表紙 > 読書録 > 渡邉義浩『三国政権の構造と「名士」』を再読する

01) 「名士」論における、問題の立て方

渡邉先生の『三国政権の構造と「名士」』は、1年半前にやりました。

今回はとくに、序章と1章を詳しく読みなおし、感じるところを書きます。内容の抜粋は、すでに上記でやったので、やりません。
読みながら、村田哲也氏の「「名士」論についての一考察 ー渡邉義浩氏の「名士」論から貴族制論への展開をめぐってー」を参照します。村田氏の所説は、ぼくが参照したい範囲で、ひいてゆきます。

「名士」論は、反対者をも巻きこむ

なぜ今回、序章と1章だけをやるか。この2つの章で、だいたい「名士」の定義が完了しているからだ。
定義さえ完了すれば、あとはそれを使って、順番に三国を分析するだけ。 (「だけ」と言っても、それがカンタンだという意味じゃないです。) 分析が始まったあとに、途中参加しても、ぼくができることはない。

例えば剣術の達人と戦うなら、達人が剣を構えたあとに突っこんでも、勝目がない。(ほとんどの人が勝てないから、達人は達人と呼ばれるのだ)
では、どうするか。達人の剣が製造されている工場を差し押さえればいい。2章の蜀漢、3章の孫呉、4章の曹操は、すでに剣が完成して、達人が「かかってこい」と言っている。そこに飛びこんでも、無駄死だ。まだ剣を研いでいる、序章と1章で戦いを挑む。
村田氏の指摘も、序章と1章に集中していた。

「名士」というのは、渡邉先生による術語である。

渡邉先生は「名士」を、「分析概念」だと書いている。30ページ。「分析概念」という言葉を、ぼくが使い慣れていないから、代わりに「術語」という。理由は2つ。
1つ、ぼくは渡邉先生の本で、「分析概念」という言葉を初めて知った。ネットで検索したら「分析概念」という言葉がヒットするから、これが先生の造語だなんて言わない。しかしぼくが「分析概念」と口にするとき、どうしても渡邉先生の顔が浮かぶ。「名士」という渡邉用語だけでなく、「分析概念」という渡邉用語までも使わされるのは、もうタクサンである。ぼくにとって違和感のない、「術語」という言葉に言い換える。
2つ、袁術の「術」である。(バカ)

ぼくは思う。「「名士」論は是か非か」という言葉づかいで、問題設定をした時点で、すでに渡邉先生の術中である。

また「術」の字を使うことができた。(バカ)

そういう問題設定をすると、「名士」論を批判しているはずが、そうでなくなる。「名士」論を、より整合的なものにブラッシュアップするためには、どのように理解したら良いか、という方向に発想が引きずられる。渡邉先生と戦っているつもりで、渡邉先生の部下になっている。笑

レヴィナスを批判するつもりの論者が、気づいたらレヴィナスを擁護するハメになる。レヴィナスとは、そういう思想家らしい。同じ構図、同じ魔法?が、「名士」論の周囲でも起きているだろう。
村田氏の論文の一節「先行の「名士」』論をめぐる諸批判について」で、渡邉先生への批判が紹介されている。はじめは首を傾げていたらしい研究者たちが、いつのまにか「名士」論に、引きずり込まれていく過程を確認できる。「名士」という術語を使ううちに、渡邉先生の思考に巻きこまれる。笑
渡邉先生の一般向けの著作が、市場に溢れることで、ファンたちは、渡邉先生の本を厳密に読んだことがないのに、「名士」と口にしてしまう。
「名士」論論なんて、おもしろいかもなー。中国史の研究史を整理するという観点ではない。ある術語が、人々の思考を規定していくプロセスを分析してみるという観点。その素材が、たまたま三国志でした、というだけ。すでに、歴史学でも文学でもないけれど。

ぼくは今回、序章と1章で打ち切ることで、「名士」論の加担しすぎることを避ける。2章以降をあつかって、巻きこまれることを避ける。

ブルデューの援用に大賛成

いくらぼくが「名士」論から距離をとると言っても、 村田氏がやったように、コジツケの破綻を責めるだけでは終わりたくない。
村田氏は、渡邉先生が使った理論について、指摘する。「ブルデューは現代社会を扱ったものだから、魏晋南北朝の中国に単純に援用するのは、明らかな誤り」という。そりゃ、そうだけどさ。

いちおう補足すると、渡邉先生は「名士」の定義を、ブルデュー『ディスタンクシオン』で補強する。
渡邉先生は29ページで、ブルデューをひく。ブルデューは、文化を経済とおなじく資本ととらえる。文化資本という概念により、差異や階層の発生、秩序の構成がおきると。
ぼくは渡邉先生に啓発されて、豊田市図書館で『ディスタンクシオン』を借りた。よく分からなかった。だから、内田樹『街場の現代思想』で紹介されたブルデューを手がかりに理解する。ブルデューの原典に基づき理解していないから、誤読もあるだろうが、それも愛嬌のうち。すみません。誤読が知的イノベーションを生むこともある、という開き直り。
いまブルデューは「階層」と言ってるが、これはマルクスのいう「階級」と違うことに注意。と内田氏が書いてた。詳細は後述。

ぼくがブルデューの援用に反対しない理由は2つ。
1つ、ぼくが見つけられる破綻は、村田氏より遥かに少ないだろう。ぼくが、村田氏を追いかける理由がない。
2つ、否定しておしまい、というのでは、おもしろくない。学術的に無責任なぼくだからこそ提示できる、「名士」論に並ぶビッグ・ピクチャーを描いてみたい。そのためには、コジツケが激しいほうが楽しい。コジツケは、否定するものじゃなく、味わうものだ。ブルデューの件だって、思いつきの材料になるはずだ。
とくに2つ目が、ぼくにとって重要。
渡邉先生だって、ご存知だったでしょう。ブルデューが魏晋南北朝を、分析対象にしていないことを。分析対象のちがいを主な理由にして、批判するのは、ヤボじゃないか。違うことを分かった上で、何が同じで、何が違うかを考える。考える過程で、新たな気づきを見つける。そういう発想なのでしょう。

ぼくの誤読だったら取り下げるしかないが、渡邉先生が登場する時点で、中国史研究は「共同体」論を頂点にして、停滞していたのかも。「完成度がたかい」「優れた理論である」ということは、全くそのまま、停滞をまねく。だって、ピークから移動することは、転落を意味するから。ピークを離れる理由がないから。

「共同体」論が、いかに完成度がたかいか。ぼくの考えは後述する。

渡邉先生は、この停滞、均衡をやぶるために、「名士」論をつくってこられた。だったら、「いかにブルデューをうまく使うか」という視点から、「名士」について考えたらいいと思う。やる。
前置ばかり長くなったので、そろそろ序章1節へ。

貴族の自律性は「結論ありきの決めつけ」

序章1節 所有と文化/はじめに_005 より。
渡邉先生いわく、両晋南北朝を中心に、支配階層を形成した貴族は、5つの特徴がある。
  (1) 農民に対する階級的な支配者
  (2) 高官を世襲する、特権官僚
  (3) 「庶」に対する「士」という身分
  (4) 庶民が関与しない、文化の優越者
  (5) 皇帝権力にたいする自律性
この5つのうち、貴族を特徴づけるのは、(5)である。(1)から(4)は、ほかの時代、ほかの集団(豪族や郷紳、支配層、官僚、卿大夫士)にも見えるからである。

以上の内容を吟味することは、ぼくにはできない。範囲が大きすぎて、とても史料を読み切れない。概説書すら、読み切れない。

内容について言えば、渡邉先生のあげた5つが、MECE(モレなくダブりなく)になっているか疑問。階級支配者、特権官僚、「士」の身分、文化的優越者、などの性質は、並列できるものなのか。並列してよいほどに、同じ高さの概念なのか。本論のなかで「豪族」などの言葉が混ざってくると、さらに分からなくなる。

しかし、推論の形式から、疑問を口にすることができる。
おかしさに気づきやすくするため、カンタンな事例をあげる。
「A君には、5つの特徴がある。大阪出身である、お父さんが大阪市の公務員である、高校が私立である、骨折の経験がある、ネコを飼っていると。で、A君の特徴は、ネコを飼っている点である。なぜなら、B君とC君も、大阪出身、父が大阪市の公務員、私立高校卒、骨折経験ありだが、2人はネコを飼っていないからである」
ここから、
A君らしさは、ネコの飼育に立脚する!
と言えるか。微妙だな。(もしくは、言えないなあ)
まず最初にあげた5つの視点が妥当か、という吟味をしなければならない。漏れてないか、余計でないか、意味があるか、など。渡邉先生の本では、なんの説明もなく、この5つの性質から始まる。内容の意義はともかく、推論の形式から見れば、「ネコ飼いのA君」と同じである。

この推論をやって見せるのが有効なのは、「A君のネコ飼いを強調したい」というときだけ。つまり、結論ありきで問題を立てている。結論に整合するようにサンプリングして、分析・比較をやる。
この方法は、演繹である。
帰納的に事例をつみあげても、キリがない。1つでも反例があれば、結論がくつがえる。帰納とは、確実だが報われない方法。だが演繹は「きっとこうに違いない」とアタリをつけて、跳躍をする。結論に適合するように、話を組み立てる。インチキに見えるが、インチキでない。

渡邉先生の「名士」論は、演繹だと思う。だから帰納的に、1つずつ反例をあげても、(ぼくの想像では)渡邉先生からしたら、「だからどうしたの」だと思う。
「名士」論と張りあえるのは、「名士」という術語を使わないで、しかし、漢代から隋唐までを説明できる人だけだろう。中国史の「マナー」は別かも知れません。だが一般的に、目線の高さを揃えないと議論にならない、

話者が必勝の推論には、「形式に保証された正しさ」というものがある。
「もし私の身長が180センチ以上なら、私の身長は180センチ以上だろう」は、つねに正しい。もし私の身長が150センチでも、この発言は正しい。内容と関係なく、つねに正しい。
「もし貴族の性質がこれによって決まるなら、貴族の性質はこれによって決まる」という推論は、内容と関係なく、つねに正しい。

ぼくは、渡邉先生の推論(貴族の特徴は自律性である)が、誤っていると言いたいのではない。推論の形式がインチキくさい(反則級に強い)ことと、推論の内容の正しさのあいだには、なんの関係もない。ともあれ、渡邉先生が必勝する推論の形式で、この本が始まっているなあ、と指摘したかった。


南朝貴族の性質を、後漢末まで投影する

まだ005ページ。
渡邉先生はいう。貴族の自律性に、皇帝権力が介入できない。南斉の武帝が命じても、貴族たちは、武吏を貴族の列にくわえなかった。『南史』36。
ぼくは思う。この本は「三国政権」がテーマだが、問題設定は「貴族とは」から始まる。いきなり、頭が混乱する。混乱しないまでも、違和感がある。だって三国時代に貴族は主役でない。さっき渡邉先生は貴族を、両晋南北朝の支配層といったばかりだ。南斉??なんの話が始まったのだろう??と。

書店で「20代のビジネスマン必読」という本を買ったら、定年後の生活のアドバイスばかり書いてあったのと同じである。

ぼくは、頭のなかを修正せねばならない。
三国時代は、それ自体では、それ単独では、研究対象とはならない。秦漢のなれの果てか、両晋南北朝の起源か、どちらかの視点でながめるらしい。

よく「三国時代は史料が少ない」と言われる。史料が少ないから、研究分野の隙間に落っこちるのか。必然だとは言えないが、必要条件の1つかも。
「大学時代を語ろう」と思っても、いまいち思い出せないとする。仕方なく、「高校のときと同じスポーツをしたなあ」「就職活動で、この話をした」という、前後の記憶から復元を試みる。三国時代の研究は、これである。高校時代と断絶し、就職以後とも断絶する思い出は、消え去ってしまう。いくら大学生の瞬間、熱中したことでも。


秦漢の研究者は『三国志』に、秦漢の末路を見る。ただし、党錮あたりで興味が尽きるらしく、黄巾をもって後漢の滅亡とする。霊帝を「末期」といい、献帝の時代は「最末期」といい、例外あつかい。
両晋南北朝の研究者は『三国志』に、発芽をさがす。胎児の写真を見ながら、「やがてここが手になります。ここが足の指」という話をするのと同じ。話の内容は誤っていないだろうが、かなりムリがある。へんな魚みたいな生物に、人間の五体を投影するのは、コジツケである。想像力をたくましくする必要がある。
いま渡邉先生は、
貴族の話から始めた。つまりこの本の語りだしから、(渡邉先生の興味のありかとは別次元で)両晋南北朝の視点で三国時代を見ますよ、と宣言されたに等しい。この本のなかで、「この史料で、そこまで言えるかな」と疑問を持ったとしても、両晋南北朝との繋がりが説明されていれば、耳を傾けるべきだ。へんな魚に手足を見いだすスタンスで、読解に参加すべきだ。
ちょっと極端に言えば、三国時代そのものよりも、両晋南北朝との関係性のほうが、おもく扱われる。 三国時代を網羅的に記述するのでなく、両晋南北朝とのつながりが認められる部分が記される。

後漢末の「名士」は、史料そのものから読みとれる内容よりも、皇帝からの自律性が強調されるだろう。


この本を読むとき、「南斉の貴族のような性質を、どの段階から、どんなふうに見いだせるか」という関心の持ち方をしないと、意図を誤る。
ぼくの感想を先取れば、党錮のなかに見つけるのは難しいと思う。人間の胎児だと思って写真をめでていたら、誤って差しかえられたオタマジャクシの写真だった、という感じ。後述します。

魯粛は「名士」のなかで排除されるべき

006ページ。南斉の武帝をこばむほどの、貴族の自律性は、どこに由来するか。土地の「所有」でなく、「文化」である。

前述の内田氏がブルデューを説明したなかで、階層の閉鎖性を強調した。この考え方が、渡邉先生の議論には、あまり(まったく?)反映されていない。
階層の閉鎖性とはなにか。
良家に生まれた子は、「先天的」に文化を身につける。良家に生まれなかった子は、焦って「後天的」に文化を身につけようとする。しかし、所詮は後天的に勉強した文化だから、良家の子とはちがう。
20歳を過ぎたら、良家の子に追いつくのは不可能。良家でない子の、追いつこうという努力そのものが、見っともない。良家の子に排除されるしかない。ほら、閉鎖的! ブルデューの理路に沿えば、文化資本は「手に入れる」ものでない。「物心ついたら手にあった」ものなのだ。

家に両親の蔵書がたっぷりあれば、子供は「先天的」に、文化資本を手に入れる。蔵書がなければ、子供は「後天的」に努力するか、両親とおなじバカになるしかない。

学歴、資格、人脈、信用ならば、貧しい家に生まれた者でも獲得できる。良家の子でなくても、一定レベルにはなれる。だが、余裕をこいて芸術を鑑賞する眼は、物心がついた後では、獲得できない。
いい説明があった。
良家の子は、見た映画の配役名をおぼえる。良家でない子は、見ていない映画の監督名をおぼえる。わかりよい!

渡邉先生のあげる「名士」の典型例が、魯粛だ。072ページ。
渡邉先生は魯粛が周瑜にクラを譲渡して、「名士」の仲間入りをしたという。この行動そのものが、良家から見たら、「あら、やだ!なりふり構わず、恥ずかしい人だわ」である。努力とカネで、文化資本を手に入れようとした時点で、魯粛は後天的な「名士」である。排除される側である。

三公の家で、諸芸術ができる周瑜は、先天的「名士」なのでしょう。文化資本の持ち主なのでしょう。

ブルデューを渡邉先生よりも多く援用すれば、「名士」を二階層に分けることができる。魯粛はそれの下のほうである。

文化資本をもつ「貴族」の性質を、後漢末「名士」に探し求めると、いろいろ苦しい。魯粛のように、後天的な下級「名士」を、代表例にせざるを得なくなる。

南朝ならば、高官に世襲がおおい(らしい)ので、おしなべて先天的な文化資本をもった人々が溢れる(はずだ)。ぼくは南朝の正史群をちゃんと読んでないから、自信を持って断言できないが。

後漢末を「名士」で分析するのは、はなはだ苦しいが、最初から苦しくなるような問題の立て方をした。つまり、両晋南北朝の視点から、遡及的に後漢末をながめるという方法を選択した。苦しさゆえに「議論が妥当でない」ということにはならない。
くり返す。
渡邉先生のいう「名士」の性質と、後漢の史料が整合しないからと言って、「名士」を否定できない。胎児の写真を見守るような心持ちで、読むべきなのだ。両晋南北朝の萌芽をさがすという視点で、読むべきなのだ。

続編の西晋の本、まだ手に入れてない、、やば、、


話が散らかっている上に、渡邉先生の本が1ページしか進んでない。せっかく午後年休をとったのに。
つぎ、006ページから、先行研究の整理が始まる。これを、例え話をもちいながら、読み解こうと思う。また後日。120131