両晋- > 『晋書』を翻訳しながら考えたこと

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赫連勃勃載記を読む

『晋書』の赫連勃勃載記を、読みたいと思ってるんですよねー。三崎良章先生の『五胡十六国』を読んで、面白そうだった国を順番に攻略したい。①『晋書』の最終巻というのが気になる、②カクレンボツボツという名前が面白い、③三崎先生の本で、北魏になりそこねた征服王朝のプロトタイプって感じで。
『晋書』赫連勃勃載記を読んでるんですが(無謀ですね)、三崎良章『五胡十六国』では勃勃登場までの前史を詳しく書いてましたが、『晋書』ではかなり省略されてます。きっと『北魏書』劉虎伝を読まないと、全貌が分からないようになっているんですね。取りあえず必死に『晋書』の字面をなぞります。

東晋で「禅譲を受けるために(目的)、敵国を討伐する(手段)」ていう解説がなされますけど、これは、曹操が、敵国を討伐したら(原因)、禅譲を受けることになった(結果)というのが、ねじれたかたちで、歴史の先例になったのだと思います。人は往々にして、いろいろ取り違えます。
断代史という言葉があります。『後漢書』には「曹操伝」がなく、『三国志』には「司馬懿伝」がなく、『晋書』には「劉裕伝」「北魏載記」がないので、結局は単独で全体像が分からない(そこが楽しみどころでもあります)。『漢書』は詳細な「王莽伝」を有するので、遡ってみるとすごいなと思いました。


赫連勃勃は祖国が滅ぶと、後秦の姚興を頼り、軍と領地を与えてもらったが、一転して裏切り、後秦の領土を侵略。盛大に掠奪をした帰り道、後秦の軍に追撃を受けると、反撃して数万を殺し、しかばねで京観を築いて、「髑髏台」と呼びました(晋書 勃勃載記より)。なんて非道。なんてネーミングセンス。

赫連勃勃は、鎧を製造させ、強度テストをして、矢が貫けば鎧の製作者を殺したし、矢が立たなければ弓手を殺した。必ず死人がでる強度テスト。「矛盾」の故事の進化形。
赫連勃勃は、城壁をカチカチに作らせ、もし錐を城壁に突き刺すことができれば、工事担当者を殺して、壁に塗り込めた。品質重視!!」
赫連勃勃による鎧の強度テストは、弓手に手加減をさせず、テストの信頼性を上げることができる。城壁に工事担当者を埋めこんだら、その部分の強度が落ちそうなものだが、要するに手抜き工事への牽制である。殺すことが目的ならば狂人的暴君だが、製造品質へのこだわりが目的だから、むしろサイ○パス。
『晋書』赫連勃勃載記に「凡そ工匠を殺すこと數千、是を以て器物 精麗ならざる莫し」とありますから、工事スタッフや職人を殺しまくって、犠牲者は数千人に及んだわけですが、徹底的に品質を追究した赫連勃勃のやり方は、いちおう当面の目的を果たせたわけです。国家が長続きするとは言ってませんが。

三国志ファンは多かれ少なかれ、「漢王朝」の永続を意識しているので、劉備・劉禅が失敗しても、前趙の劉淵・劉聡には夢を託しがちで、明代に『三国志後伝』が生まれました。東晋末の赫連勃勃も、劉淵・劉聡と同族で、祖先は劉氏でした。東晋やライバル北魏を圧倒するファンタジーが読みたいです(笑)
赫連勃勃の姓は、赫々と天に連なる(はっきりと天に連なる=天子である)という、正統性の表明。種族は、鉄弗(テツフツ)匈奴とされるが、拓跋(タクバツ)鮮卑の音と似ている。種族名にちなんでか、勃勃は嫡統以外を、鉄伐(テツバツ)氏と名乗らせ、鉄のように堅く、伐っても耐えるようにとした。

赫連勃勃が長安で皇帝になると、漢民族の教養人を徴したが、「我 今 未だ死せず、汝 猶ほ我を以て帝王と為さず、吾 死するの後、汝輩 筆を弄して、當に吾を何の地に置くや」と怒って殺す。これって、漢民族が歴史書で勃勃を正統皇帝として扱わず、叛乱者もしくは異民族として配置することへの抵抗感?200828

赫連勃勃の理解にあたっては、以下の電子書籍(PDF)が参考になりました。
徐冲(板橋暁子・訳)「赫連勃勃―「五胡十六国」史への省察を起点として」(勉誠出版)
http://e-bookguide.jp/item_peace/bs5852267903/

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後秦載記を読む

『晋書』姚萇載記に、「語は登傳に在り」とあり、苻登伝を見よってリンクが貼ってあるが、苻登載記ですよね。列伝と載記を、言い間違わないように気をつけるのが大変なのに、『晋書』ご本家が間違えるの、辞めてほしいです。編集を分担し、作業開始した時点では、姚萇や苻登も、列伝だったのかも?
『晋書』後秦載記を読んで思うのは「総集編」感が強いということ。登場人物のこと、トラブルや戦闘の経緯が、これを読むだけで読者に伝わるように作られていないんです。重要そうな人物や事件が、断片的にチラ見せされる。文としての意味は拾えても、いまいち史実を掴めた気分になりません。
別種の「総集編」は『資治通鑑』ですけど、これは完結した書物として成り立ってます。なぜなら、細かく記述できない人物や事件を、丸ごと削るから。取り扱うと決めた事件は、正史の原文をさらい調査し、さらに詳しく描いてゆく。だから「総集編」特有の不満、消化不良の後味は残りません。
歴史の各時点では、未来がどうなるか分からない。西晋が統一したから、魏書・蜀書・呉書はまとめられて、変な『三国志』になった。隋王朝が南北朝を統一したから、『晋書』は北朝前史を抱えこむ必要が生じ、載記という形式が設置された。ただし分量に制限があるので、変則的なダイジェスト版。

『晋書』後秦載記は、全4巻のうち2巻めがすでに姚興の伝記ですが、この人は晩年に赫連勃勃に一目惚れして、周囲の諫めを顧みず、勃勃を優遇しまくったせいで、北方領土を奪われて、実質的に後秦が滅ぼされるんですよね。早くも繋がってしまいました。テンションが上がります!

「五胡十六国vs東晋」は南北朝の前史ですが、南北朝時代のように南北が固定的でなく、中原の覇権は目まぐるしく変わり、東晋の関与が積極的な時期もある。境界線が息をするように変わる。北vs南という単純化の誘惑に打ち勝ち、いかに流動的な時代を、流動的なまま認識できるか。知の体力が試されます笑
むかし東晋の史料を読んだとき、不思議だったんです。悲願の洛陽奪還をしたのに、なぜカジュアルに撤退するのか…と。五胡十六国と東晋の境界線は、呼吸するときの横隔膜・腹膜みたいに、膨らんだり縮んだりするもの。固定的な「国境」にあまり意味はなく、諸勢力の流動性の高さを注視するのが大切。

諸葛亮の北伐がなかなか戦線を押し上げられなかったり、孫権が合肥新城で足止めを食らったりする感覚で、
五胡十六国と東晋の抗争を捉えようとすると、きっと読み違えるんでしょう。砂鉄(郡県の城)に磁石(有力武将)を近づけると、わーって帰順して、わーって解散する。磁石も入れ替わりが激しい。

後秦の宰相は、尹緯。「緯の性 剛簡にして清亮なり、張子布の人と為りを慕ふ」だそうです。張子布がお手本になる時代(笑)200828

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翻訳作業を効率化する工夫

訓読と現代語訳の「生産性」を高めるために試行錯誤してます。同じ種類の作業はまとめてやるべき(作業の種類をスイッチするコストは侮れない)という考え方ができ、すると、訓読を全てやってから、現代語訳を全てやったほうが早いという仮説は成り立つ。しかしこれは恐らく不正解。

良いか悪いかは別として(おそらく良くない)、史料の翻訳においてぼくが考えていることの比率は、文や漢字の意味を正しく理解することが6割、作業プロセスの効率化が2割、指や目や腰・首など身体の部位が、ぶっ壊れることへの心配と対策が2割ぐらいです。翻訳それ自体の比率がけっこう低いですねー。

訓読をするとき、頭のなかで文意を理解しながらやっている(さもなくば訓読はできない)。江戸時代の返り点をそのままテキストに起こすという「単純作業」ではない。その単純作業にすると、かえって効率が悪い。判読不能もしくは分かりにくい場合もある。返り点は、自前の訓読の補助、確認用が限度か。
訓読しながら脳内で組み立てられた文意があり、ぼくは現代日本語の母国語話者なので、その文意は概ね現代日本語のかたちで構築されているから、それをいち早くテキストに置換したほうがいい。そうすれば、想起、再構築をする必要がなく、「翻訳は1回だけ」で済む。

1文ずつ訓読と現代語訳を仕上げていくのは、文意の理解という意味ではベストだが、やはり、訓読と現代語訳は、作業の種類としては異なるから、スイッチのコストがかかる。これは否定できない。だから概ね1段落ごとに。訓読のときの文意理解を忘れないうちに手早く現代語訳をするのがベターかと。
現代語訳は、訓読のテキストをコピーして、それを置き換えながら作る。だが、どれだけ訓読の文字を流用し、どれだけを新たにキーボードで打ち直したほうがいいか、比率や場合分けは検討中。あまりに「文学的」な一節だと、打ち直さざるを得ないことがある。

原文と訓読は旧字(正字)、現代語訳は新字(いわゆる小中学校で習う字)にするというルールにしてます。現代語訳を作るとき、上から個別に打ち替えてて、これはベストではないか。しかし同じファイル上で一括置換をすると、次の段落の原文が、新字に化けてしまってNG。悩ましい。200828

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