洛陽と長安は、東京と京都とおなじ
まずは、地図をご覧ください。
中国地図に、日本地図を重ねたものです。
あの有名な検索サイトから、地図をもらって、加工しています。現代中国の地図の上に、後漢の地名を載せました。現代中国の地図を、後漢の国境と思われるあたりで、ザックリと消しました。
ここで言いたいのは、日本は意外にデカい(後漢は意外に小さい)こと。
三国志というと、日本人には想像が追いつかない、広大な台地の物語です。たしかに面積は大きいですが、距離ならば、日本人の感覚で捉えられる。まして後漢時代は、面による一円支配というよりは、都市と都市を、線でつなぐ支配になりがち。後漢のサイズを、距離からイメージすることは、あながち無意味ではないと思います。
しかし、おなじ縮尺なのです。グーグ、マ、、で調べてみてください。
後漢の移動距離を、日本にたとえる
せっかくなので、都市のあいだの距離と方角を、重ねてみました。もちろん、厳密におなじではありません。また、地形は考慮できません。日本には、黄河も長江もありませんから。でも、新たな発見があるはず。
●洛陽:長安 = 東京:京都(新旧の都)
●洛陽:渤海 = 大阪:仙台(ぶじ逃げ切れるだろう)
●洛陽:襄陽 = 金沢:名古屋(高速道路ならスグ)
●洛陽:河東 = 大阪:福井(雷鳥でねらえる距離)
●建業:合肥 = 大阪:岡山(瀬戸内海をわたり、遠征)
●漢中:長安 = 金沢:新潟(諸葛亮は雷鳥に乗ればいい)
●成都:長安 = 大阪:仙台(日帰り出張はキツい)
華北の地名が変わりすぎていて、いまいち後漢の都市と、同定できなかったが、だいたい距離は分かると思います。
『三国志』を読むとき、中国大陸の広さを「過大評価」しないようにしたいです。なかなか旅行の機会をつくれないので、注意です。101102