雑感 > 後漢末の「官職」緩和政策のこと

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1.ギリシャの財政破綻と後漢末

なんの脈絡もないですが、
『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』のp96-p104から思いついたことを書きます。このサイトは三国志を扱うので、左派とか右派とか、どちらかを支持するというような話ではありません。
近代国家が発行する自国通貨が、漢魏の皇帝が発行する官爵に似ているというのが、ぼくの考えです。それならば、近代国家の財政・金融政策の話を、漢魏皇帝の官爵政策に流用できるのではないか、という話をします。

参考にした本より抜粋

◆「無からお金をつくり出す」?
近代国家では、
景気回復のために、財政出動(国が、公共事業・補助金・減税)せよという主張がある。財政出動とは、要するに国がカネを使い、国の経済にカネをたくさん出回らせること。そのカネは、どこから来るのか。国債を発行する。つまり、国が借金をして、そのカネを配れということ。
するとよくある批判として、「財政出動の財源を借金でまかなったら、財政破綻する」という批判がある。「財源がない」ことは、財政出動に反対する理由となる。

ケインズの時代も、「不況で税収がしぼんでいるから、財政均衡しろ(国の借金を増やすな)」と言われた。それを実行して経済危機になったのが、ワイマール時代のドイツ。反対に、アメリカはニューディール政策(財政出動)したが、財政破綻・悪性インフレが起きなかった。

財政均衡と財政出動が、反対語。国の支出を減らすのが、財政均衡。増やすのが、財政出動。財政破綻は、国が借金をしすぎて、破産した状態。

政府は、財政破綻を引き起こさず、かんたん財源確保できる。財政出動のお金は、中央銀行が金融緩和で、「無から作り出す」。中央銀行が、お金をどんどん刷って、バラまく。
なぜ、どんどん刷れるか。金本位制を辞めたから。
ケインズ主義政策の前提は、金本位制を辞めること。

金本位制は、一定量の通貨を持っていくと、中央銀行が、規定の分量の金貨と交換してくれる制度。中央銀行にある金貨の量は、どうしても限界がある。世間に出回る通貨量は、中央銀行にある金貨量に制限される。

金本位制のもとでは、中央銀行が、「不況だから、通貨流通量を増やしましょう」と言って、ばんばん通貨を発行することができない。1930年代、各国は金本位制を停止することで、中央銀行が持っている金貨量に制限されず、金融政策として、通貨を発行しまくれた。

しかし、中央銀行といえど、なんの取引も経由せず、街角で、通貨をばらまくことはできない。政府の国債を買いとって、通貨を配る。
つまり、政府が借金証書を新たに書き、それを中央銀行が受ける代わりに、政府に通貨を渡す。政府は、こうして得たお金をつかって、公共事業・補助金・減税を実行する。
……すると、「それも政府の借金だ、財政破綻のリスクが高まる」という人がいる。しかし、国の借金は、ふつうと違う。今回の借金は、中央銀行に対する借金。

日本の場合、大半の借金は、外国から借りているのではない。
日本の財政法で、「日銀が政府から、直接に国債を買いとることは禁止」と決まっている。だから政府は、民間の国内銀行に国債をわたして、国内銀行から借金していることになっている。しかし、このように政府が国内銀行にわたした国債を、日銀が国内銀行から買いとっている。だから、債券市場を通して(国内銀行を介在させ)いるが、実態は、政府が日銀から借金しているのと同じ。

AさんがBさんから、借金をするのは禁止!だとする。そこでAさんは、まずCさんに借金証文を渡して、Cさんからお金を借りる。Cさんは、Aさんに対して、「借金を返せ」と、取り立てる権利を得る。だって、Cさんが貸したのだから。
やがて、Cさんは、Bさんに取り立ての権利を売る。すると、Aさんに返済を督促にいくのは、Bさんである。これって、AさんがBさんに借金をしているのと同じだ。「禁止!」という規則は、無力化していると。

国債の四割は、日銀がもっている。やろうと思えば、日銀は、さらに国債を国内銀行から買いとることができる。

ポイントは、政府の日銀に対する借金は、期限が来たら借り換えをして……永久に先送りが可能だということ。事実條、好きなときまで返さなくてすむ。これは合法。
返済期限を無限に先送りにしても、政府は日銀に、利子分を支払わなければならない。しかし日銀は、利子の収入を「国庫納付金」として政府に戻している。事実上、利子がないのと同じ。
政府が中央銀行からした借金は、ふつうの借金とはちがう。

適切な経済成長な促されて、税収が増加するタイミングまで、政府は返済期限を延長することができる。アメリカやイギリスなど、戦後の先進国で、債務を完済した(出回っている国債をゼロにした)国はない。
なぜこれが問題にならないか。GDP比の割合が小さくなっていったから。戦後の経済成長で、GDPが成長する速度のほうが、国債が増える速度よりも大きかったから。

「日銀が持っている国債を、期限がきても借り換えする」というと、その場しのぎ、怪しげに見える。だが、経済において普通の手段。
世間に流通している通貨は、いったいどこから来ているか。日銀が、なんらかの資産を買って発行している。というか、日銀は、なにかを買わないと、その代価としての通貨を発行できない。ヤミクモに、街頭で1万円札を、道行くひとにティッシュのように渡すことはできない。
日銀が買っている資産の中心が、国債。
すると、世間に通貨が出回っているならば、そのウラで、日銀の金庫に、その分の国債があり続けている。
国の借金をすべて日銀に返すということは、世の中から通貨が消えてしまうことを意味する。世の中を回すために必要な通貨量と、同じ分量の国債は、政府が返さずに、永久に借り換えをして、日銀が持ち続ける(日銀に借金をし続ける)のが当たり前。

景気が過熱して、インフレが進んだとき、日銀が通貨を吸収する(通貨を受けとって、代わりに国債を吐き出す)ことがある。このとき、民間に売られる国債や、借り換えを停止する(政府が借金を返す)国債だけが、普通の借金と同じになる。つまり、政府が金利の支払をしたり、返済が求められたりする。
日銀は、デフレのときは、国債を買いとって通貨を発行し(買いオペ)、インフレのときは国債を売って通貨を回収する(売りオペ)。こうして日銀は、供給される通貨の量(マネー・サプライ)をコントロールする。これが金融政策。

金融政策(マネタリー・ポリティクス)のなかでも、通貨供給量を増やして、金利を下げ、民間の需要を喚起するものを「金融緩和」という。「量的緩和」は、「金融緩和」のすごいやつ。政府が発行した国債を、日銀が間接的に買いとってお金を刷れば、財政出動の原資になる。
これは、「無からお金をつくってバラまく」である。1930年代のニューディール政策でも、金融緩和がおこなわれた。
作り出したお金を、国民(人民)のために使えば、コービンの「人民の量的緩和」になる。同じこと。

◆ギリシャはなぜ財政破綻したか
ギリシャがユーロに加盟していて、自国の中央銀行を持っていなかったから、財政破綻した。自国通貨がなくて、統一通貨ユーロだけがある。すると、ヨーロッパ中央銀行(ドイツのフランクフルト)の方針に縛られる。EU各国の意見を調整しないと、金融緩和ができない。
ぎゃくに、日本はギリシャのようなことが起きない。日本にも一応、「中央銀行の政府からの独立」という建前があるが、債券市場を通じて(国内銀行を介在させて)政府が日銀から借金をしている。
債務を先送りする政策を、積極的に行おうとすると、日本でジャマをするのは、プライマリーバランス(財政収支において、借入金を除く税収などの歳入と過去の借入に対する元利払いを除いた歳出の差のこと)をやたらと気にする財務省の圧力と、「日銀の政府からの独立」という建前だけ。

一方、EUの中央銀行は、各国から、建前ではなく!本当に「独立」している。ギリシャが国債を発行し、EU中央銀行に買ってもらうと、本当に返さなければならない借金になっている。
ギリシャが財政破綻したとき、「EUが変わらなければ、借金を踏み倒す」といった財務大臣がいた。中央銀行の意向が変われば、ギリシャは財政破綻を起こさずにすむと知っていた。

後漢末の「官職」経済

本からの引用が長くなってしまいました。三国志の話です。
献帝と曹操は、どのような状況にあったか。漢魏革命は、なぜ断行されたか。なぜ魯粛は孫権に、みずから皇帝になるように勧めたか。その理由を、財政・金融政策から得たインスピレーションに基づいて、分析してみます。

◆官爵経済が健全な時代
もともと後漢の統治が健全なときは、後漢が発行する官爵が、正常に流通していたんです。
もちろん、汚職とか、宦官の宗族による独占とか、売位売官とか、そういった流通過程でのトラブルはありましたが、「後漢の官爵には、正当性がない」、「後漢に地位を保証されても、支配の拠り所にならない」ということは起こらない。
後漢の支配の正当性を否定するのは、辺境にときどき現れる自称「皇帝」とか、黄巾党のような革命勢力でしょう。
しかし、彼らが主導権を持つことはない。遅かれ早かれ、鎮圧される。鎮圧のプロセスで、苦戦することはある。これは、局地的なトラブルであって、後漢そのものが揺らがない。

なぜ後漢の正当性が揺らがないか。光武帝が武力で天下統一したという事実が、根底に共通認識されているからです。
光武帝の功績という「原資」があって、それを分け与えたものが、後漢の発行する官職の有する職能です。光武帝を頂点とした人々の秩序が、後漢の発行する爵位のもつ権威です。

まるで、中央銀行の金庫に、しこたま金塊が蓄えられていて、それを根拠として通貨が発行される、金本位制に似ている。


◆官爵経済の停滞
董卓政権以後、天下が分裂した。
「ライバルとの戦いで勝ちぬくため、もっと高い官位がほしい」と、官位の奪いあいが激化した。太守・州牧は、とくに争奪の対象になった。
みんな、官位を持ちっぱなしにするから、「献帝が任命しても、前任者、もしくは現地の武力集団に妨害されて、着任できない」といった、膠着状態が訪れた。

漢王朝の権威低下が観測されると、
地方支配ができる地位の価値は、時間とともに上昇する(と期待される)。ますます群雄は、その地位を保有したままになる。

金利が上昇すると、みなが通貨を選好するのと同じ。

献帝が、「官職を解く、中央に帰ってこい」と言っても、命令を聞かない。
劉焉のように、赴任地で独立勢力になってしまうと、官職が流通しなくなる。みんなが官職を貯めこむから、流通しない。手放すと、二度と入らないらしい!と思うから、ますます手放さない。……という状況が循環的・連鎖的に再生産される。

不況になると、みんなカネを貯めこむ。カネを手放したがらない。すると、景気が停滞する。ケインズ的な政策の出番となる。

地方長官が殺しあったり、戦争によって地位をねらうのは、「流通していないから」です。これが、後漢の平時なら、数年たてば、ローテーションされた。殺しあう必要はなかった。まして、戦争の必要など、だれも認めていなかった。
ローテーションの期待が薄れると、みんな貯めこむ。

官職流通が停滞すると、何が起きるか。
だれも献帝の言うことを聞かなくなる。つまり、地方割拠が確定する。

以下、「不況になると、政府の税収が低下する」を当てはめたい。

献帝が、官職を任命する権限を失う。

これまで後漢皇帝は、官僚を任命して、その権限を官僚に行使させることを通じて、ウワマエをハネて、後漢の支配強化を代行させていた。

政府は通貨を発行し、その通貨をつかって経済活動を行わせることを通じて、ウワマエ(法人税など)をハネて、歳入としている。
国家は、通貨発行益(シニョリッジ)を得る代わりに、通貨の信頼性を担保しなければならない。つまり、「今日は使えたが、明日は使えない」と思われることを防ぐ。モノの値段に対して、通貨の価値が暴落する(インフレする)ことを防がねばならない。防ぐというか、「防げる」と思わればならない。
このあたりは、「だれも見向きもしない種類の暗号通貨」に通じる。通貨の発行者は、発行益をえるでしょう。しかし、安定的に使い続けることができる、と思われねばならない。相対的な価値(ほかの通貨やモノの値段との交換比)が安定している、と思わせなければならない。これは、通貨発行者の責任と義務です。

献帝が、官僚の任免権を円滑に行使するには、「献帝の発行する官位の価値が、安定している」と思わせなければならない。
安定の期待があればこそ、献帝の言うとおりに赴任し、帰任し、後漢の支配に加担してもいいと思う。献帝にウワマエを差し出してもいいと思う。
状況が変わり、
献帝が任免権を行使できなくなると、献帝のために、赴任・着任し、後漢の支配強化に加担する人がいなくなる。つまり献帝に、ウワマエが入ってこなくなる。後漢の支配領域が縮小する。

うまく説明できた気がします!

董卓・李傕政権が、この状態です。

◆官職の「緩和」政策
献帝(というか李傕政権)は、官職の流通を促進したいから、高位高官を濫発した。「高位高官を発行してあげるから、こっち向いて。無視しないで」という、存在感のアピールでもある。
ばらまきにより、官職の流通を促進し、なにを狙ったか。
献帝のもとに権限が戻ってくるはずだった。

一定年数で、配置転換(地方長官の鉢植え)をすることで、在任者に対しては「解任」の強制力を発揮できる。新任者の着任が可能であれば、「任命」の強制力が発揮できている。
詔で解任したのに、現地に居座ろうとしたら、討伐する。実際に軍隊を出さなくても、「勝ち目がないから、退こう」と思わせることができればよい。新任者が、詔を帯びて着任したとき、詔の威光により、前任者もしくは在地有力者を排除できるなら、献帝だけが任命権がある!証拠になる。
しかし、董卓・李傕政権の時代、そうではなかった。荊州刺史が孫堅に殺され、劉表の着任は単騎でおっかなビックリだったように、献帝の言うことは聞かない。

それでも献帝は、官職をじゃんじゃん発行するしかない。

財政出動に似ている。国債を発行して、日銀に買いとらせる。こうして得たお金(新たに発行したお金)で、経済政策をやる。公共事業や給付金を出しまくって、みんなが通貨を手放すのを促す。貨幣の流通性を上げなければならない。

どれだけ発行したら、これだけ官職(貨幣)が流通する、つまり献帝の支配が正常化する(景気が回復する)という、明確な指標があるわけではない。人々の期待に働きかけるしかない。
現職に居座り続けるより、献帝の任免命令に従って、さまざまな官職をローテーションするほうが有利である、という世論を作らなければならない。むしろ、現職に居座ると、その椅子が腐っていく……、立場が価値を失っていく、官僚人生に失敗する、という恐怖感を与えねばならない。
しぶとく現職に居座った人を罰する、くらいの勢いが必要。

まさに金融緩和、そのまま。マネタリーベースを引きあげて、金利を下げる。先週でてきた、日銀の指値オペもそう。マイナス金利も狙いは通じる。


◆献帝の「官職」財政赤字
無節操に官職を発行しまくると、デメリットもある。献帝は、彼自身が持っている権力以上の権限を、配布したことになる。

財政のバランスが崩れた状態。歳入以上の国債を発行して、公共事業などをやったら、こうなる。

端的に言って、赤字です。「責任とれるのか?!」という話。
自分が、1州か2州にしか、支配を及ぼしていないにも拘わらず、天下13州の長官を任命する権限があるのか?というお話です。

もともと、「光武帝の功績によって、天下が武力統一されている」という裏づけがあって、後漢の官爵の秩序体系が決まっていた。
当時、献帝(李傕政権)は、その拠り所を失った。長安周辺しか、支配できていない。実態に合わせるならば、発行できる官爵の量は、応分に減らなければならない。たとえば、後漢の王国のように「相」を1人だけ置くとか。
ところが、三公が6人いるなど、やっていることは、まるで逆!!

献帝(李傕政権)は、支配領域の広さ・暴力装置の強さ(軍事力)と切り離して、好きなだけ官爵を発行していると言える。

経済の停滞を受け、金本位体制を停止して、金融緩和をするのに似ている。

金融政策的なブレーンがいて、このように、「実行支配_本位体制の離脱」とでも言うべき政策が採られたのか。もしくは、李傕たちが官爵を奪いあって、張りあっているうちに、このようになったのか。

金融緩和の狙いは、通貨の流通量を増やして、貨幣価値を下げること。貨幣価値を下げるという目標が先にあって、金融緩和が行われる。
李傕政権の場合、三公九卿クラスが濫発され、官職の価値は下がった。ひらたく言えば、「ありがたみ」がなくなった。流浪したり、盗賊に殺されても仕方ないようなポジションになった。
官職の価値が先に下がって、あたかも「金融緩和」と類似的な状況が生まれた、という順序で説明すべきかも知れない。すると、「官爵の価値を下げて、もっと官爵が流動するように、ジャブジャブと官爵を発行した…」という説明は、成り立たないか。先後関係は、分からないし、金融政策でも難しいところなので、にわかに答えは出ない。


◆「官職」財政赤字の容認
献帝は、暴力装置がないくせに(領土が小さく、弱っちいくせに)官職を発行しまくる。これを、「無軌道だ」と批判する識者は、きっといるはずだ。
では献帝は、発行しまくっている官位が帯びているパワーの源泉を、どこから「借りて」いるのか。献帝自身にパワーがないくせに、他人にパワーを配りまくっているというのは、おかしい。赤字である。

税収が少ないのに、国債を発行しまくって、通貨流通量を増やしている政府に等しい。金融政策における、「政府」「中央銀行」は誰なのか、という問いを立てねばならない。ただし、現代日本も、政府と日銀は、建前上は分離しているが、サイフを分離して捉えることに意味がないと、上の本にあった。
後漢の場合は、そんな建前をはさむ余地もなく、明らかに「政府」「中央銀行」は分離していない。献帝が一人でやっている。

献帝がパワーを借りているのは、未来の後漢からです。
いつか、後漢の支配が、再健全化して……つまり、後漢皇帝の武力支配が回復したら、そのときにツジツマを合わせればよい。天下を統一的に支配し、さらには東西南北に領域を拡大しているかも知れない。

そのとき、配りすぎた官位を引きあげ、代わりに(肩書きを昇格させて、官僚をローテーションでもさせ)本当のパワーを付与してあげればよい。
後漢そのものが、強くなっている設定だから、そういった論功行賞が成り立つ。というか、後漢そのものが強くなるまで、こういった論功行賞をしないのだから、失敗するわけがない。なにも間違ったことは言ってないですよね。

景気が回復して、税収が回復したら、政府が国債をひきとる(借金を精算する)のと同じ。肩書きを昇格させるのは、金利分の上乗せのイメージ。


◆後漢の「官職」財政破綻
弱っちい献帝が、未来の強い献帝から、精算を無限に先延ばしできるパワーを借りてくる。そのパワーを分割付与して、官職を発行しまくる。
このようにして、濫発された官職が、群雄に与えられる。献帝は、やや強引にでも、後漢の官職を流通させようとする。後漢の官職経済を、回復しようとしている。

一見、危険ですけど、
弱っちい献帝は、無期限の借金(パワーの前借り)を、未来の強い献帝からできるため、心配がない。第三者から、パワーの取り立てをされる心配はない。

日本政府が、日本銀行から借金をしても、心配ないとされるように。

いつの日にか、漢王朝が復興したのち、ツジツマを合わせればいい。

献帝がパワーを借りているのは、特段に不健全とも言えない。
なぜなら、完全に精算する必要はないから。
「完全なる精算」とは、献帝がすべての官職を解任し、献帝ひとりが、全土を直接統治する状態。そんな状態は、誰も望んでいない。現在は、「ちょっと官職を、発行しすぎている」という、過渡期的な状況というだけです。官職発行の度合いが、ちょっと強いだけ。なんの問題もない。

「完全なる精算」とは、日本政府が、日銀に預けている国債をすべて引きあげた状態。すると、日本から「日本円」という通貨がゼロになる。それは、いかに財政が健全化していても、目指すところではない。
もともと漢王朝(に限らず)の皇帝は、ひとりで直接統治ができないから、官職を授けて、統治を「委任」している(日本政府が、日銀に国債を預けて通貨を発行し、日本国内に日本円という決済手段を提供している)。官職をゼロにするのは、ゴールではない。官職の発行は、多寡の程度問題。

漢王朝が無限に存続するという諒解があり、自己完結しているなら、問題なし。

日本円が「安全資産」なのは、外国から借りているカネが少ないから。財政がどれだけ赤字でも、その借金を返す相手は、国内にいる。すると、安全なんです。もしも、日本国債の大部分が、外国に保有されていたら、危険になってしまう。日本国債を投げ売られて、暴落したら、危機。
アメリカの仕掛ける貿易戦争に対して、「中国がアメリカ国債を投げ売ることで、対抗するのでは」という推測がなされた。すると、アメリカはダメージを受けるらしい。


◆後漢の官爵のデフォルト(債務不履行)
「官職」緩和政策が有効なのは、いつ実現するか分からないにせよ、「未来の強い献帝」が登場すると、みんなが思っている場合だけです。
後漢の滅亡が予期され、「未来の強い献帝」なんて、絶対に現れないよ!って思われたら、アウトです。

実際、どこまで魏に都合よく捏造されたか分からないが、漢魏革命の予兆を告げる怪異は、桓帝の時代から現れていた。
後漢の官職が、発行過剰になると、官職の価値が下がり(インフレが起き)、やがて価値がほとんどなくなることは、理屈としては予想される。

金融緩和によって、通貨の流通量を増やすとき、「悪性のインフレが起きたら困る」と懸念する識者は、つねに存在する。


岩井克人『貨幣論』にあるように、なぜ通貨が流通する(価値があると見なされる=代価として支払い、受けとってもらえる)かというと、みんなが価値を認めていると、みんなが思っているからです。自分が、通貨の最後の受取手だと思ったら、だれも受けとらない。
漢王朝の官職を受けとったものの、支配の実効性がない、官僚としてのキャリアアップにも繋がらないと見なされれば、だれも受けとってくれなくなる。献帝が、「きみを司空にする」と言っても、司空の実態がなければ、だれも受けとらない。と同時に、「漢王朝の司空」の価値は暴落する。180731

貨幣の場合、貨幣と交換できるもので、価値が測れる。交換できるものが減ると、インフレである。官職の場合、行使できる権限の大きさで、価値が測れる。権限が小さくなると、インフレである。
岩井克人氏が、インフレを心配していたように、この恐れは、つねに付きまとう。

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2.「官職」財政の破綻と三国鼎立(作成中)

後漢が、過剰な「官職」緩和により、官職の価値が暴落しそうになった。
つぎに分析すべきは、曹操政権です。でも、まだ図式化が完成していないので、さきに孫呉の話をします。

孫呉が皇帝を目指した理由

後漢の献帝期(董卓・李傕政権)で、王朝が傾きながらも存続できたのは、献帝が、「未来の強大な献帝のパワーを前借りする」というフィクションによって、当時の実行支配力を上回る官位を発行したから(既述)。

政府と中央銀行が、建前上は独立しているが、じつは一体だから。


では、後漢以外では、どうなるか。
孫権集団は、孫権が秩序を構築するために、大量の官職を必要とした。ポジションの数が必要だし、ポジションの階層性(層の厚さ)も必要だった。
新興勢力である孫権は、官職によって秩序を作るために、彼のところでも「官職」緩和をしたかった。

孫権が官職を発行するには、「孫権国債」を発行して、それを「献帝中央銀行」に納めて、「官職通貨」を取り出す必要がある。孫権は、「官職通貨」を大量に必要としているが、そのために「孫権国債」を発行しすぎると、財政破綻する。

ギリシャは、自国の金融政策をするために、国債をEU中央銀行にたくさん納めて、ユーロを引き出そうとした。結果、財政破綻した。

孫権は、財政破綻を回避するために、流通させられる官職が限定され、政権のサイズが限定された。

魯粛が孫権に「皇帝になれ」と言ったのは、献帝がやったように、「未来の自分から、パワーを借り放題」という状況を作りたかったから。……と分析することができる。

以下、作成中

パワーの貸し主が、「未来の献帝」から、別の誰かに変わった(と見なされた)らどうなるか。つまり、献帝の「借金」が、未来の献帝からのものではなく、たとえば、曹操からの借り物だと見なされたら、どうなるか。
つまり、献帝が官職の発行者という「建前」が維持されたまま、官職発行の政策判断は、献帝とは別のもの(曹操)が行うようになったら。

金融政策における、中央銀行が、政府から独立した状態です。ギリシャです。対外債務が膨れあがっているが、通貨の流通量を自分でコントロールできない状態。


まだ比喩がうまくいかないですけど、政府と中央銀行を、献帝と曹操のどちらに当てはめたら、うまくいくのか。

ギリシャは、EUに加盟することで、自前の中央銀行を持たなくなった。政府と通貨発行主体が分離してしまった。すると、政府の財政赤字は、返済義務が「現在」に生じてしまった。通貨量は、ギリシャの都合ではコントロールできない。EU全体の意思が反映される。EU全体が、通貨量の引き締めをすると、ギリシャで流通するユーロも減少する。もし、ギリシャ(だけ)景気が悪く、金融緩和(通貨量の増加)を必要としていても、それが許されない。

ギリシャと同じような、政府の財政政策と、中央銀行の金融政策が、噛みあわなくなった臨界点を、漢魏革命に持ってきたい。

「現在の献帝」は、「現在の曹操」に、借金を返済できるのか。破産しないのか。せめて、金利分だけでも、払えているのか。

曹操政権においても、献帝が必要とするのは、李傕政権と同じ。官職の流通量を増やす、「官職緩和」である。漢室の官職を、じゃぶじゃぶ発行して、みなに受けとってもらいたい。しかし曹操は、三公を丞相に統合するなど、官職の引き締めを行った。
ただし、任命者は献帝、という建前は崩されていない。

現代日本の円は、日本政府(政策の決定者)から、日本銀行(通貨の発行者)が「独立しているという建前」である。後漢末の官職は、曹操(政策の決定者)から、献帝(官職の発行者)が「独立しているという建前」である。この「建前」がポイント。実質は一体だが、制度上は分離されている。しかし、本当に分離されてしまうと、ギリシャの財政破綻のようなことが起きる。



献帝としては、曹操に対する、返済の意志と能力を示さなければいけません。それが、魏公・魏王の地位です。
他国から借金をしたらら、漢魏革命

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