読書 > 『三国演義』関羽・魯粛の単刀会の読解

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毛宗崗本を読む

小説『魯粛伝』下を書いてます。終盤の名場面、単刀会を描くために、『三国演義』を消化します。版本ごとに、内容が微妙に異なるらしいです。関羽が正しく見えるように、工夫されているが、依然として魯粛のほうが正しく見えてしまうという「問題点」が残っているらしい。
どのように、関羽の主張するロジックが脚色されているか、確認しようと思います。

毛宗崗本 第66回

立間祥介先生の翻訳を参考にしています。毛宗崗本が、もっとも成立が遅いが、立間先生の翻訳を見ながら読むことができるため、最初にやるわけです。

酒至半酣、肅曰、『有一言訴與君侯、幸垂聽焉。昔日令兄皇叔、使肅於吾主之前、保借荊州暫住、約於取川之後歸還。今西川已得、而荊州未還、得毋失信乎?』

酒も半ばしたとき、魯粛は、「ひとこと、将軍に申し上げたいことがあり、お聞き下され。さきに令兄皇叔どのは、俺をわが主の前に行かせ(俺を請け人とし)、荊州に暫く留まられ(わが君よりご借用なさり)、西川を取った後に返還すると約束なさった。今日すでに西川を得たが、荊州を返還なさらぬ。信用(信義)を失うことになりはせぬか」と言った。

雲長曰、『此國家之事、筵間不必論之。』

関羽「これは国家のこと(大事)ゆえ、酒盛りの席で論ずべきでない(論ずるのは、いかがなものかと存ずる)」

肅曰『吾主只區區江東之地、而肯以荊州相借者、爲念君侯等兵敗遠來、無以爲資故也。今已得益州、則荊州自應見還。乃皇叔但肯先割三郡、而君侯又不從、恐於理上說不去。』

魯粛「わが君は、ただ区区たる(わずかな)江東の地におられながら、荊州を貸すことを肯んじたのは、君侯ら(将軍がた)が戦に負けて遠来し(遠くから逃げてこられ)、資とすべき(落ち着く先)がなかったのを、念じ(ご覧になっ)たからである。すでに益州を得たのだから、則ち(当然)荊州をおのずから返還なさるべきです。皇叔が、さきに三郡を割く(返還する)ことをご承知なさったのに、君侯が従わないのは、理において立ち行かぬ(筋の通らぬ)ことではないですか」

雲長曰、『烏林之役、左將軍親冒矢石、戮力破敵、豈得徒勞而無尺土相資、今足下復來索地耶?』

雲長「烏林の役において、左将軍(劉備)はみずから矢石(やだま)を冒され、戮力し(力をあわせ)敵を破った。まさかあれが徒労(無駄骨おり)で、尺度(一寸の土地)すら、相い資せず(いただけぬ)ということは、ござるまい。いまあなたは、土地を取り戻そうというのか(貴公こそおかしいのではあるまいか)」

立間氏の「貴公こそおかしい」は、かなり意訳。


肅曰、『不然。君侯始與皇叔同敗於長坂、計窮力竭、將欲遠竄。吾主矜念皇叔身無處所、不愛土地、使有所托足、以圖後功。而皇叔愆德隳好、已得西川、又占荊州、貪而背義、恐爲天下所恥笑、惟君侯察之。』

魯粛「それは違いましょう。君侯と皇叔は、どちらも長阪で敗れ、策も力も尽きて、遠竄(遠くに逃げ隠れ)しようとした。

立間氏は、「遠竄」を「わが国を頼る」としたが、遠くに逃げ隠れするとは、交州に行こうという意味ではないか。劉備・関羽のほうから、積極的に孫権を頼ろうとしたのと、交州に行こうとするのを魯粛が呼び止めたのとでは、関わり方がだいぶ違う。

わが君は皇叔が身の置きどころがないことを矜念(同情)され、土地をおしまず(快くお貸し与えになり)、便宜をはかり、後日の功績を期待されたのです。

矜念は、いたみ憐れむこと。原文は「土地をおしまず」と軽い感じなのに、立間先生が丁寧に補うことで、確固たる孫権の領土を、権利関係を明確にして劉備に貸与した…みたいなカッチリした話に見えてしまう。

皇叔は、道義を損壊し、友好関係を破壊した。

愆德隳好是一个汉语成语。意思是损害道义,破坏友好。指破坏了道义原则和友好关系。愆:过失;隳:毁坏。损害道义,破坏友好。指破坏了道义原则和友好关系。
立間訳は「好意を無にし」と、はなはだマイルド。

すでに西川を得たのに、なおも荊州を占有するのは、貪って(欲にかられて)義にそむき、天下の恥笑する所となりましょう。よく考えなさい」

雲長曰、『此皆吾兄之事、非某所宜與也。』肅曰、『某聞君侯與皇叔桃園結義、誓同生死。皇叔卽君侯也、何得推託乎?』

雲長「すべて兄のことなので、某(私)の関与してよいことではない」

立間訳だと「あずかり知らぬことでござる」とするが、原文は、語順が訓読するには変テコですが、「宜しく与(あずか)るべき所に非ず」という感じ。私が関与し、議論して決断して良いことではない。その権限は、与えられていないから、この話は中止しよう、と言う。

魯粛「君侯と皇叔は、桃園で結義し、生死を共にすると誓ったと聞きます。皇叔はすなわち君侯。そのような逃げ口上は、通りますまい」

推託は、藉口推辭規避のこと。関羽は、「私には交渉権がない。この話は辞めましょう」って逃げ口上を使う。魯粛に「桃園で同日に死ぬと誓ったなら、劉備=関羽。逃げ口上は通用しない」て言う。おもしろい。


雲長未及回答、周倉在階下厲聲言曰、『天下土地、惟有德者居之。豈獨是汝東吳當有耶?』雲長變色而起、奪周倉所捧大刀、立於庭中、目視周倉而叱曰、『此國家之事、汝何敢多言!可速去!』倉會意、先到岸口、把紅旗一招。

関羽が答える前に、周倉が階下(庭先)で大声で言った。「天下の土地は、ただ有徳者が居す(占める)べきもの。どうして東呉だけが領有してよいのか」
関羽は顔色をかえて立ち上がり、周倉の大刀(大なぎなた)を奪い、庭の中央に立ち、周倉を目視(目配せ)して、叱った。
「これは国家のこと(大事)である。なんじは多言するな(余計な口出しをするな)。すぐ出て行け」
周倉は(関羽の)意を悟って、さきに岸口にいたり、赤い旗をもって(関羽が帰るための)船を招いた。

関羽は、周倉の余計な口出しに救われた。周倉が場を乱してくれたから、武力で威圧することに切り替えた。魯粛を論破できないから、周倉を論破することで、関羽が威圧・勝利した場面を作った。


關平船如箭發、奔過江東來。雲長右手提刀、左手挽住魯肅手、佯推醉曰、『公今請吾赴宴、莫提起荊州之事。吾今已醉、恐傷故舊之情。他日令人請公到荊州赴會、另作商議。』

関平の船が、矢のように出発した(会見場に漕ぎ寄せる)。雲長は右手に刀(薙刀)をひっさげ、左手で魯粛の手をにぎると、酔ったふりをして、「あなたは今回、私を宴に来るように請うたのに(せっかくお招き下さったのに)荊州のことを言い出すなよ。もう酔ってしまい、長らくの友好の感情を傷つけてしまいそうだ。後日、あなたを荊州に招こうとおもう。改めて会談しよう」と。

荊州のことを言い出した魯粛の失策だ、と言わんばかり。というか、そう言っている。


魯肅魂不附體、被雲長扯至江邊。呂蒙・甘寧各引本部軍欲出。見雲長手提大刀、親握魯肅、恐肅被傷、遂不敢動。雲長到船邊、却纔放手、早立於船首、與魯肅作別。肅如癡似呆、看關公船已乘風而去。後人有詩讚關公曰、
藐視吳臣若小兒、單刀赴會敢平欺。當年一段英雄氣、尤勝相如在澠池。

魯粛は、魂が体に付かず(生きた心地がせず)関羽にひきずられて岸に出た。呂蒙・甘寧は、手勢を率いて出たい。しかし、関羽が薙刀をひっさげ、みずから魯粛を掴んでいるから、魯粛が傷つけられるのを恐れ、あえて動かなかった。

物理的に関羽が魯粛を制圧しただけ。

関羽が船のそばにきて、やっと手を放し、さっと船首に飛び乗って、魯粛に別れの挨拶をした。魯粛は、惚けたように、関羽の船が風に乗って去るのを見ていた。後世のひとが関公を讃えて、
呉臣を軽んじること小児のごとく、刀ひとつで会に赴き、あえて威圧した。この年、一段の英雄の気、はなはだ勝る。藺相如が澠池にあったように。

雲長自回荊州。魯肅與呂蒙共議、『此計又不成、如之奈何?』蒙曰、『可卽申報主公、起兵與雲長決戰。』肅卽時使人申報孫權。權聞之大怒、商議起傾國之兵、來取荊州。忽報、『曹操又起三十萬大軍來也!』權大驚、且敎魯肅休惹荊州之兵、移兵向合淝・濡須、以拒曹操。

関羽は荊州に帰った。魯粛は呂蒙と話しあい、「この計は成らなかったが、どうしよう」と。呂蒙「孫権に報告し、兵を起こして関羽と決戦しましょう」
魯粛が使者を出して孫権に報告した。孫権は大怒し、国を傾けて荊州を奪おうとした。そこへ、「曹操が三十万で攻めてきます」という。孫権は驚いて、魯粛に荊州の兵を抑えさせ、兵を合肥・濡須に移した。

後になって成立した毛宗崗本を、先に読んでしまいましたが、これを頭に入れて、つぎは李卓吾本です。190711

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李卓吾本を読む

毛宗崗本は、関羽を完璧な人物として描こうとした。「義絶」関羽。毛宗崗本が加工する前の李卓吾本では、単刀会は、どのように描かれていたのか。
毛宗崗本と比較するコメントを差し挟みながら、読みます。

酒至半酣。粛曰、有一言。訴与君侯。幸聴察焉。昔日、令兄使粛於呉侯之前、以通往来。借其荊州、至今並無帰還之意。其理莫不失信乎。

毛宗崗本は「益州を取ったら返還すると約束したよね」と補っており、李卓吾本より丁寧で分かりやすい。それ以外は同じ。
むかし劉備は、この魯粛を呉侯の前にゆかせ(交渉の窓口、請負人として)荊州を借りると約束した。しかし、まだ返還するつもりがなさそうだ。これは、信に反するのではないかね。

雲長曰、此国家之事。筵間、不必論之。

関羽は、国家のことなので、酒席で論じる必要はないと。毛宗崗本はこれを改めていない。

粛曰、国家区区江東、本以土地相借者。為君侯等、兵敗遠来。無以為資故也。今已得益州、又無奉還之意。但割三郡、君又不従命。此君侯之失信于天下也。君侯幼読儒書五常之道。仁義礼智、皆全。惟欠信耳。

魯粛は言う。国家(孫権?)はわずかな江東の領土しか持たぬのに、土地をあなたに貸した。

関羽が「国家のことなので話さぬ」というから、国家のことに引き戻したセリフか。毛宗崗本では、二回目の「国家」は省かれている。関羽が避けようとする話題を、引っぱるのは「不快」ですから。単刀不快。国家は、もちろん、Nationの意味ではない。
もとは、正史魯粛伝の「国家區區、本以土地借卿家者」なので、魯粛が言う「国家」のほうが出典がある。直前に関羽が言う「国家」は、派生的に付加されたもの。魯粛伝の魯粛のセリフを踏まえて、パクり、膨らませたもの。これが、毛宗崗になると、関羽だけのセリフになってしまった。ここで魯粛は「国家」とは言わない。

それは、君侯らが戦って敗れ、遠くに逃げて来られ、元手とする土地がなかったからだ。益州を得たのに、返還しない。三郡を割くことですら、(演義では劉備が、諸葛兄弟に懇願され、泣き落とされて、返還を許可したのに)関羽が命令に従わぬ。これも、毛宗崗は踏襲している。
こんなことでは、君侯(関羽)は天下に信を失いますよ!という、魯粛のお説教は、毛宗崗が省いた。魯粛「幼いとき儒書にある五常の道を読んだのではありませんか。仁・義・礼・智は、備えておられるが、ただ信のみ欠けています

関羽が「信」に欠くという。これは、毛宗崗にとって、不適切な記述だったようで、削除されました。いちおう魯粛は、四常は完備しており、信だけが欠ける……という。劉備・関羽を持ち上げている。あと1つ補えば、パーフェクトになれるのになと。


雲長曰、烏林之役、左将軍親冐矢石、戮力破敵。豈得徒労、而無一塊土、相資。而足下欲来收地耶。

関羽「烏林の役で、左将軍は戦った。僅かな土地すら得られないのは、変ではありませんか。土地の回収に来るのは、不当ではありませんか」と唱える。

毛宗崗本は、関羽のセリフには手を加えていない。


粛曰、不然。君侯始与豫州、同敗於長坂。豫州之衆、不当一校、計窮慮極。志勢摧弱、図欲遠竄。望不及此。吾主上矜愍豫州之身、無有処所。不愛土地・士民之力。使有所庇廕、以済其患。而豫州、私独飾情、愆徳隳好。今已籍于西川矣。又欲剪併荊州之土。斯蓋凡夫所不忍行、而况整頓人物之主乎。粛聞、貪而背義、必為禍階。願君侯明処之。

魯粛「そうでない。君侯は当初、豫州を領有し(豫州の兵を連れていたが)長阪でまとめて敗れました。豫州の兵では、対抗ができず、計略も思慮も尽きて追い詰められました。勢力は衰退し(交州に)逃げようとしたが、実現性も怪しかった。

豫州の兵が壊滅し、劉備集団が、実質的に崩壊していたことは、毛宗崗本が省いている。「校」は「あらがふ」と読み、まるで抵抗できず、と解釈した。軍団の編成単位も「校」だけど、違うのかと。

わが主孫権は、劉備が頼る所がないのを憐れみました。土地・士民の力を惜しまず、劉備に供出し、劉備の窮状を救おうとしました。それなのに劉豫州は、ひそかに感情を粉飾していつわり、道義を損壊し、友好関係を破壊しました。もう益州を得たのに、荊州の土地を切り取り、併合しようとしています。これ(ほど信なき振る舞い)は、凡夫ですら恥じて行わないことであり、まして優れた君主の行うことでありましょうか。

毛宗崗本で魯粛は劉備を「皇叔」というが、李卓吾本では「豫州」と呼ぶ。毛宗崗本では、皇帝の一族というキャラを強調。李卓吾本では、豫州長官という肩書きを押し、劉備が豫州を領有しておらず、豫州の兵も壊滅したという事実を思い起こさせる。

毛宗崗本はこの魯粛のセリフを大胆に省いており、豫州兵が壊滅したことも、劉備が「私かに独り情を飾る」ことも言わない。荊州を「剪併せんと欲す」という強い表現や、凡夫ですら……という比較表現も省いている。
魯粛は、「貪って義に背けば、必ず禍いが訪れる。君侯のために、これをご理解くだされ」と締める。

義絶関羽に対し、「義に背いている」と批判する魯粛。物語の設定を、脅かしかねない。メタの次元からきた、特別扱いのキャラでない限り、こんなことを言ってはならない。
毛宗崗本では「貪って義に背けば、天下の笑いものになる。お察しなさい」と、かなりマイルドになっていた。

このあたりの魯粛のセリフは、魯粛伝および同注引『呉書』のまま。

雲長曰、此皆、吾兄左将軍之事。非某所宜預也。

関羽「これらは全て、わが兄の左将軍のマターである。私が関知するところではない」と。

魯粛と、終始、話すつもりがないというのは、毛宗崗本も同じ。ただし、劉備が許可したのに、関羽が三郡返還を拒んでいる、というのは、作中で示されている。関羽に正当性を見出すことは難しい。


粛曰、某聞、昔日桃園結義、誓同生死。左将軍、即君侯也。何得推托乎。雲長、不知答。周倉厲声、而言曰、天上地下、惟有徳者居之。豈但是、汝東呉之有耶。

魯粛のセリフは毛宗崗が改変せず。劉備=関羽なのだから、関羽に交渉権がないとは言えまいと。李卓吾本は「関羽はどう答えてよいか分からない」とし、毛宗崗本は「関羽がまだ答える前に」とする。

李卓吾本では、ノーアイディア。毛宗崗では、関羽が素晴らしい回答を準備していた(かも知れない)のに、周倉が遮ったというアレンジ。

周倉は李卓吾本で「天上地下」というが、毛宗崗は「天下土地」とする。李卓吾本のほうが、大言壮語なので、かっこいい。正史の魯粛伝では「夫、土地者、惟徳所在耳。何常之有」とだけいう。

雲長変色、奪周倉所捧大刀、立於亭中曰、此乃国家之事。汝何敢多言。以目視之。

毛宗崗本では、周倉は「階下」にいたと分かるが、李卓吾本は分からない。李卓吾本は「亭中」とするが、毛宗崗本は「庭中」としており、具体的に風景を思い描いて書いているのかも知れない。
関羽は顔色を変え、周倉の大刀を奪い、亭中に立ち、「これは国家の事である。お前は多言するな」という。このセリフは同じ。
国家のことは、関羽が「私自身ですら、話す権限がない」とはぐらかしている。まして周倉が、口出しをできない。関羽は極力、議論を避けている、というふうに見えてしまう。
毛宗崗本では、関羽が周倉に、「可速去」と具体的な指示を出すが、李卓吾本は、この三字がない。李卓吾本の周倉のほうが、関羽の意をくむのが上手い。

倉会其意、先来岸口、把紅旗一招。関平船如箭、発奔過江東来。雲長右手提刀、左手揝住魯粛手。佯推酔曰、公今請吾赴宴、非問是非。酔後不堪回答。恐傷故旧之情。他日、令人請公、到荊州赴会。同到舟中。魯粛魂不附体、被雲長。将至江辺、呂蒙・甘寧見対江、又有船来二将、各引本部軍、一斉要出雲長。当下如何且聴下回分解。

関羽は、周倉に帰りの船を手配させた。関羽が、右手に大刀、左手に魯粛を持ち、いつでも魯粛を殺せる状況を作るのは同じ。
関羽が魯粛を制しているというより、魯粛を人質にとり、「議論を深めたら殺すぞ」と吼えているように見えてしまう。つまり、まともに議論したら負ける、と関羽が自覚していたという話になっている。

李卓吾本で魯粛は、関羽に信・義がないと厳しく指摘した。周倉は、関羽の分が悪いから、助け船を出して、議論での反撃を試みた。しかし、関羽は、周倉の狙いとは別の形でこれを利用した。周倉を叱りつけ、威圧・暴力に切り替えた。
毛宗崗も、この流れを変えられなかった。

関羽の切り抜け方は、李本・毛本で同じ。裏を返せば、毛宗崗ですら、関羽が恫喝するだけというストーリーを、覆せなかった。

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李本と毛本の比較

李卓吾本を見て、毛宗崗が修正をしたと仮定して書きます。版本研究ではないので、単純化しています。毛宗崗による処理を、箇条書きにします。

李本と毛本の違い

◆関羽は「信」に欠くという批判を削除
劉備が益州を得たにも拘わらず、荊州から退去しない。これは違約である。「荊州から退去する約束」自体は、関羽も否定していない。作中の事実なので。
その違約を咎める魯粛のセリフが、李卓吾本のほうが厳しかった。魯粛は、「あなたが幼少のとき、儒書を学んだでしょう。五常のうち、信にもとる行為ですよ」と、関羽を叱っている。
もう少し後で、李卓吾本で「貪而背義」と、関羽が義に背くものだと批判している。『三国演義』における、義絶関羽を「義がない」と言うのだから、世界観を壊しかねない批判。だが、魯粛の言うとおりなのです。

◆劉備の窮状@長阪を、あまり言わない
李卓吾本の魯粛は、長阪における劉備の窮状を、詳しく言及する。豫州の領土を維持できず、豫州から連れてきた兵も、曹操軍に壊滅させられた。交州に行くと言っていたが、その実現性は乏しかった。孫権が手を差し伸べない限り、滅亡必至だったと。孫権の恩を強調する。
毛宗崗本の魯粛は、劉備は今後の見通しが立たなかった……くらいに、ボカしている。追及の手を緩めている。
交渉術として、魯粛は、孫権が劉備に施した恩を強調したほうがよい。つまり毛宗崗本は、魯粛の交渉を下手にしている。

◆劉備への批判の文言を減らす
李卓吾本の魯粛は、劉備が「私独飾情」するものと批判する。ひそかに感情を粉飾していつわり……という、劉備に対する厳しい言葉を、毛宗崗は削除した。
李卓吾本における魯粛は、劉備のことを、荊州を「剪併せんと欲す」とし、凡夫ですら、そんな自分勝手なことをしない。整頓たる、きちんとした一廉の君主が、そんなことをしてはいけませんよ、と劉備を詰っていた。毛宗崗は、これも削除。

裏を返せば、毛宗崗は、劉備の振る舞いは、作中において、魯粛の言うとおり!と認めていたことになる。信なく、義なく、自分勝手で、領土を盗む行為だ、と認めているからこそ、省略する必要が生じた。
もし、魯粛による劉備批判が的外れであれば、「バカなやつが、遠吠えをしているぞ」って、笑いものにして処理すればよい。魯粛を笑いものにせず、劉備を批判する文言を省いているということは、「魯粛の言うとおり!」と、認め、「それを言われたら、都合が悪いな」と思った証拠となる。

◆関羽には、反論の構想があったと仄めかす
李卓吾本は「関羽はどう答えてよいか分からない」とし、毛宗崗本は「関羽が答える前に」とする。 毛宗崗では、関羽が素晴らしい回答を準備していた(かも知れない)のに、周倉が遮ったという風に描いている。
今から、関羽が、ズバッと魯粛をやっつけるはずだったのに、周倉が余計な口出しをするから、意見を披露するチャンスを失ったのだ、、という期待を持たせる。しかし、作中を見ても、関羽に、反論に使えるアイディアは無さそう。

李本と毛本の共通点

李卓吾本と毛宗崗本の共通点を書きます。これは「義絶関羽」の振る舞いとしては、あまりカッコ良くないが、毛宗崗が覆せなかった部分です。

劉備は諸葛兄弟に泣き落とされ、荊州のうち三郡返還に同意している。関羽だけが、勝手に返還に反対している。劉備を情に厚いキャラにするため、犠牲になったのか。そのくせ、魯粛に会見を持ちかけられると、「私は交渉権がないので、その話はしません」と開き直る。
一貫性がない。敢えて、すっとぼけて、魯粛の追及をかわした……というのは、交渉術としては、あり得る。しかし、関羽は、そういうボケをするキャラクターではない。

部下の周倉が、議論の中身で、魯粛に反撃を試みたが、関羽はそれを台無しにする。周倉が介入(登場)したら、これ幸いと大刀を手に入れ、恫喝・脅迫・拉致をして、逃げるように帰ってゆく。
武力によって、魯粛をいつでも殺せる状況を作ったから、関羽が場を制した……という見せ場のつもりでしょうが、成功しているのか、甚だ疑問です。

劉備・関羽のほうに、信も義もない。このストーリーの基本路線は、毛宗崗が覆すことができなかった。これをいじるならば、孫権と劉備の関係、戦闘の経緯を、根本的に読み変えなければならない。
さすがの毛宗崗も、そこまでは出来なかったと。190712

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