表紙 >考察 > 「憂薨」した荀彧は、自殺か?(三国志街道の集いより)

正史の「憂死」は、皇族と外戚に使われる

株式会社ティー・ゲート主催「三国志街道の集い」第6回に参加してきました。満田剛先生が荀彧をテーマに、お話をされました。
そのなかで、
「断定はできないが、憂いをもって死んだと史書にあるとき、自殺が疑われる例がある。荀彧も(迫られて)自殺したかも知れない」
とのご指摘がありました。
そういうわけで、『史記』『漢書』『三国志』『後漢書』から、「憂死」をピックアップ。思うに、イベントに参加された皆さまは、満田先生のご指摘を検証したくて、仕方がないはずです。今回、私が手間を先取りしまして(笑)以下のようにまとめました。

『史記』や『漢書』は、あまり読んだことがありません。その人が自殺か否かを、妄想する準備は、ぼくにはありません。まずは、リストアップをしてから、後日考えましょう。笑


『史記』で憂いをもって死んだ人

秦の昭王の母:秦の野蛮さをけなす文脈で(魏世家)
栗姫:前漢の景帝の妻、劉栄の母。後継争いに敗北(外戚世家)
前漢の廣陵王・劉胥:武帝の子。母の李姫が寵愛されずに(外戚世家)
前漢の燕王・劉旦:武帝の子。母の李姫が寵愛されずに(外戚世家)
前漢の趙王・劉遂:劉邦の中子の子。呂氏に迫られて(楚元王世家)
前漢の斉懿王・劉寿:呉楚七国の乱がらみ(齊悼惠王世家)
穣侯の魏ゼン:秦の昭王の母の弟。司馬遷の評(穣侯列伝)
秦の趙高:死んでない。胡亥に、自分の死ぬ気をアピる(李斯列傳)

秦王と、前漢の皇族。皇后や皇太子、遠くても外戚。
「自殺」した&させられた臣下は、いくらでもいただろう。だが『史記』の記述において、臣下は憂いが原因で死なない。陳寿が、荀彧の死をどう扱っていたか、仮説ができそうだ。とりあえず、つづきを。


『漢書』で憂いをもって死んだ人

前漢の斉懿王・劉寿:『史記』に同じ(高五王傳)
前漢の梁孝王・劉武:文帝の子、景帝の同母弟。後継問題(文三王)
前漢の陳咸:陳萬年の子(公孫劉田王楊蔡陳鄭傳)
前漢の王商:王莽の禅譲を気に病んで(王商史丹傅喜傳)
鉤弋□□:昭帝の即位後、皇太后を贈られる(外戚傳)

知識がないので、人物像は分かりません。ダメだなあ。
やはり皇帝や皇后の一族が、憂いで死ぬ。新の王氏も、漢の外戚です。


『後漢書』で憂いをもって死んだ人

和帝の陰皇后:鄧皇后とぶつかって(皇后紀、五行)
桓帝の鄧皇后:浮気性の桓帝にムカついて(皇后紀)
靈帝の宋皇后:宦官の讒言によって(皇后紀)
霊帝の何皇后:董卓に押し込められて(皇后紀)
常少と張隆:公孫述に劉秀への降伏を説得、無視されて(公孫述伝)

でました! はじめての皇族や皇后でない人の例。後漢の統一に尽力した人物ですね、ふたりとも。

永樂太后:霊帝の母。何太后が憂殺させたと董卓はいう(董卓伝)
桓帝の懿獻后:梁冀の妹。彼女が死に、梁冀は滅びた(天文中)
桓帝の鄧后:星座の運行が不吉を示して、死んだ(天文下)

常少と張隆だけが、浮いている。皇族じゃない。
皇族じゃない例が、ほかにある。
王允が呂布に「君自姓呂,本非骨肉.今憂死不暇,何謂父子?」という。『後漢書』も『三国志』も同じ。しかし、たまたま同じ漢字が並んだだけだ。「いま呂布さんは、死を心配して、息をつくヒマがない」と。今回のテーマとはちがう。


『三国志』で憂いをもって死んだ人

あの袁紹:曹操に戦敗したあと、病気になって(袁紹伝)

袁紹はおそらく自殺ではない。ないしは、陳寿は、袁紹が自殺したと書いていない。と思う。「憂死→自殺かも」とは、結びつけにくいか?
「憂う」と「自殺」は、あくまで二次的な相関があるだけかなあ? 国の未来を心配した人は、引っ込みがつかず、たいてい自殺するから。笑

あの陶謙:陳寿が評で、憂死したと総括(陶謙伝)

陶謙は、本文で「憂死」しないことに注意。本文は「謙病死」です。評でザックリまとめたとき、「憂」をつかっただけ。荀彧とはちがう。

徐州の劉曄:曹叡や重臣にウソがバレたから(劉曄伝の注『傅子』)

『傅子』は、陳寿が書いていない。荀彧の「憂」と、同列にして比べることはできない。念のため、蛇足説明してみました。笑

孫呉の右丞相・萬彧:孫晧にムチャされて(孫晧伝)

重臣が、君主に迫られて「憂死」する。荀彧と同じパタン。
陳寿は、孫晧と同時代人だ。孫晧を批難する気持ちがつよく、転じて萬彧の死を悲劇的に書いたか。もしくは、荀彧とおなじ名だから、荀彧を投影し、表現を揃えてみたとか。笑

孫権の王夫人:孫和の母。全公主に嫌われた(妃嬪伝、孫和伝)
滕牧:孫晧の滕夫人の父(妃嬪伝)
諸葛恪の友人・聶友:諸葛恪の死後、孫峻に嫌われて(諸葛恪伝)

「友發病憂死」だ。袁紹や荀彧と、同じパタンである。
袁紹と荀彧という、曹操にとって重要な人物に、どうして聶友が並んだんだろうか。陳寿が韋昭を切り貼りするとき、はぶき損ねた? ああ、それにしても、歴史家の韋昭が、聶友に「憂」をつかった理由が知りたくなる。


『後漢書』だけに出てくる「憂卒」

Dieを意味するのは「死」だけじゃない。他の語をチェック。

明帝の梁貴人:和帝の母。竇皇后にそしられて憂卒した(和帝紀)
梁貴人の姉妹:梁竦の兄弟。梁貴人とおなじ運命(皇后紀)

これ以外に「憂薨」「憂崩」を探しましたが、『晋書』にならないと出てきませんでした。

『晋書』では、皇后や、異民族の君主に使われたりしていました。


荀彧の死には、魏晋王朝をくつがえす秘密が

今回の羅列から、なにが言えるか。
荀彧は、皇族や外戚のような扱いである。

荀彧は皇族じゃないし、外戚でもない。知っています。しかし、国体の根幹にいた人物で、「荀彧=国家」という、陳寿の解釈が含まれているか。荀彧の身体は、荀彧だけのものではない。国のものなんだ。

なぜか。今回見たように、
歴史書において、死因が「憂」とされるのは、皇族や外戚でした。司馬遷が前例をつくり、のちの歴史家も踏襲した。ときに例外があるけれど、比率を見れば、例外は微々たるものだ。

とくに「呉志」のガードが甘い。残念な感じです。笑
なんとも言えない、微妙な死に方をした人は、歴史書に無数に登場する。しかし「憂」と書いてもらえるのは、ごく一部。

荀彧の死は、皇族や外戚の死と、同じに描かれていると見たい。

しかも、正史4冊のなかで、荀彧だけが「憂薨」した。
崩>薨>死、という序列がある。「憂崩」は4冊に出てこない。つまり荀彧は、憂いて命を落とした人のなかで、最高ランクの取り扱いだ。


ここで思い出したいのが、陳寿の態度。
陳寿は、「魏志」曹芳紀で、宮中の秘密を敬遠している。

明帝無子,養王及秦王詢;宮省事祕,莫有知其所由來者。

訳。曹芳は、どこの子か分からん。宮中の秘密だから、だれも知らん。

陳寿は、魏晋の同時代人だ。王朝の核心には、わざと迫らない。

陳寿は「皆さんは、とうにご存知でしょうが」と、同時代の読者に対して仄めかし、だまる人である。分かりきったことを書いて、宮刑に処されるとか、最低だからね。笑

しかし陳寿は、ただ黙るだけじゃない。曹芳の出生のように、これ見よがしな、備忘用のタグをつける。不自然な表現をつかう。

ぼくらが「憂いて死んだ」を読めば、ストレスでも溜まったのかなあ、と思う。年間自殺者が、数万人という国&時代だから。
しかし歴史書で、この表現を使うのは、皇族や外戚に限ったこと。充分に不自然なんだ。読む人が読めば、まちがいなくタグである。

邪推すれば、荀彧の死には、魏晋の王朝が、覆りかねないほどの、重大な秘密があったのでは?

その秘密とは、満田先生が可能性を示されたように、自殺かも知れない。
しかし、
荀彧ひとりの自殺がバレただけで、陳寿が仕えた晋室に、どんな不都合があるか。影響はゼロではないが、それほどの重大事でもない。「金を削って」「チン毒をあおり」と書けばいいじゃないか。
もっと大きな秘密を想定してこそ、ファンとして楽しめるのだと思います。ほかの正史から推測するなら、劉氏か曹氏の、後継問題がらみ?

そういえば、
後漢の献帝の太子って、どうして史料が少ないんだろ。笑

眠くなって、テキトーなことを書きました。


さいごにくり返すと、荀彧の死は、ただのメランコリーではない。また、自殺を仄めかすだけなら、皇族レベルの表現が派手すぎる。後日、なにか思いついたら妄想します。100629