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文学部で学ぶことについて

文学部は、効率的な実務家の養成機関だと思います。
「おかしなことを言っている」と思われそうなので、理由を書いてみます。

私は文学部を卒業してから、十数年、会社で働いています。いわゆる、ホワイトカラーです。先日、私が成果を示したとき、後輩から、「なんでそんなことが出来るんですか」と聞かれたから、「文学部卒だから。文学部をあなどってはダメです(笑)」と答えました。「そういう勉強ができるならば、文学部に行っとけば良かった」と感想をくれた人もいます。

一般的なイメージとしては、「文学部の勉強は、社会では役立たず」であり、「文学部への進学とは、就職から遠ざかること」でしょう。それを裏返せば、「就職したら、大学での成果・記憶の抹消をする」と思われているのではないでしょうか。
でも私は、それは違うと思います。
「文学部の学問が、社会の役に立つか」は、ものすごく重要な問題でしょう。しかし私は、この問いに答える(答えられる、答えるべき)立場にはないので、保留です。でも、「文学部での勉強が、会社に就職してから役に立つか」という問いには、自信をもって「役に立つ」と答えられます。

仕事とは、変化を作ること

どんな仕事も、前提となる環境・状況を、受け入れるところから出発します。所与の条件というものです。なせ、「はじめに状況ありき」なのかと言えば、自分が職場や市場に参加した時点で、すでに先行するプレーヤーがいるからです。

当たり前のことしか、言っていませんが、あとで伏線回収します!

所与の条件のなかに飛びこむと、
会社・上司から「状況を変えたい。きみがやってくれ」と要請されます。ある程度、仕事に習熟してくると、指示を与えられるだけでなく、自らの職務上の立場に根ざした、自分なりに「変えたい」ことが見つかります。
べつに、会社・上司は、彼らの思想・信条に基づいて、指示を出すわけじゃない。自分が、変えたい=仕事で実現したいことだって、いわゆる、ユメとかとは別の話です。所与の条件のなかで、状況をよりよくしよう!と努力したら、おのずと、to do listのようなものが出来上がります。

では、どうしたら、仕事の成果=変化を作り出せるか。
既存の情報を収集・整理し、うまく説明の道筋をつけるしかありません。
「前提はこうだけどー、こういう理由で、こうなるでしょう?」
と、関係者を説得することで、彼らの認識を変え、同意や協力を引き出すことを目指します。「あ、そうかも知れないね」と思ってもらえたら、ゆくゆくは、状況を変えられるでしょう。この変化の幅を作ることが、価値の提供=働くということ。これは、論文発表に似てますよね。
論文でも、先行研究(所与の条件)を最初に確認して、それに疑問を投げかけ、よりよい認識に至るために、理由の説明をしていく。それを読んだ人が、「従来の説を放置しておくよりも、彼の言うことを聞いたほうが、見通しがよくなるかも知れない」と思ってくれたら、論文は成功です。卒論は、それをやる訓練でした。

なぜ文学部でいいのか、文学部がいいのか(1)

既存の前提を、自らが論証することによって変化させる。変化こそが、価値です。
……このような価値創出は、文学部に限らず、論文を書く学部ならどこでも学べるでしょう。べつに文学部である必要はないのでは? という反論もあり得ます。

そんななかでも、文学部には利点があります。文学部「が」いいのです。
文学部の特長は、文章の読み書きの訓練を、自覚的に重視することです。職種によるでしょうが、語彙・文法・文字の知識は、文書を通じて情報交換する組織では、ものすごく重宝されます
たとえば、「文書行政」というと、場合によっては、批判的な文脈でしょう。しかし、べつに非効率的な官僚組織に限らず、組織というのは、文書で動いています。

ひとりで完結し、1回ずつリセットされる仕事ならば、文書をつくる必要はありません。ドカン!と成果をかましてやり、成果(代金)を刈り取れたら、それで良いかも知れません。
しかし、たいていの仕事は、複数のひとが協働するものです。一人ひとり、腹を割って話ができたら、「いつか分かりあえるだろう」と期待もできましょうが、そんな理想的に思える方法だって、効率が悪いというデメリットがある。
むしろ、いちいち会えない、話す時間もない、でも利害や権限が絡みあっているから、賛同を得たい、という、距離感のある「他人」たちを巻きこむのが、普通です。彼らを説得するには、やはり、文書が最適。

関わるべき「他人」は、べつの人間に限りません。「未来の自分」だって、説明・説得すべき相手です。時間が経って、細かい記憶が消え去ったのち、振り返る必要が出てくることが多い。「あれ、どうしてあのとき、こんな判断をしたんだっけ」ってやつです。そのとき、うまく文書が残っていると、効率よく記憶を再構築できます。

過不足なく、分かりやすく(誤解されず、意味不明でなく、多義的でなく)文章を書くスキルって、仕事場では、重宝されるんです。
「文」というものに、たいへん意識的になれる文学部に属して、学び、アイデンティティの一部に取り込むというのは、メリットが大きい。

なぜ文学部でいいのか、文学部がいいのか(2)

文学部の題材は「浮き世離れ」し、社会人になると、敬遠・蔑視すらされます。それを察してか、文学部卒のなかには、専攻を隠しているとか、専攻を自嘲的に紹介するひとも、いるように思います。
でも、浮き世離れした題材を学んだら、ただちに「廃人」認定されてしまうものでしょうか。そんなこともないでしょう。題材は二の次、だと思います。

会社の仕事だって、扱う題材は、配属された部署・時期により変化が激しいものです。むしろ、配属先・使命・時期によって変化せず、ずっと同じ題材について、「造詣を深めている」ような働き方のほうが、マレです。

そんな働き方をしていたら、社会で取り残されてしまう。

扱う題材が何かという点は二の次です。
題材をまたいで、持ち運び(応用)が可能な、論証のスキルが本質です。
仕事ができる人というのは、あるコンテンツに、膨大な知識がある人のことではありません。どんな役割を与えられても、すぐに周囲(従来から携わっているメンバー)に追いつき、追い越すひとのことです。

日本の組織は、良し悪しはともあれ、スペシャリスト(特定の分野に強い)よりも、ジェネラリスト(どんな分野でもソコソコやれる)が重宝されます。もっとも、スペシャリストといっても、題材が1つとは限らず、下位分類を見れば、ジェネラリストのように、次々と新しい知識を広げ続けています。スペシャリストとジェネラリストを、区別することに、あんまり意味がないはずです。
たとえば、「会計のスペシャリスト」と言っても、会計の下位分類は膨大ですし、ほんとうにスペシャルになりたければ、隣接する各分野にも「侵攻」する必要がある。


題材は「衣服」で、論証能力は「手足」なんです。
衣服は、TPOによって着替えることができる。しかし手足は、TPOによって取り外すことができない。不可分の自分です。どこにだって、持ち運ぶものです。

なぜ文学部でいいのか、文学部がいいのか(3)

大人になって、仕事をする上では、題材にこだわる必要はない。……という話をしてきました。持ち運び可能な、論証の能力の有無のほうが大切です。
しかし、大学時代(子供から大人に変わるとき)は、題材にこだわりたいと思います。なぜなら、興味がない題材では、学ぶ意欲が起きないからです。最初の勉強をしないと、論証の能力だって、身につきようがない。

もしも、文学部が扱うような題材に興味があるならば、興味を持てる題材で、論証のことを学べる文学部は、進学先として最適でしょう。くり返しますが、その題材に興味がないならば、文学部を選ぶべきではないと思います。

* * *

では逆に、文学部で「学べないこと」は、心配ないのでしょうか。
文学部の勉強が、すべての職種で活かせるとまでは言いませんが、ホワイトカラー全般に必要な「前提を変成させる力」は学べると思います。
ほとんど心配はない、と断言できると思います。

文系・理系の区別は、一般的なイメージでは、「数学ができるか、否か」かも知れません。しかし、文学部=数字に苦手意識がある、という範囲であれば、文学部の弱点はそこにはありません。計算はパソコンがやってくれるし、四則演算ができれば、かなりの仕事がこなせる。
理系学問・理系専用の職場はべつとして、事務方の現場で使う「分析」なんて、引き算(どれだけ差がある)と、割り算(どれほどを占める)ぐらいです。それ以上は、絶対に求められない。なぜなら、それより難しいことを数字で言おうとしても、お客様・上司が理解できないから。
「数学で高得点が取れないから、消極的に文学部を選んだ」というひとだって、引き算と割り算ぐらいなら、挫折せずに理解したはずです。

むしろ、何を数値化するか、どうやって数値化するか、集めた数字をどのように整理・解釈して自説に織り込むかが重要です。
そういう、一見すると理系っぽいけど、計算自体はそれほど難しくない数理処理は、文学部の論文演習でも学ぶことができます。少なくとも私が仕事で活用している発想法やスキルを学び始めたのは、文学部においてでした。

本にするならば

適当にタイトルを付けると、『ホワイトカラーとして活躍するための/文学部での学び方』みたいな本を書けそうです。
ニーズがある(読者として喜んで頂けそうだ)としたら、趣味に走って文学部に入ってしまったが、就職や職業生活に不安を持っている学生(ひどい表現!)か、文学部に学生を誘いたい先生方とかなのか。

すでに流行が去ったものの、MBA(経営学修士)を勧められました。多くの事例を学べるから、仕事で困ったときにゴールが見通せると。それは魅力的!だと興味を持ったんですが、事例を学んで、ただの雑学BOXになるのを防ぐため、土台となる思考を文学部で習得するのって、有効だと思うんです。
……などということを、考えました。180622

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