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- 第91回 陳豨 趙代の謀叛を監す
それでも戚姫は、如意を太子にしたい
卻說帝欲廢太子。群臣力諍不能決。周昌執笏上殿,面折廷諍曰:「臣口不能言,然臣已預知不可,陛下欲廢太子,臣實決不奉詔:「帝遂大笑,知昌為忠,乃從其言而罷。帝入宮,備將群臣之言,告知戚姬,姬曰:「陛下如肯憐愛如意,不在一時,後日徐徐圖之。」帝曰:「愛卿之方是也。」高帝は太子を廃したい。郡臣は論争して結論がでず。周昌が笏をもち上殿して、「うまく理由が説明できないが(廃太子は)ダメだとは分かってる。陛下が(廃太子を)するなら、私は詔を奉らない」という。高帝は笑い、周昌の忠を知っているから、廃太子をやめた。
宮殿に入り、郡臣の言葉を戚姫にいう。戚姫「もしも陛下が(私と設けた子の)如意を愛してくれるなら、すぐに廃太子がムリでも、後日、徐々に図ってほしい」。高帝「わかった。後日きっと」
戚姫が、積極的にわが子を太子に立てようとしてる。呂氏にいじめられるから、もの静かな被害者というイメージがあるが、作中のような野心家だからこそ、呂氏に手足を切られたのかも。
陳豨が北方の平定にゆく前、韓信に会う
卻說趙代郡守差人飛報,大勢番兵搶擄代州,人民逃竄,郡縣不能御,若不急為剿捕,恐趙之地亦下能保。一日之間有三五來報。帝急出朝召群臣計議,陳平曰:「當此之時,英、彭各建都梁楚,一時不可遽到。韓信致仕,又無兵權,亦不可用,惟相國豨足智多謀,武勇出眾,可堪為將,其餘不足以御番軍也。」帝即召陳豨撫之曰:「朕久於兵馬,倦於遠行。今番兵侵擾代州,聲頗大,特差汝統十萬精兵,就將韓信所制兵器,付汝管領徵進,代朕一行。汝當用心!徵討成功之後,就封汝為代王。」豨曰:「臣奉陛下詔命,敢不策勵前進?但兵馬尚少,恐不足以御番兵:」帝曰:「付汝符印,所到之處,如兵馬短少,可行文移調取,亦足為用也。」趙・代の郡守は飛報して、「大勢の番兵が代州にあつまり、人民はにげ、郡県では防げない。はやく逮捕せねば、趙地が漢土でなくなる」と、頻りにいう。高帝は郡臣に計議する。「英布・彭祖を、梁国や楚国におり、すぐに来られない。韓信は致仕し(官職を辞め)兵権がない。相国の陳豨に、趙地の番兵を討伐させろ」。高帝は陳豨を召して撫で、「朕は遠くにいくのがしんどい。代州の兵が盛んである。10万と、もと韓信の兵を与える。平定できたら、代王にしてやろう」
陳豨「兵馬は少なくとも、現地の兵を恐れません」。高帝「符印を与えるから、兵馬が足りねば、文書を回付して(周囲の郡国から)調発せよ」
豨領帝命,即辭帝領兵十萬,赴代州徵番。因過韓信私宅,豨想:「我平日受韓信恩德,又蒙指教兵法,至今不能忘,我就一見,以求良策。」隨將兵駐紮城外,遂領數十從人,來見韓信。各施禮畢。豨曰:「臣奉帝命,領兵前往代州徵番。仰公之盛德,敬來一見,欲求良策,以為破番之計。」信就留豨小飲數杯,以手相挈,避退左右。因長歎曰:」今君徵番成功之後,與我破楚孰為大小?」豨曰:「破番之功,一小國耳;破楚之功,乃萬世之功也。豈敢論大小哉?」信曰:「我以如此大功,一旦廢置不用;君若破番奏凱,朝為王公,暮則匹夫,就如我今日樣子也!」豨曰:「必如尊公,有何指示?」信曰:「君所居,天下兵精之處也,況君又為主上親信之倖臣也,人言君叛,主上決不信;若有傳報疊至,主上必怒,而就往徵之,我卻為君從中起兩勢夾攻,天下可圖也。乘此可為之時,不可自夫!」豨曰:「謹奉尊公之教。」二人相別議定而去。陳豨は代国にゆく。韓信の私宅の前を過ぎたとき、思った。「ふだん私は韓信から恩徳をうけ、兵法を教わった。韓信に良策を聞いていこう」
やはり『西漢演義』の主人公は韓信のようだ。陳豨が韓信の兵をひきいることや、韓信と会話することをもらさず載せる。陳豨「代州に行くんだけど、良策ください」
韓信は左右を退け、長嘆した。「きみが代国で勝つ功績は、私が項羽を破った功績と比べて、どちらが大きい」。陳豨「比較にならないほど韓信の功績が大きい」。韓信「私は功績が大きいのに、官職を廃された。陳豨が勝ち、もしも朝に王公になっても、暮には匹夫になる。今日の私のようにな」。陳豨「そっか。どうすれば?」。韓信「きみが居るのは、天下の精兵がいるところ。ましてきみは、高帝から信頼されている。他人が『陳豨が叛した』といっても、高帝は信じない。だがもしも各方面から『陳豨が叛した』と情報が入れば、高帝は怒って、きみを(罪を問うため中央に)徴すだろう。タイミングよく自立すれば、天下を図れるかもよ」。陳豨「教えのとおりに」。2人は結論を出して別れた。
韓信の策で、陳豨が番兵をやぶる
陳豨至城外領兵啟行,一日大兵到趙代,陳豨吩咐安營,且未可輕動,待我探看番兵虛實,然後方好進兵。諸將各扎住營寨。陳豨差人扮作番人去緝訪,差人去數日,回復陳豨說道:「番兵有四個大營。每營有五萬人,番王在代州城外,另立一老營,約有三萬人馬;沿四營之外,又有騎兵百萬巡哨,遍山滿谷,通是番兵,聲勢甚大。如今番王手下,有一大將名叫哈廷赤,使一柄大斧,有萬夫不當之勇。無帥若先制服於此人,番兵自然遠遁矣。」陳豨聞差人之言,甚喜,重賞差人。隨令部將劉武、李德、陳產、楚招等眾將近前曰:「番兵勢重,不可力敵,當以智取,爾諸將當如此如此,方得取勝。」諸將得令,各領兵而去。陳豨は、趙・代に到着し、軽々しく動かない。偵察した。「番兵のなかに、大斧をつかう哈廷赤という名の勇士がいる。彼を倒せば、番兵は逃げるでしょう」
陳豨はこの情報をもたらしたものを賞して、諸将に「力攻めでは勝てないから、コレコレのように戦う」と命令した。
次日陳豨領乓出陣,搦番兵交戰。番王一馬當先,與陳豨答話。王曰:「爾漢主與冒頓講和,又將公主與他為妻,爾漢王怕他,我的人馬又多,偏不得漢主一些兒便宜!我今統兵來要與漢王對敵,你是無名小將,我不與你我戰。」陳豨大怒曰:「我漢主是天朝皇帝,如何與你番奴相見。」
陳豨就舉刀直取番王,番王背後惱犯了一員大將,舉斧徑出陣前,與陳豨交戰。二馬相交,兵器並舉,一往一來,一衝一撞,呀至二十回合,陳豨虛掩一槍,往南落荒而走,番將不捨,拍馬隨後追趕。走了十里遠,只見前面一座高山,山下一道大溪,陳豨策馬過溪,番王人馬亦追趕過溪。翌日、陳豨が出陣すると、番王が出てきた。「漢は匈奴と講和して、公主を妻に差し出した。漢主は匈奴を恐れたのである。われらは人馬がおおい。うちにも漢主のガキをよこすなら、便宜をはかってやる。お前のような無名の小将では、われらに敵うまい」。陳豨は怒った。「漢主は天朝の皇帝である。なぜお前らごときの相手をするものか(お前らを倒すには、オレで充分だ)」
陳豨が攻撃に移ろうとすると、番王の背後から、巨大な勇士が出てきた。陳豨は、槍で打ち負けたふりをして、南に逃げた。勇士は追いかけてきた。陳豨は、渓水を飛び越えて逃げる。番王の人馬は、追ってきて渓水を越える。
初時溪水尚淺,番兵過後,不覺溪水洶湧,溪下浪勢泛漲,阻其歸路。番將急欲勒兵退時,前面高山,後邊深溪,遂將人馬夾在中間。陳豨在高阜處放起一炮響,山谷兩邊。閃出兩枝精兵來,鼓噪近前,箭如飛蝗,無處藏躲。番將策馬,欲上前來戰陳豨,被山上一擂木打來,正中番將馬腿,巴番將撞下馬來,因從上而下,番將遂死於亂石之下,此番將正是哈廷赤也。はじめ渓水は浅かったが、番兵が過ぎた後、水量がふえて帰路を塞いだ。
川をせき止めておき、敵が渡ったところで、水量をふやす。韓信がやった先鋒である。さすが陳豨は、韓信の弟子(として描かれる人物)である。番兵は、地形と漢兵に挟み撃ちにされた。番兵の勇士は、馬の足に矢があたって、もみくちゃになった。この勇士こそ(陳豨がターゲットに設定した)哈廷赤である。
番王隨後領番兵策應,來到溪邊,見水勢甚大,遠望番兵在山下,被漢兵追殺,不得過溪救應,只在溪邊叫苦,才然末了,番卒來報:「漢兵窺大王領兵來策應,隨有兩枝人馬,將老營打壞,把糧車盡數燒燬。四營人馬,見老營火起,正要來救。漢兵一衝,首尾不能相顧,殺得七斷八續,各自四散,不知去向。」番王聽說,不敢回營,徑領本部人馬,復投北番大路而去。
陳豨見番王退去,知番營已中計,遂■士,仍將溪口用石填住。不一時,水勢仍舊細流,漢兵遂過溪。諸將同到大營,各報功次,大獲全勝,此是陳豨用計破番兵四十萬。番王は敗戦を聞いて、北方に逃げていった。
陳豨の計略はヒットしたのを知り、兵士に渓水の口を、石で堰き止めさせた。渓水の流れは、もとどおり細くなり、漢兵は渡ることができた。陳豨は番兵40万を破ったのである。
陳豨が謀反をおこす
次日進城,大設筵會,款待諸將,酒至半酣,陳豨執盞告諸將曰:「番兵大敗遠去,雖我之用智,實賴諸君贊助之力,所以成此大功。但漢帝可以同患難,不可以共太平,就如韓信五年血戰,十大奇功,如今廢置不用,尚每欲尋事謀害;我等些個功勳,豈敢望封候建節?以我愚見,不如駐兵於此,阻其要害,聚草屯糧,招集豪傑。各相戮力,以圖天下。況漢主春秋漸高,厭於兵馬,縱諸將統兵而來,料非韓元帥之匹。吾亦不懼。倘王業既成,諸君封王爵,共享富貴,未審諸君以為何如?」
諸將皆曰:「願從將軍之謀!」是年七月.陳豨傳檄約會王黃等諸將,各起兵策應,豨遂自立代王,劫掠趙代,郡縣逃竄,所過皆被殘壞。翌日、陳豨は諸将と酒宴をひらき、「私の智恵を用いたが、諸君の助けがなければ、番兵に勝てなかった。ところで、韓信は5年も高帝のために戦ったのに、冷遇されている。今回の小さな功績で、封侯になるのは不当だと思う。(不当に賞されるくらいなら)要害に兵を留め、糧秣・豪傑をあつめ、天下をねらおう。ましてや高帝は高齢で、兵馬に厭きている。将軍としては韓信に及ばない。高帝は恐くない。もし王業が成れば、諸君を王に封じ、富貴を共にしたい。どうかな」
諸将「陳豨将軍に従います!」。この歳の7月、陳豨は王黄ら諸将とともに、起兵して代王をとなり、趙地・代地を襲った。郡県の役人は逃げた。
有西魏王,知陳豨謀叛,具表飛報入長安。帝覽表大驚,即召蕭何、陳平等問曰:「陳豨朕待之不薄,如何謀叛?」蕭何曰:「陳豨素有謀略,兼武藝精熟,目下諸將,皆不足以御之,惟英布、彭越,方是對手。當作急發詔,令二將領兵討豨,豨可擒也。」帝即草詔,差人催二處人馬討豨,一面差人往關東諸路,遣兵防守。
西魏王は、陳豨の謀反を知り、いそぎ長安に知らせた。高帝は驚き、蕭何・陳平に問う。「陳豨の待遇は薄くなかったのに、なんで謀反したかな」。蕭何「陳豨は謀略があり、武芸に習熟する。敵うのは、英布・彭越だけです。いそぎ2将に陳豨を伐たせましょう」。高帝は2将をつかわす。
韓信が、陳豨の謀反を支援する
卻說韓信聞陳豨反,又聞帝草詔取英、彭二國人馬討豨,隨密寫書二封,差心腹左右星夜齎書,預先通報與淮南、大梁二國,著二國不可遣兵救應,英、彭二處見韓信書中備說:「我有大功,見今廢置不用,二公若應詔討豨,早擒豨,暮即殺二公矣,蓋漢主可以同憂患,不可以處太平,當憂患之時,則思重用;當太平之後,則思殺害。且豨之反,亦因見我廢置不用,今雖成功,還無濟也,故以趙代二處謀叛。二公若破豨之後,決生事謀害,豈能安居淮南、大梁而享富貴乎?信恐二公不悟。誤投陷井,所以星夜差人吐心露布,幸二公詳察,不可如我今日之悔!」英、彭二處得書,遂托病不至。韓信は、陳豨が反し、高帝が英布・彭越をさしむけると聞き、心腹のものに密書をあずけ、英布・彭越に「高帝の命令を聞くな」と伝えた。韓信の密書曰く、「私には大功があるが、官職がない。朝に2将が陳豨を殺せば、暮には2将が高帝に殺されるだろう。敵がいれば2将は重用されるが、太平となれば高帝は2将を殺したがる。陳豨が反したのも、私の処遇を見たからだ。(番兵の討伐という)功績があっても、見返りがないから、趙地・代地でそむいた。私のように後悔するな」
マジで韓信が大活躍。陳豨・英布・彭越という、主要な武将が、すべて韓信の言うことを聞いて、高帝に刃向かっている。韓信は、高帝に採用されるときから、かなりキャラが立っていたが、この時点でも元気である。英布・彭越は、高帝の命令を受けたが、病といって断る。
差人回奏漢帝,甚患之,即召蕭、陳以曰:「英、彭二王托病不來,奈何?」平曰:「陳豨謀叛,其說有三:豨平日最懼韓信,今知信已罷閒,其餘諸將非豨之對,豨遂自恃才能,再無他慮,所以謀反,一也;又以陛下久於兵馬,不欲親自徵討,乘此厭怠,遂放心肆,所以謀反,二也;趙代乃精兵之處,易於發動,所以謀反,三也。今陛下不恤遠征,且暫命蕭何與臣同娘娘守關中,親統大兵,以周勃、王陵為先鋒,以樊噲、灌嬰為左右翼,以曹參、夏侯嬰為救應,使天威下臨,群凶懾膽,方能取勝,且使天下諸候畏服。不然,徒廢兵馬,豈能以致勝乎?」帝曰:「此論實善耳!」高帝は、蕭何・陳平に、「英布・彭越は病気だって。どうしよ」と聞く。陳平「陳豨の謀反は、理由が3つです。1つ、陳平は韓信以外は恐くないし、韓信が官職にないので、謀反に踏み切った。2つ、陛下の親征がないと安心した。3つ、趙地・代地は精兵が得られる。陛下が面倒がらずに遠征をすれば(陳豨の前提が崩れて)平定できるのでは」。高帝「よし」
於是點四十萬大兵,命周勃、王陵為先鋒,領精兵十萬,先發行,帝入內,呂后迎接人宮,設御宴為帝壽,帝曰:「今陳稀謀反,侵佔趙代,自稱為王。發詔取英、彭二王,托病不來。在朝諸侯,非豨之對,朕欲領兵親怔,又患韓信廢置於此,久懷異志,恐倡兵中起,與陳稀為應,其勢可優。煩御妻權國,早晚有緩急,當與蕭何計謀,如畫策定計,有陳平可與謀也,朕此去,料陳稀無能為也!」後曰:」陛下不必憂慮。韓信當日有兵權,似難制服,今閒居獨處,一匹夫耳!何足為患?」倘陛下有命,管教片時著韓信就擒,審有反狀,殺之亦下難也。陛下又何患焉?」帝甚喜,不知如何?且看下回分解。高帝は、陳平の言うとおり、蕭何・呂后に関中を任せた。呂后「陛下は留守の心配するな。韓信は兵権がなく、ひとりぼっちの匹夫だ。もし陛下の指示があれば、すぐに韓信を擒にして殺せる」と。高帝は喜んだ。どうなるか。150821
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- 第92回 漢高帝 邯鄲に馬を駐む
4壮士に、4千戸の重職をはずむ
卻說帝與呂后,一夜商議停當,次日,召蕭何上殿諭之曰:「朕今統兵前往趙代討陳豨,關中無人管理,卿乃開國元勳,當朝故老,特命卿與娘娘權國,凡有籌畫,仍與陳平計議,凡一應大小國事,卿須明心裁處。無負委托!」蕭何叩首曰:「臣敢不竭盡駑力,以圖補報?惟乞陛下早奏凱旋,以慰臣民之望!」於是帝駕啟行,大小文武群臣送漢帝出城。自此呂后與蕭丞相權國。高帝と呂后は、ひと晩相談して、翌日、蕭何に諭す。高帝「陳豨を伐ちにいく。呂后と留守番しなさい」。蕭何「凱旋を待ってます」。これにより、呂后・蕭何が、国の権限をもつ。
帝一日大兵至邯鄲,入城下營,帝坐中軍,諸將列左右,臨近郡縣,俱來朝見,帝問曰:「陳豨見今屯兵何處?有多少人馬,為將佐者幾人?」郡具奏曰:「陳豨屯兵曲陽,本部人馬並各處糾合散軍,共五十餘萬,為將注言有劉武等二十餘人,各郡縣皆望天兵下臨,以救民水人,臣等聞陛下車駕親證.急來朝見,如大旱之望雲霓也。」帝大喜,顧謂群臣曰:「此邯鄲乃中州總路,陳豨不據邯鄲而阻漳河,卻乃屯兵曲陽,可見識見淺近,又兼糾合疲散之卒,終無能力電。諸將且據兵在此,急令周昌遍於郎鄲臨近郡縣,挑選數人,以為鄉道。」高帝が邯鄲につく。「陳豨のいる場所と兵数・将佐は?」。邯鄲郡「……です」。高帝は郡臣を顧みた。「ここ邯鄲は、中州の総路である。陳豨は邯鄲を本拠として、漳河を防衛線とすることなく、曲陽にいる。見識が浅はかである。周昌は、邯鄲の近臨の郡県から、路の案内者を選べ」
周昌去數日,選取四壯士十見帝:帝方在帳中飲酒,忽見昌領四壯士來,帝醉而嫚罵曰:「汝輩敢為我前驅作鄉導耶?」四壯士曰:「陛下天兵遠來,其勢雖銳,而未諳地利,不可輕進;必須臣等深入重地,探其虛實,陛下知彼深淺,然後干戈一指,必克全勝。」帝又罵曰:「汝等雖善為唇舌,恐非真見。」壯上曰:「陛下天威咫尺,豈敢欺誑?」帝即與四人俱授千年之職,又重加賞賜,四人欣躍而出。左右曰:「四壯土未見寸功,陛下一旦懼授重職,又重加賞者。何也?」周昌が4壮士を連れてきたとき、高帝は酒を飲んでいた。高帝は酔って、「お前らが前駆となり、道案内ができるのか」とからかった。4壮士が「できる。なぜなら……」と説明したら、高帝は「口ばっかだ」と罵った。壮士「なぜ高帝に対してウソを言うものか」と。高帝は4壮士に、千戸の職を授けた。4人は欣び躍った。左右のものは、「4壮士には、まだ功績がないのに、重職を与えた。なぜ?」と問う。
褒賞の公平感はだいじょうぶなのか?と。
帝曰:「重賞之下,必有勇夫,倘四人果如其言,與朕探知虛買,即為軍功。況朕前日羽檄徵天下兵,未有至者,今計惟邯鄲中兵耳,吾何惜四千戶而下以慰趙子弟耶?賞一人而眾人勸,吾之用兵,非爾等所知也。」左右拜伏曰:「陛下聽見乃天授,誠非臣等所知也。」於是四壯士各裝為代民,前到曲陽探聽陳豨虛實。四人去數日,回至邯鄲,見帝曰:「陳豨稀所用將佐,皆商賈之人,極貪金帛。陛下肯捐數百斤金,買求左右,使各不用命,則豨必就擒矣。」帝大喜,乃重賞四千戶去訖。高帝「重賞のもとに必ず勇夫あり。もしこの言葉どおりなら、4壮士は、よく働くだろう。先日、朕は天下の兵に檄を出したが、まだ至らず、邯鄲の郡兵しかいない。たった4千戸で、趙地の子弟が協力的になるなら、安いものだ」と。左右は拝伏した。
4壮士は、高帝に報告した。「陳豨のつかう将佐には、商人がおおく、金帛をむさぼる。彼らを買収すれば、陳豨を擒にできるでしょう」と。高帝は喜び、重ねて4千戸を与えた。
随何が陳豨をだまし、内応を起こす
召群臣問曰:「誰人與朕詐入陳稀豨營,賄買諸將佐,就打聽消息,使彼內應?豨不等戰而自亂矣。」帳下一人出班曰:「臣願往!」帝視之,乃中大夫隨何也,帝曰:「卿若去,朕無憂矣。」隨何領金百斤,帶數從人,先具書一封,詐言帝招安納降,徑到豨營,傳說帝遣大夫隨何下書招撫納降;
豨曰:「隨何乃說客,此書必是詐也。」即命左右請何入。問與豨相見行君臣禮,豨曰:」大夫與豨,一殿侍臣,為何問行此大禮?」何曰:「足下統兵百萬。震鎮二國。與帝爭雄,以圖天下,豈敢抗禮以試利刃耶?」高帝は郡臣に問う。「陳豨の軍営にゆき、彼の将佐を買収して、内応させられないか」。中大夫の随何「私がやります」。随何は金1百斤をもち、文書1封をつくり、「高帝は陳豨を招安したい」と詐った。
陳豨は「随何は説客なので、この文書は詐りだ」と見抜いてから、随何を通した。随何は陳豨に対して、君臣の礼をとる。陳豨「随何さんと私は、どちらも漢の臣下です。どうして私を君主扱いするのか」。随何「あなたは1百万をひきい、趙・代の2国を震わす。高帝と天下を争う英雄です。命惜しさに、臣下として振る舞いました」
豨笑曰:「大夫言過矣:豨今據兵於此,實出不得已耳,蓋因漢主猜疑忌刻,忘人大功,難與共享富貴,所以有此舉也,但不知大夫此行,有何見諭?」何曰:「臣奉帝命招撫,足下欲罷兵息爭,就封足下為代王,不知足下之意,以為何如?」豨看書畢,知帝乃詐,計若納降,必受擒矣。因揚言曰:「漢主既統大兵前來,未與豨交戰,如何便差大夫下書招撫,恐非實意!」陳豨は笑った。「ちがうよ。私が起兵したのは(高帝と天下を争うためじゃなく)やむを得ずだ。漢主は疑いぶかく(韓信のような)功臣は富貴を享受できない」。随何「降伏したら、あなたは代王になれる」。陳豨は、高帝・随何がウソをついており、もし降れば擒になると思う。陳豨「漢主は大兵を連れてきた。招撫するなんてウソだね」
何曰:「主上初來,實欲與足下交戰,以決勝負。今因左右計議,以全軍為上。破軍次之;全國為上,破國次之;今差何與足下招撫者,正欲全軍全國以安民命,非有他也。足下若不納降,臣即辭回見帝,亦不敢強。」豨曰:「豨與韓信功勞大小如何?,韓信實無反狀,尚偽游雲夢被擒;我歸降,帝必疑我尤有過於韓信,豨實下敢奉命,幸以此言回復漢王。」隨何故意與豨俄延半日,從人俱已將金買囑將佐,諸將佐得金甚喜,隨何徐徐與豨相別回營,見帝,具將前事奏知帝。随何「はじめは戦おうと思った。でも戦わずに招撫するほうが、国や民のためだと考えたのだ」。陳豨「韓信と私は、どちらが功労が大きいか。韓信は悪いことをしないのに、雲夢で捕らわれた。(韓信より功労の小さい)私は、漢主に降れない」と。
随何が半日にわたり陳豨と話しているうちに、随何の従者が、陳豨の将佐に金を贈った。
随何がムダ話をする理由は、時間稼ぎだった。『通俗漢楚軍談』は、随何が陳豨と話し始める前のこととして、「私が時間を稼ぐから、その間に金をばらまけ」と指示する場面があり、より親切である。
陳豨の将佐が、戦闘に消極的
次日親領兵出陣,與豨答話,豨見帝,馬上欠身而言曰:「陛下春秋漸高,何苦親身以冒矢石耶?」帝曰:「朕未嘗負汝,汝何謀叛?」豨曰:「陛下誅戮功臣,殘忍少恩,踵亡秦之法,效項羽所為,臣何為不反?」帝大怒,回顧諸將曰:「何人殺此逆賊?」樊噲、周勃二馬徑出到陣前,與豨交戰,戰三十回,令王陵、周昌二將並力來攻,陳豨大敗,領人馬望南逃走,指望劉武等救應。翌日、高帝と陳豨が戦場であう。高帝「なぜ謀反をする」。陳豨「陛下は功臣を殺して、残忍で恩が少ない。暴秦・項羽と同じである。私が反したんじゃない」。高帝は怒って、陳豨に攻めかかる。陳豨は破れて逃げた。
登場した直後は、ちょっとは期待させた項羽が、暴秦と同じになり。最終的な勝者である劉邦まで、同じところに集約した。韓信を被害者として丁寧に描くことで、「暴秦=項羽=劉邦」という図式が見やすくなる。陳豨は、官職を失って動けないかわりに、韓信の意見や意義を、読者に訴えている。
劉武等被隨何以金買囑,俱無心救應,各拔寨四散奔走,帝見豨兵錯亂,急令大勢人馬掩殺追趕,將三十里遠,只見前面旗幟整齊,隊伍下亂,卻是另立一大寨,四門俱列戰車,周圍設下鹿角,中軍一聲炮響,四門俱開,人馬蜂擁而來。陳豨卻回馬當先,反衝殺漢兵,漢兵大勢已行動,急難收煞,被陳豨大殺一陣,帝後哨人馬已到,急扎住營寨,分頭遣兵救應,豨兵方退後,此時天色已晚,兩家俱各收兵,帝傳令今日人馬雖疲倦,不可安寢,須防劫寨。諸將得令,各自預備。陳豨の将佐は、随何からカネをもらっており、陳豨を助けない。高帝が陳豨を追うと、30里のところに戦車・鹿角・砲撃の備えがあり、陳豨軍から逆襲をくらった。暗くなって疲れたが、高帝は寨に入って防備しなければならない。
ふつうなら「カネで買収された将佐が、陳豨を斬りました」で終わりだ。しかし陳豨は、逃げた先に要塞をつくってある。なぜか。韓信の弟子という属性が、陳豨の活躍の場を与えている。韓信の代わりに、兵法を見せつけているのだ。
卻說陳豨回到營坐定,召劉武等責之曰:「汝等未與交戰,便四散奔走,幸賴我預設下這老營,以防追兵,若無此營,我兵決大敗矣,汝等若再退弓,決以軍法從事。」諸將惶恐無地,各退帳後安歇。一夜無事。陳豨は軍営に帰り、カネで買収された将佐らを責めた。「ちゃんと戦わないから、負けた。幸いにも準備してあった古い軍営に入って、漢兵を防げたけれど。また手を抜いたら、軍法に従って斬るぞ」
将佐たちは恐れて、退いて休んだ。この夜、戦闘がおきない。
高帝が、陳豨の軍略を警戒する
次日帝升帳,諸將列於左右,王陵進言曰:「陳豨用兵皆模仿韓信,觀昨日預設營陣,預有調度,據今與之交戰,恐難取勝,況又糧草不敷,以臣愚見,且退兵據住邯鄲,再調各路人馬。盡力與彼決一勝負,料天威所臨,非豨所能及也。」帝曰:「恐我兵一退,豨兵追襲,反致取敗。」陵曰:「今日且按兵不動,待曉徐徐退去,卻著兩枝精兵埋伏於左右,彼若追趕,兩路人馬衝出,彼必大敗,料豨善於用兵,我兵若退,彼決不敢追趕。」帝曰:「善!」於是延到將晚時,帝吩咐三軍,各飽皈後準備行李,銜枚啟行。著樊噲、王陵、周勃、灌嬰四將,分為二枝,埋伏莊左右,其餘人馬,盡數隨帝回邯鄲。翌日、王陵が高帝にいう。「陳豨は、韓信の兵法を模倣する。昨日の軍営のように、準備があるだろう。戦っても勝てないかも。まして糧秣が行き渡らない。邯鄲に戻って、出直したほうがよい」。高帝「ひとたび退けば、陳豨に追撃されて敗れるかも」。王陵「昼間は動かず、夜にしづしづと退去しよう。両側に伏兵をおき、陳豨の追撃があれば退けられるように。陳豨は用兵に優れているから(伏兵を知れば)手出しをしないと思う」
高帝「よし」。樊噲ら4将が左右に伏せ、邯鄲にむかう。
有人飛報與陳稀,陳稀召諸將曰:「此帝屯兵於此,不便於戰陣,又且糧草或不敷,想退兵於邯鄲,調各路人馬。與吾決戰。」諸將曰:「臣等正好追殺。」豨曰:「帝久於戰陣,深有謀略,左右必有埋伏,汝若追趕,必遭衝擊,不可追趕。」即差人探聽,左右果有重兵埋伏,諸將皆服。帝人馬徐徐回邯鄲,樊咕等四將見無追兵,亦各退回,自此兩家各相拒下戰。
陳豨は諸将にいう。「高帝が撤退するぞ。邯鄲で立て直してから、決戦するつもりだろう」。諸将「追って殺します」と。陳豨「高帝は戦陣にながく身をおき、謀略がある。左右に埋伏がるはずだ」と。探索させると、果たして左右に重兵が伏せてある。諸将は、陳豨に服した。
高帝は邯鄲に入って、陳豨と拒みあう。
卻說帝初大兵出長安之時,韓信稱病,不隨帝出證,後打聽稀屯兵曲陽,乃默思陳豨當拒邯鄲,阻漳河為上策,豈可屯兵曲陽?帝據住邯鄲,豨必敗矣,陰使心腹人寫書與豨,令遣將領精兵抄小路徑攻長安,我卻從中起事,使帝首尾不能相應,必獲全勝。書去未知如何?且看下回分解。さて高帝が長安を出るとき、韓信は病気といい、見送らなかった。のちに陳豨が曲陽に屯したと聞き、ひそかに韓信は「なぜ陳豨は邯鄲に屯して、漳河で漢兵を防がないんや」と思った。陳豨が必ず敗れると思い、心腹のひとをやって、陳豨にアドバイスを送る。
オモテの事件に、ことごとくウラから韓信を絡ませていくというのが、本作の特徴。やはり主人公は韓信なのね。また韓信は、小道から精鋭を長安におくって、長安のなかで謀反を起こせば、高帝の内外の連絡がガタガタになり、勝利を得られると考えた。韓信の文書は、ぶじに陳豨に届くのか。つづく。150821
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- 第93回 呂后 未央に韓信を斬る
韓信の家僕が、機密を知る?
卻說心腹人出城,有信家僕謝公著,設酒送行,兩人飲酒,不覺沉醉。公著相辭,至晚回,信怒曰:「一日不見汝,不知乾甚事?」公著帶酒觸言曰:「我又不會與外國通情,緣何干甚事?」信聞言大驚,便著左右扶公著人房內安歇。自思:「此人既知此事,不可留也,當殺之!」信入寢室,有夫人蘇氏問信曰:「謝公著緣何來晚,致使尊公動怒?』信曰:「公著言太無狀,吾欲殺之。」蘇氏曰:「公著帶酒口出妄言,豈可計較?待酒醒時間明,處置亦未遲,何必夜晚殺之,反致左右驚疑?」信曰:「夫人之言是也。」於是信就寢。韓信は、心腹のひとをやって、陳豨にアドバイスを送る。韓信の家僕の謝公著は、心腹のひとを置酒して見送り、悪酔いした。遅くに帰り、「帰ってくるのが遅い。何をしたか分かってるか(心腹のひとを長く引き留めたら、その間に陳豨が敗れるかも知れないんだぞ)」と怒った。謝公著は酒が残っており、「私は外国と内通していません。なんのことですか」といった。韓信は驚き、謝公著を部屋で休ませた。韓信は「謝公著は機密を知ってしまった。殺すしかない」と考えた。
漢中にいく途中で樵夫を殺したり、韓信は、おのれの功績のために、とにかく「ひとを殺さねばならん」と思い込むことが多い。だから寿命が縮むのだ。夫人の蘇氏は、「謝公著はなぜ帰るのがおそく、なぜ韓信は怒ったのですか」と聞いた。韓信「謝公著の発言はでたらめで、私を殺すといったのだ」
陳豨と内通することは、夫人にも言えない。
というか謝公著は、陳豨のことを、どこまで知っていたのか。罪があるとしたら、手紙の内容を漏らした、心腹のひとである。いや謝公著は、手紙の内容など知らず、適当に受け答えしたものの、韓信が疑心に暗鬼を生じたのかも知れない。きっとコレだな。
蘇氏「酔った上での妄言でしょ。酔いが覚めてからでもいい。夜遅くに殺したら、みんなが驚き疑うわ」。韓信「それもそうだ」と寝た。
卻說謝公著五更酒醒,其妻曰:「汝晚歸來,元帥甚怪你,你口出狂言,甚是無狀。」公著口:「我說甚言語?」妻曰:「你說『我又不會交通外國,緣何甚事』,元帥驚訝入內,晚間計議要殺你,你可急早逃走出去,庶免一死。」公著聞妻言,驚惶不已,便起來穿了衣服,預備行李,躲避在夾道傍,等候剛開宅門,側身而出。此時信尚未起。公著走城邊,欲出門,自思:「元帥家僕甚多,若知我逃走,決差人四下跟尋,如何得脫此性命?不若將此機密事往蕭何丞相告變,雖是害了他,我卻得保往性命。」公著遂轉過身徑到相府告變。謝公著は五更に、酒がさめた。妻が「あなたは遅く帰り、韓信に怪しまれ、狂言を吐いていたわ」と言われた。謝公著「オレは何を言った?」。妻「外国と内通して……とか。韓信は驚き訝り、昨夜の内にあなたを殺そうとした。逃げなさい」
謝公著は、韓信が起きる前に逃げた。「韓信の家には、家僕がたくさんいる。捜索されたら逃げ切れない。機密のことを、蕭何に告げたほうがいい。韓信を殺すことになっても、私は助かる」と。謝公著は丞相府に駆けこんだ。
蕭何が、韓信をおびき出す
蕭何連日正接得高帝手敕,吩咐用心防備韓信,如遇便當計較殺之,以除後患,蕭何領手敕奏知呂后,正無計可施。聞謝公著告變,急著進府,喚至前問之曰:「汝告變須要的實,不可輕易,若不實,汝亦難免其罪。」公著曰:「此事豈是小事?某亦不敢輕言。前日陳豨徵番之時,實無反意,皆是韓侯勸陳豨反,以此陳豨一到趙代遂反,亦曾有書相通:昨日韓信又密寫一書,著家僕傳與陳豨,教遣將調兵,從小路來取長安,韓侯卻從中起,以為內叵。此事一毫不敢虛假,我因醉後露出話來,韓侯要殺我,被我逃走,徑作告變,如不實,甘當重罪!」蕭何聞公著之言,即引來見後,備說前事。蕭何は、謝公著からトラブルを聞いた。蕭何「もしウソなら、罪を免れないぞ」。謝公著「ほんとです。前日、陳豨が番兵を討伐にいくとき、反意はなかったが、韓信がそそのかして起兵させた。陳豨が起兵した後も、書簡を往復させた。韓信は兵をととのえ、長安を奪いにくる計画をしている」
蕭何は、呂后に相談した。
後大驚曰:「韓信已實反矣!丞相作何計議?」何曰:「此事且按下不必題,就將公著暗藏於臣家,明日可密差人,往牢中揀一重犯,與陳豨模樣相似者斬首,假著人捷報,只說主上已得勝,殺了陳豨,將首級傳入長安,號令關中。群臣聞此,決來賀喜,韓信必然出朝,因而擒之,隨娘娘處置。」後曰:「此計甚妙。」即暗差人,牢中取一重犯來斬首,用匣盛了,一面著人來報捷,就傳諭中外。呂后は驚き、「ほんとに韓信の謀反だ。蕭何さん、どうしよう」。蕭何「謝公著を私の家に閉じこめる。牢にいる陳豨に似たものを斬首して、『高帝が陳豨を平定して、首だけ届いた』と詐る。韓信が祝いに来たところを、擒にする」。呂后「妙計だ」と。
長安の内外に、「陳豨に勝った」という誤報をながした。
眾群臣聞帝有捷音,皆入蕭相國府會議,明日入朝稱賀,丞相曰:「諸君須會齊,就約韓信一同人賀。韓信官原與諸君同,然不過暫時廢置,聞帝回朝,仍有加封之意,況韓信開國之功,帝常思念,豈終碌碌與眾人伍耶?」眾人聞何之言,亦來與信相約,就將蕭何之言告知韓信,信聞眾人言,亦自思蕭何必知端的,想帝回朝,必有加封之意,遂與眾人約齊,明日入賀。眾人辭出。郡臣は、蕭何の相国府にあつまり、明日、入朝して賀することにした。蕭何「みなが揃うまで待って、韓信とともに賀そう。韓信の官職は、もとは諸君らと同じ。しばらく免官になっているだけ。高帝が長安に帰れば、韓信の官爵を戻すらしい。開国の功がある韓信だから、復帰したら諸君よりも上になる」
韓信入內庭見蘇夫人,備說帝有思念之意,明日須同眾人人朝稱賀,夫人曰:「前日帝遠行討陳豨,公托病不同行,一向又未得見呂后,今聞捷音至,卻去稱賀,呂后疑怪,恐至陷害。公當斟酌!」信曰:「若今不去朝見,帝早晚回朝如何相見?況蕭丞相在左右,定然維持,料亦無事。」夫人曰:「連日見公氣色不甚好,恐入朝或不利,公宜仔細!」信曰:「呂后一婦人耳!蕭何大識見,我已約定人,豈可失信?」韓信が入内しようとすると、夫人の蘇氏が「前日、高帝が陳豨を討ちにいくとき、あなたは病気だからと断った。呂后にも会ってない。いま勝報を聞き、祝賀に駆けつけたら、呂后に怪しまれる。よく考えて」。韓信「もしいま朝見しなければ、やがて高帝が長安に帰ってから、会うのも気まずい。蕭何らは現状維持をするだけ。何事も起こらないよ」。夫人「連日、韓信の顔色が悪い。入朝したら禍いに会うのが心配だ」。韓信「呂后は、一婦人である。蕭何は識見があるが、私と信頼関係にあるひとである。裏切ったりするまい」
呂后が、韓信を殺す
次日,韓信同群臣入朝稱賀畢,後曰:「群臣且出,著蕭丞相留淮陰侯入便殿後,有密事計議。」蕭何急下殿,留韓信入內。信方放步入宮,只見兩邊走出四五十武士,將信捉住,就綁縛於長樂殿下。韓信曰:「臣得何罪,娘娘縛臣?」後曰:「帝拜你為大將,後因有功封汝為齊王,改封楚王,聞汝謀反,出遊雲夢,雖擒來,亦念汝有功,不曾加誅,又封汝為淮陰侯,帝未嘗負汝。汝何結連陳豨謀反?又差人往彼交通,著陳豨寇長安,汝卻為內應,如此設謀,天地鬼神所不容也!」信曰:「有何指實?」翌日、韓信は郡臣とともに入朝した。呂后「郡臣は出ろ。蕭何が、韓信を便殿の後ろに留めろと言ってる。密議があるから」と。韓信が歩いて宮に入ろうとすると、両辺から40-50人の武士が走ってきて、韓信を縛った。韓信「なんの罪で私を縛るのだ、呂后」。呂后「斉王・楚王にしてもらったのに、謀反をした。雲夢のときは、功績に免じて誅さなかったが、陳豨と結んで謀反したな」。韓信「なにを根拠に」
後曰:「汝家僕謝公著告變在此。」信曰:「此公著詐言,娘娘亦當詳察。」後曰:「帝破豨,營中已搜出汝親筆密書,陳豨已招認,汝尚敢口強!」信聞後言,低頭再不復辯,後將信綁縛未央宮鍾室,武士斬之。信臨死乃曰:「吾悔不用蒯徹之計,乃為兒女子所詐,豈非天哉?」按史:大漢十一年九月十一日,斬韓信於未央宮長樂殿鍾室之下,盡夷其三族。是日大地昏暗,日月晦明,愁雲黑霧,一晝夜不散,長安滿城人盡皆嗟歎:雖往來客商,無不悲滄,
人言蕭何前日三薦登壇,何等重愛,今謝公著告變,亦當在呂后前陳說開國之功,可留他子孫,方是忠厚;反立謀擒信,及夷族之時,卒無一言勸止,何其不仁甚耶!呂后「あなたの家僕の謝公著が告げたのだ」。韓信「彼のウソだ。詳察せよ」。呂后「高帝が陳豨を破ったら、軍営からあなたの直筆の密書が出てきた。陳豨はすでに認めた。まだ、しらばくれるか」。韓信は頭をたれて、もう反論できない。
韓信は死に臨んで、「蒯徹の計を用いないばかりに、児女に騙された。あに天命にあらずや」。漢11年9月11日であった。夷三族された。長安の人々は、往来する商客までもが嗟嘆した。
ひとは、「蕭何は、3たび韓信を高帝に推薦して、重んじ愛したのに、いま謝公著のリークを呂后に教えた。かつて蕭何は呂后の前で『韓信には開国の功があるから、子孫だけでも生かせ』といった。この蕭何の行動は忠厚である。しかし韓信が擒となり、夷三族となるとき、蕭何は一言もかばわなかった。こちらの行動は、なんと不仁であることか」といった。
列伝かなにかの末尾のコメントだろうか。
呂后斬韓信畢,命蕭何寫表並韓情首級,申奏帝知。後差陸賈齎表並信首級,飛馬馳報。一日,陸賈到邯鄲見帝,帝拆其表觀看,表曰:
大漢十一車九月,皇后呂雉上言:伏以刑以繩下,用彰邦國之典;法以敕眾,懋昭王者之威。仰惟皇帝陛下,神武布於萬方,威德加於四海,乃有淮陰侯韓信,既食漢祿,不守臣憲,輒生異志,頓改初心,交結陳豨,大肆謀反,家奴告變,實有顯跡。密從蕭何之請,明揭國法之公,斬首未央,夷其三族。傳報邯鄲,曉諭北伐,使陳豨以之喪膽,好宄為之消魂,天兵下臨,指日奏凱,臣妾不勝欣忭之至!呂后は韓信を斬ると、蕭何に命じて上表を書かせ、高帝に報告した。陸賈に、韓信の首をもたせ、高帝のところにゆく。上表には……、
(韓信が謀反を企んだので殺しましたよ)
帝覽表甚喜,既而追思韓信十大功勞,心甚傷感,因謂左右諸將曰:「韓信始歸朕之時,蕭何屢次薦舉,朕拜為大將,其後累建大功,諸將不能及,乃天下奇才,雖古之名將,亦未為過也。朕解衣賜食,待之甚厚,豈可與陳豨交通,謀為不軌?亦心術太不良耳!後既殺之,朕甚悼惜,自此再無如信之能。」帝不覺淚下數行,左右亦皆泣涕,遂將信首級,傳佈遠近,人人莫不嗟歎。
卻說陳豨正遣兵從小路會韓信攻取長安,兵未發行,忽聞人言:「韓信事已敗露,被呂后斬於未央宮,命陸賈齎表奏帝,就將首級傳至邯鄲,見今懸於轅門之外,曉示三軍。」陳豨聽罷,大叫一聲,氣倒在地,左右急近前扶救,未知性命如何?且看下回分解。高帝は甚だ喜びつつ、韓信の10の功労を思って感傷しつつ、諸将にいった。「韓信を優遇してやったのに、陳豨と通て謀反するなんて、ひどいヤツだ。しかし死んだから悼み惜しもう。彼ほどの才能は、二度と出ないだろう」と。高帝に釣られて左右も泣いた。
陳豨は、韓信と呼応するつもりだったので、韓信の死を聞いて驚き、気絶して地に倒れた。陳豨の生命はいかに。150821閉じる
- 第94回 陸賈 智もて蒯文通を調す
陳豨が斬られ、趙・代が平らぐ
陳豨因聞韓信死,哭倒於地:左右諸將救起,陳豨曰:「我數年來,多得韓信之教,雖力異姓,實同骨肉。豈意今日為我遭此誅戮,一聞其死,不覺十分傷慟,又且我事不能濟矣!為之奈何?」諸將曰:「韓侯雖死,大王豈可自懈?我等願同大王殺上邯鄲,與漢王決個勝負!」陳豨曰:「且不必進兵,吾料一二日漢兵決來。不若只在此,預備交戰。」言未罷,有細作來報:「漢王統各處調來人馬,殺奔曲陽來,離此不上百里。我等徑飛馬來報,大王可作速準備。」陳豨吩咐諸將:「不可如前一敗,便先逃走。」諸將曰:「我等隨大王一同出陣,不必各分營寨,恐難救應。」豨曰:「汝等只分左右為羽翼,待我與彼交戰,汝卻兩路衝擊,彼兵自亂,可以取勝。」諸將得令,各分兩路伺候不題。陳豨は左右に起こされた。「数年来、韓信の教えを受けて、異姓でも骨肉と同じ。韓信が死んで、わが計画はどうしたら」。諸将「韓信が死んでも、われらは代王とともに漢主と勝負する」と。陳豨「こちらから進まず、漢兵が来るのを待つのがよい」と。言い終わる前に、「漢主が、ここ曲陽に殺到してます。戦いの準備を」。陳豨は諸将を左右の寨に割り振った。諸将「私は陳豨と一緒に出陣したい。寨に分けたら、互いを救えない」。陳豨「左右に分かれて、私が漢主と戦うのを待て。その後に左右から攻めたら、漢兵に勝てる」
卻說帝屯兵日久,又各路人馬俱到,知陳豨見殺韓信,逆謀已露,決然無心固守,乘此機會,統兵徑赴曲陽。一日大兵抵曲陽,高城三十里下寨,帝傳令:「著樊噲、王陵二將,今夜各領精兵一萬,各銜枚暗投曲陽北路左右埋伏,待豨敗走,汝卻出此奇兵,可以擒豨,又命周勃、周昌二將,在營後待豨左右有救兵,可出此兵以御之。隨我諸將,光著灌嬰與豨對敵,正在酣戰之際,爾諸將拼力協攻,彼敗走,盡力追趕,決獲全勝。」諸將得令,各吩咐預備。高帝は、韓信が死に、陳豨の謀反が明らかになったので、機会に乗じて曲陽にゆく。「樊噲・王陵は、左右に埋伏して、私と灌嬰が、陳豨を敗走させるのを待て。陳豨を擒にしたら……」
左右の伏兵という、陳豨とまったく同じ作戦を立てている。まず本隊が戦い、勝機が見えたときに、左右を一斉に投入する。どうなるんだろう。
次日,灌嬰領兵出馬,與陳豨答話。陳豨一馬當先,大叫曰:「漢兵前日已大敗,尚不納降,乃敢復來送死?」灌嬰大罵:「逆賊自不知死,尚敢逞強?」舉刀迎面來劈:陳豨舉槍交還。二將鬥到二十回合,只見陳豨左右諸將急領兵衝殺來。這漢陣上週勃、周昌不待彼兵到來,亦各出精兵,奔前截殺,陳豨又鬥嬰不下,正躁急之際,漢兵又一齊拼力來協助殺來,陳豨如何抵敵得過?往北逃走。豨諸將見陳豨敗走,無心戀戰,亦各四散奔潰。帝率諸將合兵一處,盡力追殺。豨兵已知勢弱,各倒旗投降。劉武等諸將,俱被周勃、周昌等追殺,遂死亂軍之中。翌日、灌嬰は戦場で陳豨と話す。陳豨「先日、漢兵は大敗したのに、また死にに来たか」。灌嬰「逆賊は死ぬことを知らず、強がるのか」。漢兵に一斉に攻めかかられ、陳豨は敗走した。
陳豨正逃走中間,忽聽一聲炮響,樊啥、王陵二枝生力人馬突出,陳稀被漢兵追趕,正急元處躲避,一時措手不及,被樊噲一戟,刺於馬下:大勢漢兵俱到,見刺了陳豨,帝大喜,遂將首級傳去,懸於趙代二處,彼處知豨死,皆望風歸服。帝傳命:「如有投降者,免誅戮。」乃招撫各郡縣,趙代悉平。陳豨は追いつかれて斬られた。趙地・代地は平定された。
陸賈が斉にゆき、蒯徹のニセ狂気を見破る
帝車駕赴洛陽,呂后遠來迎接,帝相見甚喜,備間韓信臨死有話說?後曰:「信言悔不用蒯徹之計,乃為兒女子所詐,豈非天哉!」帝問左右:「蒯徹乃何處人?」陳平曰:「蒯徹乃齊人,極有機變。韓信行兵時,寸步不相離。聞此人曾勸韓信以齊反,信不聽此人,遂佯狂於市。其人當以智取,若陛下以怯拘之,恐難力致,則必假為瘋狂而正矣。」帝即問左右:「誰人往齊國調蒯徹去?」言未畢,陸賈出班奏曰:「臣願往。」帝即命賈引十數從人,往齊國調蒯徹。高帝が洛陽にいくと、呂后が迎える。韓信が最期に「蒯徹の計を用いれば……」と言ったと聞き、高帝「蒯徹はどこのひと?」。陳平「蒯徹は斉国のひと。韓信に自立を勧めたが採用されず、狂ったふりをした」と。高帝「だれか斉国にゆき蒯徹を連れてこい」。陸賈「わたしが」。
一日到齊,有郡守李顯接賈於驛中安歇,賈問:「蒯徹今在何處?」顯曰:「此人每自歌自笑,遊蕩於街市中,人皆以為瘋魔,某嘗以禮相請,彼終不就,此等人主上問須用他?在著大夫遠來,恐徒勞神也!」賈曰:「君知其一,未知其二。蒯徹之瘋狂,乃其詐也,汝可著一能言之土,與之飲酒,彼必歌笑狂飲;著其人如此如此誘引.待他痛哭之時,我卻有言語調他,他自然不敢瘋狂,管教他隨我見帝。」陸賈は斉にゆき、「蒯徹はどこか」。郡守の李顕「彼は気が狂って、街をウロウロしてます。高帝はどんな御用で、あなたの遣わしたのか」。陸賈「きみは一を知って二を知らぬ。蒯徹は狂った振りをしているだけ。能言の士を遣わして、一緒に飲酒させろ。彼は必ず、歌い笑って、狂い飲むだろう。彼が痛哭するのを待ち(本音が漏れるはずなので)取り調べよう。(正気だと確かめられたら)私に随わせ、高帝に会いにゆかせる」
狂ったあとの蒯徹の暮らしぶりについて、こんな描写があるのを初めてみた。そして陸賈さんは、なんとも狂人に優しくないことだ。
李顯即選兩個能言之士,與了錢鈔,吩咐他如此如此,誘引蒯徹,待他哭時,向十字街請陸大夫相見。其人領命,即到市上見蒯徹散發狂笑,遊行於市,且為之歌曰:
六國兼併兮,為秦所吞,內無豪傑兮,罔遺後昆,秦始自失兮。滅絕於楚,楚罔修政兮,屬之漢君,烏江逼項兮,伊誰之力?十大謀奇兮,豈能獨存?乃不自悟兮,尚思國爵,一朝遭烹兮,禍福無門。佯狂沉醉兮,且自昏昏。李顕は、能弁の士をにカネを与え、段取りを教えて、蒯徹を誘わせた。蒯徹が哭いたとき、陸賈が十字街から現れた。陸賈の見ているところで、蒯徹が歌うには、
(韓信のことを惜しむ歌;韓信のおかげで漢は項羽を倒せたのに、韓信のことを迫害した。だから私は、狂ったるふりをして歌っているのだよー)
韓信が死んでも、なお韓信をカゲの主人公にして話がすすむ。
歌罷向南而去。李顯的差人尾之於後,近前乃挽徹手,亦大笑不止曰:「我今與子亦病狂矣:願請入酒店中市沽三杯。」徹喜,亦隨二人入酒館,二人曰:「我今數日後海外邀游,不居人間,與世相違,不欲戀功名,貪官貴也。」徹見二人語言不凡,乃曰:「我之病狂,其意有在;汝之病狂,果何意那?」二人曰:「我之病狂,非子所知也。且與子飲酒,不必多言,恐為人所聞,則非病也。」徹見二人言甚蹊蹺,遂改容而正言曰:「二公決非等閒人,願求大名。」歌が終わると、李顕がつかわした能弁の士2人は、蒯徹の手を引き、「一緒に狂おう。飲もう」という。蒯徹は喜び、2人とともに酒店に入る。「蒯徹さんはどうして狂ったの?」。蒯徹「理由はきみらの知ったことではない。人に聞かれたら困るから言わないが、実は病気ではない。(本音を言うから)名前を聞かせてくれ」
二人曰:「我二人原係趙國人,聞韓侯之賢,前隨楚地,日侍左右,言聽計從,遂為心腹。不意韓侯無故為家僕所誣,被呂后斬於未央,夷其三族,臨死之際,言不絕口,只說悔不聽蒯徹之言:我等見韓候屈死,恨不同為之死,遂棄功名,逃走於此,聞子狂歌於市,知其為蒯先生也,因與三杯,以敘衷曲。吾思韓侯十大功勳,為當代元臣,一旦被家僕所誣,死於陰人之手,子孫誅滅,一脈無留。豈意韓侯遭如此之苦!我二人想其儀容,念其恩意,想往日威振三齊,何等英雄,今翻為畫餅,豈不痛哉:豈不哀哉!」二人言罷,淚如雨下,感動砌徹心事,不覺捶胸跌腳,放聲大哭曰:「韓侯問不早悟耶?何不旱悟耶?乃至見殺,使我一身無主,我何以為生耶?」2人は(身分を詐って)「われらは趙国の人だが、韓信に随って楚地にゆき、心腹として左右に侍った。このたび、韓信は家僕にチクられ、呂后に殺された。死に際に韓信は、蒯徹のことを言った。そこで蒯徹先生のところに、訪ねてきたのだ」
蒯徹は(韓信つながりの知人ができたので)声を放って哭した。「なぜ韓信はもっと早く気づかなかった。私は主君がいなくなり、どうやって生きていけばいい」
正哭之間,忽見一人自外搶入,劈面揪住,便道:「你終日裝狂,今日卻漏出本相來也!,蒯徹嚇得面如土色,便問:」你是何人?」那人曰:「我是中大夫陸賈也。奉漢帝命,特來拿你」言未畢,只見郡守李顯,率領從人將徹縛住,就帶到公廳:陸賈親解其縛,以禮相接曰:「蒯先生不必如此佯狂,快整起衣冠,赴洛陽見帝去。方今四海一家,萬姓皆子,與其依信而空死,孰若舊帝而報忠,智者必能識時.賢者則能擇主,漢帝乃當代真命,以張良世世相韓,尚封侯為漢臣,況其他乎?先生當自思之!」蒯徹曰:「某佯狂許久,今被公倒說了我也。」遂整飭衣冠,預備行裝,隨陸賈赴洛陽見帝。そこに陸賈が現れ、「蒯徹の狂いはウソで、いま本音をもらしたな。私は中大夫の陸賈。これから高帝のところに来てもらおう」といった。郡守の李堅が兵をひきい、蒯越をしばった。陸賈はみずから縄をほどき、「狂ったふりを辞めて、高帝に仕えて下さい」という。蒯徹「ながく狂気を装ってきたのに、見抜かれてしまうとはな」と、旅装を整えて洛陽にゆく。
一日到洛陽,帝方與群臣議事,忽見陸賈引蒯徹來見,拜伏在地,帝曰:「此是問人?」賈曰:「乃齊人蒯徹也!」帝曰:「昔日汝曾教韓信反耶?」徹曰:「然:是臣教情反也。秦夫其鹿,天下共逐之,高材捷足者完得焉,跖之犬吠堯,堯非不仁,犬故吠非其主:當是之時,臣惟知有韓信,而不知有陛下也。若信果聽臣言,豈有今日?信今既死,臣亦不獨生,陛上如欲烹臣,臣即就死,亦不敢避。」帝笑謂左右曰:「徹之言亦信之忠臣也,波各為其主耳。朕今即釋汝之罪,授汝以官,汝以為例如?」徹曰:「官非臣所願也,惟願陛下念信平定天下之功,乞將信首,付臣葬於淮陰,仍乞封為楚王,放臣與信守墳墓,以終餘年。此萬代帝王之德,陛下可以衍億世之洪基於無窮也。」帝曰:「賢哉蒯徹也!」即日將信首級付蒯徹,仍傳命有司造信墳,仍封為楚王,蒯徹不授官,任其閒散快活。洛陽で、蒯徹が高帝に尋問される。「漢帝に背いたのではなく、群雄の韓信のために献策しただけ。盗賊の飼い犬が尭に吠えるのは、尭が不仁だからではない。飼い主以外に吠えただけ。韓信の遺体を引き取りたい」と。韓信に楚王が追贈された。蒯徹は官職を授からず。
史書にもそのままある話なので、ここはアッサリと。本作の特徴・見せ場は、陸賈が、蒯徹の狂気がニセモノだと暴くシーンです。
卻說帝仍同長安,蕭何奉文武群臣接見,帝大設筵宴犒賞軍士。忽有左右來報:「朝門外有告機密事,伺候投見。」帝曰:「陳豨事方定,又有告變者投見。傳命著進來!」其人入內見帝,道出這個人來,未知是誰,且看下回分解。高帝が長安にくると、蕭何は郡臣をつれて接見する。高帝が宴会をひらいて軍士を賞した。左右のひとが伝える。「朝門の外に、機密を報告したい人がいます」と。高帝「陳豨のことが終わったのに、変事を告げるものか。連れてこい」と。誰が何も告げにきたのか。150821
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- 第95回 欒布 洛陽に彭越を哭す
梁の太僕が、彭越の謀反を訴える
卻說來報機密者。乃梁太僕也。太僕因彭越醉後辱罵,歸家忿恨曰:「我本與越同為漢臣,彼因僥倖成功,帝封為梁王。今倚勢王爵,累次辱我,況我又無家小,不若長安告變,使他王爵不能自保。」當夜收拾行裝,徑赴長安告變:帝問曰:「汝是何處人,告甚機變?」太僕曰:「臣雖事梁,實為漢臣,昨因見梁王招集軍馬,指日欲以梁地謀反。其反狀一也;前日陛下徵陳豨,徵兵協助,彼又托病不來,其反狀二也;昨聞韓信死,哭之甚痛,就欲整率三軍,早晚發行,其反狀三也。臣為漢臣,見彼謀反,臣特來告變。」帝聞太僕之言,急召平等商議。平曰:「彭越見帝誅了韓信。所以謀反。今可差一的當人。奉命宣召。如來則無反志,但廢置可也:如不來則謀反必矣。然後遣兵徵討,則師出有名也。」帝覆命陸賈前赴大梁召越。機密を伝えにきたのは、梁の太僕である。太僕は、彭越に酔って侮辱され、「私も彭越も同じ漢臣なのに、彭越はラッキーで梁王になれた。侮辱しやがって。彼が梁王で居られなくしてやれ」と考えた。高帝「なんだ」。太僕「1つ、彭越が軍馬を集めています。2つ、彭越は陳豨の討伐を断りました。3つ、韓信の死を悲しみました」と。
陳平「彭越は、韓信が誅されたのを見て、謀反する。1人をつかわし、彭越を中央に召せ。来たら謀反の意図はないから、王号を廃せばいい。来ねば謀反という名目ができる」と。高帝は陸賈をいかす。
陸賈がほんとうに活躍するなあ。きっと史実だろう。
そして陳平の策は、とてもあくどい。彼自身、劉邦のほかの臣との関係がうまくゆかず、立場がまずくなったときがあったのに。非常時と安定期では、求められるものや処世術が異なる、というお手本である。
陸賈が、彭越を長安に連れてくる
賈領帝命至梁見越。越與賈相見。問曰:「大夫此來為何?」賈曰:「梁太僕告帝,王有異志,語言錯亂,前後不對,主上疑彼與王有隙,故托此告變,即監候,欲召王與彼面對,且就與一見,以敘君臣之好。」越曰:「此人一向政事俱廢,我因辱罵,彼遂逃走,赴長安告變,既主上召我,我即奉命到長安與彼面對,凡事須要指實,豈可憑一面之辭,便陷人於不義耶?」賈曰:「王之所見甚高。」當日彭越置筵宴款待陸賈。陸賈が彭越のところにゆく。彭越「何の用ですか」。陸賈「梁の太僕が、あなたの謀反をチクった。しかし高帝は、あなたと太僕が不仲なだけかと思い、面着で確認したいと」。彭越「長安にいきます。太僕のやつに陥れられてたまるか」。彭越は陸賈をもてなした。
次日,預備人馬啟行,有大夫扈輒諫曰:「大王不可去,去則有禍:前日擒韓信便是這樣子,漢帝可以同患難,不可同富貴,大王若去,則必有韓信之難,王切不可去!」越曰:「韓信有罪,我無罪;我若不去,則太僕之言,似為著實,主上以我為真反矣!」扈輒曰:「功高者必忌,位極者必疑,王之功高矣,王之位極矣,主上正在疑忌之間,王雖無反狀,而此去必尋事陷害,性命難保也!」越聞輒言,沉吟不語。翌日、大夫の扈輒が、彭越を諌めた。「大王は長安に行くな。行けば禍いがある。韓信と同じ目にあう」。彭越「韓信に罪があったが、私に罪がない。太僕はウソをいった。高帝は私の証言が本当だと分かってくれるはず」。扈輒「功が高いとねたまれる。陥れられる」。彭越は考え込んだ。
賈曰:「扈大夫之言,不過目前之計耳,今日王若不去,帝必統大兵親來徵討,王比陳豨如何?陳豨足智多謀,雄兵五十萬,又占在趙代二國,尚不能取勝,況梁地素畏帝威,帝若一臨其地,郡縣歸眼,王豈能獨立耶?」說得那彭越閉口不言,遂決意與賈啟行,梁國父老人等,送越出城。才然前行,只見扈輒懸門而諫,越見之,即令人解輒下城,越曰:「大夫何又如此苦諫?」輒曰:「臣今有倒懸之苦,王見而救之;王此去必有倒懸之危,誰與王救之,臣今不欲大王如韓侯悔蒯徹之言也:」越謝曰:「大夫之言,雖力確論,但我此心只欲見帝,故大夫之言雖善,其如我之不聽何?」遂與賈徑自長行。扈輒號泣而回。陸賈「扈輒は、目先のことしか言わない。もし長安にゆかねば、漢軍に討伐される。趙国・代国を抑えた陳豨でも独立できなかった。まして梁地は、皇帝の威信を畏れる土地柄だよ」
彭越は長安にゆく。扈輒は門に、逆さ吊りになって諌める。彭越「扈輒は、どうして壺関するのか」。扈輒「彭越を救うためです。彭越は、韓信が蒯徹の言を聞かずに後悔したことを反復してほしくない」と。彭越「高帝に会うだけだから」
韓信と蒯徹、彭越と扈輒。うまく対句になっていておもしろい。そして、彼らをだましながら、関係性を壊していく陸賈は、高帝の手先である。
彭越が高帝に会い、扈輒が弁護する
卻說越一日見帝,帝出巡洛陽,聞越至,召入內相見。帝怒曰:「昔破陳豨之時徵汝,汝何不至?」越曰:「臣實有病,非敢抗違。」帝曰:「今太僕告汝謀反,汝有何說?」越曰:此人不能理事,累被臣之辱,因是懷恨,故以詐言誣害:陛下明見萬里,當審其詐,勿為小人所欺也。」帝命御史臺勘問,尚未報,
忽有一人於朝問外要見帝,左右不敢隱,奏知帝,帝傳命著其人進內。帝曰:「汝何人也?」其人曰:「臣乃梁大夫扈輒也。」帝曰:「汝來何說?」輒曰:「陛下受困滎陽,若非梁王絕楚糧道,主上豈有今日,梁王累有大功,今陛下聽一時無稽之言,遂殺有功之臣,恐天下人人自危也!」帝意少回:扈輒尚立於帝前不退:帝曰:「本欲殺越,但因爾之言有理,姑廢彭越為西川青衣縣庶人,就在彼安置。」乃封輒為大夫.輒曰:「梁王受貶,臣若受官,犬豕不如也!願放歸田裡,於臣之志足矣,官不敢望也。」帝遂置之下論。彭越は、洛陽で高帝に会った。高帝は怒る。「陳豨を伐つとき、なぜ来なかった」。彭越「ほんと病気で」。高帝「太僕が謀反を告げたけど」。彭越「私を貶めるためのウソです」
御史台に取り調べを命じたところ、1人が高帝に直訴した。「梁の大夫の扈輒です。陛下が滎陽で囲まれたとき、もし彭越が楚の糧道を断たねば、漢の天下はなかった。なぜ(太僕の)ウソに耳を傾け、功臣を殺すのか」
高帝「彭越を殺すつもりだったが、言い分に道理がある。彭越から王号を回収して、西川の青衣県の庶人におとして余生を送らせよう」と。高帝は扈輒を大夫に封じた。扈輒「梁王が爵位を削られたのに、私が官爵を受けるなんて、犬やブタ以下です。田里に帰らせてください」
彭越は呂后を頼るが、逆に死罪となる
卻說梁王越當日出部,即備行裝赴西眉而來,一日潼關遇呂后,越見後,哭之曰:「臣本無罪,帝乃貶臣於蜀,願娘娘解之。」後曰:「且隨我引汝見帝,以解前罪。」越叩首謝曰:「此娘娘再造之恩也。」
後至洛陽,見帝行禮畢,因奏曰:「彭越乃壯士。今既調來,即當除之,以絕後患。豈可使之入蜀,所謂放虎入山,後必傷人:臣妾於途中相遇,與之俱來,暗令人告越謀反,陛下當殺之,庶無後患。今優柔不決,他日作害,則悔今日也!」帝曰:「後之言是也。」彭越が、指定された西川に行く途中、潼関で呂后に会った。彭越は呂后に泣きついた。「私は無罪なのに、西川(蜀)に行かされる。呂后から(高帝に)言ってください」。呂后「いっしょに高帝に会おう。罪を解こう」。彭越「ありがとう」
このまま西川(蜀)に行っておけば、史実のように死なずに済んだのに。いや、護送の途中で殺す(そして君主が後悔して赦免するが、タッチの差で遅れる)というのが定番。やはり呂后に泣きつかないと、彭越は助からないか。
於是呂后密令人告彭越反,帝令入拘彭越送張倉勘問:倉曰:「昔帝取汝起兵徵陳豨,汝聽韓信之言,稱病不來,帝已有殺汝之心矣。昨幸貶汝入蜀,此是帝莫大之恩。汝心不死,復隨娘娘來見帝,帝復生情疑,知汝終是作亂,不如殺之,以除後患。所謂禍福無門,唯人自招,此非帝與娘娘寡恩,實汝自取之也!汝今如虎人檻,決無逃生之理。不若招承,以決一死,兔致苦刑,終難解脫。」
越長歎曰:「公之言極中我病,但恨不聽好人之言,致有今日!公既已開斷明白,我亦不敢費辭,只得屈招,任主上處我。」張倉即將越口辭成案,申奏漢帝,帝與後計議,越罪當誅,就照韓信例,斬首示眾,後曰:「天下諸侯,因見陛下仁慈,所以玩法者甚多,今將彭越醢為肉醬,以賜諸侯,使天下震恐,庶後人不敢謀反也。」帝曰:「然。」於是將越斬首示眾,仍釀為肉醬,以示諸侯。呂后はひそかに「彭越が反した」と伝えた。高帝は彭越をしばり、張倉に尋問させる。張倉「陳豨が起兵したとき、韓信の言を聞いてボイコットしたね。このたび蜀に移されることになったが、呂后に斡旋を頼んで、高帝の判断に異議を申し立てた。きっと彭越は、最後には乱をおこす。殺して、後患を除くのがいい。(呂后に頼ったのに罪になったのは)呂后が冷たいのではなく、彭越が自分で招いた禍いである」
『西漢演義』は、范増の忠言を無視して「後患」を放置するバカな項羽と、きっちり「後患」を殲滅する周到な劉邦という対比がある。では、劉邦・韓信を放置した項羽が悪役&愚者で、韓信・彭越を始末した劉邦が賢者かというとそうでもない。猜疑心の強い劉邦のほうが感じ悪い。史実に取材するから複雑。彭越は長嘆した。「お前の言うとおり、私は失敗した。もう説明がついたから、これ以上は言うまい」と。張倉は彭越の供述書をつくり、韓信の例にならって資材とし、首を示した。
『通俗漢楚軍談』は、扈輒の言うことを聞けば良かった……という台詞で、対句を強調してある。しかし、梁国のような中途半端な場所で、しかも彭越はゲリラ戦の名手に過ぎないため、漢軍に勝つことができる気がしない。呂后「天下の諸侯には、陛下の仁慈にあまえて、法をもてあそぶ者がおおい。彭越の肉を塩漬けにして配り、謀反を予防しよう」と。塩漬けにして諸侯に示した。
彭越の肉が、淮南王の英布に届く
卻說斬了彭越,遂夷三族,仍梟首於洛陽東門,忽見一人,麻衣布帽,腰繫著麻繩,分開人叢,踏折長竿,抱定彭越頭,放聲大哭曰:「冤哉!屈哉!」左右有守衛者,即將其人捉往來見帝,帝問曰:「汝何人也?」其人曰:「臣乃欒布,大梁昌邑人,為梁大夫。不忍梁王屈死,故來哭之。」帝曰:「梁王謀反,何謂屈死?」彭越を斬り、夷三族として、洛陽の東門にさらす。彭越の遺体を回収にきたのは、欒布である。「冤罪である。不当な処置である!」と。高帝「彭越は謀反したのに、どうして不当なのかね」
欒曰:「昔陛下受困滎陽,楚兵四十萬,攻城甚急,韓信在河北不至,當時危若墜旒,使梁王助楚,則漢必亡矣,臣下書說梁王阻楚糧道,以撓其勢,後又助糧數十萬石,漢乃滅楚垓下。五年之間,梁王受盡辛苦,今天下已定,指望與陛下共享富貴,傳之子孫無窮,豈料陛下聽信讒言,既斬首而復醢其身,又夷其三族,其刑太慘,比暴秦尤甚!前日蕭何所定律令,於今安在?漢廷諸侯,再無一人敢諫者!臣懷不平之心,願來效死,臣恐此後功臣人人自危,誰與陛下守太平之業?」言罷,放聲大哭不止,左右文武聞之,無不下淚。帝半晌不語,遂命釋放,即日傳令封欒布為都尉,布叩首力辭曰:「臣不願為官,惟願收拾梁王頭骨,還葬大梁。陛下之洪恩,微臣之至願也。」帝許之,欒布遂將彭越頭包裹,出洛陽而去。欒布は「……」と訴えた。高帝は、彭越の頭の持ち帰りを許した。
且帝釀醬彭越為肉醬,傳佈天下諸候。一日使臣將肉醬到南淮,傳與英布。布正在望江樓臨江宴諸侯,方酒酣,見帝賜肉醬,起身拜領,謝恩畢,便問使臣:「此肉醬何肉也?」使臣詐言鹿肉,布遂開罌嘗之,不覺心動,胸中潰亂,探身於江邊;遂哇而出之;英布心大疑,即追問使臣:「何肉也:汝當實說?」使臣見英布有怒容,不敢隱諱,即以實告。布大怒,將使臣一劍斬之,便起兵作反。未知如何?且看下回分解。高帝は、彭越の肉を塩漬けにして、天下の諸侯にくばる。淮南の英布にとどく。英布「これは何の肉?」。使者は「鹿の肉」と詐った。英布は開いて食べた。覚えずして心が動き、胸中が潰れ乱れ、長江へりに身を投げて吐き出した。英布は使者に「ほんとうは何の肉?」と問う。使者は英布の怒顔が恐いので、本当のことを言った。英布は使者を斬りすて、起兵した。どうなるか。150821
ぼくは思う。『西漢演義』の主人公は韓信。蒯徹が説くように楚漢戦争の最末期「項羽・劉邦・韓信の鼎立」が歴史的な分岐点&おもしろさの最高潮。韓信が最大・最強なのに、あえて劉邦に味方することで決着がつく。『史記』で本紀のある項羽・劉邦に劣らぬよう、韓信の逸話を膨らましてバランスを取った作品だった。閉じる