表紙 > 読書録 > 渡邉義浩氏の魯粛への反論『最高のリーダーは誰か』より

魯粛は地方割拠でなく、天下統一を目指した

10年8月27日に発売された、
渡邉義浩『「三国志」最高のリーダーは誰か』ダイヤモンド社
この本が、8月29日になってから、愛知で8件の書店を回っても、どこにも置いてありませんでした。
名古屋でもっとも大きな書店でも、28日になかったらしい。

8月21日の三国志フェスで、渡邉氏がおなじ内容で講演なさりました。その内容について、ぼくは疑問があります。まだ本が手に入っていませんが、先走って、書いてしまいます。
後日、本を入手したら、読み返します。ぼくの講演メモがデタラメで、このページが的外れだと気づいたら、直します。

渡邉氏の説明:魯粛の最終目的は、孫権の割拠

渡邉氏は、諸葛亮と魯粛のちがいを比べる。
諸葛亮の隆中対は、天下三分の計と呼ばれる。だが、天下を三分することが、目的ではない。天下三分はただの手段だ。天下統一こそ、諸葛亮の目標である。その証拠が、北伐である。三分が完成したあとも、諸葛亮は、軍事行動をやめなかった。

たいする魯粛の構想は、孫権に天下を三分させることが、目的である。天下を統一することを、目的としない。儒教が唱える「聖なる漢」をあきらめ、大一統を棄てた。その証拠に、孫権はあまり北伐をしない。

渡邉氏が配布なさったレジュメに「漢・大一統を棄てる」「目的として天下三分」とあります。ぼくのメモは、渡邉氏の結論を誤っていないはず。こまかい部分は、自信がありませんが。

南方に割拠して、皇帝を名のる。
魯粛が孫権に説いた構想は、次代を切り開いた。370年間つづく魏晋南北朝時代をはじめに言い出したのが、魯粛である。
諸葛亮の隆中対は実現しなかったが、魯粛の構想は実現した。実現性という点において、魯粛は諸葛亮に勝った。

レッドクリフの解説DVDでも、渡邉氏は魯粛をホメまくるらしい。


ぼくの反論:魯粛の目的も、諸葛亮とおなじ天下統一

ぼくは思う。魯粛の目的は、天下統一です。諸葛亮とおなじ。
江南の割拠は、天下を統一するための手段。劉備を活用したのも、天下を統一するための手段です。けっきょく魯粛も、諸葛亮とおなじように、天下統一に失敗しただけ
以下、陳寿本文の魯粛伝から、魯粛のセリフを確認します。

孫権に採用された直後、魯粛が構想を話す

因密議曰:「今漢室傾危,四方雲擾,孤承父兄餘業,思有桓文之功。君既惠顧,何以佐之?」肅對曰:「昔高帝區區欲尊事義帝而不獲者,以項羽為害也。今之曹操,猶昔項羽,將軍何由得為桓文乎?肅竊料之,漢室不可復興,曹操不可卒除。

孫権は、ひそかに魯粛に相談した。
「いま漢室はあやうい。あちこちで戦乱がある。私は父と兄をつぎ、桓公や文公とおなじ功績がほしい。

桓公も文公も、周王をたすけて、一時的にでも天下を治めた。孫権は、後漢の献帝をたすけて、天下を鎮めたいと言っている。

魯粛さんは、私の話し相手になってくれた。魯粛さんは、どのように私を助けてくれるのか」
魯粛はこたえた。
「むかし前漢の高帝が、楚の義帝につかえ損ねたのは、義帝が項羽に殺されたからです。いまの曹操は、むかしの項羽とおなじです。孫権さまは、どうして桓公や文公のような功績を、得られるのでしょうか。ひそかに私は思います。漢室は、復興することができません。にわかに曹操を除くことができないからです」

魯粛が見るに、献帝と曹操は、癒着している。区別できない。だから、献帝と曹操を、もろとも見棄てましょうと言っている。曹操と癒着した献帝は、孫権さんが助けるべき皇帝ではありませんよと。


為將軍計,惟有鼎足江東,以觀天下之釁。規模如此,亦自無嫌。何者?北方誠多務也。因其多務,剿除黃祖,進伐劉表,竟長江所極,據而有之,然後建號帝王以圖天下,此高帝之業也。」權曰:「今盡力一方,冀以輔漢耳,此言非所及也。」

魯粛のセリフのつづき。
「孫権さんのために、私は考えました。ただ江東に鼎足して、天下に隙ができるのを、見ていなさい。なぜか。北方の曹操は、忙しい。曹操が忙しいうちに、黄祖をのぞき、劉表を討ちなさい。長江を上流までうばい、長江に拠りなさい。そのあと、帝王の号を建てて、天下をねらいなさい。これは、前漢の高帝のしごとです」

魯粛の最終目標は、天下統一だ。そう読むのが、自然だと思うのですが。江南に拠るのは、天下をとるための準備だ。

孫権は云った。
「私は、江東で力を尽くして、漢室を助けたいだけだ。魯粛の構想は、私の方針と合わない」

ちくま訳で孫権は、魯粛がいう天下統一は「私(孫権)の力の及ぶところではない」という。誤訳だと思う。及ばないのは、孫権の力ではない。原文を読めば、分かる。及ばないのは、魯粛が吐いた「此言」である。
のちに孫権は皇帝になる。このイメージに引きずられて、ちくまが誤訳したのだろう。このとき孫権は、自立する気なんてない。
魯粛は、孫権の期待に、1ミリも報いなかったのだ。
渡邉氏はいう。諸葛亮や魯粛のような「軍略家」タイプは、発言が理解されにくいと。その点は、ぼくは同意します。


魯粛は漢室でなく、献帝の正統性を否定しただけ

魯粛が天下統一の構想を持っていることを確認しました。
くわえて、魯粛の頭のなかを、いくらか推測してみます。魯粛が、大一統(漢族の領域を統一する考え方)を支持したことの確認です。

魯粛は孫権に構想を話したとき、漢室の正統について、儒教をからめた議論をしていない。
このとき漢室は、儒教によって正統化されている。
もし魯粛が、ほんとうに漢室の復興がムリと言うなら、ほんとうに大一統がムリと言うなら、孫権に対して、きっちり儒教を否定(もしくは改変)しなければならない。あたらしい地方王朝の正統性を、説明しなければならない。
にも関わらず、魯粛が儒教の話をしないのは、おおむね現状の儒教に合意しているからだろう。
議論において、わざわざ話題を提出するのは、現状の認識を変えたいときだけだ。魯粛は、儒教に文句がないから、話題として提出しない。

ぼくへの反論が予想されます。魯粛は「漢室不可復興,曹操不可卒除」と言った。魯粛は、漢室を否定したじゃないかと。

ぼくは訳文に「漢室は、復興することができません。にわかに曹操を除くことができないからです」とつくりました。

注意が必要だと思うのですが、
魯粛が「漢室」と云って否定している対象は、曹操が擁立している献帝のみだ。代々の漢室の正統性に文句をつけない。大一統を説く儒教に、文句をつけない。

ここで思い出したいのが、献帝の正統性です。
もともと献帝は、董卓がムリヤリ立てた皇帝だ。袁紹や袁術は、献帝の正統性を疑った。漢室の正統と献帝の正統は、イコールでない。だから袁紹は、劉虞に打診した。袁術は、皇帝になった。
曹操も、献帝の正統性があやしいことを、知っている。

曹操が、董卓の部将・徐栄に立ち向かったとき、徐栄の後ろには、献帝がいた。曹操は、献帝の軍を攻めたのだ。
渡邉氏は「曹操は董卓と戦ったから、献帝を迎える正統性を得た」とおっしゃった。そんなに単純に結びつけてはいけないと思う。董卓の献帝と、曹操の献帝は、別物である。この疑問は、後日また書きます。

曹操は、董卓の手垢をリセットして、ゼロから献帝の権威を創作した。手元の献帝が貴くなれば、曹操が外交をやりやすくなるから。
魯粛は、曹操の手口に反発した。
「献帝は、正統な皇帝だろうか」と問い直した。

袁紹と袁術は、魯粛より20歳は上。曹操は17歳上。魯粛より上の世代が190年代に争い、曹操の勝ち(献帝が正統)ということで決着した問題を、魯粛は蒸し返した。
もし魯粛が、あと10年早く生まれていたら、漢室を否定せず、代わりの劉氏を立てただろうね。


魯粛の考えを、ぼくなりに書いてみます。
儒教の大一統に、異論はない。漢室の正統性にも、異論がない。しかし私は、曹操がささえる献帝に、正統性があるとは思えない」
「残念なことに、献帝以外の皇帝が立つ可能性は、二袁が敗北して、つぶれた。候補者となる劉氏は、もういない。曹操が保護する、献帝の即位年数が長くなり、いまの体制が既成事実になってしまった。オトナたちの馬鹿野郎」
しぶしぶの次善の策として、劉氏でない皇帝を立てよう。皇帝に立てるのは、私が仕えることになった孫権か。孫権に、大一統を再現してもらうのだ」

おわりに:天下統一をねらう孫権

孫権が、魯粛の考えを、いつ&なぜ受け入れたのかは、別に検討したいと思います。

講演のあと、渡邉氏に質問しました。はじめ孫権も、魯粛の考えを理解できなかった。赤壁の前に「周瑜が賛成するなら、仕方ない」と引きずられて、曹操との戦いを決意したというお答えでした。

のちに孫権は皇帝を名のりました。ぼくが史料を見る範囲では、孫権は、大一統の実現にむけて動きます。渡邉氏は「孫権は、諸葛亮ほどは北伐をしない。孫呉の目的は割拠だった」と述べておられましたが、ちがうと思います。
229年、蜀漢と天下を二分する約束をしました。夷州とタン州に船を出しました。遼東との外交を始めました。皇帝を名のったからには、大一統を前提にして動くのです。

充分に史料を読めておりませんが。のちの南朝の国々は、よろこんで割拠したのではない。北伐しても勝てないから、仕方なく割拠していた。
大一統をめざすが、地方政権に甘んじるという点で、魯粛の後継者だ。笑


「魯粛が南朝の先がけ」「実現性の面で、魯粛は諸葛亮に勝った」というご指摘は、ファンとしては興奮するものです。しかし魯粛は、諸葛亮とおなじく、天下統一を目指して、敗れた人だと思います。100830