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八王の乱&永嘉の乱のMAP
三国が統一されたのに、いつから再分裂が始まったんだろう。それを確認すべく、地図を作ってみました。



曹丕、劉備に遅れること約10年。孫権がやっと皇帝を称した。狭義かつ厳密な「三国時代」の始まり。黄巾の乱から45年も経過してる!



263年、魏は蜀を滅ぼした。だがこの戦功は、魏のためならず。魏の最有力者である司馬昭に、手柄を提供するものだった。



文句のない功績を積んだ司馬昭。子の司馬炎の代に、魏から「禅譲」を受けて、晋を建国した。晋こそ、三国時代の幕引き役である。



異民族の侵入、家臣の派閥争い、後継者問題などのハードルはあったが、南征を敢行。ついに晋が天下統一した。



2代恵帝が、司馬倫に簒奪された。漢民族の張軌は、涼州刺史に赴任し、のちに半独立国を築く。氐族の李特は、労役に耐えられず謀反。



荊州では張昌が叛乱、部将の石冰が揚州を寇した。洛陽では、司馬倫を殺した司馬乂を除くため、冏・睿・顒の三王が立ち上がった。



順に執政した三王を掃除したのは、司馬越。各地の刺史は異民族の兵力を利用するが、制御が外れつつあり、匈奴の劉淵が独立の気配。揚州では陳敏が名士の支持を一時集めるが、すぐに瓦解。



洛陽が、劉淵によって陥落。西晋は滅びた。長安で司馬鄴が即位し(懐帝)、荀晞も独自に皇帝を擁立。揚州に、亜流の司馬睿が逃れた。



劉淵は長安を陥し、懐帝をも捕縛。前趙を建国。だが部将の石勒が独立し、後趙を建国。司馬睿は懐帝に代わり即位し、東晋を建てた(元帝)。

詳細まで作図してませんが、全体の流れは見えたと思います。
狭義の八王の乱が始まった301年時点で、すでに西晋の領土は分割が始まっていた。張軌の独立は、結果からたぐり寄せた感があるが、李特を平定できなかったことは、決定的で。
蜀は、民族やイデオロギーを越えて、小独立をしやすいのです。
揚州は、司馬睿が即位するまで、代表者がコロコロ変わった。いや、司馬睿が即位してからも、揚州の名士は服従をしなかった。

益州と揚州が、中原と独立した動きを見せることが、我らが三国志の人々が生んだ遺産だと思うのでした。090505
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このコンテンツの目次
八王の乱&永嘉の乱のMAP
229年
263年
265年
280年
301年
303年
307年
311年
319年