表紙 > 人物伝 > 宇都宮清吉「漢代豪族論」の読書メモ:発展史的体系

1962年の学術論文を読みました

宇都宮清吉「漢代豪族論」のコピーを頂戴し、勧めていただきました。
出典は『東方学』1962年です。
数ヶ月間も、いわゆる「積ん読」してました。今日、読みました。

問題設定が違えば、史料はちがって見える

まず三国ファンが、これら学術論文から気づけるのは、
「20世紀の学者は、こういう視点で正史を読んでいたのだなあ
ということです。

ぼくはファンとして、史料を読んでいます。このサイトでは、登場人物のキャラクター、戦略やだまし合いを扱っています。

地政学に基づく戦闘分析、当時の習俗の復元なども、ファンが好きな話題だと思います。ぼくは、このあたり、弱いです。

では、ちがう時代の人が、ちがう立場で、ちがう関心に基づいて読めば、どうなるか。同じ文字を読んでも、全くちがう話が出てくる。当たり前のことではありますが、リアルに経験すると、勉強になります。

著者の関心:発展史的体系のどこにあたるか

本文の言葉を借りれば「発展史的体系」についての論稿でした。
ぼくなりに噛み砕きますと、
「中国の歴史を、もしもヨーロッパの一地方が発展した歴史に当てはめると、どの段階に似ているだろうか」
という議論です。

まだ、分かりにくいかも。では、もっと下世話に例えるなら、こう。
「失恋の痛みは、切り傷に近いだろうか。それとも骨折に近いだろうか」
もともと、違うもの同士を比べる。問題設定が、そもそもムチャです。ぼくが思う「発展史的体系」とは、そういうものです。笑

20世紀中盤の歴史学は、このテーマにとても意欲的で、たくさんの学者が挑戦しました。マの字から始まる、あれです。今日読んだのは中国史の論文ですが、ぼくが大学でやった日本史でも、傾向は同じでした。

論文は、2つの選択肢のあいだで、揺れている。
両漢や魏晋南北朝は、一君万民をつらぬく古代帝国なのか、門閥貴族がつよい中世帝国なのか。

できるだけ、専門用語は本文から拾います。でも、細かい学術的な定義を、すっ飛ばして引用しているかも知れません。ご容赦ください。

例えば、後漢の中国は、古代か。それとも中世かと。
はじめは、これを言い争ったでしょうが・・・物事は、きっちり白黒つかないのが常です。二者択一の議論は、やがて是正された。折衷案の登場です。つぎのテーマは、古代と中世は、どんな要素が、どんな比率で、混ざり合っているか。折衷案のなかで、また対立した。

歴史学の議論は、つねに二項対立のスタイルをとって、積み重ねられました。この過程をまとめたのが、今回の論文。

なぜ、ヨーロッパに比べることが、それほど大切だったか。何となく知っていますが、きっと穴だらけになりますので、ここには書きません。。

以下、比較対照されてるものを、羅列しておきます。敬称略。

論文に登場する、おもな二項対立

ぼくが思い出すために書いている、メモ程度の精度です。これだけでは、意味が分からないことは、すでに分かっているのですが、、

●役人と対決する大姓=豪族=兼併之徒
  vs 『後漢書』酷吏伝の国家権力、山東儒墨、高級文臣

●漢代の社会を、国家と家(豪族)の抗争と捉える
  vs 国家権力は、家という組織を取り込んで支配した

●宇都宮の三族制:豪族の家は、道義や経済で結合し「宗族」を形成
  vs 守屋美都雄の単家族説:ととのった三族制は珍しい

●劉邦集団は豪族的で、家父長制を特徴とする (西嶋定生)
  vs 劉邦集団は古代帝国、豪族の家父長制を圧倒した =矛盾

あらゆる人間関係(君主・官僚制を含む)に主客的結合がある
  vs 結合は自己完結し、排他的な党類をつくり紛争 (増渕龍夫)

●商オウが立案し、法家的法術政治を貫徹させた秦漢
  vs 法家を妨げるから、圧迫された儒墨の思想と家族制

●個別人身支配を完成させた、極めて特殊な秦
  vs 豪族の抵抗が小さく、専制君主権を先に成した東方諸国

●秦の法制を引きついだとされる前漢
  vs 前漢の民爵は人民を個別支配、これは東方諸国を継承

●門閥貴族的な秩序体系=六朝の権力側
  vs 非家父長制原理にもとづく、禅譲の原理=六朝の新勢力

論文を読み終えて

『三国志』などの正史は、20世紀の歴史学者の手にかかれば、「発展史的体系」の議論の材料にもなることが、確認できました。同じものを読んでも、まったく違う話になります。
それから、二項対立は面白い。ぼくも、自分なりに対立軸を設定して、史料を読みたい。史実を整理して、説明を加えたい。
以上2つが、今回ここで、ぼくが書きたかったことです。

「古代的なものvs中世的なもの」という論争は、すでに食傷ですが。笑


話は逸れます。二項対立について、もう少し書きます。
2年くらい前、興味を持って、後漢末の清流と濁流に関する論文を、いくらか拾い読みしたことがあります。
まったく、分かりませんでした!

かろうじて日本語と、論理構造くらいは読めたつもりです。

登場勢力として、後漢皇帝、宦官、外戚の諸氏、党錮にあった官僚、在野に引きこもった学者が出てきます。曹氏の魏室に協力した人、曹氏を牽制した人が出てきます。時代を進めれば、司馬氏の晋室に協力した人、司馬氏に反対した人が出てきます。
数々の論文では、著者が設定した基準により、複雑な事象が、二項対立で整理されます。しかし著者によって、敵と味方の組み合わせが、バラバラです。どれとどれがセットなのか。正直わからなくなり、阪急豊中駅で、頭がクラクラしました。

教科書的な「正解」がないのは、当たり前のこと。でも、このときばかりは、余りの混乱に「現在の通説・定説はどれですか」と思ってしまった。笑

自分で二項対立をつくり、論じられるようになりたいなあ。

きっと、論文の半分も理解しておりませんが、、終わりです。 100614