093年、竇憲の北単于を斬り、北匈奴が滅亡
『資治通鑑』を翻訳します。
内容はほぼ網羅しますが、平易な日本語に置き換えます。
093年春、千乗王の劉伉と、太傅の鄧彪が死ぬ
093年春正月乙亥、明堂に宗祀した。靈台に登り、天下を赦した。
正月戊子、千乘貞王の劉伉が薨じた。
正月辛卯、和帝の弟・劉萬歲を、廣宗王とした。
正月甲寅、太傅の鄧彪が薨じた。
正月戊午、隴西で地震あり。
093年夏、竇憲に立てた北単于を斬る!
初,竇憲既立於除鞬為此單于,欲輔歸北庭,會憲誅而止。於除鞬自畔還北,詔遣 將兵長史王輔以千餘騎與任尚共追討,斬之,破滅其眾。耿夔之破北匈奴也,鮮卑因此 轉徙據其地。匈奴餘種留者尚有十餘萬落,皆自號鮮卑;鮮卑就此漸盛。
093年夏4月壬子、阜陵殤王の兄・劉魴に、阜陵王をつがす。
9月辛酉、廣宗殤王の劉萬歲が薨じた。子がなく、國は除かる。
胡三省が、血筋を説明するけれど、べつに、どうでもいい。笑
すでに竇憲は、於除鞬を北単于に立てて、北匈奴を輔歸したい。竇憲が誅され、北匈奴の計画をやめた。於除鞬は北にかえった。長史の王輔は、任尚とともに、於除鞬を斬った。北匈奴の兵を破滅させた。耿夔が北匈奴を破ると、鮮卑が、北匈奴のいた土地にうつった。
北匈奴の残り10余万口は、みな鮮卑を称した。鮮卑は、漸く盛んだ。
もともと異民族は、遺伝子のちがいでなく、文化のちがいを言うらしい。身近な例で当てはめると。外見で区別が付きにくい、アジア系の外国人を、ぼくら日本人は、どこかが違うと思う。アメリカ映画で、中国人が日本人役をやると、違和感があるような気がする。異民族の差とは、こんなもんだろうね。連続した近い土地に住んでいて、そんなに変わるまい。
093年冬、梁王の劉暢が、謀反をたくらむ
093年冬10月辛未、太尉の尹睦が薨じた。11月乙丑、太僕の張酺を、太尉とした。張酺は、尚書の張敏らと上奏した。「射聲校尉の曹褒は、漢禮を擅制する。誅殺せよ」と。5回上奏した。和帝は、張酺が家学を守り、ほかの学問に通じないことを知る。張酺の上奏は寝かされた。だが張酺の言うとおり、漢禮は行われず。
この093年、武陵郡は、叛した蠻を降した。
梁王の劉暢が、從官の卞忌らと、祠祭した。劉暢は、「劉暢が天子になる」という諂媚を信じた。和帝は、劉暢の封地を削り、成武と單父の2県とした。劉暢は慚懼して、上疏した。和帝は、劉暢の釈明を許さず。
護羌校尉の貫友は、財貨をつかって、諸羌を分裂させた。貫友は迷唐を攻め、賜支の河曲まで追い落とした。
南單于の頓屠何が死んだ。左谷蠡王の師子は、左賢王となる。南単于の後継を争った。度遼將軍の皇甫稜は、師子のピンチを知りながら、助けない。南単于は、皇甫稜に、ひどく憤る。101225