表紙 > 読書録 > 西成活裕『渋滞学』で理解する、後漢の滅亡

01) 渋滞する車と、無視される献帝

西成活裕『渋滞学』新潮選書2006 で、後漢の滅亡を理解します。

池袋のジュンク堂で買ってきた。
先日のテレビで、渋滞学を提唱した西成氏が、10年も理解を得られず、苦労したという話を見ました。はじめ、発表会に1人も来てくれなかった。10年間、自分の理論を説きつづけた。ついに理解を得て、社会の役に立っている、というストーリーだった。
この本が出版された5年前から、タイトルだけは知っていたが、手に取っていなかった。テレビを見て、買って読んでみることにした。

本の1章「渋滞とは何か」、2章「車の渋滞はなぜ起きるのか」を読んでいるとき、どうも引っかかった。渋滞のモデルは、後漢の命令が行きとどかなくなって、滅びるプロセスに似ているなあ!と感じた。
そういうわけで、西成氏が車の渋滞に関して言っていることを、後漢の命令、太守の統治が「渋滞」する様子になぞらえて、理解してみたい。

自然科学の切り口から、渋滞の話がされている。
これを人文科学にあてはめるのは、トンデモ曲解だと思います。でも、トンデモ曲解なのは、いつものことじゃん、と開き直った。笑
渋滞学と、後漢が結びついたのは、会社の昼休みに、55ページを読んだとき。高速道路における車両の、ある状態(後述) を例えて、卵の上にまた卵を載せたような不安定な状態で、些細な要因で崩壊してしまう、と書いてあった。これを読んで、劉璋の話を思い出さなければ、三国ファンじゃないなあ、と思った。午後の業務をすすめるうちに、渋滞学と後漢がつながっていった。仕事に集中しろ、自分。

このサイトのテーマは三国志なので、後漢末に例えます。でも、国家や組織の滅亡に、一般化して理解することができるかも知れない。後漢を題材につかうのは、便宜的なことです。

後漢は、中央(洛陽や長安) からも、地方からも滅びる。今日は、中央から地方が離叛していく過程を、渋滞学に照らして考える。割拠状態が「居着く」過程を考えてみる。中央の政争だけで片づかず、地方に群雄がたち、やがて呉蜀が残ってゆく過程を考える。

以下、本の内容を抜粋&要約しながら、注釈にて後漢にあてはめる。

いま、本の3章「人の渋滞」を読んでいる途中です。3章以降、また参考になる話があったら、追加する予定。とりあえず、2章までで1つの話が終わったっぽい。


第1章 渋滞とはなにか

水と人とのちがい

ホースをつぶすと、水が早く流れる。ホースの断面積を2分の1にすると、水の速度は2倍になる。水分子のように小さなものなら、「定量的」に解析できる。力学の法則を適用できる。
だが人や車の動きに、力学の法則が適用できない。通路の太さを2分の1にしても、速度は2倍にならない。

全然、三国志じゃないですが、本論に必要なので、引用している。文学部卒のぼくが理解した範囲でしか、書きません。各論は、本を読み返せばよいので。

人や車の動きを考えるため「モデル化」する。「良いモデル」は、2つの条件がある。数学的に厳密に扱えること。現実の観測事実に対応していること。
人や車の動きは「自己駆動粒子系」「非対象単純排除過程」というモデルになる。どんなモデルか。以下、説明。
  ・自己駆動:力学の法則に従わず、自分で動く
  ・粒子系:人や車などのツブで、液体や気体でない
  ・非対象:右から左にゆくが、左から右にゆかない
  ・単純:説明がとくに要らない
  ・排除:1つの場所には、1つしか居られない

後漢の統治(官位任命、命令伝達や地方支配) を、水でなく、人や車のように捉えようというのが、ぼくの試み。
後漢を水モデルで捉えたら、どうなるか。全土にくまなく、後漢の統治が行き渡った状態。水槽に、たぷたぷと水が満たされているイメージ。均質な民族、均質な国土をもつ国民国家、という考え方に近いかも (また、いい加減なことを言ったなあ)。もしくは、洛陽から水道管がめぐらされ、皇帝の意思が、くまなく脈々と行きわたるイメージ。
『後漢書』という、ありがたい、完成度のたかそうな「正史」サマを手にとると、水モデルを想起してしまう。だが、実際はちがうだろう。
後漢は、民族は混ざり、地勢も異なる。
例えば「会稽太守」に着任して統治をやるには、洛陽のポンプを押せば、自動的にうまくいく、ということはない。
洛陽で盛大なお別れ会をやってから、苦労して着任し、彼自身の腕前を試される(自己駆動)。太守の支配は、一円支配でなく、点在した城市を個別に抑えるのみ(粒子系)。近隣の太守と、べったり協力するわけじゃない(粒子系)。命令は、洛陽から州牧から、一方通行で伝達される(非対象)。中央から地方への命令、という構造は、それほど難しくない(単純)。原則として、1郡には1人の太守しか着任できない(排除)。
というわけで、後漢の官僚による統治を、「自己駆動粒子系」の「非対象単純排除過程」で捉えるという試み。高速道路における車のふるまいと、官僚のふるまいを、比較して理解してゆきます。


モデルで遊んでみよう

円形にハコを並べて、タマを配置する。順番にタマを動かす。前のハコが空かないと、タマは前にゆけない、とする。
ハコの枠数に対してタマが少ないと、タマは自由に動ける。タマを増やすと、タマが渋滞し始める。渋滞した部分は、進行方向とは逆に移動する。つまり渋滞は、後ろに伝播してゆく。

統治状況に対して、皇帝の命令が過多&過剰でなければ、すんなり命令がながれて、従ってもらえる。しかし、飢饉で苦しいとか、兵乱が起きるとか、命令に逆らう官僚や豪族がいるとかして、命令が渋滞すると、無視られた命令が渋滞する。
モデルにもとづいて考えるなら、地方でおきた渋滞は、進行方向とは逆、つまり中央にむかって伝播する。
後漢に限らず、帝国や国家の興亡は、フロンティアから始まると言われる。フロンティアで統治に失敗して、命令が滞ると、それが徐々に中央にさかのぼってきて、中央の統治を妨げるんじゃないか。
渋滞学と、歴史学でよく言われるセオリー(提唱者はだれだっけ) が一致したなあ!

渋滞ができるのは、ハコに対して、タマが半分より多いとき。ハコのなかに、1コおきにタマが入っていれば、ぎりぎり、タマがうまく流れるからだ。ぎりぎりを「臨界状態」という。ハコに対するタマの量を「密度」とする。臨界状態の密度を「臨界密度」という。ハコとタマの場合、臨界密度は0.5である。
密度は、0から1のあいだをとる。0は、ハコだけでタマがない。1は、ハコと同数のタマがあって、タマが身動きできない状態=大渋滞。

密度0は、統一権力の不在。中央から地方に、まったく命令や赴任がない状態。密度1は、だれも命令を聞かず、赴任者を受け入れないので、詔書が濫発されている状態。
どちらも国家としての体裁をなしてない。密度0と密度1には、どちらも命令が流れないという共通点があるが、皇帝がいるかいないか、という違いがある。
後漢末を捉えるとき、密度の考え方をつかえる。皇帝の命令が流れない現状は、誰の目にも明らかだったとする。「いまは密度0なんだ。秦漢帝国をリセットした群雄割拠だ」と考える人と、「いまは密度1なんだ。秦漢帝国は続いているが、みなが従わないから、皇帝の命令が虚しく発せられてる」と考える人がいるだろう。
展望を述べると、後漢の平時を知る世代は、密度1になじむ。後漢の平時を知らない世代(生年が180年代以降?)は、密度0になじむ。


第2章 車の渋滞はなぜ起きるのか

気づかない坂道がつくる渋滞

ゆるやかな坂道に気づかないと、速度がおちる。アクセルを踏み直しても、もう遅い。遅れが後ろに伝わり、車間距離がつまると、臨界状態を越えて、渋滞が始まる。「渋滞注意、ここは上り坂」と看板をだし、あらかじめアクセルを踏ませれば、渋滞をふせげる。
カーブで西日を浴びたり、トンネルの閉塞感を受けたりすると、減速する。トンネルの手前にゲートを設け、狭さに慣れさせると、

皇帝の即位を宣言したり、年頭に皇帝が所感をのべたり、官制を改革したりする。いずれも「渋滞注意」と、警告するのに等しいかも知れない。
天文の異常を議論したり、諫言をつのったり、党錮してみたり、閲兵したりが、トンネルに慣れさせることかも知れない。


研究の切り札となる基本図


本の46ページ、62ページ、81ページを見ながら作成。
縦軸に交通の流量(単位時間あたり、何台の車が通過したか)、横軸に密度(単位距離あたり、何台の車がいるか) を図にしたもの。
どういう性質がわかるか。
左の上り坂(青色)は、密度が高まるほど、流量が増えている。渋滞でない状態である。ガラガラの道に、新しい車がくると、密度が増える。しかし速度が落ちないから、流量が増えるだけ。めいっぱい道路の能力を使えるようになる。密度と流量は比例する。
このグラフの傾きは、車の平均速度を表す。傾き=(台/時)÷(台/キロ)だから。日本の高速道路でグラフをつくると、傾きが時速84キロである。わりに法定速度を守っているそうだ。

後漢において、地方の政情が安定しており、中央の命令に耳を傾けるバッファがある状態である。中央が命令を出せば出すほど、そのとおりに動く。中央から見ると、都合がいい。何でも思いどおりになる。

紫色と緑色は後述。
右の下り坂(赤色)は、渋滞している。密度があがりすぎて、時間あたりに通り過ぎる車の量が減っている。傾きが垂れて、速度も上がらない。日本の高速道路では、車間距離が40メートルより短くなると、渋滞が始まる。制動距離が目安である。

後漢において、命令を出しすぎる(車が増えすぎる)か、政情が怪しくなる(道路が荒くて細くなる)と、命令に耳を傾けるバッファがなくなる。命令を出せば出すほど、無視られて放置される。地方が独立をねらい始める。
清流と濁流の二元論(及びその議論の妥当性検討)、なんて飽きちゃった。だが、命令を出しすぎると、ぎゃくに従ってもらえなくなる、というのは興味ぶかい。霊帝は後漢を改革して、いろいろ制度をいじった。宦官は、子弟を地方に送りこんで、あれこれ指図した。結果、世論に叛かれた。これは、車が増えすぎたことによる渋滞と同じじゃないか。清い、正しい、派閥や人脈、という側面で語ることもできるが、渋滞学でも語れるなあ。
そんな難しいことを言わずとも、何度も「勉強しろ」と言われたら、勉強する気がなくなるのも、おなじか。これは、たんなる天の邪鬼か。


渋滞の直前に起きていること

左の上り坂のトップ(紫色)は、いつ渋滞に陥ってもおかしくない状態。

グラフが昇りきって、途切れているところ。

車間距離が40キロに縮んだのに、時速84キロで飛ばしている状態。前の車のブレーキランプが灯ると、ドキッとする。下手に自分もブレーキを踏めば、追突されるかも知れない。道路をつかった輸送効率は最高だが、とても危ない。
これを「メタ安定」という。準安定、くらいの意味。
日本の高速道路で、メタ安定は、5分から10分しか続かない。怖がったドライバーが速度を落とし、徐々に渋滞に変化する。

このメタ安定が、霊帝だと思う。
つまり、たくさん命令が出され、それでも、たくさん命令が従われている。桓帝のとき、後漢の人口だかが、ピークの記録をのこす。最盛期の直後、国運が傾くのは、このメタ安定で説明ができるのではないか。
「栄えた者は滅びる」は、『平家物語』が語る諸行無常だけでなく、かならず裏目にでる『マーフィーの法則』だけでない。
あちこちに、かなりの負担をかけながら、繁栄している状態。前漢の武帝とか、西晋の武帝とか、こんなだったのかも知れない。

水は0度で氷になり、100度で蒸気になる。これが臨界。
だが、マイナス10度でも氷らないことがある。ビンのフタを開けるというキッカケをあたえて、氷らせる手品がある。水が100度を越えても沸騰せず、キッカケを受けて「突沸」することがある。味噌汁が爆発するなど。
メタ状態からの急変化は、車の場合、誰かがブレーキを踏んだとき。ブレーキが連鎖して、たちまち流れがとまる。メタ状態は寿命が短い。

後漢では、霊帝の死につづく、董卓の執政だろう。黄巾の乱でもいい。これをキッカケに、霊帝によるメタ安定がくずれて、分裂が始まった。
霊帝の制度改革が完成して、実効をあらわす前に、霊帝が死んだ。例えば、鴻都門学の人材は、高位高官を占めなかった。西園八校尉や州牧が、霊帝の思ったとおりに動かなかった。霊帝の死後、暴走して、後漢を滅ぼしただけだった。メタ安定は、つづかないのだ。大きな反応を起こして、たちまち解消する。
冒頭でいった「累卵」の状況は、このメタ安定のことである。
ネットのどこかで(場所を忘れました)、石井仁氏の研究をプラス評価して、「石井氏は霊帝=名君だと言いたいから、制度研究をしたのでない。制度研究をした結果、霊帝が名君らしい、という結果が出ただけだ」とあった。歴史上の人物に対する好悪の感情を、研究に持ちこむ人のことを、批判したコメントでしょう。(いろいろすみません)
霊帝に関してなら、渋滞学に照らすと、好悪の感情に関わらず、霊帝の手腕を語ることができるだろう。「霊帝の統治が、完成されたものだからこそ、後漢は滅びたんだよ」と言える。皮肉を気どったパラドックス、だけじゃないですよ。


混んでいるけど60キロで走れる

高速道路が合流すると、メタ安定が合流する部分で発生する。合流を規制すれば、クレームがでるだろう。
注目すべきなのは、合流の直前では、メタ安定が長続きすること。流量がおおく、時速84キロまでは出せないが、時速60キロくらいが維持できる。周囲に車がおおくて、見た目は渋滞のようだが、渋滞しない。ドライバーがギリギリの駆け引きをする。「いくら混んでも、渋滞させないぞ」という、しぶとい協調行動を生み出している。これを「弱いメタ安定状態」と呼ぶ。緑色のところ。

本の61ページあたり。
もうお察しかと思いますが、袁紹と袁術の対立とか、三国の鼎立とか、を想定して、これを引用しています。「弱いメタ安定」に例えることができるだろう。皇帝の命令が、効率よく全土に徹底されないが、ギリギリの統治機構をつくって、秩序をたもつ。
後漢の「メタ安定」には付き合いきれなかった士大夫も、統治が停止するのを好まない。だから、命令の効率が落ちても、小康状態をつくった、とか。
西成氏は、弱いメタ安定が、複数あるという。二袁とか三国とか、晋呉とか、いろんなバリエーションがあることを、言っているのかも。そして最後は、西晋によって渋滞が解消したかと思いきや、玉突き大事故。

最強のメタ安定(時速84キロ、車間距離40メートル)は不安定で、すぐに消えてしまう。だが、弱いメタ安定ならば、長く維持できる。全体が、その状態に移行していく。その状態が苦しいと、さらに流量のひくい、さらに弱いメタ安定に移行する。これをくり返し、ついに渋滞に落ちこんでゆく。そういうシナリオが考えられる。

見通しモデル、スロースタートモデル

ハコとタマのモデルは、直前の車しか見てない動きを再現した。ハコに対して、タマが2分の1のとき、臨界密度になる。だが、高速道路と合わない。このモデルは、おもちゃに過ぎない。
新たに、1台先まで見とおすモデルを考える。つまり、2台前が動けば、次に自分も動けるというモデルになる。すると、臨界密度が3分の2になる。車の密度があがっても、渋滞が起きにくくなる。

これが見通しモデル。
後漢の皇帝の命令を、逐次的に聞いている人は、少ないだろう。後漢を支える思想があり、教育があり、前例があり、人脈がある。いくらか、皇帝の命令がムチャ振りでも、粛々と従ったのだろう。思想を強化することは、臨界密度をあげることだと思う。


性質をもう1つ。車は、1台先を見とおすものの、前の車が動いても、1回休んでから動く。ハコとタマのモデルでは動けるはずのタイミングを、1回見送る。タマが動き続けている最中は、次のハコに順調に進みつづけるが、いちど止まると、スロースタートになる。慣性の法則がはたらいている。
スロースタートのせいで、もたもたしていると、紫色から緑色、緑色から赤色に転落しやすい。渋滞の原因をつくってしまう。
ここまで反映すると、実際の高速道路に似てくる。

いちど皇帝の命令が乱れると、かつては従ったレベルの命令でも、聞かなくなる。董卓が廃立したので、献帝の命令が行きとどかなくなった。
李傕政権が、献帝の名義で、官位を濫発した。いちど渋滞が始まったところに、つぎつぎ命令を追加したに等しい。水モデルであれば、勢いに押されて流れだすだろう。だが車モデルなので、余計に詰まっただけだ。結果、袁紹と袁術が、独自の動きを始める、紫色に移行した。袁紹と袁術が、また命令を濫発したので、渋滞(赤色)にむかって、転落がすすむ。効率が、どんどん悪くなる。
曹操が河北で戦っているとき、長江流域で戦闘が少ない。これは、命令が流れて安定している(青色)のでなく、渋滞して、膠着している状態なんだろうなあ。
曹丕が漢魏革命に踏みきるときとか、孫権の皇帝即位とかも、渋滞の打開を目的にしているのだと思う。メタ安定(紫色)をめざして、ムチャをやるのだ。結果として、渋滞を助長するだけなのは、李傕と郭汜も、袁術と袁紹も、曹丕と孫権も、同じなのか。ちょっと、大くくり過ぎか。


その他、感想など

渋滞学は医療にも使われているらしい。同じ本の後半、もしくは次の著作にあるのだろうか。国家の統治を、脳から末端神経への指令、もしくは心臓から毛細血管に例えることもできるだろう。
皇帝を脳や心臓として、地方を末端神経や毛細血管に例えても、同じことが言えるだろうなあ。よく統治の完成度を、身体に例えたりするしね。

190年代、献帝が任命した刺史や太守が追い返されたり、有力者が、勝手に刺史や太守を勝手に任命したり、勝手に皇帝を名のったりする。そのあたりを、渋滞モデルで考えてみたいと思った。
西成氏の本を、読むのを再開する。つづく、のかな。111213

西成氏は、きっと渋滞の解決法について、教えてくれるはずだ。後漢や三国の幸福な収束について、なにか知見を得られるはず。と、まだ先を読まずに期待しておきます。