180年、何皇后を立て、造園に励む
『資治通鑑』を翻訳します。
内容はほぼ網羅しますが、平易な日本語に置き換えます。
180年冬、何皇后を立てる
十二月,己巳,立貴人何氏為皇後。征後兄穎川太守進為侍中。後本南陽屠家,以 選入掖庭,生皇子辯,故立之。
180年春正月癸酉、天下を赦した。夏4月、江夏蠻が反した。
秋、酒泉で地震した。
冬、狼と弧(東南)に彗星あり。
鮮卑が、幽州と并州を寇した。
180年12月己巳、貴人の何氏を、皇后とした。皇后の兄・穎川太守する何進を、侍中とした。何氏は、南陽の屠家だ。掖庭に入り、劉辯を生んだ。ゆえに何氏は、皇后になった。
180年、荊州刺史が、零陵太守を陥れる
この歳、罼圭苑と、靈昆苑をつくった。司徒の楊賜は、霊帝を諌めた。「もう充分に庭がある。民を動員して、庭をつくるな」と。霊帝は、楊賜を聞かず。
霊帝は、侍中の任芝と樂松に、造園について聞いた。任芝と樂松は、答えた。「むかし周の文王は100里を囲ったが、人は小さいと言った。斉の宣公は、5里だけ囲ったが、人は大きいと言った。霊帝が万民とともに、庭を造るなら、まだ小さいくらいだ」と。霊帝は、悦んだ。
曹節や王甫ら宦官と、鴻都門生の関係も、気になる。かたや、後宮の権力。かたや、皇帝の権力だ。霊帝が成長するほどに、鴻都門生が強くなりそうだが。もしくは、内朝は宦官で固まった。いっぽう外朝は、宦官の子弟と、鴻都門生がぶつかる?
蒼梧、桂陽賊攻郡縣,零陵太守楊璇制馬車數十乘,以排囊盛石灰於車上,系布索 於馬尾;又為兵車,專彀弓弩。及戰,令馬車居前,順風鼓灰,賊不得視,因以火燒布 然,馬驚,奔突賊陣,因使後車弓弩亂髮,鉦鼓鳴震,群盜波駭破散,追逐傷斬無數, 梟其渠帥,郡境以清。
巴郡の板楯蠻が、反した。
蒼梧と桂陽の賊が、郡縣を攻めた。零陵太守の楊璇は、石灰をまき、火をつけ、鉦鼓を鳴らして、賊をやぶった。郡境は、おだやかになった。
荊州刺史の趙凱は、ウソを報告した。「楊璇は、みずから賊を破ったのではない。楊璇は、功績をいつわった」と。楊璇も、文書を提出した。楊璇は、戦況を詳しく書いた。楊璇がホントウだと、理解された。楊璇は、議郎となった。ウソをついた趙凱は、罪をうけた。楊璇は、楊喬の弟だ。101214