表紙 > 和訳 > 『白虎通』號(号)、諡、災変、封禅、天地 を抄訳

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『白虎通』巻1「号」

『白虎通』巻1「爵」は、『中国古典研究』で読めるので、続きから。
陳立が注釈した『白虎通疏証』が、まだ中国から届いていないので、引用とか、何もわからない! 字面を機械的に追って、でたらめな推測をするだけです。緊急度が高いので、やってしまいます。

帝・王・皇・帝とは何か

帝王者何?號也。號者,功之表也,所以表功明德,號令臣下者也。德合天地者稱帝,仁義合者稱王,別優劣也。《禮記謚法》曰:「德象天地稱帝,仁義所在稱王。」帝者天號,王者五行之稱也。皇者何謂也?亦號也。

「帝王」とはなにか。”号”である。”号”とは、功の表れである。功を表わにして、徳を明らかにするのは、臣下に”号”令するためである。
徳が天地に合う者を「帝」という。仁義の合うものを「王」という。「帝」と「王」は優劣の異なるものである。『礼記』諡法はいう。「が天地をかたどれば「帝」という。仁義があれば「王」という」と。
「帝」は天における”号”であり、「王」は五行における”称”である。

皇,君也,美也,大也。天之總,美大稱也,時質,故總之也。號之為皇者,煌煌人莫違也。煩一夫、擾一士以勞天下不為皇也,不擾匹夫匹婦故為皇。故黃金棄於山,珠玉捐於淵,巖居穴處,衣皮毛,飲泉液,吮露英,虛無寥廓,與天地通靈也。

「皇」とは何をいうのか。「皇」もまた”号”である。「皇」とは、「君」であり、「美」であり、「大」である。天の総(おさまる)ことを、ほめているのである。ときに「質」(「文」の反対語、質素なこと)であるから、これを総(おさめる)のである。

ぼくは思う。「時質,故總之也」がわかってない。注釈書がとどいたら、見直す。天とうまく、つながることかな。総合、統合、総括、統括、などのあたりの意味。

「皇」という”号”をつかう者は、煌煌として、人として、違えることがない。一夫に煩い、一士に擾いて、天下を労するのならば、「皇」の”号”をつかえない。匹夫や匹婦に擾わない者が、「皇」である。ゆえに、黄金は山に棄て、珠玉は淵に捐て、そまつな衣食をする者が、天地とともに霊を通じさせる。

ぼくは思う。天地とともに霊を通じさせ、こまかいことに煩わないのが「皇」なのか。世俗の称号のトップかと思いきや、なんだが脱世間な感じがする。どうせ違うけど、印象論だけ述べると、老荘とか仏教な感じ。


號言為帝者何?帝者,諦也,像可承也;王者,往也,天下所歸往。《鉤命決》曰:「三皇步,五帝趨,三王馳,五伯騖。」

「帝」という”号”をつかう者は、どんな者か。「帝」とは、「諦」である。像は、承けるべし?。「王」とは、「往」である。天下は、帰して、往くものである。『鉤命決』はいう。「三皇は歩み、五帝は趨り、三王は馳せ、五伯は騖(は)せる」と。

ぼくは思う。すべてを自分のところで退蔵してしまわずに。「帝」たる者は、諦めよく、思い切りよく、どんどん流通させてゆく。天下は、自分のところにきて、また去って行くもの。だから『鉤命決』によると、君主たちは、セコセコたえず運動・流動していた。「皇」は執着しなかったし、「帝」も運動しつづけて、周囲との関係を構築していく。自分だけを凝縮して、自分だけで「オレえらい!」と言うのではない。


天子と帝王、王の謙遜した自称

或稱天子,或稱帝王何?以為接上稱天子者,明以爵事天也;接下稱帝王者,得號天下至尊言稱,以號令臣下也。

あるときは爵の「天子」と称して、あるときは号の「帝王」と称するのは、なぜか。思うに、上に接して「天子」と称するときは、爵によって、天に仕えることを明らかにする。下に接して「帝王」と称するときは、号が天下の至尊であることによって、臣下に号令することを明らかにする。

ぼくは思う。すぐ下の段落で、王は、どんな一人称をするときも、謙遜をしている。だから「天子」というのも、謙遜した自称と理解して良いのではないか。


故《尚書》曰:「『諮四岳』,曰:『裕汝眾』。」或有一人。王者自謂一人者,謙也,欲言巳材能當一人耳。故《論語》曰:「百姓有過,在予一人。」臣謂之一人何?亦所以尊王者也。以天下之大、四海之內,所共尊者一人耳。故《尚書》曰:「不施予一人。」或稱朕何?亦王者之謙也。朕,我也。或稱予者,予亦我也。不以尊稱自也,但自我皆謙。

ゆえに『尚書』では、「「四岳に諮る」を、「汝衆に裕す」という」とあるのだ。

ぼくは思う。出典は注釈書が届いてから、ちゃんと特定してゆく。意味もわからず、これを書いてます。

あるいは王が、「一人」と自称することがある。王がへりくだっているのだ。王が、自分の才能が1人分にしか相当しないことを表現したいのだ。ゆえに『論語』にいう。「百姓に過失があれば、わたくし王1人の責任である」と。
臣が王を「一人」と呼ぶとき、どんな意図があるか。これもまた、臣が王を尊んでいるのである。大きな天下のもと、四海の内で、ともに尊ばれる者は1人だけである。ゆえに『尚書』はいう。「わたしは1人に施さず」と?。

ぼくは思う。臣下が「一人」のような、謙遜した言葉でよんでも、王の威厳は損なわれない。つまり王は、呼称によって尊いのでなく、もっとべつのところで、尊さが担保されているのだ。たとえば、社長がどれだけ卑屈なことを言っても、強い者は強いのだ。

あるいは王が「朕」と自称するのは、どんな意図があるか。これもまた、王がへりくだっている。「朕」とは「我」である。あるいは王が「予」と自称するのは、どんな意図があるか。王がみずからを尊称せず、ただへりくだっているのだ。

民が孝する対象としての君子

或稱君子何?道德之稱也。君之為言群也;子者,丈夫之通稱也。故《孝經》曰:「君子之教以孝也,下言敬天下之為人父者也。」何以言知其通稱也,以天子至於民。故《詩》云:「凱弟君子,民之父母。」《論語》云:「君子哉若人。」此謂弟子。弟子者,民也。

あるいは王を「君子」と称するのは、どんな意図があるか。道徳の”称”である。「君」とは「群」のことである。「子」とは、丈夫の通称である。ゆえに『孝経』はいう。「君子の教えは、孝を以てする。天下の人々の父として、君子は敬われる」と。なぜ「子」のような通称をつかうか。天子は、民に至るものだからだ。ゆえに『詩経』はいう。「凱弟君子、民之父母」と。『論語』はいう。「君子哉若人」と。これを「弟子」という。「弟子」とは、民のことである。

ぼくは思う。民の父としての王は、君子と呼ばれる。「孝」という表現をつかう思想領域にでてくるタームだから、「道徳の”称”」なのだ。
引用されている経典は、まるで理解できなかったが、日本語訳と比較していけば、ちゃんと分かる予定。趣旨はわかったので、とりあえず次にゆきます。


三皇である、伏羲、神農、燧人、祝融

三皇者,何謂也?謂伏羲、神農、燧人也。或曰伏羲、神農、祝融也。《禮》曰:「伏羲、神農、祝融,三皇也。」謂之伏羲者何。古之時未有三綱、六紀,民人但知其母,不知其父,能覆前而不能覆後,臥之言去言去,起之吁吁,饑即求食,飽即棄余,茹毛飲血而衣皮葦。於是伏羲仰觀象於天,俯察法於地,因夫婦正五行,始定人道,畫八卦以治下。治下伏而化之,故謂之伏羲也。

「三皇」というのは、何を意味するか。伏羲、神農、燧人の3つをいう。伏羲、神農、祝融の3つだともいう。『礼記』はいう。「伏羲、神農、祝融が、三皇である」と。
伏羲とは何か。伏羲について解説する。古代には、まだ三綱や六紀がなかった。民は母のみを知り、自分の父を知らなかった。前を覆うことはするが、後ろを覆えなかった。マナーが整備されていなかった。
そこで伏羲は、天を観測して、地を観察して、夫婦に五行のルールをつくった。はじめて人道を定めた。八卦をかたどり、民たちを治めた。民たちは、伏して教化してもらったので、教化した者を伏羲とよんだ。

ぼくは思う。おもしろいなー。でも関心から逸れてきた。笑


謂之神農何?古之人民,皆食禽獸肉,至於神農,人民眾多,禽獸不足。於是神農因天之時,分地之利,制耒耜,教民農作。神而化之,使民宜之,故謂之神農也。謂之燧人何?鑽木燧取火,教民熟食,養人利性,避臭去毒,謂之燧人也。謂之祝融何?祝者,屬也;融者,續也。言能屬續三皇之道而行之,故謂祝融也。

神農とは何か。神農について解説する。古代の人民は、禽獣の肉をたべた。神農の時代になると、人口が増えすぎて、食糧の禽獣が少なくなった。そこで神農は、農作を教えた。ゆえに農業を教えた者を、神農という。
燧人とは、過熱調理を教えた者である。祝融とは「属続」という意味である。三皇の業績に、よく接続するものであるから、祝融とよばれる。

五帝(黄帝、顓頊、嚳、堯、舜)

五帝者,何謂也?《禮》曰:黃帝、顓頊、帝嚳、帝堯、帝舜,五帝也。《易》曰:「黃帝、堯舜、氏作。」《書》曰:「帝堯、帝舜。」黃者中和之色,自然之姓,萬世不易。黃帝始作制度,得其中和,萬世常存,故稱黃帝也。謂之顓頊何?顓者,專也;頊者,正也;能專正天人之道,故謂之顓頊也。謂之帝嚳者何也?嚳者,極也,言其能施行窮極道德也。謂之堯者何?堯猶嶢嶢也,至高之貌,清妙高遠,優遊博衍,眾聖之主,百王之長也。謂之舜者何?舜猶舛舛也,言能推信堯道而行之。

五帝とは、だれか。『礼記』によると、黃帝、顓頊、帝嚳、帝堯、帝舜である。『易経』によると、黃帝、堯舜、氏作である。『書経』によると、帝堯、帝舜である。
黄帝の「黄」とは、中和の色であり、自然の姓であり、萬世にわたり変わらない。はじめて中和・中正な制度をつくり、その制度がずっと使われている者を、黄帝という。
顓頊とはなにか。「専正」という意味である。もっぱら天と人の道を正したので、この呼称がある。帝嚳とはなにか。帝「極」という意味である。道徳を極めたので、この呼称がある。帝堯とはなにか。「堯」とは、嶢嶢とした、高い山のことである。高みにあり、百王の長にいたので、この呼称がある。帝舜とはなにか。「舜」とは、舛舛(左右の足がならぶ)として、帝堯の業績をよく踏襲したから、この呼称がある。

三王(夏殷周)と、国号を変えること

三王者,何謂也?夏、殷、周也。故《禮士冠經》曰:「周弁、殷鼾、夏收,三王共皮弁也。」所以有夏殷周號何,以為王者受命,必立天下之美號以表功自克,明易姓為子孫制也。
夏、殷、周者,有天下之大號也。百王同天下,無以相別,改制天子之大禮號,以自別於前,所以表著已之功業也。

三王とは、だれか。夏、殷、周である。ゆえに『禮士冠經』では、「周弁、殷鼾、夏收。三王はすべて、皮弁である?」という。夏、殷、周という国号があるのは、なぜか王者が受命すると、必ず天下の美号を立て、自らが勝った功績をあらわす。受命する者の姓が易わったことを明らかにし、子孫のために道筋をつくる。

ぼくは思う。これが退蔵のはじまり!おもしろい!

夏、殷、周とは、天下の大號である。百王が天下を同じくすれば、区別がなくなってしまう。だから、天子の大禮号を改制する。百王から自分を区別する。自分の功業を明らかにする。

必改號者,所以明天命巳著,欲顯揚巳於天下也。己復襲先王之號與繼體守文之君,無以異也,不顯不明,非天意也。故受命王者必擇天下美號,表著已之功業,明當致施是也。所以預自表克於前也。

必ず号を改めるのは、自分に天命が表れていることを、天下に明らかにするためである。先王の号と体制を踏襲すれば、功業が明らかにならず、天意を受信したことにならない。ゆえに受命した王者は、必ず天下の美號をえらび、自分の功業を明らかにするのである。前代を打ち破ったことを表すのである。

ぼくは思う。先後関係、因果関係としては、潜在的に功績があり、受命して、美号をつかい、功績を明らかにする。美号によって、百王のなかから、1つ抜け出したことを表現する。そのまま『白虎通』に書いてあるけど、美号をつかわないで、ふるい国号を踏襲していると、百王のなかから、1つ抜け出せない。抜け出したから美号をつかうのでなく、抜け出したことを明らかにするために、抜け出したことによる序列の変化を正すために、美号をつかう。美号を使わないことで、もしかしたら受命しているかも知れないのに、その資格を失う。リアルだなあ!
ぼくは思う。ここに書かれていることは「自明」に属さない。いや、自明でないから、わざわざ書き記されるわけで。いや、すべての事柄において、「自明」なことなんて、何ひとつないのかな。必ず、ある価値判断が含まれている。ここに書かれたロジックが、漢室を正統づけるものであり、漢室の滅亡を(時限装置的に)防止するはずである。そういうものとして、読まねばならんなあ。
ぼくは思う。堯舜禹は、易姓革命の前例としてカウントされていない(漢魏革命では根拠になるのに!!)。しかし、殷周革命などは、積極的に認められて、いちいち丁寧に革命の手順や考え方まで書いてある。殷周革命を正統化することが、儒教の「国教」化!?にとって、必要なことだったのか。


王は国号を定めて卓越化する

帝王者居天下之尊號也。所以差優號令臣下。謚者行之跡也。所以別於後代。著善惡。重無窮,無自推觀施後世皆以勸善著戒惡。明不勉也,不以姓為號何?姓者,一定之稱也,尊卑所同也。諸侯各稱一國之號而有百姓矣,天子至尊,即備有天下之號,而兼萬國矣。

帝王は、天下の尊號を用いる。臣下と差異があり、臣下より優越するので、臣下に号令する。

ぼくは思う。王は、もと同僚たち(百王)に対して、自分を区別する。臣下に対して、自分を区別する。ディスタンクシオンする。『白虎通』はおもしろいなあ!

「謚」とは、業績のあとである。「謚」とは、その王を、後代と区別するものである。善悪を明らかにし、無窮なることを重んじる。「諡」は、後世の子孫たちに、勧善懲悪するためのものでない。
なぜ姓を国号としないのか。姓とは”一定の称”である。尊卑に区別がなく、他氏と差別化できない。諸侯は”1国の号”を称して、百姓をたもつ。天子は至尊であるから、”天下の号”をもち、万国をたもつ。

ぼくは思う。天子を諸侯に埋没させてはいけない。ところで「漢」とか「劉」について、なにも書いていないのは、なにか意味があるのだろうか。一般的な学説、故事、などを論じながら、直接的な問題に言及しないのがスマートか。


夏者,大也,明當守持大道。殷者,中也,明當為中和之道也。聞也,見也,謂當道著見中和之為也。周者,至也,密也,道德周密,無所不至也。何以知即政立號也?《詩》云:「命此文王,於周於京。」此改號為周,易邑為京也。《春秋傳》曰:「王者受命而王,必擇天下之美號以自稱也。」五帝無有天下之號何?五帝德大能禪,以民為子,成於天下,無為立號也。或曰:唐、虞皆號也。唐,蕩蕩也,蕩蕩者,道德至大之貌也。虞者,樂也,言天下有道,人皆樂也。故《論語》曰:「唐、虞之際。」帝嚳有天下,號高辛,顓頊有天下。號曰高陽,黃帝有天號曰自然者,獨宏大道德也。高陽者,陽猶明也,道德高明也。高辛者,道德大信也。

「夏」とは「大」のこと。大道をまもる。「殷」とは「中」のこと。中和の道をゆく。「周」とは「至」や「密」のこと。道德が周密で、至りつくすこと。

ぼくは思う。このように、美号には、美号たる由来があるのですと。漢室は、漢水という地名からとってるけど、大丈夫だろうか。

なぜ執政するとき、国号を立てるのか。『詩経』はいう。「これを文王に命じたのは、周の京である」と。これにちなみ、国号を周として、邑の地名を京とした。『春秋傳』はいう。「王者は、受命して王たり。必ず天下の美号をえらび、自ら称する」と。
五帝には、”天下の号”がなかったか

ぼくは思う。いい質問ですねえ!聞きたかった!

五帝は大いに徳があり、民をわが子として、天下を成した。だが国号がない。ある人は、堯の「唐」、舜の「虞」が、国号だという。どちらも美号だと解釈できる。ゆえに『論語』で「唐虞のころ」と記すのだ。
帝嚳は「高辛」という国号を、顓頊は「高陽」という国号があった。黄帝は「自然」という天号があった。すべて道徳を明らかにする美号である。

@Jonathan_apple さんはいう。ちなみに陳立氏の当該箇所に関する注釈で【「有熊」旧誤作「自然」】って書いてある。


五覇がやらなかった、人臣の義

五霸者,何謂也?昆吾氏、大彭氏、豕韋氏、齊桓公、晉文公也。昔三王之道衰,而五霸存其政,率諸侯朝天子,正天下之化,興復中國,攘除夷狄,故謂之霸也。昔昆吾氏,霸於夏者也;大彭氏、豕韋氏,霸於殷者也;齊桓、晉文,霸於周者也。

「五霸」とは、なにか。昆吾氏、大彭氏、豕韋氏、齊桓公、晉文公のことである。三王の政道がおとろえ、五霸が執政した。諸侯をひきい、天子に朝見して、天下の教化をただした。中国を回復し、夷狄を攘除した。ゆえに「覇」という。

ぼくは思う。春秋の五覇って、だれを含めるか意見が割れているという話を聞いたことがあるが。後漢の公式見解は、こうして明確に決まっている。と思ったら、「決まっていない」ことが決まっていた。

むかし昆吾は、夏代に「覇」となった。大彭氏、豕韋氏は、殷代に「覇」となった。齊桓公、晉文公は、周代に「覇」となった。

或曰:五霸,謂齊桓公、晉文公、秦穆公、楚莊王、吳王闔閭也。霸者,伯也,行方伯之職,會諸侯,朝天子,不失人臣之義,故聖人與之。非明王之張法。霸猶迫也,把也,迫脅諸侯,把持其政。

あるいは「五覇」とは、齊桓公、晉文公、秦穆公、楚莊王、吳王闔閭のことだという。「覇」とは「伯」である。”方伯の職”をおこなう。諸侯に会し、天子に朝し、人臣の義を失わずゆえに聖人は、五覇とともにした。だが五覇は、明王の張法ではない。「覇」とは「迫」や「把」であるから、諸侯を脅迫して、政権を把持した。

ぼくは思う。乱世において人臣がなにをやるべきか、きっちり書いてある。どうせ理論上のことだと(おそらく後漢の当局でも)思っていただろうが。後漢末に「人臣の義を失わず」であることが求められ、それどおりに行動した者しか、勝ち残れなかったという!


《論語》曰:「管仲相桓公,霸諸侯。」《春秋》曰:「公朝於王所。」於是時晉文之霸。《尚書》曰:「邦之榮懷,亦尚一人之慶。」知秦穆之霸也。楚勝鄭而不告,從而攻之,又令還師,而佚晉寇。圍宋,宋因而與之平,引師而去。知楚莊之霸也。蔡侯無罪而拘於楚,吳有憂中國心,興師伐楚,諸侯莫敢不至。知吳之霸也。或曰:五霸,謂齊桓公、晉文公、秦穆公、宋襄公、楚莊王也。宋襄伐齊,亂齊桓公,不擒二毛,不鼓不成烈。《春秋傳》曰:「雖文王之戰不是過。」知其霸也。

『論語』はいう。「管仲は桓公をたすけ、諸侯に霸させた」と。『春秋』はいう。「桓公は王所において朝する」と。これにおいて、晋文公が覇者となる時期にうつる。『尚書』はいう。「邦の榮懷は、また一人の慶を尚ぶ」と。以後、時系列。
あるいは「五覇」とは、齊桓公、晉文公、秦穆公、宋襄公、楚莊王である。『春秋伝』はいう。「文王は戦ったけれども、過失がなかった」と。文王の「覇」となる。

ぼくは思う。よく分からないでここを書いてます。そのこと(分かってないこと)は、分かって書いているので、病気ではありません。笑


自国内においても、王を「帝」と呼ぶな

伯、子、男臣子於其國中,褒其君為公。王者臣子獨不得襄其君謂之為帝何?以為諸侯有會聚之事,相朝聘之道。或稱公而尊,或稱伯、子、男而卑。為交接之時,不私其臣子之義,心俱欲尊其君父,故皆令臣子得稱其君為公也。

「伯」「子」「男」の臣子は、国内で自分の君主をほめて「公」とよぶ。臣子はなぜ、国内においても、自分の君主を「帝」と呼んではいけないか。諸侯が會聚する場は、朝聘の道に対応している。「公」と称すれば尊ぶことになり、「伯」「子」「男」と称すれば卑しむことになる。交接するとき、国内においても、臣子の義を私物化しない。心のなかで、君父(国外にいる唯一の天子)を尊ぶため、自分の君主を「公」としか呼んではならない。

ぼくは思う。もしバレなくても、カゲであっても、天子と王を混同するような呼称を使ってはいけないと。ウラを返せば、国内においては、ほぼ天子と同等の権威をもつ国君が、「おれを帝と呼べ!!」と言っていた。そういう不遜が、ふつうに起こるものだったのだ。春秋時代にせよ、後漢末にせよ、同じである。呼称によって秩序をつくり、秩序が崩れないようにした。さすが、テキストから入る儒学者!


帝、王異時,無會同之義,故無為同也。何以諸侯德公齊侯桓公。《尚書》曰:「公曰:「嗟」,秦伯也。《詩》云:「覃公惟私」,覃子也。《春秋》曰:「葬皆繆公」,許男也。《禮大射經》曰:「則擇獲。」大射者,諸侯之禮也,伯、子、男皆在也。

帝と王は、登場?のタイミングが異なり、一堂に会する場をもたない。ゆえに呼称が混同されることがない。それなのに、なぜ諸侯(天子でない者)を、「公」と呼ぶと言えるのか。

ぼくは思う。なぜ『白虎通』はそんなことを書くのか。その史料的な根拠を、これからお見せしますからね!ということなんだろう。

『尚書』で「嗟」と発言した「公」とは、秦の伯爵である。『詩経』で「覃公はただ私のみ」と発言したのは、覃の子爵である。『春秋』で「葬皆繆公」とある「公」とは、許の男爵である。『禮大射經』に「則擇獲」とあるが、このように大射するのは、諸侯の禮である。 「伯」「子」「男」が、「公」という用例が全てそろった。

ぼくは思う。終わりです。平日の晩、1日でいけるな!


ぼくは思う。号は終わりです。ギリギリ判読可能かも? 細部は全滅しているけど、まったく意味が分からないわけじゃない。なぜなら『白虎通』は、いわゆる”論文”だからか。単純明快で、一義的に意味がとおり、論理的に書いてゆかねばならない。だから、ぼくらの胸の中のロジカルな部分に、訴えかけてくるのだ。120919

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『白虎通』巻1「諡」

死後に「諡」が決められる

謚者何也?謚之為言引也,引烈行之跡也。所以進勸成德,使上務節也。故《禮特牲》曰:「古者生無爵,死無謚。」此言生有爵,死當有謚也。死乃謚之何?言人行終始不能若一,故據其終始,後可知也。士冠經曰:「死而謚之。」今也所以臨葬而謚之何?因眾會,欲顯揚之也。故《春秋》曰:「公之喪自乾侯。」昭公死於晉乾侯之地,數月歸,至急,當未有謚也。《春秋》曰:「丁巳葬,戊午日下側,乃克葬。」明祖載而有謚也。

「謚」とは何か。言葉を引くものである。烈行の事跡を引くものである。徳を成すことを勧めるのは、上(君主)に節を務めさせるためである。ゆえに『禮特牲』はいう。「古代において、生者に爵がなく、死者に謚がない」と。この引用箇所は、現代において、生者には爵があり、死者には諡があることを示す。
死者に諡をするのは、なぜか。人の行いは単純ではないため、死んで初めて事跡が明らかになるためである。 『士冠經』はいう。「死んだら諡する」と。
いま、葬儀に臨んで、諡するのはなぜか。葬列した者たちに、示すためである。ゆえに『春秋』はいう。「(昭)公の死体が、乾侯からきた」と。昭公が外出している途中、晉の乾侯という土地で死に、数ヶ月して死体が帰ってきた。まだ「諡」がなかった。ゆえに引用箇所は、死体を「公」と呼ぶのだ。『春秋』は、葬ったあとは、昭公を諡でよぶ。

1字の諡と、2字の諡

黃帝,先黃後帝何?古者順死生之稱。各持行合而言之。美者在上,黃帝始製法度。得道之中,萬世不易。名黃自然也,後世雖聖,莫能與同也。後世得與天同,亦得稱帝,不能立製作之時,故不得復黃也。

「黄帝」というとき、さきに「黄」があり、あとに「帝」というのはなぜか。古代において、死後の称号と、生前の称号の順序を守るからである。それぞれの文字には、意味がある。美称は、上にもってくるものだ。黄帝は、はじめて法制をつくり、中庸をいき、黄帝の法制は永遠である。「黄自然」という国号をつかった。後世の聖人(孔子)であっても、黄帝には勝てない。後世に、天命と同調した者が「帝」と称することはできても、黄帝のように初めて法制をつくることはできないから「黄」を称することはできない。

ぼくは思う。「黄」とは、死後の称号のようです。生前は「帝」であり、「帝」であれば、ほかの人々も名のることができた。しかし「黄」だけは、唯一無二のオリジナルであるから、これを先に言うようです。「帝黄」では、黄帝のすばらしさが薄れてしまう。


謚,或一言,或兩言何?文者,以一言為謚;質者,以兩言為謚。故尚書曰:高宗殷宗也。湯死後稱成湯,以兩言為謚也。號無質文、謚有質文何?號者,始也,為本,故不可變也。周巳後用意,尤文以為本。生時號令善,故有善謚,故捨文武王也。合言之,則上其謚,明別善惡,所以勸人為善、戒人為惡也。

諡とは、あるものは1字であり、あるものは2字である。どういう理由か。「文」であれば、諡は1字である。「質」であれば、諡は2字である。ゆえに『尚書』は、「高宗」「殷宗」と2字の諡をいう。

ぼくは思う。文とは、華やかに飾ることで、質とは、質素で飾り気がないこと。『白虎通』巻7に「文質」という篇があるから、これを読めば分かるに違いない。

殷の湯王の死後、「成湯」と2字で諡された。
号には「質」と「文」の区別がないが、なぜ諡には「文」と「質」の区別があるか。号とは始まりであり、本になるものであるから、変えられない。周より以後、号は「文」が基準となった(1字の諡号が標準となった)。生前にうまく号令して執政した者は、死後によい諡がついた。いくら諡を良いものにしたくても、1字が標準なので、「文武王」のような、2字の諡をつけなかった。事跡に言葉を対応させ、君主に諡をつける。これにより、善悪を明らかにして、善を勧めて悪を戒めた。

ぼくは思う。後漢は2字だから、「質」なのだ。


堯の「堯」という諡

帝者,天號也,以為堯猶謚,顧上世質直,死後以其名為號耳。所以謚之為堯何?為謚有七十二品。《禮記謚法》曰:「翼善傳聖謚曰堯,仁聖盛明謚曰舜,慈惠愛民謚曰文,強理直謚曰武。」

「帝」とは、天の号である。帝堯の業績がすばらしいので、生前の名をそのまま号にした。なぜ「堯」を諡としたか。諡には72のランクがある。『禮記謚法』によると、「翼善傳聖した者を堯とする。仁聖盛明した者を堯とする。慈惠愛民した者を文とする。強理直だった者を武とする」という、諡の規定がある。ゆえに「堯」は、生前の名であると同時に、諡の規定にも適ったものである。

天子、諸侯、それ未満への諡

天子崩,臣下至南郊謚之者何?以為人臣之義,莫不欲褒大其君,掩惡揚善者也。故之南郊,明不得欺天也。故《曾子問》:「孔子曰:天子崩,臣下之南郊,告謚之。」

天子が崩ずると、臣下は南郊にゆき、天子に謚するのはなぜか。人臣之義において、みずからの君主を褒大するのが規定である。ゆえに南郊にゆき、天を欺けないことを明らかにするのである。『曾子問』はいう。「孔子が言った。天子が崩じた。臣下は南郊にゆき、天子に諡したことを天に告げよ」と。

諸侯薨,世子赴告天子,天子遣大夫會其葬而謚之何?幼不誄長,賤不誄貴,諸侯相誄,非禮也。臣當受謚於君也。

諸侯が薨じると、世子(諸侯の後嗣)は天子のところに赴き、父の死を告げる。天子が大夫をつかわし、諸侯の葬儀にでるのはなぜか。年少者は、年少者をとむらない。卑賤者は、尊貴者をとむらはない。諸侯がとむらいあう(諡を贈りあう)のは、礼儀に反する。臣下は、君主から諡をもらうべきである。

卿大夫老歸死有謚何?謚者,別尊卑、彰有德也。卿大夫歸,無過,猶有祿位,故有謚也。 夫人無謚者何?無爵故無謚。或曰:夫人有謚。夫人一國之母,修閨門之內,群下亦化之,故設謚以彰其善惡。《春秋傳》曰:「葬宗恭姬。」《傳》曰:「稱謚何?賢也。」《傳》曰:「哀姜者何?莊公夫人也。」卿大夫妻無謚何?賤也。八妾所以無謚何?卑賤無所能務,猶士卑小,不得有謚也。太子夫人無謚何?本婦人隨夫,太子無謚,其夫人不得有謚也。天子太子元士也。士無謚,知太子亦無謚也。附庸所以無謚何?卑小無爵也。《王制》曰:「爵祿凡五等。」附庸本非爵也。

卿大夫が老死したとき、どのように諡するか。謚とは、尊卑を区別し、徳のあることを明らかにするものである。卿大夫に過失がなければ、生前の祿位に応じて、諡をつける。
夫人(女性)には、諡がないのか。夫人には爵位がないので、諡もない。
想定される反論として、ある者が言うだろう。夫人にも諡はある。もし夫人が1国の母(国王の母)ならば、生前の善悪を明らかにするため、諡をつけるのだ。『春秋傳』に事例がある。
卿大夫の妻や八妾は、なぜ諡がないか。賤しいからである。太子の夫人は、なぜ諡がないか。夫人の爵は、夫に引きずられる。太子には諡がないので、その夫人も諡がないのだ。天子の太子は、元?士である。士には諡がない。だから天子の太子にも、諡がない。
附庸(以上にあげた者より賤しい者)は、なぜ爵位がないか。卑小だからである。『王制』はいう。「爵祿は、ぜんぶで五等」と。附庸には、もとより爵位がないのだ。

婦人や大夫に「君」の諡を追加

後夫人於何所謚之?以為於朝廷。朝廷本所以治政之處,臣子共審謚,白之於君,然後加之。婦人大夫,故但白君而已。 顯號謚何法?法曰未出而明。已入有餘光也。

なぜ、のちに夫人は諡を与えられるようになったか。朝廷が与えたのである。朝廷は、本来は治政するところである。臣子たちが、諡について協議して、「君」という諡を付けることにした婦人や大夫は、「君」とだけ諡する。

何以知不之南郊也?婦人本無外事,何為於郊也?《禮曾子問》曰:「唯天子稱天以誅之。」唯者,獨也,明天子獨於南郊耳。

なぜ婦人や大夫が死んだとき、天子のように南郊しないか。婦人は、本来は外事をしないから、郊外で祭るのがおかしい。『禮曾子問』はいう。「ただ天子のみが天と称して、違反者?を誅する」と。天子だけが唯一の存在であり、天子だけが南郊されることが窺われる。号や諡のつけかたは、どんな明文法に書いてあるか。書いてない。古代からの慣例で、それとなく決めるのである。

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『白虎通』巻4「災変」

災異のこと

天所以有災變何?所以譴告人君,覺悟其行,欲令悔過修德,深思慮也。《授神契》曰:「行有玷缺,氣逆於天,情感變出,以戒人也。」

天は、なぜ災変をするのか。人君に譴告するためである。人君の行を悟らせ、過失を後悔させ、徳を修めさせ、思慮を深くさせるためである。『授神契』はいう。「行動に欠陥があるなら、気が天に逆らう。情感は變出して、人を戒める」と。

災異者,何謂也?《春秋潛潭巴》曰:「災之言傷也,隨事而誅;異之言怪也,先發感動之也。」
何以言災有哭也?《春秋》曰:「新宮火,三日哭。」《傳》曰:「必三日哭何?禮也。」災三日哭,所以然者,宗廟先禮所處,鬼神無形體,曰今忽得天火,得無為災所中乎?故哭也。

「災異」とは、何のことか。『春秋潛潭巴』はいう。「「災」とは「傷」である。事に随って誅する。「異」とは「怪」である。先に感を発して、これを動かすのだ」と。
なぜ「災」があれば哭くのか。『春秋』に「新宮が火災となり、3日、哭いた」とあるからである。『傳』はいう。「なぜ必ず3日、哭くのか。礼だからである」と。宗廟は祭られた場所を礼するが、鬼神は形体がなく(祭られた場所もなく)、天火(落雷)を起こす。鬼神が天火を起こせないように、哭するのである。

変のこと

變者何謂也?變者,非常也。《耀嘉》曰:「禹將受位,天意大變,迅風靡木,雷雨晝冥。」服秉者何謂也?衣服乍大乍小,言語非常。故《尚書大傳》曰:「時則有服秉也。」孽者何謂也?曰:介蟲生為非常。《尚書大傳》曰:「時則介蟲之孽,時則有龜孽。」堯遭洪水,湯遭大旱,示有譴告乎?堯遭洪水,湯遭大旱,命運時然。所以或災變或異何?各隨其行,因其事也。

「変」とは、何のことか。「非常」である。『耀嘉』はいう。「禹が帝位を受けるとき、天意は大変した。迅風が木をなびかす。昼なのに、雷雨が暗くする」と。
「服秉」とは、何のことか。衣服が乍大乍小で、言語が非常であることである。ゆえに『尚書大傳』はいう。「服秉あるなり」と。「孽」は、何のことか。ムシが非常であることである。ゆえに『尚書大傳』に用例がある。
帝堯のとき洪水があり、殷湯のとき日照があった。これは天からの譴告か。そうではない。ただのタイミングである。どうして、同じような洪水や日照でも、災異による譴告であったり、ただのタイミングであったりするか。当時の君主の行動にしたがって、判定するのである。

ぼくは思う。後漢の「合理的な」人々は、この説明で納得できたのか。もちろん、20世紀的なサイエンスを基調とするぼくらと、後漢の人々が、価値観を違えることは知っている。しかし、単純に論理的に読もうとしたとき、この文章はおかしい。人間から見て、君主の行いが正しければ、いかなる災害も、「天からの譴告」ではない。だとするなら、天は意志を発揮する手段はなく、ただ人間が判定しているだけである。天を敬う人々が、このロジックを許したのか。


霜と雹、日食と月食

霜之為言亡也,陽以散雲。雹之為言合也,陰氣專精,積合為雹。

霜は「亡」である。陽は雲を散らす(霜はすぐに解けて亡くなる)。雹は「合」である。陰気が精をもっぱらにして、積み合って雹となる。

ぼくは思う。本紀に霜の記述があったら、ヤバいじゃん。


日食者必殺之何?陰侵陽也。鼓用牲於社。社者眾陰之主,以朱絲縈之,鳴鼓攻之,以陽責陰也。故《春秋傳》曰:「日食鼓用牲於社。」所以必用牲者,社,地別神也,尊之,故不敢虛責也。日食,大水則鼓於用牲於社,大旱則雲祭未雨,非苟虛也,助陽責下,求陰之道也。

日食があると、必ずこれを”殺する”のはなぜか。陰が陽を侵すからである。鼓をたたき、牲(いけにえ)を社に供える。「社」とは衆陰の主である。鼓を鳴らして賑やかにし、陽で陰をはらう。『春秋傳』にこの記述がある。
必ず牲をもちいるのは、社と地は異なる神だからである?。地神をとうとび、どさくさで地神を咎めないためである。日食や洪水があると、牲を社に供える。日照があると、雲を祭って、陰の道をもとめる。

月食救之者,陰失明也,故角尾交日。月食救之者,謂夫人擊鏡,傅人擊杖,庶人之妻楔搔。太平之時,時雨時霽,下以恆陽而以時陽,天地之氣宣也。

月食を”救する”のはなぜか。陰が明るさを失わせるからである。月食があると、婦人は鏡をうち、傅人は杖をうち、庶人の妻は楔搔する。太平のとき、雨が降ったり、晴れたりするのは、天地の気があっているからだ。

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『白虎通』巻5「封禅」

なぜ泰山で封禅するか

王者易姓而起,必升封泰山何?教告之義也。始受命之時,改制應天,天下太平,功成封禪,以告太平也。所以必於泰山何?萬物所交代之處也。必於其於何?因高告高,順其類也,故升封者增高也,下禪梁甫之山基廣厚也。

王者が易姓をはじめると、必ず泰山を昇って封じるのはなぜか。「教告之義」である。初めて受命するとき、制を改め、天に応じる。天下は太平となり、功は成る。封禪して太平を告げる。
なぜ必ず泰山なのか。泰山は、萬物が交代する場所だからである。泰山しかダメなのか。高い場所で、高くに告げるため、昇らねばならない。泰山は、梁甫の山につらなり、裾野が広くて厚い。

刻石紀號者,著己之功跡也,以自效放也。天以高為尊,地以厚為德,故增泰山之高以放天,附梁甫之基以報地,明天地之所命,功成事遂,有益於天地,若高者加高,厚者加厚矣。或曰:封者,金泥銀繩。或曰:石泥金繩,封以印璽。故孔子曰:「昇泰山,觀易姓之王,可得而數者七十有餘。

石碑に、紀號を刻むのは、己の功跡をあらわすためである。あの孔子が「泰山に昇り、易姓の王を観る。70余を数えられる」という。

ぼくは思う。ちょっと省いてしまった。


封者廣也,言禪者,明以成功相傳也。梁甫者,太山旁山名,正於梁甫何?以三皇禪於繹繹之山,明己成功而去,有德者居之。繹繹者,無窮之意也。五帝禪於亭亭者,制度審諦、德著明也。三王禪於梁甫之山者,梁信也,甫輔也,輔天地之道而行之也。

「封」とは「廣」である。「禅」とは、明にして以て功を成し、相い傳うるなり。
「梁甫」とは、泰山の傍らの山である。なぜ「梁甫」という名なのか。三皇が禅したのは、繹繹之山であった。繹繹とは、無窮という意味である。五帝が禅したのは、亭亭であった。三王が禅したのが、梁甫の山であった。「梁」は「信」であり、「甫」は「輔」である。天地之道を輔するという意味である。

太平乃封知告於天,必也於岱宗何?明知易姓也。刻石紀號,知自紀於百王也。燎祭天,報之義也,望祭山川,祀群神也。《詩》云:「於皇明周,陟其高山。」言周太平,封太山也。又曰:「墮山喬獄,允猶翕河。」言望祭山川百神來歸也。

太平となり、封して天に告げるのは、なぜ必ず岱宗なのか。易姓を明らかにして知らせるためである。石に紀號を刻み、自らの王朝を百王まで知らせる。燎して天を祭り、易姓を報せるのが正しい。望んで山川を祭り、群神を祀するのが正しい。
『詩経』にいう。「於皇明周,陟其高山。」と。「周太平」というのは、泰山を封じることである。また「墮山喬獄,允猶翕河。」ともいう。望んで、山川の百神を祭ることをいう。

王者の徳が、天地と感応する

天下太平符瑞所以來至者,以為王者承統理,調和陰陽,陰陽和,萬物序,休氣充塞,故符瑞並臻,皆應德而至。德至天則斗極明,日月光,甘露降;德至地則嘉禾生,蓂莢起,秬鬯出,太平感;

天下は太平である。符瑞をうけとった王者は、天の統理を承け、陰陽を調和させる。陰陽が和しており、萬物は序列がととのう。休氣が充塞する。ゆえに符瑞が、ならび至ったのである。みな、王者の徳に応じて至ったのである。王者の徳が天に至れば、斗極(北極星)が明らかになり、日月が光り、甘露が降る。徳が地に至れば、嘉禾がはえて、蓂莢がたち、秬鬯がでる。太平が感応する。

德至文表則景星見,五緯順軌;德至草木朱草生,木連理;德至鳥獸則鳳皇翔,鸞鳥舞,麒麟臻,白虎到,狐九尾,白雉降,白鹿見,白鳥下;德至山陵則景雲出,芝實茂,陵出異丹,阜出蓮莆,山出器車,澤出神鼎;德至淵泉則黃龍見,醴泉通,河出龍圖,洛出龜書,江出大貝,海出明珠;德至八方則祥風至佳氣時喜,鐘律調,音度施,四夷化,越裳貢。

徳が文表に至れば、景星が見える。五緯が軌道をそろえる。德が草木にいたれば、朱草が生えて、木は連理する。以下、おめでたいこと。
音楽が整えば、四夷が朝貢してくる。

孝道至則以蓮莆者,樹名也,其葉大於門扇,不搖自扇,於飲食清涼,助供養也。繼嗣平明則賓連生於房戶。賓連者,木名也,連累相承,故在於房戶,像繼嗣也。日曆得其分度,則蓂莢生於階間。蓂莢樹名也,月一日生一莢,十五日畢,至十六日去莢,故莢階生似日月也。賢不肖位不相逾,則平路生於庭。平路者,樹名也,官位得其人則生,失其人則死。
狐九尾何?狐死首丘,不忘本也,明安不忘危也。必九尾者也?九妃得其所,子孫繁息也。於尾者何?明後當盛也。

めでたいことの説明、いろいろ。はぶく。

めでたいことの、語句など

景星者,大星也。月或不見,景星常見,可以夜作,有益於人民也。 甘露者,美露也,降則物無不盛者也。 朱草者,赤草也,可以染絳,別尊卑也。 醴泉者,美泉也,狀若醴酒,可以養老也。
嘉禾者,大禾也,成王時有三苗異畝而生,同為一穗大幾盈車,長几充箱。民有得而上之者,成王訪周公而問之,公曰:「三苗為一穗,天下當和為一乎!」以是果有越裳氏重九譯而來矣。

「景星」とは、大星である。月が見えないときも、景星はつねに見える。景星が出ていれば、夜でも作業ができるので、人民に役立つ星である。「甘露」とは、美露である。降った露のうち、盛りあがらない露のこと。「朱草」とは、赤草である。衣服を染めて、尊卑を区別する。「醴泉」とは、美泉である。醴酒のように、老人を養う。
「嘉禾」とは、大禾(大稲)である。成王のとき、3本の苗がべつの畝から生えていたが、1つの穂をつけた。車をいっぱいにする大きな穂である。成王が周公に問うと、周公が教えた。「3つの苗から、1つの穂にまとまったので、天下が和すだろう」と。越裳氏らが来朝した。

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『白虎通』巻8「天地」

天とは、地とは

天者何也?天之為言鎮也,居高理下,為人鎮也。地者,易也。言養萬物懷任,交易變化也。

「天」とはなにか。天とは、鎮めるものである。天とは、高きにあって、下を理(おさ)める、人の鎮のことをいう。「地」とは、易わるものである。地とは、万物が懐妊することを養い、交易して変化するものである。

世界の起源のこと

始起之天,始起先有太初,後有太始,形兆既成,名曰太素。混沌相連,視之不見,聽之不聞,然後剖判清濁。既分,精出曜布,度物施生。精者為三光,號者為五行。行生情,情生汁中,汁中生神明,神明生道德,道德生文章。故《乾鑿度》云:「太初者,氣之始也。太始者,形兆之始也;太素者,質之始也。陽唱陰和,男行婦隨也。」

はじめ天が起ったとき、はじめに「太初」があり、のちに「太始」があった。形兆がすでに形成されたものを、「太素」という。混ざりあって、見ることも聞くこともできない。のちに、清濁の判別ができるようになった。

ぼくは思う。世界の起源が語られている。老子か?

すでに分裂したあと、「精」が飛びちり、万物ができた。「精」は「三光」となり、号は「五行」という。 五行から「情」が生じた。「情」から「汁中」が生じた。「汁中」から「神明」が生じた。「神明」から「道徳」が生じた。「道徳」から「文章」が生まれた。『乾鑿度』にもある。「太素」は、「質」の始まりである。引用が調和して、男が行きて、婦が随った。

ぼくは思う。注釈書なしに読んではいけなかった!笑
渡邉義浩氏は、ここの冒頭を引用して、「天」を有人格の宗教的な主催者だと読解されている。無人格の機械的な自然ではないとする。天の理解に関しては、池田知久1994を参照とのこと。


天地は異なるけれど、対応しあう

天道所以左旋、地道右周何?以為天地動而不別,行而不離。所以左旋、右周者,猶君臣、陰陽相對之義。 男女總名為人,天地所以無總名何?曰:天圓地方,不相類,故無總名也。 君舒臣疾,卑者宜勞,天所以反常行何?以為陽不動,無以行其教;陰不靜,無以成其化。雖終日乾乾,亦不離其處也。故《易》曰:「終日乾乾,反覆道也。」

天道は左にまわり、地道が右にまわるのはなぜか。天地は、べつべつに動くが、それでも離れない天が左にまわるのは君主で、地が右にまわるのは臣下のようなものである。陰陽の対応を示している。
男女は、すべて名がついた人間であるが、天地に名がつかないのはなぜか。曰く、天はまるく、地はしかくい。かたちが違うので、すべてに名が対応しない。
君子が臣の過失を舒し、卑者が労苦を宜しとするように、矛盾が起こるのはなぜか。もし動くべき「陽」が動かなければ、教化が行われない。もし静かであるべき「陰」が静かでなければ、これもまた教化が行われない。終日、乾乾(陽陽)であっても、またその場所を離れない(という矛盾したこともある)。『易経』はいう。終日、乾乾たれば、かえって道をくつがえすと。

ぼくは思う。天地は異なるけど、異なっているからいいのである。異なっていて普通である。むしろ異なるものが、対流するからこそ、物事がうまくいく。という話かなあ。『易経』ならそういう話なんだけど。プラス属性の天が、プラス属性である「乾」「陽」をきわめまくることは、悪いことである。

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