,其人答曰:「某姓樊名噲,沛人也,以屠狗為事。因訪劉季,幸遇賢丈,又辱賜酒,敢問姓氏。」公曰:「某姓呂名文,單父人也,客居沛,聞君名久矣,幸得相見。欲有一言,請問君有內助否?」噲曰:「某少貧賤,無父母,尚未有配。」公曰:「吾長女名顏,已配劉季;次女名須,欲事君,君以為何如?」噲謙退不敢當。邦曰:「今日之會,真奇會也!一日之間,公以二女而許吾輩。公能相人,想知他日吾二人足可以保妻子也,君何辭焉?」遂相羅拜,盡醉而散不題。

たくさん酒を飲んでから退出すると、呂公(呂文)は劉邦を送る。たちまち1人が現れて、劉邦に長揖して、「劉季さまにお会いしたかった」といった。呂公が人となりを見るに、諸侯なみに立派なひとである。「私は樊噲。肉屋です。劉季さまを尋ねて、偶然あなたに会えた。お名前を知りたい」。呂公「呂文です。沛県に客居しており、樊噲さんの名も聞いています。妻はいますか」。樊噲「いません」。呂公「長女は呂顔という名ですが、劉季に嫁がせた。次女は呂須といいます。樊噲さんの妻にどうですか」。樊噲は辞譲した。劉邦「今日会えたのは、まさに奇縁である。1日のうちに、呂公は2人の娘を嫁がせようという。呂公は人相を見られる。呂公が、われら2人(劉邦・樊噲)のことを知っており、妻子を任せられる人材だと見抜いた。なぜ樊噲は断るのか」。ついに受諾して、それから酔いつぶれたことは、さておく。

劉邦が職務をしくじり、白蛇を斬る

次日,沛縣遣邦送徒夫赴驪山,中途多逃失者。曉至豐西澤中,邦曰:「公等拘解赴役,勞無期限,逃之者既得生,見在者恐獨苦,不若縱汝各任所住,庶免死役所也。」眾皆拜伏曰:「秦法甚嚴,我輩雖得生,恐負累君罪不輕也。」邦曰:「公等皆去,吾亦從此逝矣!」中間有十餘壯士,願相從,不忍捨去。
是日,邦被酒大醉,夜從小路潛走,令一人導引,行至前途,還報曰:「前有一大蛇,長十餘丈,當徑不可進,不如從別路前往,免被傷害也。」邦曰:「壯士行路,何所畏懼?」遂撩衣仗劍,大步急趨向前,覷得切近,用力揮蛇,分為兩段,開行數里。眾壯士大驚曰:「劉季平日最怯,今奮力勇敢如此,非偶然也。」

つぎの日、沛県は劉邦に、徒夫を驪山へ送らせる。道中、逃失するものが多い。豊の西の沢中にきたとき、劉邦は「逃げちゃえ」という。みなは「秦法は厳しいので、われらは逃げて助かっても、劉邦に罪が及ぶ」という。劉邦「お前らが全員にげたら、オレも逃げる」と。10余人の壮士が劉邦に付いてきて、捨てるに忍びない。
この日、劉邦はおおいに酔って、大蛇を斬った。壮士らは「劉季はふだんは臆病に見えるが、こんなふうに勇敢にもなるんだ」と驚いた。

遂同隱於芒碭山澤間,沛中子弟多歸附者。後有人到斷蛇處,有一老嫗每夜伏蛇哀哭,聲甚悲切,人問嫗曰:「蛇死除害,爾可哭耶?」嫗曰:「吾子乃白帝子也,化為蛇當道,今被赤帝子斬之,是以哀哭無所歸也。」人皆不信,疑以為怪,急欲杖擊之,老嫗忽然不見。人以此告邦,邦聞之,心獨喜自負。

劉邦は、芒・碭の山沢のあいだに隠れた。沛の子弟が帰付した。のちに劉邦が蛇を切ったところで、老婆が泣いている。「わが子は白帝の子であり、蛇に化けて道をふさいだ。赤帝の子に斬られたから、哀哭してた」という。ひとが信ぜず、怪んで杖で撃つと、老婆は忽然と消えた。劉邦に話すと、ひとりで(オレは赤帝の子なのだと)喜んだ。

蕭何・曹参が集まってくる

卻說劉邦自斬蛇之後,四方歸附者數百人,威聲稍振。有沛縣吏蕭何、曹參,見秦益暴虐,賦役煩重,欲議扶沛令,聚眾背秦,乃令樊噲召邦,同其商議。邦同噲領數百人赴沛縣來,聲勢赫奕,沛令驚悔,乃召蕭曹曰:「爾假以扶我為名,卻結引外兵,是招虎為翼,反生內患,侵奪之禍,汝輩起之也。」屢次要斬,眾人勸免,是夜,蕭、曹糾合心腹數十人,越城投邦舉義,因進言曰:「沛令庸才,不足與議大事。公今聲勢浩大,若乘此得沛城,暫屯人馬,漸次招撫逃亡在外之人,倡為義舉,四方響應,天下可圖也。」

さて劉邦が蛇を斬ってから、四方から数百人があつまる。沛県吏の蕭何・曹参は、秦が暴虐で賦役が重いので、沛令に促して秦にそむき、樊噲をやって劉邦を召した。沛令は、劉邦の名声をみて驚き、「蕭何・曹参は、わが名を利用して、劉邦に沛県を乗っ取らせるつもりか」という。沛令は、蕭何・曹参を殺そうとしてが、みなが止めた。その夜、蕭何・曹参は、劉邦に沛県を与えたいと告げた。「沛令は庸才で、ダメです。劉邦は名声が広大。もしあなたが沛城を得て、人馬を集めれば、周囲のひとを取りこんで、天下を図れるでしょう」

邦曰:「賢公若肯俯從大義,必須賺開沛城,襲殺沛令,立賢主以從人望,然後大事可成也。二公計將安出?」蕭何曰:「城中父老,正在驚惶之際,若今夜作書,曉諭百姓,陳其利害,束箭射於城中,使其內變,不一二日,城可下也。」邦從其言,即作書,射入城中。書曰:
天下苦秦苛法久矣!民不聊生,豪傑並起。今我倡義聚眾,從公議,擇沛主,往應諸侯,以共成大事。如若開城早降,免致屠戮,如若罔順天命,城破之日,玉石俱焚,後悔何及也!

劉邦「賢公(蕭何・曹参)が大義に従ってくれるなら(オレに沛城をくれるなら)だまして沛城の城門をひらき、沛令を殺して、賢主(オレ)を立てて人望に従わねばならない。どうやるのだ?」
蕭何「城中の父老は、驚惶しています。今夜、文書をつくって百姓を諭し、利害を説いて(その文書を)矢に結んで城中にいれば、1-2日もせずに沛城は降るでしょう」。劉邦は文書をつくって、城中に射こんだ。「秦の法令は厳しすぎたから、豪傑が並び立つ。沛城を(開城して)適任の人物に任せれば、殺されずにすむ。さもなくば、城を焼かれて後悔するだろう」

   諸父老議曰:「見今劉季勒兵圍城,蕭、曹俱已歸附,恐城破之日,吾父子難保也。」遂帥子弟入公署,殺沛令,大開城門,迎邦入城。
蕭、曹同眾共議立邦為沛令,邦曰:「不可,方今天下擾亂,諸侯並起,苟立主不善,百姓弗寧,我德薄才疏,恐不能為沛縣主也,請擇賢者立之!」諸父老曰:「聞劉季有奇才,他日當有大貴。且卜筮劉季最吉,當立季為沛主。如若不從,吾輩即解散矣。」邦不能辭,遂立為沛公,蕭、曹、樊噲,帥諸父老,拜伏起居。建立旗幟,皆尚赤色,蓋謂赤帝子之讖故也。不旬日,得沛縣子弟三千人,與陳勝合兵伐秦不題。

沛城の父老は議した。「劉季は沛城を囲み、蕭何・曹参は劉季に帰付した。城が(どこかの豪傑に)破られて、父子を保てなるのが恐い(いまのうちに劉邦に任せよう)」と。ついに子弟を公署にゆかせ、沛令を殺して開城した。
劉邦は城に入った。
蕭何・曹参は、劉邦に沛令になれと勧めた。劉邦「だめだ。もしオレが県令となっても、失敗するかも知れない。賢者を選んで立てろ」。父老「劉季には奇才がある。あなたが沛令になれ」。劉邦は断りきれず、沛公となった。旗幟を赤色にした。けだし赤帝の讖に依ったのだろう。旬月もせず、沛県の子弟3千胤は、陳勝と兵をあわさったことは、さておく。

項梁・項籍が、会稽で起兵をはかる

是時項梁與兄子項籍,一向潛住會稽,有會稽守殷通,知梁有奇謀,召與計議曰:「今二世無道,陳涉起兵,天下紛紛,各相響應,我欲背秦從義,召子共與謀之。」梁佯為應諾,歸與籍議曰:「大丈夫當自立,奈何鬱鬱久屈於人下乎?況且殷通又無大志,終難成王業,不若吾與彼計議,汝可暗藏利劍,同入衙內,拔劍斬之,占此大郡,招兵聚眾,以成大事,不亦美乎?」籍曰:「此正合吾志也。」次日便同項梁來殺殷通。不知如何?且看下回分解。

このとき項梁は、兄子の項籍(項羽)とともに会稽に潜伏した。会稽守の殷通は、項梁に相談した。「二世は無道で、陳勝が起兵した。私も秦に背き、義に従いたいが、どうしたものか」。項梁は偽って応諾し、帰ってから項籍にいう。「殷通じゃだめだ。彼を殺して会稽を奪おう」と。項籍「オレもそう思っていた」。次の日、項籍は項梁とともに殷通を殺しにゆく。どうなるか。150815

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