「人格の問題」で片づけては、なにも分からない
島宗理『人は、なぜ約束の時間に遅れるのか』光文社新書2010
読みました。
これを、史料批判につかっていこうという話。
あまり参考にならない『後漢書』の記述
突然ですが、史料です。笑
術雖矜名尚奇,而天性驕肆,尊己陵物.及竊偽號,淫侈滋甚.
要約すると「袁術は性格が悪いから、皇帝を自称したんだよ」だ。
これは『後漢書』袁術伝です。
この叙述姿勢を、新書の著者・島宗氏は否定する。
ぼくが読書中に「似ているなあ」と思い出して、引っぱりだしてきたのです。
島宗氏が紹介するのは、行動分析学だ。
行動の原因は、環境との関係に求めるべきだとする手法。
心、人格、家柄、国民性、信仰、血液型、病気、馬鹿のせいにしても、
なにも分かったことにならない。
行動を決めるのは、行動の前後にある嬉しさ
行動は、2つのことで決まる。
●前:行動を引き起こすキッカケ、手がかり、出来事、条件、時間
●後:行動によって、なにがどう変化するか
行動する前について。
ひとが行動を起こしがちなのは、
嬉しさの度合いが大きいとき、すぐ嬉しいとき、
高い確率で嬉しいと期待できるときだ。
ほかにも、行動を起こしやすい条件はある。
自分の意思でやると判断した(と自分が思っている)とき。周りのみんなと同じとき。毎日やっていて、慣れているとき。手間が少ないとき。
本では、これらを系統的に分類していなかったが、だいたい傾向はわかる。
反対に、行動が避けられるのは、
嬉しさの程度、即効性、嬉しさの期待値がひくいときだ。
行動した後について。
嬉しいことがあると、その行動をくり返そうと思う。またやる。
悪いことがあると、その行動をやめようと思う。
行動をはさむ前後で、嬉しさが作用しあい、人の行動は決まってゆく。
与えられた環境・条件から、行動は計測可能であると。
島宗氏は、分析したい行動を中心に、連鎖する反応を絵に描けという。
すべての行動を、環境で計測する
「性格」「特性」なんてものは、ない。
ただ、その行動が、嬉しさを誘発してきたので、くり返すだけ。
もし環境や条件が変われば、おなじ人でも、ちがう行動をとる。
「傘を忘れる」という行動はない。
ただ「傘を持たないほうがメリットが大きい」もしくは
「傘を持たなくてもデメリットが小さい」という状況があるだけ。
「名前を間違える」という行動はない。「反省」も無意味。
「顔と名前が一致して、嬉しい」という条件づけが足りないだけ。
「マナーの低下」なんてない。
ただ「電車で人を押しのけるメリットが大きい」もしくは、
「電車で人を押しのけるデメリットが小さい」だけ。
環境を無視して、個人攻撃をしても無意味。
行動分析学と史料批判
新書の内容は、そろそろ終わりです。
史料批判のについて。このサイトの本題です。
よく史書を読んでいると、行動の原因を、人格に帰してしまう。
とくに愚行を責めるとき、この傾向がつよい。
はじめにご紹介した『後漢書』袁術伝が、典型例です。
これは、島宗氏のいう「思考停止」でしょう。
ぼくは思う。たしかに袁術は性格が悪いのかも知れないが、
それを言ったところで、史料の読解がふくらむわけじゃない。
おなじ史料を読んだ人と、袁術について議論が深まらない。
それより、
たとえば「袁術が皇帝を名のった」という行動の前と後に、
どんな環境や条件がそろっていたか、図を描いてみたい。
島宗氏はいう。タイランドの人は、一見すると、時間に超ルーズらしい。タイ人は、怠惰か。ちがう。渋滞がひどい交通事情や、家から出られなくなるスコールを勘定に入れると、スジが通るらしい。相手の行動が意味不明で、腹が立っても、レッテルを貼って、理解をやめてはいけない。だそうです。
徳島人が時間にルーズなのも、県民性ゆえではない。徳島の交通事情から、遅刻に合理的な説明がつく。環境は、行動をしばる。この新書のタイトルにたいする答えは、これなのです。あ、バラしてしまった。笑
ぼくは「性格」「特性」「心」を否定までしないが、
不可解な内面を想定したほうが、面白いと思うが、
議論する限りにおいては、測定可能なものを使う。この点、同意。
人物の分析(妄想)に、つかえる手法だなあ。
以上、とりあえず読書した直後の、メモでした。100908