表紙 > 雑感 > ラカンによる羅貫中(三国志ブログのすすめ)

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1.この文書の趣旨

いまから書く文章には、「ラカンによる羅貫中」というタイトルをつけ、
「三国志ブログのすすめ」という副タイトルをつけました。
まずは、このタイトルについて説明します。

2人のラカン

「三国志ブログのすすめ」というのが、この頁で伝えたいことです。つまり、日本語のウェブの世界に、もっと三国志ブログがたくさん生まれますように、そしてそのブログが続きますように、という願いがこもっています。ぼくは三国志のサイトを5年半くらい作成してます。その立場から「同業者」を祝福し、これから始めようと思っている方々を動機づけられたらいいな、と思って、これを書きます。
「ラカンによる羅貫中」というのが、上記を伝えるために、この文書で採用する題材と方法です。つまり、『三国演義』の筆者である羅貫中のことを、20世紀フランスの思想家・精神分析医である、ジャック=ラカンを参考にして再解釈します。この再解釈を通じて、「三国志のブログをやろうよ」と勧誘したいと考えています。

さっそく意味が分からないことを書いていますが、いちおう頭のなかで筋道を立ててから、これを書き始めています。大丈夫だと思いますw
タイトルは、内田樹『他者と死者―ラカンによるレヴィナス』をパクっています。以前、この本に基づいて、陳寿の考えていることを想像したことがあります。
もしも陳寿が、レヴィナスのように思想を語ったら


なぜ、中国の元末明初に生きた羅貫中を、20世紀のフランスに生きたラカンで再解釈するのか。「ラカン」という日本語の音が同じだからです。
現代北京語では、羅貫中は「luo2、guan4、zhong1」です。無理やりにカタカナで表記するなら、「ルオ・クアン・チョン」です。「ラカン」ではありません。というわけで、羅貫中とラカンを結ぼうという発想は、日本人にしか出てこないことが分かります。

こんな発想は、日本人に出てくる必要もない、かも知れません。しかし、ラカンを読めば、羅貫中さらには三国志がおもしろくなり、ブログを作る気分が起きるかも、と思っています。ぼくはこの強引な連想を、恥を忍んで行います。
ただのオヤジギャグのなかにも、一片の真実があるはず。先述「ラカンによるレヴィナス」よりも、タイトルの語呂はいい、、ですよね。
ラカンによる精神分析でも、「発音が類似から連想して、精神病を発症する」という話があります。「堕落(ダラク)した女」と「墜落(ツイラク)した女」のイメージを混同するとか。フランス語で似ているらしいが、日本語では漢字がそっくり。
発音の共通性は、言語をあやつる人間にとって、わりとバカにできないものです。


三国志ブログを妨げるもの

ぼく自身が興味をもったキッカケを振り返ると、三国志のおもしろさは、作品や論者によって、登場人物のキャラクターが異なることです。はじめは、吉川英治『三国志』でも、『真・三國無双』でも、『蒼天航路』でも、何でも良いんですが、三国志にはまって読み進めていくと、曹操や劉備がみんな違います。
陳舜臣『秘本三国志』、北方謙三『三国志』あたりで、あまりにキャラのイメージが拡散するので、小休止が欲しくなるところです。というか、ここに書いたのが、ぼくが三国志に興味を持った、2004年ごろの経路でした。

しばらくすると「曹操や劉備は、ほんとはどんな人物だったんだろう。自分なりに想像してみたい、可能であれば描いてみたい」という気持ちになると思います。というか、ぼくがそうでした。「あの人物は有能なのか?無能なのか?何を考えていたんだ?」と、疑問が疑問を生みます。
「諸葛亮の真意はどこにあったか」「関羽と曹操は、どんな関係だったんだ」という疑問は、現代日本の三国ファンのみならず、千年のスパンで、中国の文化人たちも取り組んできた問題のようです。これらの疑問を見つけ、自分なりの解釈をつけていくのが、楽しくないわけがありません。

と、ここまでは順調なんですが、
つぎに、つまずきます。なんだか三国志には『三国演義』と「正史」なるものがあるらしい。うっかり何かを発言すると、「それは正史にない話だ」とか、「正史と言っても、正しい歴史ではない」とか、へんな問答を仕掛けられます。これに引っかかると、まことに面倒くさい。ときには闘争的(けんか腰)に批評してきたり、知識をひけらかし、かってに自尊心を充たす人々がいます。
まるで辞書のように、まるでテストの採点者のように、まるで校正者のように、彼らは振る舞います。「知識の分量が多いこと」を、唯一無二の価値基準にして発言します。「そんなことも知らないなら、黙れ」と言わんばかりです。
あー!しょーもない!
ぼくは「正史とは」という問題は、重要だと思います。また、誤った情報や、足りない知識を補ってゆけるのが、ウェブのすごさだと思います。しかし「正史では、演義では、」という問答のせいで、せっかくの三国ファン、せっかく生まれかけた三国志ブロガーが、将来の芽をつぶされてしまうのが、とても残念です。

そういうわけで、今日は、ラカンの理論を借りながら、「三国志ブログは、好きなように発信して良いものだ。なぜなら、、」という意思表明のあとに続き、理由をのべる言葉を充実させたいと思っています。
結論を先取ると、「唯一絶対の正解には、原理的に到達することはできない。でも悲観するには足らない。正解だと思しきものの周りを、ぐるぐる回ることが、それ自体でわりと楽しいことなんだ」という話をしようと思っています。「正史だの演義だのという論点は、ネットの一部で喧伝されるほど、重要ではない」ことも、確信をもって明らかにします。

ぼくが、いちおう三国志ブロガーを続けており、「正史」を読んできた者だから、確信をもって発言できるのだと思います。

ラカンの理論は、もとは精神科医のために用意されましたが、ぼくは三国志を楽しむ行為にも、転用できると考えます。では、始めます。

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2.事実がはじめて記録されるとき

ラカンについては、原典を読んでないので(すみません)
福原泰平『ラカン・鏡像段階』現代思想の冒険者たち、講談社2005
を参考にしながら、話を組み立てます。

ラカンについては、以下2冊も読みました。
文:フィリップヒル、絵:デビッドリーチ『ラカン』ちくま学芸文庫2007
斎藤環『生き延びるためのラカン』ちくま文庫2012
たまたまですが、ちくま文庫ばっかです。正史『三国志』の翻訳も、ちくま文庫に入っている。信頼してるブランドです。ネットでよく言われるように「誤訳」はもちろんありますが、とても立派な本だと思います。このことも、今回のラカンにひっかけて、言うつもりです。


三国志と「歴史」

三国志は、歴史に関する物語です。世界観のなかにあります。
日本で初めて、羅貫中『三国演義』が翻訳して紹介されたのは、江戸時代でした。『通俗三国志』というタイトルで、普及版の分かりやすい歴史の本だよ、という販売戦略でした。ノンフィクションだから、お勉強になるよ、教養人になれるよ、という江戸の人々の向上心をくすぐったようです。
この江戸時代の話でも分かるように、三国志は「歴史」に関係があります。
しかし、大学で歴史学を専攻するでもない限り、「歴史なんだゾヨ」だと強調されても、「だから何だよ」としか反応できません。「どういう態度で接したら良いんだ」なんて、考えたこともないし、考える必要もなかったから、いきなり立ちすくむと思います。「高校の授業のように、丸暗記をしろという意味か。えー、それだったら、関わりたくない!」と条件反射すると思います。
少なくとも、ぼくは丸暗記なんて、やりたくない。また丸暗記を求められるなら、早々に「三国志なんか、飽きた」という立場をとります。

ごちゃごちゃ書きましたが、三国志が「歴史」であることは、避けて通れません。というか、「歴史」であることを避けたら、おもしろくありません。「歴史」とどのように付き合ったら、三国志を楽しめるのでしょうか。

いま出てきた「歴史とは何か」という問いは、「歴史哲学」という名前で、ひとつのジャンルを形成しています。ジャンルの名前をつけ、関連する議論をくくってしまうと、扱いやすくなります。とは言え、歴史哲学を、詳細に検討すると大変です。
ぼくは、
「歴史哲学を理解しておかないと、三国志ブログを作れない」なんて、参入障壁を高める(敷居をあげる)のは、とても卑劣な行為だと思っています。そういうわけで、今日はラカンに引きつけて、三国志を楽しむのに必要な部分だけ、歴史哲学の断片をやろうと思っています。

ちなみに、「歴史哲学」を踏まえずに、ネットを巡回して、新規参加者をつぶしている人々がいます。彼らは、あたかも「高校の定期テストの朝、知識の分量を競争する」ような方法で、他人の書いたものを、やっつけます。やめてほしいと思います。
「正史では、演義では」という批判の口調は、「歴史とは何か」という問題を、自分に課したことのない人間が好んで使うような印象があります。あくまで、ぼくのかってな印象ですけれど。
「歴史とは何か」を考え始めたら、それ自体が楽しくなって、他人の揚げ足をとっているヒマはないと、ぼくは思います。

鏡に映った私と、言語がきりとるもの

三国志にまつわる歴史哲学の話を、ラカンを使って始めます。
ラカンの理論を、理解を助けるための「例え話」のように活用して、歴史の話をして、やがて羅貫中に到る予定です。

いきなりですが、ラカンによると、

ほんとうに唐突ですが、本題に入ります。

生まれたばかりの赤ちゃんは、「私」というまとまりがありません。「私の身体」という、まとまったイメージもない。もちろん五感は発達してゆくけれど、どれだけ触覚が敏感になっても、「私」や「私の身体」に気づくことができない(はずだとラカンは考えます)。自分の手先や足先、腹などは見えるが、これらは断片的な情報でしかない。
では人間は、どうやって「私の身体」という、まとまったイメージを獲得するのか。「鏡を見ること」によって、「私の身体」に気づくことができる。鏡に映った自分の身体を見て、「私はこういうカタチなのね」、「ここから、ここまでが私なのね」と理解する。

では「鏡に映った私」は、ほんとうの私か。もちろん違う。それは「鏡に映った姿」であり、虚像である。私ではない。しかし私は、虚像という偽物を通じてしか、私を理解することができない。
たとえば私が、他人(仮にAさんとする)の姿を捉えるときは、ちょっとAさんから離れて、Aさんの全身を視野に収める。私が私自身を理解するときも、同じ方法をつかうしかない。つまり鏡をつかって、「ちょっと私から離れて、私の全身を視野に収める」という手順を踏まねばならない。

いちど「私の身体のイメージ」を作ってしまうと、そのイメージに縛られる。つまり、実物の私の身体よりも、「鏡で見た(気がする)私の身体」のほうが、リアルに思えてしまう。「私はこういう人間だ」と思いこみ、もし実物の私がイメージと違った場合、イメージが修正されるのでなく、「実物が間違っているんじゃないか」とすら思う。
実物の私が、鏡の虚像に乗っ取られ、「だまされる」のだと。

「だまされた」結果、どういう症状を起こし、どういう異常な行動をとるか、というのは精神科医の領域です。精神科医の話をしたいわけではないので、触れません。


言語できりとった世界

「鏡に映った私」というのは、ラカンによる比喩だと、ぼくは理解しています。べつにラカンは、生後まもない乳児にインタビューをしたわけじゃない。
比喩をつかうのは、理解を助けるためです。
ラカンが「鏡に映った私」で伝えたかったのは、言語のことです。

言語は、ラカンの言うところの「象徴化」を行います。「シニフィアン」は「シニフィエ」を「象徴化」したものです。あんまり言葉を増やすと、訳が分からなくなるので(ぼくが)、できるだけ独自の用語を導入せずに、話を通せるところは通します。


言語とは「言い表すもの」です。「言い表す」からには、その相手側には「言い表されるもの」があるはずです。ここまでは、べつに新しいことを言ってないですよね。
では、「言い表すもの」と「言い表されるもの」は、どっちが先に存在するのか。高校までで文系の勉強から足を洗った場合、こう答えるはずです。「言い表されるものが、先にあるはずだ。言い表されるものが先にないと、言い表すことができない」と。
しかし、ほんとにそうか。
(と、20世紀の思想家たちは発想を逆転させます)
たとえば、日本人が「おじさん」とよぶ男性の年齢層について。「おじさん」というのは、ある男性の年齢層を「言い表している」に違いない。だから、「おじさん」という言葉の相手側には、おじさんと「言い表される」年齢層が定義されているはずだ。
しかし、「どこに行っても、だれから見ても、彼はおじさん」という男性は、いない。ある環境では「おにいさん」であり、ある環境では「おじいさん」かも知れない。周囲の年齢とか、その男性の外見や発言によって、言い表す言葉は変わる。
もしも「おじさん」と言い表した場合、「おにいさんと言うには年長で、おじいさんと言うには年少だ」という意味しかない。これ以上でも以下でもない。「他の呼び方では、しっくりこないなあ」と表現しているに過ぎない。

成人男性の年齢を表現する言葉が「おにいさん」「おじさん」「おじいさん」の3つしかなかった場合の例え話ですが。

そういうわけで、
ある年齢層の男性を言い表すとき、あらかじめ確固たる「おじさん」がいて、言葉で単純にそれを言い表しているのでない。「おじさん」と言い表すことで、「おじさん」と言い表される男性が切りとられ、出現するのです。
ぼくの比喩は、ダサくなりましたが、20世紀の思想家は、「言い表すもの」が先で、「言い表されるもの」が後だと考えました。

これは、言語学者ソシュールが言い始め、レヴィ=ストロースら構造主義者が発展させたことです。ラカンも、この流れのなかにあります。


ここから、図式をつくれます。

鏡に映った私の身体/幼児の身体そのもの
「おじさん」という呼称/ある年齢の男性

両者の関係はおなじです。幼児の身体も、ある年齢の男性も、そこに存在しないわけではない。しかし、前者は鏡に映すことによって、後者は言葉で言い表すことによって、はじめて把握が可能になります。

一般化するなら、こうなります。

把握した(言い表した)こと/把握される(言い表される)もの


言語がきりとり損ねるもの

では、言語は万能か。もちろん違います。切りとるからには、切り落とされる残骸があります。
たとえば、30歳の男性Bと、40歳の男性Cと、サバサバした40歳の女性Dを、すべて「おじさん」と表現した場合。3人は、共通の「おじさん」というカテゴリで「言い表される」ので、把握しやすくなる。しかし、BとCのあいだの10歳という年齢差や、CとDの性別差は見えなくなります。

では「万能じゃないなら、言語なんか使わないもんね」と、スネたら、どうなるか。BCDをはじめとした、人間の全ての個体を、すべて異なる方法で、把握しなければならない。性別、人種、年齢、などで、まとめることが許されない。だって人間は、1人1人がすべて違うのだから。
これは現実的じゃない。60億とおりに人間を識別するなんて、ムリのはず。
それどころか、もっと悲惨なことが起きる。
言語が禁止ならば、「人間」という言葉=把握方法だって、使用が禁止される。世界は境界線をなくす。人間とマネキンを区別することができない。人間もマネキンも、同じような個体物としての資格をもって、個別にバラバラと、せまってくる。ビルも、空き缶も、チョコレートも、すべて同じ資格をもち、個体物として迫ってくる。
ああ!憂鬱!

憂鬱な想像をした結果、わかったこと。
言語は万能じゃないし、言語によって切りとることで、多くのものを見落とす。しかし、言語の使用を禁止した、バラバラの世界には生きられない。言語を導入した世界で、「だいたい把握できるが、細かな見落としを避けられない」ほうがマシのようです。だから人間は、言語をつかう。これは免れません。

「歴史」の誕生と、史料のこと

言語のことは、歴史哲学の理解にとって重要であり、ラカンにとっても重要なので、遠回りしました。三国志にもどります。
いま紹介した、赤ちゃんと鏡の話は、「歴史」の生まれる瞬間を語っています。「おじさん」という呼称の話も、「歴史」の生まれる瞬間を語っています。
これは、どういうことか。
(ここが要点です)
あるとき、ある場所で、殺し合いが起きたとする。
当事者たちは、そのなかで「わー、わー」と必死に行動するだろう。だがこれだけでは、歴史的な事件ではない。木々が風にそよいだとか、岸辺に波がかかったとか、そういう無数の現象と同じだ。何かが起きているに違いないが(例えば、たくさんの死体が転がっているとか)、まだ何ごとでもない。
まるで、幼児が自分の身体のことを把握できないように。身体の感覚がないわけじゃないが、「私の身体」を把握していない。まるで、老けかけた男性がポツンと立っているだけのように。男性の特徴がないではないが、「おじさん」と呼ぶには到らない。

だれかが殺し合いのことを、言語に写しとって書きとめることで、
その殺し合いは、はじめて歴史的な事件となる。
例えば、黄河の渡し場で、曹操が袁紹を破った直後にインタビューしたら、当事者である曹操は、ただ「勝ったぞ」とは言うのみだ。「だからどうしたの」と聞いても、「いや、勝ったんですけど。すごいだろ」で終わりである。もし、ぼくが納得のいかない顔をしたら、斬った敵将の首級をならべて、見せてくれるかも知れない。でも、やはりぼくは、よく分からない。首級が怖いだけだ。
それより早く、言語で書きとめて下さい。

把握した(言い表した)こと/把握される(言い表される)もの
官渡の戦い/黄河の渡し場での殺し合い

書きとめてくれて初めて、ぼくたちは事件を把握できる。

いま初めて、事件が書き取られた。
できごとを、初めて言語に落としこんだものを、歴史学では「史料」とよぶ。三国志ブログをやる上で、知っておいて損はない言葉なので、覚えてください。
「史料」というのは、「資料」と同じだと思っておけば、大きくは外れません。

もし歴史学で、「史料」と「資料」を、厳しい希望をもって区別したければ、こんな紛らわしい用語を使わなかったはずだ。「だいたい同じだけど、内輪だけがわかる秘密を共有したいね」と思って、歴史学者たちが目配せしあった。だから、同じ発音で、違う漢字をあてた。ぼくは、こう思ってます。


では殺し合いの現場に立ち会った人による記録(史料)は、殺し合いの現場でおきた事実を、余すことなく書き取ることができるか。もしできないとしたら、「どのようにしてムリなのか」。次回、考えます。

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3.事実、史料、想像という3つの輪

ラカンの理論では、「史料」に特権的な地位をあたえる必要はないと思います。なぜなら、史料は「それほど、イイものじゃないから」です。ある歴史学者は「はじめに史料ありき」という立場をとるでしょうが、ぼくはこれに同意しません。
さっき、言語が切り落としてしまうものの話をしました。サバサバした40歳の女性Dさんを「おじさん」と呼んだ場合に、いろいろ見落とすという話です。これと同型の議論を「史料」に引きつけて、詳しく見てみます。

「史料」に出来ないこと

もし歴史が、「あったことをモレなく書き記すこと」ならば、黄河の渡し場で起きた、全てのこと(どんな小さなことでも)を、全て書き取らねばならない。しかしこれは、人類60億人を、まったくグルーピングせず、1人1人把握するように、とても難しいことだ。というか、ムリだ。
曹操軍の兵士の1人1人の動きまで書けるか。というか、主役である曹操その人の、戦いのあいだの心情の動きを、1秒ごとに書けるか。まるでムリだ。だから、兵士の動きを、おもな戦闘が起きた場所に代表させて表現する。曹操の心情を、荀彧と交換したという文書に代表させて表現する。
曹操「袁紹が強い。兵糧がない許県に撤退したい」
荀彧「そのまま官渡でがんばりなさい」と。史料は、こう表現する。うまい。

言語=史料は、現場に立ち会った者による記述であっても、全てを書き取ることができない。
しかし、もしもスネて言語をボイコットし、史料を作ることをボイコットしたら、何が起きたのやら、当事者の曹操にも分からなくなる。だから史料が作られる。
このあたりは、ツイッターで「現状報告」をするのと同じだ。「帰宅した」というツイートをするとき、無数にある自分の状態のなかから、帰宅したという部分を代表させて、言語に置き換えたことになる。「帰宅した」はホントだが、「帰宅した」というツイートをどれだけ凝視しても、状態の全てを復元することは、だれにもできない。
(自暴自棄になって言うのでなく、原理的にできないのだ)

ラカンは、言語が現実の全てを表現できるわけじゃないから、この「表現できないこと」を忘れないように、打ち消し線をつかう。ラカンはフランス人だから、横文字の単語や、アルファベットを使って説明する。しかし、分かりにくいので(ぼくが)、なるべく日本語でやる。

把握した(言い表した)こと/把握される(言い表される)もの
官渡の戦い/黄河の渡し場での殺し合い

なんだか、不思議な感じ!
せっかく、羅貫中にからめて、ラカンを持ちだしたので、「ラカンらしくなってきた」のは良いこと。楽しくなってきた。これは、黄河の渡し場での殺し合いが「起こらなかった」ことを意味しない。殺し合いを「官渡の戦い」という言葉では、充分に表現しきっていないよと、注意を促している。

なまの事実、記述、そして「想像」

なまの事実(黄河の渡し場での殺し合い)と、記録した史料(官渡の戦いという記述)は、決して無関係ではないが、イコールではないことが判明した。「どのようにイコールでない」のか。これを理解するために、図を見て下さい。

事実と記述の領域を図にしたものです。事実のリングと、記述のリングは、鎖のように繋がっていません。ただ、記述のリングが、上に乗っているだけです。そんな複雑な絵じゃないと思います。
2つのリングの重なった部分が、「なまの事実のうち、記述されたもの」を表します。例えば、烏巣の兵糧庫が攻撃されたことは(おそらく)なまの事実として発生し、かつ史料に記述されたものです。
すでにお気づきのように、「なまの事実として発生したが、史料に記述されないもの」もあります。「なまの事実として発生しないが、史料にウソを記述したもの」もあるでしょう。リングの交わらぬ部分です。
事実と記述は、ただリングを乗せただけなので、いつでもバラバラになります。しかし、3つめのリング「想像」を導入することで、3つめのリングは、バラバラになりません。

ラカンのいうボロメオの輪というモデルです。
「想像」とは、なまの事実に対して、記録者が「こういう事件に違いない」と脳内に抱いたイメージです。
以前、鏡に映った像に話をしましたが、これで説明ができます。まず、なまのムチムチの身体があります。手足が断片的の視界を横切るものの、自分の身体をまとめて把握できません。鏡に身体を映すと、自分の身体のイメージを獲得できます。それが「想像」のリングです。このイメージをもとにして、「私の身体」という表現で切りとって言い表す。言語にする。
三国志でも同じです。まず、なまの殺し合いが起こります。立ち会ったものは、その殺し合いに対する、何らかのイメージを抱きます。これが「想像」のリングです。これを「官渡の戦い」という表現で切りとって記録します。史料が誕生します。
曹操1人に限定しても、建安五年、いろんな行動をとりました。もちろん、飯を食べたし、トイレにも行った。馬の世話をして、馬に唾液をかけられたかも知れない。だが、これらの事実のなかから、「史料に書きとめるべきものは何かな」と考えて、大きな事件の流れを、頭のなかで構築したはずです。こうして構築されたイメージから、記述がつくられる。イメージの構築をすっ飛ばして記録しようとしたら、無限に長くなるだけで、読むに値しないものができる。「あ、馬が鳴いた。あ、曹操が部下を殴った。あ、黄河に反射した太陽がキレイだ」となり、体裁が整わない。
これは、
ぼくたちの日記やツイートでも同じです。まず、雑多なできごとがある。そのなかから、「今日はこんな日だったかな」「いまはこんな状態だ」というイメージを組み立てる。それを言葉に落としこみ、ネットに書き込む。今日や現在のことを、すべて日記やツイートに盛り込むのはムリだし、そもそもツイートは140字までだ。

画面のスクロールが面倒なので、同じ図を再掲載します。

いちばん最後にでてきた「想像」のリングは、事実と記述とのあいだにある問題を、全てを解決してくれるか。英雄は遅れて登場するのが約束です。だからぼくたちは、ともすると「想像」に、英雄のような役割を期待する。
だが、そんなに話はカンタンじゃない(からおもしろい)。
すでに見たように、「事実」と「記述」は、リングのカバーする領域が異なり、かつリングが乗っかるだけで、いつでもバラバラになった。同じ関係が、「事実」と「想像」のあいだにも、「記述」と「想像」のあいだにもある。3つのリングを同時に見ると、幻惑されて意味が分からなくなるので、2つずつ見てください。すると、どの2つのリングも、一方が一方に乗っかるだけで、鎖のように繋がっていない
つまり「想像」は、「事実」と無関係ではないが、乗っているだけなので、いつでもバラバラになる。「想像」は、「記述」と無関係ではないが、乗っているだけなので、いつでもバラバラになる。「事実」「記述」「想像」が、互いに乗っかりあうことで、初めて1つの結び目になる。1つでも欠けたら、ただちにバラバラになる。
こういう、頼りないけれど、魅力的な関係です。

「記述」された史料が全てではない

現代日本で、職業として歴史学を研究する方々は、「はじめに史料ありき」という態度をとるのが普通です。たとえば自動車の修理者が、「そもそも社会にとって自動車は必要だろうか」と問わないで、「はじめに自動車ありき」であるのと同じように。修理者は、だれかが自動車を製造しないと、そもそも商売が成立しない。
良し悪しではなく、「そういう約束に基づく職業」なのです。
しかし、歴史学が職業でないぼくたちは、「はじめに史料ありき」ではない。例えば、電機メーカーが「はじめに自動車ありき」と考える必要がないように。自動車には、カーナビを初めとした電機の製品が搭載される。電機メーカーにとって自動車は「上客」には違いないが、全てではない。

いまここで、「記述」がどうしても「事実」を捉えきれないことと、「想像」によって初めて結び目が成立していることを、ラカンに基づいて確認した。だから、史料にないことをブログに書いても、良いのだと思う。
つまり、「史料にないが、こんな事実があったのでは」とか、「史料の筆者は、こういう想像に基づいて記述したのでは」とか、「史料の筆者が、事実に反する想像を膨らませ、それを記述したのでは」とか、膨らませる余地があっても良いと思う。もちろん史料は重要だけれど、それは3つのリングの1つに過ぎない。まるで電機メーカーが、自動車以外のところで、おおくの売上を稼ぐように。
というか、史料に密着する限り、大学の研究室という環境にいない者は、「不利なハンデ戦」を強いられる。ただでさえ、弱いのに。ぼくらは、研究室の環境に対する「憧れ」を担保しつつ、ちがう方向に枝を伸ばすのも、アリだと思うのです。

補足です。本編ではないので、読み飛ばしてください。
職業としての歴史学者が、史料を鵜呑みにしていると言いたいのではないです。「史料批判」が基礎中の基礎であり、「偽文書」という研究分野があるように、歴史学者が史料の外部に目を配っておられることは、存じ上げています。ただし史料批判もまた、異なる史料との照合によって主に行われるなら、その範囲において「はじめに史料ありき」だと思うのです。職業としての歴史学者でない者は、相対的に史料から離れて発想しても良いのではないか(趣味のブログなんだし)というのが、ぼくの立場です。
あくまで「相対的に」です。ラカンのボロメオの輪の1つは、「記述」すなわち史料です。ここから史料を排除するのなら、決定的に歴史学者と異なる立場となるのでしょう。しかし、史料ぬきに歴史があり得ないと思っています。(さすがに、、)
考古学的な遺物については、2つのことを述べておきます。
まず出土品が、竹簡や木簡や石碑など、文字で記された者の場合。これは、正史などの記述よりは「事実に近しそう」ではあるが、やはり記述のリングのなかでの相互参照・循環参照であり、「はじめに史料ありき」の枠内の活動だと思います。
つぎに出土品が、文字を含まぬ「もの」である場合。これは「記述のリングの外部だが、事実のリングの内部にあるもの」という領域に属します。ただし、史料による解釈をぬきにして、ただ純粋に「もの」だけを分析することは少ないと思います。よくある例が、陵墓や都市の遺跡を、史料に登場する人物や場所に比定する作業。これは、「事実のリングの内部であるが、記述のリングの外部にあるもの」を、史料のリングに押し込もうとする活動だと思います。ラカンのボロメオの輪で理解するならばです。
歴史学者は、「記述」のリングを重んじる方々だと思います。というか、「記述」のリングを重んじた者が、歴史学者になると言ったほうが正確かも知れません。


次回は、目撃者によって記された史料が、どのように編集や加工されるのか、について考えます。まず事実があり、目撃者による史料があり、その史料の読解があり、編集や伝承をへて、羅貫中『三国演義』が生まれ、ぼくたちのブログにまで繋がる。この道筋について、ラカンに基づいて考えたいです。

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4.史料のパスを回し、言葉を流通させよう

はじめて「一次史料」が記録される

歴史学の用語で、初めて事実を書きとめた史料を、とくに「一次史料」といいます。多くの場合、一次史料の筆者は、起こった事件などの当事者です。「一次」というのは、そのままの意味です。1回目の、ということです。
ラカンの表記を復習すると、こうなります。

一次史料/なまの事実

一次史料は、たしかにナマの現実を写し取ろうとしたものだ。しかし、必ず写し取り損ねてしまう。打ち消し線は、これを意味します。黄河の渡し場の殺し合いと、官渡の戦いは、違うものだ。重要なことなので、何度も言いました。

いま「一」という数字をつけたことから分かるように、「二次」とか「三次」というように、数字を増やしていくことができる。誰かかが書いた「一次史料」を編集して、新しい文書をつくれば「二次史料」となる。このように編集作業を経たものを、「編纂史料」といいます。
「一次史料」と「編纂史料」という、なんだか左右非対象な言葉を使うのは、なぜか。ぼくが思うに、歴史学では、「一次史料」が重要だと見なされているからです。まるで「1位にならねば、意味がない」という競争主義者は、「1位の勝者、それ以下の敗者」という二分法を使うでしょう。これと同じです。

言語が流通して「編纂史料」ができる

事実は、いちど言語に書き取られると、その一次史料は読まれ、編集されます。経済学っぽく言うと、言語が「流通」しはじめる。
例えば、曹操の側近は、黄河の渡し場の戦闘のあと、戦後処理のために「官渡の戦い」を書きとめるだろう。これが一次史料。のちに曹操が魏王になったとき、「魏を建国する由来」として、再編集されただろう。曹操は、自分の功績をたびたび文書にまとめて、献帝に申し上げる。献帝もまた、曹操の文書を受けて、曹操の功績を確認して、文書のなかに混ぜてゆく。
曹操が自分の話を再編集するのは、セルフカバーみたいなものか。

このように、いちど書き付けられた「官渡の戦い」は、いろいろな人のあいだに流通して、扱われ方が定着してゆく。
やがて、建安五年、黄河の渡し場で、戦いに参加しなかった者でも、「官渡の戦い」というパッケージを扱うことができる。21世紀にいるぼくだって、「官渡の戦い」を把握することができる。後漢にも、黄河にも、行ったことないけど。

できごとは、一次史料に切りとられた時点で、すでに編纂史料に化けて、流通する宿命をもっている。というか(ここがとっても重要ですが)「編纂の対象」として流通させるために、わざわざ一次史料の筆者は、事実を言語で切りとったのだもし目の前で起きたことを、そっと胸の中にしまって満足ならば、いちいち記録は作られない。もっと皆に伝えたい、読んでほしい、伝言してほしい、拡散してほしい、解釈してほしい、と思うから、記録が作られるのだ。
ゆえに、一次史料の筆者の気持ちになれば、
「一次史料は信頼性がたかいが、それ以降の編纂史料は、信頼性がひくい」という立場は、物事の一面しか見ていない、ちょっと頑固なものに感じられます。

史料の編纂は、貨幣の流通に似ている

ここで論じた史料の話は「貨幣」に置き換えると分かりやすい(とぼくは思います)。ラカンのみならず、言語は「貨幣」に例えられる。
どういうことか。
もともと「財産」というのは、いろんな形態で存在して、なかなか把握できないものだ。金銀を持っていれば「財産もち」とも限らない。食糧が多ければ「財産もち」とも限らない。これらの豊かさを計量するのは、むずかしい。また、それぞれの財産を交換するのも、むずかしい。
「オレの黄金10グラムと、お前の穀物10キロを交換しろ」と言っても、相手は黄金を欲さないかも知れない。10グラムという分量が不満かも知れない。交換のしようがない。下手すると「オレ」は、黄金を握って餓死する。
じゃあ、黄金をもつ「オレ」は貧者だったのか。うーん、どうなんだろう。分からないや。という、まことにスッキリしない話になる。

そこで、財産を表す共通の尺度として「貨幣」が発明された。財産を、貨幣によって測定することで、互いに比較できる。交換もできる。
もちろん、貨幣に換算することで、見落とすこともある。「お金で買えない価値がある」というが、そんなのは当たり前だ。「言葉で伝えられない、事実がある」のと同じくらいに、当たり前だ。わざと「数字や言葉じゃ、表現しにくい部分」を切り落とすことによって、貨幣や言語が生まれたのだから。
ラカンの書き方だと、こうなります。ずっと「同じこと」を言っているので、書き方も同じになります。

貨幣/金銀や穀物などの具体的な財産


貨幣のある社会は、貨幣がない物々交換の社会よりは、まだ経済活動が円滑のはずです。なぜなら貨幣は、リアルなモノとの結びつきを離れて「流通」するからです。貨幣は、リアルなモノの代用品として、人間のあいだを「流通」する。
1万円札を、どれだけ精密に分析しても、そこから金貨や穀物は出てこない。しかし1万円札は、財産を表すものとして、受けとられる。パスを回される。

貨幣の流通になぞらえられるのは、史料の引用・編集です。つまり貨幣が流通する過程は、編纂史料がつくられてゆく過程と、同じことです。
「自分が見聞きしたことのみ、無言で記憶する」のでなく、「できごとを言語で記録し、記録を読解して、編集する」のが、歴史の営みです。たしかに編纂史料は、当事者の証言ではありませんが、言語や貨幣をあやつる人間の営みとしては、「ありがちなこと」であり、「なかなか悪くないもの」です。

正史も演義も、編纂史料である

なぜぼくは、ここまで編纂史料のことを持ち上げるか。
三国志をやるには、多くの場合、編纂史料に頼るしかないからです。
だって1800年前のことだから、一次史料なんて残っていない。一次史料が保存されるには、「保存することによって利益を得る者」が必要です。また「保存にかかる労力よりも、保存して得られる利益が大きい」ことが条件になります。さらに「1800年間、バトンが1度も途切れることなく、条件を満たす者が存在する」ことが必要です。ほぼムリです。
たまに出土品が出てくるが、どうしても断片的です。

いわゆる正史『三国志』という、陳寿がまとめた書物は、編纂史料です。しかし「編纂史料だから、信頼できない」というケチなことを言えば、歴史としての三国志を楽しめなくなります。
また、羅貫中『三国演義』もまた、ひろい意味で編纂史料だと、ぼくは思います。異論がおおく提出されると思いますけど。。

なぜぼくは、『三国演義』を編纂史料だというのか。
『三国演義』は、陳寿『三国志』から、多くの読解(たまに曲解)を経て編纂されたものです。編纂の過程で、おおくの伝承なども吸収しました。

『三国演義』に到るまでに行われた情報の加工のプロセスは、改変の度合が大きすぎて、現代日本の大学における歴史学の基準では、「編纂史料」ではありません。
『三国演義』の成立史は文学として研究されています。

ぼくは、一次史料、二次史料、三次史料、、という無数の編集作業のあとに出てきたという点で、『三国演義』を編纂史料に数えても良いと思います。念のために再説しますと、ぼくがここで話しているのは、現代日本の大学における歴史学でなく、三国志のブログを作成する場合の態度です。

三国志のパスを回すこと

ぼくは初めのほうで「三国志のおもしろさは、作品や論者によって、登場人物のキャラクターが異なること」と書きました。このキャラごとの差異は、まさに言語による「切り抜き」と「切り落とし」が生み出したものです。
『三国演義』もまた、キャラのイメージを形成する、重要な史料(というのが許されないなら「資料」)だと思います。これが、ぼくのブロガーとしての立場です。

せっかく、曹操の側近(-魏国の史官-王沈ら晋初の史官)-陳寿『三国志』(-裴松之)-羅貫中『三国演義』-吉川英治『三国志』-現代の諸作品と、三国志を言語で表現するというパスが回ってきた。このパスを受けとったなら、自分なりに編集や解釈を加えて、つぎに読者にパスしたい。
さらに個人的な意見を述べれば、パスすることは、なかば義務だと思います。なぜなら、「貨幣は使わないと意味がない、墓場に貨幣を持ちこんでも仕方ない」と同じ話だと思うからです。貨幣を死蔵しても、何にもならない。受けとったパスは、次には回したとき、初めて意味をもつ。
人間は交換する動物であり、交換を促進するために、「事実」という扱いづらいものを、言語に写しとってきたのですから。

とくに主張もないのに、ネット上で論敵を設定して、「正史厨」「演義厨」とか、よく分からないカテゴリに相手を押し込めるだけじゃ、もったいないと思います。「相手をやっつける」という、毛繕いの動作で、持てあました時間をつぶすのは、ひとつの楽しみ方だと思います。しかし、せっかく三国志に関する言語のパスを受け、これから「パスの回し手」になろうとする人の、ジャマをするのは、やめてほしいと思います。
ラカンのボロメオの輪(3つのリングの絵)に照らせば、
「正史」も「演義」も、事実を言語に写しとっているという点で、同じように「事実を言い表している」のであり、同じように「事実を言い落としている」のだと思います。少なくとも、こういう態度をとることで、創造的な発想が導出される(おもしろい話を、いろいろ思いつける)のだと思います。関羽が、華容道で曹操を逃したかも知れないじゃないか!で良いと思いますw

編纂史料が切り抜くもの、切り落とすものもの

ちょっと図式を整理して、次につなげます。

一次史料/なまの事実

これは、何度も載せてきました。これに対応させるなら、

編纂史料/???

という図式を書けるはずです。少なくとも、ラカンは書いてます。
編纂史料は、いったい何を切り抜いて表現し、いったい何を切り落として表現し損ねたのか。ここに当てはまるものを考えたいと思います。次回につづきます。121206

ぼく用のメモ。ご理解は不要です。
ラカンにおいては、なまの事実とは、「S」です。フロイトのいうエス(主体・自我)です。母の欲望です。シニフィエです。現実界です。斜線で打ち消して表現されます。一次史料とは、「A」です。大文字の他者であり、父の名であり、父の否であり、禁止の審級であり、去勢する者であり、シニフィアンです。象徴界です。ボロメオの輪の想像界は、そのまま想像としました。
言語や貨幣を通じて行われる、人間の営みでありがちで、なかなか悪くないものとは、ラカンのいう「ものの殺害」「去勢」だなあ。ここまで、シェーマLの図も含めて論じた。ソシュールの分数を、ラカンが逆転させて、シニフィアンがシニフィエを抑圧していることを表現したものから、黄色囲みのなかの図式を作りました。
「???」で保留しているのが、まさに「対象a」です。

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5.羅貫中のように三国志ブログをつくろう

ここで言いたいのは、こんなことです。
「どれだけ書いても、自分がイメージしたとおりの三国志を、どうもうまく表現できた気がしないでしょう。だから、ぎゃくに飽きないで楽しめるのだ」という話です。これをラカンに基づいて話します。ちょっと難しい話です。

演義は羅貫中が書き損ねた三国志

前回の宿題を、ひっぱるのは、ぼくの性格にも、ネットという媒体にもそぐわないので、回答をさっそく書いてしまう。

一次史料/なまの事実
編纂史料/編者が書き損ねた三国志

あかい文字のところが、まさに回答です。より具体的には、

『三国演義』/羅貫中が書き損ねた三国志
吉川『三国志』/吉川英治が書き損ねた三国志
王欣太『蒼天航路』/王欣太が描き損ねた三国志

と展開させることが可能です。
つまり『三国演義』は、羅貫中が思うままに筆をふるい、思いどおりに描いた三国志ではない。羅貫中は、もっと別のものを書きたかったかも知れないが、残念ながら書き損ねて、仕方なくできてしまったのが『三国演義』である。ただし、『三国演義』は妥協の産物でつまらないと言うのではない。羅貫中にとって『三国演義』は、まあ現実的には「もっともマシ」な三国志なのだ。
言語が現実の全てを写しとり損ねるが、でも言語の使用を禁止するよりは、まだマシである。という話をしました。あれと同じです。
おお!ラカンめ!頭の痛いロジック!

ここに登場させた「編者が書き損ねた三国志」を、当てはめるべきものを、ラカンは「対象a」、「小文字の他者」という。難しいので(ぼくにとって)、特殊な用語をつかわず、三国志の具体例だけにしぼって、説明したいと思います。

編纂者は「書き損ねる」を避けられない

ややこしいけど重要なので、注意深く、くり返し説明します。

一次史料/なまの事実
編纂史料/編者が書き損ねた三国志

この2行の文は、なにが違うのか。
例えば、上には、打ち消し線がついている。下にはない。また、上の一次史料も、下の編纂史料も、どちらも言語で記述したものだ。どうして相手が違うのか。編纂史料もまた、なまの事実を書きおとすのではないのか?
「編纂史料/なまの事実」ではダメなのか、、ラカン的にはダメなんです。

一次史料が書かれるときは、何らかの事実がきちんと発生した。一次史料は、これを全ては書き取れないという意味で、記述が不充分だった。
いっぽう、一次史料を受けとって、言語を加工する編纂者の目の前には、もう事実が発生しない。たとえば、曹操の側近は黄河の渡し場を見ただろうが、羅貫中は建安五年の黄河の渡し場を見ていない。すると、編纂史料の相手に「なまの事実」を持ってくるのは、正しくない。

福原泰平『ラカン・鏡像段階』現代思想の冒険者たち、178頁。

編纂者は、「なまの事実」を写しとることに失敗するのではない。すでに一次史料の筆者が、「なまの事実」を写しとるのに失敗したあと、遅れてきて、パスに新たに参加するからだ。「なまの事実」は、とっくにない。編纂者は、すでに失敗を含んだ一次史料を、二次的に加工することで、さらに新しい壁にぶちあたり、なにかを言語に写し取り損ねるのだ。

いま出てきた、「写し取り損ねる何か」なんて、消極的な言い方で分かりにくい。なぜなら、定義に否定文を含んでいるからだろう。分かりにくいけど、ラカン=羅貫中に免じて、もうちょい辛抱してください。


羅貫中が『三国演義』を書いた動機

羅貫中は、「羅貫中なりにイメージした三国志」を、『三国演義』ですべて表現できなかった。これを理解するために、ボロメオの輪を、再登場させます。
羅貫中は、陳寿『三国志』だけでなく、『三国志平話』などの先行作品を参照したはずです。これが「事実」の位置にあたります。そして、羅貫中のような偉大な仕事をするのであれば、何らかの三国志のイメージを抱いていたはずです。これが「想像」にあたります。これをもとに『三国演義』を記した。
図示すると、こうなります。

前半で載せた「事実」「想像」「記述」と、位置や関係を揃えてあります。よく分からなくなったら、見返してみてください。
前半と同じく、この図が示すように、羅貫中による「想像」は、先行作品と合致しないが、無関係でもない。『三国演義』と合致しないが、無関係でもない。3者がからみあって初めて、1つの結び目をつくっています。

ぼく用のメモ。
ぼくの理解の限界なのか、もしくはラカンが明らかにしていないのか。ラカンは、時期によって理論が変化するらしいので、必ずしも首尾一貫した説明は得られない。
ボロメオの輪における「想像界のうち象徴界に含まれない部分」と、「対象a」は、同じところと違うところが、それぞれあると思う。ともあれ、ここでは「想像界」の場所に「対象a」を置けるものと、強引に誤読して、話を進める。「対象a」の性質に関する指摘は、ラカンに従う。


羅貫中は、自分なりの三国志のイメージを、言語を通じて『三国演義』で語ろうとしたはずです。しかし語るほどに、「残念ながら、語り損ねた」という余り物が出てきたと考えられます。「語ろうとすると、語り損ねる」というのは、小説のような長いものを自作したことがなくても、誰もが経験することだと思います。
「語り損ねる」という体験や、もやもやした感じは、語ってみないと味わえません。

もやもやするのに、羅貫中はなぜ『三国演義』を書ききったか。
(この頁でいちばんのハイライトです)

三国志の先行作品などのデータを集め、三国志に対して何らかのイメージを持った羅貫中は、『三国演義』をまとめ始めたはずです。しかし、不可避的に「書き損ねる」という体験をしたはずです。
ここで羅貫中を動かしたのは、「書き損ねるものを捕まえて、是非とも書いてやろう」という、直接的な征服欲ではなかったと思います。
「書き損ねるものがあるから、それが動機づけとなって、かえって書かずにはいられなくなった」という状態ではないでしょうか。もやもやするけれど書く、のではなくて、もやもやするから書く。「人間は原因と結果を取り違える」と言ったのがラカンだっけ。
言い直すと、
書いても書いても書き損ねるものは、「執筆の対象(いつか書いてやるもの)」としてロックオンされるのではなく、「執筆の原因(これがあるから書かずにはいられない)」ではなかったか。
ラカンの理論では、羅貫中をこのように分析できます。
こうして「書き損ねてしまう」ことに動機づけられ、「書き損ねる」ものの周りをぐるぐる回りながら完成し、けっきょく「書き損ねて」しまった結果が、『三国演義』だと理解することができます。

三国志ブログのすすめ

斎藤環『生き延びるためのラカン』では、この「書き損ねる」ものを、貨幣に捉えています。論者は皆、貨幣が大好きのようです(いい比喩になるので)
貨幣への欲望は、際限がない。貨幣を欲望する理由は、貨幣が「常に不足しているから」だし、「誰もが貨幣を欲しがるから」でもある。貨幣がもっともリアルに感じられるのは、欠乏しているときだ。手許に余っていると、貨幣のことを意識しない。
貨幣は「欲望の対象」でなく「欲望の原因」となる。つまり、お金のために(お金を対象として)働いているというのは、じつは幻想である。お金があるから欲しくなるのだ。この逆はない。ネットショッピングは、さきにほしいものがあって、買うのでない。ネットショッピングで、手軽に買える商品を見せられるから、欲しくなるのだと。

三国志に戻ってくると。「こんな三国志を表現したいけど、うまくいかない」という欠乏感がつねにある。書くべき三国志はコレとコレ!と、確固たるものとして把握できない。先行作品を読んで、なんか「自分なら、こういう解釈をするのだがなあ、、」という、もやもやした、文字どおり名状しがたい欠乏感がある。欠乏感があるから、書きたくなる。書くべきことがあるから、書くのではない。
「うまく書けない」から、さらに書きたくなる。

今回は、ラカンと羅貫中という音の共通性から、羅貫中を扱いました。
なぜ羅貫中だったか。今さらですが再確認です。
ぼくたちが三国志に興味をもったとき、一次史料の記録者にはなれません。なぜなら、建安五年にタイムスリップして、新聞記者のように取材することはできない。
ぼくたちが先輩として目標にできるのは、羅貫中のような、編纂者(編成者や作者)です。だから、羅貫中が執筆した動機(羅貫中の欲望の原因)を、ラカンによって明らかにすることは、ブログ活動の参考になるのかな、と思います。

逆説的なようですが、
正史をふくむ先行する文字テキストを、「正しく読み取り」「正しく編集できる」のならば、ブログを作成する必要はありません。「正しく読めない」「自分の解釈をうまく書けない」からこそ、ブログは楽しいのだと思います。もし「正しく書けない」「周囲と比べて水準に達しない」という理由で、ブログを躊躇しているのであれば、そういうときこそ、始めどきだと思います。
この頁の前半で、「正史を読める者はえらい」というような、日本語のネット世界にかけられている不当な呪いを、解こうと試みました。「正史を読まないと、ブログにならない」という理由で躊躇する必要もないと思います。

『三国演義』/羅貫中が書き損ねた三国志
三国志のブログ/ブログ作成者が書き損ねた三国志

という図式のもと、読んでは書き、書いては書き損ね、書き損ねたものの周りを巡回しながら、「こんな風かなあ」「いや違うな」という七転八倒の軌跡をのこすのが、面白いと思います。
ラカンは、最終的なゴールに到達することを重んじません。原理的にゴールできないからです。精神科医においてゴールとは死であり、三国志においては「やりつくしたから飽きた」だと思います。患者が死ねば、もやもやは消えますが、解決ではない。三国志は、飽きたら飽きたで、まあ仕方ないけれど。
どのような仕方で、ゴールの周りをぐるぐる回っているのか、を分析したのがラカンでした。このように回っている自分を意識しつつ、羅貫中をマネて、三国志ブログをやりましょう、という話でした。121208

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