表紙 > 旅行他 > 10年夏休みのテーマは、光武帝に決定(自分のなかで)

10年夏休みは、新末後漢初を知ります

自分用メモですが、
10年夏休みは、光武帝をやることに決めました。
ただし、見通しなき浮気ではありません。
「三国志を知るために、光武帝を知る」
この基本姿勢は、くずしません。
ひきつづき、興味の主軸は三国志にあります。なんとなく。

三国志サイトが、光武帝をやる理由

 ● 光武帝は、後漢末から見て、もっとも時代が近い戦争の模範
 ● 石井仁氏は、袁紹は光武帝の戦略を模範にしたという
 ● 光武帝の時代の群雄割拠も、おもしろそう

 ● 後漢末の群雄が「輔漢」を掲げたのは、光武帝のせい
 ● 光武帝が中興し、「漢室は永遠」という神話を裏づけた

 ● 赤眉と青州黄巾は似ていると、福井重雅氏がいう
 ● 光武帝のライバル、公孫述は、地理的に蜀漢の前例
 ● 鄧禹と魯粛が似ているらしいが、どのへんが?

以下の史料を読みます

いきなり拡げすぎても、迷子になるので、
今年の夏に読む史料を、いくらか絞っておきます。
脇役の列伝や、諸人の注釈でふくらますのは、
本筋のイメージを、頭の中に獲得したあとですね。

 ●『漢書』王莽伝:天鳳四年(後17年)から最後まで
 ●『後漢書』光武帝紀:建武十三年(37年)蜀平定の始末まで
 ●『後漢書』第一:劉玄伝、劉盆子伝(劉秀の旧主、皇帝候補)
 ●『後漢書』第二:王昌・劉永・龐萌・張歩・王閎・李憲他
 ●『後漢書』第三:隗囂、公孫述(ここまで群雄たち)
 ●『後漢書』第四:宗室四王三侯(劉秀の兄たち)

ここまで、こまかく見たら、
あとは列伝を、頭から順に、流し読みするイメージです。

紀伝体は、はじめにいる人ほど、重要な人物。
ぼくは後漢初に、ほとんど知識がない。本紀を中心に、徐々に衛星に移っていく。紀伝体が、読者に伝えようとした王朝の姿を、地で味わうことができる。幸せな夏休みだ。


いま『後漢書』の目次をみて思いましたが、
光武帝にからむ人の列伝が、とにかく多すぎる!
列伝は、第88までありますが、
光武帝の子供たちの列伝は、第35です。
子供たちの前まで、巻数の39%が光武帝のライバルと臣下です。

後漢は、建国をたすけた功臣の子孫が、高位につくことがある。子孫の列伝は、だいたいは功臣のあとに続く。子孫の列伝によって、功臣の列伝は、字数もふえる。巻数だけでも多いのに、、


後漢は、中抜きの王朝である?

蛇足ですが、もうひとつ。
列伝の第66は、董卓さんです。以後、三国の群雄。
群雄のつぎは、ジャンルでくくった列伝とか、異民族の列伝とか。
2代の明帝から霊帝の時代に、新設された列伝は、巻数で約30。
「光武帝がらみ:明帝~霊帝が抜擢した臣:三国初他=1:1:1」
いびつな王朝だなあ。中抜きの王朝である。

范曄の編集方針が、わざと中抜きに見せたということは、あるまい。もしそんな編集方針があったとしても、ぼくは思いついていない。学者による解説を、読んだことがない。


後漢という王朝は、
光武帝がしいたレールを、惰性で走ったのかなあ。
宦官を重要な仕事につけたのも、光武帝でした。
ほら、後漢末を知るため、光武帝をやる必要が、高まってきた!

吉川忠夫版でやります

この週末、ついに渡邉義浩氏の『全訳後漢書』を手に取りました。
とても勉強になりますが、上級者向きですね。
とおり一遍の本文だけでは、満足しない人向きです。
三国初ならまだしも、後漢初を読むなら、
今までと同じように、吉川忠夫版を片手に、初読いたします。

10年の夏休みに、袁術にかかわる一連の文章をまとめたかったが、
渡邉義浩氏が注釈した袁術伝を読まずに、書けまい。
(現時点で、まだ刊行されていないのです)
渡邉氏の注釈が出版されるのを待ちつつ、袁術論?を補強したい。
袁術論を補強する材料に、光武帝が使えると目星をつけました。
袁術を知るために、光武帝を知る。このウラ目的は内緒です。100802