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- 『三国演義』第1回を比較する
日本でいちばん最初に紹介された『三国演義』は、湖南文山『通俗三国志』です。三国文化にとって、意義がある本です。
ぼくはこの2週間、その底本である、李卓吾本『三国演義』を読んできました。いま、『通俗三国志』を底本と比較して、その傾向を探ってみようという趣向です。
手始めに、第1回から順番にやっていきます。
宦官が後漢を傾ける
◆歴史観の表明
李卓吾本『三国演義』(以下「李本」という)に、歴史観の表明はなく、毛本は歴史観をうたった詩がある。
『通俗三国志』(以下「通俗」という)は、毛本に似て、歴史観の表明がある。「つらつら邦家の荒廃を見るに、…治きわまるときはすなわち乱に入り、乱きわまるときは治に入る。…尭舜もなお病めりとす。いわんや庸人をや」と。
◆竇武と陳蕃の敗北
十二歳で即位した霊帝。大将軍の竇武・太傅の陳蕃・司徒の胡広。竇武・陳蕃が、曹節・王甫に殺され、かえって宦官が「ほしいままに朝綱を手ににぎれり」。
通俗は李本にならい、描写せず説明だけする。
◆温徳伝の青蛇
建寧二年四月十五日。通俗は李本の直訳。
◆洛陽の地震
建寧余年の地震。李本の「海水 登萊・沂密に泛溢す(登萊・沂密は州名なり)」を、通俗は「登萊・機密の海ちかき国」と、説明を補うが、内容は直訳。
熹平と改元する。
◆熹平・光和の改元
通俗は、李本の直訳。
◆楊賜と蔡邕の上表
災異の解釈を、楊賜と蔡邕が行うのは、通俗は李本と同じ。ただし、李本を大幅に抄訳する。通俗の全文をひく。
「近年うちつづき怪異のことどもおこり候は、みなこれ亡国の兆なり。天なお漢朝をすてず、変を示して君臣を戒めたまう。古より天子 怪を見れば、すなわち徳を修むといえり。いま内官みだりに権を執って天下の禍をなす。はやくこれを除きたまわば、天災おのずから消すべし」が通俗の全文。
見たところ、
通俗は、内容も固有名詞も、大幅に削る。李本にある、楊賜と蔡邕、いずれに依拠することもなく、文山が思いっきり噛み砕いて、ここだけ読めば最低限は趣旨が分かるように、超訳してしまった。
呂強が蔡邕を助ける、という説明は李本に同じ。
◆十常侍が栄える
「張譲・趙忠・封諝・段珪・曹節・侯覧・蹇碩・程曠・夏惲・郭勝」という顔ぶれは、通俗は李本とまったく一致。
張角が黄巾を編成する
◆張角の登場
通俗で張角は、「元来 不第の秀才」で、三巻の「太平要術」を碧眼・童顔の老人から受けとる。李本に一致。
老人が消えながら「南華老仙」を名乗り、張角が「太平道人」というのも、通俗は李本と一致。
通俗は、ほとんどオリジナル要素がない。今までだと、毛本くさい歴史観の表明が冒頭にあるのと、楊賜と蔡邕の上表を超訳した以外、ほぼ引き写しである。この比較作業に、意味があるのか不安になってきたw
◆治療して三十六方を組織する
通俗は李本に同じ。
通俗は「黄天 当に立つべし」であり、「黄夫」ではない。
◆黄巾の乱の広がり
通俗は、李本と同じく、「青・幽・徐・冀・荊・揚・兗・豫」に広がり、馬元義が封諝・徐奉と内通する。唐周を「唐州」と誤るのも、通俗は李本に同じ。
李本は、張梁が地公将軍で、張宝が人公将軍。通俗は、これが逆転する。
◆討伐軍が起こる
何進が詔し、盧植・皇甫嵩・朱雋が任じられるのは、通俗は李本に同じ。
幽州
◆劉焉の募兵
通俗は、劉焉の血筋をはぶく。通俗は、劉焉と趨勢の会話をはぶく。「太守 劉焉 これを防がんために、校尉 趨勢というものに命じ、諸処に高榜を立てて忠義の兵をあつめしむ」とするのみ。
通俗は、李本「随ひて即ち榜を各処に出し、張掛して義兵を招募し、量才・擢用す」という、結果だけを拾ってきた感じ。
◆劉備の登場
通俗は、李本から「読書を楽しまず、犬馬を喜び、音楽を愛し、衣服を美とす」をはぶく。正史準拠の記述だが、イメージが初めからブレるのを恐れたのだろう。
通俗は、劉備の身長を「七尺五寸」と、文字通り書き写すだけ。読者の理解を助ける気があまりない。
通俗は、「両耳は肩に垂れ、双手は膝を過ぐ。目は能く自ら其の耳を顧みる」を訳出するが、「面は冠玉の如く、唇は朱を塗るが若し」という身体描写をカット。長くなるのを嫌ったのだろう。腕と耳だけで、充分に異常ぶりは表現できる。
李本は「景帝閣下の玄孫」とあり、通俗は「景帝の玄孫」とする。「閣下」が意味わからんから省いたのね。
劉備の家系を、李本は「昔 劉勝の子たる劉貞、漢武帝の元狩六年、封ぜられて涿県の陸城亭侯と為る。酬金〈酎金〉に坐して侯を失なふ。此に因り這の一枝 涿県に在り。玄徳の祖は劉雄、父は劉弘なり。劉弘 曽て孝廉に挙げらるるに因り、亦 州郡に在りて吏と為る」とするが、通俗はカット。「父を劉弘といいしが」のみ!
李本の正史臭い記述をカットすることに(ぼくのなかで)定評のある毛宗崗本では、「面如冠玉,唇如塗脂;中山靖王劉勝之後,漢景帝閣下玄孫:姓劉,名備,字玄德。昔劉勝之子劉貞,漢武時封涿鹿亭侯,後坐酌金失侯,因此遺這一支在涿縣。玄德祖劉雄,父劉弘。弘曾舉孝廉,亦嘗作吏,早喪」と、李本からの省略はない。
思いますに、
「中国の正史臭い記述なんて退屈だよ」という通俗と、劉備の血筋をねちっこく書くことで、蜀漢の正統性を言いたい毛本との態度の違いが表れる。李本のどこを省略するか、という点に、手っ取り早く、編集態度が表れる。
李本を父としたとき、通俗と毛本は、異母兄弟といったところ。
いいことを言った気がする!と自画自賛!
通俗は、「桑の木あり、…車蓋のごとし」と、桑の木の存在そのものは、李本を踏襲する。しかし、この桑の木を題材とした、「当に此の羽葆 車蓋に乗るべし」という、劉備の少年期の発言をはぶく。通俗は、省略がおおいな。
公孫瓚と学友になる話、劉元起に期待と学資の補助を受ける話もない。公孫瓚との伏線は、ここでは貼られず、すぐ後ろで盧植を救いにいくとき、「じつは」と、後出しジャンケンをする。
ただし、李本でも重複して「盧植のもとで、公孫瓚とともに学んだことがあり」と、説明的なセリフがあるから、いいのか。
◆桃園の結義
張飛と関羽の登場は、通俗は李本に同じ。
劉備の母は、通俗でも李本と同じくらい、関羽と張飛が「ともに玄徳の母に拝して」とあるのみ。劉備の母がキャラ立ちするのは、吉川英治からである。
◆劉焉との合流
李本は、「劉焉 大喜して云く、『既に是れ漢室の宗親 但だ功勲有れば、必ず当に重用すべし』と。此に因り、玄徳を姪と為すを認め、軍馬を整点す」とある。
通俗は、「劉焉はなはだ敬い、相親しむこと叔姪のごとし」と、描写をやめて説明だけにする。通俗は、かなり李本を抄訳し、描写を説明で済ませることが多い。
劉玄徳 黄巾の賊を破る
◆程遠志との戦い
李本は、程遠志・鄧茂との戦いを活写して、武勇を称える賛まで載せる。しかし通俗は、「一合にして鄧茂を馬より突き落とし、首を取りてしずしずとかえりければ」、「関羽 一刀に斬って落とす」と、きわめて淡泊である。
よく分からんが、五山の僧でも、白話小説は扱いかねたか。もしくは、「血湧き肉躍る」を直輸入するのでなく、歴史の教材として再構築するという編集方針があったのかも。日本には軍記物語があり、一騎打ちを、見てきたように描き出す技法(というか話法)があるのだが、それを使わない。
以後、通俗による李本の改変(恐らく李本からの省略)で、目に付いたところをメモしていきます。
◆曹操の登場
曹操の曽祖父・曹節のブタのエピソードがない。
曹操の相が、宦官であることも登場シーンで説明せず。
曹操の幼少期の、放蕩や、叔父をだます話もない。
曹操が、何顒・橋玄に評価される話もない。
毛本は、さすがに曽祖父のエピソードは省くが、曹操その人のエピソードは省かない。っていうか、正史『三国志』を読めば、冒頭に載ってるから、誰でも読んで知っているだろうしね。
通俗による正史の「脱臭」が徹底しすぎて、伏線やキャラ設定が、大きく犠牲になっている気がする。正史の読者とか、既存の三国ファンをニヤリとさせるのが目的ではなく、ゼロベースで紹介することが、執筆の動機になっているからだろう。
おわりに
なんだか、『通俗三国志』は、李卓吾本『三国演義』の下位互換(という表現が不適切なら、ダイジェスト版、紹介用のエディション)みたいな感じで、あんまり面白くないので、とりあえず終わりです。
日本に初めて紹介したのだから、こうなるのは、書物の位置づけとしては、やむを得ないんだろう。初めからマニアックな話を書きまくり、物語が長くなって、読者がつかなければ、意味がないのだから。でも、「正史臭さ」を好む者としては、ちょっと残念。
李卓吾本『三国演義』を「父」として、湖南文山『通俗三国志』と毛宗崗本『三国演義』が「異母兄弟」である、という分析結果(というか思いつき)を得られたので、これをやって良かった。しかも「母」は、国籍や操る言語、文化的な背景が違うのだから、そりゃ違うものができあがるよなあ。141010
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