法律家に学ぶ、シロウトの歴史の楽しみ方
三国志と関係ない本を読んで、三国志に役立てます。
荘司雅彦『事実認定の手法に学ぶ 法的仮説力 養成講座』
法律家の仕事が、史料読解に似ていると思うので、扱います。
本の概要
法的仮説力:ストーリーを組み立てる力
事実認定:証拠に基づき、できるだけ事実に近いストーリーを再構成
法律家は、争いになっている部分だけを復元するそうです。歴史家は、問題関心がある部分だけを復元します。やはり似ています。
ストーリーの材料は3つ。
物的証拠、人的証拠(証言)、経験則(人間心理)
3つめは、法律家と同じです。「人間ならば、こうするに違いない」と。あとから出てきますが、人間心理を、法律家はつよく信頼します。歴史学のプロが、論文で人間心理に基づけば、バカかと言われそうですが。笑
事実はどうせ分からないから、ストーリーを創作する
はじめに客観的な証拠のみで、ストーリーの仮説をつくる。人智のおよぶ限り、スキのない仮説をつくる。事実を認定することには、限界がある。分からないまま保留になることもある。
仮説をつくったあと、証言や自白を検証する。
はじめから、証言や自白を持ち込まない。証言や自白は、認識-記憶-表現-叙述のプロセスで、まちがいが起きる可能性があるから。
法律家は、確実性のたかい事実を優先的につかい、主観的な創作をする。過去の事実を再現するのではない。なぜなら、不可能だからだ。新しいストーリーをつくるのが、法律家の仕事。
しかし、100%の再現が不可能というのは、万人が諒解していること。この本の法律家のごとく、開き直れば、精神衛生には、よいに違いない。
目撃者の供述は、5つの理由であいまいだ。
観察力や記憶力がよわい。似た人はたくさんいる。日ごろから人間を見慣れているから、印象に残らない。視力や視野に、個人差がある。思いこんでしまう。
供述が、常識や経験則・合理性に合わないときは、矛盾を問いただす。密室で2人きりで起きた事件の証言は、客観的な材料がない。法律家は、とくに慎重にストーリーをつくる。
裁判所は、真実を再現できない。限定された証拠から、そのようなストーリーを作らざるを得なかったという、客観的な事実を示すべきだ。信頼を勝ち取る方法である。
証拠がないなりにも、経験則(人間の心理や行動)は、過去のものを使いまわせる。例えば。ものを盗んだ直後は、犯人は盗品を持っている。20センチの刃物で迫る人には、殺意がある。など。
分からないことは「ふつう人間なら」と憶測で埋める
物的証拠は、捏造をうたがう。
人的証拠は、伝聞だと信頼性がひくい。
人間行動(心理)は、時代に左右されず、不変だ。たとえばストーカーは、いちど保有した相手に対して、つよい愛着をもつ。心理学で人間は、たとえ同じものでも、自分が保有したものに2倍以上の価値をつける。これを保有効果という。など。
また、ずっと貧乏だった人が、突然に金持ちになったら、あいだに何かの作用が働いたと考えるのが自然。誰かから、お金を借りたなど。このように、証拠がなくても、間接的に事実をきめることを「推認」という。人間を知らなければ、推認はできない。
史料を読んでいても「のびそうな勢力」「うまくいきそうな主従関係」「孤立しそうな人物」などの間接的な証拠は、指摘できるかもしれない。歴史家の筆のクセを、取り除きつつですが。
おわりに
法律家と歴史家の仕事は、似ていると思います。
ただ違うのは、法律家は、なんでもいいから結論(裁判の判決)を下さなければいけないこと。歴史家は「これ以上は分からない」と云えば終わりだが、法律家は暫定案を作らねばならない。
ぼくら歴史ファンは、証拠不充分でもいいから、とにかく結論が知りたい、という志向を持っています。
失礼を恐れずに云えば、法律家に同じ。笑
なんの証拠もないことを、歴史学者の先生は口にすることはできない。でもシロウトは、暫定案でもいいから、結論をつくりたい。法律家の手立てを、借りられるのではないか。
歴史を妄想するならば、どうやるか。本日の教訓は以下。
どうせ過去の事実は復元できないと割り切る。客観的な証拠の限界をしめした上で、オリジナルなストーリーを示す。証拠がない部分は、人間心理や、自分基準の合理性
で埋めてしまう。
こんな感じで、三国志をたのしんでいきます。100702