表紙 > 考察 > 構造主義からの思いつき:190年代の群雄の「構造」

群雄の抗争は、2かける2で説明可能?

橋爪大二郎『はじめての構造主義』講談社現代新書1988
を読みました。
構造主義のレヴィ・ストロースがつくった婚姻クラス・カリエラ型で、
190年代を説明できるのではないかと、思いつきました。

構造主義の中身については、いい本がいっぱい出てるでしょうから、ぼくは扱いません。その力量もありません。

前口上は、切り上げまして。ぼくの「発見」を見てください。

群雄の戦略は4種類に分けられ、関係を単純化できる

190年代の群雄の「構造」

図の見かたを、ご説明します。
190年代の群雄の戦略は、2かける2で、4種類に要約できる。
聖なる漢の永続を支持するか、易姓革命を視野にいれるか
献帝を正統とするか、劉弁で途絶えて後漢皇帝が空位とするか
これを「聖漢-革命」「劉協-空位」の対立軸としました。

「革命」について注釈。劉璋や劉表のように、劉氏ではあるが、後漢皇族ではない人たちの戦略は「革命」と扱います。いわゆる「易姓革命」には、なっておりませんが「革命」と考えます。


■ヨコ:宿命的な対立
ヨコ同士は対立して、滅ぼしあいが続きます。
過去(189年)に董卓の強行した、劉協の廃立にたいする認識は同じだ。しかし今後のこと、つまり漢の存続について意見がちがう。未来をかけて、正面からぶつかって戦う、宿命のライバルです。

■タテ:主従、官位授受
タテ同士は、主従関係が生じたり、官位の授受が行われやすい。ヨコ同士ほど、正面からぶつかりません。たいてい、玉(劉協)をもっているほうが、官位を発行する。玉をもたない群雄は、劉協のほかに皇帝候補を探しつつ、いちおう官位を受けとる。臣従の絵だけつくる。
ただし玉のありかだけで、決まらないのが面白い。玉の持ち主が、軍事的にひどく劣れば、玉のないほうが保護者となり、上位にたつこともある。このとき注意したいのは、上下が逆転するだけだということ。玉を持たない強者が、玉を持つ弱者を、滅ぼすわけじゃないこと。
董卓の廃立が正しかったか。これは、190年代になってしまえば、すんでしまった過去の問題である。殺しあう情熱が、起きないテーマだ。腹のうちでは反発しつつ、上下関係におちつくことが多そうだ。

■ナナメ:敬遠、争い回避
ナナメ同士は、敬遠して、争いを回避する。
漢の永続について認識がちがう。董卓の所業についても、認識がちがう。ここまでちがうと、論点がかみ合わず、争いすら起きない。
もちろん、まったく戦わないという意味ではない。とりあえず、戦略に相違があるせいで対立し、別勢力に分かれているのだから。しかし、ヨコ同士ほど深刻に対立しない。タテ同士のように、上下関係が生まれることもない。相手を遠ざけるのが関の山。

構図にあてはまる群雄

構図の妥当性を確かめるため、骨組みだけ確認。
便宜的に、だれが献帝を持っていたかで、時期を分類。

■董卓期:190-192
董卓の戦略は、革命・劉協だ。董卓の本心は検討の余地があるが、少なくとも他者からの認識としては、董卓は漢室を滅ぼすと見られた。
袁紹・袁術は、聖漢・空位だ。董卓とナナメの関係だ。政治的立場がちがうから対決姿勢は見せるが、戦いが徹底しない。同盟軍は機能不全。
袁術と孫堅も、董卓がうつった長安までは、攻めこまず。
董卓を滅ぼしたのは、董卓のヨコにあたる、聖漢・献帝の王允だった。

■李傕期:193-196
劉協は、李傕に引きつがれた。
袁術が、聖漢・空位から、革命・空位に移動した移動すると関係性が変わるのが、この構造のポイント。元ネタのストロースがとなえた構造では、移動があり得なかった。
関西のヨコの対立は、長安で泥沼になった。廷臣と李傕&郭汜は、けっして両立せず、たがいに滅ぼしあう。
関東のヨコの対立は、二袁の抗争になる。190年代の主題!
袁紹は、ナナメの李傕を敬遠し、李傕の使者・趙岐になだめられた。公孫瓚は「袁紹が李傕に屈した」と喜んだが、そうとも言い切れない。どうも袁紹と李傕の関係は、白黒つかない。
袁術は、タテの李傕の使者・馬日磾を手元にとどめ、官位の任命について上下関係を形成した。ただし注意したいのは、あくまでタテなので、ヨコのように両立不可能な叩きあいをやらない

■曹操期:197-199
曹操が、聖漢・空位から、聖漢・劉協に移動した
曹操は196年まで、聖漢・空位にいた。曹操は、ヨコの袁術ときびしく戦った。だが197年以降、ナナメ同士となった袁術と曹操は、あまり戦わない。袁術が曹操に敗れたダメージもあるだろうが、袁術と曹操が敬遠しあったのは、この構造が利いていないかなあ。
袁術は、曹操に滅ぼされたのではないことに注意。

おわりに

タテの説明が、うまくいっていない。
ヨコはライバルで、どちらかが滅ぶまで叩き合う。
タテはライバルに違いないが、上下関係でどちらが優位になるか、抗争する。と、こちらの説明で、うまく単純化できているかなあ。

タテ・ヨコ・ナナメは、親子、婚姻、近親相姦のタブー、という3つの関係でした。ストロースの話では。もはや、関係なくなっている。笑

まだかなり甘い議論です。でも、設定した2つの対立軸には、自信があります。「聖漢-革命」「劉協-空位」という対立軸です。ぼくが190年代の史料を読むとき、いつのまにか、つねに意識していたことなので。また後日、考えます。遅刻しそう。100907