全章
開閉
- 199年、袁術が蜜水で蘇生し、交趾をめざす
真・三國無双 6Empires のプレイ日記です。
ぐっこ どっと ねっと ~三国迷ぐっこのHP~(http://gukko.net/)
に掲載の「南蛮王呂布の痛快活劇」と同じことをやりたかったので、エンパ6の発売を楽しみにしていました。しかし、同じタイミングで『資治通鑑』にハマったので、発売日から2週間ちょいも経ってしまった。
南蛮にゆく設定など、「南蛮王呂布の痛快活劇」をマネしてますので、このことは予め明らかにしておきます。
タイトルの響きは、『まじかる無双天使 突き刺せ!! 呂布子ちゃん』からもらっています。6年前とかに、職場で経理課長に「三国志の話は難しくなるから聞きたくない。でも、呂布子ちゃんの話ならしていい。呂布じゃなくて、呂布子ちゃんね」と言われたことがある。課長の思惑どおりに、ぼくは呂布子ちゃんを未読で、何も言うべきことがなかった。そして、5年たった今も未読のまま。10年先もきっと「未読」なんだろう。
199年夏、袁術がハチミツを得て生存する
汝南の袁術は、建安2年(197)春、皇帝に即位した。
『三国志研究』の投稿から、1文目だけをコピってきた。この続編を準備せねば。この「袁術さま」を書き終えたら、もっと射程を拡げたものを書く予定です。準備はできています。こんなものを書いて遊んでいる場合、、です。三国志は楽しく遊ぶもの。
『後漢書』袁術伝より、袁術の最期をひく。
四年夏,乃燒宮室,奔其部曲 陳簡、雷薄於山。復為簡等所拒,遂大困窮,士卒散走。憂懣不知所為,遂歸帝號於紹。術因欲北至青州從袁譚,曹操使劉備徼之,不得過,復走還壽春。六月,至江亭。坐簀牀而歎曰:「袁術乃至是乎!」因憤慨結病,歐血死。建安4年(199)夏、袁術は寿春の宮室を焼いた。部曲の陳蘭と雷薄は、潜山ににげてしまった。袁術は、陳蘭に受け入れられず、おおいに困窮した。士卒は散ってにげた。袁術は憂い、どうして良いかわからない。ついに袁術は、袁紹に天子の称号を与えることにした。袁術は北にゆき、青州で袁譚に従いたい。
曹操は、劉備に袁術を妨害させた。袁術は、青州にゆくことができず、寿春にかえる。建安4年6月、江亭にいたり、袁術は、簀牀に座って歎じた。「袁術さまが、このような状況になるとは」と。憤慨して病気となり、血を吐いて死んだ。
おっと、死んでしまった!
死んではダメなんだ。例の「ハチミツ飲みたい」の場面がないと、袁術が生き残る糸口が見つからない。『後漢書』は編集が行きとどいており、一覧性に優れた良い史料なので(皮肉じゃないです)、あの場面が含まれているかと思った。失敗した。
『三国志』袁術伝注引『呉書』でおぎなう。
術既為雷薄等所拒,留住三日,士眾絕糧,乃還至江亭,去壽春八十里。問廚下,尚有麥屑三十斛。時盛暑,欲得蜜漿,又無蜜。坐櫺牀上,歎息良久,乃大咤曰:「袁術至于此乎!」因頓伏牀下,嘔血斗餘而死。雷薄にブロックされて、3日とどまる。士衆は食糧がなくなり、江亭にもどった。寿春から80里の場所である。食糧係にきくと、まだ麦クズが30石ある。
ときに暑い盛りなので、袁術は蜜水が飲みたいが、蜜水がない。袁術は長い溜息をついたあと、大声で「袁術さまが、このような状況になるとは!」といい、伏せった。袁術は、血を1斗余も吐いた。
以下、史料と関係ない話をします。いわゆる、イフ物語です。
地に伏せった袁術を、抱きあげる者があった。袁術は、涼しい木陰に運ばれた。袁術の近臣や士卒は、あてのない進軍に疲れており、手出しをできない。大木を背にして座らされた袁術は、くちびるの血を拭って、目を開けた。袁術を運んだのは、長身の人物である。
「このような臣がいたかな」袁術には心当たりがなかった。
長身の人物が、「蜜水です」と、木の脇から、小さな器をだした。女の声だった。袁術は器を受けとり、蜜水を飲みほした。思考を取り戻した袁術は、おごそかに言った。「丞相か相国にしてやろう」
袁術の近臣が集まってきた。誰だ、誰だ、と長身の女に聞いた。江亭にすむ民にしては、体格が立派である。
「呂玲綺です」と女が答えた。
近臣Aが、とっさに、「私は『三國志戦記2』というゲームで遊んだことがある」と言った。袁術が不審そうな顔をしたので、近臣が補った。「2003年に発売されたプレステ2のゲームです。武将を将棋のコマのように操って、戦わせます。私は駅前の中古ゲームソフト屋で買いました。呂玲綺という名は、このゲームが初出です」と。
長身の女が「つまり、私は呂布の娘です。近臣のかたが、説明に要領を得ないから、袁術さまの朝廷は、統治に失敗したのではありませんか」と言った。
「言わせておけば」
けなされた近臣Aは憤慨し、自分の舌を噛みきって死んだ。
呂玲綺は来歴を語った。『三国志』呂布伝注引『英雄記』より。
術乃嚴兵為布作聲援。布恐術為女不至,故不遣兵救也,以綿纏女身,縛著馬上,夜自送女出與術,與太祖守兵相觸,格射不得過,複還城。下邳で曹操に包囲された呂布は、袁術に来援をねがった。袁術は、呂布が娘を差し出すことを来援の条件とした。呂布は、娘を綿でくるみ、馬上にしばって、袁術に届けようとした。曹操の包囲を突破することができず、下邳城にもどった。
呂玲綺は続けた。
「昨年、父の呂布は曹操に殺されました。下邳が落城する直前、父は私を奔馬の背にしばりました。方天画戟で馬の尻を突き刺すと、馬は荒れ狂い、私は曹操の包囲を突破することができたのです」
近臣Bが「方天画戟は『三国演義』の設定です。漢代にそのような武器はありません」と指摘した。袁術は、呂玲綺が生存した理由に説明がつかなくなることを恐れた。空気を読んだ近臣Bは、舌を噛みきって死んだ。
近臣Cが言った。「正史の文脈を無視して登場し、いきなり素性を語り始めるなんて、『三国演義』に吸収された、花関索の伝説みたいですね」と言った。袁術が顔をしかめたので、近臣Cは舌を噛みきって死んだ。
199年秋、袁術が廬江太守の劉勲を頼る
命を取り止めた袁術が、寿春に入城すると、人民の厳しい視線にさらされた。呂玲綺は、「宮殿に延焼して、城内で家屋を失った者がおおい。いちど捨てた城を復興するよりは、新たな城を都に定めたほうが良い」という。
袁術は合意した。政敵が、二度と寿春を使えないように破壊したのは自分である。使いものにならないのは、当然であった。寿春にもどったのは、妻子と合流するためであったが、『三国志』袁術伝によると、妻子依術故吏廬江太守劉勳袁術の妻子は、すでに廬江に逃げたあとだった。廬江太守の劉勲は袁術の故吏である。故吏は挙主に、おおきな恩義を負っている。妻子の判断が正しいので、袁術は安心した。「劉勲なら頼りになる」
呂玲綺は「私が結婚する予定だった方は、どこにいるか」と聞いた。「袁燿もまた、廬江に行ったに違いない」と袁術は答えた。
「私は、だれを頼ろうか」と袁術は悩んだ。「やはり廬江の劉勲かな」
袁術は、廬江を目指して南に進んだ。
前方から数百の軍勢が来るという。袁術の生存を知った者が、討伐にきたのだろうか。袁術の高貴なお姿は目立つので、もし軍勢が敵であれば、命が助からないだろう。袁術は、そばの林に逃げこみ、軍勢をやり過ごした。
「あれは、わが軍の鎧ではないか」
袁術は、呂玲綺が制止するのを構わず、道に飛び出してしまった。
「袁術さま、袁術さまですか。よくぞご無事で」
軍勢をひきいるのは、劉勲だった。
「廬江太守にしてやっただろう。廬江はどうした」袁術は目を丸くした。
「孫策に取られました」
劉勲がうなだれた。説明するのが面倒だし、自分の失敗を語るのはイヤなので、劉勲の兵士が、『三国志』孫策伝を袁術に示した。
後術死,長史楊弘、大將張勳等將其眾欲就策,廬江太守劉勳要擊,悉虜之,收其珍寶以歸。策聞之,偽與勳好盟。勳新得術眾,時豫章上繚宗民萬餘家在江東,策勸勳攻取之。勳既行,策輕軍晨夜襲拔廬江,勳眾盡降,勳獨與麾下數百人自歸曹公。袁術の勢力が滅亡すると、長史の楊弘、大將の張勲らは、衆をひきいて孫策につく。廬江太守の劉勳は、楊弘や張勲ら「袁術軍の裏切り者」を捕らえ、彼らが「盗んだ」袁術の珍宝を入手した。
孫策は、いつわって劉勲と同盟をむすんだ。孫策は劉勲に「新たに入手した袁術軍で、豫章の上繚を攻めてみては」と提案した。劉勲が出陣すると、そのすきに孫策は、廬江をうばった。劉勲は麾下の数百人だけをひきいて、曹操に帰した。
「いま、ここです」
兵士は、末尾の「曹操に帰した」の部分を指さした。
「劉勲は、曹操を頼るのか」袁術が劉勲をにらんだ。
「いいえ。袁術さまがご存命なら、話は別です。袁術さまの王朝・仲氏を再興するために、尽力します。なぜなら私は、袁術さまの故吏ですから」
「持つべきものは故吏だな」袁術は勇気を得た。
これと同時に袁術は、心のなかで「孫策もまた、私の故吏のはずなのにな」と思った。だが孫策の忘恩の行動は、袁術が死んだという誤解によるものだろう。袁術の生存を知れば、ふたたび袁術のために尽くすに違いない。
袁術は、劉勲の兵士から『三国志』袁術伝をひったくって読んだ。
妻子依故吏廬江太守劉勳。孫策破勳,復見收視。袁術の妻子が、孫策に保護されていることを確認した。ここから先の記述は、竹簡をたばねたヒモが切れており、見ることができなかった。。
199年冬、袁術が交趾をめざす
劉勲が負けたせいで、袁術は目的地を失った。呂玲綺は、「孫策を頼ってはどうか。袁術さまは、孫策にも恩を施したのでしょう」と提案した。
劉勲が反対した。「孫策は、こういう状況なんですよ」
『三国志』孫策伝より。
時袁術僭號,策以書責而絕之。曹公表策為討逆將軍,封為吳侯。(中略) 是時哀紹方強,而策並江東,曹公力未能逞,且欲撫之。乃以弟女配策小弟匡,又為子章取賁女,皆禮辟策弟權、翊,又命揚州刺史嚴象舉權茂才。袁術に絶縁書をだした孫策は、曹操に上表により、討逆將軍となり、吳侯に封じられた。曹操は袁紹に対抗するため、曹操の弟の娘を、孫匡と結婚させた。また曹操の子が、孫賁の娘と結婚した。孫権と孫翊を辟した。揚州刺史の厳象に命じて、孫権を茂才にあげた。
劉勲はいう。「たしかに袁術さまは、孫策をわが子のように寵愛した。だが現在の孫策は、官位と爵位、さらに婚姻を通じて、曹操と密接な関係を築いている。孫策は、袁術さまからの贈物より、曹操からの贈物を、よりおおく受納しました。孫策は、袁術さまよりも、曹操のために動くでしょう」
呂玲綺が劉勲に反論した。
「あなたは孫策に、廬江を奪われました。もし袁術さまが孫策を頼れば、あなたは恥辱にまみえ、失脚するでしょう。あなたが言っても説得力がない」
劉勲は代案を提示した。
「交趾太守の士燮は、士人を受け入れる度量がある。孫策を頼って、余計な摩擦を起こすよりも、交趾に行ったほうがよい」
『三国志』士燮伝より。
燮體器寬厚,謙虛下士,中國士人往依避難者以百數。耽玩春秋,為之注解。交趾太守の士燮は、寬厚な人柄で、謙虚であり、士にくだる。中原の士人で、交趾に避難する者は、百を以て数えた。士燮は『春秋』を楽しみ、注解をつけた。
心身ともに傷ついた袁術は、「交趾にゆく」と決定した。
袁術は、呂玲綺と劉勲とともに、劉勲が連れてきた数百をひきいて、南下した。十日ほど移動したのち、もっとも安全な経路を選ぶため、「勢力MAP」を開いたところ、袁術が悲鳴をあげた。
「交趾に士氏がいない」
「まさか」
劉勲が地図を見ると、確かに交趾には、士氏がいない。代わりに治めているのは、南蛮の孟獲である。孟獲が遣わした、阿会喃、金環三結、董荼那が交趾を統治している。社会階層に敏感であり、劉備のことを「知らない」と言いはなつ袁術である。まして、漢族ですらない阿会喃たちと、うまくやれるはずがない。
「阿会喃なんかと、『春秋』が読めるか」
袁術が怒った。
袁術は、王朝を再建することも重要であるが、中原から流れた学者たちと、勉強ができるのを楽しみにしていたのだ。汝南袁氏は、学者の家なのだ。
「今からでも引き返して、孫策を頼ろう」
と呂玲綺がいう。
劉勲は、士氏を配置してくれなかった、ゲームメーカーを呪った。だが、どうしても孫策を頼りたくないので、なおも交趾に行こうと主張した。
「後漢末の男は、形成が不利になると、南に行くのだ。中原が乱れると、魯粛は南にいった。王朗は孫策に追われて南ににげた。許靖も南に行っただろう。劉備だって荊州で曹操に追われると、交趾に行くと発言し、、」
左右の者が、劉勲の口をおった。「劉備の件は、まだです」
「と、とにかく、南に行くと、良いことがありそうな気がするのだ。女には分かるまい」劉勲は、自分より背の高い呂玲綺に、指をつきつけた。
「政治的な立場が不利なので、ごまかすのですか。私は孫策と話してみる価値があると思います」
呂玲綺は劉勲の指を、ポキンと折った。
劉勲は慌てて手を引っこめると、鼻血を吹いた。
「今回のタイトルは、『南蛮無双天子・僭れ!! 袁術さま』だ。もし袁術さまが南蛮で僭らなかったら、訳が分からないじゃないか。タイトル詐欺だ。ゲームのコマンドでは、移動先を選べば、1ヶ月でどこにでも行けるんだ。さっさと南に行こう」
袁術は、劉勲の議論を善しとした。
「これは国盗りのシミュレーションだ。阿会喃を討伐して、交趾に私の国を作れば良いのだろう。士燮のように、なまじっか有徳の太守がいないほうが、気持ちよく戦えるじゃないか」
袁術の言葉に、呂玲綺は黙って頷いた。121124
ぼくは思う。話の形式を、さぐりさぐりですが、好きなように書いてゆきます。こういうイフ物語の弱点は「何とでもできてしまう」こと。この弱点を、難易度「難しい」に設定したゲームに沿わせることで防ごうと思います。ゲームを妄想で補いつつも、ゲームの結果までは変えないことをルールとします。閉じる
- 200年、作成中
ああ
閉じる