雑感 > 趣味として歴史を学ぶということ

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01_生き方について悩んでいました

サイト更新が滞った理由

皆さん、ご無沙汰しています。…という挨拶をしたくなるくらい、サイトの更新が滞っています。
原因は2つありまして、1つめは、『魯粛伝』下が、思ったよりも作成期間が長期化していること。作品の方向性は明らかです。魯粛に、トレードをやらせてみよう、という話です。「何がやりたいか」も明確でして、迷っていません。いま、関羽との単刀会を書いています。なぜ完成が遅れているかというと、単純に作品が長いからです。平たく言えば、作業量が見込みより多くなってしまったから。作業というのは、つまり、小説の本文を書くこと、それ自体です。
上巻の1.5倍くらいの長さになっています。
作業量が多いこと、それ自体は、善でも悪でもないと思います。ただ、リリースが遅れていることは、生産者としては最悪なことです。失敗です。失敗ではありますが、それだけ「書きたいことがある」わけなので、悲観していません。あ、でも、発売予告を、たびたび破って申し訳ありません。もう少し、お時間をください。

『魯粛伝』上は、18年12月に発売。当初は、下巻を19年06月と宣伝しており、そのつもりだったのですが、間に合わず。19年12月と宣言しなおしたのですが、いまは、20年01月ですね。もう約束は破れないので、具体的な時期は言いませんが、もう終盤です。

『魯粛伝』すら完成させられていないのに、別テーマで次々と発信するのは、いかがなものか…という自主規制が掛かってしまい、サイト更新が減ってます。あくまで自主規制なので、余計なことかも知れません。

そして本題の2つめですけど、生き方の模索をしてました(笑)
今回は、その話をしたいなと思っています。
ぼくは、大学では文学部にゆき、歴史の勉強が好きでした。しかし、経済的な事情で、会社勤めを選びました。特殊な経歴などなく、平凡に、20代前半のことです。当時は(37歳となった現在に比べれば)持っている情報が限られており、より不完全な状況下の判断でしたが、この選択は、悪くなかったのかな…と思っています。
というか、「その選択が悪くなかった」という結論を導きだすため、意図的にバイアスを掛けまくって、生きてきたわけですから、この結論以外、あり得ないわけです。このように、バイアスを掛けるのは当然でして、なぜかと言えば、幸せになりたいからですね。幸福度を上げて、人生を送りたいからです。
打ちひしがれて、「ぼくの人生、大失敗だ。取り返しが付かない」と後悔していたら、こんなふうに、ネットに情報発信しているはずがありません。発信しているということは、一応の満足が得られ、形が整ったということです。そういう意味では、何重にも偏向した、客観性に欠く内容を、いまから書こうとしているわけですね。

想定する読者、そして結論

こういう文章を書くとき、想定する読者は、20代前半の自分です。
就職活動を始めた自分というのは、もはや「15年前の若者」なので、現代の若者とは違うでしょう。
ぼくは、会社員です。日常的に、学生とふれあう環境に身を置いているわけではありませんから、現代の若者のことは知りません。

職場には、ひと周り(12歳)下のひとがいますが、かれは職場の後輩であり、「ぼくよりも経験に劣る会社員」としてぼくの前に登場しています。かれのことは、会社員としては、ルールとマナーを守って接していますが、いま、ぼくが語り掛けたい相手ではない。

20代前半で、(おそらく正規雇用でアカデミック・ポストを獲得することが難しいとされている)文系学問に興味があるが、どのような進路を取ったらいいのか…という、20代前半の自分くらいに、教え諭したいと思います。
これをお読み頂いているのが、まさに10代後半~20代前半の方ならば、「時代背景が違うよ」と思うところは、置き換えて読んでください。それより年上のひとにも、参考にして頂けるように書くつもりです。

結論を先に書いちゃいますが、アカデミック・ポストにこだわらず、とりあえず、公務員なり一般企業なりに就職し(かならず正規雇用にこだわって)経済的な余裕を確保してから、勉強しても遅くないですよ。そのほうが、勉強が続けられる可能性がありますよ、という話をしたい。
逆説的な結論に見えますし、これが「逆説的に見える」という事態そのものが、若干、皮肉めいている気がしますが、ぼくが周囲のサンプルを見てきた範囲では、これが言えると思います。もちろん、上記のバイアスが掛かった上での結論です。

実家が資産家である、などの理由で、経済的な失敗が一切いらない、という方は、まったく当てはまらない話をします。あくまで、自分の力で何とかする…という話なので、そこはご了承ください。

ぼくと同じ生き方、結論を出したひとは、サンプル数がそんなに多くないですけど、同人誌をコンスタントに発行して、売上を伸ばしているひとと話し、確信を深めた内容なので、自分だけの話、すなわち、「サンプル数1」というわけではありません。とはいえ、再現性を保障した話でもないのですが…。200129

なぜ今、発信するのか

36歳~37歳ぐらいにかけ、けっこう迷走したんです。外的に見れば、同じ会社に勤め続けているし、まあ、おおむね大過なくやっているよね、という評価になると思います。貯金もコンスタントに増えました。しかし、かなり揺れた上での、偽装した平穏というか、むりに作り出した結果オーライです。

先週日曜、人材紹介会社に行ってきました。
人材紹介会社とは、転職希望者と面談したり、履歴書を見たりして、「転職するとしたら、どこに応募できるか」を見積もって、案件を紹介してくれるところです。

かれらは、転職を成功させると、採用した企業から、「転職者の年収の○%」という決められた報酬をもらいます。

かれらは、転職させること=利益の発生なので、転職をあおるという誘引があります。これを利用し、「もしぼくが転職するなら、どんな転職が可能ですか」と聞けば、喜んで教えてくれるんです。それが、正当な仕事の一部です。へんな期待を持たせず、「労働市場のことを教えてください。情報収集に来ました」といえば、後腐れなく教えてくれます。

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02_在野研究者でもない何者か

20年の8月上旬、奈良にゆき、三輪神社のご神体に登ったりする旅行に行きました。そのとき、奈良駅の喫茶店に入り、考えていることを連投したものです。200802

小学生のとき図書館で天皇とか、源平だの藤原氏だのの系図、年表を書き写したり、再構成してたときから、25年以上は歴史ファンです。大学は日本史学を専攻し、無双から入った三国志ではサイトを始めてからなら、13年くらい。自分が何者かというか、「何の人」なのか、分からずに来たんですけど、
生まれた家が、経済的にそれほど豊かでなかったことと、目に見える範囲で近親者に学者や先生がいなかった。学部卒で会社員を15年くらいやって思うのは、研究者とそれ以外のあいだあたりに、居場所を見つけたいと思うわけです。在野研究者というのとは、ちょっと違いまして、
というのも、
在野研究者というのは、語義の上では、対立的なものを組み合わせたものだと思うんです。研究者ではあるが、大学に籍を持たないのいう、限定や否定を含んでいるように思われ、不便ですし、ともすると大学を、敵視ではないが、対抗心を抱く相手として設定しがちな気がしており、それはしんどいことです。

在野研究者の先人が書いた本や、先人に関する本を読んでも、そもそもが矛盾や対立をはらんだ「肩書き」だからか、ムリをしてる人が多そうだし、そもそも再現性が乏しくて、エネルギー量やキャラクタが超人レベルに特異的でないと「務まらない」ように見えるんです、在野研究者というカテゴリー。

ぼくは大学に籍がないので、これは単なる(何の捻りもない)降伏宣言ですけど、研究をするなら、大学がベストな場所です。近年の大学がさまざまな問題を抱えているのは、当事者の発言から窺い知れますが、だとしても在野で1人でがんばることの限界に比べたら、別次元で優れていると思います、大学は。
在野研究者に否定的なことをさっき書きましたが、本当に優れた在野研究者って、この在野研究者って言葉がもつ矛盾した性質(大学に対抗的)を乗り越えて、大学とうまく関係を作ってる方々だと思います。
ぼくが批判しているのは、在野研究者っていう語感のほうかも。

ゼロカロリーコカコーラに似ている。
ゼロカロリーコーラって、それ自体が完結した飲み物ではなくて、高カロリーのコーラを飲んだ経験に近づけつつ、しかし太らないよっていう商品で、ぼくもよく飲みますけど、やはり亜流や派生品なので、アイデンティティをこんな感じに規定しても、人間は生きづらいし、成果も出にくいのではというお話。

もしゼロカロリーコーラに自我があったら、「オレは誰だ?」って苦しむし、つねにコーラや炭酸水を横目で参照しながら、オレのアイデンティティは?と悩むはずなんです。そんな状態で、長い期間、強靭なメンタルを維持し、腐ることもなく、高い成果を出し続けるのは至難。
そういうわけで、ぼくは、けっきょく中身は、ゼロカロリーコーラかも知れないけど、この飲み物に固有の名前をつけて、新しいラベルを貼るという、そういう人になりたいなーという、「まだまだ途中」のお話でした。長々とすみません。200802

ここで待ち合わせていた友人と合流。


平城宮の大極殿跡にいます。盛大に人と物とカネを投入して、数十年で放棄して、「ほんま、なんやってんや」と思いますけど、これは歴史の常でした(笑)

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03_前職の同期とお酒を飲みました

昨日は、前職の同期と居酒屋へ。13年ぶりぐらい。
三国志について、「お前は何がしたいの?誰なの?どこへ向かってるの?」と聞かれ、ぼくは「学者と三国志ファンのあいだを繋ぎたい、埋めたい」と、シンプルに答えることができました。
ブロガー?小説家?論文投稿者?翻訳の企画をする人?て感じで迷走の感があり。200903

学者とファンを繋ぐには、大学の先生に教わったり、自分でも論文を書けるだけの力が必要。しかし身分は、学部卒の会社員。かつて活動の中心であったウェブの更新は少なめ(またやりたいけど)。小説も書くけど、これは才能の中核じゃない。翻訳プロジェクトは何かの「手段」であるが「目的」じゃない。

どの分野も「興味を持ったが、そこから先は進み方が分からないし、古参ファンが恐そうなので、進みたくもない」となりがちなのが、今日だと思うんですが、ぼくが率先して恥をかき、古参ファンに「無謀だな」と思われたらいい。それにより全体が広がって緩み、みんなが発信しやすくなるといいなと。

ぼくの思う「無謀」とは、奇説や珍説、曲解かと思われるような史料の読み方をするという意味じゃないです(結果的にそうなることはありますが)。史料とか専門書との付き合い方として、そんなに果敢に取り組んでいいんだ…、という「遊びしろ」を広げるようなイメージ。うまく言えてませんね。宿題!200903

いらない横槍も、もらいました

1ヵ月ぶりに出社。『晋書』完訳プロジェクトの(中身は理解されないので)活動自体を話したら、変なことしてるねと。「お金を大損するかも知れない、企画運営は考えることが多すぎ、自分の作業量も膨大。会社の指示にさえ従っていれば絶対にお金が入るし負担も小さいのに」と。やりたいから仕方ない!200904

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04_学会配信後のおしゃべりから

昨日は三国志学会のyoutube配信をご覧いただきありがとうございました。企画運営の一部+午前の発表者として参加しました。先生方、スタッフ・発表者そしてご覧いただいた皆さま、ウェブ上で言及して下さった皆さまのおかげで大成功です。嬉しいです!
三国志学会の発表は楽しかったですけど、ランダムに巡ってくるボーナスみたいなもので、ぼくは、史料を粛々と読んで、現代語訳しているときが、やっぱり一番楽しいんですよね。モチベーションの問題で苦しんだことは、ほぼないです。活動の形をいろいろ作り出してるせいかもです(疲れることはある)

「問いを持つこと」
三国志に限らず、独学全般に言えること(もちろん三国志にも当てはまる)ですが、ファンになった後、情報の受信者・消費者から、発信者・研究者?に移るときの境界線は「問いを持つこと」。既存の発信者は無自覚に境界線をまたぐので、敢えて言うこともないので見落とされがち。
受信者・消費者が「下」で、発信者・研究者が「上」と言いたいのではないです。花とミツバチのどっちが偉いか?という問いが、意味をなさないのと同じです。
ともあれ、趣味の場合(仕事を除く)、全員が受信者から始まり、ときどき発信者になる人がいる、という順序は成り立っていると思います。

ファンは、好きになった事柄をひたすら収集します。ファン同士の交流は、好きな人物や国名の「連呼」に始まり、「連呼」に終わります。あちこちで目にしてきたことです。これも十分に楽しいのですが、連呼だけでは会話が膨らみづらく、これに飽き足らない場合、「問い」を持つのがオススメです。
ぼくは『三国志独学ガイド』で、好きな人物の記述を、ちくま学芸文庫の巻末索引で全部ひろってみることをオススメしています。今も同じ意見です。でもその後の説明がやや不親切。次に、その人物に関する問いを立てることの重要性、立て方を説明してないんです。なぜなら自分がおのずとやっていたから。

関係情報をひたすら収集しているうちに、おのずと問いが立ち上がる。「賈充賈充賈充!」と連呼し、名前の漢字を見てるだけで満足、という段階はいつの間にか通過し、例えば、「賈充は死に際に、自分の事績をどのように振り返っていたか?」という問いが生まれる。ここは無自覚でしたが、重要な局面。
「問いを立てよ」とは、問いが立たない人には、考えたこともないプロセスだし、問いが立つ人は、当たり前すぎて自覚しないプロセスです。学者のみならず、ネットの発信者も、何らかの問いを立てており、敢えて明文化せずとも、概ねつねに頭のなかにあるわけです。問いは「欲望」とも言い換えられます。
資料や書籍を見て、問いが生まれるわけですが、問いの良し悪し(問い続ける価値があるか否か)が問われるのは、学者だけです。他人が探究ずみ/探究しても仕方がない問いを、学者が追いかけるのは徒労です。
ただし、問いの査定・評価を受けるのは学者だけ。シロウトは問いがあること自体が尊いです。

ぼくの原体験は18歳のとき。大学1年4月の日本史の講義の直後、教壇の下に行き、「先生の話は、高校で暗記した歴史と一致しない。講義が間違っている」とクレームを入れたこと(笑)。以降、歴史資料に向けて問いを立て続けたのですが、みんな同じじゃないですし、問いを立てる営みに着目していきます。200918

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