全章
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- 前半:王莽にまつわる謎の設定
はじめに
ソポクレス『オイディプス王』、藤沢令夫訳、岩波文庫
の読み換えを行います。
「もしも王莽が、オイディプス王だったら」です。つまり、オイディプス王の話を、前漢末に置き換えて、読んでいこうという試みです。
なぜこれをやるか。オイディプス王に着目したのは、精神分析家のフロイトです。フロイトは、ギリシャ悲劇『オイディプス王』から、エディプス・コンプレックスという概念を作りました。これを読んでいたら、ぼくは「これって王莽じゃん」と思ったのです。
できるだけ、頭をカラッポにして読んで下さい。できるだけ「史実に準拠」を目指しますが、わりと逸脱してます。『オイディプス王』の悲劇に沿わせるために、「可能性がないとは言えないが、ウソくさい」ことも書きます。このページの目標は、『漢書』王莽伝に忠実な小説を書くことではないです。王莽の小説を読んでいるかと思いきや、『オイディプス王』そのまんまじゃん、と驚いて頂きたくて、これを書きます。岩波文庫を開いてみたら、ほとんど改変されてないじゃん、と呆れて頂ければ成功です。中国史のサイトとしては、ちょっと倒錯してますが、この倒錯も織りこんだ上での試みです。
劇が始まるまでの出来事
◆宣帝期
中国の前漢時代。長安に都する前漢は、高祖の劉邦を始祖とする。劉邦の血筋を受ける皇帝によって、代々支配されてきた。
初元4年(前45)、ときの君主・宣帝の太子(のちの元帝)は、史官が受けた神託により、「太子は、やがて生まれる自分の子に殺される運命にある」と告げられた。恐れた太子は、太子宮の王政君が男子を産むと、すぐに宦官の羊隗に手渡し、長安の近郊に捨てさせた。太子は「その男子を殺せ」と命じた。
この捨て子のことを、忘れないでください。あとで出てきます。6年後の甘露3年(前51)、王政君は、またしても子を産んだ。太子の父・宣帝は、その子を溺愛して、皇位継承すべき嫡流の孫として「皇孫」とよんだ。太子は、2人目の子である「皇孫」に殺されることを恐れたが、宣帝が「皇孫」を溺愛するので、宣帝に遠慮して、「皇孫」を殺すことができなかった。
「皇孫」とは、のちの成帝です。宣帝が祖父、太子(元帝)が父です。王政君が母です。太子と王政君の子が、兄が長安近郊の捨て子。その弟が「皇孫」すなわち成帝。
年号に関しては、『漢書』に準拠してます。わりに史実派!
◆元帝期
黄龍元年(前49)、宣帝が崩じて、太子が即位した。元帝である。
元帝は神託を信じていたので、王政君の子(皇孫)を疎ましく思った。しかし群臣が、「なき宣帝の遺志を尊重せよ」と述べたので、元帝は「皇孫」を太子とした。それでも元帝は警戒を解かず、「皇孫」を近づけなかった。
竟寧元年(前33)3月、元帝は恵帝廟を修復して、祭祀を行った。4人の従者のみを連れて、修復の進捗を視察したとき、途上で元帝は殺された。ただ1人逃げ帰った宦官の羊隗は、「盗賊による犯行である」と報告した。「皇孫」の犯行ではなかったため、死に際に元帝は、「神託は当たらなかった」と述べた。
『漢書』は、詳しい死因を書いていないので、元帝が道中で切りつけられたことが、なかったとも言い切れない。凶事を嫌って、書かなかったとも言い得る。その他は、『漢書』に沿っています。
◆成帝期
元帝を失った漢家の人々は、「皇孫」をつぎの皇帝とした。成帝である。
宣帝、元帝、成帝と、皇帝が3人かわった。成帝とは、捨て子の弟です。と、いちいち注釈しないと、話を見失いそう。ページの下で系図を載せます。成帝は、父の元帝を殺した盗賊を捜索したが、見つからない。このころ、連年の飢饉と疫病により、漢家は危機にあった。成帝は、天地を祭祀する方法に問題があると考えた。祭祀の検討に忙殺されて、盗賊の捜索は延期された。
祭祀の謎とは、原典のスフィンクスの謎かけです。
成帝の母・王政君には、おいがいた。王莽である。王莽は、父の王曼が早死したので、官職が低く抑えられていた。
ただし、王莽の官職が低いのは、父の王曼の早死だけが理由ではない。王莽は、王曼の家属がひろってきた子だった。すなわち王曼の実子でなかった。王曼は姉の王政君に、この事実を報せている。王政君は、王莽が血のつながった王氏のおいでないことを知りつつも、王莽の学問を評価して、成帝に王莽を推薦した。
成帝は、王莽が祭祀の儀礼に精通すると聞いて、抜擢した。王莽は、新都侯に封じられた。王莽は、秀でた知恵によって、祭祀の問題を解決し、南北の郊祀を確立した。
綏和元年(前08)、王莽は群臣に推されて、大司馬となった。
綏和2年(前07)、成帝が崩じた。
政事は、成帝の母・王政君が行うことになった。王政君は、おいの王莽の能力を頼っていたので、王莽が執政者となった。王政君と王莽は、つねに同室におり、従者を遠ざけて政策の議論を行うこともあった。
早くに夫の元帝を失った王政君は、60歳を越えていたが、いまだに才気は衰えていなかった。このとき王莽は40歳の男盛りである。王政君と王莽は、たびたび性交をした。王政君も王莽も、互いに血縁者でないことを心得ていたため、性交が忌避されなかったのである。
ただし、王政君は亡き元帝の皇后であったし、公的には王莽は王政君のおいという立場であったから、王政君と王莽の性交が公表されることはなかった。
関係系図。数字は即位順。
◆哀帝期
成帝のつぎには、哀帝が即位した。哀帝とは、元帝の孫、成帝のおいである。つまり元帝が、王政君以外のの妻に生ませた子の、さらにその子にあたる。元帝は傅氏とのあいだに、定陶恭王をつくる。定陶恭王は、丁姫とのあいだに、哀帝をつくる。この複雑さは、『漢書』そのまま。『オイディプス王』よりムダに複雑なのだが、『漢書』準拠なので、仕方ないのです。哀帝は、直接の血縁がない王莽を疎ましく思った。だが、哀帝は即位したばかりなので、義理の祖母の王政君と、そのおいの王莽に頼った。王莽は大司馬として、継続して政事を担当した。
そのころ、ふたたび前漢は、疫病と飢饉に見舞われた。前漢は、危殆に瀕していた。そうしたある日。
やっと、劇『オイディプス王』が開幕しました!
プロロゴス;哀帝が聞いた天意
長安の宮殿の前。長安の士大夫が、嘆願を提出した。
王莽「嘆願があるならば、大司馬の私が聞こう。もし嘆願に心を動かされなければ、私は仁愛のない男というべきであろう」
士人「王莽さま。みなは天の前に跪いているのです。王莽さまも知るとおり、漢家は災厄に見舞われる。王莽さまを天と思うわけではないが、祭祀に精通する者と見こんでお願いがある。漢家を救ってほしい」
王莽「天下の苦しみは、私の苦しみでもある。哀帝に祭祀を行わせ、天意を聞きとろうと思う」
原書のクレオンに、哀帝をあてがいます。クレオンは、オイディプスの母+妻のイオカステの、弟です。広義の血縁者という意味で、王莽と哀帝の関係に似ている。
哀帝が祭祀を行った。哀帝は天意を聞いたという。
王莽「哀帝さま。いかなる天意を聞いたか」
哀帝「よい報せだ。災厄は去るらしい」
王莽「天意を教えてください。内容を知らねば、安心できない」
哀帝「群臣の前でなく、宮殿の一室で、王莽だけに伝えたい」
王莽「いいえ、群臣の前で話すべきだ。漢家の災厄は、私だけでなく、天下の百姓にとっての苦しみである」
哀帝「仕方がない。言おう。もし漢家にのさばる逆賊を除けば、災厄が去る。これが天意である」
王莽「逆賊とは」
哀帝「おじの元帝を殺した盗賊である。盗賊は、いまだ漢家の内部にいる」
王莽「まだ漢家にいるとは、ふてぶてしい盗賊である。ところで私は、元帝の崩御について、何も知らない。元帝はどこで殺されたか」
哀帝「外で殺された。目撃して生還したのは、宦官の羊隗のみ。当時もまた国難であったので、盗賊の捜索は打ち切られた」
王莽「天意に順い、国難を解決するために、元帝を殺した盗賊を捕らえて、死刑にする。百官に対して、私はこれを約束しよう」
この盗賊とは、むかしの王莽であると。ネタバレ。この話は「誰がどこまで知っているか」が錯綜する。ていねいに『オイディプス王』を再現できてない。ので、読者には「すべてを知った者」の目線に立っていただきます。というか、ぼくが『オイディプス王』を初読したときも、精神分析の本などを通じて、結末まで知っていたので、同じような感じで読んで頂こうと思っています。オイディプス王は、そのネタが生命線ではないので。
第1エペイソディオン;劉向の洞察
王莽は、盗賊の捜索せよと天下に布告した。
王莽「かたじけなくも私は、大司馬の官職にある。私が輔政するかぎり、漢家において、罪人を許さない。罪人をかくす者も許さない。罪人の九族を誅伐せよ。漢家の皇帝にあだなす者を、絶対に許してはならない」
属官「逆賊討伐の布告に加え、第2の方策があります」
王莽「言ってみろ」
属官「学者の劉向は、すでに老齢で盲目ですが、天意を知ることができます。劉向に、盗賊の所在について聞いてください」
原書のテイレシアスを、劉向とします。テイレシアスは盲目ですが、劉向は盲目じゃない。というか、時期的には死去直前だ。王莽の外戚政治に批判的だった劉向なら、適任だと思うので、登場させます。目を酷使して盲目になった。という設定とか。王莽「元帝は、旅装の盗賊に殺された。これ以外に情報がない。劉向の話を聞いてみよう」
盲目の劉向が、手をひかれて王莽に謁見した。
劉向「ああ、知っているとは、なんと恐ろしいことか。知っても何も利益がないのに。長年、官職に就かずにきた私だが、うっかりして王莽の前に、引き出されてしまった。私を帰宅させてほしい。私も王莽も、つらい運命に耐えるためには、私を帰宅させるのが最善である」
王莽「天に誓って、劉向に頼む。知っていることは話せ。天下の百姓も、知ることを望んでいる」
劉向「王莽も百姓も、真相を知らないから、真相を知ることを望むのだ。私が真相を話すことは、王莽にとっての哀しみとなる」
王莽「知っているなら話せ。家には帰さない」
劉向「私が言わなくても、知るべき時機がきたら、王莽は真相を知るだろう。私の口から言うのは、避けたい」
王莽「そうか、わかった。元帝を殺害したのは、劉向であろう」
劉向「違う。元帝を殺害したのは、王莽である」
王莽「暴言を吐くな。死罪にするぞ。誰の指図だ」
劉向「死罪を逃れる必要は、初めからない。私の知る真相こそが、私を守ってくれる。また私に真相を言えと指図したのは、王莽である。さらに言えば王莽は、いちばん親しい身内と、醜い交わりを結んでいる」
「醜い交わり」というのは、この話の2つめのテーマです。テイレシアス=劉向は、なんの脈絡も必然性もなしに、このテーマを持ちだしてきた。王莽「目の見えないお前に、真理がわかるはずがない。馬鹿め」
劉向「その罵言は、やがて百官から王莽に向けられるだろう」
王莽「わかった。さては哀帝が、私を陥れるため、劉向を差しむけたな」
劉向「哀帝は、王莽に危害を加えない。王莽は自滅するのだから」
王莽は激昂した。
王莽「財産、権力、功名、才智。哀帝は私を嫉妬して、劉向のような者を差しむけたのだろう。漢家の君主として、私たち顕臣が頂くべき哀帝が、大司馬たる私の権限をねたむとは。天地の祭祀について、長年の難問を解決したのはだれだ。私だ。祭祀の問題が解決せず、漢家に災厄があったとき、劉向は何もできなかった。盲目のお前は、何も分かっていないのだ」
劉向「私は無官だが、大司馬の王莽と同じだけ、発言させてもらおう。私は天意だけに順う者である。王莽は私を、盲目だと罵った。だが、視力があるくせに盲目なのは、王莽である。王莽は、自分がどれだけの不幸のなかにいるか、自分がだれであるか、分かっていないのだ。王莽は、自分の両親を知っているか。王莽がいくら逃げ回ろうと、両親の呪縛は、王莽に追いつくだろう」
王莽「白痴の劉向よ、消えうせろ」
劉向「無知な王莽から見れば、私は白痴でしかないでしょう。しかし、王莽の生みの親が聞けば、私の発言が真理であることが分かるはずです」
王莽「生みの親だと。いったい誰が、私を産んだのだ」
劉向「謎解きなら、学問に通じた王莽のほうが得意でしょう」
王莽「謎解きについての私の偉大さを、劉向も思い知るだろう。必ずや、元帝を殺した盗賊を捕まえてやろう」
劉向「王莽は、謎解きが得意だからこそ、破滅する」
王莽「劉向めが、早く退場しろ」
劉向「去る前に私は王莽に告げる。王莽は強迫めいた言葉をならべ、盗賊を侮辱する。だが元帝を殺した盗賊は、まさに王莽である。王莽は、王氏の拾子という話があり、王莽も自分を天涯孤独の身だと思っているだろう。だがやがて王莽は、漢家の血筋を引くことが、明らかになるだろう。王莽は、父親と同じ女(母親)と性交し、かつ父親を殺害した者であると判明するだろう」
ぼくは思う。もうテレシアス(劉向)が全部、ネタバレをしてしまった。あとは、オイディプス王(王莽)が謎解きをやり、盲目のテレシアスこそ真理を述べているのだと知り、ショックを受ける話です。冒頭の系図の、ネタバレ版を置きます。
◆ここまでのまとめ
劉向によって真理(ネタバレ)が示された。しかし物語の進行において、王莽も王政君も、まだ何も知らない。これ以降は謎解きであり、王莽が謎を解くことで、悲劇が浮かび上がる。
王莽は、かつて「盗賊」として、元帝を殺したことに気づいていない。まして元帝が実父だと、気づいていない。王莽は自分のことを、素性の分からない子であり、王曼の「養子」であり、王政君の「血縁のない義理のおい」だと思っている。王政君は、じつは自分を捨てた実母であるが、それを知らない。
王政君は、1人目の子を捨て、その子はもう死んだと思っている。まさかその捨て子が、たまたま弟の王曼に拾われ、王莽という名をもらい、自分のおいに収まっているとは思わない。王政君は、「素性の分からない」王莽と性交しているが、じつは自分の1人目の子と性交しているのである。
後半の謎解きにつづきます。130214
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- 後半:王莽の手による謎の解決
第2エペイソディオン;元帝殺害の犯人
哀帝「公卿たちよ。王莽は私に対して、恐ろしいことを言った。王莽は誤解して、私が劉向をそそのかし、王莽を罵倒させたと思っているらしい。いかに信頼すべき王莽でも、聞き逃せない」
公卿「王莽はどこまで本気でそれを言ったのか、分かりませんが」
王莽が登場した。
王莽「こら皇帝陛下。公卿を集めて、何をしている。私たち王氏のおかげで、哀帝は帝位にあるというのに。忘恩して、私を陥れようとするのか」
哀帝「私の言い分も聞いてくれ」
王莽「哀帝は陰謀する者なのだから、哀帝の好きなように語らせるわけにはいかない。哀帝は私を陥れ、漢家の政治を乱そうとなされる」
哀帝「私が王莽に話したいのは、まさにそのこと」
王莽「私が哀帝から聞きたくないのは、まさにそのこと。劉向を私の前に連れてきたのは、哀帝の命令であろう」
哀帝「今でも私は、劉向を呼んだことを、誤りだとは思っていない」
王莽「劉向は、かつて元帝が殺害されたころも、漢家に仕えていただろう。そのとき劉向は、盗賊が誰か言わなかった。そのくせ、今になって、私が元帝を殺害したと言い出すのは、おかしい」
哀帝「劉向の意向は知らない。知らないことに対して、私は沈黙することにしている。劉向が、王莽が元帝を殺害したと言ったか、言わなかったか、私は知らない。だが殺害の真相は、王莽が知っているだろう。私から王莽に、聞きたいぐらいだ」
王莽「聞きたければ聞け。私を、元帝の殺害者に仕立てることは、誰にもできない。なぜなら私は、殺害者ではないのだから」
哀帝が立った。
哀帝「王莽は、王政君のおいであり、私の1世代上の外戚にあたる。いわば血縁者に等しい。王莽は、大司馬の官職をもつ。私は皇帝であるが、私から王莽に執政を委ねているだろう。私が、王莽を陥れる理由がない」
王莽「私が全権を握るゆえ、哀帝は私を陥れたいのでは」
哀帝「考えてみるがよい。すでに私は皇帝であり、充分な権力を持っている。王莽に政権を委任したことも、私の判断である。現状の私は、安らかな心で君臨している。しかし、もしも王莽を排除すれば、私は戦々恐々として自ら統治しなければならない。あえて後者を選ぶ者など、いるものか。気苦労のある立場を、どうしてわざわざ招き寄せようか」
ぼくは思う。なかなか「親政しない皇帝」の心理を、よく表現していますが。これは原典『オイディプス王』で、クレオンのセリフとして、きちんと存在するのです。王莽「哀帝には謀略があるから、このように自己弁護するのだ」
哀帝「では王莽は、私を帝位から降ろすか」
王莽「廃帝では足りない。死んでもらう」
哀帝「王莽の思慮が、狂っているのではないか」
王莽「私のことに関する限り、私に狂いはない。つまり私が、元帝を殺したということは、あり得ない」
哀帝「私自身のことについても、狂いがない。つまり私は、王莽を失脚させる陰謀など、企んでいない。狂っているのは、王莽のほうではないか」
属官「哀帝も王莽も、お辞めなさい」
王政君が登場した。
王政君「なぜ口論している」
哀帝「王莽が私を殺すと言うのだ」
王莽「そのとおりだ」
王政君「哀帝を殺してはならない。いやしくも皇帝を殺せば、王莽は逆賊になってしまう。王莽よ、教えてくれ。なぜ王莽は、そのように哀帝を悪むようになったのだ」
王莽「おばよ、もう聞かないでほしい。漢家は災厄に遭っているのに」
王政君「天にかけて、教えてほしい」
王莽「おばよ。哀帝は陰謀を巡らせたのだ。私が元帝を殺害したなどと、天意にかこつけ、全く証拠のないことを劉向に言わせた」
王政君「私の話を聞いて、王莽は安心してほしい。わが夫であった元帝の生前、史官が神託を報告した。元帝は、わが子に殺されるであろうと。だが元帝は、わが子ではなく、長安の近郊で盗賊に殺された。3筋の道が合わさるところで、元帝は斬りつけられた」
王莽「元帝とあなたの子は、どうなりましたか」
王政君「生まれて3日を経たぬうちに、元帝が留金で、子の両足のくるぶしを刺しぬき、宦官に託して捨てに行かせた。神託は、けっきょく実現されなかった。元帝を殺したのは彼の子でなく、ただの盗賊であった」
王莽「その話を聞いて初めて、私は動揺している」
王政君「顔色がわるい。どうしたのだ」
王莽「元帝は、3筋の道の合わさるところで斬られたのか」
王政君「そう聞いている。恵帝廟からの帰路で」
王莽「おお天よ。天は私に、何をさせようとした」
王政君「どうした、王莽」
王莽「まだ聞いてくれるな。元帝はどのような姿だった」
王政君「背が高く、白髪が交じり始めたころ。体型は王莽に似ていた」
王莽「どうしよう。私は自らを、呪いのなかに投げ込んだ。もしかして劉向は、目が見えるのではないか。恐ろしいことだが、もう1つ聞きたい。元帝の一行は、少人数だったか。皇帝たるに相応しく、大人数であったか」
王政君「総勢で5名だった」
王莽「ついに(私が元帝を殺したことが)判明してしまった。おばよ、元帝の殺害を伝えたのは、誰だったか」
王政君「同行していた、宦官の羊隗のみ。元帝の死後、王莽が外戚の一員として官職につくと、羊隗は帰郷してしまった」
ぼくは補う。ときめく外戚(ときの成帝の母系)のなかに、元帝の殺害者がいたら、政治的なスキャンダルになる。だから羊隗は、遠ざかったのだろう。種明かしをすると、この宦官の配役は原書で「羊飼い」である。ヒツジ・カイだから、羊隗にしました。王莽「羊隗を、長安に召還することはできるか」
王政君「できるが、なぜ羊隗を求めるのか」
王莽「私は余りに多くのことを、語りすぎたかも知れない。私は、自らのために恐れている。疑問を解決するために、ぜひとも羊隗に会っておきたいのだ」
王莽は告白した。10余歳のころ、いま聞いた元帝の特徴にそっくりの者と、道を争った。相手が無礼であったので、王莽は相手に斬りつけたと。
王政君「羊隗の証言が、王莽の記憶と食い違うことを願いましょう」
第3エペイソディオン;王政君の気づき
王莽の母(王曼の妻)が病気に臥したと、王氏の家属が告げた。
家属「母上の看病のため、邸宅に戻りなさい」
王莽「戻らない」
家属「なぜ戻らないのか。不孝のそしりを受けます」
王莽「かつて王氏の賓客のなかに、『易経』に通じる者がいた。彼は、”王莽は父を殺し、母と交わるだろう”と予言した。幸いと言って良いのか分からないが、父の王曼は、私が手を触れることもなく病死した。老母(王曼の妻)は病床にあるが、私は予言を恐れて、老母に孝を尽くせない」
王莽がおじの王鳳の看病をがんばれたのは、父の看病を疎かにしたことの、代償行為だったのかも知れないなあ。王政君「王曼は確かに病死でした。王莽は、予言を恐れすぎています。また老母と、うっかり性交することを恐れる必要などない。天下には、夢のなかで母と枕をともにした人々が、たくさんいるでしょう。母親と交わるという想像を胸中から消し去れなくても、過剰に畏怖することではない」
王莽「老母(王曼の妻)が存命なので、私は恐れざるを得ない」
家属「不孝だと知られれば、王莽さまの政治生命も終わってしまう。今こそ真実を話しましょう。まず、あなたは老母(王曼の妻)と、血縁関係にない」
王莽と王政君はうなずいた。王莽が王氏でないことは、既知の事実である。
王莽は家属に、質問をあびせた。
王莽「老母は、なぜ実子でない私を、実子にように育てたのか」
家属「王莽さまは、くるぶしに傷がありませんか」
王莽「なぜ古傷のことに言及するのか」
家属「じつは王莽さまを拾ったのは、私でした。私は長安の近郊で、くるぶしに傷がある赤子を得ました。その赤子を私が養っておりましたが、王曼さまの妻がそれを憐れみ、わが子として引き取られたのです」
王莽が初めて聞くことだった。
王莽「私は捨てられていたのか」
家属「厳密にいうと、宦官が捨てようとする赤子を、私がもらい受けました」
王莽「その宦官とは誰か。いまも生きているか」
家属「その宦官とは、王莽さまが召還しようとしている、羊隗です。それから、王莽さまの幼児期について、羊隗と同じくご存知なのが、王政君さまでございますね」
王莽「おばは、何を知っているのか」
王政君は顔面が蒼白になった。「言えません」
王政君は、宦官の羊隗に捨てさせたわが子が、王莽であることを知った。つまり王莽は、元帝と王政君の子であり、皇帝の劉氏の血をひく者であった。王莽は羊隗に捨てられたが、たまたま王氏の家属に拾われて、王氏として育てられた。つまり王政君は、わが子とは知らずに、王莽と性交してしまった。王莽は、老母(王曼の妻)と交わることはなかったが、すでに実母の王政君と交わっていた。『易経』に通じるという賓客の予言は、すでに成就されていた。この時点で、王政君のなかで、王莽が父殺し(元帝の殺害者)であることは、まだ確信されていない。はじめに「母と交わる」ことが明らかになった。王政君「あわれな王莽。いまはもう、これ以上のことを、私から王莽に言うことはできない」
王政君は走り去った。
王莽「どんな不幸でも、起こるならば起これば良い。私の実父と実母が、どれだけ賤しい者であっても、私は真相を知ろうと決めたのだ。きっと王政君は、私の素性が賤しいことを再認識して、私の前から去ったのであろう。だが私が、天地の祭祀を正したことは事実だし、大司馬として執政することも事実なのだ」
王莽は、自分が誰の子なのか、まだ知らない。
第4エペイソディオン;真相への到達
宦官の羊隗が、王莽の前に連れてこられた。王莽は、王氏の家属(幼い王莽を、羊隗から受けとったと証言した者)を指さした。
王莽「羊隗よ、彼の顔を覚えているか」
羊隗「分かりません」
王莽は家属に、赤子を受け渡しした状況について、詳しく説明させた。
羊隗「たしかに私は、赤子を捨てたことがあります」
家属「そのときの赤子が、眼前にいる大司馬の王莽さまだ」
羊隗「呪われた者め。妄言するな」
王莽「呪われるべきは、お前だ。羊隗」
羊隗「なぜ私が呪われるのか」
王莽「お前が真相をごまかそうとするからだ。羊隗を縛りあげろ。本当のことを言うまで、拷問せよ」
羊隗「お助け下さい。本当のことを言えば、身の破滅。言わなくても、身の破滅」
王莽「お前が捨てたのは、誰の子だったか」
王莽が羊隗に縄をかけた。
羊隗「言いましょう。私は宮中の子を捨てました」
王莽「お前の子か」
羊隗「私は宦官です。ひとに託された子を捨てました」
王莽「宮中のだれの子を捨てたのか」
羊隗「これ以上は、言いたくありません」
王莽「言わないと死罪とする」
羊隗「元帝のそばで生まれた子です」
王莽「元帝の子か。元帝に近侍する者の子か」
羊隗「元帝の子です。元帝と、王政君さまの子です。元帝は、その赤子を殺すようにと、私に命じました」
王莽「なぜ元帝は、わが子の殺害を命じたのか」
羊隗「神託を恐れたからです。元帝は、わが子に殺されるという神託です。しかし私は、赤子を不憫に思ったので、遭遇した者に渡してしまった。それが王氏の家属だとも知らず。赤子が王氏の姓を与えられ、王政君と再会するとも知らず」
王莽は全てを知った。王莽は、父の元帝を殺害し、母の王政君と性交した。元帝が受けた神託も、王莽が聞いた賓客の予言も、すべて実現されてしまった。
オイディプス王の悲劇は、わざわざ権力にものを言わせて、謎を解いてしまうところ。なぞを解かなければ、それなりに幸せなのに。この「謎を解いたから不幸になる」というのは、王莽の政治にそっくり。前漢が傾いて永続できないかも、という「謎」に、解答を与えてしまったので、王莽は不幸になった。頭が良くて、探求心があるから、不幸になった。
エクソドス;王莽の就国
王政君は閉門して、臨朝を停止した。
王莽は、いま漢家に災厄をもたらしているのが、自分だと知った。父を殺害し、母と性交した自分が、陰陽の調和を狂わせていると。筆刀で自分の両目を傷つけ、目の周りを布でしばって、封地である新都国にむかった。
真相を知る者は、かえって盲目である。テイレシアス=劉向は、盲目だが、すべてを見通していた。オイディプス=王莽も、全てを知ってから、盲目になった。ここで伏線が回収される。漢家は、哀帝が親政することになった。
哀帝が死ぬと、王政君は政治の舞台に復活する。王莽の視力も回復する。平帝を「成帝の子」として擁立する。すなわち平帝は、王莽と王政君の擬制的な子のような立場である。王莽と王政君は「父母」として、平帝期の政治をやる。
原書オイディプス王では、イオカステ=王政君は自殺する。これは、妙木浩之『エディプス・コンプレックス論争』にあるように、あまりに女性のキャラを無視した、ザツな結末である。今回の「王莽伝」では、王莽と王政君は子を産んでいない。さすがにそこまで、『漢書』を曲げることはしなかった。ゆえに王政君は、死ぬほどではないのかな、と。というか、王政君に死なれたら、平帝期が成立しない。
おわりに
言うまでもありませんが、これはフィクションです。少なくとも『漢書』とは、数々の設定や事件が異なります。
ただし、ぼくが言いたかったのは、王莽の事績は、象徴的にはこのページの妄説と同じだということです。つまり、漢家を滅亡させたことは「父殺し」です。おばの王政君と政治的に密着して、あたかも夫婦のように振る舞いました。つまり、おばを「妻」に迎えたことの隠喩です。
王莽は、おば(擬制的な母)の関心を、漢室(擬制的な父)から遠ざけ、自分のほうを向かせようとしました。しかし王政君は、「王莽なんかに伝国璽をあげたくない」と抵抗し、漢家に殉じるという態度を維持して、王莽と結ばれることがありませんでした。「父殺し」をしたはずの王莽は、「死んだ父」によって、かえって行動を規制され、「母」を「妻」にすることができなかった。いや「母」を「妻」にしようと願った時点で、悲劇に足を踏み入れていた。
これは、フロイトが析出した「エディプス・コンプレックス」そのものです。
王莽から見れば、漢帝は、いかに王莽より年下であっても、王莽にとって象徴的な「父」です。「父殺し」の王莽は、元帝の陵墓を破壊するとか、平帝を毒殺した嫌疑をかけられるなど、「父の葬り方」に失敗をくり返しました。うまく葬送されなかった者は、何度でも回帰して、生存者を悩ませます。
、、という、ラカン、ヒッチコック、ジジェクの話もありつつ。
これまで書いてみた、頭の体操のようなもので、王莽の本質に近づけないかな、というのが、このページの狙いでした。王莽とオイディプス王。この連想は、きっと誤りでないと、ぼくは思っています。今後もふくらませます。 130216
ぼくは思う。『漢書』で、王莽の妻が失明するなあ。今回のオイディプス王とは、結びつけられなかったが、連想がふくらむ。閉じる