読書 > 柴田昇著『漢帝国成立前史―秦末反乱と楚漢戦争』を読む

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『漢帝国成立前史』を読んで考えたこと

柴田昇著『漢帝国成立前史―秦末反乱と楚漢戦争』(白帝社、二〇一八)を読みながら考えたことを書きます。本の内容の抜粋ではなく、あくまで感想なので、誤読に基づいて、話を進めているところがあるかも知れません。
通勤のバスで読んでいて、降りるべきバス停を通り越すなど、夢中になって読みました。耳には、バス停の名前が入っていて、そとの景色も見えているのに、本の内容を頭で繰り返していたら、ぼーっとしてしまい。

統一秦の隙間

国家的理想(当為)と現実のギャップが好きです。
柴田昇『漢帝国成立前史』は、先行研究を引きながら、統一秦の当為が、現実に及んでいなかったという話から始まる。

日本史の本ですが、桃崎有一郎『平安京はいらなかった_古代の夢を喰らう中世』も楽しく読めた。三国志も、漢代儒教の当為実現・再開を目指し、現実に足を引っ張られてもがく話。やっていることは、同じです。


歴史書を一読すると、強烈な法家の思想と軍事力によって、有無を言わさぬ圧政を敷いた!と思いがちです。始皇帝その人のパーソナリティが、そういう「誤解」を助長するように、脚色され、再帰的に増殖している印象があります。
イメージの強化は、歴史書の記述から始まることが多く、さらに歴史小説によって補われ、(おそらく学者の歴史理解をも)縛っているのではないか。だからこそ、ミスリードを指摘して、軌道修正すべきだ、という動機の論文が書かれるわけです。それが論文になるわけです。

項羽「本紀」が立てられている、ということ

歴史書と歴史小説の共通点があるなら、主人公のキャラを立て、ストーリーに必然性を持たせ、ライバルのキャラを立てること。柴田昇氏は、『史記』項羽本紀を分析してます。劉邦のキャラを立て、漢成立の必然性を説くために、劉邦のライバルとして諸性質が反対(ネガ)の項羽像が設定されていると。

歴史小説は、読者が飽きぬよう、キャラを立てて、話筋に必然性を持たせる。本題と無関係の事実を、無秩序に羅列しては、作品・商品と言えない。
『史記』も、商業製品(歴史小説)と目的は違えど、同じ加工がされている。史学として、過去の事実としての劉邦・項羽を知るには、バイアスを特定し、可能なら除かなければならない。

項羽の取り扱いは、このページの下のほうでも感想を書きます。

偶発的・事後的に意味を持った「懐王の約」

秦末に結ばれた、楚の懐王による「秦を滅ぼしたら関中の王にする」という約は、当初は、実現性を帯びた戦闘目標・褒賞契約ではなかった。
楚の懐王は天下統一を目指していない。統一秦の領土を、おのれの領土として継承しようとは思わず、楚域で充分としていた。

のちに項羽が、みずから王となるの方便として、懐王を「義帝」と格上げするから、まるで楚の懐王=義帝が、天下の主を目指していたように感じてしまう。もしくは、「天下の主、という名目の傀儡」と解釈しそうになる。そうではないと。自他ともに求める、楚域の君主であり、それで完結している。

戦国時代のように王が並立する天下観を表明しただけ。「私は、楚を治める。秦の地域は、勝手にするがよい。そうだ、秦を滅ぼしたら、その功労者が治めれば良いのではないか」程度のノリだった。

宋義・項梁らは、趙や斉と連なり、秦を滅ぼすための準備を、気長におこなった。韓の地方で、秦軍を破ることができない。短期間で、すぐに秦を滅ぼすことができない、というのが楚軍の判断。
劉邦は、西方の敗残兵を収めるという使命を帯びているが、まさか秦を滅ぼせるとは思われていない。滅秦は目途なし。盟約は、懐王が言ったには違いないが(史料にあるから、無化はできない)、言いっ放しのスローガンと考えられると。
劉邦は、洛陽・南陽を転戦するが、やはり滅秦はムリ。たまたま趙高のクーデターで秦が自滅し、劉邦が関中に入れたことで、実現性のなかった「約」が特別な意味を事後的に持ってしまったと。
項羽を掣肘したい懐王が、項羽を牽制するために、劉邦を持ちあげたいと考えた。たしかに言ったには違いないスローガンを、わざわざ持ち出したのだと。

司馬遼太郎『項羽と劉邦』を読むと、楚懐王の約は、傀儡君主の名義で提示された、わりと中立なゲームのルールでした。
項羽と劉邦が独自戦略でプレイした。勝っても負けても、自己責任。項羽は、勇ましい自らを誇るあまり、秦の主力軍を、好きで引き受けた。劉邦は、ゲームのルールを知り尽くして、正面突破を回避するという智恵を使って勝利した……と。
小説が提供するイメージは、歴史叙述に基づいているようです。

歴史小説が「正史準拠」というとき、複雑な意味を持つ。「正史準拠だから、過去の事実に基づいている」というのは、期待できない。正史が持っている偏向を、そのまま(批判の手続を踏んだ上でか、もしくは無批判にナントナクか)継承したものが、「正史準拠」と言われるべきでしょう。その意味では、「項羽と劉邦」という、二大英雄のライバル物語として、秦末漢初を描いた司馬遼太郎は、「正史準拠」である。

柴田氏が考える過去の事実においては、項羽の軍事行動は、楚の懐王の命令に基づく。中期的に関東が連携して、いつの日にか秦に勝つための戦略の一部を、担当させられた。項羽は、「約」を意識していたかも知れないが、決して、ゲームの自由なプレーヤーとして、関東での戦いを選んだのではない。
また劉邦は、滅秦を期待されない別動隊だったと。「約」のプレーヤーとして、行動したのではない。項羽も、劉邦も。

歴史を叙述することと偏向

『史記』は、漢の成立を必然化・正当化し、合理的に見える説明を付けている。
なぜ司馬遷は、漢に加担するような文を書いたか。
「司馬遷が漢の武帝に媚びたから」、「漢に都合よく書かないと、生命や著作を抹殺される恐れがあったから」という説明では、一面しか表していないと思う。
そもそも、ひとが、現実を理解したい、当世の現実の前提として歴史を理解したいと思ったら、そういう文になる。
どういうことか。
歴史家の利益や保身は、歴史叙述を偏向させる。それは否定できないでしょう。しかし、その偏向ばかり強調するのも、妥当な態度ではないように思われる。
現実を説明できる「話筋」を構成しないと、人間は現実を把持できない。司馬遷の生きた時代、目の前に漢王朝が存在するのに、漢を否定する歴史叙述は作りようがない。

金融市場において、株が上がれば上がる理由が、下がれば下がる理由が、必ず1秒遅れで発見されるのと同じ。
なぜ必ず遅れるかと言えば、結果を見てから、理由を探すからです。なぜ1秒かと言えば、説明に使えそうなネタは、事前に揃っているからです。しかし当該ネタが、上がる理由になるのか、下がる理由になるのかは、上がった後、下がった後に決まります。理由づけの判断は、値動きが暴れると、しばしば短期間で正反対の結論になります。なんとも信用できませんが、そんなもんです。


「楚漢戦争史観」とでも呼びたくなるもの

本の副題にも含まれている、「楚漢戦争」という言葉がある。
「楚漢戦争」と言うからには、楚という軍事主体と、漢という主体とが抗争をしたに違いない。もしくは、既存の楚の覇権を、後発の漢が克服する(ハラハラする、もしくは納得ずくの)過程があった……と期待する。『史記』『漢書』はそういう構成・記述になってる。
こういう、漢帝国成立プロセスに対する期待(「そのような手順を踏んだに違いないから、そういうのを読ませてちょうだい」という気持ち)は、過去の事実を、見誤らせるものに違いありません。
しかし、それらを漢帝国を正当化する神話だと考え、「そんなものは、漢王朝の『御用歴史学者』の仕事なんだ」とか、「『項羽の判官贔屓』の産物だからダメなんだ」と紋切り型に批判するだけでは、ぼくは不充分だと思います。
それほど単純な話ではありません。

『史記』には項羽本紀はある。歴史書に、項羽の本紀があることを、体例において批判することはできる。その批判が、後世の視点に基づいた的外れな意見であることは、柴田氏が整理している。
しかし、項羽本紀という構成を受け入れたら、同時代的な実際に迫れるのか。そうではないでしょう。項羽本紀という体裁にも、偏向が反映されている。
われわれは、項羽のために本紀が立てられているからには、項羽は、漢王朝成立が克服すべき強大な英雄に思ってしまう。それもまた、偏向。

柴田氏が唱えている実態は、楚懐王の配下に有力な(最有力ではない)いち将軍の項氏がいて、クーデターによって、軍事権を偶発的・一時的に握った。
項羽自身が懐王から自立するために、戦国からさらに細分化した諸侯の封建を宣言したが、実態を伴わず、滅秦後も、項羽が単独で楚域を掌握するに至らなかった。項羽自身の地盤や指揮権が、ずっと課題を残した。
他方、諸侯のうち、唯一故郷でない地域に封建された劉邦は、(帰郷したいから、仕方なく)侵略に積極的で、東方進出を目論むので、項羽が押し返すことになる。項羽・劉邦に優劣は、一貫して定まらない。劉邦だって、「反項羽」の盟主として地位か安定したわけでもない。成り行きで戦闘を繰り返すなか、項羽が死ぬ。項羽の死後も、劉邦の統一戦争は続く……。
項羽が死んでも、終わりじゃないんですよ。むしろ、それ以後が本番。それなのに、項羽に勝てれば、漢帝国が完成したと思ってしまう。これは、「楚漢戦争」の図式によって、単純化された弊害でしょう。

偏向と叙述が生まれるプロセス

偶発的で刹那的な事件の連続が、まず存在する。優勢と劣勢も、たえず移り変わる。個別的に現実を追いかけていたら、ワケが分からない。
だからまず、①当事者・同時代人が、現実を把持するため、出来事を構図化する。それを②歴史家が書き留め、構図化を完成させる。漢帝国成立前史は、①項羽という覇王を設定することで、同時代人が記憶可能となり、②司馬遷が、項羽を劉邦のネガとして脚色した。
司馬遷は、項羽の身体的特徴に「舜」の瞳を反映させ、五帝本紀からの連続性を持たせた。反対に、劉邦は神話で真空パックし、五帝から断絶させた。劉邦が「沢」から出発したという経歴を持つから、差別化のために、項羽と「沢」の関係性を隠すという処理がなされた。
②司馬遷の構図化・脚色を経て、「楚漢戦争」というフィクションが、理解・受容可能な形で完成したということでしょう。

歴史叙述に、単純化・構図化・物語化が効いているのは自明です。
ぼくら読者は、歴史家のポリコレ的な処理を憎むだけでは、物足りません。ひとが現実を捕らえるためには、歴史家的な処理が不可避であるとまず認めたい。その後で、歴史家がどんな処理をしたか、きちんと言い当てる。丁寧に1つずつ指摘する。

柴田氏が、『漢帝国成立前史』の本のなかで実践して、示して下さっているのは、この作業プロセスだと思いました。

すると、読むに堪えない、バラバラの事実の羅列に戻っちゃうんですね。
それに加え、過去の歴史家が処理をする際に削除された事実は、多くは復元できないから、「分からない」範囲の広さに気づいてしまう。
例えるなら、
未編集で飛び飛びの、数少ない防犯カメラの膨大なテープの束みたいになって、ウンザリするんですよね。
膨大なテープの束にして、「どうしてくれるんだよ」て思うんです。でも、「責任を持って、編集し直せ」と要求してはいけません。二番煎じの歴史書を再構成してもらっても、仕方ない。読みにくく、空白の大きさが浮き彫りになった、膨大な事実の羅列に戻した、ということまでが大事。これに価値があるはずです。

『史記』の偏向である「楚漢戦争史観」(この用語は、ぼくが勝手に思いついた)を取り除き、物語性が乏しく、理解しづらい事実の羅列(←プラス価値の言葉です)に戻すとことを試みておられるのが、柴田昇氏の『漢帝国成立前史―秦末反乱と楚漢戦争』という本だと思うんです。

われわれに、漢王朝を支持するという政治的要請がなくても、劉邦には王朝の始祖となる必然的理由を見つけたいし、ライバルの項羽は強くいてほしいし、天下統一過程にはヤマやオチやイミがほしい。
『史記』の提示する項羽本紀・高祖本紀がその期待に応えてくれるなら、能動的にだまされに行っている。それに、気づくことができました。
漢帝国の成立は、項羽殺害で完了(完了せぬまでも、目途が立った)というのが分かりやすい構図で、『史記』に採用されていますが、実態は違うようです。
統一秦のシステムが壊滅し、旧戦国の権威が無効と判明したものの代替案なし。韓信・彭越はライバルとして残っていると。楚漢戦争史観、恐るべし。

過去の事実は、歴史叙述を経由してしか、つかむことが出来ません。しかし、歴史叙述を経由してしまうと、過去の事実をつかむことができません。……というジレンマについて、考えさせられた本でした。180521

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