表紙 > 考察 > 裴注がひく複数の本を、1つの話につなげてはいけない

『演義』からの卒業、を自任する人へのワナ

うすらボンヤリ?、感じていることをメモします。
正史『三国志』を読むときに、
裴注がならべる複数の本を、
無理やり1本に繋げて、1つの史実だと、理解してはいけない。

これを云いたいと思います。

裴松之をつなげる、あやまち

「正史に基づく」と、筆者が自任している文章で、
陳寿の本文と、裴松之の注釈した複数の本を、なんとなく1本につなぎ合わせて、史実だと紹介していることがあります。これは、絶対にダメだと思います。

ファンサイトだけでなく、市販の本ですら、この傾向があるかも。


たとえば、孫策の死にざま。
陳寿がくわしく書いてくれないから、裴松之の注釈がいっぱいついています。それらを、根拠なく集めてきて、1本の矛盾ないストーリーを作り、説明したがる人がいる。
裴松之は、『江表伝』『捜神記』『史林』『九州春秋』『異同評』『呉歴』なんかをひく。時期が重なり、微妙にお互いを補いあい、微妙にお互いに矛盾する本たちです。これを、つなげようとする人がいる。
やってはいけない。

これをやるくらいなら、文学としての『演義』を、純粋にワクワクして楽しむほうが、まだ「歴史学的に誤っていない」立場だと思う。


ちくま訳を読むときの、注意点

ぼくは思います。
孫策という人がいて、ある戦い方をして、ある死に方をしたのは、1つの事実でしょう。

孫策という人はいなかった、とか云い始めるとキリがない。そういう話は、今回はしません。しませんが、いちおう「客観的」っぽくするために、保留したっぽく書きました。笑

1つの孫策の事実に対し、孫策について書かれた本は、複数あります。上にタイトルを並べたとおりです。これらの本のあいだで、矛盾が生じますが、それは当たり前だと思います。1人の著者でも、矛盾したことを書くことがある。まして他人が書けば、元ネタが1つであろうと、矛盾して当たり前だ。

親切な裴松之さんは「本Aと本Bの記述は一致しない」と、ときどき考証してくれる。とは云え、「ロコツに矛盾しない本たちならば、1本に繋げていい」という話を、裴松之はしていない。ぼくはそう考える。


ちくま訳を頭から読んでいくと、後から後から、裴松之の注釈で、情報が付加される。通常ぼくらは、複数の著者があいのりしたものを、読む機会が少ない。
だから、裴注を読むほどに、後にいくほど、より詳しく説明してくれていると、勘違いする。
危険なことです。
注釈が切り替わるときは、まるで、いちいち違う本に持ち代えるように、心を区切りなおすべきだ。出典が違う本なのだから。

多くの異説を一覧できるって、逆に罪である。
恥ずかしながら、ぼくが昔にこのサイトにあげた文章も、同じ失敗をしている。裴松之の異説を、本文の補足だと思っているフシがある。

誰が何を云ったか。誰が何を云っていないか。これを区別することは、議論するときの基礎の基礎です。自戒をこめて(というか、ほとんど自戒のために)今日これを書きました。以下、おまけです。

陳寿だけを楽しむススメ

裴松之の注釈をすべて削除して、陳寿だけ読むと、意外に面白いです。テンポがいい。
「陳寿だけだと、簡潔すぎるのでは」と、心配なさる人がいらっしゃるかも。でも、そうでもありません。

陳寿の字数は、裴注よりも多いらしい。
「裴注は、陳寿の3倍ある」という、なんの根拠もない俗説が、中国でも長らく言われていたらしい。感覚的にはそうなのだが。笑

『三国志』のように、つねに特定の人の注釈が、まるで本文の一部のように同化していることは、珍しいのかなあ。裴松之がそれだけ優れているという証明で、ぼくもそれは否定しないが、いちど陳寿だけ読むのも、楽しい作業です。

堀敏一『曹操―三国志の真の主人公』だかで、陳寿だけ読めと書かれていた。読んだ本がこれだったか怪しいけど、ぼくも同じ意見です。


陳寿をひととおり楽しんだあと、裴松之を加える。
この手順により、違う人が書いた本を、頭の中でごちゃ混ぜにする失敗を、いくらか防げると思います。100531