『呉書』は、予定調和的な歴史書
満田剛先生の論文を読みました。
三国志街道というイベントで、お世話になっている先生です。
漢字は読める。言葉は理解できる。論理も理解できる。
論文では、シンプルになる以前の文字が使われてる。幸い、読める。
ただし、諸史料を緻密につき合わせておられる仕事には、
ぼくの興味がついていけませんでした。。
近道し、結論に飛んでしまいました。
シロウトとしては、陳寿と裴松之で読めない新史実に関心があるが、
その発見は、ちょっと難しいようでした。
まぼろしの列伝
とくに心にとめておきたいと思った指摘を、メモしておきます。
韋昭『呉書』は、
孫呉が天下統一することを前提として書かれた、
予定調和的な予言の書であるということ。
ぼくの言葉で表現すると、こうなる。
「いまは孫呉は、辺境に押し込められている。
でもきっと、孫氏が天下統一するんだ。
統一後、国づくりのプロセスを振り返り、歴史書にまとめたら、
きっとこんな感じの本になるでしょうね。
これまでの出来事は全て、天下統一の伏線だったことになるはずっ!
以上の設定に基づいて、紀伝体にまとめてみました」
何だかねえ、イビツな本だなあ。
満田先生の論拠は、『呉書』に立っていたであろう列伝。
劉虞、陶謙、董卓、袁紹、袁術、張繍など、
後漢の人物の列伝が『呉書』あったことが、裴註などから伺われる。
つまり、黄巾で混乱した後漢を助け、
孫呉がふたたび天下を治めた、という構成だろうと。
『呉書』がつくられた動機
上に見たような、いびつな歴史書の作成を命じたのは、諸葛恪。
諸葛亮に習い、北伐した人だ。
孫呉の「国是」を明らかにするために、編纂した。
ここでいう時代の終わりは、孫権の死ですね。間違いない。
『呉書』は、編纂スタッフがコロコロと代わる。
これは、派閥争いの結果。
「史才」がないと、スタッフから外された人は、じつは政敵だった。
韋昭も争いの渦中で、例外ではない。
韋昭は張温の派閥に属したから、敵である孫邵の列伝を立てなかった。
おわりに
ただのファンだから、ぼくには、検証不能な「妄想」が許される。
韋昭のかけた魔法を、解いてしまいたい。
つまり、
満田先生の指摘に拠れば、
韋昭は、孫呉に起きた雑多な出来事を、
天下統一の伏線にするために、いくらか歪めて書いています。
この歪みを除き、もともとの姿を暴露したい。
いま思っているのは、孫権は赤壁の降伏派だったとか。
先生の論文は「王沈『魏書』研究」もあります。読みたい。
ウェブじゃ読めなさそうなので、図書館に行かねばね。100405